流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
午後三時十七分。
ハンター試験、第一次試験が開始されてから七分が経過していた。
俺は、地下会場の出口へ向かう通路を歩きながら、頭の中で試験官の言葉を反芻していた。
『目的地は、ザバン市の外にある』
『目的地へ辿り着くためには、必ず一度、地下を通らなければならない』
『目的地には、赤い塔がある』
手掛かりは、この三つ。
制限時間は二十四時間。
つまり、明日の午後三時十分までに目的地へ到着しなければならない。
単純な移動試験ではない。
目的地そのものが伏せられている以上、まずは情報を集める必要がある。
もっとも、試験官の言葉を素直に受け取っていいかどうかも怪しい。
地下を通る必要がある。
それは、地下鉄でも構わないという意味なのか。
それとも、特定の地下通路を通過しなければ到達できない場所なのか。
あるいは、地下に何らかの仕掛けが用意されているのか。
……可能性はいくらでもあるな。
俺は、小さく息を吐いた。
こういう試験は嫌いではない。
流星街で生きていた頃も、力任せに解決できない問題はいくらでもあった。
食料の確保。
安全な寝床。
危険な場所の見極め。
使える物資の探索。
何も知らない場所で生き延びるには、まず周囲を知る必要がある。
そういう意味では、今回の試験は俺にとって馴染みのあるものだった。
「ねえ、アオ」
隣を歩くリリアが声をかけてきた。
「ん?」
「最初はどこに行く?」
「……まだ決めてない」
「えっ?」
リリアが目を丸くした。
「さっき、地図のこと聞いてたじゃない」
「だから、その地図をもう一度確認したい」
「ああ、そっか」
リリアは鞄を開き、折り畳まれた二枚の紙を取り出した。
一枚はザバン市の観光地図。
もう一枚は、地下交通網を紹介するパンフレットだ。
どちらも駅の案内所で入手したものだった。
俺たちは、通路の端へ寄った。
他の受験者たちが、次々と横を通り過ぎていく。
走っている者もいれば、仲間同士で相談している者もいる。
その中には、こちらの地図へ露骨に視線を向ける者もいた。
……まあ、そうなるよな。
情報が少ない試験だ。
他人が何を知っているのか気になるのは当然だろう。
俺は、周囲を一度確認してから地図へ視線を落とした。
「……ここだな」
指差したのは、ザバン市北東部。
古い工業地区だった。
地下交通網の地図には、現在使用されていない通路が一本描かれている。
その通路は、途中で途切れていた。
だが、観光パンフレットの裏面に掲載された古い市街図では、その先にも道が続いている。
「こっちの古い地図だと、街の外まで伸びてるんだよね」
リリアが言った。
「ああ」
「でも、今の地図だと途中で終わってる」
「……通れなくなった可能性があるな」
「崩れちゃったとか?」
「それもある」
俺は、地図の端に書かれた説明文へ目を向けた。
そこには、かつてザバン市の北東部に存在した工業地帯について、簡単な紹介が載っていた。
古い貨物線。
地下搬送路。
廃止された排水施設。
そして、市外の丘陵地帯に建設されていた見張り塔。
……見張り塔、か。
気になる。
だが、色までは記載されていない。
俺は、地図を折り畳んだ。
「まずは、ここを調べてみよう」
「うん!」
「ただし、通路が使えなかったら別の方法を考える」
「わかった!」
リリアは元気よく頷いた。
その直後、少し考えるように首を傾げた。
「でもさ、アオ」
「何?」
「みんな同じこと考えたりしないかな?」
俺は、周囲を見た。
走り去る受験者たち。
地図を広げる集団。
何も持たずに出口へ向かう男たち。
「……考えるだろうな」
「じゃあ、先に行かないと!」
リリアが歩き出そうとする。
俺は、その肩を軽く叩いた。
「急ぐのはいいけど、走る必要はないよ」
「えー?」
「二十四時間あるんだ。最初の十分を縮めるために体力を使うのはもったいない」
「……そっか」
リリアは、少しだけ考え込んだ。
そして、歩く速度を落とした。
