流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
死ぬというのは、もっと劇的なものだと思っていた。
走馬灯が流れるとか、人生の後悔が一気に押し寄せるとか、そういうものだ。
少なくとも、俺が漫画やアニメで見てきた死というものは、たいてい何かしら意味ありげな演出がついていた。
けれど、実際は違った。
俺の最期は、あまりにもあっけなかった。
気がつけば、何もなかった。
音もない。光もない。身体の感覚すらない。
自分が立っているのか、横になっているのか、それとも立つという概念そのものが存在しない場所にいるのかさえ、わからなかった。
それでも、意識だけは残っていた。
「……俺、死んだのか?」
声が出たことに驚いた。
いや、そもそも声というものが存在するのかどうかもわからない。ただ、考えたことがそのまま外へ出たような、不思議な感覚だった。
返事はなかった。
俺は、これまでの人生を思い返そうとした。
三十二年。
長かったような、短かったような、なんとも言えない年月だ。
好きな漫画を買って帰った日。休日にゲームを遊び続けた日。仕事で失敗して落ち込んだ日。誰かに感謝されて、少しだけ自分の存在に意味を感じられた日。
大成功した人生ではない。
誰もが羨むような才能があったわけでもない。
それでも、俺なりに生きてきた。
人に迷惑をかけたこともある。間違ったこともある。もっと上手くやれたはずだと思うことだって、いくらでもあった。
それでも、一つだけ、胸を張って言えることがあった。
恩を受けた相手を、簡単に裏切る人間にはなりたくなかった。
困っている人を見て、何も感じない人間にはなりたくなかった。
自分で決めたことくらいは、最後までやり通したかった。
そんなことを考えていたときだった。
『その生き方を、後悔しているか』
突然、声が聞こえた。
男とも女ともつかない声だった。
近くから聞こえたわけではない。それなのに、頭の中へ直接響いてくる。
「誰だ?」
『質問に答えろ』
ずいぶん偉そうな相手だな、と思った。
死んだあとにまで面倒な人間関係が待っているとは、勘弁してほしい。
「後悔がないと言えば嘘になる。でも、全部やり直したいとは思わない」
『なぜだ』
「失敗も含めて、俺の人生だからだ」
沈黙が訪れた。
やがて、目の前に淡い光が灯った。
そこに立っていたのは、人間の姿をした何かだった。
顔は見えるようで見えない。輪郭も曖昧なのに、確かにこちらを見ているという感覚だけはあった。
『お前の魂は、これから下位世界へ移される』
「……下位世界?」
『お前が生きていた世界を基準とした場合、そう呼ぶことができる』
意味がわからなかった。
ただ、普通の死後の世界ではないらしいということだけは理解できた。
「それで、俺はどうなる?」
『転生する』
あまりにも簡潔な答えだった。
「転生って……生まれ変わるってことか?」
『そうだ』
俺はしばらく黙った。
漫画やアニメなら、ここで喜ぶところなのだろう。
だが、現実に死んだ人間からすれば、簡単に割り切れる話ではない。
「どんな世界だ?」
『お前が知る物語の一つに近い世界だ』
その言葉に、俺の思考が止まった。
知っている物語。
まさか。
「……HUNTER×HUNTER?」
相手は肯定も否定もしなかった。
だが、その沈黙だけで十分だった。
あの世界。
念能力が存在し、ハンターがいて、裏社会があり、常識の通用しない怪物のような人間たちが生きている世界。
漫画として読む分には面白い。
だが、現実に生きるとなれば話は別だ。
「待て。あの世界って、普通に危険だろ。俺、念なんて使えないぞ」
『そのために、五つの特典を与える』
光が強くなった。
『一つ目。念能力を習得するための、極めて高い才能』
『二つ目。戦術、直感、敵の能力を看破する力を含む、総合的な戦闘の才能』
『三つ目。人間の限界を超える、特別な肉体』
『四つ目。生物を除く物品を収納できる、異空間の保管能力』
『五つ目。一日三回まで、負傷、病気、呪いを完全に回復・除去し、精神状態を回復させる能力』
俺は言葉を失った。
どれも、冗談とは思えない内容だった。
特に五つ目は、使い方によっては人生そのものを変えてしまうほどの力だ。
「……そんなものを、俺に与えていいのか?」
『与えることに問題はない』
「いや、そういう意味じゃなくて……」
聞きたいことは山ほどあった。
なぜ俺なのか。
何を期待されているのか。
どうしてそんな力を与えるのか。
そして、どうして俺が死ななければならなかったのか。
しかし、相手が答えたのは、別のことだった。
『お前は、何を望む』
俺は考えた。
金か。
名誉か。
誰にも負けない力か。
確かに、それらがあれば生きやすくなるだろう。
だが、あの世界では、力があるだけでは足りない。
力を持つ者が必ず幸せになるわけではないことも、俺は知っていた。
「……生きたい」
自然と、そんな言葉が出ていた。
「今度こそ、ちゃんと生きたい。自分で選んで、自分で決めて、守りたいと思ったものを守れる人間になりたい」
光の向こうで、何かが動いた気がした。
『ならば、生きてみせろ』
次の瞬間、意識が途切れた。
そして――。
俺は、泥と瓦礫の上で目を覚ました。
身体が小さい。
手も、腕も、足も、見覚えのないほど細い。
喉が渇いていた。
腹が減っていた。
寒かった。
周囲を見渡すと、そこには巨大な廃棄物の山が広がっていた。
遠くでは、誰かが怒鳴っている。
鳥の鳴き声に似た、不気味な音も聞こえる。
俺はゆっくりと立ち上がり、震える手で自分の顔に触れた。
「……マジかよ」
五歳くらいの子供になっている。
夢ではない。
頬をつねると痛かった。
そして、視界の端に広がる光景には、どこか見覚えがあった。
流星街。
世界から見捨てられた者たちが集まる場所。
生まれ変わった俺の、新しい人生が始まる場所だった。
俺は深く息を吸った。
怖くないと言えば嘘になる。
これからどうなるのか、何をすればいいのか、わからないことだらけだ。
それでも。
「……まずは、生き延びるところからだな」
俺は歩き出した。
この世界で、何を守り、何を成し遂げることになるのか。
その答えは、まだどこにもなかった。