流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第三十五話 黒刃の番人と、帰るための道

一九八九年、春。

 

 大陸西部、霧哭きの渓谷。

 

 地下遺跡の奥から吹き込む風は、ひどく冷たかった。

 

 湿った石の匂い。

 

 長い年月を経て積もった土埃。

 

 そして、どこかに混じる鉄錆のような臭気。

 

 巨大な地下空洞の中央で、俺は一人の男と向かい合っていた。

 

 男の手には、黒いオーラをまとった長剣。

 

 その背後には、古びた石扉がそびえ立っている。

 

 先ほどの一撃。

 

 速さも、威力も、決して低い水準ではなかった。

 

 少なくとも、普通の犯罪者とは比較にならない。

 

(……念能力者。それも、それなりに実戦経験を積んでいる)

 

 俺は男の立ち姿を観察した。

 

 年齢は三十代半ばほど。

 

 痩せぎすの身体に、擦り切れた革鎧。

 

 頬には古い傷痕があり、右目の下には小さな刺青が刻まれている。

 

 握っている剣は、刃渡り一メートルほど。

 

 刀身には不自然な黒い光沢があった。

 

 そして何より、気になるのはオーラだ。

 

 黒い霧のようなものが刀身にまとわりつき、時折、脈打つように揺れている。

 

(……変化系か? それとも、剣そのものに何か仕掛けがあるのか)

 

 断定するには情報が足りない。

 

 俺は呼吸を整えた。

 

「……リリア」

 

「うん」

 

 背後から、短い返事があった。

 

「扉の奥に、あと二人いる。こいつの仲間かどうかはわからない」

 

「わかった」

 

「そっちは任せる。ただし、無理に近づくな」

 

「アオも気をつけて」

 

「ああ」

 

 俺はわずかに口元を緩めた。

 

 すると、目の前の男が鼻で笑った。

 

「随分と余裕じゃねえか、小僧」

 

「余裕があるように見えるか?」

 

「少なくとも、死ぬ前の人間には見えねえな」

 

「それはどうも」

 

 男の眉が動いた。

 

「……舐めてんのか?」

 

「いいや」

 

 俺は静かに答えた。

 

「お前が何者なのか、まだ知らないだけだ」

 

 男の笑みが消えた。

 

 次の瞬間。

 

 床を蹴る音が響いた。

 

 男が踏み込む。

 

 速い。

 

 黒い刃が、斜め上から振り下ろされた。

 

 俺は半歩だけ身体をずらす。

 

 剣先が肩口をかすめる位置を通過した。

 

 直後、男は手首を返して横薙ぎに切り替える。

 

(……連撃か)

 

 俺は後退しない。

 

 むしろ、前へ出た。

 

 剣の間合いの内側へ。

 

 男の肘へ左手を添え、右掌を胸元へ打ち込む。

 

 流。

 

 瞬間的にオーラを右腕へ集める。

 

「ぐっ――!」

 

 男の身体が後方へ飛んだ。

 

 石床を滑り、三メートルほど離れたところで踏みとどまる。

 

 だが、倒れない。

 

(……防御もできるか)

 

 男は胸元を押さえながら、俺を睨んだ。

 

「……てめえ、何者だ」

 

「ハンターだよ」

 

「それは聞いた!」

 

 男が怒鳴る。

 

「十五、六のガキが、どうしてそんな動きをしやがる!」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「師匠が厳しかったんだ」

 

 嘘ではない。

 

 ビスケの修行を思い出すだけで、今でも背筋が伸びる。

 

 男は舌打ちした。

 

「……なら、こっちも本気でやるしかねえな」

 

 その言葉とともに、剣を包む黒いオーラが濃くなった。

 

     ◇

 

 リリアは、二人の戦闘を少し離れた場所から見守っていた。

 

 正確には、ただ見守っているわけではない。

 

 周囲の地形。

 

 石柱の配置。

 

 扉までの距離。

 

 床に残された痕跡。

 

 そして、戦闘の余波によって崩れそうな場所。

 

 それらを絶えず確認していた。

 

