流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
1984年。
第六十九回ハンター試験。
第三次試験の終了から、一夜が明けた。
午前八時。
俺は、試験会場に併設された宿泊施設の一室で目を覚ました。
窓の向こうには、雲の少ない青空が広がっている。昨夜降った雨の名残だろう。中庭の石畳が朝日を受けて鈍く光っていた。
ベッドから起き上がり、身体を軽く動かす。
痛みはない。
昨日、ヴァルグとの戦闘で負った傷は、回復能力によって完全に治っている。
念の消耗も回復済みだ。
ただ、頭の中には昨日の出来事が残っていた。
ヴァルグとの戦闘。
リリアの重傷。
そして、クロウ・ベルガー。
あの男の名前を思い浮かべると、自然と眉間に力が入った。
第三次試験の結果、最終試験へ進むことになったのは六名。
その中に、クロウも含まれている。
快楽殺人者。
複数の都市で殺人事件を起こし、指名手配されている男。
それでも、ハンター試験の受験資格は失われなかった。
協会の規則がそうなっている以上、俺が異議を唱えたところで結果は変わらない。
だが、だからといって納得できる話でもなかった。
俺は洗面台で顔を洗い、鏡を見た。
黒い髪。
黒い瞳。
十歳の少年の顔。
流星街で目を覚ました頃と比べれば、随分と成長した。
それでも、前世の自分を思い出すと、まだ奇妙な感覚が残る。
……ハンター試験も、いよいよ最後か。
俺はタオルで顔を拭いた。
そして、部屋を出た。
◇
午前九時。
最終試験の参加者六名は、闘技場の上層階にある会議室へ集められた。
室内は、これまでの試験会場とはまるで雰囲気が違っていた。
広い窓。
磨かれた木製の床。
中央には大きな円卓。
壁には、ハンター協会の紋章が掲げられている。
俺は、空いている椅子へ腰を下ろした。
周囲には、見覚えのある顔が並んでいる。
受験番号三番の大柄な斧使い。
小柄な老人。
眼鏡を掛けた青年。
そして、第三次試験を突破した女性。
この四人が、俺とクロウ以外の最終試験参加者だった。
斧使いの男は、腕を組んで座っている。
老人は静かに茶を飲み、眼鏡の青年は緊張した様子で資料を眺めていた。
女性は窓際に立ち、外を見ている。
そして。
部屋の隅には、黒髪の剣士がいた。
クロウ・ベルガー。
細身の身体。
後ろで束ねた黒髪。
腰には、細身の剣。
昨日と変わらない、薄い笑みを浮かべている。
俺は、彼を一度だけ見た。
それ以上、視線を向けなかった。
今ここで争っても、何も得られない。
それに、試験はまだ終わっていない。
まずは、正式にハンターになること。
その後のことは、資格を手に入れてから考える。
俺は、円卓の上に置かれた水を一口飲んだ。
そのとき。
会議室の扉が開いた。
「ほっほっほ。待たせたのう」
聞き覚えのある声ではない。
だが、その姿には見覚えがあった。
長い白髪。
特徴的な髭。
細い身体。
そして、穏やかな笑顔。
……ネテロ。
俺は、思わず姿勢を正した。
ハンター協会会長。
アイザック=ネテロ。
原作を知っている俺にとって、その名は特別な意味を持っている。
人類でも屈指の武人。
長い年月を修行に捧げ、常識外れの境地へ到達した男。
そして、かつてキメラアントの王と戦った人物。
その本人が、今、目の前に立っている。
ネテロは、俺たち六人を見回した。
「さて。第六十九回ハンター試験も、いよいよ最後じゃ」
老人は、ゆっくりと椅子へ腰掛けた。
「最終試験の内容は、わしとの面接じゃよ」
室内が静まり返った。
◇
「……面接?」
最初に声を上げたのは、斧使いの男だった。
「最後の試験が、面接なのか?」
「そうじゃ」
ネテロは、楽しそうに笑った。
「何か不満かの?」
「いや……」
男は、頭を掻いた。
「もっと派手な試験があると思ってたからよ」
