流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第三十三話 成長した二人と、秘境への誘い

――一九八九年、春。

 大陸西部、港湾都市ベルザード。

 朝日が差し込む宿屋の一室で、一人の青年が鏡の前に立っていた。

 黒い髪。

 鋭い目つき。

 整った鼻筋に、引き締まった顎。

 そして、鍛え上げられた長身の肉体。

 青年の名は、アオ。

 十五歳。

 三年前まで心源流拳法総本山で修行を続けていた少年は、今や身長百八十三センチにまで成長していた。

 肩幅は広く、胸板は厚い。

 だが、筋肉はただ大きいだけではない。

 長年の修行によって鍛え上げられた身体には、余計な肉がほとんどついていなかった。

 服の上からでもわかる逞しさと、野生動物のようなしなやかさ。

 その姿は、かつて前世で漫画を読んでいたころに知った、ある男を思い起こさせた。

(……伏黒甚爾、か)

 アオは鏡の中の自分を見つめた。

 転生時に与えられた、常識外れの肉体的才能。

 その影響なのか、成長するにつれて顔立ちまで似てきたような気がする。

 鋭い目元。

 野性味のある精悍な顔立ち。

 そして、どこか近寄りがたい雰囲気。

 もっとも、本人にその自覚は薄かった。

「……ずいぶん伸びたな」

 アオは自分の腕を眺めた。

 流星街で目覚めたころは、五歳ほどの小さな身体だった。

 食べ物を探すだけでも苦労し、野犬を追い払うのにも必死だった。

 それが今では、普通の成人男性より大きな身体を持っている。

 時間の流れとは、不思議なものだ。

 アオは軽く肩を回した。

 関節が滑らかに動く。

 筋肉に余計な緊張はない。

 全身を覆うオーラも、呼吸と同じくらい自然に循環していた。

 心源流で学んだことは、今も身体に染みついている。

「……さて」

 アオは黒いシャツを着込み、動きやすいズボンを穿いた。

 腰には、使い慣れたナイフ。

 必要な装備は、アイテムボックスの中に収めてある。

 机の上には、一枚の書類が置かれていた。

 ブラックリストハンターとして受け取った、最新の指名手配情報だった。

 アオはそれを手に取った。

「……今日も仕事だな」

 そう呟き、部屋を後にした。

     ◇

 心源流総本山を旅立ってから、およそ一年。

 アオの生活は、大きく変化していた。

 修行中心だった日々から、実際の仕事を中心とした生活へ。

 もちろん、修行をやめたわけではない。

 朝の基礎鍛錬。

 念の系統別修行。

 武術の反復。

 そして、実戦を想定した戦闘訓練。

 それらは今も欠かさず続けている。

 だが、それに加えて、ハンターとしての仕事が増えていた。

 特に実績を積んだのは、ブラックリストハンターとしての活動だった。

 最初は、地方都市で指名手配犯を捕まえる程度だった。

 だが、徐々に扱う案件の規模が大きくなっていった。

 密輸組織。

 武器商人。

 誘拐犯。

 そして、マフィアと関係を持つ犯罪者たち。

 アオは、それらの事件に積極的に関わっていた。

 ただし、無差別に犯罪者を追い回しているわけではない。

 証拠を確認する。

 被害者の安全を確保する。

 関係者の証言を集める。

 そして、必要なら捕縛する。

 その手順を徹底していた。

 ヴォルグからも、何度も助言を受けた。

『ブラックリストハンターは、腕っぷしだけじゃ務まらねえ』

 以前、通信機越しに言われた言葉を思い出す。

『捕まえた相手が本当に犯人なのか。証拠はあるのか。誰に引き渡すのか。そこまで考えて、初めて仕事になる』

 アオは、その教えを忘れなかった。

 力だけなら、すでに多くの犯罪者を圧倒できる。

 だが、だからこそ慎重になる必要がある。

 強い者が間違えれば、その被害も大きくなる。

 そのことを、アオは理解していた。

 そして、もう一つ。

 アオには、表には出ない仕事があった。

 ハンター協会会長、アイザック=ネテロからの極秘依頼。

