クィディッチの試合から数日が過ぎた。
ハリーの箒に起きた異常については、マクゴナガル先生たちが引き続き調査を進めていた。しかし、決定的な証拠はまだ見つかっていない。
ハリー自身は、相変わらず元気だった。
「よーし、今日こそ宿題を終わらせるぞ!」
グリフィンドールの談話室で、ハリーは教科書を開きながら大きく宣言した。
「昨日も同じこと言ってなかったか?」
隣でチェス盤を並べていたロンが、呆れたように笑う。
「昨日は昨日! 今日は今日だよ!」
「その理屈、絶対おかしいって!」
「ええと、二人とも。宿題を始める前に、課題の範囲を確認したほうがいいわよ」
ハーマイオニーが分厚い本を抱えてやってきた。机の上へ本を置くと、彼女はすぐにハリーのノートを覗き込む。
「ハリー、羽根ペンを持った? インクは? それから、変身術の課題はちゃんと書き写した?」
「えっ……羽根ペンならあるよ。インクもある。課題は……あれ?」
ハリーが鞄をひっくり返す。
教科書、羊皮紙、羽根ペン、途中まで食べたお菓子の包み紙。
しかし、肝心の課題を書き写した羊皮紙が見当たらない。
「うそだろ。ハリー、まさか忘れたのか?」
「たぶん……!」
「もう! 昨日、私が確認したときに、ちゃんと書き写してって言ったでしょう!」
「ごめん、ハーマイオニー!」
「謝ればいいってものじゃないわ!」
ハーマイオニーは頬を膨らませた。怒っているのは本当だが、困った顔のハリーを見ると、放っておくこともできない。
「……仕方ないわね。私のノートを見せてあげるから、今すぐ書き写して」
「ありがとう、ハーマイオニー! 助かったよ!」
「次からは自分で確認するのよ!」
「うん!」
ハリーが嬉しそうに羽根ペンを動かし始めると、ロンがこっそり笑った。
「お前、ハーマイオニーがいなかったら、宿題の半分くらいなくしてそうだな」
「そんなことないよ!」
「昨日、羽根ペンをなくしてたじゃない」
「一昨日は教科書を食堂に忘れてたぞ」
「二人とも、どうしてそういうことばかり覚えてるの!?」
ハリーが抗議すると、ロンは腹を抱えて笑った。
ハーマイオニーも、怒っていたはずなのに、とうとう口元を緩めてしまう。
そんな賑やかな三人のもとへ、一人の少年がやってきた。
「楽しそうだね。何かあったの?」
「レオ兄さん!」
ハリーが顔を上げ、ぱっと笑顔になる。
レオは片手に本を持ち、もう片方の手には小さな紙袋を提げていた。
「ハリー、宿題は順調?」
「うん! 今、ハーマイオニーに助けてもらってるところ!」
「それはよかった。ありがとう、ハーマイオニー」
「えっ、あ、いえ! 私は別に、普通のことをしただけですから!」
ハーマイオニーは背筋を伸ばし、勢いよく首を横に振った。
「それよりレオ、今日はどうしたんだ?」
ロンが尋ねる。
「少し図書館で調べものをしていたんだ。帰りに甘いものを見つけたから、みんなにもと思ってね」
レオが紙袋を開くと、蜂蜜の香りがふわりと広がった。
「蜂蜜パイだ!」
ハリーの目が輝いた。
「わあ、いい匂い! レオ、これどこで買ったんだ?」
「厨房の人たちが作ってくれたんだよ。少し多めにもらえたから、よかったら食べて」
「やった!」
ロンも大喜びで手を伸ばす。
「レオ兄貴、最高!」
「ふふ。そんなに喜んでもらえるなら、持ってきた甲斐があったよ」
レオは笑いながら、ハーマイオニーにも一切れ差し出した。
「ハーマイオニーもどうぞ」
「ありがとう、レオ……!」
彼女は両手で受け取った。蜂蜜パイを見つめる顔には喜びが浮かんでいたが、それ以上に、レオが自分にも気を配ってくれたことが嬉しいらしい。
ハリーたちがパイを食べ始めると、レオは空いている椅子を引いて腰を下ろした。
「ところで、最近は図書館で何を調べているんですか?」
ハーマイオニーが、蜂蜜パイを食べ終えるより早く尋ねた。
