流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第三十二話 旅立つ狩人――何でも屋と黒い名簿

――一九八八年、春。

 心源流拳法総本山。

 山々を覆っていた雪はほとんど解け、冬の間は灰色だった森に、若葉の緑が戻り始めていた。

 早朝の演武場に、二つの影が向かい合っている。

 一人は、黒髪の少年。

 アオ。

 今年で十四歳ほどになる、若きプロハンターだった。

 もう一人は、白い髭を蓄えた老人。

 アイザック=ネテロ。

 ハンター協会会長にして、心源流拳法の創始者である。

「ほっほ。では、始めようかの」

「お願いします」

 アオは静かに構えた。

 次の瞬間。

 床を蹴る。

 以前のような、爆発的な踏み込みではない。

 むしろ、最初の一歩は静かだった。

 重心を移動させる。

 足裏で床を捉える。

 呼吸とオーラの流れを一致させる。

 そして、相手の間合いへ入る直前。

 速度が跳ね上がった。

「ふっ!」

 右の掌底。

 ネテロはわずかに身体を傾けた。

 掌底が空を切る。

 だが、アオは追いかけない。

 攻撃の途中で身体を回転させ、左足を軸に位置を変えた。

 ネテロの右側へ回り込む。

 そこから、左の拳。

 老人の肩へ向かう。

「ほう」

 ネテロの眉が、わずかに動いた。

 しかし。

 トン。

 軽い音が響いた。

 ネテロの指先が、アオの胸元へ触れていた。

 その瞬間、アオの重心が崩れる。

 足を踏ん張る。

 だが、すでに遅い。

 次の瞬間には、身体が宙を舞っていた。

 アオは空中で姿勢を整え、床へ着地した。

 以前なら、そのまま転がされていただろう。

 だが今は、受け身を取るだけでなく、着地と同時に次の行動へ移ることができる。

 アオは地面を蹴った。

 今度は、真正面からではない。

 わずかに右へ身体を振り、相手の視線を誘導する。

 そこから左へ踏み込む。

 ネテロの足元へ、低い蹴り。

 老人は軽く跳んだ。

 その瞬間。

 アオの指先から、小さなオーラの塊が放たれた。

 放出系の基礎技術。

 威力は低い。

 だが、狙いは正確だった。

 ネテロの着地点を制限するための一撃。

「かっかっか!」

 老人が笑う。

 そして。

 アオの視界から、ネテロの姿が消えた。

「――っ!」

 背後。

 振り向くより早く、肩へ手が置かれる。

 次の瞬間。

 アオは、再び床へ転がされていた。

「……参りました」

 大きく息を吐く。

 ネテロは愉快そうに笑った。

「ほっほ。よいよい」

 アオは立ち上がり、頭を下げた。

「ありがとうございました」

「うむ」

 ネテロは腕を組み、少年を見つめた。

「三年前のおぬしとは、まるで別人じゃの」

「……まだ、会長にはまったく届きませんが」

「当然じゃ」

 ネテロはあっさり言った。

「わしは、おぬしよりずっと長く修行しておるからの」

 アオは苦笑した。

「それを言われると、返す言葉がありません」

「ほっほっほ!」

 老人は笑った。

 そして、少しだけ真剣な表情になった。

「じゃが、アオよ」

「はい」

「おぬしは、もう十分に外へ出られる」

 アオは静かに頷いた。

「……はい」

 その言葉を聞くために、今日まで修行を続けてきたわけではない。

 だが、やはり胸に響くものがあった。

 三年間。

 心源流の総本山で、朝から晩まで修行を続けた。

 ビスケに何度も叩きのめされ。

 ゲンザや師範代たちに技術を教わり。

 ネテロには、数えきれないほど敗北した。

 そのすべてが、今の自分を形作っている。

「……ありがとうございました」

 アオは、深く頭を下げた。

 ネテロは穏やかに笑った。

「礼は、まだ早いぞ」

「……え?」

「外へ出ても、修行は終わらん。むしろ、ここからが本番じゃ」

 アオは顔を上げた。

 ネテロの目には、いつもの愉快そうな光が宿っていた。

「ハンターとして、何を見つけるか。何を選ぶか。何を守るか」

 老人は笑った。

「それを、楽しみにしておるぞ」

 アオは静かに頷いた。

「……はい」

     ◇

 旅立ちの日。

 総本山の門前には、数人の姿があった。

 ビスケ。

 ゲンザ。

 そして、これまで共に修行してきた師範代や門下生たち。

 アオは一人ずつ顔を見た。

 誰もが、この三年間で世話になった人々だった。