 それは、アオの持つ回復能力を必要とする案件だった。

     ◇

 最初の極秘依頼を受けたのは、前年のことだった。

 協会の管理する医療施設。

 そこには、調査任務中に重傷を負ったハンターが収容されていた。

 複数の骨折。

 内臓の損傷。

 そして、通常の医療では説明しきれない、念による異常。

 医師たちは懸命に治療を続けていたが、回復の見込みは低かった。

 アオは、本人の同意を得たうえで能力を使用した。

 回復。

 それだけだった。

 派手な演出も、複雑な詠唱もない。

 ただ、治すべき状態を明確に意識し、力を発動させる。

 すると。

 傷ついた肉体が、元の状態へ戻っていった。

 骨がつながり。

 内臓が修復され。

 異常な念の影響が消えていく。

 医師たちは、その光景を目の当たりにして言葉を失った。

 だが、ネテロは事前に徹底した情報管理を行っていた。

 治療に立ち会う人数は最小限。

 記録は限定された管理下へ置かれた。

 そして、アオの能力の詳細は伏せられた。

 その後も、ネテロから数件の極秘依頼が届いた。

 重傷を負ったハンター。

 通常の治療では回復が難しい患者。

 念による異常な影響を受けた者。

 アオは、一件ずつ慎重に対応した。

 ただし、無条件で引き受けたわけではない。

 本人の同意。

 能力の秘匿。

 そして、依頼の背景。

 それらを確認したうえで、必要だと判断した場合にだけ力を使った。

 回復能力の使用回数は、一度の起床周期につき三回。

 約六時間以上の連続した睡眠を経て目覚めることで、使用回数が回復する。

 その制限は、今も変わらない。

 だからこそ、アオは常に残りの使用回数を意識していた。

 何かあったとき、自分自身や仲間を救うための余力を残しておく。

 それも、重要な判断だった。

 そして、この一年。

 アオは少しずつ、協会内部のごく限られた人間から信頼されるようになっていた。

 もっとも、その信頼は表には出ない。

 アオ自身も、それを望んでいた。

 目立つ必要はない。

 助けられる人間を助けられれば、それでいい。

 そう考えていた。

     ◇

 その日の午後。

 アオは、港湾地区にある古い倉庫へ向かっていた。

 目的は、指名手配中の男を捕らえること。

 男の名は、ガルド・ヘインズ。

 武器密売と複数の暴行事件に関与しているとされる犯罪者だった。

 アオは倉庫の外壁へ手を当てた。

 円を広げる。

 周囲の気配が、薄い膜のように伝わってくる。

 倉庫の内部には、七人。

 そのうち、二人が武器を持っている。

 奥の部屋には、一人だけ別の気配があった。

(……あれが標的か)

 アオは静かに息を吐いた。

 そして、絶へ移行する。

 オーラを閉じ、気配を抑える。

 屋根へ跳び上がる。

 着地音は、ほとんどしなかった。

 そこから、換気口を通じて内部の様子を確認する。

 男たちは、何かを運び込んでいた。

 木箱。

 金属製のケース。

 そして、武器らしきもの。

 アオは目を細めた。

(……情報どおりだな)

 数分後。

 アオは倉庫の裏口から内部へ侵入した。

 見張りの男が振り向く。

「……誰だ!?」

 アオは答えなかった。

 一歩踏み込む。

 男の手首を掴む。

 そのまま関節を極め、床へ押さえ込む。

 もう一人が拳銃を抜こうとした。

 だが、遅い。

 アオの指先から、小さなオーラが放たれた。

 放出系の基礎技術。

 銃を持つ手へ、正確に命中する。

「ぐあっ!」

 男が銃を落とした。

 アオは距離を詰め、意識を失わせた。

 数秒。

 二人の見張りが倒れた。

 アオは静かに進む。

 奥の部屋。

 そこには、標的の男がいた。

 男はアオを見ると、顔をしかめた。

「……何だ、お前」

「ハンターです」

 アオはライセンスを提示した。

「あなたには、複数の容疑がかかっています」

 男は一瞬、黙った。

 そして、笑った。

「……ガキが」

 アオは小さく息を吐いた。

(……またそれか)