(……アオは、あの人より強い)

 

 それは、見ればわかる。

 

 剣を持った男は明らかに手練れだった。

 

 だが、アオはその攻撃を落ち着いて処理している。

 

 無駄な動きがない。

 

 踏み込みも、回避も、反撃も。

 

 すべてが滑らかにつながっていた。

 

(……前に会ったときより、また強くなってる)

 

 リリアは、少しだけ息を呑んだ。

 

 ハンター試験で初めて出会ったころから、アオは強かった。

 

 けれど今の彼は、以前とは違う。

 

 身長も伸びた。

 

 身体つきも変わった。

 

 黒髪の下から覗く灰色の瞳には、年齢に似合わない落ち着きがある。

 

 それでも、笑ったときには昔と同じ少年らしさが残っている。

 

(……って、今はそんなこと考えてる場合じゃない!)

 

 リリアは小さく首を振った。

 

 そして、銀色の羅針盤を握り直す。

 

 具現化系の発。

 

『迷い人の足跡(ロスト・トレイル)』

 

 その第一機能。

 

『足跡は嘘をつかない(トレース・オブ・ライフ)』

 

 先ほど岩壁の入口で見つけた、新しい足跡。

 

 その痕跡を起点として追跡を開始していた。

 

 羅針盤の針は、地下空洞の奥を示している。

 

 そして、リリアにだけ見える青白い足跡が、石床の上へ続いていた。

 

(……この足跡、変だ)

 

 リリアは目を細めた。

 

 足跡は、扉の前まで続いている。

 

 だが、その手前で一度、大きく方向を変えていた。

 

 まるで、何かを避けるように。

 

 さらに、その周囲には不自然な擦過痕がある。

 

 石床の一部が削れていた。

 

(……何かが動いた?)

 

 リリアは周囲を観察した。

 

 石柱。

 

 崩れた壁。

 

 床に刻まれた古い模様。

 

 そして。

 

「……あっ」

 

 気づいた。

 

 石床に刻まれた線の一部が、周囲と微妙に違っている。

 

 その線は、扉の前から広がるように伸びていた。

 

(……罠?)

 

 リリアは顔を上げた。

 

 ちょうどそのとき。

 

 男が、黒い剣を床へ突き立てた。

 

     ◇

 

「――沈め!」

 

 男が叫んだ。

 

 刀身から、黒いオーラが石床へ流れ込む。

 

 次の瞬間。

 

 足元が揺れた。

 

(……来る!)

 

 俺は反射的に跳躍した。

 

 直後、立っていた場所の石床から、黒い棘のようなものが突き出した。

 

 一本。

 

 二本。

 

 三本。

 

 鋭い棘が、床を突き破るように伸びる。

 

「……なるほど」

 

 俺は空中で身体を捻り、近くの石柱へ着地した。

 

(剣から放ったオーラが、床を伝っているのか)

 

 黒い棘は、数秒で消えた。

 

 残ったのは、ひび割れた石床だけ。

 

 男は笑った。

 

「どうした、小僧! 逃げるだけか!」

 

 俺は答えなかった。

 

 代わりに、周囲の状況を確認する。

 

 床に広がる黒いオーラ。

 

 男の剣。

 

 そして、扉の前に刻まれた模様。

 

(……あれ?)

 

 妙だ。

 

 男のオーラが、床の模様に沿って流れているように見える。

 

 単純な放出系の攻撃ではないのかもしれない。

 

 そのとき。

 

「アオ!」

 

 リリアの声が響いた。

 

「床の線! 黒い模様の上に乗らないで!」

 

 俺は瞬時に視線を落とした。

 

 石床に刻まれた細い溝。

 

 そこへ、黒いオーラが流れ込んでいる。

 

(……そういうことか!)

