心臓が動いている、脳が動いている、……人間の生きている定義は曖昧だ。
しかし例えば、事故に遭って死に自分そっくりのロボットが作られたなら。——例えば魔法によって様々な感情を失ってまでして生きていたなら、果たしてそれは生きていると言えるのか。
それなら、五月ラーラは、人間といえるのか。
———脱出計画はとてもできる雰囲気ではなくなり、少女たちはまた疑心暗鬼の雰囲気に戻ってしまった。
そんな中、エマたちは気分転換にピクニックをすることになり、他の少女たち全員に声をかけて回ったのだが、一人を除いて断られた。
……予想通りというかなんというか。ピクニックを断らなかったのは、やはり五月ラーラのみだったのだ。
「ごめんね、私が居ると空気が悪くなるかなって思ってたんだけど、せっかくだから参加したくて」
「そ、そんなことありません! ラーラさんが参加してくれるだけでも、嬉しいです」
メルルに微笑みかけられて、ラーラは目を逸らした。氷上メルルのことが、ラーラはあまり得意ではない。限りなく優しいあの雰囲気に、なんだか嫌悪感と似た何かを感じさせるのだ。
「ラーラさん、サンドイッチに入ったチーズが苦手だとお聞きしました。抜いておいたので、一つどうぞ」
「……あれ? そうだったっけ」
「え、私の記憶違いでしたか?」
ラーラは渡されたサンドイッチを眺めて、口に入れた。もぐもぐと咀嚼する。
ああ、そうだ、思い出した。確かに昔、嫌いだったかもしれない。
ラーラは遠くを眺めた。好き嫌いをするのは「いい子」でないから、偏食をする自分の汚い感情さえも消したのだった。
「ラーラちゃんとシェリーちゃんって、やっぱり昔からの知り合いなの?」
「……ラーラさんとは、同じ孤児院出身なんです」
「もしかして、お二人ともご両親が——」
ハンナが驚いて瞬きをしたところで、ラーラは笑いながら首を振って否定した。
「私のお母さんは小さい頃に死んだけど、お父さんはまだ生きてるよ」
「そ、それならどうして孤児院に?」
「うーん、あれ? どうしてだったかな」
ラーラは本気であまり思い出せなかった。
ひどくどうでもいいことだった。いい子になったあの快感が全身を突き抜けたあの日に、その時期の記憶の大半は塗りつぶされている。
しばらく話したところで、ふとシェリーが箒を手に取った。ラーラが部屋の掃除に使っていた箒である。
シェリーはこれでハンナに空を飛ばせたいらしい。箒で空を飛ぶというロマンは、わからなくもなかった。
シェリーを乗せて浮き上がったハンナは、低空飛行をしたまま、どんどんと遠くへと行っていく。ラーラは心配になって、メルルとエマに「ちょっと追いかけてくるね」と言い残して軽く走りだした。
……そもそも、ハンナが前より飛べる距離が明らかに増えているのが心配要素だった。魔法が強くなるというのは、魔女に近づいていることを意味する。
ラーラはこれまで負の感情を片っ端から消していたから、魔女化にはまだ猶予がありそうだった。しかし他人までそうであるとは限らない。
ラーラがしばらく走れば、すぐにハンナとシェリーの近くまで追いついた。
「シェリーちゃん、ハンナちゃん、だいじょう——」
ラーラは声をかけようとして、言葉と足を止めた。
「わたくし、魔女になりかけているのだと思います」
ハンナが、シェリーに打ち明けていた。それはラーラの足を止めるのに十分な言葉だった。
「わたくし、魔女になりたくありませんの」
ハンナは、シェリーに殺して欲しいと言った。しかしシェリーには処刑されて死んでほしくない、生き残って欲しい、と。
ラーラは、聞いていなかったふりをして様子を見てから二人に話しかけた。
「二人とも大丈夫?」
シェリーなら、やり遂げてしまうだろうと確信があった。シェリーなら、友達のために、友達のハンナのためにハンナを殺してしまうだろう、と。
ラーラは止めるべきなのか。しかし殺人を止めたところでハンナの魔女化は止まらない。
「……」
ラーラは、爪が白くなるほどに強く手を握りしめた。
「ラーラさん」
ハンナはシェリーと分かれて、ラーラに声をかけてきた。
「わたくし、やっぱりラーラさんの魔法は素敵だと思いますわ」
「えっと、なんで急に?」
「ただ……」
ハンナは口篭った。
「ただ、心残りを無くしておきたかっただけですわ」
死ぬつもりだ、とラーラは思った。
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アリサがピクニックを断ってから数日。その朝、嫌な予感で目が覚めた。
