クィディッチの試合が終わった翌朝。
グリフィンドールの談話室には、いつもより落ち着かない空気が漂っていた。
「なあ、ハリー。昨日の箒、やっぱり変だったよな?」
ロンが朝食のトーストを片手に、向かいに座るハリーへ身を乗り出した。
「うん。急にぐらぐらして、僕、落ちるかと思ったよ」
ハリーは苦笑いを浮かべながら、自分の手のひらを見つめた。昨日、箒の柄を握りしめたときの感触が、まだ指に残っている気がする。
「でも、最後にはちゃんと止まってくれたんだ。箒もびっくりしてたのかな?」
「箒がびっくりするって、どういうことだよ!」
「だって、僕だってびっくりしたんだから!」
「そこは箒と一緒にするなよ!」
ロンが声を上げ、ハリーもつられて笑った。
けれど、その隣ではハーマイオニーが笑っていなかった。
「二人とも、笑い事じゃないわよ!」
彼女はテーブルに手をつき、勢いよく立ち上がった。栗色の髪が肩の上で揺れる。
「ハリーがあんな高さから落ちていたら、大怪我をしていたかもしれないのよ? それに、箒が突然おかしな動きをするなんて、普通じゃないわ!」
「うん。そうだね。心配してくれてありがとう、ハーマイオニー」
「そ、そういうことを言っているんじゃなくて……!」
ハーマイオニーの頬が赤くなる。
ハリーは首をかしげたが、彼女が本気で心配してくれていることは分かっていた。だから、素直に笑って頷く。
「でも、もう大丈夫だよ。次はもっと上手に飛べるように練習するから!」
「練習の前に原因を調べるの!」
「それもそうだね!」
「分かってるのかしら、もう!」
ハーマイオニーは頭を抱えた。
ロンはそんな二人を見比べ、とうとう吹き出した。
「ハハッ! ハーマイオニー、ハリーのお母さんみたいだぞ!」
「ロン!」
「わっ、悪かったって!」
ハーマイオニーが睨みつけると、ロンは慌ててトーストの陰に隠れた。
その様子を見ていたハリーは、また笑ってしまった。
――そのとき。
「朝から元気だね、君たち」
談話室の入口から、のんびりした声が聞こえた。
「レオ兄さん!」
ハリーはぱっと顔を輝かせた。
レイブンクローの制服を着たレオが、片手に数冊の本を抱えて立っていた。窓から差し込む朝日が黒髪を照らし、深い色の瞳が三人を順番に見つめる。
「おはよう。昨日はよく頑張ったね、ハリー」
「ありがとう! でも、途中で箒が暴れちゃってさ」
「うん。その話を少し聞きたいと思っていたんだ」
レオの表情は穏やかだったが、その言葉を聞いたハーマイオニーは勢いよく彼のそばへ駆け寄った。
「レオ、昨日のことなんだけど!」
「うん、ハーマイオニー。何か気づいたことがあった?」
「ええ! ハリーの箒がおかしくなったとき、スネイプ先生がずっとハリーのほうを見ていたの。それに、口を動かして何かを唱えているようだったわ!」
ハーマイオニーは身振りを交えながら説明した。話しているうちに、昨日の光景を思い出したのか、眉間に深いしわが寄る。
「それって……」
ロンの顔から笑みが消えた。
「まさか、スネイプがハリーを落とそうとしてたってことか?」
「可能性はあるわ!」
「でも、レオ兄さんは違うと思うんだよね?」
ハリーが尋ねると、レオは少し考えてから頷いた。
「僕が見た限りでは、スネイプ先生はハリーを落とそうとしていたというより、箒の異常を止めようとしていたように見えたよ」
「どうして分かるの?」
ハーマイオニーはすぐに聞き返した。
疑っているというより、少しでも手がかりを得たいという気持ちが、その表情にありありと表れている。
「魔法の流れだよ。ハリーの箒に起きていた揺れ方と、スネイプ先生が杖を向けていたときの魔力の動きが、少し違っていたんだ」
「魔力の動き……?」
「うん。誰かが箒に干渉していた。それは間違いないと思う。でも、スネイプ先生の魔法は、その干渉に逆らっているように感じたんだ」
レオは抱えていた本をテーブルに置いた。
「もちろん、僕の見立てが絶対とは言えないよ。試合中は距離もあったし、いくつもの魔法が重なっていたからね」
「それじゃあ、誰がやったんだ?」
ロンが眉をひそめる。
「まだ分からないね」
レオはあっさりと答えた。
「だから調べる必要があるんだ」
「……そうね」
ハーマイオニーは唇を引き結んだ。