 

 俺は理解した。

 

 男の攻撃は、床のどこからでも発生するわけではない。

 

 あらかじめ刻まれた溝を利用している。

 

 おそらく、念を流すための経路。

 

 男は、その経路に沿って棘を発生させているのだ。

 

 つまり。

 

(……攻撃範囲が決まっている)

 

 俺は笑みを浮かべた。

 

「助かった、リリア!」

 

「うん!」

 

 男が顔をしかめた。

 

「……ちっ」

 

 その反応で、確信した。

 

 リリアの指摘は正しい。

 

 俺は石柱から飛び降りた。

 

 着地点は、床の模様が途切れている場所。

 

 男が剣を振るう。

 

 黒いオーラが床を走った。

 

 だが、俺の足元には届かない。

 

「……なっ!?」

 

 男の表情が変わった。

 

 俺は踏み込んだ。

 

 瞬間的に距離を詰める。

 

 男が剣を構え直す。

 

 遅い。

 

 俺は右手で剣を持つ手首を掴み、左肘を男の脇腹へ叩き込んだ。

 

「がっ……!」

 

 男の身体が折れる。

 

 続けて、足を払う。

 

 男は背中から石床へ倒れた。

 

 俺はその腕を極め、剣を手放させた。

 

 黒い剣が床へ転がる。

 

 だが。

 

(……まだだ)

 

 俺は油断しなかった。

 

 男の左手が、懐へ伸びる。

 

 俺はその手首を押さえた。

 

「……動くな」

 

 男が歯を食いしばる。

 

「くそっ……!」

 

 俺は男の身体を押さえ込み、拘束具を取り出した。

 

 両手。

 

 両足。

 

 そして、念能力者用の補助拘束具。

 

 完全に無力化できる保証はないが、少なくとも自由な動きは封じられる。

 

 男は抵抗をやめた。

 

「……化け物め」

 

 俺は苦笑した。

 

「十五歳に向かって、ひどい言い草だな」

 

 男は顔をしかめた。

 

「……十五?」

 

「そうだけど」

 

「……冗談だろ」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「よく言われる」

 

     ◇

 

 戦闘が終わると、リリアが近づいてきた。

 

「アオ、大丈夫?」

 

「ああ。怪我はない」

 

 俺は頷いた。

 

「それより、よく気づいたな」

 

「……え?」

 

「床の模様だよ。あれがなかったら、もう少し面倒だった」

 

 リリアは少し照れたように笑った。

 

「……足跡を見てたら、変なところがあったから」

 

「足跡?」

 

「うん」

 

 彼女は羅針盤を見せた。

 

「追跡してた人が、扉の前で急に進路を変えてたの」

 

 俺は目を細めた。

 

「……なるほど」

 

「それで、周りを調べたら、床に変な線があるのに気づいたんだ」

 

 俺は感心した。

 

 単に足跡を追うだけではない。

 

 痕跡から、過去に何が起きたのかを推測している。

 

 それは、念能力だけでできることではない。

 

 リリア自身の観察力と経験があってこそだ。

 

「……さすがだな」

 

 俺が言うと、リリアは嬉しそうに笑った。

 

「えへへ」

 

 だが、すぐに表情を引き締めた。

 

「……それより、奥の人たちは?」

 

 俺は頷いた。

 

「まだいる」

 

 円を広げる。

 

 扉の向こうに、二つの気配。

 

 どちらも動いていない。

 

(……妙だな)

 

 戦闘の音は、かなり大きかった。

 

 それなのに、逃げる様子も、こちらへ近づく様子もない。

 

 何か理由があるのかもしれない。

 

 俺は拘束した男へ視線を向けた。

 

「……質問がある」

 

 男は顔を背けた。

 

「……何だよ」

 

「三か月前に、六人の調査隊がここへ来たはずだ」

 

 男の肩が、わずかに動いた。

 

 俺は続けた。

 

「その人たちは、どこにいる?」

 

「……知らねえ」

 

 即答だった。

 

 だが、声が少し不自然だった。

 

 俺は男を見つめた。

 

「……本当に?」

 

「知らねえって言ってんだろ!」

 

 男が怒鳴る。

 

 俺は黙った。

 

 無理に脅しても、正確な情報が得られるとは限らない。

 

 それより、状況を確認した方が早い。

 

「……リリア」

 

「うん?」

 

「この男の装備、調べてもらえるか?」

 

