流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
午後一時二十分。
第二次試験会場である森林公園を出発してから、二十分ほどが経過していた。
俺たち十一人の合格者は、ハンター協会が用意した大型バスに乗り、次の試験会場へ向かっていた。
車内は静かだった。
第一次試験のときとは違い、受験者同士で積極的に話す者はほとんどいない。
ここまで残った者たちは、互いが競争相手であることを理解しているのだろう。
あるいは、単純に疲れているのかもしれない。
俺は窓の外を眺めながら、残った受験者たちの顔を思い浮かべた。
受験番号三番の大柄な斧使い。
黒髪の剣士。
小柄な老人。
眼鏡を掛けた青年。
それから、第二次試験で最後まで生き残った数名の男女。
そして、俺とリリア。
総勢十一人。
第一次試験から、随分と人数が減ったものだ。
「ねえ、アオ」
隣から声がした。
「ん?」
「次の試験って、何だと思う?」
リリアは窓の外を眺めながら尋ねてきた。
第二次試験で泥だらけになった服は着替えており、今は動きやすい長袖の服とズボンを身につけている。
ただ、昨日からの疲れが完全に抜けたわけではないらしい。
ときどき、小さく欠伸をしていた。
「さあな。今までとは違う内容になるかもしれない」
「例えば?」
「戦闘とか」
俺がそう答えると、リリアの表情が少し曇った。
「……やっぱり、あるよね」
「可能性は高いと思う」
ハンター試験だ。
探索能力や判断力だけでなく、戦闘能力を試されても不思議ではない。
むしろ、これまで直接的な戦闘試験がなかったことの方が意外だった。
リリアは、自分の両手を見下ろした。
「私、戦うのはあんまり得意じゃないんだよね」
「そうなのか?」
「うん。護身術は少し習ったけど、本格的な戦いなんてしたことないし」
彼女は、困ったように笑った。
「アオみたいに強かったらよかったんだけど」
「……戦い方は、相手によって変わるからな」
「でも、強い人と当たったら?」
俺は少し考えた。
「勝てないと思ったら、無理に勝とうとしないことだ」
「え?」
「戦うことと、死ぬまで戦うことは違う。試験の規則次第だけど、降参できるならそれも選択肢に入れておけ」
リリアは黙った。
やがて、小さく頷く。
「……うん。わかった」
俺は、それ以上言わなかった。
彼女には、彼女の判断がある。
俺ができるのは、危険を想定して助言することまでだ。
ただ、そのときの俺は、まだ知らなかった。
数時間後、自分が口にした言葉を、何度も思い返すことになるとは。
◇
午後二時五分。
バスは、ザバン市郊外に建設された巨大な施設へ到着した。
最初に目に入ったのは、高い外壁だった。
灰色の石材で造られた壁が、建物を取り囲んでいる。
その中央には、重厚な鉄門。
門の上には、ハンター協会の紋章が掲げられていた。
俺は窓から施設を見上げた。
……闘技場か。
建物の形状は、円形に近い。
外壁の高さは二十メートルほど。
周囲には観客席らしい構造物があり、中央部分だけ屋根が開いている。
古代の円形闘技場を思わせる造りだった。
バスが門をくぐる。
やがて、広い中庭で停車した。
「全員、降りてください」
案内係の男が声をかけた。
俺たちは荷物を持ち、バスから降りた。
中庭には、すでに数人の職員が待機していた。
その中には、白衣を着た医療関係者らしい人間もいる。
さらに奥には、担架や医療器具を積んだ台車が見えた。
俺は、その光景を見て眉を寄せた。
……医療班まで準備しているのか。
嫌な予感がした。
隣のリリアも、同じものを見たらしい。
「……アオ」
「ああ」
俺は短く答えた。
どうやら、次の試験は相当荒っぽいものになるらしい。
◇
案内されたのは、闘技場内部の大広間だった。
石造りの壁。
高い天井。
そして、中央に設置された大きな掲示板。
十一人の受験者が集められると、奥の扉が開いた。
現れたのは、一人の男だった。
年齢は四十代半ばほど。
短く刈り込まれた黒髪に、鋭い目。