俺は、その隣へ並ぶ。
……さて。
最初の目的地は決まった。
問題は、その先だ。
◇
地下会場から地上へ戻ると、午後の日差しが目に飛び込んできた。
ザバン市の街並みは、相変わらず賑やかだった。
車の走行音。
商店の呼び込み。
行き交う人々の話し声。
地下の静けさとは、まるで別世界だ。
俺は、軽く背伸びをした。
……やっぱり、外の空気はいいな。
流星街にいた頃は、空気そのものが埃っぽかった。
それと比べれば、この街は随分と快適だ。
もっとも、排気ガスの臭いはするが。
「アオ、こっち!」
リリアが、大通りの先を指差した。
「北東って、あっちだよね?」
「大体はな」
「じゃあ、行こう!」
少女は歩き始めた。
俺も、その後に続く。
目的地までは、およそ数キロ。
普通に歩けば、一時間前後だろう。
道が入り組んでいるため、実際にはもう少しかかるかもしれない。
俺は、歩きながら周囲を観察した。
受験者らしい人間が、何人か同じ方向へ向かっている。
だが、大半は別の道へ進んでいた。
……情報が分散してるな。
当然だ。
赤い塔という手掛かりだけでも、候補はいくつもあるはずだ。
古い見張り塔。
通信塔。
給水塔。
工場の煙突。
そして、観光施設。
何を赤い塔と呼ぶかによって、探索範囲は大きく変わる。
俺は、静かに息を吐いた。
……試験官は、どこまで想定してるんだろうな。
ガルド。
あの男の姿を思い出す。
鍛え上げられた身体。
無駄のない動き。
そして、念を使わずとも周囲を圧倒するほどの迫力。
戦闘経験は、相当なものだろう。
だが、それ以上に気になるのは試験内容だった。
目的地を伏せる。
手掛かりを三つだけ与える。
そして、戦闘を禁止しない。
これは単に探索能力を試すだけではない。
受験者同士が情報を奪い合うことも、計算に入れているはずだ。
……なるべく、巻き込まれたくないな。
そう考えていたときだった。
「……あれ?」
隣から声がした。
リリアが、足を止めている。
「どうした?」
「あの人……」
彼女の視線の先には、三人の男がいた。
いずれも、受験番号を胸へ付けている。
大柄な男。
痩せた男。
そして、頭に布を巻いた男。
俺は、少しだけ目を細めた。
……受験者か。
男たちは、道端で何かを話していた。
そのうち一人が、こちらへ視線を向ける。
俺と目が合うと、すぐに顔を背けた。
……ふむ。
何となく、嫌な感じがするな。
「知ってる人?」
俺が尋ねると、リリアは首を横に振った。
「ううん。でも、さっきも見た」
「会場で?」
「それもあるけど……」
少女は、少し考えた。
「地下から出たとき、あの人たち、私たちの後ろにいたよ」
俺は、静かに頷いた。
……なるほど。
偶然、進む方向が同じなのかもしれない。
だが、こちらを意識している様子はある。
「気にしすぎかもしれないけど……」
「いや、覚えておこう」
俺は、そう答えた。
リリアは頷き、再び歩き始めた。
俺は、男たちを一度だけ振り返った。
……さて。
どうなることやら。
◇
午後四時。
俺たちは、ザバン市の古い街区へ入っていた。
中心部と比べると、建物の背が低い。
石造りの住宅。
古い商店。
細い路地。
そして、複雑に入り組んだ道路。
俺は、地図を確認した。
……ここを抜ければ、工業地区に近い。
だが、大通りを通ると遠回りになる。
俺は、近くの路地へ視線を向けた。
「……こっちを通るか」
リリアが地図を覗き込んだ。
「うん。こっちの方が近いね」
俺たちは、路地へ入った。
途端に、人通りが少なくなる。
建物と建物の間に、洗濯物が干されている。
窓からは、料理の匂いが漂ってきた。
遠くで、犬が吠えている。
俺は、歩きながら周囲を見回した。
……平和だな。
少なくとも、流星街と比べれば。
そんなことを考えていると、リリアが突然立ち止まった。
「……アオ」
「ん?」
「この道、さっきの地図と違う」
俺は、前方を見た。
確かに。
地図では直進できるはずの場所に、新しい建物が建っていた。
道が塞がれている。
「……工事で変わったんだろうな」
