流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
人さらい。
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭に浮かんだのは、前世で読んだ漫画の一場面だった。
流星街。
世界中から捨てられたものが集まる場所。
そこに住む人間たちは、外の世界から存在を認められていない。
住所もなければ、戸籍もない。
どこで生まれ、どこで死んだのか。
それすら、記録されない人間が大勢いる。
そんな場所から子供が消えたところで、外の社会がまともに捜査してくれるとは思えなかった。
そして、原作を知っている俺には、もう一つ気になることがあった。
幻影旅団。
その結成に関わる、ある事件。
ただし、今が本当に一九八四年なら、俺の記憶にある出来事とは年代が合わない可能性が高い。
そもそも、流星街で起こる人さらいが、すべて原作の事件につながっているわけではない。
安易に結びつけるのは危険だ。
今、目の前にあるのは、漫画の伏線でも歴史上の出来事でもない。
現実に子供が消え、その家族が助けを求めているという事実だった。
「……詳しく聞かせて」
俺は、椅子に腰を下ろし、ハザと向かい合った。
店の奥では、一人の女性が両手を握りしめている。
目の下には濃い隈があり、頬はこけていた。
何日も、まともに眠れていないのだろう。
ハザは一度だけ女性へ視線を向け、それから口を開いた。
「最初に子供が消えたのは、十日ほど前だ」
「十日前……」
「ああ。東の居住区に住んでた七歳の男の子だ。夕方、友達と別れたあと、家に戻らなかったらしい」
「その子だけ?」
「いや。三日後に九歳の女の子が一人。それから二日後に兄弟が二人。昨日になって、また一人消えた」
俺は眉をひそめた。
「……合計五人?」
「今のところ、確認できてるのはな」
確認できている。
その言い方が気になった。
「ほかにもいる可能性がある?」
「流星街じゃ、子供がいなくなっても、すぐに騒ぎになるとは限らねえ。身寄りのないガキも多いからな」
「……そうだね」
俺自身、五年前は身寄りのない子供だった。
もしあの頃に何者かに連れ去られていたら、誰かが探してくれただろうか。
答えは、おそらく否だ。
俺は、奥に座っている女性へ向き直った。
「あなたのお子さんも、いなくなったんですか?」
女性は、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
「名前と年齢を教えてください」
「ミナです。八歳の女の子で……」
そこで、女性の声が詰まった。
俺は急かさず、続きを待った。
「昨日の昼過ぎ、配給所の近くまで行くって……それで、帰ってこなくて……」
「普段から、一人で出歩く子ですか?」
「近所なら。でも、遠くには行かないように言っていました。あの子も、ちゃんとわかっていたはずなんです」
「最後に見た人は?」
「近所の子が……ミナが、知らない男の人と話していたって……」
俺は、少しだけ姿勢を正した。
「その男の特徴は?」
「それが……」
女性は、困ったように首を振った。
「背が高くて、灰色の上着を着ていたって。それくらいしか……」
俺は頷いた。
十分とは言えない。
だが、手がかりがあるだけましだった。
「ミナちゃんは、何か特徴のある服を着ていましたか?」
「青い布を縫いつけた上着です。左の袖に……私が、目印に縫ったんです」
女性は、震える手で自分の左腕を指さした。
「……わかりました」
俺は、その特徴を頭に刻んだ。
ハザが口を開く。
「ほかの子供も、消える前に知らない大人と話してたって話がある」
「同じ男?」
「そこまではわからねえ。だが、灰色の上着って話は二件ある」
「……なるほど」
偶然の可能性もある。
だが、共通点として調べる価値はあった。
「それで、俺への依頼は?」
ハザは、俺をまっすぐ見た。