「決めつけるのはよくないわ。でも、何もせずにいるのも違うと思うの」
「僕もそう思うよ」
レオが優しく頷くと、ハーマイオニーは一瞬だけ目を輝かせた。
「そ、そうでしょう? 私も、ちゃんと考えているんだから!」
「うん。頼りにしているよ」
「……っ!」
ハーマイオニーは口を開いたまま固まった。
それから、見る見るうちに頬が赤くなる。
「た、頼りにって……! そ、それなら、もっとちゃんと調べないといけないわね!」
「そうだね」
レオはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
ロンが隣で肩を震わせている。
「ロン、何がおかしいの?」
「い、いや! 何でもない!」
「顔が笑っているわよ!」
「笑ってねえって!」
ハリーは二人のやり取りを見ながら、楽しそうに笑った。
昨日の恐ろしい出来事が、少しずつ遠ざかっていく。
けれど、レオの視線だけは、テーブルに置いた本の表紙へ一瞬だけ落ちた。
魔法の干渉。
それが単純な呪いなら、痕跡はもっと分かりやすく残るはずだった。
昨日の箒に感じた魔力は、どこか不自然だった。誰かが外から魔法をかけ続けていたようにも見えるし、あらかじめ仕込まれた術式が何かをきっかけに動き出したようにも感じられた。
ただ、今の段階で断定するわけにはいかない。
レオは小さく息を吐き、ハリーたちへ向き直った。
「まずは、昨日のことをもう少し詳しく整理してみようか。ハリー、箒がおかしくなったのは、スニッチを追いかけていたときだったね?」
「うん。金色のスニッチが見えて、手を伸ばそうとしたら、急に箒が暴れ出したんだ」
「その前に、何か変わったことはあった?」
「ええと……特には。風も吹いていたし、みんなの声も聞こえていたし……」
ハリーは腕を組み、懸命に思い出そうとした。
「待って。そういえば、箒が揺れる直前、耳の近くで変な音がしたような気がする」
「音?」
レオの目が少しだけ鋭くなった。
「どんな音だったの?」
「うーん……小さくて、よく聞こえなかったんだけど。何かが震えているような、そんな感じ」
「箒の柄が鳴ったんじゃないのか?」
ロンが尋ねる。
「分からない。でも、いつもの音とは違った気がする」
ハリーは自分の耳に手を当てた。
「ごめん。ちゃんと思い出せなくて」
「謝ることじゃないよ。あの状況で、細かいことまで覚えているほうが難しいからね」
レオはハリーの肩に手を置いた。
「思い出せたことだけで十分だよ。無理に思い出そうとしなくてもいい」
「うん!」
ハリーは安心したように笑った。
「じゃあ、次は先生たちに聞いてみようぜ」
ロンが椅子から立ち上がる。
「マクゴナガル先生なら、何か分かってるかもしれないだろ?」
「そうね。でも、授業が始まる前に押しかけるのは迷惑よ。まずは朝食を食べて、それから……」
ハーマイオニーは言いかけて、テーブルの上の時計を見た。
「ああっ! もうこんな時間!」
彼女は慌てて鞄をつかんだ拍子に、隣に置いていた羽根ペンを床へ落としてしまった。
「わっ!」
「ハーマイオニー、落ちたよ」
レオが拾って差し出す。
「あ、ありがとう、レオ!」
受け取るとき、指先がほんの少し触れた。
ハーマイオニーは羽根ペンを握りしめたまま、耳まで赤くなった。
「……どうしたの?」
「な、何でもないわ! 早く行きましょう!」
彼女は鞄を抱え、足早に談話室を出ていった。
「ハーマイオニー、待ってよ!」
ハリーが追いかけ、ロンも慌てて後に続く。
レオは三人の背中を見送り、楽しそうに目を細めた。
「本当に、賑やかだなあ」
そう呟いてから、本を抱え直す。
ハリーが無事だったことは、何よりよかった。
けれど、あの箒に仕掛けられた魔法のことは、まだ何も解決していない。
レオは窓の外へ視線を向けた。
広い校庭の向こうには、昨日と変わらない空が広がっている。
次に同じことが起きたら、今度は必ず、魔法の正体を突き止める。
そう心に決めながら、レオは三人の後を追って歩き出した。
そのころ、ホグワーツのどこかでは、昨日の試合について別の思惑を抱えている者たちもいた。
ハリーを狙った魔法が誰の手によるものなのか。
そして、スネイプが本当に何をしていたのか。
その答えは、まだ誰にも明らかになっていなかった。