「ほっほっほ。戦いたいなら、あとで相手をしてやってもよいぞ」
その言葉に、俺は思わずネテロを見た。
……いや、それはやめた方がいい。
今の斧使いでは、勝負にすらならないだろう。
幸い、男も何かを察したらしい。
「……遠慮しとく」
ネテロは、満足そうに頷いた。
「うむ。賢明じゃな」
そして、全員へ視線を向けた。
「面接は一人ずつ行う。内容は簡単じゃ。なぜハンターになりたいのか、何を目指しているのか、これからどう生きたいのか」
老人は、指を一本立てた。
「それを、わしに聞かせてもらう」
眼鏡の青年が手を挙げた。
「……面接の結果によって、不合格になることもあるのですか?」
ネテロは、少しだけ目を細めた。
「もちろん、最終試験である以上、評価はする」
そこで、言葉を切る。
「ただし、今回は少々事情が違う」
俺は、眉を上げた。
ネテロは、六人を見回した。
「第一次試験から第三次試験までの結果を確認した。おぬしらは、それぞれ異なる資質を示しておる」
老人は、穏やかな声で続けた。
「今回の最終試験では、能力の優劣を競わせるつもりはない。わしが知りたいのは、おぬしら自身の考えじゃ」
……なるほど。
最後は、人物を見るということか。
俺は、静かに頷いた。
だが、ネテロの視線がクロウへ向いた瞬間、室内の空気が変わった。
「もちろん、過去に何をしてきたかも、話してもらうつもりじゃ」
クロウは、薄く笑った。
「……楽しみにしていますよ、会長」
ネテロは、その笑みに動じなかった。
「ほっほっほ。わしもじゃ」
穏やかな声。
だが、俺にはわかった。
ネテロは、クロウを見ている。
ただの受験者としてではなく、一人の危険人物として。
それでも、試験から排除するつもりはないらしい。
俺は、拳を軽く握った。
……協会の方針か。
少なくとも、ここで感情的に動くべきではない。
◇
面接は、受験番号の順番ではなかった。
最初に呼ばれたのは、小柄な老人。
次に眼鏡の青年。
その後、女性、斧使いと続いた。
それぞれ、二十分から三十分ほどで戻ってきた。
内容について尋ねても、皆、詳しくは話さなかった。
ただ、表情はどこか晴れやかだった。
そして。
「次は、受験番号一番。アオ」
案内係が、俺の名前を呼んだ。
俺は立ち上がった。
廊下を進み、奥の部屋へ入る。
そこには、ネテロが一人で座っていた。
大きな窓から、午前の日差しが差し込んでいる。
部屋の中央には、小さな机。
その上には、茶器が置かれていた。
「ほっほっほ。来たか、アオ」
「はい」
俺は、軽く頭を下げた。
ネテロは、向かいの椅子を指差した。
「まあ、座りなさい」
「失礼します」
俺は、椅子へ腰を下ろした。
ネテロは、茶を注ぎながら俺を見ていた。
その視線は、穏やかだった。
だが。
……見られているな。
表情。
呼吸。
姿勢。
そして、オーラの状態。
何もかもを観察されているような感覚があった。
俺は、自然体を保った。
ネテロは、茶碗を差し出した。
「飲むかの?」
「いただきます」
俺は、茶を一口飲んだ。
香りがよく、渋みも控えめだった。
ネテロは、満足そうに頷いた。
「さて、アオ。まずは聞こうかの」
「はい」
「おぬしは、なぜハンターになりたい?」
俺は、少し考えた。
そして、答えた。
「……自由に生きるためです」
ネテロは、目を細めた。
「自由?」
「はい」
俺は、茶碗を置いた。
「行きたい場所へ行き、会いたい人に会い、助けたいと思った人を助ける。そういう生き方をしたいんです」
ネテロは、黙って聞いていた。
「そのためには、力も必要です。知識も、人脈も、行動できる立場も」
俺は、静かに続けた。
「ハンター資格は、そのための大きな助けになると思っています」
ネテロは、ゆっくりと頷いた。
「……なるほどのう」
老人は、茶を一口飲んだ。
「では、もう一つ聞こう」
「はい」