身長は百八十センチを少し超える程度。
だが、その身体は異様なほど鍛え上げられていた。
肩幅が広く、腕は太い。
首筋から手の甲まで、古い傷跡がいくつも残っている。
男は、ゆっくりと俺たちの前へ歩いてきた。
その足運びを見た瞬間、俺は無意識に姿勢を正した。
……この人は。
歩幅。
重心。
呼吸。
どれも無駄がない。
しかも、身体の各部がいつでも動ける状態にある。
単に鍛えているだけではない。
実戦を積み重ねた人間の動きだった。
男は、俺たちを一人ずつ見回した。
「第三次試験担当、ヴァルグだ」
低く、よく通る声だった。
「これまでの試験では、探索能力、判断力、逃走能力などを測ってきたと聞いている」
男は、腕を組んだ。
「だが、ハンターには、避けられない戦いもある」
広間に沈黙が落ちる。
「危険な生物。犯罪者。敵対するハンター。命を狙ってくる相手と遭遇することも珍しくない」
ヴァルグは、淡々と続けた。
「そのとき、自分の身を守る力がなければ、何を目指していようと意味がない」
俺は、静かに頷いた。
……やっぱり、戦闘試験か。
ヴァルグは、背後の掲示板へ視線を向けた。
「第三次試験は、純粋な戦闘能力を測る」
そして。
「残った受験者同士による、一対一の決闘だ」
広間が、ざわついた。
◇
「決闘だと?」
受験番号三番の大柄な男が、口元を吊り上げた。
「ようやく俺の出番ってわけか」
その隣では、黒髪の剣士が静かに目を閉じていた。
俺は、二人を見た。
……戦闘向きの連中には、有利な試験だな。
対して、リリアの表情は硬い。
俺は、横目で彼女を確認した。
少女は唇を引き結び、ヴァルグの説明を聞いていた。
「試合は一対一。勝敗は、相手の気絶、降参、あるいは試験官による戦闘不能判定で決める」
ヴァルグは続けた。
「場外負けはない。武器の使用は認める。ただし、相手を殺害した場合は即失格だ」
俺は、目を細めた。
……殺害は禁止。
だが、それ以外の負傷については制限がないのか。
嫌な規則だ。
ヴァルグは、さらに説明した。
「試合は原則として一回。勝者が合格、敗者は不合格となる」
そこで、一人の受験者が手を挙げた。
「待ってくれ。十一人しかいないぞ。一人余るだろう?」
「その通りだ」
ヴァルグは頷いた。
「その点については、すでに決めてある」
男の視線が、俺へ向いた。
「受験番号一番。アオ」
……ん?
俺は顔を上げた。
「はい」
「お前だけは、別の試験を受けてもらう」
周囲の視線が、一斉に俺へ集まった。
リリアも驚いたようにこちらを見る。
「……アオ?」
俺は、ヴァルグへ視線を戻した。
「理由を聞いても?」
「構わん」
ヴァルグは、俺を正面から見据えた。
「お前は、すでに念を修得しているな?」
広間が静まり返った。
……なるほど。
把握されていたか。
俺は、驚かなかった。
第一次試験の会場では、念を使った仕掛けがあった。
列車で出会ったレオンも、俺の念能力を見抜いていた。
協会側に情報が伝わっていても不思議ではない。
「……はい」
俺は、素直に認めた。
その瞬間、受験者たちの間にざわめきが広がった。
「念?」
「何だ、それ?」
「聞いたことがあるぞ。特殊な武術だとか……」
リリアも、不思議そうな顔をしている。
俺は、彼女へ説明しようとはしなかった。
今は試験中だ。
それに、念について話すなら、もっと落ち着いた場所の方がいい。
ヴァルグは、俺の返答を聞いて頷いた。
「今回の受験者の中で、念を修得していると確認できたのはお前だけだ」
……やっぱり、そうか。
ほかの十人には、念能力者はいない。
それなら、俺を一般の受験者と戦わせない判断も理解できる。
念能力者と、念を知らない人間。
その差は、あまりにも大きい。
「公平性を考慮し、お前には特別試験を用意した」
ヴァルグは、俺を見た。
「相手は、俺だ」
……へえ。
俺は、思わず目を細めた。
第三次試験の試験官。
しかも、明らかに実戦経験豊富な男。
その相手と、直接戦うことになるらしい。