「……本当に行くのね」

 ビスケが腕を組んだまま言った。

「はい」

「まったく。ようやく面白くなってきたところなのに」

 アオは苦笑した。

「また修行に来ますよ」

「当然でしょ」

 ビスケは即答した。

「外で変な癖をつけて戻ってきたら、最初から鍛え直すからね」

「……気をつけます」

「それと」

 ビスケは少しだけ表情を変えた。

「自分の能力を、軽々しく見せびらかさないこと」

 アオは真剣に頷いた。

「はい」

 彼女が言っているのは、念能力だけではない。

 アイテムボックス。

 そして、回復能力。

 その二つの秘密を知っているのは、ネテロとビスケだけだった。

 特に回復能力は、あまりにも異質だ。

 怪我。

 病気。

 失った手足。

 呪い。

 そして、念による呪い。

 それらを完全に回復、あるいは除去できる。

 しかも、念能力ではない。

 その事実が広まれば、どれほど多くの人間が利用しようとするかわからない。

「わかっています。必要なとき以外は使いません」

「必要なときでも、相手をよく見なさいよ」

「はい」

 ビスケはしばらくアオを見つめた。

 そして、ふっと笑った。

「……まあ、あんたなら大丈夫か」

 アオも笑った。

「ありがとうございます」

 ゲンザが近づいてきた。

「アオ」

「はい」

「外へ出たら、今までみたいに誰かが見てくれているとは限らない」

「……はい」

「判断を間違えれば、取り返しがつかないこともある」

 ゲンザは真剣な目で続けた。

「だが、お前ならやれる。俺はそう思っている」

 アオは深く頭を下げた。

「……お世話になりました」

「おう」

 ゲンザは笑った。

「また帰ってこい」

「はい」

 門下生たちも、次々と声をかけてきた。

「アオ! 次に来たら、また組手しようぜ!」

「今度こそ一本取ってやる!」

「外で変な奴に負けるなよ!」

 アオは笑いながら答えた。

「ああ。楽しみにしてる」

 そして最後に、ネテロへ向き直った。

「……行ってきます」

 老人は静かに頷いた。

「うむ。行ってこい」

 アオは、総本山の門をくぐった。

 背後には、三年間を過ごした修行場。

 前方には、まだ見ぬ世界。

 アオは一度だけ振り返り、深く頭を下げた。

 そして、歩き始めた。

     ◇

 数日後。

 アオは、ある地方都市へ到着した。

 大きな港と商業地区を持つ街だった。

 人通りが多く、さまざまな国から商人や旅人が集まっている。

 ハンターとして活動を始めるには、悪くない場所だ。

 アオは宿を取り、部屋の机へ一枚の紙を広げた。

 そこには、今後の活動方針が書かれていた。

 第一。

 依頼を受けて仕事を行う、何でも屋としての活動。

 第二。

 ブラックリストハンターとしての活動。

 第三。

 マフィアや人身売買組織に関する情報収集。

 そして、第四。

 自身の修行を継続すること。

 アオは紙を見つめた。

「……こんなところか」

 流星街にいたころ。

 アオは、さまざまな依頼を受けていた。

 物を探す。

 壊れた道具を直す。

 危険な場所を調べる。

 誰かの荷物を運ぶ。

 困っている人間を助ける。

 その内容は、本当にさまざまだった。

 何でも屋。

 そう呼ぶのが、一番近い。

 アオは、その経験を生かしたかった。

 ハンターになったからといって、最初から大きな仕事をする必要はない。

 小さな依頼を積み重ね、信用を得る。

 そして、少しずつ活動の幅を広げていく。

 それが、今の自分に合っていると思った。

「……よし」

 アオは立ち上がった。

 まずは、仕事を探そう。

     ◇

 しかし。

 現実は、そう簡単ではなかった。

「……十四歳?」

 最初に訪れた商会で、受付の男が眉をひそめた。

「はい」

「ハンターライセンスを持ってるって?」

「はい」

 アオはライセンスを提示した。

 男は目を丸くした。

「……本物か?」

「確認してもらって構いません」

 男はしばらくライセンスを眺めていた。

 そして、困ったように頭を掻いた。

「いや、確かに本物みたいだが……」

「何か問題がありますか?」

「問題というか……実績がないんだろ?」

「はい。これから積み重ねようと思っています」

 男は苦笑した。

「悪いが、うちは長年付き合いのある業者に頼んでるんだ」