「わかった」

 

 リリアは慎重に男の持ち物を確認した。

 

 革袋。

 

 水筒。

 

 小さなナイフ。

 

 そして、古びた金属製の札。

 

「……アオ、これ」

 

 彼女が札を差し出した。

 

 俺は受け取った。

 

 表面には、見慣れない紋章。

 

 そして、数字のような刻印。

 

(……何だ、これ)

 

 俺は男へ視線を向けた。

 

「……これは?」

 

 男は黙っていた。

 

 だが、その顔色が変わった。

 

 どうやら、重要なものらしい。

 

 俺は札を慎重に観察した。

 

 紋章は、三本の線が交差するような形。

 

 中央には、小さな円。

 

 そして、その周囲には古い文字が刻まれている。

 

 見覚えはない。

 

 だが、どこか引っかかる。

 

(……犯罪組織の印か? それとも、遺跡に関係するものか)

 

 判断は保留した。

 

     ◇

 

 俺たちは、拘束した男を石柱の近くへ移動させた。

 

 念能力者である以上、完全に無力化できたとは限らない。

 

 俺は男のオーラの動きを警戒しながら、リリアと今後の方針を相談した。

 

「……奥の二人を確認したい」

 

 俺が言うと、リリアは頷いた。

 

「うん。でも、この人を置いていくのは危険だよね」

 

「ああ」

 

 男が逃げる可能性もある。

 

 それに、他の仲間が戻ってくるかもしれない。

 

 俺は少し考えた。

 

「……まずは、扉の構造を調べよう」

 

「わかった」

 

 リリアは扉へ近づいた。

 

 俺は男を監視しながら、周囲を確認する。

 

 巨大な石扉。

 

 表面には、古い紋様が刻まれている。

 

 そして、扉の左右には、細い溝。

 

 先ほどの男が使っていた黒いオーラの経路と似ていた。

 

(……なるほど)

 

 この遺跡には、何らかの仕掛けがある。

 

 男の念能力は、その仕掛けを利用していた可能性が高い。

 

 リリアは扉の前でしゃがみ込んだ。

 

「……アオ」

 

「ん?」

 

「この扉、最近開けられてる」

 

 俺は近づいた。

 

「……わかるのか?」

 

「うん」

 

 リリアは扉の下部を指差した。

 

「ここ。埃が擦れてるでしょ?」

 

 確かに、床に薄い線が残っている。

 

 重い扉が動いた痕跡だ。

 

「……それに」

 

 リリアは羅針盤を見た。

 

「追跡してる足跡も、この先へ続いてる」

 

 俺は頷いた。

 

「……じゃあ、開ける必要があるな」

 

 リリアは少し考えた。

 

「でも、罠があるかもしれない」

 

「そうだな」

 

 俺は扉の表面を観察した。

 

 古い石造り。

 

 だが、単純に力を加えれば開くようには見えない。

 

 何らかの仕組みがあるのだろう。

 

 そのとき。

 

 背後から、男の声が聞こえた。

 

「……やめとけ」

 

 俺は振り向いた。

 

「……何?」

 

 男は、扉を見つめていた。

 

 その表情には、先ほどまでの余裕がなかった。

 

「……そこを開けたら、後悔するぞ」

 

 俺は目を細めた。

 

「……どういう意味だ?」

 

 男は答えなかった。

 

 ただ、低い声で呟いた。

 

「……あいつらみたいになりたくなけりゃ、帰れ」

 

 俺とリリアは、顔を見合わせた。

 

 あいつら。

 

 その言葉が指す相手は、ひとつしか思い浮かばなかった。

 

「……調査隊のことか?」

 

 俺が尋ねると、男は黙り込んだ。

 

 その沈黙が、何より雄弁だった。

 

     ◇

 

 しばらくして。

 

 俺たちは、扉の開閉方法を見つけた。

 

 扉の横にある石板。

 

 そこには、三つの窪みがあった。

 

 そして、拘束した男が持っていた金属札。

 

 形状が、よく似ている。

 

 俺は札を石板へ近づけた。

 

 すると。

 