「どうしよう?」
俺は、周囲を確認した。
左側には、細い路地。
右側には、少し広い道。
どちらも、地図には載っていない。
「……右かな」
俺がそう言うと、リリアは首を傾げた。
「でも、右だと戻っちゃわない?」
「一度、大通りに出られるかもしれない」
「そっか」
俺たちは、右の道へ進んだ。
だが。
五分ほど歩いたところで、再び行き止まりに突き当たった。
俺は、静かに息を吐いた。
……外れたか。
リリアが、少しだけ笑った。
「アオも間違えるんだね」
「……そりゃ、間違えるよ」
「なんか、意外」
俺は、苦笑した。
「俺だって、初めて来た街だからな」
リリアは、楽しそうに笑った。
「じゃあ、次は私が決める!」
「どうぞ」
少女は、周囲を見回した。
そして、先ほど通り過ぎた細い路地を指差した。
「あっち、行ってみよう」
俺は、頷いた。
「わかった」
引き返して、左の路地へ入る。
道は狭かったが、しばらく進むと大きな道路へ出た。
俺は、地図を確認した。
……なるほど。
結果的には、こちらが近道だったらしい。
「やった!」
リリアが、小さく拳を握った。
俺は、少しだけ笑った。
「今回は、リリアの勝ちだな」
「えへへ!」
少女は、得意そうに胸を張った。
俺は、再び歩き始めた。
……こういうのも、悪くないな。
誰かと相談しながら進む。
それだけで、一人旅とは随分と違う。
◇
午後四時半。
俺たちは、古い工業地区へ到着した。
錆びた鉄骨。
使われなくなった倉庫。
ひび割れた道路。
そして、雑草に覆われた空き地。
ザバン市の中心部とは、まるで別世界だった。
俺は、周囲を見回した。
……流星街を思い出すな。
もちろん、あそこほど荒廃してはいない。
だが、長い間放置された建物には、どこか似た雰囲気がある。
俺は、静かに息を吐いた。
「……入口は、この辺りのはずだ」
リリアが地図を広げる。
「えっと……」
少女は、周囲を見回した。
そして、一つの建物を指差した。
「あれじゃない?」
俺は、視線を向けた。
古い駅舎のような建物。
入口には、錆びた看板。
階段が、地下へ続いている。
……なるほど。
俺たちは、建物へ近づいた。
看板には、かろうじて文字が残っていた。
『旧北東貨物地下線』
俺は、目を細めた。
……当たりか。
少なくとも、地下通路の入口であることは間違いない。
階段の前には、古い鉄柵が設置されていた。
だが、扉は開いている。
俺は、しゃがみ込んで足元を確認した。
埃。
小石。
そして、靴跡。
……誰か、先に入ってるな。
しかも、複数。
俺は、足跡を観察した。
新しいものが三種類ほどある。
靴底の模様が違う。
さらに、入口の鉄柵には新しい擦り傷があった。
……受験者か。
俺は、静かに立ち上がった。
「……先客がいるみたいだ」
リリアが、足元を覗き込む。
「足跡?」
「ああ」
「……三人くらい?」
「たぶんな」
少女は、少しだけ表情を引き締めた。
俺は、階段の奥へ視線を向けた。
暗い。
だが、空気は流れている。
完全に塞がれた地下施設ではなさそうだ。
……行ってみるか。
「入ろう」
「うん」
俺たちは、階段を下り始めた。
◇
地下通路は、予想以上に暗かった。
照明は、ほとんど機能していない。
壁には、古い配管が走っている。
床には、瓦礫が散乱していた。
俺は、鞄の中へ手を入れた。
そして、アイテムボックスから小型の懐中電灯を取り出す。
外から見れば、鞄の中に入れていたようにしか見えないはずだ。
スイッチを入れる。
白い光が、通路を照らした。
「……わあ」
リリアが、小さく声を上げた。
「本当に地下迷宮みたい」
「……そうだな」
俺は、壁へ光を向けた。
古い案内板。
剥がれかけた塗装。
そして、何年も使われていないらしい配線。
……随分と古い施設だ。
俺は、静かに息を吐いた。
念による円を使えば、周囲の状況をある程度把握できる。
通常の展開範囲は半径十五メートル。
最大でも二十五メートル。
その範囲内なら、人間の位置や障害物の存在を感知することは難しくない。
