流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第三十話 故郷への帰還、再会の約束

――一九八六年、春。

 心源流拳法総本山。

 山々を覆っていた雪が解け、木々の枝先に新しい緑が芽吹き始めたころ。

 アオがこの地で修行を始めてから、二年が経過しようとしていた。

 かつて流星街の瓦礫の山を歩き回っていた少年は、今や十二歳ほどの年齢になっている。

 背丈はさらに伸び、身体つきも以前より逞しくなった。

 だが、変化したのは外見だけではない。

 呼吸。

 歩き方。

 視線の運び。

 重心の移動。

 そして、全身を覆うオーラの流れ。

 そのすべてが、二年前とは別物になっていた。

「……ふっ!」

 乾いた打撃音が、朝の演武場に響く。

 アオの拳が、目の前の木製人形へ突き出された。

 しかし、拳は人形に触れていない。

 わずか数センチ手前。

 そこから放たれたオーラが、人形の胸部を打ち抜いた。

 ドンッ!

 固定されていた人形が大きく揺れる。

 だが、アオはその結果を見ても表情を変えなかった。

「……まだ少し散るな」

 自分の拳を見下ろす。

 今の一撃では、放出したオーラの一部が目標に届く前に拡散していた。

 威力そのものは十分だ。

 普通の人間が相手なら、直撃させる必要すらないだろう。

 だが、アオが求めているのは単なる威力ではなかった。

 少ない消費で、必要な効果を得ること。

 それが、この二年間で徹底的に叩き込まれた心源流の教えだった。

「もう一度」

 拳を引く。

 呼吸を整える。

 足裏から腰、背中、肩、肘、拳へ。

 身体の動きとオーラの流れを一致させる。

 放出。

 今度は、先ほどより小さな衝撃音が響いた。

 木製人形の胸に、鋭い打撃痕が残る。

 アオは目を細めた。

「……今の方がいい」

「そうね。ようやく余計な力が抜けてきたじゃない」

 背後から声がした。

 振り向くと、金髪の小柄な少女――のような姿をした女性が立っていた。

 ビスケット=クルーガー。

 アオの師の一人であり、心源流でも屈指の実力者だ。

「おはようございます、ビスケさん」

「おはよう。ずいぶん早いわね」

「目が覚めたので、少し復習を」

「少し、ねえ」

 ビスケは演武場の隅に積まれた、何十体もの練習用人形を見た。

 どれも、繰り返し打撃を受けた痕跡がある。

「その『少し』の基準、いい加減どうにかした方がいいんじゃない?」

「……気をつけます」

「絶対に気をつけない顔ね」

 ビスケは呆れたようにため息をついた。

 だが、その目には隠しきれない満足感があった。

 二年前、アオが初めて総本山へやって来たとき。

 彼女はその才能を一目で見抜いた。

 膨大なオーラ。

 異常な身体能力。

 戦闘に対する優れた直感。

 そして、何より修行を苦にしない精神力。

 磨けば光る原石だと思った。

 しかし、その予想は甘かった。

 原石どころではない。

 磨けば磨くほど、内部から新しい輝きが現れる。

 そんな、底の見えない宝石だった。

「今日は午前中、あたしと組手。午後はゲンザたちと合同訓練よ」

「わかりました」

「それと、会長が夕方に顔を出すって」

「ネテロ会長が?」

「ええ。何か見たいものがあるらしいわ」

 アオは少し考えた。

 このところ、ネテロはアオの成長を確かめるように、定期的に組手を申し込んでくる。

 もちろん、まだ一度も勝てていない。

 それどころか、相手が本気を出しているとは到底思えなかった。

 だが、以前とは違う。

 今なら、何をされたのか理解できる場面が増えていた。

「……楽しみです」

 アオがそう言うと、ビスケは苦笑した。

「本当に、変な子ね」

     ◇

 この一年。

 アオは、さらに多くの修行を積んでいた。

 基礎体力の向上。

 武術の反復。

 念の系統別修行。

 オーラの精密操作。

 そして、実戦を想定した戦闘訓練。

 最初の一年で身につけた技術を、より深く、より自然に使えるようにすることが目標だった。

 特に大きく成長したのは、流と円である。

 以前のアオは、相手の攻撃を見てからオーラを移動させることが多かった。

 今では、相手の動きや重心、視線、呼吸から次の攻撃を予測し、攻撃が届く前に必要な部位へオーラを集められるようになっていた。

 もちろん、予測が外れることもある。

 だからこそ、外れた場合の修正も繰り返し練習した。

 攻撃に集中しすぎれば、防御が薄くなる。

 防御を固めすぎれば、次の行動が遅れる。

 その両方を避けるため、オーラを全身へ滑らかに循環させる。

 ビスケは、その技術を徹底的に磨かせた。

「もっと速く!」

「はい!」

「違う! 速さじゃなくて、移動の始まりを早くするの!」

「はい!」

「そこ、肩に残ってる!」

 木刀が飛ぶ。

 アオは受け止める。

 だが、次の瞬間には足を払われた。

 床へ転がる。

「……まだまだですね」

「当然でしょ。あたしに追いつこうなんて、十年早いわ」

「十年で追いつけるなら、頑張ります」

「そういう意味じゃない!」

 ビスケの怒鳴り声が演武場に響く。

