流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第三十七話 霧の向こうの真実――第七観測区

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷、北西部。

 

 夜明け前の山は、ひどく静かだった。

 

 焚き火はすでに熾火となり、赤く燻る炭の間から細い煙が立ち上っている。

 

 濡れた土の匂い。

 

 夜露を含んだ草の冷たさ。

 

 遠くで鳴く、名前も知らない鳥の声。

 

 俺は膝の上に置いた金属札を、もう一度裏返した。

 

『第七観測区・通行許可証』

 

 昨夜、発見した刻印だ。

 

 何度見直しても、文字は変わらない。

 

 問題は、その意味だった。

 

(……観測区、か)

 

 自然保護区。

 

 研究施設。

 

 軍事拠点。

 

 その言葉から連想できるものはいくつもある。

 

 だが、地下遺跡の奥に人間を誘い込む不可解な光が存在し、その入口を念能力者が守っていたとなれば、話は別だ。

 

 しかも、通行許可証には明確に念が込められている。

 

 あれは単なる身分証ではない。

 

 遺跡内部で発生する方向感覚の異常を、何らかの形で回避する道具だ。

 

 昨日の脱出が、その証拠だった。

 

(誰かが仕組みを理解し、利用している)

 

 それが一番厄介だった。

 

 未知の自然現象なら、観察して法則を探ればいい。

 

 だが、そこに人間の意思が介在しているなら、こちらの行動を予測し、妨害してくる可能性がある。

 

 俺は金属札を布で包み、腰のポーチへ戻した。

 

「……さて」

 

 まずは、目の前の仕事だ。

 

 残り四人の捜索を続けるためにも、救助した二人を安全な場所へ送り届けなければならない。

 

 俺は立ち上がり、野営地を見渡した。

 

 ダリオとエマは毛布に包まって眠っている。

 

 ガイゼルは少し離れた岩陰で、両手を拘束されたまま座っていた。

 

 その姿勢は昨夜とほとんど変わっていない。

 

 ただし、眠っているわけではなかった。

 

 こちらの動きを、じっと観察している。

 

(……逃げる機会を探してるのか。それとも)

 

 俺は男の視線を受け止めた。

 

「おはよう」

 

「……朝から元気だな、化け物」

 

「まだその呼び方か」

 

「他に何て呼べってんだ」

 

「アオでいいだろ」

 

 ガイゼルは鼻を鳴らした。

 

「……名前を覚えるほど長い付き合いになるつもりはねえ」

 

「それは残念」

 

 俺は肩をすくめた。

 

 男は忌々しそうに顔を背けたが、昨日ほどの敵意は感じられなかった。

 

 代わりに、別の感情がある。

 

 焦燥。

 

 あるいは、恐怖。

 

 俺はその理由を、まだ知らない。

 

     ◇

 

「……アオ?」

 

 背後から、眠そうな声が聞こえた。

 

 振り向くと、リリアが毛布から顔を出していた。

 

 明るい栗色の髪が少し跳ねている。

 

 普段は肩甲骨に届くか届かないかという長さの髪を、探索中は後ろでまとめているのだが、眠っている間に結び目が緩んだらしい。

 

 琥珀色の瞳が、まだ半分ほどしか開いていない。

 

「おはよう」

 

「……おはよ」

 

 リリアは小さく欠伸をした。

 

 それから、俺の姿を見て眉を寄せる。

 

「……ちゃんと寝た?」

 

「ああ。少しな」

 

「少しって、どれくらい?」

 

「六時間くらい」

 

「……それなら、ちゃんと寝てるね」

 

「だろ?」

 

 俺は笑った。

 

 実際、俺にとって六時間の連続睡眠は重要だ。

 

 回復能力と、念能力『愚か者の宝物庫』の使用回数が、睡眠後の覚醒によって更新されるからだ。

 

 もっとも、リリアにはその事情を話していない。

 

 彼女は立ち上がり、伸びをした。

 