「……そうですか」

「ハンターだっていうのはすごいと思うよ。でも、いきなり仕事を任せるのは難しいな」

 アオは頷いた。

「わかりました。ありがとうございました」

 頭を下げ、商会を後にする。

 次の店。

 その次の店。

 さらに別の商会。

 結果は、ほとんど同じだった。

 年齢が若すぎる。

 実績がない。

 信用がない。

 すでに付き合いのある業者がいる。

 そして、何より。

 アオが何を得意としているのか、相手にはわからなかった。

「……まあ、当然か」

 夕方。

 アオは街の広場にあるベンチへ座り、空を見上げた。

 ハンターライセンスは強力な資格だ。

 だが、それだけで仕事が舞い込んでくるわけではない。

 信用は、実績によって積み重なる。

 それは、流星街でも同じだった。

「……焦る必要はないな」

 アオは小さく笑った。

 幸い、生活費には困っていない。

 ハンターライセンスを利用すれば、さまざまな施設や交通機関を有利に利用できる。

 アイテムボックスには、必要な装備や物資もある。

 そして、何より。

 自分には、もう一つの活動方針があった。

「……ブラックリストハンター、か」

 アオは立ち上がった。

 依頼が来ないなら、自分から動けばいい。

     ◇

 翌日。

 アオは、街の治安機関を訪れた。

 目的は、指名手配犯の情報収集だった。

 ハンターライセンスを提示すると、担当者の態度が少し変わった。

「……プロハンターですか」

「はい」

「失礼ですが、お若いですね」

「よく言われます」

 アオは苦笑した。

 担当者は書類を確認した。

「現在、この地域で特に問題になっているのは、港湾地区を中心に活動している犯罪組織です」

「犯罪組織?」

「はい。密輸、恐喝、違法な武器取引などに関与していると見られています」

 アオは静かに頷いた。

「指名手配されている人物は?」

「何人かいます。ただし、組織の上層部については、まだ証拠が不足しています」

「なるほど」

 担当者は数枚の資料を差し出した。

 そこには、複数の男の顔写真と名前が記されていた。

 アオは一枚ずつ確認した。

 賞金額。

 容疑。

 最後に目撃された場所。

 そして、所属組織。

 その中の一人に、目が止まった。

 港湾地区で活動する武器密売人。

 過去に複数の暴行事件を起こしている。

 さらに、行方不明者との関連も疑われていた。

(……こいつか)

 アオは資料を閉じた。

「この人物について、もう少し詳しく教えてもらえますか?」

 担当者は頷いた。

「ええ。ただし、危険な相手です」

「承知しています」

 アオは静かに答えた。

     ◇

 その夜。

 港湾地区。

 倉庫が立ち並ぶ一角に、アオの姿があった。

 黒い外套。

 動きやすい服装。

 腰には、普段使いのナイフ。

 そして、必要な装備はアイテムボックスに収納している。

 アオは建物の影に身を潜めた。

 円を広げる。

 周囲の気配が、薄い膜のように伝わってくる。

 倉庫の内部には、十数人。

 そのうち、武器を持っている者が数人。

 そして、奥の部屋に一人。

 他とは違う、落ち着いた気配を持つ男がいた。

(……あれが標的か)

 アオは静かに息を吐いた。

 まずは、情報を確認する。

 いきなり突入する必要はない。

 絶。

 オーラを閉じる。

 身体の気配を抑え、足音を消す。

 そして、倉庫の屋根へ移動した。

 以前なら、力任せに飛び上がっていただろう。

 だが今は、身体の動きを最小限に抑え、必要な場所へ正確に力を伝える。

 屋根へ着地しても、ほとんど音はしなかった。

 アオは換気口の近くへ移動した。

 内部から、男たちの声が聞こえる。

「……次の荷はいつだ?」

「三日後だ。いつもの連中が運んでくる」

「港の警備は?」

「金を握らせてある。問題ねえ」

 アオは静かに聞いていた。

 密輸。

 買収。

 そして、組織的な犯罪。

 資料にあった内容と一致している。

 さらに、別の男が口を開いた。

「……例の人間の件はどうする?」

 アオの目が細くなった。

「まだ決まってねえ。上からの指示待ちだ」

「面倒だな。武器だけ運んでりゃいいものを」

「余計なことを言うな」

 その会話を聞いた瞬間。

 アオの中で、警戒が強まった。

(……人間の件?)