 以前なら、年齢を見て油断されることが多かった。

 だが、最近は体格が大きくなったため、そうした反応も減っていた。

 それでも、顔立ちにはまだ少年らしさが残っている。

 男は机の下へ手を伸ばした。

 次の瞬間。

 アオは踏み込んだ。

 机を蹴り上げる。

 男の手が止まる。

 その隙に腕を掴み、床へ押さえ込んだ。

「――っ!?」

 男は抵抗した。

 だが、力の差は圧倒的だった。

 アオは拘束具を取り出した。

「……終わりです」

 男は呻いた。

「くそっ……!」

 アオは静かに言った。

「抵抗しないでください。必要以上に怪我をさせるつもりはありません」

 その言葉を聞いた男は、悔しそうに歯を食いしばった。

 そして、動きを止めた。

 アオは小さく頷いた。

「……よし」

 こうして、また一人。

 指名手配犯が捕らえられた。

     ◇

 数日後。

 アオは、ある連絡を受け取った。

 差出人は、リリア。

 ハンター試験で出会い、何度も再会を重ねてきた少女だった。

 彼女とは、修行中も定期的に連絡を取り合っていた。

 そして、前年。

 一九八八年のハンター試験。

 リリアは、ついに合格していた。

 ミレーヌのもとで積み重ねた修行。

 アマチュアハンターとしての実務経験。

 そして、斥候としての優れた才能。

 それらが実を結んだのだ。

 合格の知らせを受けたとき、アオは自分のことのように喜んだ。

 だが、互いに仕事が忙しく、直接会う機会はなかなか作れなかった。

 今回、ようやく予定が合ったらしい。

『アオ! 久しぶり!』

 通信機から、明るい声が響いた。

「久しぶり、リリア」

『今、どこにいるの?』

「ベルザードっていう港町だ」

『えっ!? 近い!』

 アオは少し驚いた。

「そうなのか?」

『うん! 私、今ミレーヌ先生と一緒に隣の地域にいるんだ!』

「なるほど」

『それでね、もし時間があったら会えないかなって』

 アオは少し考えた。

 現在進行中の仕事は、すでに片づいている。

 次の依頼も、まだ決まっていない。

「……大丈夫だ。会えるよ」

『本当!?』

「ああ」

 通信機の向こうで、リリアが嬉しそうな声を上げた。

『やった! じゃあ、場所は――』

 こうして、二人は再会の約束を交わした。

     ◇

 数日後。

 ベルザードの中心街。

 大きな噴水のある広場に、アオは立っていた。

 待ち合わせ時刻までは、まだ少し時間がある。

 アオは周囲を見渡した。

 商人。

 旅人。

 買い物を楽しむ家族連れ。

 街は、多くの人々で賑わっていた。

 その中で、ふと。

 聞き覚えのある声が響いた。

「……アオ?」

 アオは振り向いた。

 そして。

 一瞬、言葉を失った。

 そこに立っていたのは、一人の少女だった。

 年齢は十七歳。

 明るい色の髪は以前より長くなり、肩のあたりで柔らかく揺れている。

 大きな瞳。

 整った顔立ち。

 そして、健康的で引き締まった身体。

 以前の快活な少女らしさを残しながらも、どこか大人びた雰囲気をまとっていた。

 リリアだった。

「……リリア?」

 アオは思わず確認した。

 少女は目を丸くした。

「……え?」

 そして、アオを上から下まで見た。

 次の瞬間。

「……えええっ!?」

 広場に、大きな声が響いた。

 周囲の人々が振り向く。

 だが、リリアは気にしていなかった。

「ア、アオ!?」

「……ああ」

「ちょっと待って! 何、その身長!?」

 アオは苦笑した。

「……伸びたんだ」

「伸びたって……!」

 リリアはアオの顔を見上げた。

 以前は、そこまで身長差がなかったはずだ。

 だが今は違う。

 アオは百八十三センチ。

 リリアも成長しているが、それでも見上げる必要がある。

 しかも、顔立ちまで大きく変わっていた。

 鋭い目元。

 精悍な輪郭。

 そして、どこか野性味のある雰囲気。

 以前の少年らしさは薄れ、青年へ近づいている。

 リリアは、しばらくアオを見つめた。

 そして。

「……っ」

 頬が赤くなった。

 アオは首を傾げた。

「……どうした?」

「な、何でもない!」

 リリアは慌てて顔を逸らした。

 アオは少し不思議に思った。

 だが、その直後。

 改めてリリアの姿を見た。

(……本当に、綺麗になったな)

