ホグワーツに入学してから、数週間。
ハリーたちは、少しずつ学校生活に慣れ始めていた。
魔法薬学では相変わらずスネイプの鋭い質問に緊張し、魔法史ではビンズ先生の単調な講義に眠気と戦い、呪文学ではフリットウィック先生の熱心な指導を受けている。
そして、ハーマイオニーは相変わらず勉強熱心だった。
「ハリー、そこの問題、答えが違うわよ!」
「えっ、嘘!? どこ?」
「ここよ! 浮遊呪文の発音が少しずれているの。最後の音を曖昧にすると、魔力の伝わり方が不安定になるのよ」
「うわっ、本当だ! ありがとう、ハーマイオニー!」
「どういたしまして!」
ハリーが慌ててノートを書き直すと、ロンが隣から覗き込んだ。
「お前ら、よくそんな細かいところまで気づくよな……」
「ロンも、ちゃんと見直したほうがいいわよ!」
「俺は大丈夫だって!」
「昨日、呪文の綴りを間違えていたのは誰だったかしら?」
「うっ……!」
ロンが口をつぐむ。
ハリーは思わず笑った。
そんな、いつもどおりの授業の合間。
ハリーが楽しみにしていることが、もう一つあった。
それは、レオに会って話をすることだった。
レオは授業でも図書館でも、会えば気軽に声をかけてくれる。難しい魔法の話をするときも、ハリーが分かるところまで言葉を選んで説明してくれるため、話しているだけで新しい発見があった。
ただし、ハーマイオニーにとっては、少々事情が違っていた。
「……ねえ、ハリー。今日、レオに会えるかしら?」
昼食後、彼女は何気ないふうを装って尋ねた。
「うん? どうして?」
「ど、どうしてって……! この前、古代ルーン文字について教えてもらったでしょう? その続きで、少し聞きたいことがあるのよ!」
「そっか! じゃあ、会えたら聞いてみようよ!」
「ええ、そうね!」
ハーマイオニーは笑顔でうなずいた。
ところが、ハリーが別の話題に移った途端、彼女は小さく息を吐いた。
レオと話したい。
もっと知りたいことがある。
それは本当だ。
けれど、最近は、レオの姿を見かけるだけで胸がどきどきすることも増えていた。
その理由を考え始めると、途端に頬が熱くなってしまう。
「……もう、何を考えているのよ、私!」
ハーマイオニーは小声で自分を叱った。
「ん? 何か言った?」
「な、何でもないわ、ロン!」
「俺、今は何も言ってないぞ!?」
「そういう意味じゃないわよ!」
ロンが困惑し、ハリーが楽しそうに笑う。
そんな賑やかな午後は、いつものように過ぎていった。
*
その日の夜。
グリフィンドールの談話室では、暖炉の火がぱちぱちと音を立てていた。
窓の外はすっかり暗くなり、城の周囲には冷たい夜風が吹いている。夕食を終えた生徒たちは、それぞれ課題を片づけたり、友人と話したりしていた。
「うーん……」
ハリーは机に向かい、羽根ペンを握ったまま唸っていた。
「どうしたんだ、ハリー?」
隣でチェス盤を広げていたロンが尋ねる。
「明日の呪文学の課題なんだけど、呪文の仕組みを説明するところが、うまく書けないんだ」
「呪文の仕組み? 俺は呪文をちゃんと唱えられればいいと思うけどな」
「でも、フリットウィック先生が、どうしてその呪文が働くのか考えてみようって言ってたよ」
「うわあ……先生、そんなことまで課題にしたのか」
ロンは天井を仰いだ。
その向かいでは、ハーマイオニーがすでに課題を終え、別の本を読んでいた。
「ハリー、どこで分からなくなったの?」
「えっと、この部分。呪文の言葉と魔力の動きが、どうつながっているのかがよく分からないんだ」
「それなら、教科書の前の章を読むといいわ。呪文を唱えるときの発音だけじゃなくて、集中力や意識の向け方も関係しているの」
ハーマイオニーは本を閉じ、ハリーのノートを覗き込んだ。
「例えば、浮遊呪文なら、対象を浮かせるという目的を明確にして、魔力をその方向へ導く必要があるのよ。言葉だけを覚えても、意識が散漫になっていたらうまくいかないことがあるわ」
「なるほど……!」
ハリーは目を輝かせた。