「ほかの受験者たちは、予定通り決闘を行う」
ヴァルグは、掲示板を指差した。
「対戦組み合わせは、これから発表する」
◇
掲示板に、五組の対戦表が貼り出された。
俺は、少し離れた場所からそれを眺めた。
受験番号三番の斧使いは、眼鏡の青年と対戦。
小柄な老人は、体格のいい女性と対戦。
そして。
俺の視線が、ある組み合わせで止まった。
『受験番号二番 リリア』
『対戦相手 黒髪の剣士』
……っ。
俺は、思わず眉を寄せた。
黒髪の剣士。
第一次試験の会場から、何度か姿を見かけていた男だ。
年齢は二十代前半ほど。
細身。
長い黒髪を後ろで束ね、腰には日本刀に似た細身の剣を差している。
俺は、彼の立ち姿を思い出した。
……あの男、かなり強い。
念は使えない。
だが、剣の扱いには相当な技量があるはずだ。
少なくとも、リリアが正面から戦って勝てる相手ではない。
俺は、彼女へ視線を向けた。
リリアは、掲示板を見つめていた。
顔色が、少し青い。
「……アオ」
小さな声がした。
「……どうしよう」
俺は、すぐには答えなかった。
何を言えばいい。
勝てると励ますのは簡単だ。
だが、それは無責任だろう。
俺は、少し考えた。
「……リリア」
「うん」
「昨日、話したことを覚えてるか?」
少女は、顔を上げた。
「……勝てないと思ったら、無理しないこと?」
「ああ」
俺は頷いた。
「相手が強すぎると思ったら、降参していい」
「……でも」
リリアは、拳を握った。
「ここまで来たのに……」
俺は、彼女の言葉を遮らなかった。
少女は、しばらく俯いていた。
そして、顔を上げる。
「……私、やれるだけやってみたい」
その瞳には、不安があった。
だが、逃げたいという気持ちだけではない。
俺は、静かに息を吐いた。
「……わかった」
「アオ……」
「ただし、危ないと思ったらすぐに降参すること。それだけは約束してくれ」
リリアは、少し考えた。
そして。
「……うん。約束する」
俺は、頷いた。
……頼む。
無理だけは、しないでくれ。
◇
午後二時四十分。
俺は、案内係に連れられ、闘技場の地下通路を歩いていた。
リリアたちの試合は、別の競技場で行われる。
俺だけが、試験官との特別試験へ向かうことになった。
通路の先には、重い鉄扉があった。
案内係が扉を開く。
その向こうには、円形の訓練場が広がっていた。
直径、およそ三十メートル。
床は、頑丈な石材で造られている。
壁には衝撃を吸収するための厚い素材が張られていた。
観客席はない。
ただ、壁際に数人の職員が立っている。
その中央に。
ヴァルグがいた。
「来たか」
「はい」
俺は、訓練場へ足を踏み入れた。
ヴァルグは、上着を脱いでいた。
黒い袖なしの服。
そして、動きやすそうなズボン。
腕には、古い傷跡がいくつも見える。
俺は、軽く身体を動かした。
……さて。
どう戦うか。
相手の実力は未知数。
念能力者であることは間違いないだろう。
しかも、試験官を任されるほどの人物だ。
油断はできない。
ヴァルグは、俺を見た。
「先に、特別試験の規則を説明する」
「お願いします」
「まず、武器の使用は禁止。素手のみで戦う」
俺は頷いた。
「次に、発の使用は禁止だ」
……発は禁止。
つまり、個別の念能力は使えない。
俺の『愚か者の宝物庫』は、そもそも完成していない。
この条件なら、問題はない。
「纏、練、堅、流などの基本技術は使用して構わん。硬も認める。ただし、発を用いた特殊能力は禁止だ」
ヴァルグは続けた。
「勝敗は、相手の気絶、あるいは『参った』という降参の宣言で決める」
「……試験官も、同じ条件ですか?」
「ああ」
ヴァルグは、口元を吊り上げた。
「俺も発は使わん。素手のみだ」
俺は、静かに頷いた。
……なるほど。
純粋な格闘能力。
そして、念の基礎技術。
それだけで勝負するわけか。
ヴァルグは、拳を軽く握った。
「最後に、一つだけ」
「何でしょう?」
「俺は、手加減せんぞ」
その言葉と同時に。
男の身体から、膨大なオーラが立ち上った。
……っ!