 それを聞いた門下生たちは、いつもの光景だと笑っていた。

 しかし、その笑顔には少しばかりの緊張も混じっていた。

 アオの成長は、すでに多くの門下生の理解を超えていたからだ。

 ある日、ゲンザは同僚の師範代へこう漏らした。

「去年までは、あいつの成長を見ているのが楽しかった」

「今は違うのか?」

「いや、楽しいさ。ただ……最近は少し怖い」

「怖い?」

「俺たちが十年かけて覚えたことを、あいつは一年で自分のものにしていく。しかも、ただ真似するんじゃない。自分なりに改良してくるんだ」

 師範代は苦笑した。

「化け物だな」

「……ああ。だが、あいつはそれを鼻にかけない」

 ゲンザは演武場で稽古を続ける少年を見つめた。

「だから、余計に厄介なんだよ」

     ◇

 念の修行では、円の精度も大きく向上していた。

 二年前、アオが安定して維持できた範囲は十五メートルほど。

 最大でも二十五メートルが限界だった。

 今では、五十メートル前後を安定して維持できる。

 さらに集中すれば、それ以上の範囲へ広げることも可能になった。

 ただし、広げれば広げるほど感知精度は落ちる。

 そのため、アオは単純な最大距離よりも、状況に応じた使い分けを重視していた。

 狭い範囲で精密に感知する円。

 広い範囲を大まかに探る円。

 そして、必要な瞬間だけ展開する円。

 それぞれを使い分けることで、消費するオーラを抑えながら索敵能力を高めていった。

 また、絶の技術も向上した。

 自分の気配を薄くし、足音を消し、周囲の環境へ溶け込む。

 念による気配の遮断と、身体操作による物理的な隠密。

 その二つを組み合わせることで、以前より遥かに高い隠密能力を得ていた。

 そして、変化系の基礎修行も進んでいた。

 オーラの形状を変化させ、刃や糸のように扱う。

 ただし、それはあくまで基本技術の応用であり、独立した発ではない。

 アオは、自身の特質系能力とは明確に区別していた。

 その発。

 『愚か者の宝物庫(ジャンキージャンクスロットマシーン)』。

 完成から一年が経過した今も、アオはその扱いに慎重だった。

 抽選には供物が必要。

 供物は永久に失われる。

 大当たりが出る保証もない。

 だからこそ、無意味に回すことはしなかった。

 この一年、アオは能力の具現化と解除、供物の価値を見極める感覚、抽選回数の管理などを確認していた。

 だが、新たな宝物を獲得することはなかった。

 以前に手に入れた『静寂の環』は、今も大切に保管している。

 アオはその指輪を、必要なときだけ使用していた。

 そして、宝物がなくても戦えるよう、武術と念の修行を何より優先していた。

     ◇

 その年の初夏。

 アオは、久しぶりに総本山を離れることになった。

 目的地は、流星街。

 生まれ育った故郷である。

「……帰るのね」

 出発前日。

 ビスケは、アオの荷物を眺めながら言った。

「はい。しばらく顔を見せていませんから」

「そう。まあ、たまにはいいんじゃない?」

 彼女は腕を組んだ。

「ただし、修行を忘れないこと」

「もちろんです」

「それと、変な連中に絡まれても、無駄な騒ぎを起こさないこと」

「……努力します」

「そこは即答しなさいよ!」

 アオは苦笑した。

 流星街。

 そこは、普通の街とは違う。

 国家の保護も、法律の秩序も十分には届かない。

 弱い者が搾取されることもあれば、外部から犯罪者が入り込むこともある。

 そして、アオには忘れられない出来事があった。

 サラサたちを狙った人身売買組織。

 あの事件の背後に、さらに大きな組織が存在している可能性。

 ハンター試験後に捕らえたクロウ・ベルガーの言葉も、今なお記憶に残っていた。

 だからこそ、帰郷には少しばかりの警戒も必要だった。

 だが、それ以上に。

 アオは、仲間たちに会いたかった。

「……行ってきます」

 アオが頭を下げると、ビスケは笑った。

「ええ。ちゃんと帰ってきなさいよ」

     ◇

 数日後。

 アオは、流星街へ到着した。

 遠くに見えるのは、どこまでも続く廃棄物の山。

 錆びた鉄骨。

 崩れた建物。

 黒ずんだ煙。

 乾いた風に乗って、金属と土埃の匂いが漂ってくる。

 懐かしい。

 そう思った自分に、アオは少し驚いた。

 普通の人間なら、こんな場所を故郷だとは思わないかもしれない。

 だが、アオにとっては違う。

 ここで目を覚まし。

 ここで食料を探し。

 ここで仲間と出会い。

 ここで生きることを学んだ。

 危険で、厳しく、決して優しい場所ではない。

 それでも、確かに自分の故郷だった。

「……帰ってきたな」

 アオは小さく呟いた。

 そして、懐かしい道を歩き始めた。

     ◇

 最初に向かったのは、ハザのもとだった。

 流星街でアオを支えてくれた、大切な人物。

 ハザの住む建物は、以前とほとんど変わっていなかった。

 古びた扉。

 補修された壁。

 窓際に置かれた工具。

 アオは扉を叩いた。

「……誰だ?」

 中から声がする。

「俺です。アオです」

 数秒の沈黙。

 そして。

 ガタンッ!

