流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
――一九八八年、春。
心源流拳法総本山。
山々を覆っていた雪はほとんど解け、冬の間は灰色だった森に、若葉の緑が戻り始めていた。
早朝の演武場に、二つの影が向かい合っている。
一人は、黒髪の少年。
アオ。
今年で十四歳ほどになる、若きプロハンターだった。
もう一人は、白い髭を蓄えた老人。
アイザック=ネテロ。
ハンター協会会長にして、心源流拳法の創始者である。
「ほっほ。では、始めようかの」
「お願いします」
アオは静かに構えた。
次の瞬間。
床を蹴る。
以前のような、爆発的な踏み込みではない。
むしろ、最初の一歩は静かだった。
重心を移動させる。
足裏で床を捉える。
呼吸とオーラの流れを一致させる。
そして、相手の間合いへ入る直前。
速度が跳ね上がった。
「ふっ!」
右の掌底。
ネテロはわずかに身体を傾けた。
掌底が空を切る。
だが、アオは追いかけない。
攻撃の途中で身体を回転させ、左足を軸に位置を変えた。
ネテロの右側へ回り込む。
そこから、左の拳。
老人の肩へ向かう。
「ほう」
ネテロの眉が、わずかに動いた。
しかし。
トン。
軽い音が響いた。
ネテロの指先が、アオの胸元へ触れていた。
その瞬間、アオの重心が崩れる。
足を踏ん張る。
だが、すでに遅い。
次の瞬間には、身体が宙を舞っていた。
アオは空中で姿勢を整え、床へ着地した。
以前なら、そのまま転がされていただろう。
だが今は、受け身を取るだけでなく、着地と同時に次の行動へ移ることができる。
アオは地面を蹴った。
今度は、真正面からではない。
わずかに右へ身体を振り、相手の視線を誘導する。
そこから左へ踏み込む。
ネテロの足元へ、低い蹴り。
老人は軽く跳んだ。
その瞬間。
アオの指先から、小さなオーラの塊が放たれた。
放出系の基礎技術。
威力は低い。
だが、狙いは正確だった。
ネテロの着地点を制限するための一撃。
「かっかっか!」
老人が笑う。
そして。
アオの視界から、ネテロの姿が消えた。
「――っ!」
背後。
振り向くより早く、肩へ手が置かれる。
次の瞬間。
アオは、再び床へ転がされていた。
「……参りました」
大きく息を吐く。
ネテロは愉快そうに笑った。
「ほっほ。よいよい」
アオは立ち上がり、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「うむ」
ネテロは腕を組み、少年を見つめた。
「三年前のおぬしとは、まるで別人じゃの」
「……まだ、会長にはまったく届きませんが」
「当然じゃ」
ネテロはあっさり言った。
「わしは、おぬしよりずっと長く修行しておるからの」
アオは苦笑した。
「それを言われると、返す言葉がありません」
「ほっほっほ!」
老人は笑った。
そして、少しだけ真剣な表情になった。
「じゃが、アオよ」
「はい」
「おぬしは、もう十分に外へ出られる」
アオは静かに頷いた。
「……はい」
その言葉を聞くために、今日まで修行を続けてきたわけではない。
だが、やはり胸に響くものがあった。
三年間。
心源流の総本山で、朝から晩まで修行を続けた。
ビスケに何度も叩きのめされ。
ゲンザや師範代たちに技術を教わり。
ネテロには、数えきれないほど敗北した。
そのすべてが、今の自分を形作っている。
「……ありがとうございました」
アオは、深く頭を下げた。
ネテロは穏やかに笑った。
「礼は、まだ早いぞ」
「……え?」
「外へ出ても、修行は終わらん。むしろ、ここからが本番じゃ」
アオは顔を上げた。
ネテロの目には、いつもの愉快そうな光が宿っていた。
「ハンターとして、何を見つけるか。何を選ぶか。何を守るか」
老人は笑った。
「それを、楽しみにしておるぞ」
アオは静かに頷いた。
「……はい」
◇
旅立ちの日。
総本山の門前には、数人の姿があった。
ビスケ。
ゲンザ。
そして、これまで共に修行してきた師範代や門下生たち。
アオは一人ずつ顔を見た。
誰もが、この三年間で世話になった人々だった。
