「レオ兄さん! まだなの!?」
「もう少しだよ、ハリー!」
「さっきもそう言ったよ!」
「うっ……それは、ほら、必要なものを確認していたからね!」
「じゃあ、もう確認しなくていいよ! 早く行こう!」
玄関で靴を履いたハリーが、待ちきれない様子でぴょんぴょんと跳ねていた。
十一歳の誕生日を迎え、ホグワーツから入学許可の手紙が届いてから数日。今日はついに、入学に必要な学用品を買いに行く日だった。
魔法使いのローブに、教科書に、羽根ペン。望遠鏡や大鍋、それから何よりも大切な魔法の杖。
ハリーは朝食の間もずっとその話をしていた。
「僕の杖、どんな形かなあ! 長いのかな? 短いのかな? 光ったりする!?」
「杖によって違うよ。長さも材質も、それぞれなんだ」
レオは靴紐を結びながら答えた。
「でも、杖のほうにも相性があるからね。実際に試してみないとわからないよ」
「じゃあ、僕と杖が仲良しになれたらいいな!」
「うん。きっと素敵な杖が見つかるよ」
「レオ兄さんの杖は?」
「僕の杖も持っていくよ。お店で見せてあげるね」
「やったあ!」
ハリーは両手を上げて喜んだ。
その勢いで、玄関の棚に置いてあった帽子が床に落ちる。
「あっ!」
「ハリー、待って。帽子が落ちたよ」
「ごめんなさーい!」
ハリーは慌てて帽子を拾い、棚へ戻した。
その様子を見ていたアリシアが、玄関へやってきた。
「二人とも、忘れ物はない?」
「大丈夫!」
「必要なものの一覧は持ったよ、お母さん」
レオが羊皮紙を見せると、アリシアは安心したように微笑んだ。
「よかったわ。今日は初めて行く場所も多いから、レオ、ハリーのことをお願いね」
「うん。任せて」
「ぼくもレオ兄さんから離れないよ!」
ハリーは元気よく宣言した。
ロイドが玄関の奥から顔を出す。
「それなら、こちらも忘れずに持っていきなさい」
彼が差し出したのは、小さな革袋だった。
「これは?」
「買い物に使うお金だよ。必要なものを買っておいで。余ったら、二人の好きな本でも探すといい」
「本!?」
ハリーがぱっと顔を輝かせた。
「レオ兄さん、本も買っていいんだって!」
「うん。でも、まずは学校で必要なものを揃えてからね」
「わかってるよ!」
ハリーは元気よく頷いた。
「……本当にわかっているのかしら」
アリシアが小さく笑う。
「ハリー、気になるものがあっても、勝手に走っていかないこと。お店の人のお話をきちんと聞くこと。それから――」
「困ったらレオ兄さんに聞く!」
「ええ。そうね」
「僕が聞いてもいいんだよね?」
レオが首を傾げると、アリシアは息子の頬を軽くつついた。
「もちろん。ただし、あなたも夢中になると周りが見えなくなることがあるから、二人で気をつけるのよ」
「……はい」
レオは少しだけ気まずそうに笑った。
以前、古代ルーン文字の本を見つけたとき、時間を忘れて読みふけり、夕食の時間になっても部屋から出てこなかったことがある。
あのときは、ハリーが心配して本を持ってきてくれたのだった。
「じゃあ、行ってきます!」
レオが玄関の扉を開ける。
「いってらっしゃい。二人とも、楽しんできてね!」
「うん!」
ハリーは大きく手を振った。
「お土産話、いっぱい持って帰るからね!」
そうして二人は、魔法界への第一歩を踏み出した。
*
「……ここが、ロンドン?」
ハリーは街並みを見上げ、きょろきょろと辺りを見回した。
馬車や自動車が通りを走り、人々が行き交っている。店先には色とりどりの商品が並び、パン屋からは焼きたての香ばしい匂いが漂ってきた。
「うん。マグルの人たちが暮らしている街だよ」
レオはハリーの手を引きながら答えた。
「魔法使いも、こういう場所で暮らしているんだね」
「そうだよ。魔法使いだけの場所もあるけど、マグルの人たちと一緒に暮らしている人もいるんだ」
「へえ……」
ハリーは通りの向こうを眺めた。
「じゃあ、魔法使いだってわからない人もいるの?」
「もちろん。普通の服を着ていたら、見分けがつかないことも多いよ」
「そっかあ!」
