ラーラは空に向けて魔法を放った。
汚れを消す魔法、という特性上、ラーラの認識が平凡なせいなのか、それとも範囲が明確に定まっているからか。
雲も雨も消せそうになかった。
「おじさん、もうちょっと休んだ方がいいかなーって思うんだけど——大丈夫?」
「大丈夫だよ、ミリアちゃん。私だって、みんなの役に立てそうなら役に立ちたいし」
同じくナノカに黒幕ではないかと指摘されたミリアは、ラーラに付いていた。お目付け役とも言う。
しかしミリアはラーラと違って、みんなによく馴染んでいた。特にココやアンアンからはよく好かれていて、基本的に遠巻きに眺めているラーラとは違う。
一言で言えば、人望があるのだ。
まるで善人を絵に描いたような性格をしていて、そんなのラーラが望むような姿そのまま——。
そこまで考えて、ラーラは自分が醜い発想に至ろうとしていることに気づいた。
汚い、汚い汚い汚い——。
頭を抱えて髪が乱れるのも構わずに、髪を掻き回した。
「汚い……」
自分に向けて魔法を使う。
途端に自分の中で燻っていた醜い感情が、音もなく消えていく。
ようやく落ち着いていつも通りの穏やかな表情に戻ったラーラは、何事もなかったかのようにまた空へと視線を向けた……が。
戸惑った表情のミリアによって、それは遮られた。
「ちょっと待って! ……えっと、これはただのおじさんの予想というか、妄想みたいなものなんだけど。もしかしてラーラちゃんって、自分の感情も消せたりするのかな」
「んー、試したことなかったな」
「何とぼけてんだよ」
悪びれもなくとぼけたラーラに、遠巻きに眺めていたアリサが口を挟んだ。
「ウチはおめぇが急に無表情になるのを何回も見てんだよ」
「あれ、気づいてたんだ」
本当に「あれ」と思ったのかは定かではない顔で、ラーラはあっけらかんと言った。
しかしラーラが一瞬眉を顰めたのを、ミリアは見逃さなかった。無言でラーラのことを見てくる。しばらく無言が続いたが、ラーラはマフラーに顔を埋めながら、顔ごと目を逸らした。
「ごめんね、怖いよね」
「そ、そんなことを言いたいんじゃなくて!」
ミリアは慌てた様子で首を必死に横に振った。
「感情を消しちゃうのは、良くないんじゃないかな」
「どうして?」
「どうしてって……嫉妬する気持ちとか、怒る気持ちとか、そういうのを全部ひっくるめてラーラちゃんなんじゃないかなーって、おじさん、思うんだけど」
そんなことを言われたのは、初めてだ。
ラーラは、腕を組んで考え込んだ。
そもそも汚い感情を抱いていては、ラーラはいい子ではいられないのだ。
悪い人を庇えなくなってしまうし、みんなに不平等に接してしまうだろう。嫉妬に駆られて自分が「悪い人」になる危険性もある。
それらを全部ひっくるめて譲歩する意味は、果たしてあるのだろうか。
「私はいい人になりたいんだ」
返答はいつも通りのつまらない、考えることを放棄したようなものしか返せなかった。
しかしミリアはひどく満足げに微笑んだ。
「うん、おじさんはラーラちゃんが決めたことなら、否定しないよ。少ししかラーラちゃんのことを知らないけどね、おじさんは君がみんなが言うような子に見えないんだ。きっと優しすぎたんだね、ラーラちゃんは」
ラーラは珍しく、にこにことした表情を崩して、目を伏せて黙り込んだ。
しばらく視線を地面へと彷徨わせたあと、ラーラはふうと息を吸う。また柔らかな笑みが元に戻った。
「ま、いっか」
「あ? 何がだよ」
「魔法だよ。残念だけど、私にそこまでの力はないみたいだね。みんなの役に立ちたかったんだけど」
ぺらぺらと話すラーラを、ミリアはじっと見ていた。まるでラーラの心の奥底に眠る、醜い感情を見ているように見えて、ラーラはミリアの方を見れなかった。
そしてそんなことがあった日から数日、いよいよ脱出出来そうだというところで、佐伯ミリアは死んだ。
磔にされて、腹を抉られ、見ていられないような酷い姿で、殺されたのである。
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「……」
ラーラはミリアの死体と向き合った。
「ミリアちゃん」
名前を呼んでも、ミリアは動かない。当然だ。生命活動を、完全に停止してしまったのだから。
残念ながら、今回の事件に五月ラーラは全く関与していない。ずっとアリサといたせいでどの時間も基本的にアリバイを完全に持っているし、自分に罪をなすりつけて犯人を救う、お得意の方法も使えない。