 以前は、元気で明るい少女という印象が強かった。

 だが今は、可愛らしさに加えて、はっきりとした美しさがある。

 大きな瞳。

 柔らかな髪。

 そして、笑ったときの表情。

 アオは、少しだけ動揺した。

(……いや、落ち着け)

 前世では三十二歳だった。

 今は十五歳。

 精神的には、年齢の感覚が複雑だ。

 だが、目の前のリリアが以前とは違う雰囲気をまとっていることは、否定できなかった。

「……綺麗になったな」

 気づけば、そんな言葉が口から出ていた。

 リリアが固まった。

「…………え?」

 アオも、一瞬遅れて自分の発言に気づいた。

「……あ」

 数秒の沈黙。

 そして。

「な、何言ってるのよ!」

 リリアの顔が、さらに赤くなった。

「い、いや、その……久しぶりに会ったから、成長したなって」

「そ、そういうこと!?」

「……そういうことだ」

 アオは少しだけ視線を逸らした。

 リリアは口元を押さえた。

 そして、小さく呟いた。

「……もう」

 だが、その表情はどこか嬉しそうだった。

     ◇

 二人は、近くの喫茶店へ入った。

 窓際の席に座り、飲み物を注文する。

 しばらくは、互いの近況を話した。

「それにしても、本当に大きくなったね」

 リリアが改めて言った。

「そんなに変わったか?」

「変わったよ!」

 彼女は即答した。

「前は、もっと少年って感じだったのに」

「……今も十五歳だけどな」

「そうだけど!」

 リリアは少し頬を膨らませた。

「雰囲気が全然違うんだもん」

 アオは苦笑した。

「リリアも変わったよ」

「……そう?」

「ああ。前よりずっと落ち着いた」

 リリアは嬉しそうに笑った。

「えへへ。先生にも、最近そう言われるんだ」

 アオは頷いた。

 確かに、彼女の動きには以前よりも余裕がある。

 周囲への視線の配り方。

 座る位置。

 出入り口の確認。

 そして、自然な姿勢。

 どれも、実戦経験を積んだ人間のものだった。

「……仕事は順調か?」

 アオが尋ねると、リリアは大きく頷いた。

「うん!」

 そして、少し誇らしげに言った。

「今は、プロハンターとして先生の仕事を手伝ってるんだ」

「……そうか」

 アオは笑った。

「改めて、おめでとう」

「ありがとう!」

 リリアは嬉しそうに笑った。

 そして、少しだけ真剣な表情になった。

「でもね、プロになったからって、急に何でもできるようになるわけじゃないんだよね」

「……そうだな」

「むしろ、責任が増えた感じ」

 アオは頷いた。

 それは、自分も感じていたことだった。

 ハンターライセンスを持つということ。

 それは、単に特権を得ることではない。

 自分の判断で行動し、その結果に責任を持つということでもある。

「最近は、どんな仕事をしてるんだ?」

 アオが尋ねると、リリアは嬉しそうに話し始めた。

「遺跡の調査とか、未踏地域の下見とか、危険な生物の生息地の確認とか!」

「……なるほど」

「それから、行方不明者の捜索もやったよ」

 アオは感心した。

「すごいな」

「えへへ」

 リリアは少し照れたように笑った。

「でも、まだ先生には全然かなわないんだ」

「ミレーヌさんは、経験が違うからな」

「うん」

 リリアは頷いた。

「先生はね、秘境ハンターなんだ」

 アオは目を細めた。

「……秘境ハンター」

「うん。人がほとんど入ったことのない場所を調査したり、未知の生物や植物を調べたり、古い遺跡を探したりするの」

 アオは静かに頷いた。

 ハンターという職業には、さまざまな分野がある。

 ブラックリストハンター。

 賞金首を追う者。

 美食ハンター。

 珍しい食材を探す者。

 遺跡ハンター。

 古代文明の痕跡を追う者。

 そして、秘境ハンター。

 人の手が届かない場所へ踏み込み、未知の世界を調査する者。

 リリアの才能は、確かにその分野に向いていた。

「……いい仕事だな」

 アオがそう言うと、リリアは嬉しそうに笑った。

「でしょ!?」

     ◇

 その後。

 話題は、アオの仕事へ移った。

「そういえば、アオもすごいんでしょ?」

 リリアが身を乗り出した。

「……何が?」

「ブラックリストハンターとして、名前が知られ始めてるって聞いたよ!」

 アオは少し驚いた。

「……誰から?」

「先生!」

 リリアは笑った。

「最近、若いハンターが犯罪者を次々捕まえてるって話があるんだって」

 アオは苦笑した。

「……そんな大したことはしてないよ」