ハリーは納得したように頷いた。
「ぼくも、魔法使いだってわからないかもしれないね!」
「そうだね。まあ、今のハリーは、あちこちを見て目を輝かせているから、何か楽しいことを探している子だとはすぐにわかるかもしれないけど」
「えへへ!」
ハリーは照れたように笑った。
二人はしばらく街を歩き、やがて人通りの多い通りから少し外れた場所へやってきた。
そこには、周囲の建物に紛れるようにして、古びた小さな店が建っていた。
看板には、金色の文字で店名が書かれている。
「ここだよ、ハリー」
「ここ?」
ハリーは建物を見上げた。
「……普通のお店に見えるよ?」
「そうだね。でも、魔法界へ行く入口があるんだ」
「ええっ!? ここから!?」
「うん」
レオは扉を開けた。
店内には、埃をかぶった品物や古い道具が並んでいる。カウンターの向こうにいた店主が、顔を上げた。
「おや。スキャマンダー家のお坊ちゃんじゃないか」
「こんにちは。今日は弟分を連れてきたんです」
「弟分?」
店主はハリーを見た。
「この子が?」
「はい。ハリー・ポッターです」
その名前を聞いた瞬間、店主の表情が変わった。
「……ポッター?」
ハリーは不思議そうに首を傾げた。
「ぼく、ハリーだよ!」
屈託のない笑顔だった。
店主はしばらくハリーを見つめ、それからゆっくりと表情を和らげた。
「そうか。君がハリーか。大きくなったなあ」
「ぼくのこと、知ってるの?」
「まあ、魔法界では有名な名前だからね」
店主はそれ以上詳しく説明せず、カウンターの下から杖を取り出した。
「さて、スキャマンダー家の坊ちゃん。今日の用件は?」
「ハリーの入学準備です。ダイアゴン横丁へ行きたいんですが」
「なるほど。では、こちらへ」
店主は店の奥へ進み、裏庭へ通じる扉を開けた。
狭い石畳の中庭。壁には古い煉瓦が積み重なっている。
「よく見ていなさい」
店主は杖を取り出した。
杖先で壁の煉瓦を、決まった順番に軽く叩いていく。
カツ、カツ、カツ。
すると――。
「わあっ!」
ハリーの目の前で、煉瓦が動き始めた。
一つ、また一つと壁の石がずれ、狭い隙間が広がっていく。煉瓦が左右へ滑り、やがて人が通れるほどの大きな入口が現れた。
その向こうから、賑やかな人々の声が聞こえてくる。
金属が触れ合う音。誰かの笑い声。店先から漂う甘い香り。
そして、見たこともないほど不思議な街並み。
「……すごい……!」
ハリーは口を開けたまま、入口の向こうを見つめていた。
「これが……魔法界?」
「そうだよ」
レオは笑った。
「ダイアゴン横丁へようこそ、ハリー!」
「うわあああっ!」
ハリーは思わずレオの腕を引っ張った。
「早く行こう! ねえ、早く!」
「はいはい。転ばないようにね!」
二人は入口を抜けた。
その瞬間、ハリーの目に映る世界が一変した。
*
ダイアゴン横丁は、想像していた以上に賑やかだった。
石畳の道の両側には、大小さまざまな店が立ち並んでいる。店先には魔法薬の瓶が並び、窓辺では羽根の生えた小さな生き物が籠の中を飛び回っていた。
奇妙な形の帽子をかぶった魔女が歩き、長い杖を持った魔法使いが談笑している。
通りの上空では、誰かの買い物袋がふわふわと浮いていた。
「レオ兄さん! あれ見て!」
ハリーは右を指差した。
「本が勝手に動いてる!」
「魔法でページをめくっているんだね」
「じゃあ、あっちは!?」
今度は左。
「瓶の中で煙が踊ってる!」
「魔法薬だよ。中身によっていろいろな反応があるんだ」
「すごい! ねえ、あのお店は!?」
「それはあとで見に行こうね。まずは買い物を済ませないと」
「ううーっ、気になるのに!」
ハリーは頬を膨らませた。
けれど、すぐに何かを思いついたように顔を上げる。
「ねえ、レオ兄さん!」
「なあに?」
「買い物が終わったら、いっぱい見て回ろうね!」
「もちろん。時間があればね」
「やったあ!」
レオはハリーの様子に笑みを浮かべた。
初めて見るものすべてに目を輝かせ、気になるものがあればすぐに立ち止まる。そんなハリーの姿は、見ているだけで楽しかった。