 何かが倒れる音がした。

 次の瞬間、扉が勢いよく開いた。

「……アオ!?」

 ハザが目を見開いていた。

 以前より少し痩せたようにも見えるが、鋭い眼差しは変わっていない。

「久しぶりです」

 アオが笑うと、ハザはしばらく言葉を失っていた。

 やがて、ゆっくりと口を開く。

「……お前、本当にアオか?」

「そうですよ」

「……でかくなったな」

「少しは」

「少しどころじゃねえだろ!」

 ハザは大きく笑った。

 そして、アオの肩を強く叩いた。

「よく帰ってきた!」

 その言葉に、アオの胸が温かくなった。

「……ただいま」

 自然と、そう答えていた。

     ◇

 ハザの家では、久しぶりに長い話をした。

 ハンター試験のこと。

 心源流総本山での修行。

 ネテロとビスケという二人の師。

 そして、この二年間で学んだこと。

 もちろん、アイテムボックスや回復能力の詳細、発の具体的な仕組みについては話さなかった。

 それらは、ネテロとビスケにだけ明かした秘密だった。

 ハザはアオの話を聞きながら、何度も感心したように頷いた。

「……ハンターになっただけでも驚いたが、今度はそんな連中に鍛えられてるのか」

「運が良かったんです」

「運だけでどうにかなる話じゃねえだろ」

 ハザは笑った。

「お前は昔から、決めたことは最後までやる奴だった」

 アオは少し照れくさくなった。

「……ありがとうございます」

「それで、いつまでいる?」

「数日ほどです」

「そうか。なら、あいつらにも会ってこい」

「あいつら?」

 ハザはにやりと笑った。

「クロロたちだよ。お前が帰ってきたって知ったら、きっと騒ぐぞ」

 アオは思わず笑った。

「……そうですね」

     ◇

 翌日。

 アオは、かつて仲間たちと過ごした場所へ向かった。

 古びた建物の一角。

 以前は子供たちが集まり、遊びや芝居の練習をしていた場所だ。

 近づくと、聞き覚えのある声がした。

「だから、そこはもう少し右だって!」

「うるせえな! わかってるよ!」

 アオは足を止めた。

 懐かしい声。

 思わず、口元が緩む。

 建物の中を覗くと、数人の少年少女が集まっていた。

 中心にいるのは、黒髪の少年。

 落ち着いた表情。

 鋭い眼差し。

 そして、年齢に似合わない静かな雰囲気。

 クロロ=ルシルフル。

 その隣には、大柄な少年がいた。

 ウボォーギン。

 以前よりさらに身体が大きくなっている。

 少し離れた場所では、マチが何かの布を縫っていた。

 そして。

「……あっ」

 一人の少女が、入口に立つアオに気づいた。

 サラサだった。

 彼女は一瞬、信じられないものを見るような顔をした。

 次の瞬間。

「アオ!?」

 大きな声が響いた。

 全員が振り向く。

 アオは軽く手を上げた。

「久しぶり」

 その瞬間、サラサが駆け出した。

「アオー!」

 勢いよく抱きついてくる。

 アオは少し驚きながらも、しっかり受け止めた。

「おっと……元気そうだな」

「元気だよ! アオこそ!」

