流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷、北西部。
夜明け前の山は、ひどく静かだった。
焚き火はすでに熾火となり、赤く燻る炭の間から細い煙が立ち上っている。
濡れた土の匂い。
夜露を含んだ草の冷たさ。
遠くで鳴く、名前も知らない鳥の声。
俺は膝の上に置いた金属札を、もう一度裏返した。
『第七観測区・通行許可証』
昨夜、発見した刻印だ。
何度見直しても、文字は変わらない。
問題は、その意味だった。
(……観測区、か)
自然保護区。
研究施設。
軍事拠点。
その言葉から連想できるものはいくつもある。
だが、地下遺跡の奥に人間を誘い込む不可解な光が存在し、その入口を念能力者が守っていたとなれば、話は別だ。
しかも、通行許可証には明確に念が込められている。
あれは単なる身分証ではない。
遺跡内部で発生する方向感覚の異常を、何らかの形で回避する道具だ。
昨日の脱出が、その証拠だった。
(誰かが仕組みを理解し、利用している)
それが一番厄介だった。
未知の自然現象なら、観察して法則を探ればいい。
だが、そこに人間の意思が介在しているなら、こちらの行動を予測し、妨害してくる可能性がある。
俺は金属札を布で包み、腰のポーチへ戻した。
「……さて」
まずは、目の前の仕事だ。
残り四人の捜索を続けるためにも、救助した二人を安全な場所へ送り届けなければならない。
俺は立ち上がり、野営地を見渡した。
ダリオとエマは毛布に包まって眠っている。
ガイゼルは少し離れた岩陰で、両手を拘束されたまま座っていた。
その姿勢は昨夜とほとんど変わっていない。
ただし、眠っているわけではなかった。
こちらの動きを、じっと観察している。
(……逃げる機会を探してるのか。それとも)
俺は男の視線を受け止めた。
「おはよう」
「……朝から元気だな、化け物」
「まだその呼び方か」
「他に何て呼べってんだ」
「アオでいいだろ」
ガイゼルは鼻を鳴らした。
「……名前を覚えるほど長い付き合いになるつもりはねえ」
「それは残念」
俺は肩をすくめた。
男は忌々しそうに顔を背けたが、昨日ほどの敵意は感じられなかった。
代わりに、別の感情がある。
焦燥。
あるいは、恐怖。
俺はその理由を、まだ知らない。
◇
「……アオ?」
背後から、眠そうな声が聞こえた。
振り向くと、リリアが毛布から顔を出していた。
明るい栗色の髪が少し跳ねている。
普段は肩甲骨に届くか届かないかという長さの髪を、探索中は後ろでまとめているのだが、眠っている間に結び目が緩んだらしい。
琥珀色の瞳が、まだ半分ほどしか開いていない。
「おはよう」
「……おはよ」
リリアは小さく欠伸をした。
それから、俺の姿を見て眉を寄せる。
「……ちゃんと寝た?」
「ああ。少しな」
「少しって、どれくらい?」
「六時間くらい」
「……それなら、ちゃんと寝てるね」
「だろ?」
俺は笑った。
実際、俺にとって六時間の連続睡眠は重要だ。
回復能力と、念能力『愚か者の宝物庫』の使用回数が、睡眠後の覚醒によって更新されるからだ。
もっとも、リリアにはその事情を話していない。
彼女は立ち上がり、伸びをした。
深緑色の探索服が朝の風に揺れる。
以前より大人びた顔立ちになったものの、こうして眠そうにしている姿を見ると、昔の面影が強く残っていた。
「……髪、跳ねてるぞ」
「えっ?」
リリアは慌てて頭に手を伸ばした。
「どこ?」
「右側」
「……こっち?」
「もう少し後ろ」
彼女が何度か手櫛で直そうとする。
だが、寝癖はなかなか収まらなかった。
俺は思わず笑ってしまった。
「……そんなに変?」
「いや。別に」
「絶対笑ってる!」
「悪い、悪い」
リリアは頬を膨らませた。
それでも、すぐに笑みを浮かべる。
「……もう」