俺は、反射的に纏を強めた。
圧力。
密度。
そして、オーラの安定性。
どれも、今まで出会った念能力者たちとは一段違う。
……強い。
間違いなく、熟練者だ。
ヴァルグは、俺を見つめた。
「準備はいいか?」
俺は、足を開いた。
重心を落とす。
そして、両手を構えた。
「……いつでも」
ヴァルグは、笑った。
「なら、始めよう」
◇
最初の一撃は、予想よりも速かった。
――ドンッ!
床が鳴った。
ヴァルグの姿が、視界から消える。
いや。
消えたのではない。
俺の視線が追いつく前に、間合いを詰められたのだ。
……速い!
右から、拳。
俺は、反射的に左腕を上げた。
――ガンッ!
衝撃が、腕を貫いた。
……重い!
ただの拳ではない。
堅で全身を守りながら、打撃の瞬間にオーラを集中させている。
流。
しかも、極めて高い精度だ。
俺は、身体を捻った。
続く左拳を避ける。
だが。
……っ!
ヴァルグの膝が、腹部へ迫っていた。
俺は、両腕を下げた。
――ドゴッ!
鈍い音。
身体が、後方へ押し出される。
俺は、床を滑りながら体勢を立て直した。
……なるほど。
打撃の連携が、異様に滑らかだ。
一撃ごとに、次の攻撃へ繋がる位置を取っている。
防御しても、次の攻撃が来る。
避けても、別の角度から追撃される。
俺は、呼吸を整えた。
……厄介だな。
ヴァルグは、こちらを見ていた。
「どうした? まだ始まったばかりだぞ」
俺は、軽く息を吐いた。
「……そうですね」
そして。
地面を蹴った。
◇
今度は、俺から仕掛けた。
右足を踏み込む。
低い姿勢から、左拳を突き出す。
ヴァルグは、腕で受けた。
――バンッ!
衝撃が、空気を震わせる。
俺は、すぐに右拳を放った。
だが、男は身体を半歩ずらして避ける。
……なら!
俺は、足を払った。
ヴァルグの重心が、わずかに揺れる。
その瞬間。
俺は、肘を打ち込んだ。
――ゴッ!
男の肩へ、肘が当たる。
だが。
……硬い!
オーラが、瞬時に集中していた。
流による防御。
俺の攻撃を、完全に読んでいる。
ヴァルグは、口元を吊り上げた。
「いい踏み込みだ」
次の瞬間。
男の拳が、俺の顔面へ迫った。
俺は、首を傾けた。
拳が、頬を掠める。
皮膚が裂けた。
……っ!
血が、頬を伝う。
俺は、すぐに距離を取った。
ヴァルグは追ってこない。
俺を観察している。
……試されてるな。
俺は、指先で頬の血を拭った。
傷は浅い。
回復能力を使うほどではない。
それに、試験中に使うつもりもない。
俺は、ヴァルグへ視線を向けた。
……さて。
相手は、熟練の念能力者。
身体能力も高い。
技術もある。
そして、経験では俺を大きく上回っている。
正面から力比べを続ければ、消耗するだけだ。
俺は、静かに呼吸を整えた。
……なら、戦い方を変える。
◇
次の攻防は、さらに激しくなった。
俺は、速度を上げた。
ヴァルグの右側へ回り込む。
拳。
蹴り。
肘。
そして、足払い。
攻撃を連続させながら、相手の反応を観察する。
ヴァルグは、すべてに対応していた。
だが。
……少しずつ、見えてきた。
男は、右側からの攻撃に対して、わずかに反応が遅れる。
怪我の後遺症か。
それとも、単なる癖か。
俺は、さらに攻撃を重ねた。
右。
左。
そして、右。
ヴァルグは、すべて受け流す。
だが。
……今だ!
俺は、右拳を放つと見せかけた。
ヴァルグの腕が、わずかに動く。
その瞬間。
俺は、身体を沈めた。
そして、左足で踏み込む。
狙いは、男の右脇腹。
拳へ、オーラを集中させる。
硬。
――ドンッ!
拳が、脇腹へ突き刺さった。
ヴァルグの身体が、わずかに浮いた。
「……ぐっ!」
初めて、男の口から苦悶の声が漏れた。
俺は、追撃しようとした。
だが。
……っ!?