ラーラがアリバイを偽装すれば、今度はアリサまで巻き添えを食らってしまうから、今回は完全なる被害者側として裁判をする他ないだろう。
「ごめんね、犯人さん。今回は代わりに死ねないみたいだね」
ラーラは、分かってもいない犯人に向けて独りよがりに謝った。
魔女裁判は前回とは違い、ラーラが暴れることなく終わった。
今回の事件の犯人は夏目アンアンだった。
アンアンはミリアをエマだと勘違いして殺したらしい。つまり、ミリアはエマを庇って犠牲になったのだ。
その姿はやっぱりまさしく——。
「やっぱり君はいい子だよ!」
ラーラが理想とする「いい子」の像そのものに違いない。
事件の真相が明らかになった途端に、体温がぐつぐつと上がって、息が荒くなるほどに興奮を感じているのを、ラーラは自覚した。
夏目アンアンの処刑を見守ったことで生まれた、恐怖による震えなのか、ただ興奮しているだけなのか。自分でもわからないほど混ぜこぜになったその身を、ラーラは自分の手で押さえつけた。
佐伯ミリア。いい子だ、あれがいい子だ。
ラーラは上がった頬を下げることができなかった。上気した頬はいつまで経っても変わらなかった。
それはラーラが眠る時にまで続いた。
当然そんな興奮状態にあれば、寝付けるわけがなく、ラーラは何度も寝返りを打っては結局眠れなくなって無意識に立てかけてある箒に手を伸ばしていた。
それでも眠れないので、片っ端から掃除道具をかき回していれば、怒声がラーラの耳を刺した。
「さっきからガサゴソうるさいんだよ! ウチが寝れないだろうが!」
「ああ、ごめんね。ちょっと興奮して寝付けなくってさ」
「……おい、酷い顔色だぞ」
「え?」
上気していると思っていた頬に手を当てれば、確かに想像していたよりも体温が低い。
どうしたものか。どうしてこんなにも、冷たいのか。
「……泣いてんのか?」
「え?」
ラーラは自分の頬に手を当てた。確かに冷たい水滴が手に付着した。泣いていたのか。あんな、少し話したくらいのアンアンとミリアの死に悲しんでいる? 興奮だけでなく?
いや、当然だ。今日だけで二人の仲間を失ったのだ。当然いい子のラーラは、仲間の死を悼むはずだ。
そうだ、しかしあまりに長く悲しむのは如何なものか。無駄なストレスは魔女化を進めるのみだ。さっさとこんなものは、消してしまうに限る。
ラーラは自分の頭に手を当てた——ところで。
「おめえ!」
アリサに手首を掴まれた。
あまりに強い勢いで掴まれたせいで、手首が捻られてピリッとした痛みを全身に走らせる。
「消すな。消すんじゃねぇ」
「……」
ラーラは珍しく口数が少ないのを、自覚していた。
困った時ほど口が回って誤魔化している自覚はあったが、今日は上手く口が動いてくれない。
「これ以上変なことをするなら、ウチはテメーを許せない」
「……それは困ったな」
「気持ち悪いんだよ、そうやってヘラヘラしてるところが!」
ラーラは、それでも困って笑うしかなかった。
自分が何を考えているのかが、自分でもわからなかったからだ。
私は何を考えているのだろう、とラーラは考えた。何だ……これは何だ——。
結論は出ない。
「あ、六メートル圏内に自分から侵入しちゃってるけど、大丈夫?」
「同じ部屋で寝てんだからいつも通りだろ」
「それもそうだね。私はウサギだか……」
「もうやめろって言ってんだろ! いい加減黙れよ!」
ラーラは口を閉ざした。
しばらく、しんと部屋が静まり返った。少しして、ラーラはおずおずと打ち明ける。
「今日は寝れそうにないから、近くに座ってていい? 座ってるだけだから」
「……ウチの邪魔はすんなよ」
アリサはベッドに座り込んだ。目が覚めてしまったのか、再び寝ようとはしなかった。
ラーラは珍しく礼も言わずに、ベッドに面した壁に座り込んだ。
「なんか、話そうよ」
「話すって、何をだよ」
ラーラは考えるために、黙り込んだ。話題を提供するのは得意ではない。
「私、トマトのタルトが好きなんだ」
「……なんだよそれ」
「あ、今不味そうとか思ったでしょ。すっごく美味しいからね。タルト生地の上にチーズの甘くないクリームを乗せて、トマトと塩を振ってオーブンで焼くんだ。私、いつか作ってあげる」
アリサに微妙な顔をされたが、ラーラはタルトについて熱弁した。
それから、ラーラは意味もないことをとにかく語った。アリサはそれを意外にも聞いてくれた。
きっと、忘れたかったのだ。今日、二人の少女が死んだことを、頭の端に追いやりたかった。それはラーラもだった。
ラーラは夜が明けるまで、延々と喉が渇くまで話した。そのせいで、次の日は二人揃って寝不足になってしまった。