だが、ここで常時使う必要はない。
念を使える受験者が近くにいる可能性は低そうだが、絶対ではない。
それに、円だけで通路の全体像を把握できるわけでもない。
俺は、懐中電灯を前へ向けた。
「……足元に気をつけて」
「うん」
リリアは、頷いた。
俺たちは、暗い通路へ足を踏み入れた。
最初の分岐が現れたのは、それから十分ほど経った頃だった。
右。
左。
そして、正面。
三方向へ道が伸びている。
俺は、壁に残された古い案内板を確認した。
『右 整備区画』
『左 排水設備』
『直進 貨物搬送路』
……なるほど。
目的地が市外なら、貨物搬送路が有力か。
俺は、正面の通路へ視線を向けた。
だが。
「……アオ」
リリアが、足を止めた。
「どうした?」
「こっち、何か変」
少女は、正面の通路を指差した。
俺は、目を細めた。
……ん?
見たところ、普通の通路だ。
床には埃が積もっている。
壁には、古い配管。
天井には、使われなくなった照明。
「……何が?」
「床」
リリアは、しゃがみ込んだ。
「ここだけ、埃が少ない」
俺は、足元を見た。
……なるほど。
確かに。
正面の通路には、他の二つよりも埃が少ない場所がある。
しかも、一定の幅で続いている。
俺は、しゃがみ込んで確認した。
……何かを引きずった跡か。
あるいは、人が頻繁に通っている。
俺は、少しだけ考えた。
……誰かが整備してる可能性もあるな。
リリアは、正面の通路を見つめた。
「ここ、誰か通ってるのかな?」
「……そうかもしれない」
俺は、立ち上がった。
そして、懐中電灯を正面へ向けた。
「……行ってみよう」
リリアは、頷いた。
◇
通路を進み始めてから、三十分ほどが経った。
道は、何度も分岐していた。
右。
左。
そして、さらに右。
俺は、壁へ小さな印を付けながら進んでいた。
もちろん、後で戻れるようにするためだ。
リリアも、地図へ何かを書き込んでいる。
「……何してるの?」
俺が尋ねると、少女は顔を上げた。
「通った道を描いてるの」
俺は、地図を覗き込んだ。
そこには、簡単な線が描かれていた。
通路。
分岐。
そして、行き止まり。
距離や角度には多少の誤差があるものの、通路の繋がりはおおむね正しい。
「……ここ、さっき右に曲がったところだよね?」
リリアが尋ねた。
「ああ」
「じゃあ、こっちは……」
少女は、紙へ線を一本追加した。
俺は、その様子を眺めていた。
……なるほど。
道を覚えるために、自分で記録してるのか。
悪くない方法だ。
俺も、流星街では似たようなことをしていた。
ただし、地図を描く余裕などなかったため、目印を覚えることが多かったが。
俺は、静かに息を吐いた。
「……その地図、あとで見せてくれ」
「いいよ!」
リリアは、嬉しそうに頷いた。
俺たちは、再び歩き始めた。
そのときだった。
……カン。
遠くから、微かな金属音が聞こえてきた。
俺は、足を止めた。
リリアも、同時に顔を上げる。
「……聞こえた?」
「ああ」
俺は、耳を澄ませた。
……カン。
少し間を置いて。
……カン。
規則正しい音。
俺は、目を細めた。
……機械か。
あるいは、何らかの仕掛け。
音は、左側の通路から聞こえてくる。
俺は、懐中電灯を向けた。
暗い通路が、奥へ続いている。
「……行ってみるか」
リリアが頷いた。
「うん」
俺たちは、左側の通路へ進んだ。
◇
通路の先には、大きな空間が広がっていた。
天井は高く、古い機械設備が並んでいる。
巨大な歯車。
錆びた配管。
そして、天井から吊るされた鎖。
俺は、静かに周囲を見回した。
……昔の排水施設か。
壁には、古い制御盤が設置されている。
床には、太い排水溝。
そして、部屋の中央には巨大な機械があった。
金属音の正体は、その機械だった。
歯車が、ゆっくりと回転している。
一定の間隔で、金属同士が接触する。
……カン。
……カン。
……カン。
俺は、目を細めた。
……動いてるな。
廃墟のはずなのに。
しかも、機械の一部には新しい油が差されている。
誰かが整備しているらしい。
……ハンター協会か?