 人身売買。

 その可能性が頭をよぎる。

 だが、まだ断定はできない。

 アオは慎重に情報を集めた。

 倉庫の出入り口。

 見張りの位置。

 逃走経路。

 そして、標的の居場所。

 すべてを確認した後。

 アオは静かに動いた。

     ◇

 倉庫の裏口。

 二人の見張りが立っていた。

「……暇だな」

「文句言うなよ」

 その瞬間。

 二人の背後に、黒い影が現れた。

「――っ!?」

 声を上げる間もなかった。

 アオの手刀が、一人目の首筋へ当たる。

 もう一人の腕を取り、関節を制して地面へ倒す。

 そのまま、意識を失わせた。

 数秒。

 二人は静かに倒れた。

 アオは呼吸を乱していない。

「……よし」

 扉を開ける。

 内部へ入る。

 最初の部屋には、四人の男がいた。

 アオが入ってきたことに気づき、驚いた顔をする。

「……誰だ!?」

「動かないでください」

 アオは静かに言った。

「あなたたちの仲間が、指名手配されています。確認したいことがあります」

 男たちは一瞬、呆然とした。

 そして、次の瞬間。

「ガキが!」

 一人が拳銃を抜いた。

 アオは動いた。

 銃口がこちらを向く前に、距離を詰める。

 手首を叩く。

 銃が床へ落ちる。

 続けて、男の顎へ軽く掌底を当てた。

 男が倒れる。

 残る三人が襲いかかる。

 アオは足を払った。

 一人が転ぶ。

 もう一人の拳を避け、腹部へ短い打撃。

 最後の男には、腕を取って関節を極めた。

「……ぐあっ!」

 男が膝をつく。

 アオは静かに言った。

「抵抗しないでください」

 数秒後。

 四人は全員、動けなくなっていた。

 アオは奥の扉へ視線を向けた。

(……次だ)

     ◇

 標的の男は、奥の部屋にいた。

 机の上には、現金と書類。

 壁には、武器が並んでいる。

 男はアオを見ると、目を細めた。

「……誰だ、お前」

「ハンターです」

 アオはライセンスを見せた。

「あなたには、複数の容疑がかかっています」

 男は一瞬、黙った。

 そして、笑った。

「……ハンターだと?」

「はい」

「こんなガキが?」

 アオは答えなかった。

 男は机の下へ手を伸ばした。

 次の瞬間。

 アオは踏み込んだ。

 机を蹴り上げる。

 男の手が止まる。

 その隙に距離を詰め、腕を掴んだ。

「――っ!?」

 男は抵抗した。

 だが、力の差は圧倒的だった。

 アオは関節を極め、床へ押さえ込む。

「……終わりです」

 男は呻いた。

「くそっ……!」

 アオは拘束具を取り出した。

 そして、男の両手を固定した。

「あなたには、聞きたいことがあります」

 男は睨みつけてきた。

「……何だよ」

「この組織が扱っている『人間の荷』についてです」

 男の表情が変わった。

 ほんの一瞬。

 だが、アオは見逃さなかった。

(……やっぱり、何か知ってるな)