 深緑色の探索服が朝の風に揺れる。

 

 以前より大人びた顔立ちになったものの、こうして眠そうにしている姿を見ると、昔の面影が強く残っていた。

 

「……髪、跳ねてるぞ」

 

「えっ?」

 

 リリアは慌てて頭に手を伸ばした。

 

「どこ?」

 

「右側」

 

「……こっち?」

 

「もう少し後ろ」

 

 彼女が何度か手櫛で直そうとする。

 

 だが、寝癖はなかなか収まらなかった。

 

 俺は思わず笑ってしまった。

 

「……そんなに変?」

 

「いや。別に」

 

「絶対笑ってる!」

 

「悪い、悪い」

 

 リリアは頬を膨らませた。

 

 それでも、すぐに笑みを浮かべる。

 

「……もう」

 

 朝の冷たい空気の中、そのやり取りが妙に心地よかった。

 

 だが、いつまでものんびりしてはいられない。

 

 俺は表情を引き締めた。

 

「今日中に集落へ戻りたい」

 

「うん。私もそう思ってた」

 

 リリアはすぐに仕事の顔になった。

 

「昨日確認した帰還経路なら、負傷者を連れていても夕方までには着けると思う」

 

「途中の危険箇所は?」

 

「二か所。どちらも迂回できるよ。ただ、雨が降ると少し厄介かな」

 

 俺は空を見上げた。

 

 東の空には薄い雲が広がっている。

 

 今のところ雨の気配はない。

 

「……天気がもってくれるといいな」

 

「そうだね」

 

 リリアは腰のポーチへ手を伸ばした。

 

 銀色の羅針盤が具現化される。

 

 彼女は蓋を開き、昨日までの経路を確認した。

 

 青白い線が、複雑に折れ曲がりながら表示されている。

 

「……大丈夫。記録は残ってる」

 

「頼りにしてる」

 

「任せて!」

 

 その返事には、迷いがなかった。

 

     ◇

 

 山間の集落へ到着したのは、夕刻だった。

 

 集落の入口で見張りをしていた老人は、俺たちの姿を見た瞬間、目を見開いた。

 

「……ダリオ先生?」

 

 俺の背中にいる男を見て、老人の声が震える。

 

 ダリオが弱々しく手を上げた。

 

「……久しぶりだな」

 

「生きて……生きておられたのか!」

 

 老人が駆け寄ってくる。

 

 その声を聞きつけたのか、近くの家から人々が顔を出し始めた。

 

 やがて、集落の入口は小さな騒ぎになった。

 

 エマが泣き出す。

 

 ダリオも、何度も頭を下げていた。

 

 俺は二人を集落の診療所へ運び、事情を説明した。

 

 診療所には年配の医師が一人と、助手が二人。

 

 設備は決して充実していない。

 

 だが、清潔な寝台と飲料水、それに最低限の薬品は揃っていた。

 

「……よくここまで運んできたな」

 

 医師はダリオの脚を診察しながら、驚いたように言った。

 

「この傷で山道を越えたのか?」

 

「歩かせてはいません。俺が運びました」

 

「……君が?」

 

 医師が俺を見上げる。

 

 俺は頷いた。

 

「はい」

 

「……最近の若者は、随分と頑丈なんだな」

 

 俺は曖昧に笑った。

 

 リリアが隣で小さく肩を震わせている。

 

 どうやら、笑いを堪えているらしい。

 

 俺は軽く肘でつついた。

 

「……何だよ」

 

「何でもない」

 

 まったく。

 

 楽しそうで何よりだ。

 

 だが、医師の次の言葉で空気が変わった。

 

「……脚の傷が思ったより深い。感染も進んでいる。設備の整った病院へ移した方がいい」

 

 俺はダリオを見た。

 

 彼は申し訳なさそうに目を伏せていた。

 

「……すまない。迷惑をかける」

 

「気にしないでください」

 

 俺は答えた。

 

 そして、少し考えた。

 