 サラサは顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。

「本当に帰ってきたんだ!」

「ああ。約束したからな」

 サラサは嬉しそうに笑った。

 その姿を見て、アオは胸の奥が少し熱くなった。

 彼女は生きている。

 笑っている。

 仲間たちと一緒に、ここにいる。

 それだけで、十分だった。

「……アオ」

 静かな声がした。

 クロロだった。

 彼はアオを見つめ、わずかに微笑んだ。

「久しぶりだね」

「ああ。元気だったか?」

「うん。君も元気そうだ」

 クロロはアオの姿をじっと見た。

「……ずいぶん変わったね」

「そうか?」

「うん。前よりずっと、強くなってる」

 アオは少し驚いた。

 クロロはまだ本格的な念の修行を受けていないはずだ。

 それでも、何かを感じ取っているらしい。

 相変わらず、鋭い。

「まあ、修行してるからな」

 アオがそう答えると、横から大きな声が飛んできた。

「おい、アオ!」

 ウボォーギンだった。

 彼は満面の笑みを浮かべている。

「強くなったんだってな!」

「少しはな」

「じゃあ、勝負しようぜ!」

 アオは苦笑した。

「……再会して最初にそれか?」

「当たり前だろ!」

 ウボォーギンは拳を握った。

「前からお前とは、ちゃんと勝負してみたかったんだ!」

 マチが呆れたように言った。

「ウボォー、少しは落ち着きなよ」

「うるせえ! こういうのは早い方がいいんだ!」

 クロロは小さく笑った。

「……まあ、軽い組手くらいならいいんじゃないかな」

 アオは肩をすくめた。

「わかった。ただし、怪我しない程度にな」

「へっ! 言ってくれるじゃねえか!」

     ◇

 建物の外にある広場。

 アオとウボォーギンが向かい合った。

 周囲には、クロロ、マチ、サラサ、そして集まってきた仲間たちがいる。

 ウボォーギンは拳を鳴らした。

「手加減すんなよ!」

「いや、するぞ」

「何だと!?」

「本気でやったら組手にならないだろ」

 アオがそう言うと、ウボォーギンは一瞬きょとんとした。

 そして、豪快に笑った。

「ははは! 言うじゃねえか!」

 次の瞬間、彼は地面を蹴った。

 速い。

 同年代の少年としては、明らかに異常な速度だった。

 しかも、拳に込められた力も強い。

 アオは、その才能に改めて感心した。

(……やっぱり、ウボォーはすごいな)

 念を本格的に学ぶ前から、これだけの身体能力を持っている。

 将来、強化系の念能力者として成長する素質は十分だった。

 だが。

 今のアオにとっては、動きが見えすぎていた。

 拳を避ける。

 足をずらす。

 重心を崩す。

 ウボォーギンの身体が前へ流れる。

「うおっ!?」

 アオは背中へ軽く手を添え、転ばないよう支えた。

「一回目」

「……くそっ!」

 ウボォーギンはすぐに体勢を立て直した。

 再び突進する。

 今度は、途中で踏み込みを変えた。

 単純な力任せではない。

 相手の反応を見て、攻撃を修正している。

 アオは少し嬉しくなった。

(……成長してるな)