ヴァルグの左拳が、俺の顎へ迫っていた。
俺は、反射的に身体を捻った。
だが、完全には避けられない。
――ガッ!
衝撃が、顎を打った。
視界が揺れる。
俺は、後方へ跳んだ。
着地。
だが、足元が一瞬ふらついた。
……効いたな。
俺は、歯を食いしばった。
顎への打撃。
脳が揺さぶられた。
普通の人間なら、意識を失っていてもおかしくない。
だが、俺は倒れなかった。
ヴァルグは、脇腹を押さえながら笑った。
「……やるな」
俺は、呼吸を整えた。
「……そちらこそ」
男は、ゆっくりと構え直した。
「久しぶりだ。ここまで殴り合える相手は」
俺は、拳を握った。
……まだ、終わらない。
◇
それから、何度も拳が交差した。
床を蹴る音。
肉体がぶつかる音。
そして、オーラが衝突する音。
訓練場の壁際に立つ職員たちは、ほとんど動けずにいた。
彼らの目には、二人の動きが断続的にしか映っていなかった。
俺は、呼吸を乱しながらヴァルグの攻撃を避けた。
……速い。
だが、最初ほどではない。
相手の動きが、少しずつ読めるようになってきた。
肩の動き。
腰の回転。
足の向き。
そして、オーラの流れ。
俺は、凝を使って男の身体を観察した。
……右腕に集中。
次は、右拳か。
ヴァルグが踏み込んだ。
俺は、半歩だけ後ろへ下がる。
拳が、鼻先を通過する。
そして。
男の懐へ潜り込んだ。
……ここだ!
俺は、左拳を突き上げた。
狙いは、顎。
だが、ヴァルグは腕を下げた。
……読まれた!
俺は、すぐに攻撃を切り替えた。
拳を引く。
そして、身体を回転させる。
右肘。
ヴァルグのこめかみへ。
――ゴッ!
衝撃が走った。
男の頭が、わずかに横へ振れる。
だが。
次の瞬間。
ヴァルグの膝が、俺の腹部へ突き刺さった。
――ドゴッ!
「……っ!」
肺から、空気が押し出された。
俺は、後方へ吹き飛ばされた。
床へ着地。
だが、膝が崩れる。
……まずい。
俺は、片手を床へついた。
呼吸が、苦しい。
腹部への打撃。
しかも、念による強化が加わっている。
俺は、歯を食いしばった。
……まだだ。
ここで倒れるわけにはいかない。
ヴァルグは、こちらを見ていた。
「……どうした?」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
「……まだ、やれます」
男は、笑った。
「そうか」
そして。
再び構えた。
◇
戦闘開始から、十五分ほどが経過していた。
俺の身体には、いくつもの打撲ができていた。
頬の傷。
腹部の痛み。
右肩の痺れ。
そして、呼吸の乱れ。
対して、ヴァルグも無傷ではない。
脇腹への打撃。
こめかみへの肘。
そして、何度か命中させた拳。
男の動きにも、わずかな疲労が見え始めていた。
……あと少し。
俺は、静かに呼吸を整えた。
ここから先は、技術だけではない。
相手の判断を、一瞬だけ狂わせる必要がある。
俺は、ヴァルグを見た。
男は、正面からこちらを見据えている。
……正面からの攻撃は、ほぼ読まれる。
ならば。
俺は、わずかに構えを変えた。
右足を前へ。
左手を低く。
そして、右拳を胸の高さへ。
ヴァルグの目が、細くなった。
「……構えを変えたか」
俺は、答えなかった。
そして。
踏み込んだ。
右拳。
ヴァルグが受ける。
左拳。
男が避ける。
俺は、さらに踏み込んだ。
だが。
その瞬間。
わざと、足を滑らせた。
……っ!?
ヴァルグの視線が、わずかに下がった。
俺の重心が崩れたように見えたのだろう。
当然だ。
実際に、崩している。
だが。
それは、予定通りだった。
俺は、倒れ込む勢いを利用した。
そして、床へ片手をつく。
身体を回転させる。
低い位置から、足を振り抜いた。
狙いは、ヴァルグの膝裏。
――バンッ!
男の足が、わずかに浮いた。
重心が崩れる。
俺は、その瞬間を逃さなかった。
床を蹴る。
身体を跳ね上げる。
そして。
ヴァルグの懐へ飛び込んだ。
右拳へ、オーラを集中。
硬。
狙いは、みぞおち。
……決める!