「おぬしにとって、強さとは何じゃ?」
俺は、少しだけ考えた。
……強さ。
単純な腕力ではない。
念の技量だけでもない。
俺は、これまでの出来事を思い出した。
流星街。
人身売買組織との戦い。
サラサたちの救出。
そして、リリア。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「……自分の選択を、最後まで貫ける力だと思います」
ネテロは、黙っていた。
「何かを守りたいと思っても、力がなければ守れないことがあります。逆に、力があっても、判断を間違えれば誰かを傷つける」
俺は、老人を見た。
「だから、強さには技術だけじゃなく、判断力も必要だと思っています」
ネテロは、しばらく俺を見つめた。
そして。
「ほっほっほ」
楽しそうに笑った。
「十歳の子供とは思えん答えじゃな」
俺は、少しだけ肩をすくめた。
「……いろいろ、経験しましたから」
「そうじゃろうな」
ネテロは、頷いた。
そして、表情を変えた。
「さて、ここからが本題じゃ」
俺は、姿勢を正した。
ネテロは、俺を見据えた。
「おぬし、念を使えるそうじゃな」
「はい」
「第三次試験では、ヴァルグを相手に発を使わず勝利したと聞いておる」
俺は、頷いた。
「……かなり苦戦しました」
「当然じゃ。あやつも、長年鍛えておるからのう」
ネテロは、少しだけ笑った。
「だが、おぬしの念の技量は、相当なものらしい」
俺は、黙っていた。
老人は、続けた。
「纏、絶、練、凝、堅、硬、流。さらに円まで扱えるそうじゃな」
「はい」
「しかも、自己流で?」
俺は、少し考えた。
「……基本的には、そうです」
ネテロは、顎髭を撫でた。
「ふむ」
そして。
「アオ」
「はい」
「おぬし、今よりさらに強くなりたいか?」
俺は、顔を上げた。
ネテロは、真剣な表情だった。
「念の技術も、戦闘技術も。今より遥かに高い境地を目指したいと思うか?」
その問いに、迷いはなかった。
俺は、強く頷いた。
「……はい」
ネテロは、目を細めた。
「理由は?」
俺は、静かに答えた。
「……まだ、足りないからです」
ヴァルグとの戦い。
あれほど苦戦した。
そして、リリアの負傷。
俺は、彼女を治すことはできた。
だが、傷つく前に守ることはできなかった。
もちろん、すべての人間を守れるわけではない。
それでも。
もっと強くなれば、選べる道は増える。
俺は、ネテロを見た。
「……もっと、強くなりたいです」
ネテロは、しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくりと笑った。
「……よかろう」
◇
「アオ。おぬしに、一つ提案がある」
ネテロは、茶碗を置いた。
「心源流拳法を知っておるか?」
俺は、頷いた。
「……名前だけは」
もちろん、原作の知識では知っている。
ネテロが創始した武術。
念の修行と密接に関わる流派。
後に、ウイングやビスケットといった念能力者たちにも繋がる体系だ。
ネテロは、穏やかな声で続けた。
「わしが開いた武術の流派じゃ。念の基礎から応用、身体操作、格闘技術まで、体系的に学ぶことができる」
俺は、静かに聞いていた。
「おぬしは、すでに高い技量を持っておる。だが、自己流には限界もある」
ネテロは、俺を見た。
「無意識の癖。力の配分。技術の繋がり。そうしたものを、体系的に学ぶことで修正できる」
俺は、頷いた。
……確かに。
俺は、念の修行をほとんど独学で進めてきた。
原作の知識。
流星街での実戦。
そして、才能による試行錯誤。
それらを組み合わせて、ここまで来た。
だが、正しい師の下で学んだ経験はない。
だからこそ、技術の偏りがある可能性は高い。
ネテロは、続けた。
「もし望むなら、心源流の総本山で修行してみんか?」
俺は、目を見開いた。
……総本山?