 だが、結果は変わらなかった。

 アオは拳を流し、足を払う。

 ウボォーギンは尻餅をついた。

「二回目」

「まだだ!」

 三回目。

 四回目。

 五回目。

 ウボォーギンは何度も挑んだ。

 そして、何度も転がされた。

 やがて、彼は大の字になって地面へ倒れた。

「……くっそー!」

 アオは笑いながら手を差し出した。

「いい動きだったぞ」

「慰めんな!」

「本当だ。前よりずっと速くなってる」

 ウボォーギンはしばらくアオを睨んでいた。

 だが、やがて大きく笑った。

「……ははっ! やっぱ強えな、お前!」

 アオも笑った。

「まだまだだけどな」

「嘘つけ!」

 周囲から笑い声が上がった。

 クロロはその様子を静かに見つめていた。

 アオの動きは、明らかに普通ではない。

 だが、それ以上に印象的だったのは、相手を傷つけないように力を制御していたことだった。

 圧倒的な力がありながら、必要以上に使わない。

 その姿勢に、クロロは何かを考え込んでいた。

     ◇

 その日の夕方。

 アオは、クロロと二人で少し離れた場所を歩いていた。

 空は赤く染まり、廃棄物の山々が長い影を落としている。

「……アオ」

 クロロが口を開いた。

「君は、外の世界で何を見てきた?」

 アオは少し考えた。

「いろいろだな。綺麗な街もあったし、危険な場所もあった。親切な人間も、どうしようもない奴もいた」

「……そう」

「でも、流星街と違うと思ったこともある」

「何?」

「外には、選択肢が多い」

 クロロは黙って聞いていた。

「学ぶ場所もある。働く場所もある。旅をすることもできる。もちろん、誰にでも平等に与えられてるわけじゃないけどな」

 アオは遠くを見た。

「だから、いつかお前たちにも見てほしいと思ってる」

 クロロは少し笑った。

「外の世界を?」

「ああ」

「……僕たちが外へ出ても、歓迎されるとは限らないよ」

「わかってる」

 アオは頷いた。

「それでも、見る価値はあると思う」

 クロロはしばらく黙っていた。

 やがて、静かに言った。

「……君は、流星街が嫌いになったわけじゃないんだね」

 アオは首を振った。

「嫌いになるわけないだろ」

 そう答えると、クロロは少し驚いた顔をした。

「ここは俺の故郷だ。ハザもいる。お前たちもいる。サラサも、マチも、ウボォーもいる」

 アオは笑った。

「大切な場所だよ」

 クロロは目を伏せた。

 そして、小さく頷いた。

「……そうか」

 二人はしばらく、黙って歩いた。

 やがてクロロが言った。

「また、帰ってくる?」

「ああ。必ず」

「……約束だよ」

「約束だ」

 二人は軽く拳を合わせた。

 夕陽が、その手を赤く照らしていた。

     ◇

 流星街での滞在は、数日間だった。

 アオはハザの仕事を手伝い、仲間たちと食事をし、サラサたちの近況を聞いた。

 サラサは以前と変わらず明るく、周囲の人間を笑顔にしていた。

 マチは手先の器用さをさらに磨いていた。

 ウボォーギンは相変わらず喧嘩好きで、暇さえあればアオへ勝負を挑んできた。

 クロロは仲間たちをまとめながら、何か新しいことを考えているようだった。

 そして、ミナも元気に暮らしていた。

 アオは、その光景を心に刻んだ。

 原作の知識があるからこそ、未来に何が起こるかわからないことを知っている。

 すでにサラサの運命は、大きく変わっていた。

 それでも、すべてが安全になったわけではない。

 人身売買組織の問題も残っている。

 流星街を狙う者たちが、完全に消えたわけではない。

 だからこそ、アオは自分にできることを考え続けた。

 力をつける。

 情報を集める。

 必要なときには、必ず動けるようにする。

 それが、今の自分にできる最善だった。

 そして、別れの日。

 サラサはアオの手を握った。

