その日の夜、ホグワーツはいつもより静かだった。
夕食を終えた生徒たちは談話室や寝室へ戻り、廊下を歩く足音も少なくなっている。窓の外には冬の闇が広がり、遠くの禁じられた森が黒い影となってそびえていた。
グリフィンドールの談話室では、ハリーが暖炉の前で首を傾げていた。
「うーん……」
「どうしたんだ、ハリー?」
チェス盤を片づけていたロンが顔を上げる。
「ハグリッドが言ってたこと、覚えてる?」
「ああ。森の動物たちが落ち着かないって話だろ?」
「うん。何か困っている生き物がいるなら、助けてあげたいなって思って」
ハリーは膝の上で両手を握った。
「でも、レオ兄さんにも、分からないまま近づくのは危ないって言われたんだ」
「そりゃそうだろ。禁じられた森だぞ? 名前からして入っちゃ駄目そうじゃないか」
「それはそうだけど……」
ハリーは窓の外へ目を向けた。
森の向こうには、何があるのだろう。
もし、怪我をした動物が助けを待っていたら。
もし、誰かが困っていたら。
そう考えると、じっとしているのが少しもどかしかった。
「ハリー」
隣に座ったハーマイオニーが、彼の顔を覗き込む。
「あなたが心配する気持ちは分かるわ。でも、助けるためには、まず自分が安全でいなくちゃ駄目なのよ」
「……うん」
「あなたが怪我をしたら、助けられるものも助けられなくなるでしょう?」
「そうだね。ありがとう、ハーマイオニー」
ハリーが笑うと、ハーマイオニーはほっとしたように息を吐いた。
「もう……分かってくれたならいいのよ」
「よし! じゃあ、今日はもう寝よう!」
ロンが立ち上がった。
「明日も授業があるしな!」
「そうだね!」
三人はそれぞれ寝室へ向かった。
けれど、その夜。
ハリーはなかなか寝つけなかった。
目を閉じるたび、暗い森の向こうに何かがいるような気がした。
怖いというより、気になって仕方がない。
やがて、寝室の窓から差し込む月明かりを見つめながら、ハリーは小さく呟いた。
「……明日、ハグリッドにもう一度聞いてみよう」
そう決めると、ようやく眠気が訪れた。
*
翌日の午後。
ハリーたちは授業を終え、ハグリッドの小屋へ向かっていた。
「ハグリッド、昨日の話なんだけど!」
小屋の扉を開けたハリーが、さっそく声をかける。
「おう、ハリー! どうした?」
「森の動物たち、もう落ち着いた?」
ハグリッドは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……いや。まだ、妙な様子が続いている」
「そうなの?」
ハーマイオニーの顔が曇る。
「何かあったのか?」
ロンが尋ねると、ハグリッドは髭を撫でながら答えた。
「今朝、森の近くで一角獣が傷ついているのが見つかったんだ」
「一角獣!?」
ハーマイオニーが思わず声を上げた。
「本当なの? 一角獣は人間を警戒する、とても神秘的な魔法生物よね!」
「ああ。森の奥にいることが多いんだが、今朝はずいぶん浅いところまで出てきていた」
ハグリッドの顔は、いつになく真剣だった。
「怪我をしていたのは、まだ若い一角獣だった。傷の具合もよく分からねえし、近づこうとすると、ひどく怯えるんだ」
「そんな……」
ハリーの表情が変わった。
「助けてあげられないの?」
「もちろん、助けたいさ。だが、あの様子じゃ無理に近づくわけにもいかねえ。魔法生物の扱いに慣れた者たちにも相談するつもりだ」
レオは静かに頷いた。
「それがいいと思う。怯えている生き物に無理に近づけば、相手にも負担がかかるからね」
「そうだな」
ハグリッドは大きく息を吐いた。
「それに、傷の原因も分からねえ。森の中で何か起きているのは確かだ」
ハリーはぎゅっと拳を握った。
「……一角獣、元気になるといいな」
「俺もそう思うぜ」
ロンがハリーの肩に手を置いた。
ハーマイオニーも心配そうに頷く。
「私たちにできることがあればいいのに……」
「今は、ハグリッドや先生たちに任せよう」
レオは三人を見渡した。
「僕たちにできることは、状況を正しく知ることと、勝手に危険へ飛び込まないことだよ」
「うん……」
ハリーは残念そうにしながらも頷いた。
助けたい気持ちがあっても、それだけでは足りない。