俺は、静かに考えた。
試験のために、古い施設を利用している。
十分にあり得る話だ。
そのとき。
「……アオ!」
リリアが、小さな声を上げた。
「……あれ」
少女が指差した先。
部屋の奥には、一枚の鉄扉があった。
古びた扉。
錆びた取っ手。
そして、中央に描かれた赤い塔の印。
俺は、静かに息を吐いた。
……赤い塔。
手掛かりの一つだ。
だが。
それだけで、正しい道だと断定することはできない。
むしろ、あからさますぎる。
俺は、扉を観察した。
その前には、三人の男が立っていた。
……ああ。
見覚えがある。
地上で見かけた受験者たちだった。
大柄な男。
痩せた男。
そして、頭に布を巻いた男。
男たちは、こちらに気づくと、にやりと笑った。
「……おいおい」
先頭の男が、口を開いた。
「やっと来たか、ガキども」
俺は、静かに息を吐いた。
……待ち伏せか。
男は、俺たちへ歩み寄ってきた。
「お前ら、地図持ってたよな?」
「……持ってますけど」
「ちょっと貸してくれよ」
俺は、男を見た。
「……何に使うんです?」
「決まってんだろ。試験だよ」
男は、にやりと笑った。
「俺たちも目的地を探してんだ。協力しようぜ」
……協力、ね。
俺は、静かに考えた。
言葉だけなら、悪い提案ではない。
だが、男たちの立ち位置が妙だった。
一人が正面。
一人が右。
そして、もう一人が左。
自然な会話を装いながら、こちらの逃げ道を塞ぐ位置へ移動している。
……わかりやすいな。
俺は、少しだけ苦笑した。
「……悪いですけど、遠慮します」
男の笑みが消えた。
「……あ?」
「地図は、自分たちで使うので」
俺は、静かに答えた。
すると、右側の男が舌打ちした。
「おい、ガキ。調子に乗るなよ」
俺は、肩をすくめた。
「……別に、乗ってませんけど」
「だったら、さっさと渡せ」
男が、一歩近づく。
俺は、静かに息を吐いた。
……さて。
どうするか。
相手は、三人。
いずれも、念能力者ではなさそうだ。
身体能力も、特別優れているわけではない。
俺なら、数秒で制圧できる。
だが。
わざわざ戦う必要があるか?
俺は、周囲を確認した。
部屋の奥。
赤い塔の描かれた扉。
そして、天井の配管。
……ん?