やがて二人は、魔法使いの衣服を扱う店へ入った。
「いらっしゃいませ!」
店員が明るい声で迎えてくれる。
「ホグワーツの新入生用のローブをお願いします」
レオが入学許可の手紙を見せると、店員はすぐに頷いた。
「かしこまりました。お二人とも新入生ですか?」
「はい」
「まあ! では、こちらへどうぞ。採寸しますね」
ハリーは両腕を広げるように言われ、少し緊張した様子で立っていた。
「動かないでくださいね」
「は、はい!」
店員が魔法の巻き尺を取り出す。
巻き尺は、まるで生き物のようにハリーの肩や腕、脚の長さを測り始めた。
「わあっ! これ、自分で動いてる!」
「魔法の巻き尺ですよ」
「すごい! ぼくも欲しい!」
「ハリー、これは買い物用じゃないよ」
レオが苦笑する。
「ええっ!?」
「だって、家で使うなら普通の巻き尺で十分でしょう?」
「でも、勝手に測ってくれるんだよ!」
「……それは確かに便利だね」
レオも少し考え込んだ。
店員は笑いをこらえながら採寸を続け、二人のローブを用意してくれた。
黒い布地を肩にかけてもらうと、ハリーは鏡の前へ走った。
「わあ……!」
鏡の中には、いつもより少し大人びて見える自分が映っていた。
「どう? レオ兄さん!」
「うん。よく似合っているよ」
「ほんと!?」
「本当。ホグワーツの生徒らしくなったね」
ハリーはくるりと回った。
ローブの裾がふわりと広がる。
「えへへ……!」
嬉しくて、何度も鏡を見てしまう。
レオはそんなハリーを見ながら、自分のローブの襟を整えた。
自分も、もうすぐホグワーツへ行く。
それは、知識を深めるための新しい生活の始まりだ。古代ルーン文字の授業も、図書館も、魔法の実習も、楽しみなことばかりだった。
けれど、ハリーが隣にいることが、何より嬉しかった。
「レオ兄さんも、すっごく似合ってるよ!」
「ありがとう、ハリー」
「二人で並ぶと、学校の人みたい!」
「これから本当に学校の人になるんだけどね」
「あっ、そっか!」
ハリーは声を上げて笑った。
*
次に二人が向かったのは、教科書を扱う書店だった。
店内には天井まで届く本棚が並び、古い紙とインクの匂いが漂っている。梯子は誰も触れていないのに、棚から棚へとゆっくり移動していた。
「……ここ、すごい……」
ハリーは思わず声を落とした。
「本がいっぱい……!」
「ハリー、ここは静かにね」
「うん!」
小声で返事をしたものの、ハリーの目はきらきらと輝いている。
レオは一覧表を広げ、必要な教科書を確認した。
「ええと……『魔法史』、『初級変身術』、『呪文学入門』……」
「レオ兄さん、こっちは何?」
ハリーが棚から一冊の本を指差した。
「『古代ルーン文字――基礎と解読』?」
「ああ、それは僕が探していた本だよ!」
レオの表情がぱっと明るくなった。
「ここにあったんだ!」
彼は本を手に取り、表紙をそっと撫でた。
古代ルーン文字の基本的な記号や、その組み合わせが持つ意味を解説した本らしい。ページを開くと、見慣れた記号が整然と並んでいた。
「わあ……レオ兄さん、読めるの?」
「少しならね。全部はまだ勉強中だよ」
「すごいなあ!」
ハリーは感心したように頷いた。
「ぼくも読めるようになりたい!」
「それなら、まずは普通の文字をたくさん覚えようね。読める本が増えると、もっと楽しくなるよ」
「うん! ぼく、いっぱい勉強する!」
ハリーは拳を握った。
その姿に、レオは微笑んだ。
「じゃあ、僕も負けないように勉強しないとね」
「レオ兄さんは、もういっぱい知ってるよ!」
「まだまだ知らないことだらけだよ。だから、勉強するのが楽しいんだ」
「そっか……!」
ハリーは棚に並んだ本を見上げた。
知らないことがたくさんある。
それは、怖いことではなかった。
むしろ、これから知ることができるものが、こんなにもたくさんあるのだ。
「ぼく、ホグワーツに行くのがもっと楽しみになった!」
「僕もだよ」
二人は必要な教科書を揃え、店員に代金を支払った。