そのことを、ハリーは少しずつ学び始めていた。
*
その夜。
ハリーたちはグリフィンドールの談話室で、宿題を片づけていた。
ハーマイオニーは羊皮紙に文字を書き込み、ロンは難しい問題に頭を抱えている。
「なあ、ハリー。この問題、どうやって解いた?」
「えっと……ここで計算して、それからこの数字を当てはめたんだよ」
「うわ、俺、途中で間違えてる……」
「ロン、そこは授業で先生が説明していたでしょう?」
ハーマイオニーが顔を上げる。
「分かってるよ! 分かってるけど、数字が多いんだって!」
「数字が多くても、順番に考えれば解けるわよ!」
「はいはい……」
「返事は一回!」
「はい!」
ハリーは二人のやり取りに笑いながら、ノートを閉じた。
そのとき、談話室の入口にレオが現れた。
「みんな、まだ起きていたんだね」
「レオ兄さん!」
ハリーが顔を輝かせる。
「ちょうど宿題が終わったところだよ!」
「それはよかった。今日は少し話があってね」
レオの表情はいつもどおり穏やかだったが、三人は自然と姿勢を正した。
「何か分かったの?」
ハーマイオニーが尋ねる。
「森で見つかった一角獣について、ハグリッドからもう少し話を聞いてきたんだ」
「一角獣の傷、原因が分かったの?」
ハリーは身を乗り出した。
「まだ確かなことは分からない。ただ、普通の動物同士の争いでできた傷とは違う可能性があるそうだ」
「魔法が関係しているってこと?」
「その可能性はあるね」
レオは頷いた。
「でも、今の段階で決めつけるのは早い。先生たちも調べているから、僕たちは余計なことをせずに待とう」
「……うん」
ハリーは少し悔しそうに唇を結んだ。
「分かってる。でも、怪我をしたままなのはかわいそうだよ」
「そうだね」
レオはハリーの気持ちを否定せず、そっと肩に手を置いた。
「だからこそ、きちんと助けられる人たちに任せるんだ。ハリーが心配していることも、無駄じゃないよ」
「……ありがとう、レオ兄さん」
ハリーは顔を上げた。
その言葉で、少し気持ちが軽くなった。
「よし! 明日もちゃんと授業を受けて、勉強するよ!」
「その意気だね」
レオは笑った。
「ただし、今日はもう寝よう。夜更かしすると、明日の授業で眠くなるからね」
「はーい!」
ハリーが元気よく返事をする。
ロンとハーマイオニーも、ようやく宿題を片づけ始めた。
*
数日後。
ハグリッドの話では、傷ついた一角獣は少しずつ落ち着きを取り戻しているらしかった。
しかし、傷の原因については、まだはっきりしていない。
ハリーはその話を聞くたびに心配したが、先生たちが調べていると知って、むやみに動くことはしなかった。
その日の夕方、レオは図書館で古い魔法生物の記録を読み返していた。
ハグリッドが話していた一角獣の傷。
森の中で感じられたという、不自然な魔力。
それらが同じ原因によるものなのか、それとも別々の出来事なのか。
今はまだ判断できない。
「……もう少し、資料が必要だね」
レオが本を閉じたとき、窓の外から冷たい風の音が聞こえた。
遠くの森は、夕暮れの影に沈んでいる。
その奥に何があるのか、レオにも分からなかった。
ただ、森の様子を注意深く見ておく必要がある。
そう考えながら、レオは本を棚へ戻した。
*
同じころ、グリフィンドールの談話室では、ハリーがロンとチェスをしていた。
「よし、今度こそ勝つぞ!」
ハリーは盤面を睨み、慎重に駒を動かした。
「おっ、いい手だな!」
ロンが感心したように声を上げる。
「本当!?」
「まあ、俺が見逃してなければだけどな!」
「えっ、それってどういうこと!?」
「ハハハ!」
ロンが笑い、ハリーもつられて笑った。
ハーマイオニーは本を読んでいたが、二人の様子を見て、思わず口元を緩めた。
「もう、あなたたちって本当に……」
そう言いながらも、彼女の顔には優しい笑みが浮かんでいた。
ホグワーツには、まだまだ知らないことがある。
不思議な魔法も、謎めいた魔法生物も、古い本に眠る秘密も。
けれど、今この瞬間、ハリーたちの周りにあるのは、友達と過ごす温かな時間だった。
そして、遠くの禁じられた森では、冬の風が静かに木々を揺らしていた。
傷ついた一角獣が再び元気に森を駆け回れる日を、ハリーは心から願っていた。