(……ここまで来れば、能力を使っても問題ないか)

 

 リリアや医師の前で使えば、当然、何らかの説明が必要になる。

 

 だが、治療が遅れて後遺症が残る可能性もある。

 

 俺はダリオへ視線を向けた。

 

「……ダリオさん」

 

「何だ?」

 

「俺には、少し特殊な治療方法があります」

 

 ダリオが顔を上げる。

 

「……治療?」

 

「はい。ただ、一般的な医療とは違います。受けるかどうかは、あなた自身に決めてもらいたい」

 

 俺は言葉を選んだ。

 

「身体に触れて、傷や病気を回復させることができます。普通の治療ではありませんが、これまでにも成功しています」

 

 ダリオは目を丸くした。

 

 医師も驚いた表情を浮かべる。

 

「……念能力か?」

 

 医師が尋ねた。

 

 俺は即答を避けた。

 

「特殊な能力です。詳しい仕組みは公表していません」

 

 嘘を重ねる必要はない。

 

 ただし、すべてを明かす義務もない。

 

 ダリオはしばらく俺を見つめていた。

 

 そして。

 

「……頼めるか?」

 

 静かに言った。

 

「まだ、やりたい研究があるんだ」

 

 俺は頷いた。

 

「わかりました」

 

 医師には、状態を確認してもらうために立ち会ってもらうことにした。

 

 リリアは少し離れた場所で見守っている。

 

 俺はダリオの脚へ手を伸ばした。

 

(……今回は、全身だ)

 

 傷だけではない。

 

 栄養失調。

 

 感染。

 

 衰弱。

 

 長期間の監禁による身体的な消耗。

 

 それらを含めて、身体全体を正常な状態へ戻す。

 

 意識を集中させる。

 

 すると。

 

 掌から、柔らかな光が広がった。

 

 光はダリオの身体を包み、静かに消えていく。

 

 ほんの数秒。

 

 それだけだった。

 

「……え?」

 

 ダリオが、目を見開いた。

 

 彼は恐る恐る右脚を動かした。

 

 痛みがない。

 

 傷もない。

 

 腫れも、熱も消えている。

 

「……な、何だこれは」

 

 医師が息を呑んだ。

 

 ダリオは、ゆっくりと寝台から足を下ろした。

 

 そして。

 

 立ち上がった。

 

「……歩ける」

 

 彼は呆然と呟いた。

 

「……本当に、歩ける……!」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

(……よし)

 

 回復は成功した。

 

 残り使用回数は二回。

 

 俺はダリオへ言った。

 

「念のため、今日は休んでください。体調が戻っていても、急に動き回る必要はありません」

 

 ダリオは何度も頷いた。

 

「……ありがとう」

 

 その声が震えていた。

 

「本当に、ありがとう……!」

 

 俺は小さく笑った。

 

「無事に帰れてよかったです」

 

     ◇

 

 エマの治療も、本人の同意を得て行った。

 

 彼女は身体的な衰弱だけでなく、強い精神的な疲弊も抱えていた。

 

 俺は、全身の回復を意識した。

 

 能力が発動する。

 

 柔らかな光が、彼女の身体を包む。

 

 数秒後。

 

 エマは、ゆっくりと目を開いた。

 

「……身体が、軽い」

 

 彼女は驚いたように両手を見つめた。

 

 そして、俺へ視線を向けた。

 

「……怖かったことは、覚えています」

 

 俺は頷いた。

 

「記憶まで消えるわけではありません」

 

「……でも」

 

 エマは胸元へ手を当てた。

 

「……さっきまで、息をするだけで苦しかったのに」

 

 彼女の目から涙がこぼれた。

 

「……今は、ちゃんと息ができる」

 

 俺は静かに頷いた。

 

 精神的な負担が軽減されても、経験した出来事そのものが消えるわけではない。

 

 これから先、彼女が恐怖を思い出すこともあるだろう。

 

 そのときに必要なのは、能力だけではない。

 