そこで、あるものが目に入った。
大きな通気口。
人一人が通れるかどうかという幅。
その先は、壁の向こうへ続いているようだった。
俺は、目を細めた。
……なるほど。
別の道か。
だが、実際に通れるかはわからない。
途中で塞がれている可能性もある。
俺は、少しだけ考えた。
そのとき。
「……アオ」
リリアが、袖を引いた。
「……ん?」
「上」
小さな声。
俺は、彼女の視線を追った。
通気口。
どうやら、同じものを見つけたらしい。
俺は、小さく頷いた。
だが。
すぐに、男の声が響いた。
「おい! 何こそこそ話してんだ!」
俺は、視線を戻した。
「……別に」
「ふざけんな!」
男が、こちらへ手を伸ばした。
俺は、その腕を見た。
……遅い。
掴もうと思えば、簡単に掴める。
避けようと思えば、いくらでも避けられる。
だが。
俺は、すぐには動かなかった。
なぜなら。
……もう少し、様子を見たい。
男たちは、扉の前を占拠している。
だが、あの扉が正解とは限らない。
むしろ。
扉の上にある通気口。
その方が、気になる。
俺は、静かに息を吐いた。
そして。
男の腕を、軽く受け流した。
「……っ!?」
男が、前のめりになる。
俺は、一歩横へ移動した。
それだけだった。
男は、勢い余って壁へ手をついた。
「……てめえ!」
俺は、静かに首を横に振った。
「……やめません?」
男の顔が、怒りで赤くなる。
……駄目か。
話し合いは、難しそうだ。
俺は、静かに息を吐いた。
そして。
リリアへ、小さな声で言った。
「……少し下がってて」
「……うん」
少女は、数歩後ろへ下がった。
俺は、男たちを見た。
……さて。
なるべく、怪我をさせずに終わらせよう。
◇
最初に動いたのは、大柄な男だった。
「このクソガキ!」
拳が、俺の顔へ向かってくる。
俺は、半歩だけ身体をずらした。
拳が、頬の横を通り過ぎる。
そのまま、男の手首を軽く掴む。
そして、身体の向きを変えた。
「……うおっ!?」
男の重心が崩れる。
俺は、足を引っかけた。
男は、派手な音を立てて床へ転がった。
……一人。
次に、痩せた男が動いた。
腰から短いナイフを抜く。
俺は、静かに目を細めた。
……武器を使うか。
まあ、試験中の戦闘は禁止されていない。
だが。
こちらも、黙って刺されるつもりはない。
男が、ナイフを突き出した。
俺は、手首の外側へ指を添えた。
わずかに力を加える。
刃の軌道が、横へ逸れた。
そのまま、肘を軽く押す。
「……っ!?」
男の腕が、無理のない範囲で曲がる。
俺は、足元を払った。
男が、床へ倒れる。
ナイフが、乾いた音を立てて転がった。
……二人。
最後の男は、動かなかった。
目を見開き、こちらを見つめている。
「……な、何だよ、お前……」
俺は、静かに息を吐いた。
「……通してもらえます?」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
慌てて横へ退いた。
「……ど、どうぞ……」
俺は、軽く会釈した。
「……どうも」
床へ転がった二人も、意識はある。
骨折もしていないはずだ。
多少の打撲はあるだろうが、試験を続けられないほどではない。
俺は、リリアへ振り返った。
「……行こう」
少女は、ぽかんと口を開けていた。
「……アオ」
「ん?」
「……強いね」
俺は、少しだけ苦笑した。
「……まあ、多少は」
「多少って……」
リリアは、何とも言えない顔をした。
俺は、肩をすくめた。
……これでも、かなり手加減したんだけどな。
もちろん、口には出さない。
◇
俺たちは、赤い塔の描かれた扉へ近づいた。
男たちは、もう邪魔をしてこなかった。
俺は、扉を確認した。
古い鉄製。
錆びた蝶番。
そして、中央に描かれた赤い塔の印。
……さて。
どうするか。
普通なら、この扉を開けるだろう。
だが。
俺は、天井の通気口へ視線を向けた。