朝の冷たい空気の中、そのやり取りが妙に心地よかった。
だが、いつまでものんびりしてはいられない。
俺は表情を引き締めた。
「今日中に集落へ戻りたい」
「うん。私もそう思ってた」
リリアはすぐに仕事の顔になった。
「昨日確認した帰還経路なら、負傷者を連れていても夕方までには着けると思う」
「途中の危険箇所は?」
「二か所。どちらも迂回できるよ。ただ、雨が降ると少し厄介かな」
俺は空を見上げた。
東の空には薄い雲が広がっている。
今のところ雨の気配はない。
「……天気がもってくれるといいな」
「そうだね」
リリアは腰のポーチへ手を伸ばした。
銀色の羅針盤が具現化される。
彼女は蓋を開き、昨日までの経路を確認した。
青白い線が、複雑に折れ曲がりながら表示されている。
「……大丈夫。記録は残ってる」
「頼りにしてる」
「任せて!」
その返事には、迷いがなかった。
◇
山間の集落へ到着したのは、夕刻だった。
集落の入口で見張りをしていた老人は、俺たちの姿を見た瞬間、目を見開いた。
「……ダリオ先生?」
俺の背中にいる男を見て、老人の声が震える。
ダリオが弱々しく手を上げた。
「……久しぶりだな」
「生きて……生きておられたのか!」
老人が駆け寄ってくる。
その声を聞きつけたのか、近くの家から人々が顔を出し始めた。
やがて、集落の入口は小さな騒ぎになった。
エマが泣き出す。
ダリオも、何度も頭を下げていた。
俺は二人を集落の診療所へ運び、事情を説明した。
診療所には年配の医師が一人と、助手が二人。
設備は決して充実していない。
だが、清潔な寝台と飲料水、それに最低限の薬品は揃っていた。
「……よくここまで運んできたな」
医師はダリオの脚を診察しながら、驚いたように言った。
「この傷で山道を越えたのか?」
「歩かせてはいません。俺が運びました」
「……君が?」
医師が俺を見上げる。
俺は頷いた。
「はい」
「……最近の若者は、随分と頑丈なんだな」
俺は曖昧に笑った。
リリアが隣で小さく肩を震わせている。
どうやら、笑いを堪えているらしい。
俺は軽く肘でつついた。
「……何だよ」
「何でもない」
まったく。
楽しそうで何よりだ。
だが、医師の次の言葉で空気が変わった。
「……脚の傷が思ったより深い。感染も進んでいる。設備の整った病院へ移した方がいい」
俺はダリオを見た。
彼は申し訳なさそうに目を伏せていた。
「……すまない。迷惑をかける」
「気にしないでください」
俺は答えた。
そして、少し考えた。
(……ここまで来れば、能力を使っても問題ないか)
リリアや医師の前で使えば、当然、何らかの説明が必要になる。
だが、治療が遅れて後遺症が残る可能性もある。
俺はダリオへ視線を向けた。
「……ダリオさん」
「何だ?」
「俺には、少し特殊な治療方法があります」
ダリオが顔を上げる。
「……治療?」
「はい。ただ、一般的な医療とは違います。受けるかどうかは、あなた自身に決めてもらいたい」
俺は言葉を選んだ。
「身体に触れて、傷や病気を回復させることができます。普通の治療ではありませんが、これまでにも成功しています」
ダリオは目を丸くした。
医師も驚いた表情を浮かべる。
「……念能力か?」
医師が尋ねた。
俺は即答を避けた。
「特殊な能力です。詳しい仕組みは公表していません」
嘘を重ねる必要はない。
ただし、すべてを明かす義務もない。
ダリオはしばらく俺を見つめていた。
そして。
「……頼めるか?」
静かに言った。
「まだ、やりたい研究があるんだ」
俺は頷いた。
「わかりました」
医師には、状態を確認してもらうために立ち会ってもらうことにした。
リリアは少し離れた場所で見守っている。
俺はダリオの脚へ手を伸ばした。
(……今回は、全身だ)
傷だけではない。
栄養失調。
感染。
衰弱。
長期間の監禁による身体的な消耗。