 アオは静かに目を細めた。

     ◇

 その後。

 アオは、標的の男と押収した資料を治安機関へ引き渡した。

 正式な手続きを経て、指名手配犯の身柄が確認される。

 そして、賞金の支払いが認められた。

 アオにとって、ブラックリストハンターとしての最初の実績だった。

 担当者は、驚いた顔で言った。

「……本当に、一人で捕まえたんですか?」

「はい」

「しかも、ほとんど怪我をさせずに?」

「必要以上に傷つける理由はありませんから」

 担当者はしばらく言葉を失っていた。

 そして、深く頭を下げた。

「……ご協力、ありがとうございました」

 アオも頭を下げた。

「こちらこそ」

 建物を出ると、朝日が街を照らしていた。

 アオは静かに息を吐いた。

「……最初の仕事は、こんなところか」

 大きな成果ではない。

 だが、確かな一歩だった。

     ◇

 それから数週間。

 アオは、精力的にブラックリストハンターとして活動した。

 指名手配犯の情報を集める。

 現地へ向かう。

 行動を観察する。

 証拠を確認する。

 そして、必要なら捕縛する。

 その繰り返しだった。

 最初は、街の治安機関も半信半疑だった。

 だが、実績が増えるにつれ、少しずつ態度が変わっていった。

「……また捕まえたんですか?」

「はい」

「今度は、隣の地区で問題になっていた男ですよね?」

「そうです」

「……本当に十四歳なんですか?」

「よく聞かれます」

 アオは苦笑した。

 もちろん、すべてが順調だったわけではない。

 情報が間違っていることもあった。

 標的がすでに逃亡していることもあった。

 無関係な人間を巻き込まないため、手を出せない状況もあった。

 だが、アオは焦らなかった。

 捕まえることだけが目的ではない。

 犯罪を止めること。

 被害を減らすこと。

 そして、必要な情報を得ること。

 それが重要だった。

 やがて、アオの名前は一部の治安機関で知られるようになった。

 若いハンター。

 単独行動。

 異常なほど高い捕縛能力。

 そして、必要以上に相手を傷つけない。

 そんな評判が、少しずつ広まっていった。

     ◇

 ある日の夜。

 アオは宿の部屋で、通信機を手にしていた。

 相手は、ヴォルグ。

 第272期ハンター試験で試験官を務めたブラックリストハンターだった。

 クロウ・ベルガーを引き渡した相手でもある。

『……久しぶりだな、アオ』

 低い声が聞こえた。

「お久しぶりです、ヴォルグさん」

『ハンターとして活動を始めたそうだな』

「はい。最近は、指名手配犯を追っています」

『聞いている。いくつか報告が上がってきた』

 アオは少し驚いた。

「……もう耳に入っているんですか?」

『ブラックリストハンターの世界は、意外と狭い』

 ヴォルグは短く笑った。

『それで、今日は何の用だ?』

 アオは表情を引き締めた。

「……クロウ・ベルガーの件です」

 通信機の向こうが静かになった。

『……ああ』

「その後、何かわかりましたか?」

 ヴォルグは少し間を置いた。

『いくつか、な』

 アオは黙って聞いた。

『奴が持っていた呪われた刀。あれは、やはり普通の武器ではなかった』

「……死後の念、ですか」

『可能性は高い。しかも、刀の流通経路を調べたところ、複数の犯罪組織が関わっていた形跡がある』

 アオは目を細めた。

「マフィアですか」

『ああ』

 ヴォルグは続けた。

『ただし、どこまで組織的に関わっているのかは、まだ不明だ。クロウ自身も、すべてを知っていたわけではないらしい』

「……なるほど」

『それと、もう一つ』

 ヴォルグの声が低くなった。

『最近、いくつかの地域で人身売買に関する情報が出ている』

 アオの表情が変わった。

「……人身売買?」

『ああ。孤児や身寄りのない人間を狙ったものが多い』

 アオは拳を握った。

 流星街。

 サラサたちを狙った組織。

 そして、ハンター試験で出会ったクロウ。

 それらが、頭の中でつながっていく。

『……アオ』

 ヴォルグが言った。

『お前が何を考えているか、だいたいわかる』

「……」

『だが、焦るな』

 アオは黙っていた。

『マフィアは、一人捕まえれば終わる相手じゃない。背後には、金と人脈と暴力がある』

「……わかっています」

『本当にか?』

 アオは少し考えた。

 そして、静かに答えた。

「……だからこそ、情報を集めたいんです」

 ヴォルグは黙って聞いていた。

「いきなり組織全体へ喧嘩を売るつもりはありません。まずは、関係者を調べます」

『……そうか』

 ヴォルグは小さく息を吐いた。

『なら、こちらでも情報を共有できる範囲で回そう』

「ありがとうございます」

『ただし、危険な案件には一人で突っ込むな。必要なら連絡しろ』

「はい」

 ヴォルグは少し笑った。

『……それと、いつかまた組手しよう』

 アオも笑った。

「楽しみにしています」

『今度は、試験官としてじゃなく、同じハンターとしてな』

「はい」

 通信が切れた。

 アオはしばらく、通信機を見つめていた。

 マフィア。

 人身売買。

 呪われた刀。

 まだ、全体像は見えない。

 だが、少しずつ輪郭が現れ始めていた。

     ◇

 それから数日後。