「……本当に行くのね」
ビスケが腕を組んだまま言った。
「はい」
「まったく。ようやく面白くなってきたところなのに」
アオは苦笑した。
「また修行に来ますよ」
「当然でしょ」
ビスケは即答した。
「外で変な癖をつけて戻ってきたら、最初から鍛え直すからね」
「……気をつけます」
「それと」
ビスケは少しだけ表情を変えた。
「自分の能力を、軽々しく見せびらかさないこと」
アオは真剣に頷いた。
「はい」
彼女が言っているのは、念能力だけではない。
アイテムボックス。
そして、回復能力。
その二つの秘密を知っているのは、ネテロとビスケだけだった。
特に回復能力は、あまりにも異質だ。
怪我。
病気。
失った手足。
呪い。
そして、念による呪い。
それらを完全に回復、あるいは除去できる。
しかも、念能力ではない。
その事実が広まれば、どれほど多くの人間が利用しようとするかわからない。
「わかっています。必要なとき以外は使いません」
「必要なときでも、相手をよく見なさいよ」
「はい」
ビスケはしばらくアオを見つめた。
そして、ふっと笑った。
「……まあ、あんたなら大丈夫か」
アオも笑った。
「ありがとうございます」
ゲンザが近づいてきた。
「アオ」
「はい」
「外へ出たら、今までみたいに誰かが見てくれているとは限らない」
「……はい」
「判断を間違えれば、取り返しがつかないこともある」
ゲンザは真剣な目で続けた。
「だが、お前ならやれる。俺はそう思っている」
アオは深く頭を下げた。
「……お世話になりました」
「おう」
ゲンザは笑った。
「また帰ってこい」
「はい」
門下生たちも、次々と声をかけてきた。
「アオ! 次に来たら、また組手しようぜ!」
「今度こそ一本取ってやる!」
「外で変な奴に負けるなよ!」
アオは笑いながら答えた。
「ああ。楽しみにしてる」
そして最後に、ネテロへ向き直った。
「……行ってきます」
老人は静かに頷いた。
「うむ。行ってこい」
アオは、総本山の門をくぐった。
背後には、三年間を過ごした修行場。
前方には、まだ見ぬ世界。
アオは一度だけ振り返り、深く頭を下げた。
そして、歩き始めた。
◇
数日後。
アオは、ある地方都市へ到着した。
大きな港と商業地区を持つ街だった。
人通りが多く、さまざまな国から商人や旅人が集まっている。
ハンターとして活動を始めるには、悪くない場所だ。
アオは宿を取り、部屋の机へ一枚の紙を広げた。
そこには、今後の活動方針が書かれていた。
第一。
依頼を受けて仕事を行う、何でも屋としての活動。
第二。
ブラックリストハンターとしての活動。
第三。
マフィアや人身売買組織に関する情報収集。
そして、第四。
自身の修行を継続すること。
アオは紙を見つめた。
「……こんなところか」
流星街にいたころ。
アオは、さまざまな依頼を受けていた。
物を探す。
壊れた道具を直す。
危険な場所を調べる。
誰かの荷物を運ぶ。
困っている人間を助ける。
その内容は、本当にさまざまだった。
何でも屋。
そう呼ぶのが、一番近い。
アオは、その経験を生かしたかった。
ハンターになったからといって、最初から大きな仕事をする必要はない。
小さな依頼を積み重ね、信用を得る。
そして、少しずつ活動の幅を広げていく。
それが、今の自分に合っていると思った。
「……よし」
アオは立ち上がった。
まずは、仕事を探そう。
◇
しかし。
現実は、そう簡単ではなかった。
「……十四歳?」
最初に訪れた商会で、受付の男が眉をひそめた。
「はい」
「ハンターライセンスを持ってるって?」
「はい」
アオはライセンスを提示した。
男は目を丸くした。
「……本物か?」
「確認してもらって構いません」
男はしばらくライセンスを眺めていた。
そして、困ったように頭を掻いた。
「いや、確かに本物みたいだが……」
「何か問題がありますか?」
「問題というか……実績がないんだろ?」
「はい。これから積み重ねようと思っています」
男は苦笑した。
「悪いが、うちは長年付き合いのある業者に頼んでるんだ」
「……そうですか」