それらを含めて、身体全体を正常な状態へ戻す。
意識を集中させる。
すると。
掌から、柔らかな光が広がった。
光はダリオの身体を包み、静かに消えていく。
ほんの数秒。
それだけだった。
「……え?」
ダリオが、目を見開いた。
彼は恐る恐る右脚を動かした。
痛みがない。
傷もない。
腫れも、熱も消えている。
「……な、何だこれは」
医師が息を呑んだ。
ダリオは、ゆっくりと寝台から足を下ろした。
そして。
立ち上がった。
「……歩ける」
彼は呆然と呟いた。
「……本当に、歩ける……!」
俺は静かに息を吐いた。
(……よし)
回復は成功した。
残り使用回数は二回。
俺はダリオへ言った。
「念のため、今日は休んでください。体調が戻っていても、急に動き回る必要はありません」
ダリオは何度も頷いた。
「……ありがとう」
その声が震えていた。
「本当に、ありがとう……!」
俺は小さく笑った。
「無事に帰れてよかったです」
◇
エマの治療も、本人の同意を得て行った。
彼女は身体的な衰弱だけでなく、強い精神的な疲弊も抱えていた。
俺は、全身の回復を意識した。
能力が発動する。
柔らかな光が、彼女の身体を包む。
数秒後。
エマは、ゆっくりと目を開いた。
「……身体が、軽い」
彼女は驚いたように両手を見つめた。
そして、俺へ視線を向けた。
「……怖かったことは、覚えています」
俺は頷いた。
「記憶まで消えるわけではありません」
「……でも」
エマは胸元へ手を当てた。
「……さっきまで、息をするだけで苦しかったのに」
彼女の目から涙がこぼれた。
「……今は、ちゃんと息ができる」
俺は静かに頷いた。
精神的な負担が軽減されても、経験した出来事そのものが消えるわけではない。
これから先、彼女が恐怖を思い出すこともあるだろう。
そのときに必要なのは、能力だけではない。
周囲の支え。
時間。
そして、安心して暮らせる環境だ。
俺は医師へ向き直った。
「二人とも、しばらく様子を見てもらえますか?」
医師は、まだ驚きから立ち直れていない様子だった。
「……あ、ああ。もちろんだ」
俺は頷いた。
「お願いします」
これで、回復能力の残り使用回数は一回。
今夜、十分に眠れば再び使用できる。
だが、今回の任務では、できるだけ温存しておきたい。
何が起きるかわからないからだ。
◇
診療所を出ると、すでに空は暗くなり始めていた。
俺は外の空気を吸い込んだ。
山の冷たい風が、頬を撫でる。
「……アオ」
隣から声がした。
リリアだ。
「……すごいね、あの能力」
俺は彼女を見た。
その表情には、純粋な驚きが浮かんでいた。
「……そうか?」
「うん」
リリアは頷いた。
「前にも見たことはあったけど、やっぱりすごい」
俺は少しだけ視線を落とした。
彼女が言っているのは、ハンター試験のときのことだろう。
あのとき。
クロウ・ベルガーとの戦いで、リリアは左腕を失った。
俺は回復能力を使い、その腕を再生させた。
彼女の命を救えたことは、今でもよかったと思っている。
だが、あの光景を思い出すと、胸の奥が少し重くなる。
「……あのときは、怖かったな」
俺が呟くと、リリアは静かに頷いた。
「……うん」
しばらく、沈黙が続いた。
やがて、リリアが口を開いた。
「……でもね」
俺は顔を上げた。
「……あのとき、アオが来てくれて、本当に嬉しかった」
彼女は、まっすぐ俺を見ていた。
琥珀色の瞳。
その中に、夕暮れの光が映っている。
「……ありがとう」
俺は、少しだけ言葉に詰まった。
こういうとき、どう返すのが正解なのか。
正直、よくわからない。
前世では三十二歳だった。
だが、恋愛経験が豊富だったわけでもない。
ましてや、今の俺は十五歳だ。
身体も、周囲の環境も、前世とはまるで違う。
目の前にいるリリアは、昔の少女とは違う。
十七歳になり、綺麗になった。