ネテロが創始した流派の中心。
そこで、直接指導を受けられるということか。
「……本当に、いいんですか?」
「ほっほっほ。わしが誘っておるんじゃ。遠慮はいらん」
俺は、少しだけ考えた。
修行。
体系化された技術。
そして、心源流。
これ以上ない機会だ。
俺は、深く頭を下げた。
「……ぜひ、お願いします」
ネテロは、満足そうに頷いた。
「うむ。決まりじゃな」
そして、少しだけ笑った。
「ただし、覚悟しておくことじゃ」
「……覚悟?」
「心源流の修行は、楽ではないぞ」
俺は、静かに頷いた。
「……承知しています」
ネテロは、楽しそうに笑った。
「ほっほっほ。よい返事じゃ」
俺は、茶碗を置いた。
……心源流か。
今までとは、違う修行が始まる。
自己流ではなく、正しい技術を学ぶ。
それは、俺にとって大きな転機になるだろう。
◇
午後一時。
六人すべての面接が終了した。
俺たちは、再び会議室へ集められた。
ネテロは、中央に立っている。
その表情は、相変わらず穏やかだった。
「さて、諸君」
老人は、六人を見回した。
「面接は、すべて終了した」
室内に、緊張が走る。
俺は、静かに息を吸った。
ネテロは、ゆっくりと口を開いた。
「第六十九回ハンター試験、最終結果を発表する」
そして。
「最終試験参加者六名、全員合格じゃ」
一瞬。
誰も声を出さなかった。
そして。
「……おおっ!」
斧使いの男が、拳を突き上げた。
眼鏡の青年は、椅子へ深く座り込んだ。
女性は、ほっとしたように息を吐く。
小柄な老人は、静かに目を閉じた。
俺も、ゆっくりと息を吐いた。
……合格か。
ハンター試験。
長いようで、短い時間だった。
流星街を出てから、ここまで来た。
そして、ついに。
ハンターになる資格を手に入れた。
ネテロは、笑顔で続けた。
「おぬしらは、今日から正式なプロハンターじゃ」
協会職員が、六枚のカードを運んできた。
ハンターライセンス。
俺は、自分の名前が記されたカードを受け取った。
手のひらに収まる、小さな一枚。
だが、その価値は計り知れない。
俺は、カードを見つめた。
……これが。
ハンターライセンス。
前世では、漫画の中でしか見たことのなかったもの。
それが今、俺の手の中にある。
俺は、静かにカードを握った。
……ようやく、一つ目の目標を達成したな。
◇
合格発表の後。
俺たちは、会議室の隣にある談話室へ移動した。
そこには、軽食と飲み物が用意されていた。
斧使いの男が、俺へ近づいてきた。
「おい、アオ!」
俺は、顔を上げた。
「……はい?」
「お前、ヴァルグ試験官に勝ったんだってな!」
男は、豪快に笑った。
「すげえじゃねえか!」
俺は、少しだけ肩をすくめた。
「……かなり苦戦しましたけど」
「それでも勝ったんだろ? 十分だ!」
男は、俺の肩を軽く叩いた。
「俺は、バルドだ。よろしくな!」
「……アオです」
俺は、頷いた。
続いて、眼鏡の青年が近づいてきた。
「僕は、セイン。よろしく」
「よろしくお願いします」
小柄な老人も、ゆっくりと歩いてきた。
「わしは、ロウエンじゃ」
俺は、軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
最後に、女性が近づいてきた。
「私は、カレン。よろしくね」
「……よろしくお願いします」
こうして、俺は四人の名前を知った。
バルド。
セイン。
ロウエン。
カレン。
それぞれ、違う目的を持ってハンターになった者たちだ。
俺たちは、しばらく話をした。
そして。
「なあ、アオ」
バルドが、口を開いた。
「ホームコード、交換しねえか?」
俺は、少しだけ首を傾げた。
「……ホームコード?」
「ああ。連絡用の番号だよ。ハンター同士なら、持っておいて損はねえだろ」
俺は、頷いた。
……なるほど。
この世界では、ホームコードを使って連絡を取ることができる。
ハンターとして活動するなら、人脈は重要だ。
俺は、鞄から手帳を取り出した。
「……ぜひ」
四人と、順番にホームコードを交換する。
バルドは、豪快な字で番号を書いた。
セインは、丁寧な字。
ロウエンは、古風な筆記体。
カレンは、簡潔に番号だけを書いた。
俺も、自分のホームコードを伝えた。
こうして、四人との連絡手段ができた。
だが。
談話室の隅にいるクロウとは、誰も番号を交換しようとしなかった。