リリアも、同じ方向を見ていた。
「……あそこ、通れそうだよね」
「……そうだな」
俺は、少しだけ考えた。
通気口の幅は、およそ五十センチ。
俺の身体なら、十分に通れる。
リリアも、問題なさそうだ。
ただし、内部の構造は不明。
途中で狭くなっている可能性もある。
俺は、静かに息を吐いた。
「……まず、扉を調べよう」
「うん」
俺は、取っ手へ手を伸ばした。
そして、軽く引いた。
……動かない。
押してみる。
……同じだ。
鍵がかかっている。
俺は、扉の隙間へ視線を向けた。
……古い鍵だな。
力を使えば、簡単に壊せるだろう。
だが、試験の仕掛けを破壊するのは得策ではない。
俺は、周囲を確認した。
扉の横。
壁に、小さな金属板が取り付けられている。
そこには、文字が刻まれていた。
『道を選ぶ者は、先を見よ』
俺は、目を細めた。
……なるほど。
また、謎か。
リリアが、金属板を覗き込んだ。
「……先を見る?」
「……そう書いてあるな」
「じゃあ、先に何かあるのかな?」
俺は、静かに考えた。
先。
扉の向こう。
あるいは、進行方向。
……曖昧だな。
俺は、天井の通気口を見た。
そして。
小さく笑った。
「……上を調べてみるか」
リリアが、頷いた。
「うん!」
俺は、近くに積まれていた木箱へ視線を向けた。
高さは、一メートルほど。
その上に乗れば、通気口へ手が届く。
俺は、木箱を確認した。
……古いけど、まだ使えるな。
リリアが、木箱を見た。
「これ、動かす?」
「ああ」
俺は、木箱を通気口の下へ移動させた。
そして、上へ乗った。
通気口には、古い金属製の格子が取り付けられている。
俺は、格子を確認した。
……ネジ止めか。
錆びているが、外せないほどではない。
俺は、鞄から小さな工具を取り出した。
そして、ネジを緩め始めた。
……ギギ。
金属が擦れる音。
数分後。
格子が外れた。
俺は、通気口の内部へ懐中電灯を向けた。
……なるほど。
奥へ続いている。
しかも、途中で右へ曲がっているようだ。
俺は、静かに考えた。
……行けそうだな。
だが。
そのとき。
「……アオ」
リリアが、下から声をかけてきた。
「……ん?」
「ちょっと、待って」
俺は、彼女を見た。
リリアは、床を指差していた。
「……ここ」
俺は、木箱から下りた。
そして、少女の隣へしゃがんだ。
そこには、細い溝があった。
床を横切るように伸びている。
俺は、目を細めた。
……ん?
溝は、扉の前から部屋の中央へ続いていた。
そして。
巨大な機械の下へ消えている。
俺は、静かに考えた。
……排水溝?
いや。
幅が狭すぎる。
それに、内部には金属製の線が通っている。
……ワイヤーか。
俺は、立ち上がった。
そして、機械へ視線を向けた。
巨大な歯車。
錆びた配管。
そして、規則正しく動く金属部品。
……なるほど。
もしかすると。
俺は、機械へ近づいた。
その横には、古い制御盤があった。
レバーが三本。
そして、赤いランプ。
俺は、静かに息を吐いた。
……仕掛けは、こっちか。
リリアが、隣へ来た。
「……これ、動かすの?」
「……まだ、わからない」
俺は、制御盤を観察した。
三本のレバー。
それぞれに、古い文字が刻まれている。
『上』
『下』
『前』
俺は、目を細めた。
……なるほど。
上。
下。
前。
さっきの言葉。
『道を選ぶ者は、先を見よ』
俺は、静かに考えた。
……先を見る。
つまり。
前。
俺は、三本目のレバーへ手を伸ばした。
だが。
その直前。
リリアが、小さな声を上げた。
「……あっ」
「……ん?」
「これ、動いてる」
少女は、制御盤の下を指差した。
そこには、小さな歯車があった。
ゆっくりと回転している。
俺は、目を細めた。
……なるほど。
レバーは、機械の動きと連動しているらしい。
俺は、少しだけ考えた。
……タイミングがあるのか?
