昼食を終えたハリーたちは、次の授業まで少し時間があることに気づき、ホグワーツの廊下を歩いていた。
窓の外では、秋の風に揺れる木々が赤や黄色に色づいている。石造りの壁には古い肖像画が並び、その中の魔法使いたちは生徒たちを眺めながら、時折ひそひそと話していた。
「なあ、ハリー。次の授業まで何する?」
ロンが、食後の満足そうな顔で尋ねた。
「うーん……図書館に行ってみない? 昨日、レオ兄さんが面白い本を見つけたって言ってたんだ」
「図書館!」
ハーマイオニーが勢いよく振り返った。ふわふわした髪が肩の上で跳ねる。
「そ、それなら私も行くわ! ホグワーツの図書館には、普通の書店では手に入らない魔法書がたくさんあるの。入学前に調べてきたんだけど、魔法理論の蔵書数はイギリスでも有数で――」
「お、おう。分かったから、そんなに早口で説明しなくてもいいって」
「早口じゃないわよ、ロン!」
「今のは早口だったと思うけど……」
ハリーが首をかしげると、ハーマイオニーは頬を赤くした。
「ハ、ハリーまで! もう!」
その反応がおかしくて、ロンが吹き出す。ハリーもつられて笑った。
三人は階段を上り、廊下をいくつか曲がった。
やがて、重厚な扉の向こうに、天井まで届きそうな本棚がずらりと並ぶ空間が現れた。革張りの本の匂いと、古い羊皮紙の乾いた香り。ページをめくる音があちこちから聞こえ、窓際の机には午後の光が柔らかく差し込んでいる。
「わあ……!」
ハリーは思わず声を上げた。
「すごいな! 家の本棚より、ずっと大きい!」
「図書館なんだから当たり前だろ」
ロンはそう言いながらも、目を丸くして本棚を見上げていた。
「ここなら一日中いても飽きないわ……!」
ハーマイオニーはすでに入口近くの案内板を読み始めている。指先で分類を追い、目を輝かせていた。
「魔法理論、呪文学、変身術、魔法薬学……あっ、古代ルーン文字の専門書もある!」
「古代ルーン文字なら、レオ兄さんに聞くといいよ。すごく詳しいんだ」
「ええ、知ってるわ!」
ハーマイオニーは勢いよく答えたあと、はっと口を押さえた。
「……あっ。いえ、その、レオが詳しいことは、列車の中でも聞いたから……」
「レオ兄貴、もう有名人なんだな」
ロンがからかうように言う。
「有名人というより、僕たちがまだ知らないことを知っている人、かな」
ハリーは胸を張って言った。
「でも、レオ兄さんは何でも知ってるわけじゃないよ。知らないことがあったら、すぐ本を探すんだ。家でもそうだったんだよ!」
「それは大切なことね」
ハーマイオニーが、真剣な顔でうなずいた。
「知識があることと、学び続けることは別だもの。どんなに優秀でも、勉強しなくなったら成長は止まってしまうわ」
「おっ、なんか先生みたいだな」
「ロン!」
「はいはい、悪かったよ!」
騒がしくなりかけた三人だったが、司書のマダム・ピンスが遠くから鋭い視線を向けると、そろって口を閉じた。
ハリーは慌てて口元に指を当て、ロンは肩をすくめる。ハーマイオニーだけは、最初から静かにしていたと言いたげな顔をしていた。
そのときだった。
「ハリー? 君たちも図書館に来ていたんだね」
聞き慣れた穏やかな声が、本棚の向こうから聞こえた。
「レオ兄さん!」
ハリーはぱっと顔を輝かせた。
背の高い少年が、何冊かの本を抱えて歩いてくる。青と銀のネクタイが制服の胸元で揺れ、腕に抱えた本の一冊には、古代ルーン文字が刻まれた装飾があった。
「レオ!」
ハーマイオニーも声を上げかけ、慌てて音量を落とした。
「……レオも、ここで勉強していたの?」
「うん。授業で気になったことがあってね。少し調べていたんだ」
「気になったことって?」
ロンが尋ねる。
「呪文を組み立てるときの、魔力の流れについてだよ。呪文は決められた言葉を唱えれば完成するものだけれど、その構造を理解すると、どうしてその言葉が必要なのかも見えてくるんだ」
「うーん……」
ロンは眉間にしわを寄せた。
「つまり、呪文を覚えるだけじゃ駄目ってことか?」
「覚えることも大事だよ。最初から全部を理解する必要はないからね。でも、少しずつ理由を考えていくと、失敗したときにも原因を見つけやすくなる」