「子供たちを探してほしい。できるなら、生きて連れ戻してくれ」
俺は、すぐには答えなかった。
依頼の内容自体に迷いはない。
問題は、相手の規模だ。
五人以上の子供を短期間で連れ去っている。
しかも、目撃者がほとんどいない。
行き当たりばったりの犯行とは思えなかった。
組織的な人さらい。
その可能性が高い。
「……報酬は?」
俺が尋ねると、女性がびくりと肩を震わせた。
だが、ハザは落ち着いた様子で答えた。
「俺が出す」
「ハザが?」
「ああ。依頼人たちからも少しずつ預かってるが、足りねえ分は俺が補う」
「……珍しいね」
「何がだ」
「ハザが、自分の金を出すなんて」
ハザは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「俺だって、何でも損得だけで決めてるわけじゃねえよ」
「……そうだね」
俺は、小さく笑った。
四年間の付き合いで、ハザという男のことはそれなりに理解している。
口は悪い。
商売には厳しい。
対価のない仕事は、基本的に引き受けない。
だが、冷たい人間ではない。
少なくとも、俺はそう思っていた。
「わかった。引き受ける」
女性が顔を上げた。
「……本当ですか?」
「はい。ただし、必ず助けられるとは約束できません」
俺は、できるだけ落ち着いた声で続けた。
「まず、何が起こっているのか調べます。相手が誰なのか、子供たちがどこにいるのか。それがわからないと動けません」
「……お願いします」
女性は、深く頭を下げた。
俺は、その姿を見ながら、静かに拳を握った。
この依頼。
おそらく、今までで最も厄介な仕事になる。
そんな予感がしていた。
◇
最初に向かったのは、ミナが最後に目撃された場所だった。
中心地から東へ伸びる通り。
配給所と呼ばれている建物の周辺だ。
そこには、古いコンテナを改造した倉庫や、小さな露店が並んでいる。
日中は人通りも多い。
子供が突然消えるには、少し不自然な場所だった。
「……ここか」
俺は、周囲を見渡した。
道幅は狭い。
両側には建物が密集している。
そして、いくつもの細い路地が伸びていた。
人目を避けて移動することは、不可能ではない。
だが、子供を無理やり連れていけば、誰かに見られる可能性が高い。
つまり、犯人は力ずくで連れ去ったとは限らない。
子供を誘導した。
あるいは、何らかの方法で抵抗できなくした。
俺は、そんなことを考えながら歩いた。
まず、周辺の露店を調べる。
ハザから紹介された少年だと名乗ると、何人かは話を聞いてくれた。
もっとも、全員が協力的だったわけではない。
「知らねえよ」
「忙しいんだ。ほかを当たれ」
「ガキの相手をしてる暇はねえ」
そんな反応も多かった。
だが、四年間の何でも屋生活で、この程度の扱いには慣れている。
俺は、相手の仕事を邪魔しないようにしながら、少しずつ情報を集めた。
そして、三軒目の露店で手がかりを得た。
「灰色の上着の男?」
店主の老人が、首を傾げた。
「ああ。見たような気がするな」
「いつ頃?」
「昨日だったか、その前だったか……」
老人は、しばらく考え込んだ。
「背の高い男が、ガキに何か渡してたような……」
「何か?」
「食い物じゃねえかな。包みを持ってた」
俺は、内心で頷いた。
食料。
流星街では、子供を誘うための餌として十分すぎる。
「その男、どこへ行ったかわかりますか?」
「さあな。ただ、東の古い運搬路の方へ歩いていった気がする」
「……ありがとうございます」
俺は、老人に礼を言った。
そして、次の場所へ向かった。
東の運搬路。
以前、物資回収の依頼で何度か訪れたことがある。
古い車両やコンテナが大量に放置された区域だ。
人通りは少ない。
隠れ場所も多い。
人さらいが子供を運ぶには、都合のいい場所だった。
ただし、すぐに向かうつもりはなかった。
まずは、ほかの失踪現場も確認する。
一つの情報だけで動くのは危険だ。
俺は、残りの四人が消えた場所を順番に回ることにした。