いつもより少し遅めに起きたその日の朝、アリサは違和感を感じた。
そうだ、「いい子」らしいラーラは毎朝アリサを起こしてくるのだった。それなのにラーラがいつまで経っても起こしに来ない。おかげでいつもより遅く起きる羽目になった。
「五月?」
アリサはラーラに呼びかける。ラーラの返事はない。アリサは不審に思ってラーラのベッドに近づいて、その布団を剥いだ。
「……いねぇ」
しかし、布団の中には誰もいない。
五月ラーラが声もかけずにアリサを置いて行ったことはなかったが、そういうこともたまにはあるだろう。
アリサはそう思い込もうとしたが、嫌な予感がしてならなかった。
昨日の夜、桜羽エマが熱を出したと聞いたのもその心配を強くする原因のひとつだったのかもしれない。
アリサはとりあえず医務室に向かうことにした。ラーラの性格上、エマを心配して医務室に向かうはずだと思ったからだ。
いつも通り、ラーラはヘラヘラとした笑顔を浮かべながらエマの看病をしているだろう。勝手に予想してみる。そう考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなった。
「……」
アリサがドアを開ければ、ほとんどの少女たちがそこに集っていた。
遠野ハンナと、五月ラーラを除いて。
「なんで五月が居ないんだよ」
「ラーラさんがどうかしたんですか?」
なぜか大怪我をしている様子のシェリーが、首を傾げた。シェリーの怪我の理由はかなり気になるが、今はそれどころではない。
「五月が朝から居ないんだよ」
「あら? それは珍しいわね」
いつも「アリサちゃん、おはよう。早起きは三文の徳だよ」とかなんとか言って起こしてくるラーラにアリサがキレるのは日常の光景だった。
胸騒ぎがしてならないアリサは、ふと焦げ臭い匂いを感じた。
窓の外を慌てて見れば、ゲストハウスの方で煙がもくもくと上がっていた。まさかと思ったところで、スマホから通知が鳴った。
「あの、朝からすみません……お知らせです。ゲストハウスの方から火の手が上がっているようです……」
アリサはその通知を見た途端に、医務室から飛び出していた。
牢屋敷から外に出て、アリサはゲストハウスが燃えているのを目の当たりにした。
後からやってきたエマが、未だ燃えているゲストハウスのドアに近寄った。
そして、アリサはエマを止めようとして、煙のせいで視界不良なゲストハウスに近づき——それを目にしてしまった。
開いたドアから見える、首を吊られている、遠野ハンナの死体。
ラーラがいない。アリサは嫌な予感がして、隣のゲストハウスのドアも開けた。
そして、見てしまった。ゲストハウスの前で力無く横たわる、まるで何かを止めようとするような動きのまま力尽きている、五月ラーラの死体。
「……は?」
周囲の音がなくなっていくようだった。
遠野ハンナの死は間違いなかった。首を吊られた上に、燃えている狭い建物の中に閉じ込められていたのだ。酸素が足りずに間違いなく死んでいるだろう。
そしてラーラは致命傷こそないものの、ひどく傷ついていた。ボロボロになったコートとマフラー。血が滲んで変色している。
何よりも惨いのは、足だった。ラーラの足はまるで地面に釘を打たれているかのように、ナイフで直接縫い止められていたのだ。
誰だ、誰がこんな非道な殺し方を——。
「ラーラさんっ! 起きてください! まだ、まだ息があります!」
アリサの思考はメルルによって、一気に引き戻された。メルルがラーラの脈をはかっている。ラーラの心臓がある場所に触れてみれば、まだ確かに動いていた。
「五月! 起きろ! 起きろよ!」
ゆすれば、ラーラの瞼が確かに動いた。
薄い瞼から、黒い目が覗く。そしてその刹那、ラーラの顔は苦痛に歪んだ。ラーラが初めて笑顔を崩した瞬間だった。
ラーラは、唇から血を流すほどに強く唇を噛み締めて、ラーラを地面に縫い付けているナイフを——。
そこから先はアリサには見れなかった。あまりにも惨い光景だった。
「ハンナちゃん! ハンナちゃんは、どこ!? 犯人は!?」
ラーラはナイフを取ってすぐに、叫んで這いずりながらゲストハウスに近づいた。
そして、首を吊られたハンナの死体を見て、顔を引き攣らせた。
「……あ」
こうして、ラーラは遠野ハンナの死を目の当たりにしたのだ。
最近忙しくて投稿できませんでしたが、復帰します。