 微かな振動が伝わってきた。

 

「……反応した」

 

 リリアが小さく言った。

 

 俺は頷いた。

 

 どうやら、この札が鍵の役割を果たしているらしい。

 

 ただし。

 

(……罠の可能性もある)

 

 俺は札を差し込まず、男へ視線を向けた。

 

「……これを使えば開くのか?」

 

 男は黙っていた。

 

 俺は続けた。

 

「扉の向こうに、人が二人いる」

 

 男の目が見開かれた。

 

「……何?」

 

「生きている人間の気配だ」

 

 俺は静かに言った。

 

「お前の仲間か?」

 

 男は唇を噛んだ。

 

 そして、しばらくしてから答えた。

 

「……違う」

 

 俺は目を細めた。

 

「……じゃあ、誰だ?」

 

 男は、扉を見つめた。

 

 その目には、恐怖が浮かんでいた。

 

「……あいつらは」

 

 男の声が震える。

 

「……まだ、生きてやがったのか」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 リリアも、表情を変えた。

 

「……まさか」

 

 俺は男を見つめた。

 

「……調査隊か?」

 

 男は、ゆっくりと頷いた。

 

 その瞬間。

 

 リリアが、小さく息を吐いた。

 

「……生きてる」

 

 俺は頷いた。

 

「ああ」

 

 少なくとも、二人。

 

 まだ生きている可能性がある。

 

 ならば。

 

「……助ける」

 

 俺は静かに言った。

 

 リリアがこちらを見た。

 

「……アオ」

 

「行こう」

 

 俺は彼女へ笑いかけた。

 

「……ここまで来たんだ。見捨てる理由はない」

 

 リリアは、少しだけ目を細めた。

 

 そして、強く頷いた。

 

「……うん!」

 

     ◇

 

 扉を開く前に、俺たちは準備を整えた。

 

 男は、引き続き拘束したまま。

 

 リリアは帰還経路の記録を確認する。

 

 俺は円を維持し、周囲の気配を探る。

 

 そして、金属札を石板へ差し込んだ。

 

 低い音が響いた。

 

 石扉が、ゆっくりと動き始める。

 

 重い石が擦れる音。

 

 埃が舞い上がる。

 

 そして。

 

 扉の向こうに、暗い通路が現れた。

 

 俺は慎重に足を踏み入れた。

 

 リリアが後に続く。

 

 通路の奥から、微かな光が見えた。

 

 青白い光。

 

 揺れるような、不自然な輝き。

 

(……これが、噂の光か)

 

 俺は目を細めた。

 

 光は、通路の奥から漏れている。

 

 そして、その先には。

 

 二人の人間の気配。

 

 俺は歩みを進めた。

 

 リリアも、静かに後を追う。

 

 やがて。

 

 通路の先に、小さな部屋が現れた。

 

 そこには、二人の人間がいた。

 

 一人は、中年の男性。

 

 もう一人は、若い女性。

 

 二人とも、ひどく衰弱していた。

 

 衣服は汚れ、身体には傷がある。

 

 だが。

 

 生きている。

 

「……誰か」

 

 女性が、かすれた声で呟いた。

 

 俺はすぐに近づいた。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 女性は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 その目には、驚きと恐怖が浮かんでいた。

 

「……あなたたちは」

 

「ハンターです」

 

 俺は静かに答えた。

 

「行方不明になった調査隊を探しに来ました」

 

 女性の目が、大きく見開かれた。

 

 そして。

 

 涙が、頬を伝った。

 

「……助けが」

 

 彼女は震える声で呟いた。

 

「……助けが、来た……」

 

 リリアが、すぐに女性のそばへ駆け寄った。

 

「もう大丈夫です」

 

 彼女は優しく言った。

 

「私たちが、必ず連れて帰ります」

 

 女性は、何度も頷いた。

 

 俺は二人の状態を確認した。

 

 脱水。

 

 栄養失調。

 

 複数の打撲。

 

 そして、男性の右脚には深い傷があった。

 

 通常の治療でも、時間をかければ回復できるかもしれない。

 