「またそういうこと言う!」

 リリアは頬を膨らませた。

「アオは昔から、自分のことを過小評価しすぎ!」

「……そうかな」

「そうだよ!」

 アオは笑った。

 確かに、この一年で多くの犯罪者を捕らえた。

 だが、まだまだ上には上がいる。

 ヴォルグのような経験豊富なブラックリストハンター。

 ネテロやビスケのような圧倒的な実力者。

 そして、まだ出会っていない強者たち。

 自分が特別に強いとは、簡単には思えなかった。

 リリアは少し真剣な顔になった。

「……でも、無茶してない?」

 アオは彼女を見た。

「……どうして?」

「だって、犯罪者を追う仕事って危険でしょ?」

「まあ、そうだな」

「アオは強いけど……」

 リリアは少し言葉を探した。

「……心配になるよ」

 アオは静かに頷いた。

「ありがとう」

 そして、少し笑った。

「でも、無茶はしてないつもりだ」

「……本当?」

「ああ。危険だと思ったら、ちゃんと引くよ」

 リリアはしばらくアオを見つめた。

 そして、ようやく笑った。

「……なら、いいけど」

 アオは頷いた。

 そのとき。

 店の入口から、落ち着いた女性の声が響いた。

「……二人とも、楽しそうね」

 アオとリリアが振り向いた。

 そこに立っていたのは、一人の女性だった。

 年齢は三十代ほど。

 動きやすい旅装。

 腰には短剣。

 肩には小さな鞄。

 そして、周囲を自然に観察する鋭い眼差し。

 ミレーヌ。

 第272期ハンター試験の試験官であり、リリアの師匠。

 そして、現役の秘境ハンターだった。

「先生!」

 リリアが嬉しそうに立ち上がった。

 アオも席を立った。

「お久しぶりです、ミレーヌさん」

 ミレーヌは穏やかに笑った。

「久しぶりね、アオ」

 そして、彼の姿を見上げた。

「……まあ」

 少し驚いた顔をする。

「ずいぶん大きくなったのね」

「よく言われます」

 アオは苦笑した。

 ミレーヌは笑った。

「顔つきも変わったわね。すっかり青年らしくなって」

 その言葉に、リリアが少しだけ視線を逸らした。

 ミレーヌは、その反応を見逃さなかった。

「……ふふ」

 小さく笑う。

 リリアが慌てて言った。

「せ、先生!」

「何も言ってないわよ?」

「……もう!」

 アオは、二人のやり取りを少し不思議そうに眺めていた。

     ◇

 ミレーヌが席に着くと、話題は自然と仕事へ移った。

「アオ。最近、ブラックリストハンターとして活躍しているそうね」

「まだ駆け出しです」

「謙遜しなくていいわ」

 ミレーヌは微笑んだ。

「ヴォルグからも、少し話を聞いているの」

 アオは目を細めた。

「……ヴォルグさんから?」

「ええ。若いのに、判断が慎重で、捕縛技術も高いって」

 アオは少し照れくさくなった。

「……ありがとうございます」

「それに、リリアからも何度も話を聞いているわ」

「先生!」

 リリアが慌てた。

 ミレーヌは笑った。

「いいじゃない。事実なんだから」

 アオは苦笑した。

 そして、改めてミレーヌを見た。

「……それで、今日は何かご用があるんですか?」

 ミレーヌの表情が少し変わった。

「……ええ」

 彼女は鞄から、一枚の地図を取り出した。

 そして、机の上へ広げた。

 アオとリリアが、自然と身を乗り出す。

 地図には、大陸の内陸部に広がる山岳地帯が描かれていた。

 深い森林。

 複雑な渓谷。

 そして、ほとんど人の手が入っていない地域。

 ミレーヌは、その一角を指差した。

「……ここ」

 アオは目を細めた。

「……未踏地域ですか?」

「正確には、未踏ではないわ。過去に何度か調査隊が入っている」

 ミレーヌは頷いた。

「でも、詳しい地形や生態系は、まだほとんどわかっていないの」

 リリアが真剣な顔になった。

「……先生、もしかして」

 ミレーヌは微笑んだ。

「ええ。新しい依頼よ」

 アオは地図を見つめた。

 山岳地帯。

 森林。

 渓谷。

 そして、いくつかの赤い印。

 それらは、過去の調査隊が最後に確認された地点を示しているらしい。

「……行方不明者ですか?」

 アオが尋ねると、ミレーヌは頷いた。

「そう。三か月前に入った調査隊が、途中から連絡を絶ったの」

 リリアの表情が引き締まった。

「……何人?」

「六人」

 ミレーヌは静かに答えた。

「全員、経験のある調査員よ。少なくとも、普通の遭難で簡単に全滅するような人たちではない」

 アオは地図を見つめた。

(……なるほど)