「それ、今日の魔法薬学でも同じだったわ」
ハリーが手を挙げるようにして言った。
「火を強くしすぎると、薬が泡立ちすぎちゃうんだ。先生に注意されちゃったけど、次はちゃんとできると思う!」
「そうか。ちゃんと原因を覚えているなら大丈夫だよ」
レオは微笑んで、ハリーの頭を軽く撫でた。
「でも、次は鍋が煙を吐く前に気づこうね」
「うっ……それは、はい!」
ハリーが少しだけ肩を縮める。ロンが隣で笑いをこらえ、ハーマイオニーは二人を見比べて微笑んだ。
その様子を見ていた彼女は、ふとレオの腕にある本へ目を留めた。
「ねえ、レオ。その本……古代ルーン文字の研究書?」
「そうだよ。これは呪文の構造を記号で表した古い資料なんだ。今の呪文とは表現が違うところもあるけれど、魔力の流れを考えるときには参考になる」
「見てもいい?」
ハーマイオニーは一歩近づいた。
そして、本を受け取ろうとしたところで、レオの手と自分の指がほんの少し触れた。
「っ!」
彼女の肩がぴくんと跳ねた。
「あ、あの、ごめんなさい! 手が、その、偶然……!」
「大丈夫だよ。はい、どうぞ」
レオは何も気にしていない様子で本を差し出した。
ハーマイオニーは両手で受け取ったものの、耳まで赤くなっている。
「……ありがとう」
小さな声で礼を言い、彼女は表紙を開いた。
数ページめくったところで、その表情が変わった。
「これ……すごいわ。文字の配置そのものが、魔力の流れを示しているの? 普通のルーン文字の解説書とは全然違う……!」
「うん。文字を読むだけじゃなくて、配置にも意味があるんだ。例えば、ここ」
レオは彼女の隣に立ち、ページの一角を指さした。
「この記号は、単独なら魔力を集める意味を持つ。でも、隣の記号と組み合わせると、集めた魔力を一定の方向へ流す働きに変わるんだ」
「えっ……本当だわ!」
ハーマイオニーは身を乗り出した。
「じゃあ、この部分は?」
「それは流れを安定させるための記号だね。ここが欠けると、魔力が必要以上に偏る可能性がある」
「待って、ちょっと待って!」
ハーマイオニーは慌てて鞄から羊皮紙と羽根ペンを取り出した。
「今の説明、書いておきたいの! ええと、魔力を集める記号と、方向を定める記号、それから安定させる記号……」
羽根ペンが紙の上を忙しく走る。
勢いが強すぎたのか、ペン先が羊皮紙に引っかかり、インクが小さな染みになった。
「ああっ! もう、どうしてこんなときに!」
ハーマイオニーは真っ赤になって染みを見つめた。
「大丈夫? 予備の羊皮紙なら僕も持っているよ」
「い、いいの? でも、これは私が書き直せば……」
「もちろん。だけど、せっかくの発見なんだから、急いで書いて失敗するより、落ち着いて書いたほうがいいと思うな」
レオが差し出した羊皮紙を、ハーマイオニーはおそるおそる受け取った。
「……ありがとう、レオ」
今度は、先ほどよりも少しだけ自然に言えた。
ただし、顔の赤みはまだ消えていなかった。
それを見たロンが、ハリーの耳元に顔を寄せる。
「なあ、ハリー。ハーマイオニーって、レオの前だといつもあんな感じなのか?」
「ん? いつもって?」
「いや……その、顔が赤いっていうか」
「そうかな? 図書館が暑いんじゃない?」
「いや、窓開いてるし、むしろ寒いくらいだぞ」
「じゃあ、勉強に夢中なんだよ!」
ハリーは何の疑いもなく答えた。
ロンは一瞬、何かを言いたそうに口を開いたが、すぐに閉じた。
「……まあ、いいや」
「二人とも、何をこそこそ話しているの?」
ハーマイオニーが顔を上げる。
「な、何でもない!」
「何でもないよ!」
二人の声が重なった。
ハーマイオニーは怪訝そうに目を細めたものの、すぐに本へ視線を戻した。
「それで、レオ。さっきの魔力の流れについて、もう一つ聞きたいことがあるのだけれど……」
「うん、いいよ」
「呪文を改変するときは、元の構造をどこまで残すべきなの? 全部を変えてしまったら、別の呪文になってしまう可能性もあるでしょう?」
その質問に、レオは少し考えるように本のページへ目を落とした。
