ホグワーツの朝は、今日も賑やかだった。
大広間では朝食を囲む生徒たちの声が飛び交い、天井には秋晴れの空が映し出されている。グリフィンドールのテーブルでは、ハリーがパンをかじりながら、隣のロンに身を乗り出していた。
「ねえ、ロン。クィディッチの試合って、どんな感じなんだろうね!」
「そりゃあ、すごい迫力だろ! 箒で空を飛び回って、ボールを打ち合うんだぜ。しかもハリー、お前はシーカーなんだから、金のスニッチを見つけなきゃいけないんだ!」
「うん! 早く試合に出たいなあ!」
ハリーは目を輝かせたあと、ふと、少しだけ肩を落とした。
「……でも、箒が使えないのは残念だよ」
「まあ、仕方ないだろ。マクゴナガル先生が調べてくれてるんだし、今は我慢だな」
ロンはそう言って、ハリーの背中をぽんと叩いた。
「それに、ハリーなら、またすぐ飛べるようになるさ!」
「そうかな?」
「そうだって!」
ロンが胸を張る。
向かい側で紅茶を飲んでいたハーマイオニーも、勢いよく頷いた。
「私もそう思うわ。今はルールや戦術を勉強しておけばいいのよ。飛べるようになったとき、きっと役に立つんだから!」
「ありがとう、二人とも!」
ハリーはにっこりと笑った。
その笑顔を見て、ハーマイオニーも嬉しそうに微笑む。
そこへ、レイブンクローのテーブルからレオがやってきた。
「おはよう、みんな。今朝も元気だね」
「レオ兄さん、おはよう!」
「おはよう、レオ!」
ハリーが手を振り、ロンが挨拶する。
ハーマイオニーは慌てて背筋を伸ばした。
「あっ、お、おはよう、レオ!」
「うん、おはよう、ハーマイオニー。昨日の本、見つかった?」
「えっ!? あ、あの、クィディッチの本のことよね!? もちろん! 図書館で三冊も見つけたの!」
ハーマイオニーは鞄から本を取り出し、勢いよく机に並べた。
「これが基本ルールの本で、こっちは各ポジションの役割について。それから、これは過去の試合を分析した本なの!」
「三冊も? すごいね」
「そ、そんなことないわ! 知りたいことがあったから調べただけで……!」
レオが感心したように笑うと、ハーマイオニーの頬が赤くなった。
ロンはその様子を見て、ハリーの耳元に囁いた。
「……やっぱり、ハーマイオニーってレオ兄貴の前だと変だよな」
「え? また熱があるの?」
「だから違うって!」
「二人とも、何をこそこそ話しているの!?」
ハーマイオニーが顔を上げる。
「な、何でもない!」
ロンは慌ててパンを口に押し込んだ。
ハリーは不思議そうに首を傾げたが、すぐにクィディッチの本へ興味を移した。
「ねえ、レオ兄さん! 授業が終わったら、僕にもその本を見せてくれる?」
「もちろん。みんなで一緒に読もうか」
「やったあ!」
ハリーの明るい声に、レオは優しく微笑んだ。
けれど、その胸の奥には、昨日から消えない小さな引っかかりが残っていた。
ハリーの箒に刻まれていた、不自然な魔力の痕跡。
マクゴナガル先生たちが調査を進めているはずだが、まだ詳しい話は聞いていない。
今は、何事も起こらないことを願うばかりだった。
◇
その日の午後。
グリフィンドールの談話室では、ハリーたちがクィディッチの本を広げていた。
「ここを見て。シーカーはスニッチを捕まえることだけじゃなくて、相手のシーカーの動きにも注意しなければならないみたい」
ハーマイオニーがページを指さす。
「相手の動き?」
ハリーが首を傾げた。
「そうよ。相手が先にスニッチを見つけた場合、追いかけるだけでは間に合わないこともあるの。相手がどこを見ているか、どう動こうとしているかを考えることも必要なのね」
「うわあ、難しそうだなあ……」
ハリーは本を覗き込んだ。
「でも、面白そう!」
「そうでしょう? だから、まずは基本を覚えておくのが大切なのよ」
ハーマイオニーは得意げに胸を張った。
ロンは椅子の背もたれに寄りかかり、唸っている。
「うーん……俺、こういう細かい戦術は苦手なんだよな」
「苦手でも、知っておいて損はないわ!」
「わかってるって!」
「本当にわかってるの?」
「わかってるよ!」
二人の言い合いを聞きながら、ハリーは楽しそうに笑った。
「でも、ロンはチェスが強いじゃないか! 戦術を考えるのは得意なんじゃないの?」
「チェスとクィディッチは違うだろ。チェスなら盤面を見て考えられるけど、クィディッチは空を飛びながらなんだからな」
「確かに……!」
ハリーは大きく頷いた。
そこへ、談話室の入口からレオが顔を出した。
「みんな、ここにいたんだね」
「レオ兄さん!」
ハリーが手を振る。
「ちょうど今、クィディッチの勉強をしていたところなんだ!」
「そうなんだ。どんなことを調べているの?」