「ハンターだっていうのはすごいと思うよ。でも、いきなり仕事を任せるのは難しいな」
アオは頷いた。
「わかりました。ありがとうございました」
頭を下げ、商会を後にする。
次の店。
その次の店。
さらに別の商会。
結果は、ほとんど同じだった。
年齢が若すぎる。
実績がない。
信用がない。
すでに付き合いのある業者がいる。
そして、何より。
アオが何を得意としているのか、相手にはわからなかった。
「……まあ、当然か」
夕方。
アオは街の広場にあるベンチへ座り、空を見上げた。
ハンターライセンスは強力な資格だ。
だが、それだけで仕事が舞い込んでくるわけではない。
信用は、実績によって積み重なる。
それは、流星街でも同じだった。
「……焦る必要はないな」
アオは小さく笑った。
幸い、生活費には困っていない。
ハンターライセンスを利用すれば、さまざまな施設や交通機関を有利に利用できる。
アイテムボックスには、必要な装備や物資もある。
そして、何より。
自分には、もう一つの活動方針があった。
「……ブラックリストハンター、か」
アオは立ち上がった。
依頼が来ないなら、自分から動けばいい。
◇
翌日。
アオは、街の治安機関を訪れた。
目的は、指名手配犯の情報収集だった。
ハンターライセンスを提示すると、担当者の態度が少し変わった。
「……プロハンターですか」
「はい」
「失礼ですが、お若いですね」
「よく言われます」
アオは苦笑した。
担当者は書類を確認した。
「現在、この地域で特に問題になっているのは、港湾地区を中心に活動している犯罪組織です」
「犯罪組織?」
「はい。密輸、恐喝、違法な武器取引などに関与していると見られています」
アオは静かに頷いた。
「指名手配されている人物は?」
「何人かいます。ただし、組織の上層部については、まだ証拠が不足しています」
「なるほど」
担当者は数枚の資料を差し出した。
そこには、複数の男の顔写真と名前が記されていた。
アオは一枚ずつ確認した。
賞金額。
容疑。
最後に目撃された場所。
そして、所属組織。
その中の一人に、目が止まった。
港湾地区で活動する武器密売人。
過去に複数の暴行事件を起こしている。
さらに、行方不明者との関連も疑われていた。
(……こいつか)
アオは資料を閉じた。
「この人物について、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
担当者は頷いた。
「ええ。ただし、危険な相手です」
「承知しています」
アオは静かに答えた。
◇
その夜。
港湾地区。
倉庫が立ち並ぶ一角に、アオの姿があった。
黒い外套。
動きやすい服装。
腰には、普段使いのナイフ。
そして、必要な装備はアイテムボックスに収納している。
アオは建物の影に身を潜めた。
円を広げる。
周囲の気配が、薄い膜のように伝わってくる。
倉庫の内部には、十数人。
そのうち、武器を持っている者が数人。
そして、奥の部屋に一人。
他とは違う、落ち着いた気配を持つ男がいた。
(……あれが標的か)
アオは静かに息を吐いた。
まずは、情報を確認する。
いきなり突入する必要はない。
絶。
オーラを閉じる。
身体の気配を抑え、足音を消す。
そして、倉庫の屋根へ移動した。
以前なら、力任せに飛び上がっていただろう。
だが今は、身体の動きを最小限に抑え、必要な場所へ正確に力を伝える。
屋根へ着地しても、ほとんど音はしなかった。
アオは換気口の近くへ移動した。
内部から、男たちの声が聞こえる。
「……次の荷はいつだ?」
「三日後だ。いつもの連中が運んでくる」
「港の警備は?」
「金を握らせてある。問題ねえ」
アオは静かに聞いていた。
密輸。
買収。
そして、組織的な犯罪。
資料にあった内容と一致している。
さらに、別の男が口を開いた。
「……例の人間の件はどうする?」
アオの目が細くなった。
「まだ決まってねえ。上からの指示待ちだ」
「面倒だな。武器だけ運んでりゃいいものを」
「余計なことを言うな」
その会話を聞いた瞬間。
アオの中で、警戒が強まった。
(……人間の件?)
