シェリーの裁判の後、ラーラは何をする気にもならなかった。しばらくらしくもなく部屋に閉じこもって、そうして一日過ごし、ようやくラーラは車椅子に乗った。
動く気力が湧いたのではなく、単純にお腹が空いたからだった。
ラーラはのろのろと車椅子を動かして食堂に向かおうとするが、ふと車椅子が動かなくなった。地面を見る。
「段差か……」
足を例の事件で自傷したため、しばらく……いやもしかしたら、二度と歩けないラーラは、段差を越えられない。
仕方なく、部屋に戻ろうとしたところで、突然車椅子が浮き上がって段差を越えた。
「な、何?」
「オメー何やってんだよ」
「あ、ごめん。ありがとう、アリサちゃん」
後ろを見れば、アリサがラーラの車椅子を動かしてくれたようだった。
その時、ラーラはアリサの爪がかなり伸びていることに気づいてしまった。アリサのことを気遣うべきなのか? しかし、どのように?
ラーラは少し考えてから、結局見ていなかったことにしようと決めた。
「ほ、本当にありがとう」
再び礼を言ったが、アリサは返事もなく、ラーラの車椅子を動かして、すぐに消えてしまった。余裕が無さそうだった。
✳︎✳︎
「ウチに近寄るな!」
ラーラがそう拒絶されたのはこれで何度目だろう。すぐに伸びるようになった爪で手を握りしめたせいで、爪が肌に食い込んで痛い。
「六メートル離れててもだめかな」
「関係ないんだよ! ウチから離れろ!」
——シェリーが処刑されてから、数日。みんなは変わった。すっかり疑心暗鬼で、余裕をなくすようになったのだ。
まだ黒部ナノカやラーラはマシな方と言えるが、ラーラもシェリーを失ってから何だか前ほどいい子に執着できなくなった。
シェリーはラーラを庇って、罪を自白した。
前のラーラなら、興奮していたはずだ。恍惚として、「やっぱりシェリーちゃんはいい子なんだね!」なんて叫んでいたはずだ。
しかしどういうわけかさっぱりとその気が起きない。これは魔女化の影響なのだろうか。それとも、ラーラなりの心の変化なのだろうか。
「ごめんね。確かに、結構気持ち悪いことをした自覚はあるんだ。……私のこと、嫌いになった? 怖いよね」
「違う!」
アリサは叫んでから、気まずそうに口をつぐんだ。
「今ウチは何するかわかんないんだよ」
「そう言われても、私寂しがりやなんだよ? こう見えて」
「だからといってウチに殺されるつもりか?」
「別に、殺されてもいいよ」
アリサに、思い切りキッと睨まれた。あまりの眼光の鋭さに、ラーラはキョトンとして瞬きを繰り返す。
「二度とそんなこと言うんじゃねぇ!」
アリサはラーラから離れてしまった。
置き去りにされて、ラーラはトボトボと車椅子を動かす。
ラーラは疲れて一度車椅子を動かす手を止めた。
ラーラは、今どうしようもなく醜い汚い感情が心を埋め尽くしているのを感じた。
しかし、ミリアやアリサに言われた言葉を思い出す。それから、嫌いな食べ物さえ忘れたラーラをなんだか寂しげに見つめたシェリーも。
悪くはない、と思う。確かにストレスはあるが、悪くない。抜け殻から人間に戻ったような気さえしていた。
シェリーが死に、あそこまで動転したと言うのに、不思議とラーラの心は酷く穏やかだった。
それは逆に不審で気持ちが悪いほどに、凪いでいて、もう全てがどうでもよく思えた。
……どうでもいい。
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「アリサちゃん! 睡眠薬飲みすぎだよ!」
紫藤アリサは眠れないのか、睡眠薬をより多く使うようになった。そこまでならラーラも止めないが、ひどい量を飲むようになってしまったのだ。
ラーラが掃除をした際、アリサのベッドから大量の瓶が出てきて、これがなんなのかメルルに問い詰めたところ、アリサが睡眠薬を大量に飲んでいることを知ってしまった。