 アオのもとへ、一通の連絡が届いた。

 差出人は、ハンター協会。

 ただし、通常の連絡ではなかった。

 暗号化された通信。

 指定された認証手順。

 そして、最後に表示された名前。

 アイザック=ネテロ。

「……会長?」

 アオは眉を上げた。

 すぐに通信を接続する。

『ほっほ。元気にしておるかの、アオ』

「お久しぶりです、会長」

『うむ。どうやら、なかなか活躍しておるようじゃな』

「まだまだです」

『かっかっか。相変わらずじゃの』

 ネテロは笑った。

 だが、すぐに声の調子が変わった。

『……実はのう。おぬしに、頼みたいことがある』

 アオは背筋を伸ばした。

「……何でしょうか」

『極秘の依頼じゃ』

 アオは黙って聞いた。

『協会の関係者に、重い傷を負った者がおる』

「……怪我ですか」

『うむ。ただの怪我ではない』

 ネテロは少し間を置いた。

『通常の治療では、回復が難しい状態じゃ』

 アオは目を細めた。

 そして、すぐに理解した。

「……俺の回復能力ですね」

『そうじゃ』

 ネテロの声は、いつになく真剣だった。

『もちろん、無理にとは言わん。おぬしの力が特殊であることは、わしも理解しておる』

 アオは静かに頷いた。

『依頼を受けるかどうかは、おぬしが決めてよい』

「……詳しい状況を教えてもらえますか?」

 ネテロは頷いた。

『うむ』

 そして、説明を始めた。

 負傷者は、ある調査任務中に重傷を負ったハンター。

 通常の医療では、命をつなぐことはできても、元の状態へ戻すことは難しい。

 さらに、負傷の一部には念が関与している可能性がある。

 そのため、協会内部でも扱いに慎重になっているという。

 アオは黙って聞いていた。

 そして、尋ねた。

「……その人は、今どこに?」

『協会の管理下にある医療施設じゃ』

「わかりました」

 アオは少し考えた。

 回復能力。

 それは、自分に与えられた特典の一つ。

 使えば、傷や病気を完全に治すことができる。

 念による呪いも取り除ける。

 だが、その力を使うことには危険がある。

 存在が知られれば、利用しようとする者が現れるだろう。

 それでも。

 目の前に、助けられる人間がいる。

 そして、その依頼を持ってきたのは、信頼する師だった。

「……受けます」

 アオは静かに答えた。

 ネテロは少しだけ目を細めた。

『よいのか?』

「はい」

 アオは頷いた。

「ただし、条件があります」

『ほう?』

「俺の能力の詳細は、絶対に外部へ漏らさないでください」

『当然じゃ』

「それと、治療を受ける本人には、必要な範囲で説明してください。本人が望まないなら、無理に使うつもりはありません」

 ネテロは静かに頷いた。

『うむ。よい条件じゃ』

 アオは続けた。

「それから、治療の場には、できるだけ関係者を少なくしてください」

『手配しよう』

「ありがとうございます」

 ネテロは少し笑った。

『……おぬしらしいの』

 アオは苦笑した。

「そうでしょうか」

『ああ。力を持っていても、使い方を考える。その姿勢は大切じゃ』

 アオは静かに頷いた。

『では、詳細は別途送る。準備ができ次第、こちらへ来てくれ』

「わかりました」

 通信が切れた。

 アオは、しばらく窓の外を見つめていた。

 ハンターとして活動を始めて、まだ間もない。

 何でも屋としての依頼は、ほとんど来ていない。

 ブラックリストハンターとしては、ようやく実績を積み始めたところだ。

 そして今。

 ネテロから、極秘の回復依頼が届いた。

 自分の力が、誰かの命を救うために必要とされている。

 その事実に、アオは静かな責任を感じていた。

「……行くか」

 アオは立ち上がった。

 アイテムボックスの中身を確認する。

 必要な装備。

 身分証。

 移動に必要な物資。

 そして、通信機。

 準備は整っていた。

 アオは窓の外を見た。

 街の向こうには、広い世界が続いている。

 流星街。

 心源流総本山。

 ハンター試験。

 そして、これから始まる新しい仕事。

 すべてが、少しずつつながり始めていた。

     ◇

 翌朝。

 アオは、街を出発した。

 目的地は、ハンター協会の管理する医療施設。

 そこには、重傷を負ったハンターが待っている。

 ネテロからの極秘依頼。

 そして、初めて正式に依頼として受ける回復能力の使用。

 アオは、歩きながら静かに考えた。

(……この力は、使い方次第だ)

 強大な力は、必ずしも人を幸せにするとは限らない。

 だが、正しく使えば、誰かを救うことができる。

 それは、流星街で学んだことだった。

 そして、心源流で教わったことでもある。

 力とは、何のために使うのか。

 その問いに、アオは自分なりの答えを持っていた。

(……守るためだ)

 大切な人を守る。

 助けを求める人を救う。

 そして、理不尽に苦しむ人間を、少しでも減らす。

 そのために、自分は強くなってきた。

 アオは、静かに拳を握った。

 まだ、何も終わっていない。

 むしろ、これからが本番だ。

 ハンターとしての道は、ようやく始まったばかりなのだから。

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