――ドンッ!!
拳が、深く突き刺さった。
ヴァルグの身体が、後方へ押し出される。
男の口から、息が漏れた。
「……ぐ、ぉ……!」
俺は、追撃しようとした。
だが。
ヴァルグは、倒れなかった。
それどころか。
男の右腕が、俺の首へ伸びてきた。
……っ!
俺は、反射的に身体を捻った。
だが、間に合わない。
腕が、首へ巻きつく。
……締め技!?
ヴァルグは、俺の身体を引き寄せた。
そして、地面へ倒れ込む。
……まずい!
このままでは、絞め落とされる。
俺は、瞬時に判断した。
首を守る。
同時に、相手の腕を外す。
だが、ヴァルグの力は強い。
しかも、オーラによる強化が加わっている。
……なら!
俺は、身体を捻った。
そして、男の腕を掴む。
関節の向き。
力の流れ。
そして、重心。
すべてを、一瞬で読み取る。
俺は、足を床へ押しつけた。
身体を回転させる。
そして。
ヴァルグの腕を、逆方向へ捻った。
……ゴキッ!
鈍い音が響いた。
男の表情が、歪む。
「……っ!」
俺は、さらに力を加えた。
腕を極める。
同時に、身体を押さえ込む。
ヴァルグは、抵抗した。
だが、俺は離さなかった。
……このままなら、関節が壊れる。
俺は、静かに言った。
「……これで、詰みです」
ヴァルグは、歯を食いしばった。
数秒。
沈黙。
そして。
「……参った」
低い声が、響いた。
俺は、すぐに腕を離した。
ヴァルグは、ゆっくりと身体を起こした。
そして、苦笑した。
「……やられたな」
俺は、荒い呼吸を整えながら頭を下げた。
「……ありがとうございました」
男は、俺を見た。
そして。
笑った。
「第三次試験、合格だ」
◇
試験終了後。
俺は、訓練場の壁際に座り、呼吸を整えていた。
身体のあちこちが痛む。
特に、腹部と右肩。
頬の傷も、まだ血が滲んでいる。
だが、意識ははっきりしていた。
……勝った。
それも、かなり危なかった。
ヴァルグの実力は、予想以上だった。
発を使わない条件でも、あれほど強い。
もし互いに全力で念能力を使っていたら、どうなっていたかわからない。
俺は、静かに息を吐いた。
……まだまだ、修行が必要だな。
ヴァルグは、医療班から簡単な処置を受けていた。
俺が極めた腕は、軽い脱臼を起こしていたらしい。
だが、男は平然とした顔をしている。
俺は、少しだけ申し訳なく思った。
……やりすぎたか。
だが、あの場面では手加減する余裕がなかった。
ヴァルグも、それを理解しているのだろう。
治療を終えた男は、こちらへ歩いてきた。
「アオ」
「……はい」
「いい戦いだった」
俺は、軽く頭を下げた。
「ありがとうございました」
ヴァルグは、頷いた。
「お前は、身体能力も念の扱いも優れている。だが、まだ経験が足りん」
俺は、静かに頷いた。
「……自覚しています」
「ならいい」
男は、少しだけ笑った。
「今後も鍛錬を怠るな」
「はい」
俺は、立ち上がった。
……さて。
リリアの試合は、どうなっただろう。
俺は、出口へ視線を向けた。
「……ほかの試合は、もう終わっていますか?」
ヴァルグは、少しだけ表情を変えた。
……ん?
俺は、違和感を覚えた。
男は、数秒間黙っていた。
そして。
「……お前の連れについてだが」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の胸に、嫌な予感が走った。
◇
午後三時二十五分。
俺は、案内係に連れられ、闘技場の通路を歩いていた。
だが、向かっているのは待機室ではない。
医療区画だった。
……何があった?
俺は、歩く速度を上げた。
案内係の男は、困ったような顔をしている。
「……落ち着いてください」
「何があったんですか?」
俺の声は、自分でも驚くほど低かった。
男は、少しだけ言い淀んだ。
「……試合中に、事故がありまして」
「事故?」
「受験番号二番の少女が、重傷を負いました」
俺は、足を止めた。
……リリアが?