買った本を袋に入れてもらっていると、ハリーが突然、店の奥を指差した。
「あっ、レオ兄さん! あの本!」
「ん?」
「表紙が動いてる!」
そこには、表紙の肖像画が眠そうにあくびをしている本があった。
ハリーが近づくと、肖像画の人物が目を開けた。
「おや、見ない顔だね」
「うわあっ! しゃべった!」
「本の中の肖像画だからね」
レオが説明する。
「でも、全部の本がしゃべるわけじゃないよ」
「そうなんだ!」
ハリーは肖像画に向かって手を振った。
「こんにちは!」
「こんにちは、小さな魔法使い。学校へ行くのかい?」
「うん! ホグワーツに行くんだ!」
「そうかい。勉強は大変だが、楽しいこともたくさんあるよ」
「ぼく、頑張る!」
ハリーは元気よく答えた。
肖像画は満足そうに頷き、再び目を閉じた。
「……本当にすごいところだね、魔法界って」
店を出たあと、ハリーは何度も感心したように呟いた。
「まだまだ、面白い場所はあるよ」
レオは笑った。
「これから、少しずつ見つけていこうね」
「うん!」
*
昼過ぎ。
二人は必要な学用品を順調に買い揃えていた。
大鍋を買い、羽根ペンとインクを選び、望遠鏡を包んでもらう。薬草学で使う手袋や、授業に必要な道具も揃った。
ハリーは少し疲れた様子だったが、店を見つけるたびに目を輝かせていた。
「レオ兄さん、あそこは何のお店?」
「魔法道具のお店だね」
「あっちは?」
「魔法薬の材料を扱っているんだと思うよ」
「じゃあ、あっちは!?」
「……ハリー、少し休憩しようか」
「えっ?」
レオは笑いながら、通りの端にある小さな菓子店を指差した。
「ほら。甘い匂いがするだろう?」
ハリーは鼻をひくひくさせた。
「……ほんとだ!」
「少しおやつを食べて、それから杖を買いに行こう」
「杖!」
ハリーは疲れを忘れたように顔を輝かせた。
「そうだった! ぼくの杖!」
「ふふっ。元気が戻ったね」
「だって、いちばん楽しみなんだもん!」
二人は菓子店で小さな焼き菓子を買い、店先のベンチに腰掛けた。
ハリーは焼き菓子をひと口食べ、幸せそうに目を細める。
「おいしい……!」
「気に入った?」
「うん! おうちに帰ったら、お母さんにも買ってきてあげよう!」
「いい考えだね。お父さんの分も買っておこうか」
「うん! お父さん、甘いもの好きだもんね!」
ハリーは残りの焼き菓子を大切そうに包み直した。
自分が楽しいとき、家族にも同じ楽しさを分けたい。
そんな気持ちが、ハリーには自然に備わっていた。
レオはそれを見て、温かい気持ちになった。
「ハリーは優しいね」
「えっ?」
「お父さんとお母さんにも、お土産を買ってあげようって思ったんでしょう?」
「うん! だって、みんなに喜んでほしいもん!」
ハリーは不思議そうに首を傾げた。
「レオ兄さんだって、いつもぼくにいろんなものをくれるでしょ?」
「そうだね」
「だから、ぼくもあげたいんだ!」
レオは微笑み、ハリーの頭を軽く撫でた。
「ありがとう。きっと喜んでくれるよ」
*
そして、二人はいよいよ杖の店へ向かった。
通りの少し奥まった場所に、その店はあった。
細長い建物。古びた看板。窓辺には埃が積もり、店内は外から見るよりもずっと暗い。
扉の上には、金色の文字で店名が記されていた。
オリバンダーの店――紀元前三百八十二年以来、優れた杖を製作。
「……ここが、杖のお店?」
ハリーは看板を見上げた。
「うん。魔法界では、とても有名な杖職人のお店だよ」
「なんだか、すごく古いね」
「長い間、たくさんの魔法使いの杖を作ってきたんだ」
レオは扉を開けた。
チリン、と小さなベルが鳴る。
店内には、細長い箱が壁一面に積み重ねられていた。天井近くまで続く棚には、無数の杖が保管されている。
古い木と紙の匂いがした。
「こんにちは!」
ハリーが声をかける。
返事はない。
「……誰もいないのかな?」
「いると思うよ。少し待ってみよう」
レオがそう言った直後、棚の奥から声がした。
「おやおや……お客様かね?」
灰色の目をした老人が、ゆっくりと姿を現した。
