微睡の中から、手を引かれる。
嫌な予感、という糸に腕を引っ張られているようにして。
「……ここは」
五月ラーラは、辺りを見回した。
まるで見たこともない場所だ。牢屋、と言うのが相応しいジメジメとした嫌な空気。少年院を思い出す。
口元がやけに苦しいと思えば、見たこともないマフラーが口を隠すように巻かれている。ズルズルと裾を引きずりそうな長さだ。
自分の格好を改めて見れば、マフラーの下に、さらに足首までかかるこれまた無駄に長いコートに、シンプルなシャツとショートパンツ。どれも現実から離れたような装飾が施されている。
コートとマフラーを引き摺りながら、ラーラは鉄格子の向こうへと目を走らせる。
すると続々と、少女の悲鳴がこだまして聞こえた。ここに閉じ込められているのは、幸か不幸かラーラだけではないらしい。
ラーラは鉄格子から手を離して、頭をガシガシと引っ掻き回した。
「よくわかんないけど、面倒なことに巻き込まれたみたいだなぁ」
まるでデスゲームみたいだなぁ、とラーラはひとりごちた。
屋敷に閉じ込められた、十四人の少女たちは、ゴクチョーと名乗る謎のフクロウに呼び出されて、集められた。
その中に、五月ラーラの姿があることに気づいて、橘シェリーはすぐさまラーラに声をかけた。
五月ラーラは、あの後結局引き取り手が見つかって、すぐに孤児院を去っていった。
シェリーも間も無く引き取られ、ラーラとしばらく会うことはなかったが、まさかラーラがこんな場所に居るとは思わなかった。
「ラーラさん! 久しぶりですね! お元気ですか?」
「元気だよ。うん、元気だから私から離れてくれないかな。力が強すぎる。死んじゃうよ私」
シェリーを冷静に引き剥がして、ラーラは困った顔で笑った。
少し崩れているが、下の方でまとめられた茶髪のお団子。地味な顔。
そして、真っ黒な瞳。あのときのラーラから順当に成長した、といった顔だ。
シェリーはにこにことしながら、ラーラの横で戸惑っている少女に嬉々として話しかけた。
「いやぁー、すごいですねっ」
入り口を見張る化け物、ラウンジに集められた少女たち。こんなもの——。
「なんかすごいことが起こっているのを感じます! 高まっちゃいますよね〜!」
「え、う、うん?」
話しかけられた少女は戸惑った顔で曖昧に頷いた。ラーラは腕を組んで一人考え込む。
まるでゲームやアニメのような、別世界のことのようだ。閉じ込めた者は何が目的なのだろう。思考を募らせて黙り込めば、自己紹介をする流れになっていた。
「キミ、名前はなんて言うんだい?」
「え? ああ、私?」
キラキラとしたオーラを纏っている、まさに男装の麗人といった雰囲気の少女は、ラーラに微笑を浮かべて問いかけた。
「私は五月ラーラだよ。よろしくね」
五月ラーラは、ごく普通の挨拶をした。
そして、彼女たちの記憶には、「五月ラーラは一般人」というイメージで刻まれることになる。
それはあまり間違いではない。よほどの事態が起こらなければ、の話だが。
自己紹介が終わったところで、ゴクチョーによって少女たちは魔女因子を持つ少女であり、全員が魔女になる危険性があること。そして、殺人事件が起こるであろうことを伝えられた。
ラーラはまたも考え込んだ。それなら、自分のおかしな力にも納得がいく。ただ、魔法と言うにはあまりにも地味で、わかりやすくハズレだった。
「ええと、ゴクチョーさん、少しいいかな」
五月ラーラは、ゴクチョーに遠慮がちに話しかけた。
そして平然とした顔で言った。
「私男だから、魔女にはなれないと思うんだ」
しん、と場が静まり返る。
宝生マーゴだけが、呆れた目でラーラを見ていた。
「えぇっ! そうなんですか! そんな面白そうなこと、秘密にしてたんですか!?」
最初に声を上げたのはシェリーだ。ラーラの腕を引っ掴んで目が回りそうなほどに振り回してくる。
ラーラは、振り回されながら、気まずそうに目を逸らした。
「で、ゴクチョーさん、その場合は?」
「あのー、平然と嘘をつかないでください」