それでも、俺に向ける笑顔は変わらない。
俺は小さく息を吐いた。
「……俺も、助けられてよかった」
リリアは、少しだけ目を見開いた。
そして。
ふわりと笑った。
「……うん」
その笑顔を見て、俺はなぜか少しだけ落ち着かなくなった。
(……何なんだろうな、これ)
戦闘中なら、もっと冷静に考えられるのに。
どうにも、人間関係というのは難しい。
◇
翌朝。
俺たちは、集落の長老の家を訪ねた。
目的は、通信設備を借りるためだ。
ミレーヌさんへ、現在の状況を報告する必要がある。
長老は快く通信機を貸してくれた。
俺たちは、集落の外れにある小さな通信小屋へ向かった。
リリアが機器を操作する。
数回の接続音。
そして。
『……こちら、ミレーヌ』
聞き慣れた女性の声が響いた。
「先生!」
『リリア? 無事なのね』
「はい!」
リリアは嬉しそうに答えた。
「調査隊の生存者を二人発見しました。今は集落で保護しています」
通信機の向こうで、短い沈黙があった。
『……二人?』
「はい」
『……そう』
ミレーヌさんの声が、少しだけ柔らかくなった。
『よくやったわ』
リリアは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
俺は通信機を受け取った。
「アオです」
『アオ。あなたも無事ね』
「はい。今のところ、大きな怪我はありません」
『……今のところ、という言い方が気になるわね』
「少し戦闘がありました」
『……詳しく聞かせて』
俺は、これまでの経緯を説明した。
地下遺跡。
黒い剣を使う念能力者。
青白い光。
道を狂わせる現象。
そして、第七観測区の通行許可証。
ミレーヌさんは、最後まで黙って聞いていた。
やがて。
『……第七観測区』
低い声で、その言葉を繰り返した。
俺は眉をひそめた。
「……何か、ご存じですか?」
短い沈黙。
そして。
『……その名前、以前にも聞いたことがあるわ』
俺は目を細めた。
「……どこで?」
『数年前、別の秘境調査でね』
ミレーヌさんは続けた。
『ある研究者が、古代遺跡に関する非公開資料を持っていたの。その中に、似たような名称が出てきた』
「……似たような名称?」
『ええ』
彼女は静かに言った。
『第一観測区、第三観測区……そんな表記だったと思う』
俺は、思わずリリアを見た。
彼女も驚いた表情を浮かべている。
(……やっぱり、他にもあるのか)
俺は通信機へ向き直った。
「……その研究者は、今どこに?」
『……それが、わからないの』
ミレーヌさんの声が、少しだけ重くなった。
『数年前から、消息を絶っている』
俺は黙った。
リリアも、表情を引き締めた。
ミレーヌさんは続けた。
『……アオ、リリア』
「はい」
『これ以上、軽率に奥へ進まないで』
その声には、明確な警戒があった。
『その遺跡は、単なる古代遺跡じゃない可能性が高いわ』
俺は頷いた。
「……同感です」
『生存者二人を発見した時点で、依頼の一部は達成している。残り四人の捜索については、状況を整理してから判断しましょう』
俺は少し考えた。
そして。
「……ミレーヌさん」
『何?』
「俺たちは、もう一度遺跡へ行くつもりです」
通信機の向こうで、沈黙が落ちた。
『……理由を聞いても?』
「残り四人が、まだ生きている可能性があります」
俺は答えた。
「それに、あの遺跡には明らかに人為的な仕掛けがあります。誰かが管理しているなら、被害が今後も出るかもしれません」
『……危険よ』
「わかっています」
俺は静かに言った。
「だから、今度は準備を整えてから行きます」
ミレーヌさんは、しばらく黙っていた。
やがて。
『……リリアは?』
俺は通信機を彼女へ渡した。
リリアは一度、深呼吸した。
そして。
「……先生」
『ええ』
「私も、行きたいです」
その声は、はっきりしていた。