 周囲の支え。

 

 時間。

 

 そして、安心して暮らせる環境だ。

 

 俺は医師へ向き直った。

 

「二人とも、しばらく様子を見てもらえますか?」

 

 医師は、まだ驚きから立ち直れていない様子だった。

 

「……あ、ああ。もちろんだ」

 

 俺は頷いた。

 

「お願いします」

 

 これで、回復能力の残り使用回数は一回。

 

 今夜、十分に眠れば再び使用できる。

 

 だが、今回の任務では、できるだけ温存しておきたい。

 

 何が起きるかわからないからだ。

 

     ◇

 

 診療所を出ると、すでに空は暗くなり始めていた。

 

 俺は外の空気を吸い込んだ。

 

 山の冷たい風が、頬を撫でる。

 

「……アオ」

 

 隣から声がした。

 

 リリアだ。

 

「……すごいね、あの能力」

 

 俺は彼女を見た。

 

 その表情には、純粋な驚きが浮かんでいた。

 

「……そうか?」

 

「うん」

 

 リリアは頷いた。

 

「前にも見たことはあったけど、やっぱりすごい」

 

 俺は少しだけ視線を落とした。

 

 彼女が言っているのは、ハンター試験のときのことだろう。

 

 あのとき。

 

 クロウ・ベルガーとの戦いで、リリアは左腕を失った。

 

 俺は回復能力を使い、その腕を再生させた。

 

 彼女の命を救えたことは、今でもよかったと思っている。

 

 だが、あの光景を思い出すと、胸の奥が少し重くなる。

 

「……あのときは、怖かったな」

 

 俺が呟くと、リリアは静かに頷いた。

 

「……うん」

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

 やがて、リリアが口を開いた。

 

「……でもね」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……あのとき、アオが来てくれて、本当に嬉しかった」

 

 彼女は、まっすぐ俺を見ていた。

 

 琥珀色の瞳。

 

 その中に、夕暮れの光が映っている。

 

「……ありがとう」

 

 俺は、少しだけ言葉に詰まった。

 

 こういうとき、どう返すのが正解なのか。

 

 正直、よくわからない。

 

 前世では三十二歳だった。

 

 だが、恋愛経験が豊富だったわけでもない。

 

 ましてや、今の俺は十五歳だ。

 

 身体も、周囲の環境も、前世とはまるで違う。

 

 目の前にいるリリアは、昔の少女とは違う。

 

 十七歳になり、綺麗になった。

 

 それでも、俺に向ける笑顔は変わらない。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……俺も、助けられてよかった」

 

 リリアは、少しだけ目を見開いた。

 

 そして。

 

 ふわりと笑った。

 

「……うん」

 

 その笑顔を見て、俺はなぜか少しだけ落ち着かなくなった。

 

(……何なんだろうな、これ)

 

 戦闘中なら、もっと冷静に考えられるのに。

 

 どうにも、人間関係というのは難しい。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 俺たちは、集落の長老の家を訪ねた。

 

 目的は、通信設備を借りるためだ。

 

 ミレーヌさんへ、現在の状況を報告する必要がある。

 

 長老は快く通信機を貸してくれた。

 

 俺たちは、集落の外れにある小さな通信小屋へ向かった。

 

 リリアが機器を操作する。

 

 数回の接続音。

 

 そして。

 

『……こちら、ミレーヌ』

 

 聞き慣れた女性の声が響いた。

 

「先生!」

 

『リリア? 無事なのね』

 

「はい!」

 

 リリアは嬉しそうに答えた。

 

「調査隊の生存者を二人発見しました。今は集落で保護しています」

 

 通信機の向こうで、短い沈黙があった。

 

『……二人?』

 

「はい」

 

『……そう』

 

 ミレーヌさんの声が、少しだけ柔らかくなった。

 

『よくやったわ』

 

 リリアは嬉しそうに笑った。

 

「ありがとうございます!」

 

 俺は通信機を受け取った。

 

「アオです」

 