◇
調査を始めてから、三時間ほど。
俺は、古い建物の屋根の上に座っていた。
手元には、小さな紙片。
そこには、聞き込みで得た情報を書き込んである。
失踪した子供は五人。
年齢は、六歳から九歳。
全員、比較的幼い。
そして、共通点があった。
全員が、中心地の東側で消えている。
さらに、三人については、灰色の上着を着た男の目撃情報があった。
残りの二人も、知らない大人と話していた可能性がある。
そして、失踪した時間帯。
昼過ぎから夕方。
夜ではない。
人通りがある時間帯だ。
「……やっぱり、誘い出してるな」
俺は、静かに呟いた。
力ずくで連れ去るよりも、子供を自分からついてこさせる方が目立たない。
食料。
玩具。
あるいは、家族に関する嘘。
方法はいくらでもある。
だが、問題はその後だ。
子供たちは、どこへ運ばれたのか。
俺は、地図を思い浮かべた。
東の運搬路。
その先には、古い工業区域がある。
以前は、物資の仕分け場として使われていたらしい。
だが、今では大半が廃墟になっている。
人目を避けるには、都合がいい。
「……調べてみるか」
俺は、立ち上がった。
ただし、正面から乗り込むつもりはない。
相手の人数もわからない。
武装している可能性もある。
そして、何より。
念能力者が関わっている可能性がある。
俺は、ゆっくりと絶へ切り替えた。
身体を覆うオーラが消える。
気配が薄くなる。
もちろん、絶を使えば完全に見つからなくなるわけではない。
足音。
呼吸。
衣擦れ。
そして、視線。
そうしたものは残る。
だが、念能力者にオーラを感知される危険は減らせる。
俺は、屋根から静かに降りた。
そして、東の運搬路へ向かった。
◇
古い運搬路は、静かだった。
左右には、錆びた車両が並んでいる。
地面には、割れたガラスや金属片が散乱していた。
遠くでは、風に揺られた鉄板が、ぎいぎいと音を立てている。
俺は、足音を抑えながら進んだ。
周囲に人の気配はない。
少なくとも、近くには。
だが、油断はしない。
俺は、壁の陰から先を覗いた。
古いコンテナ。
崩れた倉庫。
そして、使われなくなった運搬用の台車。
その中に、一つだけ違和感のある場所があった。
「……あれか?」
遠くにある、比較的大きな倉庫。
外壁は錆びている。
窓も割れている。
だが、入口付近だけが妙に片づいていた。
地面に散らばっているはずの瓦礫が少ない。
さらに、車輪の跡がある。
最近、何かを運び込んだ形跡だ。
俺は、目を細めた。
そして、周囲を慎重に確認した。
人の気配。
足音。
話し声。
……いる。
倉庫の中から、かすかな声が聞こえてきた。
俺は、さらに近づいた。
壁の陰に身を隠し、耳を澄ませる。
「……次の便は?」
「明後日だ」
「まだ20人しか集まってねえぞ」
「あと5人だ。急げって言われてる」
俺は、息を止めた。
20人。
あと5人。
そして、次の便。
これは、ほぼ間違いない。
子供たちを集めて、どこかへ運ぶつもりだ。
俺は、静かに奥歯を噛みしめた。
だが、まだ動かない。
まずは、相手の人数を確認する。
そして、子供たちがどこにいるのかを調べる。
俺は、倉庫の外周を回り始めた。
屋根の一部が崩れている。
そこから内部を覗けるかもしれない。
俺は、壁の凹凸を利用して、静かに登った。
十歳ほどの身体。
だが、フィジカルギフテッドによる身体能力は、常識外れだ。
足場さえあれば、ほとんど音を立てずに登れる。
俺は、屋根の端へ到達した。
そして、崩れた部分から内部を覗いた。
倉庫の中には、男が三人いた。
全員、念能力者だ。
その証拠に、身体の周囲を薄いオーラが包んでいる。
さらに、倉庫の奥には鉄格子で囲まれた小部屋があった。
その中に。
子供たちがいた。
「……っ」
俺は、思わず拳を握った。
五人どころではない。
十人。
十五人。
そして、二十人ほど。
小さな身体を寄せ合っている。
泣いている子もいる。