「スキャマンダー家のお坊ちゃん。久しぶりだね」
「こんにちは、オリバンダーさん」
レオは丁寧に挨拶した。
「今日は従弟の杖を選びに来ました」
「従弟?」
オリバンダーはハリーへ視線を移した。
そして、彼の額にある稲妻形の傷を見つけると、わずかに息を呑んだ。
「……なるほど」
老人はしばらくハリーを見つめていた。
「君が、ハリー・ポッターか」
「はい! ぼく、ハリーです!」
ハリーは元気よく答えた。
「今日は、ぼくの杖を買いに来ました!」
「そうか、そうか……」
オリバンダーは、ゆっくりと微笑んだ。
「それは楽しみだ。杖選びは、魔法使いにとって大切な瞬間だからね」
老人は巻き尺を取り出した。
「では、まずは君の寸法を測ろう。腕を伸ばしてくれるかな?」
「こう?」
「そう、そのまま」
巻き尺がハリーの腕や指、肩の幅を測っていく。
ハリーはくすぐったそうに笑った。
「わっ、動いてる!」
「杖を選ぶためには、いくつか確認する必要があるのだよ」
「へえ……!」
採寸が終わると、オリバンダーは棚から細長い箱を取り出した。
「さて、どれが君に合うかな……」
箱を開け、一本の杖を取り出す。
「試してごらん」
「はい!」
ハリーは杖を握った。
軽く振る。
次の瞬間、棚の上から箱が三つ落ちてきた。
「わあっ!」
「おや。これは違うようだね」
オリバンダーは箱を受け止め、杖を回収した。
「では、こちらはどうかな?」
二本目。
ハリーが振ると、今度は窓辺のカーテンが勢いよく巻き上がった。
「わっ、すごい!」
「すごいが、少し元気がよすぎるね」
オリバンダーは苦笑し、また別の箱を探した。
レオはその様子を楽しそうに見守っていた。
ハリーが杖を振るたびに何かが起きる。失敗してもハリーは落ち込まず、むしろ新しい魔法を見るたびに目を輝かせていた。
「次は、どんなことが起きるのかな!」
「ハリー、遊びじゃないんだからね」
「わかってるよ、レオ兄さん!」
ハリーは笑顔で答えた。
その後も何本か試したが、なかなかぴったりの杖は見つからなかった。
オリバンダーは棚を見上げ、しばらく考え込んだ。
「……そうだな。君には、これを試してもらおう」
彼が取り出したのは、細長い箱だった。
蓋を開ける。
中には、赤みを帯びた木で作られた杖が一本、静かに横たわっていた。
「ヒイラギと、不死鳥の羽根。長さは十一インチ。しなやかで、反応のよい杖だ」
オリバンダーは杖をハリーへ差し出した。
「さあ、握ってごらん」
ハリーは両手で受け取り、そっと握った。
その瞬間だった。
杖先から、温かな光が広がった。
「……わあ」
ハリーの周囲を、金色の小さな光が舞い始める。
窓から吹き込んだ風が、店内の埃を優しく払った。棚に積まれた杖の箱が、かすかに震えている。
ハリーは目を丸くした。
「ぼく……何もしてないよ?」
「いや」
オリバンダーは、驚きと興味の入り混じった目で彼を見つめていた。
「君は、もう何かをしたのだよ。杖が君を選んだのだからね」
「杖が……ぼくを?」
「そう。魔法使いが杖を選ぶだけではない。杖もまた、持ち主を選ぶのだ」
ハリーは手の中の杖を見つめた。
不思議な温かさが、指先から伝わってくる。
「……よろしくね」
ハリーは杖に向かって、そっと話しかけた。
「ぼく、まだ魔法のことはよくわからないけど、いっぱい勉強するからね!」
レオはその姿を見て、自然と笑みを浮かべた。
「ぴったりの杖が見つかってよかったね、ハリー」
「うん!」
ハリーは満面の笑みで頷いた。
「レオ兄さん、見て! ぼくの杖だよ!」
「うん。とてもよく似合っているよ」
オリバンダーは、しばらく二人を見ていた。
「……スキャマンダー家の君も、杖を持ってきているのだったね」
「はい」
レオは自分の杖を取り出した。
サッサフラスと黒檀を組み合わせた杖。芯には不死鳥の羽根が使われている。
オリバンダーはそれを見ると、感心したように目を細めた。
「相変わらず、興味深い組み合わせだ。君の杖は、君が学び続けることで、その力を発揮する。忘れないようにね」