『アオ。あなたも無事ね』

 

「はい。今のところ、大きな怪我はありません」

 

『……今のところ、という言い方が気になるわね』

 

「少し戦闘がありました」

 

『……詳しく聞かせて』

 

 俺は、これまでの経緯を説明した。

 

 地下遺跡。

 

 黒い剣を使う念能力者。

 

 青白い光。

 

 道を狂わせる現象。

 

 そして、第七観測区の通行許可証。

 

 ミレーヌさんは、最後まで黙って聞いていた。

 

 やがて。

 

『……第七観測区』

 

 低い声で、その言葉を繰り返した。

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……何か、ご存じですか?」

 

 短い沈黙。

 

 そして。

 

『……その名前、以前にも聞いたことがあるわ』

 

 俺は目を細めた。

 

「……どこで?」

 

『数年前、別の秘境調査でね』

 

 ミレーヌさんは続けた。

 

『ある研究者が、古代遺跡に関する非公開資料を持っていたの。その中に、似たような名称が出てきた』

 

「……似たような名称?」

 

『ええ』

 

 彼女は静かに言った。

 

『第一観測区、第三観測区……そんな表記だったと思う』

 

 俺は、思わずリリアを見た。

 

 彼女も驚いた表情を浮かべている。

 

(……やっぱり、他にもあるのか)

 

 俺は通信機へ向き直った。

 

「……その研究者は、今どこに?」

 

『……それが、わからないの』

 

 ミレーヌさんの声が、少しだけ重くなった。

 

『数年前から、消息を絶っている』

 

 俺は黙った。

 

 リリアも、表情を引き締めた。

 

 ミレーヌさんは続けた。

 

『……アオ、リリア』

 

「はい」

 

『これ以上、軽率に奥へ進まないで』

 

 その声には、明確な警戒があった。

 

『その遺跡は、単なる古代遺跡じゃない可能性が高いわ』

 

 俺は頷いた。

 

「……同感です」

 

『生存者二人を発見した時点で、依頼の一部は達成している。残り四人の捜索については、状況を整理してから判断しましょう』

 

 俺は少し考えた。

 

 そして。

 

「……ミレーヌさん」

 

『何?』

 

「俺たちは、もう一度遺跡へ行くつもりです」

 

 通信機の向こうで、沈黙が落ちた。

 

『……理由を聞いても?』

 

「残り四人が、まだ生きている可能性があります」

 

 俺は答えた。

 

「それに、あの遺跡には明らかに人為的な仕掛けがあります。誰かが管理しているなら、被害が今後も出るかもしれません」

 

『……危険よ』

 

「わかっています」

 

 俺は静かに言った。

 

「だから、今度は準備を整えてから行きます」

 

 ミレーヌさんは、しばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

『……リリアは?』

 

 俺は通信機を彼女へ渡した。

 

 リリアは一度、深呼吸した。

 

 そして。

 

「……先生」

 

『ええ』

 

「私も、行きたいです」

 

 その声は、はっきりしていた。

 

「怖くないわけじゃありません。でも、まだ見つかっていない人たちがいます」

 

 リリアは続けた。

 

「それに、私の能力なら、帰還経路を確保できます。アオの円と組み合わせれば、危険を早く見つけられると思います」

 

 通信機の向こうで、ミレーヌさんが静かに息を吐いた。

 

『……そう』

 

 そして。

 

『……わかったわ』

 

 リリアの表情が明るくなる。

 

「先生!」

 

『ただし、条件がある』

 

 その声で、リリアは背筋を伸ばした。

 

『第一に、二人だけで無謀な突入をしないこと』

 

「はい」

 

『第二に、必ず撤退の基準を決めておくこと』

 

「はい」

 

『第三に、私が合流するまで、遺跡の最深部には入らないこと』

 

 俺は思わず口を開いた。

 

「……合流するんですか?」

 

『当然でしょう』

 

 ミレーヌさんの声には、少し呆れたような響きがあった。

 