「ありがとう、ハーマイオニー! もう一度、書き直してみるよ!」
「ええ。頑張って!」
ハーマイオニーが微笑む。
その様子を見ていたロンは、チェスの駒を動かしながらぼやいた。
「お前ら、本当に勉強好きだよなあ……」
「ロンだって、チェスは何時間でもできるでしょう?」
「それとこれとは別だ!」
「どう違うの?」
「チェスは楽しいんだよ!」
「勉強だって楽しいわよ!」
「はいはい、分かったよ!」
ロンは笑いながら手を振った。
やがて、ハリーも課題の続きを書き始めた。
しばらくして、談話室の時計が九時を告げる。
「そろそろ部屋に戻ろうか」
ハリーがペンを置いた。
「うん。明日も授業があるしな」
ロンがチェス盤を片づけ始める。
ハーマイオニーも本を閉じた。
「私も戻るわ。おやすみなさい、二人とも」
「おやすみ、ハーマイオニー!」
「おやすみ!」
三人はそれぞれ階段へ向かった。
そのとき、ハリーはふと、レオが今日の夕方に話していたことを思い出した。
レオは、授業で習った呪文をそのまま覚えるだけではなく、どうしてその形になっているのか考えるのが好きだと言っていた。
そして、分からないことがあれば、図書館で調べるのだと。
「……僕も、もっと勉強してみようかな」
ハリーは小さく呟いた。
もちろん、すぐにレオと同じようにできるとは思っていない。
けれど、少しずつ学んでいけば、今まで分からなかったことも理解できるようになるかもしれない。
そんな期待を胸に、ハリーは階段を上った。
*
同じころ、レイブンクローの談話室。
青と銀を基調とした部屋には、落ち着いた明かりが灯っていた。
暖炉のそばでは数人の生徒が課題に取り組んでいる。窓の外には星が瞬き、夜の静けさが城全体を包んでいた。
レオは一人、机に向かっていた。
机の上には、古代ルーン文字の資料と呪文学の教科書、それに何枚もの羊皮紙が広げられている。
「……ここを少し変えると、魔力の流れが安定するかな」
レオは羽根ペンを置き、杖を手に取った。
彼の杖は、サッサフラスと黒檀を組み合わせ、不死鳥の尾羽を芯に持つものだ。
握り慣れた木の感触を確かめながら、レオは机の上に置いた小さな木片へ杖先を向けた。
「ウィンガーディアム・レビオーサ」
木片がふわりと浮かび上がる。
そこまでは、授業で習う通常の浮遊呪文と変わらない。
しかし、レオはそこで呪文を止めなかった。
杖先をわずかに動かし、魔力の流れを調整する。
浮かんでいた木片は、まるで見えない指に導かれるように、ゆっくりと右へ移動した。
続いて左へ。
さらに、空中で静かに一回転する。
木片は机の上に置かれた小さな瓶を避け、そのまま羊皮紙の端へ正確に着地した。
「うん。これなら、余計な魔力を使わずに方向を変えられる」
レオは満足そうにうなずいた。
呪文を改変することは、単に威力を増やすことではない。
目的に応じて構造を調整し、必要な働きをより正確に引き出すこと。
それが、レオの考える呪文改変だった。
ただし、どれほど簡単そうに見えても、何も考えずにできるわけではない。
呪文の構造を理解し、魔力の流れを把握し、失敗した場合に何が起こるのかを考える必要がある。
レオはその一つひとつを、楽しみながら確かめていた。
「次は、対象を二つに増やしてみようかな……」
そう呟き、杖を構え直した、そのとき。
「レオ、まだ起きていたのかい?」
背後から声がかかった。
振り返ると、同じレイブンクローの生徒が、少し驚いた顔で立っていた。
「うん。もう少しだけ調べたいことがあってね」
「また呪文の研究か。君は本当に熱心だな」
「気になることがあると、ついね」
レオは穏やかに笑った。
同級生は机の上の資料を眺め、浮かんでいる木片に気づいた。
「……今の、浮遊呪文かい?」
「そうだよ。少しだけ構造を変えて、動きを調整できるようにしてみたんだ」
「少しだけって……」
同級生は木片とレオを交互に見た。
「授業で習ったばかりの呪文だろう? もう、そんなことまでできるのか?」