「うん、嘘だよ。あと私、魔法のせいで入れ替わってて、中身が80歳なんだ。だから少女ではないと思うよ」
「それも嘘ですよね?」
「うん、嘘だよ」
佐伯ミリアが一瞬反応した気がしたが、気のせいだろう。
しかしなるほど、服が変わっていたことからも、やはり体は見られていたらしい。個人情報も漏れていると考えるべきか。多少ふざけていても許されるようだが、ゴクチョーや見張りの化け物に敵意を向けるのはやめた方がいいだろう。嘘をついたとき、化け物が僅かに動いていたのを、目の端で捉えていた。
ラーラはやっとのことで振り回すシェリーから離れて、息を吐いた。
事態はそう簡単なものではないらしい。
「あなた、よくそんな冗談言えますわね! 嘘つきキャラってやつですのー!?」
「ご、ごめん。嘘つくのはそんなに得意じゃないんだ。でも、どこまで無礼が許されるのか試したくて。流石に殴りかかるのはまずいかもだけど、でも——」
「……正しくない」
ラーラがハンナに説明しかけたところで、誰かがふと呟いた。
ラーラが勢いよく振り向けば、火かき棒を持った黒髪の少女、二階堂ヒロが恐ろしい目つきでゴクチョーを睨みつけていた。
ラーラが止める前に、ヒロは正義を執行しようと殴りかかる。
刹那、二階堂ヒロは死んだ。
看守と呼ばれる化け物の鎌によって、容赦なく引き裂かれた。
「……う」
悲鳴が飛び交い、一人の少女が必死に呼びかける中、ラーラは無言で顔を青ざめさせて、その場に座り込んだ。
やはり、死体は苦手だ。人の死は、見ていて大きく気分を害す。
私が、もし止められたら。
ラーラは思う。
ラーラは「いい子」になりたいのだ。立派な才能などなくとも、誰にでも誇れるような人格でありたいのだ。なのに、守れなかった。また、嫌な思い出が増えた。
ラーラは手を強く握りしめた。
食堂で、大して美味しくもないご飯を胃の中に詰め込む。いや、美味しくないどころかその見た目通り不味いのだが、食べられないことはなかった。
「ラーラちゃんも、魔法が使えるの?」
少女たちは、脱出派と平穏派の二チームに主に分かれることになったが、ラーラは一応脱出派の方に属していた。ラーラは自分がここから出れようとも出れなくともどちらでも構わなかったが、流れでいつのまにかこちらに属していた。
今食事を共にしているのは、橘シェリー、遠野ハンナ、桜羽エマ、氷上メルル、ラーラの五人だ。
とはいえ、基本的にラーラはそこまで喋らないので、他の少女たちの会話を無言で頷きながら聞いていたところなのだが。
今、エマに疑問を投げかけられたのだ。
「確かに一応使えるけど、本当につまらない魔法なんだ。わ、笑わないでね。馬鹿にしないでね」
「笑いませんよー」
シェリーはにこにこと笑った。
ラーラは、皿に軽く触れた。すると、少しずつ皿についた汚れが落ちていく。
「汚れを消す魔法。……これが私の魔法だよ」
地味で、実に生活的な魔法であった。
シェリーは、静かになった空気を遠慮なく消し飛ばす。
「すごく微妙なのに、事件が起きたら真っ先に疑われそうな魔法ですね!」
「酷いなぁ。微妙じゃないよ。地味に取れない洗い残しが取れるし、すごく便利なんだよ。……酷いなぁ」
「私は事実を言っただけですよっ」
酷い酷いと連呼するラーラにハンナは、リンゴを飲み込んでから、同意した。
「ラーラさんの言う通りですわ! これは素晴らしい魔法ですわ!」
並々ならぬ目つきに、同意されたラーラは若干困惑しながらも「う、うん。ありがとう」と頷いた。
まさかこんなにくだらない魔法を褒められるとは思ってもいなかった。
確かにこれまで、この魔法を使って数多の汚れを消したが、そんなこと、普通のひとでもできることだ。ハンナのように空を飛んだり、シェリーのように怪力を使ったりはできない。
「だからね、大丈夫だよ。エマちゃん」
「え?」
ラーラは、エマに向かって微笑みかけた。
エマは、ギクリと肩を上げる。