男は、続けた。
「対戦相手の剣士による攻撃で、腕に重大な損傷を負いまして……」
俺は、男を見た。
「……どの程度ですか?」
男は、視線を逸らした。
「……左腕の一部が、切断されています」
その瞬間。
頭の中が、真っ白になった。
……何だって?
切断。
腕の一部が。
……リリアの?
俺は、拳を握った。
爪が、手のひらへ食い込む。
……待て。
落ち着け。
まだ、状況がわからない。
俺は、ゆっくりと息を吸った。
「……生きていますか?」
男は、すぐに頷いた。
「はい。命に別状はありません。現在、治療室で処置を受けています」
俺は、目を閉じた。
……そうか。
生きている。
それだけは、確認できた。
だが。
……どうして。
俺は、昨日の会話を思い出した。
『勝てないと思ったら、無理に勝とうとしないことだ』
『危ないと思ったら、すぐに降参すること』
リリアは、頷いていた。
約束すると言っていた。
だが。
実際の戦闘では、判断が間に合わないこともある。
相手が降参を待ってくれるとは限らない。
俺は、奥歯を噛みしめた。
……俺は、何をしていた?
自分の試験に集中していた。
ヴァルグとの戦闘。
それだけを考えていた。
その間に。
リリアが、こんな目に遭っていた。
俺は、拳を握り直した。
……いや。
今は、自分を責めている場合じゃない。
俺には、できることがある。
あの能力。
転生のときに与えられた、回復の力。
一日に三回まで。
傷も、病も、呪いも癒やす力。
……使えば、治せる。
腕の欠損も。
重傷も。
すべて。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
……ただし。
人前で使えば、確実に目立つ。
念能力者なら、異常な回復能力だと気づくだろう。
しかも、俺の回復能力は、通常の念能力とは違う。
どこまで説明できるかもわからない。
だが。
そんなことは。
……今は、どうでもいい。
俺は、案内係へ視線を向けた。
「……治療室は、どこですか?」
男は、奥の通路を指差した。
「この先です」
俺は、歩き始めた。
今度は、足を止めなかった。
◇
医療区画の廊下には、消毒液の匂いが漂っていた。
白い壁。
明るい照明。
そして、いくつもの扉。
俺は、案内係に従って奥へ進んだ。
やがて、一つの扉の前で足を止める。
扉の上には、赤いランプが点灯していた。
『処置中』
俺は、静かにその文字を見つめた。
……リリア。
扉の向こうでは、医療班が治療を行っている。
俺は、すぐに入ろうとはしなかった。
まずは、医師の処置を邪魔しないこと。
そして、彼女の状態を正確に把握すること。
それが先だ。
俺は、壁へ背中を預けた。
身体の痛みが、急に強く感じられた。
ヴァルグとの戦闘で負った傷。
腹部の打撲。
肩の痺れ。
頬の裂傷。
だが、そんなものは気にならなかった。
俺は、扉を見つめた。
……頼む。
生きていてくれ。
医師の言葉では、命に別状はないという。
だが、実際に顔を見るまでは安心できなかった。
数分後。
赤いランプが消えた。
扉が開く。
白衣を着た医師が、姿を現した。
俺は、すぐに近づいた。
「……リリアは?」
医師は、俺を見た。
「君は?」
「……一緒に試験を受けている者です」
医師は、少しだけ考えた。
そして、頷いた。
「……命は助かりました」
俺は、息を吐いた。
だが、医師は続けた。
「ただし、左前腕の切断を含む重傷です。出血は止めましたが、今後の治療には時間がかかります」
俺は、静かに頷いた。
……そうか。
左前腕。
手首より上。
そこから先を失ったということか。
俺は、目を閉じた。
……リリア。
あの少女が。
昨日まで、地図を片手に笑っていた少女が。
今は、治療室で眠っている。
俺は、拳を握った。
……絶対に。
治してやる。
俺には、その力がある。
使わない理由なんて、どこにもない。
俺は、医師へ尋ねた。
「……会えますか?」
医師は、少しだけ考えた。
「短時間なら。ただし、まだ意識は戻っていません」
俺は、頷いた。
「……ありがとうございます」
そして。
治療室の扉へ手を伸ばした。
その向こうにいる少女へ。
俺は、今度こそ自分の手を届かせるために。