「怖くないわけじゃありません。でも、まだ見つかっていない人たちがいます」
リリアは続けた。
「それに、私の能力なら、帰還経路を確保できます。アオの円と組み合わせれば、危険を早く見つけられると思います」
通信機の向こうで、ミレーヌさんが静かに息を吐いた。
『……そう』
そして。
『……わかったわ』
リリアの表情が明るくなる。
「先生!」
『ただし、条件がある』
その声で、リリアは背筋を伸ばした。
『第一に、二人だけで無謀な突入をしないこと』
「はい」
『第二に、必ず撤退の基準を決めておくこと』
「はい」
『第三に、私が合流するまで、遺跡の最深部には入らないこと』
俺は思わず口を開いた。
「……合流するんですか?」
『当然でしょう』
ミレーヌさんの声には、少し呆れたような響きがあった。
『弟子と、その大切な友人が危険な場所へ向かうのよ。放っておけるわけがないでしょう』
リリアが、少しだけ頬を赤らめた。
「……先生」
『それに』
ミレーヌさんは続けた。
『私自身、その遺跡には興味があるわ』
俺は小さく笑った。
「……秘境ハンターですもんね」
『そういうこと』
通信機の向こうで、ミレーヌさんも笑った。
『三日以内に合流する。二人とも、それまでは準備と情報収集に専念しなさい』
「了解です」
「はい!」
通信が切れた。
俺とリリアは、顔を見合わせた。
「……先生、来るって」
「ああ」
俺は頷いた。
「心強いな」
リリアは嬉しそうに笑った。
「うん!」
◇
通信小屋を出たあと、俺たちは集落の広場へ向かった。
朝の市場が開かれ、野菜や干し肉、生活用品が並んでいる。
俺は必要な物資を買い足した。
保存食。
水筒。
ロープ。
照明器具。
そして、予備の医療用品。
アイテムボックスを使えば、持ち運びには困らない。
だが、リリアの前では普通の鞄へ収納する。
すべてを隠し続けることが正しいのか。
最近は、少し考えるようになっていた。
(……いつか、話すべきなのかもしれないな)
リリアは信頼できる。
少なくとも、これまでの付き合いで、そう感じている。
だが、秘密を共有することは、相手にも危険を背負わせることになる。
その判断は、慎重にしなければならない。
「……アオ?」
リリアが首を傾げた。
「どうしたの?」
「……いや、何でもない」
俺は笑った。
「ちょっと考え事をしてた」
「……そっか」
彼女はそれ以上、追及しなかった。
代わりに、俺の持っている荷物を見た。
「……それ、重くない?」
「大丈夫だ」
「でも、私も持つよ」
「いや、これくらい――」
「アオ」
リリアが、少しだけ目を細めた。
「……私もハンターなんだけど?」
俺は口を閉じた。
そして、苦笑する。
「……そうだったな」
荷物の一部を渡す。
リリアは満足そうに笑った。
「よろしい」
俺は思わず吹き出した。
「……誰の真似だよ」
「先生」
「似てるな」
「でしょ?」
そんなやり取りをしながら、俺たちは市場を歩いた。
◇
その日の午後。
俺は一人で、ガイゼルが拘束されている集落の倉庫へ向かった。
長老の許可を得て、一時的に使用している場所だ。
入口には、集落の自警団が二人立っている。
俺は彼らへ挨拶し、中へ入った。
ガイゼルは壁際に座っていた。
俺を見るなり、顔をしかめる。
「……またてめえか」
「悪いな」
俺は椅子を引き寄せた。
「少し話がしたい」
「……話すことなんざねえよ」
「そうか」
俺は頷いた。
そして、腰のポーチから金属札を取り出した。
ガイゼルの目が動く。
「……第七観測区」
俺は札を見せた。
「これ、どういう意味だ?」
男は黙っていた。
俺は続けた。
「お前は、この札を使って遺跡を出入りしていた。つまり、少なくともあの仕掛けの一部は理解している」
ガイゼルは顔を背けた。
「……知らねえ」
「なら、別の質問だ」
俺は静かに言った。
「お前は、誰に雇われた?」