男は、薄い笑みを浮かべている。
俺は、そちらを見なかった。
◇
しばらくして。
バルドが、少しだけ表情を変えた。
「……そういや、あの嬢ちゃんはどうなった?」
俺は、顔を上げた。
「……リリアですか?」
「ああ。昨日、ひどい怪我をしたって聞いたからよ」
セインも、心配そうに尋ねた。
「命は、大丈夫だったの?」
俺は、頷いた。
「……はい。もう、回復しています」
四人は、ほっとしたように息を吐いた。
「そりゃよかった」
バルドが、笑った。
「……あんなことがあったからな」
カレンも、静かに頷いた。
「本当に、無事でよかったわ」
ロウエンは、顎髭を撫でた。
「若い命が失われずに済んだ。それだけでも、救いじゃ」
俺は、軽く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
四人は、それぞれの予定を話し始めた。
バルドは、危険生物の討伐を専門にするつもりらしい。
セインは、遺跡や古文書の調査。
ロウエンは、長年探している珍しい薬草の研究。
カレンは、各地を巡りながら医療支援を行いたいと言っていた。
それぞれ、目指す道が違う。
だが、全員がハンターになった。
その事実だけは、共通している。
やがて、四人は順番に旅立つことになった。
「また会おうぜ、アオ!」
バルドが、手を振った。
「……はい」
「困ったことがあったら、連絡してね」
セインが、笑った。
「ありがとうございます」
ロウエンは、静かに頷いた。
「また、どこかで会えるじゃろう」
カレンも、軽く手を振った。
「リリアちゃんにも、よろしく伝えて」
「……はい」
俺は、四人を見送った。
彼らは、それぞれの道へ歩き始めた。
そして。
談話室には、俺とクロウだけが残った。
◇
クロウは、窓際に立っていた。
その手には、ハンターライセンス。
男は、カードを眺めながら薄く笑っている。
俺は、静かに視線を向けた。
クロウも、こちらを見た。
「……アオ君、でしたね」
俺は、答えなかった。
男は、笑みを浮かべた。
「ヴァルグ試験官に勝ったそうですね。素晴らしい」
俺は、黙っていた。
「……あの少女とは、お知り合いで?」
その言葉に、俺の視線が鋭くなった。
クロウは、楽しそうに続けた。
「……ずいぶんと、仲がよさそうでしたね」
俺は、静かに口を開いた。
「……リリアに、何をしたか覚えていますか?」
クロウは、肩をすくめた。
「……試合をしただけですよ」
俺は、男を見据えた。
……そうか。
こいつは、本当に何とも思っていない。
リリアがどれほど苦しんだか。
どれほど怖い思いをしたか。
そんなことは、どうでもいいのだろう。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうですか」
クロウは、目を細めた。
「……怒っているんですか?」
俺は、答えなかった。
そして、踵を返した。
「……失礼します」
クロウは、背後で笑った。
「……また、どこかで会いましょう」
俺は、振り返らなかった。
だが。
その言葉だけは、はっきりと覚えていた。
◇
午後四時。
俺は、リリアのいる宿泊室を訪ねた。
少女は、ベッドの上で荷物を整理していた。
左腕は、完全に回復している。
表情も明るかった。
「アオ!」
リリアは、顔を上げた。
「……どうだった?」
俺は、軽く笑った。
「……合格したよ」
一瞬。
少女は、目を丸くした。
そして。
「……やったあああ!!」
勢いよく立ち上がった。
俺へ駆け寄り、両手を握る。
「おめでとう! アオ!」
「……ありがとう」
リリアは、嬉しそうに笑った。
「すごい! 本当にハンターになったんだね!」
「ああ」
俺は、ハンターライセンスを取り出した。
リリアは、それを興味深そうに眺めた。
「……これが、ハンターライセンス……」
少女は、目を輝かせた。
「……いいなあ」
俺は、少しだけ笑った。
「来年、また挑戦するんだろ?」
「……うん!」
リリアは、強く頷いた。
そして。
少しだけ、表情を変えた。
「……実はね、アオ」
「ん?」
「……私にも、話があるの」
俺は、首を傾げた。
「……何?」
リリアは、少しだけ緊張した様子で言った。
「……ミレーヌ試験官が、来てくれたんだ」
俺は、目を細めた。
……ミレーヌ?