このままではオーバードーズしてしまう。ラーラは危険を感じて、アリサをとうとう止めることにした。
「ウチのことは放っとけよ!」
「嫌に決まってるよ! 私はもう誰にも死んでほしくない!」
「ウチは魔女化が進んでんだよ……! いつ人を殺すかわからないくらいなら、いっそ——」
アリサの目はひどく思い詰めていた。
ラーラは自室から出ていくアリサを止めようとするが、負傷した足のせいで、立てずにその場に倒れ込む。
嫌な胸騒ぎがしてならなかった。
ラーラは車椅子を動かして、アリサを追う。しかし走り去っていったアリサに追いつけるわけもなく、見失いこそはしないものの、全く近づける様子はない。
ラーラは息を切らしながら、なんとかアリサが去っていった方向に走り出す。
そこは、裁判所だった。
なぜか、故障なのか処刑用の電気椅子が置かれている。アリサはその前に立って、薬の瓶を握りしめていた。
アリサは、自殺するつもりだ。
ラーラは予感がして、気づけば叫んでいた。
「駄目っ!」
車椅子を動かして、手から瓶をひったくろうとするが、アリサはそれを避けた。
ラーラは息を切らしたまま、アリサの手にある睡眠薬を奪い取ろうと、睡眠薬を睨みつける。睡眠薬を持つアリサの手は、確かに本人が言うように魔女化が進んでいるのが一目で分かった。
「み、みんな、アリサちゃんが死んだら悲しむよ。私だってそうだよ。な、何か魔女化を止める方法があるかもしれない。私、探すから、だから……」
「そんな方法がないから、みんな魔女化して人殺ししたんだろ」
アリサは冷静にラーラの言葉を跳ね除けた。
「で、でも自殺なんて、そんなのよくないよ」
「……」
なんて薄っぺらい言葉だ。ラーラは良い言葉が思いつかなかった。
いつものように嘘を並べてそれらしいことを言えれば良いが、いつもなら簡単に飛び出す嘘も、頭の中に一つも浮かんでこない。
頭の中には同じことが延々と流れ続けるのみだ。
アリサちゃんが死んじゃう、嫌だ、どうしよう、どうしよう……。
「い、いい子にするから」
焦ったラーラはつい胸の内にあった本音を、口に出してしまった。
一度流れてしまえば、もう止まらない。
「いい子にするから、一人にしないで。いい子にするからっ……」
いい子にします。だから私から離れないで。もう迷惑もかけない。いい子にする。いい子にするから。
ラーラはいつもの穏やかな表情を崩し、目を見開いて唇を震わせながら呪文のように唱えた。
ラーラの言葉に、アリサの目が僅かに揺らいだ。
「本当はそんなこと思ってたのか」
しかし、アリサの決意は堅かった。一瞬こそ緩ませたものの、アリサはまた薬の瓶を手に取る。
そしてその蓋を開け、口の中に流し込み——。
「駄目!」
ラーラはアリサを止めるために、車椅子から立ち上がる。激痛にぐらりとふらついた。
しかしラーラは諦めない。その勢いのまま、アリサから瓶をひったくろうとして……そして、アリサ諸共倒れた。
鈍い、音がした。
下敷きにされたアリサは、その後ろにあった電気椅子の金属部分に、ものすごい勢いで頭を打ちつけたのだ。
ラーラの全体重が乗った勢いのまま、偶然にも。
生臭い、血の匂いがラーラの鼻腔を貫いた。どろりとした血液が、地面に広がっていく。
どどどど、とラーラの心臓が勢いよく動く。心臓は左にあるのだとはっきり分かる。
「あ、れ?」
頭から血を流したアリサに、這いずりながら近づく。
脈を測れば、全く動いていない。
いいや! こんなの嘘だ。
ラーラはもう一度測った。動いていなかった。心臓の音を確認した。動いていなかった。手首の脈を測った。動いていなかった。アリサに呼びかけた。何も答えなかった。
「殺した?」
誰が? 私が? 殺した?