「そうだね。だから、最初は変えても問題のない部分を見極めることが大切なんだ。呪文には、目的を果たすための中心部分と、その働きを補助する部分がある。中心部分を理解しないまま手を加えると、思いがけない結果になることもあるから」
「……なるほど」
ハーマイオニーは真剣にうなずいた。
「ただ、知識があれば何でも変えていい、というわけじゃない。実際に試すときは、安全な場所で、失敗した場合にどうなるかも考えておく必要があるよ」
「それは、魔法薬学でも同じね。材料を入れる順番や火加減を間違えたら、薬の性質そのものが変わってしまうもの」
「その通りだよ」
レオが優しくうなずくと、ハーマイオニーの顔がぱっと明るくなった。
「やっぱり、レオと話していると勉強になるわ!」
言い終わった瞬間、彼女は固まった。
「……あっ」
自分が何を言ったのか、遅れて理解したらしい。
「い、いえ! 別に、レオと話すのが特別という意味じゃなくて! もちろん、あなたの説明が分かりやすいのは本当だけど、それはあなたが詳しいからで、私はただ知識を増やしたいだけで……!」
早口になっていく彼女を見て、レオは困ったように微笑んだ。
「ありがとう。そう言ってもらえるとうれしいよ」
「……っ!」
ハーマイオニーは羊皮紙で顔の下半分を隠した。
ロンはとうとう吹き出しそうになり、ハリーは不思議そうに首をかしげる。
「ハーマイオニー、やっぱり暑い?」
「暑くないわ、ハリー!」
「そっか!」
あっさり納得したハリーに、ロンは片手で額を押さえた。
図書館の静けさを守るため、三人はそれ以上大声を出さないよう気をつけながら、レオの説明を聞いたり、本棚から興味のある本を探したりした。
やがて、窓から差し込む光が少しずつ傾き始めたころ、レオが時計を確認した。
「そろそろ、僕は次の授業へ行くね。ハリー、今日は魔法薬学の復習をしておくといいよ。分からないところがあったら、一緒に考えよう」
「本当? ありがとう、レオ兄さん!」
「私も……!」
ハーマイオニーが思わず声を上げた。
レオが振り向く。
「私も、古代ルーン文字について質問してもいい? もちろん、あなたの時間があるときでいいのだけれど!」
「もちろんだよ。僕も、君がどんなことに気づくのか聞いてみたいからね」
「ほ、本当に?」
ハーマイオニーの目が大きく開いた。
「うん。自分とは違う考え方を聞くのは、僕にとっても勉強になるから」
彼女は羊皮紙を胸元に抱きしめた。
「……じゃあ、もっと勉強するわ!」
その声には、いつもの負けず嫌いな熱意だけではない、弾むような喜びが混じっていた。
「私、古代ルーン文字の本をたくさん読んで、今日の話もきちんと理解して、それから……その、レオにもっと質問できるようになる!」
「うん。楽しみにしているよ」
レオはそう言って、図書館の出口へ向かった。
「またね、ハリー。ロン。ハーマイオニー」
「またな、レオ兄貴!」
「またね、レオ兄さん!」
「ま、またね、レオ!」
ハーマイオニーは、彼の姿が扉の向こうへ消えるまで、つい目で追ってしまった。
そして、はっとして本へ視線を戻す。
「……よし!」
彼女は羊皮紙を机に広げ、羽根ペンを握り直した。
「今日の内容、全部まとめるわ。ルーン文字の配置と魔力の流れ、それから呪文の改変に必要な知識も!」
「おお、やる気満々だな」
ロンが感心したように言う。
「当たり前でしょう! 知らないことがあるなら、勉強して理解するまでよ!」
「じゃあ、俺たちも何か探すか。ハリー、何がいい?」
「僕は魔法生物の本がいいな! レオ兄さんの家にはいろんな生き物がいたけど、まだ知らない生き物もいっぱいいると思うんだ!」
「それ、いいな。俺も見てみたい!」
三人は再び本棚へ向かった。
ハーマイオニーは途中で一度だけ、レオが歩いていった扉を振り返った。
胸の奥が、まだ少しだけどきどきしている。
けれど、彼女は小さく息を吸うと、すぐに顔を引き締めた。
「……勉強よ、ハーマイオニー。まずは勉強!」
そう自分に言い聞かせて、彼女は本棚に並ぶ分厚い魔法書へ手を伸ばした。
その隣では、ハリーとロンが魔法生物の本を見つけて、二人そろって歓声を上げている。
静かな図書館の午後。
三人はそれぞれの興味を胸に、ホグワーツでの新しい一日を歩き始めていた。