レオは空いている椅子を引き寄せ、三人のそばに腰を下ろした。
ハーマイオニーは待ってましたとばかりに説明を始める。
「シーカーの戦術についてよ! 相手の視線や飛行経路から、スニッチを探している方向を予測する方法があるみたいなの!」
「なるほど。面白いね」
「でしょう!?」
ハーマイオニーは嬉しそうに身を乗り出した。
「それでね、私は、飛行中に視線を動かす回数を減らすことも重要なんじゃないかと思うの。あまりきょろきょろしていると、スニッチを見失う可能性があるでしょう?」
「うん。視線を動かしすぎると、かえって見落としが増えることもあるね」
「やっぱりそうよね!」
ハーマイオニーは勢いよくノートを開いた。
「レオ、あなたは本当に説明が上手ね! 私が考えていたことを、すぐに整理してくれるんだもの!」
「そうかな。ハーマイオニーがちゃんと考えているから、話しやすいんだよ」
「……っ!」
ハーマイオニーの手が止まった。
頬が一気に赤くなる。
「そ、そんな……! 私はただ、本を読んでいただけで……!」
「本を読んで、自分で考えることが大切なんだよ」
「う、うん……!」
ハーマイオニーはノートに顔を近づけた。
耳まで赤くなっている。
ロンはその様子を見て、何か言いたそうに口を開いたが、ハリーに脇腹をつつかれた。
「ロン、何?」
「いや……何でもない」
ロンは笑いをこらえながら首を振った。
そのとき、談話室の扉が勢いよく開いた。
「ポッター!」
入ってきたのは、オリバー・ウッドだった。
彼はハリーを見つけると、まっすぐこちらへ歩いてきた。
「ポッター、話がある。マクゴナガル先生から連絡があったんだ」
ハリーはすぐに立ち上がった。
「僕の箒のことですか?」
「ああ。少し確認したいことがあるそうだ。来られるか?」
「はい!」
ハリーは本を閉じ、鞄を手に取った。
ロンとハーマイオニーも立ち上がる。
「私たちも一緒に行っていいですか?」
ハーマイオニーが尋ねた。
「先生の許可があればな」
ウッドが答えると、レオが静かに口を開いた。
「僕も同行していいでしょうか。最初に箒の異変に気づいたのは僕ですから、必要なら説明できます」
「わかった。では、全員で行こう」
ウッドは頷いた。
四人は談話室を出て、教員室へ向かった。
◇
教員室に入ると、マクゴナガル先生が机の前に立っていた。
その隣には、ハリーの箒が置かれている。
「来ましたね。ポッター、スカマンダー君」
「先生、箒のことがわかったんですか?」
ハリーが尋ねる。
「いくつか確認できたことがあります」
マクゴナガル先生は箒を手に取った。
「この箒には、通常の飛行を助ける魔法とは異なる呪文の痕跡が残っていました。詳しい仕組みは、まだ調査中です」
「やっぱり、誰かが魔法をかけたんですか?」
ロンが眉を寄せた。
「その可能性が高いと考えています。ただし、誰が、何の目的で行ったのかまではわかっていません」
ハーマイオニーは不安そうにハリーを見た。
「ハリー、大丈夫?」
「うん。僕は大丈夫だよ」
ハリーは笑ってみせた。
「でも、誰かが僕の箒に何かしたなら、ちょっと嫌だな……」
「当然です。だからこそ、原因を調べています」
マクゴナガル先生は真剣な表情で答えた。
「ポッター、調査が終わるまでは、その箒を使用してはいけません。代わりの箒については、ウッド君と相談します」
「わかりました、先生」
ハリーは素直に頷いた。
その返事を聞いて、マクゴナガル先生は少し表情を和らげた。
「それから、スカマンダー君。あなたが異変を報告してくれたことに感謝します。非常に適切な判断でした」
「ありがとうございます、先生」
レオは軽く頭を下げた。
そのとき、机の上の箒から、かすかな魔力の揺らぎが走った。
レオの目が、ほんの少し細くなる。
さっきまでとは違う。
箒に残った魔力が、まるで何かに引っ張られるように、一定の方向へ流れようとしている。
その変化は一瞬で消えた。
レオはすぐに口を開いた。
「先生。もう一度、箒を調べてもいいでしょうか?」
「構いませんが、何か気づいたのですか?」
「はい。今、魔力の流れが一瞬だけ変わりました」
マクゴナガル先生の表情が引き締まった。
「……わかりました。では、慎重に確認しましょう」
彼女は箒を机の中央へ置き、杖を構えた。
レオも自分の杖を取り出す。
サッサフラスと黒檀で作られた杖が、手の中にしっくりと収まった。
彼は箒の柄を見つめ、魔力の流れを追った。
呪文を唱える必要はない。
今は、余計な刺激を与えずに、何が起きているのかを確かめることが先だった。
薄い魔力の糸が、箒の柄から外へ伸びている。
いや、正確には、外へ向かって伸びているように見える。