「魔法に関する古い記録だよ。ホグワーツには、普通の教科書には載っていない資料もたくさんあるからね」
「古い記録……! それって、古代ルーン文字の資料もありますか?」
「もちろん。興味があるなら、今度一緒に見に行こうか」
「本当ですか!?」
ハーマイオニーは椅子から身を乗り出した。
「ぜひ! ぜひお願いします!」
「うん。じゃあ、授業がない日にでも」
「はい!」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
ロンがハリーの耳元で囁く。
「ハーマイオニー、レオ兄貴と一緒に勉強できるってだけで、宿題十個くらい片づけそうだな」
「聞こえてるわよ、ロン!」
「うわっ!」
ロンが飛び上がり、ハリーが吹き出した。
レオは三人を見て、楽しそうに笑っていた。
その穏やかな時間のあと、ハリーたちは図書館へ向かった。
*
午後の図書館は静かだった。
窓から差し込む淡い光が、長い机と本棚を照らしている。古い羊皮紙の匂いと、ページをめくる乾いた音が、室内を満たしていた。
「ねえ、ハリー。この問題、どう考えた?」
ハーマイオニーがノートを指差す。
「ええと……ここで魔法の力を強めればいいんじゃないかな?」
「ただ強めるだけでは駄目よ。呪文の意味を理解して、必要なところを正確に変えないと」
「うーん、難しいなあ」
ハリーは頭を抱えた。
「でも、分かるようになりたいんだ。レオ兄さんがやっている魔法って、すごく不思議だから!」
「だったら、基礎から覚えればいいのよ。急いで難しいことをする必要はないわ」
ハーマイオニーは自分の教科書を開き、該当する箇所を探した。
「ここに書いてあるわ。呪文の構造を理解するには、まず発音と魔力の流れを正しく把握することが大切だって」
「なるほど!」
ハリーは一生懸命に書き写す。
少し離れた席では、レオが古い本を開いていた。
ページの端には、見慣れないルーン文字がいくつも並んでいる。レオは指先で文字をなぞり、時折ノートに短い書き込みをしていた。
「レオ、これって何の本?」
ロンが声を潜めて尋ねた。
「古い魔法陣の記録だよ。昔の魔法使いたちが、どうやって魔力の流れを安定させていたのか調べているんだ」
「魔法陣かあ。なんか難しそうだな」
「最初はね。でも、仕組みが分かると面白いよ」
レオは本を少し傾け、ロンにも見えるようにした。
「ほら。この部分、同じ形のルーンが繰り返されているだろう?」
「本当だ。何か意味があるのか?」
「魔力の流れを一定に保つための工夫らしいよ。まだ仮説だけどね」
「へえ……」
ロンは感心したように頷いた。
「レオ兄貴って、どうしてそんなにいろんなことを知ってるんだ?」
「知らないことがたくさんあるから、調べているんだよ」
レオはごく自然に答えた。
「分からないことが分かるようになると、嬉しいだろう?」
「……ああ、そうだな!」
ロンは笑顔になった。
その言葉を聞いていたハリーも、勢いよく顔を上げる。
「僕も、もっと勉強する! いつかレオ兄さんと一緒に、すごい魔法を使えるようになりたい!」
「うん。楽しみにしているよ、ハリー」
レオが優しく微笑むと、ハリーは嬉しそうに拳を握った。
そのとき、ハーマイオニーがふと顔を上げた。
「……あれ?」
「どうしたの、ハーマイオニー?」
「今、あそこの本棚の向こうで、誰かが歩いたような気がしたの」
三人が視線を向ける。
本棚の隙間から見える通路には、誰もいなかった。
「司書の人じゃないか?」
ロンが言う。
「そうかもしれないけど……」
ハーマイオニーは少し首を傾げたものの、すぐにノートへ視線を戻した。
レオも一度だけ本棚のほうを見たが、特に何も言わなかった。
今は、調べものを続ける時間だった。
*
夕食を終えたあと、ハリーたちはグリフィンドールの談話室へ戻った。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、窓の外では夜が深まっている。