男の肩が、わずかに動いた。
「……言えねえ」
「言わないと、どうなる?」
ガイゼルは、俺を睨んだ。
「……何?」
「言えない理由があるんだろ」
俺は続けた。
「雇い主に報復されるのか。それとも、何か制約があるのか」
ガイゼルの顔色が変わった。
俺は、その反応を見逃さなかった。
(……やっぱり)
何らかの念による制約。
あるいは、単純な脅迫。
どちらかはわからない。
だが、男が口を閉ざしている理由は、ただの忠誠心ではなさそうだった。
「……ガイゼル」
俺は静かに言った。
「お前を助けるつもりはない。人を殺そうとした以上、責任は取ってもらう」
男は黙っていた。
「ただ、何かに脅されているなら、話は別だ」
俺は続けた。
「少なくとも、事情を調べることはできる」
ガイゼルは、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……首だ」
小さく呟いた。
俺は眉をひそめた。
「……首?」
男は、震える手で自分の首元を示した。
「……ここに、ある」
俺は目を細めた。
そして、凝を使った。
目にオーラを集中させる。
すると。
(……っ)
ガイゼルの首元に、薄い黒紫色のオーラが見えた。
それは、皮膚の下へ食い込むように広がっている。
形状は、細い輪。
まるで、見えない首輪のようだった。
(……念による拘束か)
俺は静かに息を吐いた。
ガイゼルは、震える声で言った。
「……名前を言ったら、死ぬ」
俺は黙った。
「……契約を破ったら、首が締まる」
男の顔には、明確な恐怖が浮かんでいた。
「……俺は、ただの雇われだ」
そして。
「……あいつらは、人間じゃねえ」
俺は目を細めた。
「……どういう意味だ?」
ガイゼルは、唇を震わせた。
「……あの光を、作った奴らだ」
俺は息を呑んだ。
ガイゼルは続けた。
「……あいつらは、何かを探してる」
「……何を?」
男は、首を横に振った。
「……知らねえ」
そして、震える声で言った。
「……でも、あの遺跡の奥には」
男の目が、大きく見開かれた。
「……人間を、集めてる場所がある」
俺は、静かに拳を握った。
人間を集めている。
その言葉が意味するもの。
俺には、嫌というほど心当たりがあった。
流星街。
人身売買。
子供たちを狙った犯罪者。
そして、ブラックリストハンターとして追ってきた組織。
(……まさか)
俺は、ガイゼルを見つめた。
「……そこに、調査隊の四人もいるのか?」
男は、震える声で答えた。
「……わからねえ」
そして。
「……だが、連れていかれた奴らは、みんな奥へ運ばれる」
俺は、しばらく黙っていた。
やがて。
「……わかった」
静かに立ち上がる。
「……何がだよ」
ガイゼルが尋ねた。
俺は男を見た。
「お前の首の念については、調べておく」
ガイゼルの目が揺れた。
「……外せるのか?」
「今はわからない」
俺は正直に答えた。
「ただ、念によるものなら、方法がないわけじゃない」
ガイゼルは、しばらく俺を見つめていた。
そして、顔を伏せた。
「……好きにしろ」
その声には、先ほどまでの敵意がほとんど残っていなかった。
◇
倉庫を出ると、夕陽が集落を赤く染めていた。
俺は、ゆっくりと歩きながら考えた。
(……人間を集めている場所)
もし、それが事実なら。
今回の事件は、単なる遺跡調査では終わらない。
人身売買。
人体実験。
あるいは、念能力者による何らかの研究。
可能性はいくつもある。
だが、現時点で確かなことは少ない。
俺は、腰のポーチへ手を触れた。
そこには、第七観測区の通行許可証が入っている。
そして。
俺の中には、まだ使っていない力がある。
回復能力。
除念。
もし、ガイゼルの首輪が念によるものなら、解除できる可能性は高い。
だが、問題はその先だ。
(……外した瞬間、雇い主に知られる仕掛けだったら?)