「また来てね!」

「ああ」

「今度はもっと長くいてよ!」

「できるだけな」

 ウボォーギンが拳を突き出した。

「次は負けねえぞ!」

「楽しみにしてる」

 マチは小さく手を振った。

「気をつけて」

「ありがとう」

 クロロは静かに頷いた。

「またね、アオ」

「ああ。またな」

 ハザは少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 アオが近づくと、彼は短く言った。

「……無茶するなよ」

「はい」

「強くなったからって、何でも背負い込むな」

 アオは少し驚いた。

 ハザは真剣な目をしていた。

「お前は昔から、誰かのためなら自分を後回しにするところがある」

「……そうですかね」

「そうだよ」

 ハザは肩をすくめた。

「だから、たまには自分のことも考えろ」

 アオは少し黙った。

 そして、ゆっくり頷いた。

「……わかりました」

 ハザは笑った。

「よし。行ってこい」

「……行ってきます」

 アオは深く頭を下げた。

 そして、流星街を後にした。

     ◇

 その年の秋。

 アオは、久しぶりに一通の連絡を受け取った。

 相手は、リリアだった。

 ハンター試験で出会い、互いに再会を約束した少女。

 彼女とは、この二年間、ホームコードを通じて何度も連絡を取り合っていた。

 だが、互いに修行が忙しく、直接会う機会はなかなか作れなかった。

 今回、ようやく予定が合ったのだ。

『アオ! 久しぶり! 今度、近くまで行くことになったんだけど、会える?』

 明るい声が通信機から響く。

 アオは思わず笑った。

「もちろん。俺もちょうど休みが取れそうだ」

『本当!? やった!』

 リリアの声が弾んだ。

『じゃあ、場所は――』

 こうして、二人は再会の約束を交わした。

     ◇

 数日後。

 アオは、総本山から離れた地方都市へ向かった。

 待ち合わせ場所は、駅前にある小さな喫茶店だった。

 店内には、落ち着いた音楽が流れている。

 窓際の席に、一人の少女が座っていた。

 明るい髪。

 快活な表情。

 そして、以前よりも少し引き締まった身体つき。

 リリアだった。

 彼女はアオに気づくと、大きく手を振った。

「アオ!」

「久しぶり、リリア」

 アオが近づくと、リリアは立ち上がった。

「うわっ、背、伸びたね!」

「リリアもな」

「そう? えへへ、修行してるからかな」

 彼女は嬉しそうに笑った。

 アオはその笑顔を見て、少し安心した。

 ハンター試験での出来事。

 クロウ・ベルガーに左腕を切断された事件。

 あのとき、リリアは大きな傷を負った。

 肉体的にも、精神的にも。

 アオの回復能力によって傷は治ったが、その後の人生まで簡単に元どおりになるとは限らない。

 だからこそ、こうして元気な姿を見られることが嬉しかった。

「……元気そうでよかった」

 アオがそう言うと、リリアは少し照れたように笑った。

「うん。アオのおかげだよ」

「俺だけじゃないだろ。リリアが頑張ったからだ」

「……そうかな」

「そうだよ」

 リリアは嬉しそうに頷いた。

     ◇

 二人は席に座り、近況を話し始めた。

 最初は、他愛のない話だった。

 修行先の食事。

 師匠の厳しさ。

 最近見た景色。

 失敗した訓練。

 そして、少しだけ笑える出来事。

 やがて、話題は自然と修行へ移った。

「それでね、ミレーヌ先生が本当に厳しいの!」

 リリアは両手を広げた。

「朝から晩まで山の中を歩かされるし、足跡を見つけろって言われるし、夜中に突然起こされて周囲の状況を説明しろって言われるし!」

 アオは笑った。

「大変そうだな」

「大変なんてもんじゃないよ!」

 リリアは頬を膨らませた。

「でも……すごく勉強になるんだ」