「今日はいっぱい勉強したなあ!」
ハリーは椅子に深く座り、両腕を上へ伸ばした。
「途中で蜂蜜パイを食べて、休憩もしたけどな」
ロンが笑う。
「甘いものは大事だよ!」
「お前、レオ兄貴に似てきたな」
「えっ、そうかな?」
「甘いものを見つけたときの顔がそっくりだぞ」
「そんなに似てる?」
ハリーは嬉しそうに笑った。
「レオ兄さんと似てるなら、僕は嬉しいよ!」
その言葉に、ロンは一瞬だけ表情を和らげた。
「……まあ、そうだな。レオ兄貴みたいな従兄がいるのは、うらやましいよ」
「えへへ。自慢の従兄なんだ!」
ハリーは胸を張った。
ハーマイオニーは二人の会話を聞きながら、膝の上に置いた本をそっと閉じた。
「……ねえ、ハリー」
「ん?」
「あなた、レオのことが本当に大好きなのね」
「うん! 小さいころからずっと一緒だったし、困ったときにはいつも助けてくれたんだ。僕、レオ兄さんがいてくれてよかったって、何度も思ってるよ」
ハリーは少しも照れることなく答えた。
「それに、レオ兄さんはすごいんだ。魔法も勉強もできるし、動物のことにも詳しいし、僕が失敗しても怒らないで教えてくれるんだよ!」
「……そう」
ハーマイオニーは微笑んだ。
胸の奥が、ほんのり温かくなる。
レオは確かに優しい。知識が豊富で、魔法の腕も抜群。それなのに、自分のことを特別扱いせず、誰に対しても自然に手を差し伸べてくれる。
だからこそ、もっと話したい。
もっと知りたい。
そして、いつか自分も、レオの隣で胸を張れるようになりたい。
「私も……もっと勉強しなくちゃ」
ハーマイオニーは本を抱きしめた。
「レオに教えてもらうだけじゃなくて、私自身がもっといろんなことを知りたいの」
「ハーマイオニーなら、きっとできるよ!」
ハリーは明るく言った。
「うん! ありがとう、ハリー!」
ハーマイオニーは笑顔で頷いた。
その夜、レオはレイブンクローの談話室へ戻る前に、三人へ声をかけた。
「みんな、今日はよく頑張ったね。夜更かししすぎないようにね」
「はーい!」
ハリーが元気よく返事をする。
「レオ兄貴もな!」
ロンが付け加えると、レオは少し困ったように笑った。
「僕も気をつけるよ。調べものを始めると、つい時間を忘れてしまうからね」
「レオもそういうことがあるのね……!」
ハーマイオニーは驚いたように目を見開いた。
「あるよ。分からないことがあると、どうしても気になってしまうんだ」
「そ、それなら、私も……!」
彼女は勢いよく立ち上がりかけ、慌てて座り直した。
「……いえ、何でもないわ!」
レオは不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔で手を振った。
「それじゃあ、また明日」
「また明日、レオ兄さん!」
「おやすみ、レオ兄貴!」
「お、おやすみなさい、レオ!」
レオが談話室を出ていくと、ハリーは満足そうにソファへ背中を預けた。
「明日も頑張ろうっと!」
「その前に、今日のノートをちゃんと鞄に入れなさいよ!」
「わっ、そうだった!」
ハリーが慌てて荷物をまとめ始め、ロンがまた笑う。
暖炉の火は、変わらず温かく燃えていた。
その夜、ハリーは家族と過ごした幼いころの夢を見た。
母アリシアの笑顔。父ロイドの大きな手。そして、いつも隣で笑ってくれたレオの姿。
目が覚めたとき、夢の内容を細かく覚えているかどうかは分からない。
それでも、ハリーの胸には温かな気持ちが残っていた。
ホグワーツでの毎日は、知らないことの連続だ。
不思議な魔法も、難しい授業も、ときには怖い出来事もある。
けれど、そばには友達がいる。
そして、いつだって自分を信じてくれる家族がいる。
だからハリーは、明日も笑顔で歩いていけるのだった。