 未踏に近い地域。

 行方不明の調査隊。

 そして、秘境ハンターへの依頼。

 確かに、危険な仕事になりそうだった。

 ミレーヌは続けた。

「調査隊が向かったのは、この渓谷の奥にある古い遺跡よ」

「遺跡?」

「ええ。現地の伝承では、何百年も前に築かれたものだと言われているわ」

 アオは少し興味を引かれた。

 遺跡。

 未知の地域。

 そして、行方不明者。

 ブラックリストハンターとしての仕事とは、少し違う。

 だが、探索という意味では、非常に興味深い案件だった。

 ミレーヌは、二人を見た。

「……それでね」

 彼女は少し笑った。

「今回の依頼、二人で受けてみない?」

 アオとリリアは、同時に顔を上げた。

「……二人で?」

 アオが尋ねる。

 ミレーヌは頷いた。

「ええ」

 そして、説明を始めた。

「リリアは、斥候として優れた才能を持っている。地形の把握、痕跡の追跡、危険の察知。その能力は、すでにプロとして通用する水準に近づいているわ」

 リリアは少し照れたように笑った。

「……ありがとうございます」

「そして、アオ」

 ミレーヌは彼を見た。

「あなたは、戦闘能力が高い。それに、ブラックリストハンターとしての実績もある」

 アオは黙って聞いていた。

「危険な地域での調査には、戦闘能力と探索能力の両方が必要になる」

 ミレーヌは地図へ視線を落とした。

「だから、二人の組み合わせは悪くないと思うの」

 アオは少し考えた。

 確かに、リリアの斥候能力は優れている。

 自分も索敵や隠密はできるが、地形の読み取りや痕跡の追跡では、彼女に学ぶことが多い。

 そして、戦闘能力なら自分が補える。

 互いの得意分野を生かせる組み合わせだった。

「……ミレーヌさんは、同行されるんですか?」

 アオが尋ねた。

 ミレーヌは首を振った。

「今回は、基本的に二人へ任せたいと思っているわ」

 リリアが目を丸くした。

「……えっ!?」

「もちろん、完全に放任するわけじゃないわ。必要な情報は渡すし、緊急時の連絡手段も用意する」

 ミレーヌは穏やかに続けた。

「でも、現地での判断は二人に任せたい」

 アオは静かに頷いた。

 それは、単なる依頼ではない。

 リリアにとっては、プロハンターとしての実力を試す機会。

 そして、自分にとっても、これまでとは違う分野へ踏み出す機会だった。

 ミレーヌは二人を見た。

「……どうかしら?」

 リリアは、アオを見た。

 その目には、期待と少しの不安があった。

「……アオ」

「ん?」

「一緒に、やってみない?」

 アオは彼女を見た。

 ハンター試験で出会った少女。

 あのときは、危険な状況から守ることしかできなかった。

 だが今。

 彼女は、自分の足で立ち、プロハンターとして仕事をしている。

 そして、対等な立場で、一緒に仕事をしようと言っている。

 アオは、自然と笑みを浮かべた。

「……いいな」

 リリアの顔が明るくなった。

「……本当!?」

「ああ」

 アオは頷いた。

「俺も、リリアと一緒に仕事をしてみたい」

 その言葉に、リリアの頬が少し赤くなった。

「……そ、そっか」

 ミレーヌは、その様子を見て小さく笑った。

「……決まりね」

 アオは地図へ視線を落とした。

「ただし、詳しい情報を確認してから正式に受けたいです」

 ミレーヌは満足そうに頷いた。

「もちろんよ」

 そして、鞄から数枚の資料を取り出した。

「調査隊の装備、最後の通信内容、現地の地形、過去の遭難記録。それから、依頼主の情報もまとめてあるわ」

 アオは資料を受け取った。

 リリアも隣から覗き込む。

 二人の表情は、すでに仕事へ向かうハンターのものになっていた。

     ◇

 その日の夕方。

 アオとリリアは、街の外れにある丘へ向かった。