人身売買。
その可能性が頭をよぎる。
だが、まだ断定はできない。
アオは慎重に情報を集めた。
倉庫の出入り口。
見張りの位置。
逃走経路。
そして、標的の居場所。
すべてを確認した後。
アオは静かに動いた。
◇
倉庫の裏口。
二人の見張りが立っていた。
「……暇だな」
「文句言うなよ」
その瞬間。
二人の背後に、黒い影が現れた。
「――っ!?」
声を上げる間もなかった。
アオの手刀が、一人目の首筋へ当たる。
もう一人の腕を取り、関節を制して地面へ倒す。
そのまま、意識を失わせた。
数秒。
二人は静かに倒れた。
アオは呼吸を乱していない。
「……よし」
扉を開ける。
内部へ入る。
最初の部屋には、四人の男がいた。
アオが入ってきたことに気づき、驚いた顔をする。
「……誰だ!?」
「動かないでください」
アオは静かに言った。
「あなたたちの仲間が、指名手配されています。確認したいことがあります」
男たちは一瞬、呆然とした。
そして、次の瞬間。
「ガキが!」
一人が拳銃を抜いた。
アオは動いた。
銃口がこちらを向く前に、距離を詰める。
手首を叩く。
銃が床へ落ちる。
続けて、男の顎へ軽く掌底を当てた。
男が倒れる。
残る三人が襲いかかる。
アオは足を払った。
一人が転ぶ。
もう一人の拳を避け、腹部へ短い打撃。
最後の男には、腕を取って関節を極めた。
「……ぐあっ!」
男が膝をつく。
アオは静かに言った。
「抵抗しないでください」
数秒後。
四人は全員、動けなくなっていた。
アオは奥の扉へ視線を向けた。
(……次だ)
◇
標的の男は、奥の部屋にいた。
机の上には、現金と書類。
壁には、武器が並んでいる。
男はアオを見ると、目を細めた。
「……誰だ、お前」
「ハンターです」
アオはライセンスを見せた。
「あなたには、複数の容疑がかかっています」
男は一瞬、黙った。
そして、笑った。
「……ハンターだと?」
「はい」
「こんなガキが?」
アオは答えなかった。
男は机の下へ手を伸ばした。
次の瞬間。
アオは踏み込んだ。
机を蹴り上げる。
男の手が止まる。
その隙に距離を詰め、腕を掴んだ。
「――っ!?」
男は抵抗した。
だが、力の差は圧倒的だった。
アオは関節を極め、床へ押さえ込む。
「……終わりです」
男は呻いた。
「くそっ……!」
アオは拘束具を取り出した。
そして、男の両手を固定した。
「あなたには、聞きたいことがあります」
男は睨みつけてきた。
「……何だよ」
「この組織が扱っている『人間の荷』についてです」
男の表情が変わった。
ほんの一瞬。
だが、アオは見逃さなかった。
(……やっぱり、何か知ってるな)
アオは静かに目を細めた。
◇
その後。
アオは、標的の男と押収した資料を治安機関へ引き渡した。
正式な手続きを経て、指名手配犯の身柄が確認される。
そして、賞金の支払いが認められた。
アオにとって、ブラックリストハンターとしての最初の実績だった。
担当者は、驚いた顔で言った。
「……本当に、一人で捕まえたんですか?」
「はい」
「しかも、ほとんど怪我をさせずに?」
「必要以上に傷つける理由はありませんから」
担当者はしばらく言葉を失っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……ご協力、ありがとうございました」
アオも頭を下げた。
「こちらこそ」
建物を出ると、朝日が街を照らしていた。
アオは静かに息を吐いた。
「……最初の仕事は、こんなところか」
大きな成果ではない。
だが、確かな一歩だった。
◇
それから数週間。
アオは、精力的にブラックリストハンターとして活動した。
指名手配犯の情報を集める。
現地へ向かう。
行動を観察する。
証拠を確認する。
そして、必要なら捕縛する。
その繰り返しだった。
最初は、街の治安機関も半信半疑だった。
だが、実績が増えるにつれ、少しずつ態度が変わっていった。
「……また捕まえたんですか?」
「はい」
「今度は、隣の地区で問題になっていた男ですよね?」
「そうです」
「……本当に十四歳なんですか?」
「よく聞かれます」
アオは苦笑した。
もちろん、すべてが順調だったわけではない。