あり得る。
念能力には、使用者の想像を超えるような制約や効果が存在する。
だからこそ、慎重に判断する必要がある。
俺は空を見上げた。
夕焼けの向こう。
山々の輪郭が、黒く浮かび上がっている。
その奥には、霧哭きの渓谷がある。
青白い光。
消えた調査隊。
第七観測区。
そして、謎の組織。
俺は静かに息を吐いた。
「……さて」
やるべきことは、増えた。
だが。
焦る必要はない。
まずは、ミレーヌさんの到着を待つ。
それから、情報を整理する。
そして、必要な準備を整える。
俺は、少しだけ笑った。
(……今度こそ、奥まで調べてやる)
◇
その夜。
集落の宿屋。
俺は机の上に地図を広げていた。
隣では、リリアが調査記録を整理している。
彼女は、銀色の羅針盤を開き、これまでの経路を確認していた。
「……アオ」
「ん?」
「これ、見て」
リリアが地図を指差した。
俺は身を乗り出す。
「……何か見つけた?」
「うん」
彼女は、記録した経路と地図を見比べていた。
「……帰り道なんだけど」
「……ああ」
「金属札を持ってから、針が安定したでしょ?」
「そうだったな」
リリアは頷いた。
「それで、帰還経路を確認してたら、気づいたことがあるの」
彼女は地図の一角を指差した。
「……ここ」
俺は目を細めた。
「……何だ?」
「私たち、同じ場所を二回通ってる」
俺は頷いた。
「……迷ったときだろ?」
「うん。でもね」
リリアは続けた。
「記録されている距離が、合わないの」
俺は眉をひそめた。
「……距離?」
「そう」
彼女は羅針盤を見せた。
「同じ通路を歩いたはずなのに、二回目の方が短いの」
俺は、しばらく黙っていた。
(……なるほど)
単なる幻覚ではない可能性がある。
もし、空間のつながりそのものが変化しているなら。
あの遺跡は、見た目以上に複雑な構造を持っているのかもしれない。
俺は、リリアを見た。
「……よく気づいたな」
彼女は少し笑った。
「……こういうの、得意だから」
俺は頷いた。
「……頼りにしてる」
リリアは、ほんの少し頬を赤らめた。
「……うん」
俺たちは、再び地図へ視線を戻した。
そのとき。
窓の外で、風が鳴った。
遠くの山から吹いてくる、冷たい風。
その音は。
まるで。
誰かが、泣いているようだった。
俺は、ふと顔を上げた。
(……霧哭きの渓谷)
あの場所には、まだ何かがある。
そして。
その奥で、誰かが助けを待っているのかもしれない。
俺は静かに拳を握った。
「……必ず、見つける」
隣で、リリアが頷いた。
「……うん」
銀色の羅針盤が、机の上で淡い光を放っていた。
その針は、静かに一方向を指している。
帰るべき道。
そして、これから進むべき道。
二人のハンターの探索は、まだ終わっていなかった。