ぐったりしている子もいる。
だが、少なくとも全員、生きているようだった。
俺は、静かに息を吐いた。
そして、男たちへ視線を向けた。
一人目。
特徴のない男。
年齢は三十代ほど。
髪も服装も地味で、特に目立つところはない。
その男は、鉄格子の近くに立ち、子供たちを見張っていた。
二人目。
太った大柄な男。
身長は、百九十センチ以上あるだろう。
腹が大きく突き出ている。
だが、ただ太っているわけではない。
肩幅も広く、腕も太い。
その男は、一人の女の子の腕を掴んでいた。
女の子は、十歳前後だろうか。
先ほどまで、ほかの子供たちを励ましていたらしい。
俺が覗いたときも、女の子は泣いている小さな子供へ声をかけていた。
「……大丈夫。きっと、誰かが助けに来てくれるから……」
だが、その言葉を聞いた太った男が、笑った。
「……おい、そこのガキ」
男は、女の子の腕を掴んだ。
「……っ!?」
女の子が、驚いて顔を上げる。
「……何、するの……?」
「ちょっと来い」
男は、女の子を引きずるように歩き始めた。
「……いやっ! 離して!」
女の子が抵抗する。
だが、男は止まらない。
むしろ、その反応を楽しむように、口元を歪めていた。
嗜虐的な笑み。
俺は、その表情を見た瞬間。
胸の奥に、冷たいものが広がるのを感じた。
男は、女の子を連れて、倉庫の奥にある別室へ向かっていた。
そして、三人目。
灰色の上着を着た男。
背が高い。
痩せた顔。
鋭い目つき。
目撃情報にあった男だろう。
その男は、電話をしていた。
片手には、煙草。
もう片方の手には、古い通信機器。
男は、太った男が女の子を連れていく様子を横目に見た。
そして、何でもないことのように言った。
「……次のビデオの作成が決まったようです」
俺は、動きを止めた。
ビデオ。
その言葉の意味を、理解するのに時間はかからなかった。
いや。
正確には、理解したくなかった。
男は、煙草を吸った。
そして、電話の向こうの相手へ、淡々と話を続けている。
「ええ。素材は十分です。予定通り進められるでしょう」
その声には、何の感情もなかった。
ただの仕事の報告。
そんな口調だった。
俺は、倉庫の中を見下ろした。
泣き叫ぶ子供たち。
鉄格子。
太った男に引きずられていく女の子。
そして、それを当然のこととして受け入れている二人の男。
その光景を見て。
俺の中で、何かが静かに変わっていった。
◇
怒り。
もちろん、怒りはあった。
だが、それだけではない。
もっと冷たいものだった。
俺は、四年間で多くの人間と戦ってきた。
荒くれ者。
盗賊。
物資を奪おうとする集団。
そして、念能力者。
その中には、命を奪わなければ生き残れない相手もいた。
俺は、すでに人を殺したことがある。
それは、決して誇れることではない。
だが、この流星街では、綺麗事だけで生き残ることはできなかった。
相手が本気で殺しに来る。
逃げ道がない。
そして、こちらが手加減すれば死ぬ。
そんな状況では、殺すしかなかった。
もちろん、可能なら殺さない。
それが、今までの俺の基本方針だった。
だが。
今は違う。
俺は、倉庫の中にいる三人の男を見た。
全員、念能力者。
それだけでも、手加減できる相手ではない。
しかも、子供たちがいる。
人質を取られる可能性もある。
だから、最初から不殺を貫くような余裕はない。
だが、それ以上に。
俺は、あの男たちを生かして返すつもりがなくなっていた。
泣き叫ぶ子供たち。
依頼人の女性の、悲痛な表情。
そして、女の子を引きずっていく太った男の顔。
それを当然としている、残りの二人。
俺は、静かに息を吐いた。
不思議なほど、心が落ち着いていた。
怒鳴りたいわけではない。
叫びたいわけでもない。
ただ。
あの三人を、このまま生かしておくわけにはいかない。
そう、決めた。
四年間。
俺は、戦闘を繰り返してきた。
その中で、少しずつ変わっていったものがある。
敵を見る目。