情報が間違っていることもあった。
標的がすでに逃亡していることもあった。
無関係な人間を巻き込まないため、手を出せない状況もあった。
だが、アオは焦らなかった。
捕まえることだけが目的ではない。
犯罪を止めること。
被害を減らすこと。
そして、必要な情報を得ること。
それが重要だった。
やがて、アオの名前は一部の治安機関で知られるようになった。
若いハンター。
単独行動。
異常なほど高い捕縛能力。
そして、必要以上に相手を傷つけない。
そんな評判が、少しずつ広まっていった。
◇
ある日の夜。
アオは宿の部屋で、通信機を手にしていた。
相手は、ヴォルグ。
第272期ハンター試験で試験官を務めたブラックリストハンターだった。
クロウ・ベルガーを引き渡した相手でもある。
『……久しぶりだな、アオ』
低い声が聞こえた。
「お久しぶりです、ヴォルグさん」
『ハンターとして活動を始めたそうだな』
「はい。最近は、指名手配犯を追っています」
『聞いている。いくつか報告が上がってきた』
アオは少し驚いた。
「……もう耳に入っているんですか?」
『ブラックリストハンターの世界は、意外と狭い』
ヴォルグは短く笑った。
『それで、今日は何の用だ?』
アオは表情を引き締めた。
「……クロウ・ベルガーの件です」
通信機の向こうが静かになった。
『……ああ』
「その後、何かわかりましたか?」
ヴォルグは少し間を置いた。
『いくつか、な』
アオは黙って聞いた。
『奴が持っていた呪われた刀。あれは、やはり普通の武器ではなかった』
「……死後の念、ですか」
『可能性は高い。しかも、刀の流通経路を調べたところ、複数の犯罪組織が関わっていた形跡がある』
アオは目を細めた。
「マフィアですか」
『ああ』
ヴォルグは続けた。
『ただし、どこまで組織的に関わっているのかは、まだ不明だ。クロウ自身も、すべてを知っていたわけではないらしい』
「……なるほど」
『それと、もう一つ』
ヴォルグの声が低くなった。
『最近、いくつかの地域で人身売買に関する情報が出ている』
アオの表情が変わった。
「……人身売買?」
『ああ。孤児や身寄りのない人間を狙ったものが多い』
アオは拳を握った。
流星街。
サラサたちを狙った組織。
そして、ハンター試験で出会ったクロウ。
それらが、頭の中でつながっていく。
『……アオ』
ヴォルグが言った。
『お前が何を考えているか、だいたいわかる』
「……」
『だが、焦るな』
アオは黙っていた。
『マフィアは、一人捕まえれば終わる相手じゃない。背後には、金と人脈と暴力がある』
「……わかっています」
『本当にか?』
アオは少し考えた。
そして、静かに答えた。
「……だからこそ、情報を集めたいんです」
ヴォルグは黙って聞いていた。
「いきなり組織全体へ喧嘩を売るつもりはありません。まずは、関係者を調べます」
『……そうか』
ヴォルグは小さく息を吐いた。
『なら、こちらでも情報を共有できる範囲で回そう』
「ありがとうございます」
『ただし、危険な案件には一人で突っ込むな。必要なら連絡しろ』
「はい」
ヴォルグは少し笑った。
『……それと、いつかまた組手しよう』
アオも笑った。
「楽しみにしています」
『今度は、試験官としてじゃなく、同じハンターとしてな』
「はい」
通信が切れた。
アオはしばらく、通信機を見つめていた。
マフィア。
人身売買。
呪われた刀。
まだ、全体像は見えない。
だが、少しずつ輪郭が現れ始めていた。
◇
それから数日後。
アオのもとへ、一通の連絡が届いた。
差出人は、ハンター協会。
ただし、通常の連絡ではなかった。
暗号化された通信。
指定された認証手順。
そして、最後に表示された名前。
アイザック=ネテロ。
「……会長?」
アオは眉を上げた。
すぐに通信を接続する。
『ほっほ。元気にしておるかの、アオ』
「お久しぶりです、会長」
『うむ。どうやら、なかなか活躍しておるようじゃな』
「まだまだです」
『かっかっか。相変わらずじゃの』
ネテロは笑った。
だが、すぐに声の調子が変わった。
『……実はのう。おぬしに、頼みたいことがある』
アオは背筋を伸ばした。
「……何でしょうか」