 その表情が、少し真剣になる。

「先生は、私には斥候の才能があるって言ってくれたの」

「斥候?」

「うん。敵の位置を探したり、危険な場所を見つけたり、仲間が安全に進める道を探したりする役目」

 アオは頷いた。

 リリアは、ハンター試験のころから観察力に優れていた。

 地形を読む力。

 足跡を見つける力。

 周囲の変化に気づく力。

 それらは、斥候にとって非常に重要な才能だ。

「向いてると思う」

 アオがそう言うと、リリアは嬉しそうに笑った。

「でしょ!?」

 そして、少し声を落とした。

「……それでね。念の修行も始めたんだ」

 アオは目を細めた。

「本当か?」

「うん!」

 リリアは大きく頷いた。

「まだ基礎だけだけど、纏と絶を教わってる。練も少しずつ練習してるよ」

「へえ……」

「先生がね、斥候なら絶は特に大事だって」

「そのとおりだな」

 アオは頷いた。

 絶は、自分のオーラを閉じ、気配を抑える技術。

 索敵や隠密行動を重視する斥候には、非常に重要な技術だった。

「でも、難しいんだよね」

 リリアは苦笑した。

「完全に気配を消そうとすると、逆に身体が固くなっちゃうの」

「最初はそうなるよ」

「アオも?」

「ああ。俺も最初は苦労した」

 リリアは目を丸くした。

「……アオでも?」

「当たり前だろ」

 アオは笑った。

「俺だって、最初から何でもできたわけじゃない」

 リリアは少し考えた。

 そして、ほっとしたように笑った。

「……そっか」

 アオは続けた。

「無理に気配を消そうとするより、まずは自然に呼吸できる状態を保つといい。身体が固くなると、足音や衣擦れで逆に気づかれることもあるからな」

「なるほど……」

 リリアは真剣に聞いていた。

「でも、ミレーヌ先生の教え方があるだろうから、そっちを優先してくれ」

「うん。ありがとう!」

 アオは頷いた。

 そして、少し考えてから尋ねた。

「戦闘訓練はどうだ?」

 リリアは胸を張った。

「もちろんやってるよ!」

 彼女は指を折りながら説明し始めた。

「まず、短剣の扱い方。それから、相手の攻撃を避ける足運び。あと、弓も少し練習してる」

「弓か」

「うん。遠くから援護するのに向いてるって」

 アオは感心した。

 ミレーヌは、リリアの才能をよく理解しているらしい。

 正面から力で押す戦い方ではなく、地形や距離、情報を利用する戦い方。

 それは、リリアに合っている。

「いい師匠に出会えたな」

 アオがそう言うと、リリアは大きく頷いた。

「うん!」

 そして、少し照れたように続けた。

「……アオがいたから、先生と出会えたんだよ」

 アオは首を振った。

「俺がいたからじゃない。リリアの才能を、先生が見つけたんだ」

「……でも、ありがとう」

 リリアは静かに言った。

 アオは少しだけ笑った。

「……どういたしまして」

     ◇

 食事を終えた後。

 二人は、街外れにある小さな公園へ向かった。

 人通りは少なく、周囲には木々が並んでいる。

「ねえ、アオ」

 リリアが振り向いた。

「少しだけ、組手してみない?」

 アオは眉を上げた。

「組手?」

「うん。私がどれくらい成長したか、見てほしいんだ」

 その目は真剣だった。

 アオは少し考えた。

 そして、頷いた。

「いいぞ。ただし、無理はしないこと」

「わかってる!」

 二人は少し距離を取った。

 リリアは短い木製の練習用ナイフを取り出した。

 アオは素手のまま構える。

「……いくよ!」

 リリアが踏み込んだ。

 以前よりも、遥かに動きが良い。

 足音が小さい。

 重心が安定している。

 そして、何より視線の使い方が上手くなっていた。

 リリアは正面から突っ込まず、アオの側面へ回り込もうとする。

 アオはその動きを見ながら、少し感心した。

(……なるほど)