第二次試験の試験官。
鬼ごっこと、かくれんぼを組み合わせた試験を担当していた女性だ。
リリアは、続けた。
「……私のこと、覚えてくれてたみたい」
俺は、頷いた。
「……それで?」
リリアは、少しだけ笑った。
「……弟子にならないかって、言われたの」
俺は、目を見開いた。
「……弟子?」
「うん!」
リリアは、嬉しそうに頷いた。
「……私の観察力とか、地形を読む力を褒めてくれて」
俺は、静かに聞いていた。
「……もっと鍛えれば、立派なハンターになれるって」
少女は、少しだけ視線を落とした。
「……でも、戦闘能力はまだ足りないから、基礎から教えてくれるって」
俺は、頷いた。
……なるほど。
ミレーヌは、リリアの才能を見抜いていたのか。
第二次試験でも、彼女の動きを高く評価していた。
それなら、弟子に誘ったことも理解できる。
「……どうするつもり?」
俺が尋ねると、リリアは顔を上げた。
その瞳には、迷いがなかった。
「……弟子になる!」
俺は、静かに頷いた。
「……そうか」
リリアは、拳を握った。
「……私、もっと強くなりたい!」
その声には、確かな決意があった。
俺は、少しだけ笑った。
「……いいと思う」
少女は、嬉しそうに頷いた。
◇
その後。
俺も、ネテロから心源流の総本山へ誘われたことを話した。
リリアは、驚いたように目を見開いた。
「……ネテロ会長に!?」
「ああ」
「……すごい!」
少女は、興奮した様子で身を乗り出した。
「……じゃあ、アオも修行するんだね!」
「そうなるな」
俺は、頷いた。
リリアは、少しだけ考えた。
そして。
「……そっか」
その声が、少しだけ小さくなった。
俺は、彼女を見た。
「……どうした?」
リリアは、少しだけ笑った。
「……しばらく、会えなくなるんだね」
俺は、静かに頷いた。
「……そうだな」
心源流の総本山。
ミレーヌの修行場所。
それぞれ、違う場所へ向かうことになる。
今までのように、一緒に旅を続けることはできない。
リリアは、しばらく黙っていた。
そして。
「……ねえ、アオ」
「ん?」
「……ホームコード、交換しよう?」
俺は、頷いた。
「……もちろん」
俺たちは、それぞれの手帳を取り出した。
ホームコード。
離れた場所にいても、連絡を取るための番号。
俺は、自分のコードを書き、リリアへ渡した。
リリアも、自分のコードを書いてくれた。
俺は、その番号を手帳へ記した。
……これで、連絡は取れる。
リリアは、嬉しそうに笑った。
「……これで、離れてても話せるね!」
「ああ」
俺は、頷いた。
「……修行が落ち着いたら、連絡するよ」
「……うん!」
少女は、強く頷いた。
そして。
少しだけ、真面目な表情になった。
「……アオ」
「ん?」
「……私、絶対に強くなるからね」
俺は、彼女を見た。
「……ああ」
「……次に会うときは、もっと頼れるようになってるから!」
俺は、少しだけ笑った。
「……楽しみにしてる」
リリアは、嬉しそうに頷いた。
◇
翌朝。
宿泊施設の前には、二台の車が停まっていた。
一台は、心源流の総本山へ向かうための車。
もう一台は、ミレーヌが用意したものだった。
俺は、荷物を肩へ掛けていた。
リリアも、鞄を背負っている。
その隣には、ミレーヌが立っていた。
「アオ君、おはよう!」
ミレーヌは、明るい声で挨拶した。
「……おはようございます」
俺は、軽く頭を下げた。
ミレーヌは、リリアの肩へ手を置いた。
「この子は、私が責任を持って鍛えるわ」
俺は、頷いた。
「……よろしくお願いします」
ミレーヌは、笑った。
「任せて!」
リリアは、少しだけ照れたように笑っていた。
俺は、彼女を見た。
「……じゃあ、リリア」
「……うん」
少女は、俺へ向き直った。