『弟子と、その大切な友人が危険な場所へ向かうのよ。放っておけるわけがないでしょう』

 

 リリアが、少しだけ頬を赤らめた。

 

「……先生」

 

『それに』

 

 ミレーヌさんは続けた。

 

『私自身、その遺跡には興味があるわ』

 

 俺は小さく笑った。

 

「……秘境ハンターですもんね」

 

『そういうこと』

 

 通信機の向こうで、ミレーヌさんも笑った。

 

『三日以内に合流する。二人とも、それまでは準備と情報収集に専念しなさい』

 

「了解です」

 

「はい!」

 

 通信が切れた。

 

 俺とリリアは、顔を見合わせた。

 

「……先生、来るって」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「心強いな」

 

 リリアは嬉しそうに笑った。

 

「うん!」

 

     ◇

 

 通信小屋を出たあと、俺たちは集落の広場へ向かった。

 

 朝の市場が開かれ、野菜や干し肉、生活用品が並んでいる。

 

 俺は必要な物資を買い足した。

 

 保存食。

 

 水筒。

 

 ロープ。

 

 照明器具。

 

 そして、予備の医療用品。

 

 アイテムボックスを使えば、持ち運びには困らない。

 

 だが、リリアの前では普通の鞄へ収納する。

 

 すべてを隠し続けることが正しいのか。

 

 最近は、少し考えるようになっていた。

 

(……いつか、話すべきなのかもしれないな)

 

 リリアは信頼できる。

 

 少なくとも、これまでの付き合いで、そう感じている。

 

 だが、秘密を共有することは、相手にも危険を背負わせることになる。

 

 その判断は、慎重にしなければならない。

 

「……アオ?」

 

 リリアが首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

「……いや、何でもない」

 

 俺は笑った。

 

「ちょっと考え事をしてた」

 

「……そっか」

 

 彼女はそれ以上、追及しなかった。

 

 代わりに、俺の持っている荷物を見た。

 

「……それ、重くない?」

 

「大丈夫だ」

 

「でも、私も持つよ」

 

「いや、これくらい――」

 

「アオ」

 

 リリアが、少しだけ目を細めた。

 

「……私もハンターなんだけど?」

 

 俺は口を閉じた。

 

 そして、苦笑する。

 

「……そうだったな」

 

 荷物の一部を渡す。

 

 リリアは満足そうに笑った。

 

「よろしい」

 

 俺は思わず吹き出した。

 

「……誰の真似だよ」

 

「先生」

 

「似てるな」

 

「でしょ?」

 

 そんなやり取りをしながら、俺たちは市場を歩いた。

 

     ◇

 

 その日の午後。

 

 俺は一人で、ガイゼルが拘束されている集落の倉庫へ向かった。

 

 長老の許可を得て、一時的に使用している場所だ。

 

 入口には、集落の自警団が二人立っている。

 

 俺は彼らへ挨拶し、中へ入った。

 

 ガイゼルは壁際に座っていた。

 

 俺を見るなり、顔をしかめる。

 

「……またてめえか」

 

「悪いな」

 

 俺は椅子を引き寄せた。

 

「少し話がしたい」

 

「……話すことなんざねえよ」

 

「そうか」

 

 俺は頷いた。

 

 そして、腰のポーチから金属札を取り出した。

 

 ガイゼルの目が動く。

 

「……第七観測区」

 

 俺は札を見せた。

 

「これ、どういう意味だ?」

 

 男は黙っていた。

 

 俺は続けた。

 

「お前は、この札を使って遺跡を出入りしていた。つまり、少なくともあの仕掛けの一部は理解している」

 

 ガイゼルは顔を背けた。

 

「……知らねえ」

 

「なら、別の質問だ」

 

 俺は静かに言った。

 

「お前は、誰に雇われた?」

 

 男の肩が、わずかに動いた。

 

「……言えねえ」

 

「言わないと、どうなる?」

 