 彼女は、相手の正面に立つことを避けている。

 斥候としての戦い方を意識しているのだろう。

 リリアは木製ナイフを突き出した。

 アオは軽く身体をずらす。

 だが、リリアはすぐに追撃しなかった。

 一歩引く。

 距離を取る。

 そして、再び別の角度から接近する。

 アオは笑った。

「いい動きだ」

「まだまだ!」

 リリアは地面を蹴った。

 今度は、途中で進行方向を変えた。

 アオの右側へ回る。

 その瞬間、木製ナイフが伸びた。

 アオは手首を軽く押さえ、攻撃を止めた。

「ここまで」

 リリアは悔しそうに頬を膨らませた。

「……全然当たらない」

「いや、よかったぞ」

「本当?」

「ああ。以前よりずっと動きが良くなってる」

 アオは手を離した。

「特に、無理に攻めないところがいい。相手が強いとわかったら、距離を取る判断ができてる」

 リリアは少し驚いた顔をした。

「……先生にも同じこと言われた」

「そうか」

「うん。斥候は、敵を倒すことより情報を持ち帰ることが大事だって」

 アオは頷いた。

「そのとおりだな」

 リリアは少し考えた。

 そして、真剣な顔で言った。

「……私、もっと強くなるよ」

 アオは彼女を見た。

「次にハンター試験を受けるときは、絶対に合格したい」

 その声には、強い決意があった。

 アオは静かに頷いた。

「応援してる」

 リリアは笑った。

「うん!」

     ◇

 夕方。

 二人は駅前へ戻っていた。

 空は茜色に染まり、街の灯りが少しずつ灯り始めている。

「……今日は楽しかった!」

 リリアが笑った。

「俺もだ」

 アオは頷いた。

「また会おう」

「もちろん!」

 リリアは少し考えた。

 そして、いたずらっぽく笑った。

「次に会うときは、もっと強くなってるからね」

「楽しみにしてる」

「絶対、びっくりさせるんだから!」

 アオは笑った。

「期待してるよ」

 リリアは満足そうに頷いた。

 そして、少しだけ声を落とした。

「……アオ」

「ん?」

「また、連絡してもいい?」

 アオは少し驚いた。

 そして、すぐに笑った。

「当たり前だろ」

 リリアの顔が明るくなった。

「……うん!」

 彼女は大きく手を振った。

「じゃあ、またね!」

「ああ。またな」

 リリアは人混みの中へ消えていった。

 アオはしばらく、その背中を見送っていた。

 そして、静かに息を吐いた。

「……元気そうでよかった」

 ハンター試験で出会った少女。

 あのときは、守ることしかできなかった。

 だが今、彼女は自分の足で前へ進んでいる。

 そのことが、何より嬉しかった。

     ◇

 その年の冬。

 アオは再び、心源流総本山の演武場に立っていた。

 目の前には、ネテロ。

 そして、少し離れた場所にはビスケがいる。

「ほっほ。では、始めようかの」

 ネテロが笑った。

 アオは静かに構えた。

「お願いします」

 次の瞬間。

 アオが動いた。

 以前よりも速い。

 以前よりも鋭い。

 そして、以前よりも無駄がない。

 ネテロの目が細くなる。

「……ほう」

 アオの拳が伸びる。

 老人は避ける。

 だが、アオは追いかけない。

 次の動きを読んで、先に位置を取る。

 ネテロの足が動く。

 その瞬間、アオは踏み込んだ。

 掌底。

 老人の胸元へ向かう。

 だが。

 ネテロの指先が、アオの額へ触れた。

 トン。

 軽い音。

 アオの身体が止まった。

「……参りました」

 ネテロは笑った。

「ほっほ。よいよい」

 アオは息を吐いた。

 まだ届かない。

 だが、以前とは違う。

 確実に、距離は縮まっている。

 ビスケが腕を組んだまま言った。

「……本当に、どこまで伸びるのかしらね」

 ネテロは愉快そうに笑った。

「さあのう」

 そして、アオを見つめた。

「じゃが、楽しみじゃ」

 アオは静かに頷いた。

 まだ、強くなれる。

 まだ、学べる。

 まだ、先がある。

 その事実が、何より嬉しかった。

     ◇

 夜。

 アオは自室で、一通の手紙を書いていた。

 宛先は、流星街。

 ハザたちへ送る近況報告だった。

 修行は順調であること。

 怪我もなく元気にしていること。

 また時間を作って帰るつもりであること。

 そして、皆にも元気でいてほしいということ。

 書き終えると、アオは封筒を閉じた。

 窓の外には、冬の星空が広がっている。

 この一年も、多くのことがあった。

 故郷へ帰った。

 仲間たちと再会した。

 リリアとも会えた。

 そして、修行を続け、さらに強くなった。

 だが、まだ終わりではない。

 むしろ、これからが本番なのだろう。

 アオは静かに拳を握った。

「……来年は、どうなるかな」

 その問いに答える者はいない。

 ただ、夜空の星々が静かに瞬いていた。

 そして、少年の未来は、少しずつ動き始めていた。

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