「はい。毎日、勉強しています」
「それは結構」
オリバンダーは満足そうに頷いた。
そのとき、レオの手元で杖先がかすかに光った。
ほんの一瞬。
杖を握る指に、柔らかな熱が伝わる。
レオは不思議そうに杖を見つめたが、すぐに首を傾げた。
「……あれ?」
「どうしたの、レオ兄さん?」
「ううん。何でもないよ」
レオは微笑んだ。
今は、ハリーの杖が見つかったことを喜ぼう。
それだけで十分だった。
*
杖の代金を支払い、店を出ると、ハリーは何度も新しい杖の箱を確かめていた。
「ねえ、レオ兄さん。これでぼくも魔法使いなんだよね?」
「もちろん。これからホグワーツで、たくさんの魔法を学ぶんだ」
「空を飛べるようになるかな?」
「飛行術の授業はあるよ」
「動物とお話しできる?」
「魔法生物について学ぶ授業もあるね」
「じゃあ、物を浮かせたりできる?」
「それも、勉強すればできるようになるよ」
ハリーは嬉しそうに両手を握りしめた。
「すごい! やりたいことがいっぱいだ!」
「そうだね。ひとつずつ覚えていこう」
レオはハリーの手を取った。
「わからないことがあったら、一緒に調べよう。僕も、知らないことはたくさんあるからね」
「うん!」
ハリーは大きく頷いた。
「ぼく、レオ兄さんと一緒に勉強する!」
二人は並んで歩き出した。
通りには、相変わらずたくさんの魔法使いたちが行き交っていた。
ハリーは途中で何度も立ち止まり、店先の商品を眺めた。そのたびにレオが足を止め、わかる範囲で説明してあげる。
魔法の羽根ペン。色が変わるインク。自分で動く小さな置時計。
どれもハリーにとっては、驚きと発見の連続だった。
やがて、二人はダイアゴン横丁の入口へ戻ってきた。
「……もう帰るの?」
ハリーは少し残念そうに振り返った。
「今日は必要なものを全部買えたからね。また来る機会はあるよ」
「ほんと?」
「うん。ホグワーツへ行く前にも、まだ準備することがあるかもしれないし」
「じゃあ、また来ようね!」
「もちろん」
レオは笑った。
ハリーは杖の箱を胸に抱きしめ、満足そうに頷いた。
「今日、すっごく楽しかった!」
「僕もだよ」
「お母さんとお父さんに、いっぱいお話しする!」
「きっと喜んでくれるね」
二人は魔法の入口を抜け、元の街へと戻った。
ロンドンの空には、午後の陽射しが降り注いでいる。
ハリーは新しい杖を大切そうに抱えたまま、レオの手を握った。
「ねえ、レオ兄さん」
「なあに?」
「ホグワーツに行ったら、ぼく、もっといろんなことを知りたい!」
「うん」
「魔法も、魔法生物も、古代ルーン文字も! それから、レオ兄さんが好きな本も読みたい!」
レオは少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、僕のお気に入りの本も貸してあげるよ」
「やったあ!」
「ただし、難しい本もあるからね。わからないところがあったら、遠慮せずに聞いていいんだよ」
「うん! いっぱい聞く!」
「それなら、僕も説明の練習をしておかないとね」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
その手には、新しい学用品が詰まった袋。
胸の中には、これから始まる学校生活への期待。
そして、二人の間には、いつもと変わらない温かな絆があった。
ハリーはまだ知らない。
ホグワーツでどんな友達と出会い、どんな授業を受け、どんな出来事を経験することになるのか。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
新しい世界へ踏み出すとき、隣には大好きなレオ兄さんがいる。
「帰ったら、買ってきた本を一緒に見ようね!」
「うん! それから、お母さんたちにもお土産を渡そう!」
「そうだね!」
夕暮れの街を、二人の明るい声が弾んでいく。
魔法界への第一歩は、驚きと笑顔に満ちた一日になった。
そして、ホグワーツへの出発の日は、少しずつ近づいていた。