まるで、遠くにいる何者かが、箒に魔法をかけ続けているかのように。
「……先生」
レオは静かに言った。
「この魔法、まだ完全には終わっていないようです」
「どういうことですか?」
「一度かけられた呪文が残っているだけではありません。今も、魔力が流れ込んでいるように感じます」
教員室の空気が張り詰めた。
ハリーは箒を見つめ、思わず手を握りしめた。
「じゃあ、僕が乗ったら……」
「ポッター」
マクゴナガル先生が、きっぱりと告げた。
「あなたは箒に乗ってはいけません。これは決定です」
「……はい」
ハリーは頷いた。
残念そうだったが、先生の判断に逆らおうとはしなかった。
ロンは唇を噛んだ。
「誰がそんなことを……!」
「今は、憶測で誰かを疑うべきではありません」
マクゴナガル先生は落ち着いた声で言った。
「この件は校長にも報告します。スカマンダー君、あなたも気づいたことがあれば、すぐに知らせてください」
「わかりました」
レオは頷いた。
それから、ハリーへ視線を向けた。
「ハリー。今は箒に乗れなくても、できることはたくさんあるよ。焦らずに待とう」
「……うん。ありがとう、レオ兄さん」
ハリーは小さく笑った。
その笑顔には、少しだけ悔しさが混じっていた。
けれど、レオは無理に励まそうとはしなかった。
悔しいものは悔しい。
乗りたいものに乗れないのは、つらい。
それでも、今は安全が何より大切なのだ。
◇
教員室を出たあと、四人はしばらく廊下を歩いた。
窓の外では、風に吹かれた木々が大きく揺れている。遠くのグラウンドにはクィディッチのリングが並び、選手たちの練習する姿が小さく見えた。
「……はあ」
ハリーが大きく息を吐いた。
「やっぱり、残念だなあ」
「そりゃあ、そうだよな」
ロンが隣を歩きながら言った。
「でも、先生たちが調べてくれてるんだ。きっと何とかなるさ」
「うん。そうだといいな」
ハリーは窓の外を見つめた。
空を飛んでいる選手たちが、楽しそうに箒を操っている。
自分もあそこへ行きたい。
風を切って飛び、スニッチを追いかけたい。
考えるだけで胸が弾むのに、今はそれができない。
「……ハリー」
ハーマイオニーが、そっと声をかけた。
「あなたが飛ぶのを楽しみにしているのは、私も知っているわ。だから、残念なのはわかるけど……無理はしないでね」
「うん。ありがとう、ハーマイオニー」
「それに、今のうちにクィディッチの勉強をしておけば、あとで役に立つでしょう?」
ハーマイオニーは少しだけ胸を張った。
「私、もっと本を探しておくわ。ハリーが戻ったとき、すぐに練習を再開できるように!」
「本当!? ありがとう!」
ハリーはぱっと笑顔になった。
「ロンも一緒に読もうよ!」
「えっ、俺も?」
「もちろん!」
「……まあ、少しくらいならな」
ロンは照れくさそうに頭をかいた。
レオは三人を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「いい考えだね。ハリーが飛べるようになったとき、きっと役に立つよ」
「よし! じゃあ、今日の授業が終わったら図書館だ!」
ハリーが元気よく宣言する。
「待って、ハリー! 今日は宿題もあるでしょう!?」
「えっ、そうだった!」
「もう! 忘れないでよ!」
ハーマイオニーが頬を膨らませ、ロンが笑い出した。
「ハリー、お前、クィディッチのことしか頭にないだろ!」
「そんなことないよ! 宿題もちゃんとやるよ!」
「本当かあ?」
「本当だってば!」
いつもの賑やかなやり取りが戻ってくる。
レオはその様子を見ながら、胸の中で静かに決めていた。
ハリーの箒に残された魔法。
あの不自然な流れには、まだ何かが隠されている。
けれど、今はまだ、無理に手を出すべきではない。
先生たちが調査を進めている以上、自分にできるのは、見落としがないように気を配ること。そして、ハリーが安心して過ごせるように、そばで支えることだ。
「レオ兄さん?」
ハリーが振り返った。
「どうしたの? 何か考えごと?」
「ううん。なんでもないよ」
レオは微笑んだ。
「さあ、まずは宿題を片づけようか」
「うわあ、やっぱり宿題かあ!」
ハリーが大げさに肩を落とす。
「当たり前でしょう!」
ハーマイオニーがすかさず言い返した。
ロンが笑い、ハリーも笑う。
その声を聞きながら、レオは四人で歩き出した。
秋の光が廊下を照らしている。
まだ、箒の異変の原因はわからない。
それでも、ハリーは一人ではなかった。
従兄がいて、友達がいる。
だからこそ、レオは焦らずに見極めることにした。
ハリーの笑顔を守るために。
そして、誰かの悪意がその笑顔を奪おうとするのなら――今度こそ、見逃さないために。