 だが、この状態で山道を移動させるのは危険だ。

 

(……回復能力を使うか)

 

 俺は一瞬、考えた。

 

 だが、すぐには発動しなかった。

 

 リリアがいる。

 

 そして、患者本人たちもいる。

 

 能力の詳細を知られる可能性がある。

 

 もちろん、命を救うためなら使うつもりだ。

 

 だが、今はまだ、他の方法を検討できる。

 

 俺はアイテムボックスからではなく、鞄に入れていた医療用品を取り出した。

 

 そして、男性の脚を確認する。

 

「……痛みますか?」

 

 男性は、弱々しく頷いた。

 

「……ああ」

 

「わかりました。応急処置をします」

 

 俺は傷口を確認し、慎重に処置を始めた。

 

 リリアは女性へ水を渡し、少しずつ飲ませている。

 

 その手つきは落ち着いていた。

 

 俺は、ふと彼女を見た。

 

 リリアは、女性の目を見ながら静かに話しかけている。

 

「……大丈夫。ゆっくりでいいから」

 

 その声には、確かな優しさがあった。

 

(……成長したな)

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

 ハンター試験で出会った少女。

 

 あのときは、守ることしかできなかった。

 

 だが今は。

 

 彼女もまた、誰かを救う側に立っている。

 

 俺は、静かに頷いた。

 

     ◇

 

 応急処置が終わったころ。

 

 中年の男性が、ようやく口を開いた。

 

「……君たちは、本当にハンターなのか?」

 

「はい」

 

 俺はライセンスを見せた。

 

 男性は、それを見て安堵したように息を吐いた。

 

「……よかった」

 

 そして、震える声で続けた。

 

「……だが、ここに長居してはいけない」

 

 俺は目を細めた。

 

「……どうしてですか?」

 

 男性は、部屋の奥を見た。

 

 そこには、さらに深い通路が続いている。

 

 そして、その奥から、青白い光が漏れていた。

 

「……あれが、来る」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……あれ?」

 

 男性は、唇を震わせた。

 

「……夜になると、光が強くなる」

 

 俺は黙って聞いた。

 

「……そして、誰かが消えるんだ」

 

 リリアの表情が変わった。

 

「……消える?」

 

 男性は頷いた。

 

「……最初は六人いた」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 調査隊の人数。

 

 六人。

 

 今、ここにいるのは二人。

 

 つまり。

 

「……残りの四人は?」

 

 俺が尋ねると、男性は顔を伏せた。

 

「……わからない」

 

 そして、震える声で言った。

 

「……光の向こうへ連れていかれた」

 

 俺は目を細めた。

 

 リリアも、静かに息を呑んだ。

 

 青白い光。

 

 行方不明者。

 

 そして、遺跡の奥。

 

 どうやら、この場所にはまだ何かがある。

 

 俺は、通路の奥を見つめた。

 

(……なるほど)

 

 今回の依頼。

 

 単なる遭難者の捜索では終わらないらしい。

 

 俺は静かに立ち上がった。

 

「……リリア」

 

「……うん?」

 

「まずは、この二人を安全な場所へ移動させよう」

 

 リリアは頷いた。

 

「うん」

 

「そのあとで、残りの四人について考える」

 

 彼女は少しだけ笑った。

 

「……わかった」

 

 俺は、再び青白い光へ視線を向けた。

 

 その奥には、何があるのか。

 

 まだ、わからない。

 

 だが。

 

 俺たちは、ここまで来た。

 

 そして、二人の命を見つけた。

 

 ならば。

 

 残りの四人も、可能な限り探したい。

 

 俺は静かに拳を握った。

 

「……必ず、連れて帰る」

 

 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。

 

 ただ、自分自身へ言い聞かせるように呟いた。

 

 隣で、リリアが小さく頷いた。

 

「……うん」

 

 青白い光が、地下通路の奥で揺れている。

 

 まるで。

 

 俺たちを、さらに深い場所へ誘うように。

 

 そして。

 

 霧哭きの渓谷に隠された秘密は、まだその姿を現していなかった。

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