 眼下には、ベルザードの街並みが広がっている。

 港には船が並び、夕陽が海面を赤く染めていた。

「……ねえ、アオ」

 リリアが口を開いた。

「ん?」

「私たち、ついに一緒に仕事するんだね」

 アオは頷いた。

「ああ」

 リリアは少し笑った。

「……なんか、不思議」

「そうか?」

「うん。ハンター試験のときは、こんな日が来るなんて思ってなかったから」

 アオは静かに頷いた。

 確かに、あのときは想像もしていなかった。

 リリアが重傷を負い、試験を断念したこと。

 その後、ミレーヌの弟子になったこと。

 修行を積み、再び試験へ挑戦したこと。

 そして、プロハンターになったこと。

 すべてが、今へつながっている。

「……よく頑張ったな」

 アオがそう言うと、リリアは少し驚いた。

「……え?」

「ハンター試験に落ちたあとも、諦めなかっただろ」

 アオは笑った。

「すごいことだと思う」

 リリアはしばらく黙っていた。

 そして、小さく笑った。

「……ありがとう」

 少しだけ、声が震えていた。

 アオは何も言わなかった。

 ただ、隣に立っていた。

 やがて、リリアは顔を上げた。

「……でも、アオもすごいよ」

「俺?」

「うん」

 彼女は頷いた。

「昔から強かったけど、今はもっと強くなってる。それに、たくさんの人を助けてる」

 アオは少し照れくさくなった。

「……まだまだだよ」

「またそれ!」

 リリアは笑った。

 アオも笑った。

 しばらく、二人は並んで夕陽を眺めた。

 やがて、リリアがぽつりと言った。

「……ねえ」

「ん?」

「今回の仕事、絶対に成功させようね」

 アオは彼女を見た。

 その目には、強い決意が宿っていた。

 アオは静かに頷いた。

「ああ」

 そして、少し笑った。

「……二人でな」

 リリアの顔が明るくなった。

「うん!」

 夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。

     ◇

 その夜。

 アオは宿の部屋で、ミレーヌから受け取った資料を読み込んでいた。

 調査対象は、山岳地帯の奥にある古い遺跡。

 過去に何度か調査隊が派遣されているが、詳しい情報は少ない。

 三か月前に入った六人の調査隊は、途中で連絡を絶った。

 最後の通信地点は、渓谷の入口付近。

 その先には、複雑な地形と深い森林が広がっている。

 そして、資料の最後には、一つの奇妙な記述があった。

『現地住民の証言によれば、渓谷の奥では夜間に不可解な光が確認されることがある』

 アオは目を細めた。

「……不可解な光、か」

 自然現象かもしれない。

 未知の生物かもしれない。

 あるいは。

(……念能力者が関わっている可能性もあるな)

 アオは資料を閉じた。

 まだ、何もわからない。

 だが、危険な場所であることは間違いなさそうだった。

 アオは静かに息を吐いた。

「……面白くなってきたな」

 ブラックリストハンターとしての仕事。

 ネテロからの極秘依頼。

 そして、リリアとの初めての共同任務。

 ハンターとしての活動は、少しずつ広がり始めていた。

 アオは窓の外を見た。

 夜空には、無数の星が瞬いている。

 その向こうには、まだ見ぬ世界が広がっている。

 危険もあるだろう。

 困難もあるだろう。

 だが、それ以上に。

 新しい発見が、きっと待っている。

 アオは小さく笑った。

「……明日から、準備だな」

 そう呟き、机の上の地図を広げ直した。

 少年と少女。

 二人の若きハンターによる、初めての共同任務。

 その幕が、静かに上がろうとしていた。

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