俺は、歯車の動きを観察した。
一定の間隔で回転し、わずかに停止する。
そして、再び動き始める。
……カン。
……カン。
……カン。
金属音。
俺は、静かに息を吐いた。
……なるほど。
音が、合図になっているのかもしれない。
俺は、リリアへ視線を向けた。
「……音、数えてくれる?」
「うん!」
リリアは、頷いた。
俺は、レバーへ手を置いた。
そして、耳を澄ませた。
……カン。
「一」
……カン。
「二」
……カン。
「三!」
俺は、レバーを倒した。
……ガコン。
重い音が響く。
次の瞬間。
赤い塔の描かれた扉から、金属音が聞こえた。
……ガチャ。
俺は、目を細めた。
……開いたか。
俺は、扉へ近づいた。
そして、取っ手を引いた。
今度は、動いた。
重い扉が、ゆっくりと開く。
俺は、静かに笑った。
「……なるほど」
リリアが、嬉しそうに声を上げた。
「やった!」
俺は、頷いた。
……どうやら、正解らしい。
もっとも。
この先が、本当に目的地へ続いているかどうかは、まだわからない。
俺は、扉の向こうへ懐中電灯を向けた。
暗い通路。
そして、遠くに見える階段。
……進むしかないな。
◇
俺たちは、扉の向こうへ進んだ。
通路は、先ほどまでの地下施設とは少し違っていた。
壁が比較的新しい。
床も、整備されている。
そして、天井には小さな照明が取り付けられていた。
俺は、静かに息を吐いた。
……やっぱり、誰かが管理してるな。
おそらく、ハンター協会。
試験のために、古い施設の一部を整備しているのだろう。
リリアは、周囲を見回していた。
「……さっきより、歩きやすいね」
「ああ」
「これなら、迷わなさそう」
俺は、少しだけ笑った。
「……そうだといいけど」
通路を進む。
やがて、前方に階段が現れた。
上へ続いている。
俺は、足を止めた。
……地上へ出るのか。
階段の先から、微かな風が吹いてくる。
外気の匂い。
そして、遠くから聞こえる鳥の声。
俺は、静かに頷いた。
「……出口みたいだな」
リリアが、目を輝かせた。
「本当!?」
「ああ」
俺たちは、階段を上り始めた。
石段を一段ずつ踏みしめる。
そして。
最後の扉を開いた。
……ギィ。
古い蝶番が、軋んだ音を立てる。
その先には。
広い空があった。
俺は、静かに息を吐いた。
……外だ。
そこは、ザバン市の北東に広がる丘陵地帯だった。
草原。
低い木々。
そして、遠くに見える山並み。
街の喧騒は、すでに聞こえない。
俺は、周囲を見回した。
……なるほど。
市外へ出たわけか。
地下を通り。
そして、地上へ出る。
試験官が示した条件のうち、二つは満たしている。
残るは。
……赤い塔。
俺は、遠くへ視線を向けた。
すると。
丘の向こう。
木々の間から、細長い建造物が見えた。
俺は、目を細めた。
……あれか?
塔。
確かに、塔らしい建物だ。
だが。
色までは、よくわからない。
距離がある。
しかも、夕方の光で輪郭がぼやけていた。
俺は、静かに息を吐いた。
……まだ、確定じゃないな。
そのとき。
「……アオ!」
リリアが、声を上げた。
「……あそこ!」
少女は、丘の先を指差した。
俺は、視線を向けた。
そこには。
夕日に照らされた、赤い塔があった。
俺は、静かに目を細めた。
……なるほど。
赤い。
確かに、赤い塔だ。
だが。
それが目的地かどうかは、まだわからない。
俺は、静かに息を吐いた。
「……行ってみよう」
リリアは、元気よく頷いた。
「うん!」
俺たちは、丘へ向かって歩き始めた。
時刻は、午後五時半を少し過ぎた頃。
試験開始から、まだ二時間半ほど。
制限時間には、十分な余裕がある。
だが。
俺は、少しだけ考えていた。
……順調すぎるな。
地下通路。
機械の仕掛け。
そして、赤い塔。
確かに、手掛かりは繋がっている。
だが。
ハンター試験。
それも、第一次試験。
こんなに簡単に終わるものだろうか。
俺は、静かに息を吐いた。
……まあ。
考えても仕方ない。
まずは、塔へ向かう。
そして、そこで何が待っているのか確認する。
それだけだ。
俺は、隣を歩くリリアへ視線を向けた。
少女は、地図を片手に丘の先を見つめている。
その表情には、期待と緊張が入り混じっていた。
俺は、小さく笑った。
……さて。
第一次試験。
まだ、終わりじゃなさそうだ。
そう思いながら。
俺たちは、赤い塔へ向かって歩き続けた。