 ガイゼルは、俺を睨んだ。

 

「……何?」

 

「言えない理由があるんだろ」

 

 俺は続けた。

 

「雇い主に報復されるのか。それとも、何か制約があるのか」

 

 ガイゼルの顔色が変わった。

 

 俺は、その反応を見逃さなかった。

 

(……やっぱり)

 

 何らかの念による制約。

 

 あるいは、単純な脅迫。

 

 どちらかはわからない。

 

 だが、男が口を閉ざしている理由は、ただの忠誠心ではなさそうだった。

 

「……ガイゼル」

 

 俺は静かに言った。

 

「お前を助けるつもりはない。人を殺そうとした以上、責任は取ってもらう」

 

 男は黙っていた。

 

「ただ、何かに脅されているなら、話は別だ」

 

 俺は続けた。

 

「少なくとも、事情を調べることはできる」

 

 ガイゼルは、しばらく俺を見つめていた。

 

 そして。

 

「……首だ」

 

 小さく呟いた。

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……首?」

 

 男は、震える手で自分の首元を示した。

 

「……ここに、ある」

 

 俺は目を細めた。

 

 そして、凝を使った。

 

 目にオーラを集中させる。

 

 すると。

 

(……っ)

 

 ガイゼルの首元に、薄い黒紫色のオーラが見えた。

 

 それは、皮膚の下へ食い込むように広がっている。

 

 形状は、細い輪。

 

 まるで、見えない首輪のようだった。

 

(……念による拘束か)

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ガイゼルは、震える声で言った。

 

「……名前を言ったら、死ぬ」

 

 俺は黙った。

 

「……契約を破ったら、首が締まる」

 

 男の顔には、明確な恐怖が浮かんでいた。

 

「……俺は、ただの雇われだ」

 

 そして。

 

「……あいつらは、人間じゃねえ」

 

 俺は目を細めた。

 

「……どういう意味だ?」

 

 ガイゼルは、唇を震わせた。

 

「……あの光を、作った奴らだ」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 ガイゼルは続けた。

 

「……あいつらは、何かを探してる」

 

「……何を?」

 

 男は、首を横に振った。

 

「……知らねえ」

 

 そして、震える声で言った。

 

「……でも、あの遺跡の奥には」

 

 男の目が、大きく見開かれた。

 

「……人間を、集めてる場所がある」

 

 俺は、静かに拳を握った。

 

 人間を集めている。

 

 その言葉が意味するもの。

 

 俺には、嫌というほど心当たりがあった。

 

 流星街。

 

 人身売買。

 

 子供たちを狙った犯罪者。

 

 そして、ブラックリストハンターとして追ってきた組織。

 

(……まさか)

 

 俺は、ガイゼルを見つめた。

 

「……そこに、調査隊の四人もいるのか?」

 

 男は、震える声で答えた。

 

「……わからねえ」

 

 そして。

 

「……だが、連れていかれた奴らは、みんな奥へ運ばれる」

 

 俺は、しばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

「……わかった」

 

 静かに立ち上がる。

 

「……何がだよ」

 

 ガイゼルが尋ねた。

 

 俺は男を見た。

 

「お前の首の念については、調べておく」

 

 ガイゼルの目が揺れた。

 

「……外せるのか?」

 

「今はわからない」

 

 俺は正直に答えた。

 

「ただ、念によるものなら、方法がないわけじゃない」

 

 ガイゼルは、しばらく俺を見つめていた。

 

 そして、顔を伏せた。

 

「……好きにしろ」

 

 その声には、先ほどまでの敵意がほとんど残っていなかった。

 

     ◇

 

 倉庫を出ると、夕陽が集落を赤く染めていた。

 

 俺は、ゆっくりと歩きながら考えた。

 

(……人間を集めている場所)

 

 もし、それが事実なら。

 

 今回の事件は、単なる遺跡調査では終わらない。

 

 人身売買。

 

 人体実験。

 

 あるいは、念能力者による何らかの研究。

 

 可能性はいくつもある。

 

 だが、現時点で確かなことは少ない。

 

 俺は、腰のポーチへ手を触れた。

 

 そこには、第七観測区の通行許可証が入っている。

 

 そして。

 

 俺の中には、まだ使っていない力がある。

 

 回復能力。

 

 除念。

 

 もし、ガイゼルの首輪が念によるものなら、解除できる可能性は高い。

 

 だが、問題はその先だ。

 

(……外した瞬間、雇い主に知られる仕掛けだったら?)