「魔法なんて突然言われても、信じられないよね。でも私は見ての通り、魔法じゃみんなの役には立てそうにないし……。だから、自分の魔法が使えなくたって、大丈夫だよ」
「ラーラちゃん……」
ラーラはエマが考えていることが、なんとなく分かった。エスパーではないから、完全なる予想に過ぎないが、エマの焦った顔を見ていたら、自然と感情は読み取れる。
「ラーラちゃん、ありがとう」
エマは、嬉しそうにはにかんだ。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
結局、ラーラたちは大した脱出の方法は思いつかないまま、何日か経ってしまった。体力がないので、歩き回るのに疲れ切ったラーラは気分転換に趣味に没頭することにした。
そして、ラーラの同室である紫藤アリサが戻ってきたその時も、ラーラは掃除をしていた。
「五月……何してんだよ」
「アリサちゃん、戻ってきたんだね。無事でよかったよ」
「……だから、何してんだよ」
「何って、見ての通りお掃除だよ。私、お掃除が趣味なんだ」
「掃除が趣味?」
三角巾を頭につけて、箒を掃いているラーラを見て、アリサは唖然とした。
牢屋の中が最初に見た時より明らかに綺麗になっている。ラーラは魔法を使って、金属の錆を落としていく。
「掃除してると、気分が穏やかになるんだ。アリサちゃんのベッドも綺麗にしておいたよ」
「……余計なお世話だ」
「えっと——ごめんね、嫌だった?」
「嫌とは言ってないだろ」
アリサは疲れ切った様子で、ベッドの上に寝転んだ。
ラーラはせっせと無言で掃除を続ける。無言の空間が出来上がったところで、ラーラはふとスマホを見た。
画面を見れば、沢渡ココの配信がまた始まっていた。ココはここ連日配信を続けている。ラーラは気が向いたらその配信を覗き見ているのだ。
今回は蓮見レイアとのコラボのようで、二人の他には佐伯ミリアも配信に参加していた。
賑やかな光景に目を奪われるようだ。頰を緩ませて、ぼんやり見ていたらスマホの画面が暗転してしまった。長く触れていなかったせいだろう。
「そういえば、アリサちゃん、ナノカちゃんのリボンって見てない?」
丁度よくふと思い出して話題を出せば、アリサは舌打ちをした。
「もうその話には飽き飽きなんだよ」
「もう話されてたんだ。ごめんね、さっきハンナちゃんから話を聞いたところだったから」
掃除が趣味だと言うラーラにひどく感動し、なぜか仲の深まったハンナからは、ナノカが困っているといった話題を聞いていた。ラーラは掃いたゴミを塵取りに入れようとして、そういえば塵取りを持ってくるのを忘れたことを思い出した。
もう面倒なので、ラーラは拭き掃除のために持っていた紙にゴミを乗せる。
「ゴミ箱に入れてくるね」
「……わざわざ報告しなくていいだろ」
「それもそうだね」
ラーラは急いで外へと出た。その拍子に、間違って箒までもを持ち出してしまったことに気づいたが、後の祭りだ。面倒なので、そのまま持っておくことにする。
そしてゴミ箱まで足を運び、ゴミを捨てる。ゴミ箱の中には妙な機械のパーツのようなものが中に入っていた。仕方なく、その上にゴミを捨てる。
そして、なんとなく他にゴミがないかと、つい辺りを見回してしまった。
その時だった。
「……あれ?」
何か、嫌な予感がした。いや、何かが見えてしまった。
そこは、城ヶ崎ノアと夏目アンアンの部屋だった。しかし、夏目アンアンは体調を崩して他の部屋にいるから、つまり、ここにいるのは……。
ラーラは胃の中のものを吐き出さないように、強く喉を締め上げた。そうしてゆらゆらとふらつきながら、牢屋に近寄る。
「……」
ごくりと唾を飲み込み、ラーラは箒を握りしめた。
そして、それから———。
……。
「アリサちゃん、遅れてごめんね」
「なんで謝ってんだよ」
ラーラは何も見ていなかったかのように、三角巾を折り畳んだ。
その口元が妙にひくついていることは、アリサには気づけなかった。
——そして、ノアの死体が「廊下」で発見されて、叫び声が聞こえるのはそのすぐ後のことだった。