殺気の捉え方。
そして、戦うときの心の状態。
最初は、怖かった。
相手を傷つけることも。
自分が傷つくことも。
そして、命を奪うことも。
だが、何度も死線を越えるうちに、感情を切り離して戦うことを覚えた。
恐怖を消すのではない。
怒りを抑え込むのでもない。
ただ、必要な行動を選ぶ。
それだけだ。
今。
その感覚が、今まで以上にはっきりとしていた。
俺は、ゆっくりと目を細めた。
まず、太った男。
あいつを始末する。
別室へ移動している今なら、ほかの二人から切り離せる。
そして、女の子を救出する。
その後、残りの二人。
順番に倒す。
ただし、相手は念能力者だ。
油断はしない。
能力がわからない以上、最初の一撃で決める必要がある。
俺は、静かに身体を動かした。
屋根の上から、倉庫の裏側へ移動する。
足音はない。
呼吸も乱れない。
そして、表情からは、感情が消えていた。
四年間。
何度も戦い、何度も死線を越えた。
その中で、少しずつ目覚めかけていたもの。
冷たい殺し屋としての顔。
それが、今。
完全に現れていた。
◇
俺は、倉庫の裏側へ回った。
そこには、小さな搬入口があった。
錆びた扉。
だが、鍵は新しい。
最近、取りつけられたものだろう。
俺は、周囲を確認した。
人の気配はない。
少なくとも、すぐ近くには。
俺は、絶を維持したまま、扉へ近づいた。
そして、アイテムボックスから小さな工具を取り出した。
もちろん、人目のない場所だ。
鍵を確認する。
古い構造。
それほど複雑ではない。
俺は、静かに作業を始めた。
数十秒後。
かちり。
小さな音がした。
鍵が開いた。
俺は、扉をわずかに開いた。
暗い通路。
奥には、倉庫の中央へ続く扉がある。
そして、別室へ向かう通路も見えた。
俺は、静かに中へ入った。
足音を抑える。
呼吸を整える。
そして、周囲の気配を探る。
絶を使っているため、オーラによる防御はない。
だが、フィジカルギフテッドによる身体能力は、そのままだ。
俺は、暗い通路を進んだ。
途中、小さな部屋があった。
中には、古い机と椅子。
そして、帳簿のようなものが置かれていた。
俺は、少しだけ視線を向けた。
だが、今は後回しだ。
まずは、女の子を救出する。
そして、太った男を始末する。
それが、最優先だった。
俺は、通路の奥へ進んだ。
そして、別室の前で足を止めた。
中から、声が聞こえる。
「……いやっ! 離して!」
女の子の声。
そして、男の笑い声。
「……大人しくしろよ」
俺は、静かに息を吐いた。
扉の向こうには、二人。
太った男。
そして、女の子。
俺は、扉の位置を確認した。
蝶番。
鍵。
そして、開く方向。
次に、男の位置を音から推測する。
部屋の中央付近。
女の子は、その近く。
距離は、おそらく三メートルほど。
俺は、ゆっくりと拳を握った。
ここで、失敗するわけにはいかない。
男は、念能力者だ。
能力の詳細は不明。
だが、オーラを纏っていることは確認している。
単純な打撃では、倒しきれない可能性がある。
だから、最初の一撃で決める。
俺は、静かに纏へ切り替えた。
身体の周囲に、薄いオーラが戻る。
そして、必要な部分へオーラを集中させる。
右脚。
左脚。
そして、右拳。
呼吸を整える。
心拍を落ち着かせる。
視線を扉へ向ける。
そして。
俺は、静かに決めた。
もう、迷わない。
あの男たちを、生かして返すつもりはない。
俺は、右手を扉へ伸ばした。
そして、ゆっくりと押した。
扉が、わずかに開く。
中から、男の笑い声が聞こえた。
俺は、その声を聞きながら、静かに踏み込んだ。
十歳ほどの少年。
黒髪。
黒い瞳。
地味な顔立ち。
だが、その目には、子供らしい迷いも恐怖もなかった。
ただ、冷たい覚悟だけがあった。
そして。
俺は、別室の中へ入った。
最初の標的。
太った大柄な男。
その背中が、目の前にあった。
俺は、静かに拳を握った。
そして、心の中で呟いた。
……まず、一人。