 

 あり得る。

 

 念能力には、使用者の想像を超えるような制約や効果が存在する。

 

 だからこそ、慎重に判断する必要がある。

 

 俺は空を見上げた。

 

 夕焼けの向こう。

 

 山々の輪郭が、黒く浮かび上がっている。

 

 その奥には、霧哭きの渓谷がある。

 

 青白い光。

 

 消えた調査隊。

 

 第七観測区。

 

 そして、謎の組織。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

「……さて」

 

 やるべきことは、増えた。

 

 だが。

 

 焦る必要はない。

 

 まずは、ミレーヌさんの到着を待つ。

 

 それから、情報を整理する。

 

 そして、必要な準備を整える。

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

(……今度こそ、奥まで調べてやる)

 

     ◇

 

 その夜。

 

 集落の宿屋。

 

 俺は机の上に地図を広げていた。

 

 隣では、リリアが調査記録を整理している。

 

 彼女は、銀色の羅針盤を開き、これまでの経路を確認していた。

 

「……アオ」

 

「ん?」

 

「これ、見て」

 

 リリアが地図を指差した。

 

 俺は身を乗り出す。

 

「……何か見つけた?」

 

「うん」

 

 彼女は、記録した経路と地図を見比べていた。

 

「……帰り道なんだけど」

 

「……ああ」

 

「金属札を持ってから、針が安定したでしょ?」

 

「そうだったな」

 

 リリアは頷いた。

 

「それで、帰還経路を確認してたら、気づいたことがあるの」

 

 彼女は地図の一角を指差した。

 

「……ここ」

 

 俺は目を細めた。

 

「……何だ?」

 

「私たち、同じ場所を二回通ってる」

 

 俺は頷いた。

 

「……迷ったときだろ?」

 

「うん。でもね」

 

 リリアは続けた。

 

「記録されている距離が、合わないの」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……距離?」

 

「そう」

 

 彼女は羅針盤を見せた。

 

「同じ通路を歩いたはずなのに、二回目の方が短いの」

 

 俺は、しばらく黙っていた。

 

(……なるほど)

 

 単なる幻覚ではない可能性がある。

 

 もし、空間のつながりそのものが変化しているなら。

 

 あの遺跡は、見た目以上に複雑な構造を持っているのかもしれない。

 

 俺は、リリアを見た。

 

「……よく気づいたな」

 

 彼女は少し笑った。

 

「……こういうの、得意だから」

 

 俺は頷いた。

 

「……頼りにしてる」

 

 リリアは、ほんの少し頬を赤らめた。

 

「……うん」

 

 俺たちは、再び地図へ視線を戻した。

 

 そのとき。

 

 窓の外で、風が鳴った。

 

 遠くの山から吹いてくる、冷たい風。

 

 その音は。

 

 まるで。

 

 誰かが、泣いているようだった。

 

 俺は、ふと顔を上げた。

 

(……霧哭きの渓谷)

 

 あの場所には、まだ何かがある。

 

 そして。

 

 その奥で、誰かが助けを待っているのかもしれない。

 

 俺は静かに拳を握った。

 

「……必ず、見つける」

 

 隣で、リリアが頷いた。

 

「……うん」

 

 銀色の羅針盤が、机の上で淡い光を放っていた。

 

 その針は、静かに一方向を指している。

 

 帰るべき道。

 

 そして、これから進むべき道。

 

 二人のハンターの探索は、まだ終わっていなかった。

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