『極秘の依頼じゃ』
アオは黙って聞いた。
『協会の関係者に、重い傷を負った者がおる』
「……怪我ですか」
『うむ。ただの怪我ではない』
ネテロは少し間を置いた。
『通常の治療では、回復が難しい状態じゃ』
アオは目を細めた。
そして、すぐに理解した。
「……俺の回復能力ですね」
『そうじゃ』
ネテロの声は、いつになく真剣だった。
『もちろん、無理にとは言わん。おぬしの力が特殊であることは、わしも理解しておる』
アオは静かに頷いた。
『依頼を受けるかどうかは、おぬしが決めてよい』
「……詳しい状況を教えてもらえますか?」
ネテロは頷いた。
『うむ』
そして、説明を始めた。
負傷者は、ある調査任務中に重傷を負ったハンター。
通常の医療では、命をつなぐことはできても、元の状態へ戻すことは難しい。
さらに、負傷の一部には念が関与している可能性がある。
そのため、協会内部でも扱いに慎重になっているという。
アオは黙って聞いていた。
そして、尋ねた。
「……その人は、今どこに?」
『協会の管理下にある医療施設じゃ』
「わかりました」
アオは少し考えた。
回復能力。
それは、自分に与えられた特典の一つ。
使えば、傷や病気を完全に治すことができる。
念による呪いも取り除ける。
だが、その力を使うことには危険がある。
存在が知られれば、利用しようとする者が現れるだろう。
それでも。
目の前に、助けられる人間がいる。
そして、その依頼を持ってきたのは、信頼する師だった。
「……受けます」
アオは静かに答えた。
ネテロは少しだけ目を細めた。
『よいのか?』
「はい」
アオは頷いた。
「ただし、条件があります」
『ほう?』
「俺の能力の詳細は、絶対に外部へ漏らさないでください」
『当然じゃ』
「それと、治療を受ける本人には、必要な範囲で説明してください。本人が望まないなら、無理に使うつもりはありません」
ネテロは静かに頷いた。
『うむ。よい条件じゃ』
アオは続けた。
「それから、治療の場には、できるだけ関係者を少なくしてください」
『手配しよう』
「ありがとうございます」
ネテロは少し笑った。
『……おぬしらしいの』
アオは苦笑した。
「そうでしょうか」
『ああ。力を持っていても、使い方を考える。その姿勢は大切じゃ』
アオは静かに頷いた。
『では、詳細は別途送る。準備ができ次第、こちらへ来てくれ』
「わかりました」
通信が切れた。
アオは、しばらく窓の外を見つめていた。
ハンターとして活動を始めて、まだ間もない。
何でも屋としての依頼は、ほとんど来ていない。
ブラックリストハンターとしては、ようやく実績を積み始めたところだ。
そして今。
ネテロから、極秘の回復依頼が届いた。
自分の力が、誰かの命を救うために必要とされている。
その事実に、アオは静かな責任を感じていた。
「……行くか」
アオは立ち上がった。
アイテムボックスの中身を確認する。
必要な装備。
身分証。
移動に必要な物資。
そして、通信機。
準備は整っていた。
アオは窓の外を見た。
街の向こうには、広い世界が続いている。
流星街。
心源流総本山。
ハンター試験。
そして、これから始まる新しい仕事。
すべてが、少しずつつながり始めていた。
◇
翌朝。
アオは、街を出発した。
目的地は、ハンター協会の管理する医療施設。
そこには、重傷を負ったハンターが待っている。
ネテロからの極秘依頼。
そして、初めて正式に依頼として受ける回復能力の使用。
アオは、歩きながら静かに考えた。
(……この力は、使い方次第だ)
強大な力は、必ずしも人を幸せにするとは限らない。
だが、正しく使えば、誰かを救うことができる。
それは、流星街で学んだことだった。
そして、心源流で教わったことでもある。
力とは、何のために使うのか。
その問いに、アオは自分なりの答えを持っていた。
(……守るためだ)
大切な人を守る。
助けを求める人を救う。
そして、理不尽に苦しむ人間を、少しでも減らす。
そのために、自分は強くなってきた。
アオは、静かに拳を握った。
まだ、何も終わっていない。
むしろ、これからが本番だ。
ハンターとしての道は、ようやく始まったばかりなのだから。