ああ、そうだ。
五月ラーラは、紫藤アリサを殺してしまった。
事故だった。大したこともない、事故だ。
それで運悪く、アリサは……。
ラーラが理解していくにつれ、邪心が心を覆っていく。
そうだ、私の魔法を使えば、この事件そのものをさっぱり消せるかもしれない。
汚れを消す魔法なら、きっと死体も——。
ラーラは震える手で、アリサの死体に手を伸ばした。
「……」
しかし、ラーラは、無言で車椅子に座った。
そして、アリサの死体を置いたまま、死体から離れた。現実を直視できそうになかった。
もう何も考えられない。思考を放棄していた。
それから、紫藤アリサの死体が発見されるのはすぐのことだった。
いつも通り、一定の調査時間が設けられた後、魔女裁判が開廷する。しかし、黒部ナノカのみ見つからず、ナノカ抜きの裁判となってしまった。
「はぁ、また殺人事件? もう面倒くさいから犯人名乗り出てくれたりしない?」
ココが疲れた顔で、そう言った直後。
「私だよ」
ラーラは無表情で手を挙げた。
全員が驚いた顔でラーラを見た後、それはすぐに呆れの表情に変わる。
「またそれかよ。もう偽装工作の手伝いすらやめたってこと? あてぃしらの人数も少なくなってきたし、そろそろ処刑されていい子になりたいー、とかどうせ考えて」
「もうそんなことどうでもいいんだよね」
ラーラは、無表情のまま自分の頭を荒々しく掻きむしった。お団子が崩れて髪の毛がボサボサと飛び出す。
「全然いい子じゃない。私は悪い子だよ。もう許されない、許されないんだよ。ああもう早く私に投票して、私を殺して」
「ど、どうしたんですか、ラーラさん!?」
メルルがいつもと様子の違うラーラを訝しげに見つめた。
流石におかしい。ラーラはあそこまでいい子にこだわり、悪い子になることを忌み嫌っていたはずだ。それなのに、なぜ。
「アリサちゃんは自殺しようとしてた。私はそれを止めようとして、よろめいて、アリサちゃんを押し倒してしまった。そしてアリサちゃんは頭をぶつけて、死んだ」
……確かにそれなら、証拠に大体の説明がついた。
ラーラに大した推理力はないのは、もうみんな分かっていた。あくまでも凡人並みの頭脳しか持ち合わせていない。そんなラーラが、ここまで詳細に事件のことを説明するなど、確かに犯人と思える。
ラーラの自白を使いながらみんなでアリサの死の経緯をまとめてみれば、確かにラーラが殺したとしか思えなかった。
「すみません、一つ私から質問があるのですが」
それまで何かを言いたげに黙っていたゴクチョーが、ようやく話し始めた。
「地下の冷凍室に忍び込んだ人がいるみたいなんですが……何か知っている人はいます?」
「それは……ボクだよ」
エマが手を挙げた。
地下? なんのことだろうと、ラーラは首を傾げる。しかしマーゴはその言葉に反応を示した。
ゴクチョーはさらに話していく。地下の冷凍室に死体をしまっていて、アリサの座っている処刑台が一度地下に送り込まれた記録が残っている、と。
「ということは……アリサちゃんの死体の状況は全て説明がつくわね」
「ど、どういうことですか?」
「アリサちゃんの死体は濡れていたわ。それは冷凍室に入れられたから、と言えるんじゃないかしら」
「え?」
「どちらにせよ、アリサちゃんを殺したのがラーラちゃんってことには違いはなさそうだけれど」
ラーラは終始ぴくりとも笑わなかった。
処刑台へと連れていかれるラーラは、全く抵抗もせずに無気力なままだった。
「私、アリサちゃんが羨ましかったんだよ。きっとそれで殺しちゃったんだ」
「え?」
「悪い子みたいに振る舞って、本当はすごくいい子で。いい子のふりしてて全然そんなことない私より、よっぽどいい子なんだよ」
独り言のように懺悔したラーラは、上がってくる処刑器具を眺める。しかし、最後についたその嘘を、桜羽エマは見破ってしまった。
「でもラーラちゃん、ラーラちゃんの魔法は、汚れを消す魔法だよね。ラーラちゃんの魔法を使えば、アリサちゃんの死体だって消せたはずだよ」
「……」
「でも、ラーラちゃんは消さなかった。ううん、消せなかったんだ。ラーラちゃんはアリサちゃんのことを、汚れとは認識できなかったからじゃないかな」
ラーラは———ようやく無表情だったその表情を大きく崩した。
ラーラは一度魔法を使った。アリサの死体を消せば、悪い子でなくなれると思った。しかし、消せなかった。ラーラには、アリサが消せなかった。
消したく、なかった。
「どうだろうね」
ラーラはようやくいつものように笑った。
そして、処刑台が裁判所に出現する。本来なら処刑台だけが出てくるはずだった。しかし処刑台と共に現れたのは——。
黒部ナノカの、死体だった。