「まだ試しているところだよ。うまくいかない部分もあるからね」
レオはあっさりと答えた。
その口調には自慢する様子も、相手を見下す気配もなかった。
ただ、知りたいことを知ろうとしている。
それだけだった。
「……本当に、君はすごいな」
「ありがとう。でも、まだまだ勉強することは多いよ」
レオは机の上の羊皮紙をまとめた。
「そろそろ僕も休むことにするよ。明日、眠くなったら困るからね」
「君でも眠くなるんだな」
「もちろん。睡眠は大事だからね」
レオは笑った。
同級生もつられて笑い、二人はそれぞれ寝室へ向かった。
談話室の明かりが少しずつ消えていく。
ホグワーツの夜は、静かに更けていった。
*
翌朝。
ハリーたちは、いつものように大広間で朝食を取っていた。
「昨日の課題、ちゃんと終わったか?」
ロンがトーストをかじりながら尋ねる。
「うん! ハーマイオニーに教えてもらったおかげで、最後まで書けたよ!」
「私は自分の課題も終わらせたわ。もちろん、教科書を読み直してからね」
「さすがだなあ……」
ロンが感心したように唸る。
ハリーはカップを置き、ふと思い出したように言った。
「そういえば、昨日の夜、レオ兄さんは何をしていたんだろう?」
「さあな。どうせ、また難しい本を読んでたんじゃないか?」
ロンが肩をすくめる。
「レオなら、呪文の練習もしていそうね」
ハーマイオニーが言った。
「この前、浮遊呪文の動きを変えていたでしょう? あれは本当にすごかったわ。普通なら、対象を浮かせたあとに細かく動かすだけでも集中力が必要なのに、レオは呪文そのものの構造を調整していたもの」
「うん! 僕も、あれを見たときはびっくりしたよ!」
ハリーは嬉しそうにうなずいた。
「でも、僕は僕のやり方で頑張るんだ。レオ兄さんみたいにすぐできなくても、少しずつ覚えていけばいいんだから!」
「……そうね」
ハーマイオニーは、柔らかく微笑んだ。
レオの才能に憧れる気持ちはある。
けれど、彼のようにならなければ意味がないわけではない。
自分には自分の得意なことがあり、自分の歩き方がある。
それを忘れないようにしよう。
ハーマイオニーは、心の中でそっと決めた。
そのとき、大広間の入口からレオが入ってきた。
「おはよう、みんな」
「レオ兄さん!」
ハリーが手を振る。
「おはよう! 昨日は何をしていたの?」
「少し呪文の研究をしていたよ。でも、ちゃんと寝たから心配しないでね」
「別に心配してないよ!」
ハリーは笑った。
「ただ、何をしていたのか気になっただけ!」
「そうか。今度、時間があるときに見せてあげるよ」
「本当!? やった!」
ハリーが喜ぶ。
ロンも興味津々で身を乗り出した。
「俺も見たい! レオ兄貴の呪文改変って、どうやってるんだ?」
「いいよ。ただ、危ない実験はしないからね」
「分かってるって!」
ロンは勢いよくうなずいた。
ハーマイオニーも、思わず前のめりになった。
「私も見たいわ! 呪文の構造をどうやって分析しているのか、ぜひ教えてほしいの!」
「もちろん。君たちが興味を持ってくれるなら、僕も嬉しいよ」
レオが微笑む。
ハーマイオニーの頬が、ほんのり赤くなった。
「……ありがとう、レオ!」
ハリーは三人の顔を見比べて、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、今度みんなで勉強会をしようよ!」
「いいな、それ!」
ロンが賛成する。
「私も賛成よ!」
ハーマイオニーもすぐにうなずいた。
「それじゃあ、決まりだね」
レオは穏やかに笑った。
大広間には、朝の光が差し込んでいる。
それぞれの得意なことも、苦手なことも違う。
それでも、互いに教え合い、励まし合いながら、一歩ずつ成長していける。
ハリーはそう信じていた。
そして今日もまた、新しい授業と、新しい発見が待っている。
「よーし! 今日も頑張るぞ!」
ハリーの元気な声に、ロンが笑い、ハーマイオニーが微笑み、レオが優しくうなずいた。
ホグワーツの朝は、今日も賑やかに始まった。