「……またね」
俺は、頷いた。
「……ああ。また」
リリアは、少しだけ笑った。
そして。
両手を広げた。
「……最後に、もう一回!」
俺は、少しだけ首を傾げた。
「……何?」
「……ぎゅーって!」
俺は、思わず苦笑した。
……まあ、いいか。
俺は、両手を広げた。
リリアが、飛びついてくる。
小さな身体を受け止める。
彼女は、俺の服を強く握った。
「……ありがとう、アオ」
俺は、静かに頷いた。
「……どういたしまして」
リリアは、少しだけ顔を上げた。
「……絶対、また会おうね」
「ああ」
俺は、彼女を見た。
「……約束だ」
少女は、嬉しそうに笑った。
そして、ゆっくりと離れた。
ミレーヌが、車の扉を開く。
「さあ、リリア。行くわよ!」
「はい!」
リリアは、元気よく返事をした。
そして、車へ乗り込んだ。
窓が開く。
「アオー!」
俺は、顔を上げた。
リリアが、大きく手を振っている。
「……またねー!」
俺も、手を振った。
「……またな!」
車が、ゆっくりと動き始めた。
リリアは、見えなくなるまで手を振っていた。
俺は、その姿を見送った。
……頑張れよ、リリア。
次に会うとき。
きっと、今よりずっと強くなっているだろう。
◇
リリアの車が見えなくなった後。
俺は、しばらくその場に立っていた。
心源流の総本山へ向かう車は、まだ出発していない。
運転手は、少し離れた場所で待っている。
俺は、鞄から手帳を取り出した。
そこには、いくつものホームコードが記されている。
バルド。
セイン。
ロウエン。
カレン。
そして、リリア。
俺は、手帳を閉じた。
……さて。
次は、俺の番だ。
ネテロの下で修行する。
念と戦闘技術を、さらに磨く。
それは、決まっている。
だが。
その前に。
俺には、やるべきことがあった。
俺は、静かに視線を上げた。
クロウ・ベルガー。
快楽殺人者。
リリアを傷つけた男。
そして、今は正式なプロハンターとなった人物。
あの男は、ハンターライセンスを手に入れた。
それによって、行動範囲はさらに広がるだろう。
これまで以上に、危険な存在になる可能性がある。
俺は、拳を握った。
……放っておくわけにはいかない。
俺は、ハンターライセンスを取り出した。
手のひらに収まる、小さなカード。
だが、この一枚には大きな力がある。
情報へのアクセス。
各種施設の利用。
そして、ハンターとしての活動権限。
俺は、カードを見つめた。
……これを使えば、調べられることも増える。
クロウの過去。
指名手配の内容。
そして、現在の居場所。
俺は、静かに息を吐いた。
……まずは、情報収集だ。
感情だけで動くつもりはない。
相手の実力も、行動も、まだ十分には把握していない。
だからこそ、慎重に進める必要がある。
俺は、運転手へ近づいた。
「……すみません」
男は、顔を上げた。
「はい?」
「……出発を、少しだけ遅らせてもらえますか?」
運転手は、少し驚いた顔をした。
「……何か、用事ですか?」
俺は、頷いた。
「……確認しておきたいことがあります」
男は、少し考えた。
「……わかりました。しばらくなら、お待ちします」
「ありがとうございます」
俺は、軽く頭を下げた。
そして。
宿泊施設の方へ、歩き始めた。
目的は、一つ。
クロウ・ベルガー。
あの男を、捕まえる。
ハンターになったばかりの俺にとって、最初の仕事になるかもしれない。
だが。
それでも、構わなかった。
俺は、静かに拳を握った。
……リリア。
お前は、前へ進め。
俺も、俺のやるべきことをやる。
そして。
すべてが終わったら。
心源流の総本山へ向かおう。
ネテロの下で、さらに強くなるために。
俺は、歩みを進めた。
その先に待つものを、まだ知らないまま。