流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第三十八話 再び霧の谷へ――秘境ハンターの眼

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷にほど近い山間の集落。

 

 ミレーヌさんが到着したのは、約束した三日目の昼過ぎだった。

 

 その日は朝から薄い雲が空を覆っていた。

 

 山々の頂には白い霧がかかり、谷の方角から吹いてくる風には、湿った土と若葉の匂いが混じっている。

 

 集落の外れにある宿屋。

 

 その二階の一室で、俺とリリアは調査資料を整理していた。

 

「……ここ、やっぱりおかしいと思う」

 

 机に広げた地図を指差しながら、リリアが言った。

 

 その指先が示しているのは、地下遺跡の入口から石扉までの経路だった。

 

 俺たちが実際に歩いた道。

 

 リリアの念能力によって記録された移動経路。

 

 そして、古い測量図に記された地下構造。

 

 三つを重ね合わせると、どうしても説明できない部分がある。

 

「この通路だな」

 

「うん」

 

 リリアは頷いた。

 

「行きと帰りで、長さが違うの」

 

 彼女が指し示した通路は、石扉から地下空洞へ続く一本道だった。

 

 少なくとも、俺たちが通ったときにはそう見えた。

 

 だが、記録上の距離には明らかな差があった。

 

「行きは約百八十メートル。帰りは百二十メートルくらい」

 

「六十メートルも違うのか」

 

「うん。それに、曲がった回数も一つ少ない」

 

 俺は腕を組んだ。

 

 六十メートル。

 

 誤差として片づけるには大きすぎる。

 

 まして、リリアの能力は自分が実際に通った道を記録するものだ。

 

 測量器具のように絶対的な数値を保証するわけではないが、本人が歩いた経路の違いを把握するには十分な精度がある。

 

(……問題は、何が変わったのかだ)

 

 俺たちの認識か。

 

 実際の通路か。

 

 それとも、念能力の記録そのものに干渉する何かがあるのか。

 

 どれも、現時点では断定できない。

 

「アオはどう思う?」

 

 リリアが尋ねてきた。

 

「そうだな……」

 

 俺は地図を眺めた。

 

「まず、俺たちが同じ場所を歩いたという前提を疑った方がいいと思う」

 

「……同じ場所じゃなかった?」

 

「ああ。見た目が同じ通路を、別の場所で歩かされていた可能性もある」

 

 リリアは少し考えた。

 

「……なるほど」

 

「あるいは、途中で通路が切り替わったのかもしれない」

 

「仕掛け扉みたいに?」

 

「もっと大掛かりなものかもしれないな」

 

 俺は地図の余白へ、二本の線を描いた。

 

 一本は、実際に歩いたと認識している経路。

 

 もう一本は、途中で別の通路へ接続した場合の仮説だ。

 

「……どちらにしても、もう一度現地で確認する必要がある」

 

「うん」

 

 リリアは真剣な顔で頷いた。

 

 そのときだった。

 

 階下から、聞き覚えのある声が響いた。

 

「リリアはいるかしら?」

 

 リリアが顔を上げた。

 

「……先生!」

 

 椅子を引く音がした。

 

 次の瞬間、彼女は勢いよく立ち上がっていた。

 

 俺は思わず笑った。

 

「行ってこいよ」

 

「うん!」

 

 リリアは扉へ向かった。

 

 だが、途中で振り返る。

 

「アオも来て!」

 

「わかった、わかった」

 

 俺も立ち上がった。

 

     ◇

 

 宿屋の一階。

 

 食堂の入口に、ミレーヌさんが立っていた。

 

 長旅を終えたばかりのはずだが、疲れた様子はほとんどない。

 

 丈夫な外套。

 

 使い込まれた革の鞄。

 

 そして、周囲を自然に観察する落ち着いた眼差し。

 

 その姿は、いかにも経験豊富な秘境ハンターという雰囲気だった。

 

「先生!」

 

 リリアが駆け寄る。

 

 ミレーヌさんは柔らかく微笑んだ。

 

「久しぶりね、リリア」

 

「お久しぶりです!」

 

 リリアの声が弾んでいた。

 

 ミレーヌさんは彼女の顔を見て、それから服装や装備へ視線を移した。

 

「……ちゃんと怪我はしていないようね」

 

「はい!」

 

「無茶もしていない?」

 

「……えっと」

 

 リリアが少し言葉に詰まった。

 

 ミレーヌさんの眉が上がる。

 

「リリア?」

 

「……少しだけ、危ないことはありました」

 

「でしょうね」

 

 ミレーヌさんは小さく息を吐いた。

 

 俺は二人へ近づいた。

 

「お疲れさまです、ミレーヌさん」

 

「あら、アオ」

 

 彼女は俺を見上げ、少し目を細めた。

 

「あなたも元気そうね」

 

「おかげさまで」

 

「……ただし、詳しい話は聞かせてもらうわよ」

 

「もちろんです」

 

 俺は頷いた。

 

 ミレーヌさんは満足そうに微笑んだ。

 

「それじゃあ、まずは食事にしましょう」

 

「……食事ですか?」

 

 俺が尋ねると、彼女は当然のように答えた。

 

「ええ。山道を移動してきたんだもの。お腹が空いたわ」

 

 そして、リリアを見る。

 

「あなたたちも、ちゃんと食べている?」

 

「はい!」

 

「それならよろしい」

 

 俺は少し笑った。

 

 こういうところを見ると、リリアがミレーヌさんを慕う理由がわかる気がする。

 

 厳しいだけではない。

 

 何を優先すべきか、よく理解している人なのだ。

 

     ◇

 

 食事を終えたあと、俺たちは二階の部屋へ戻った。

 

 机には、地図と調査資料が広げられている。

 

 ミレーヌさんは椅子に腰掛け、資料を一枚ずつ確認していった。

 

 俺とリリアは、これまでの出来事を順番に説明する。

 

 霧哭きの渓谷。

 

 地下遺跡。

 

 黒い剣を使う念能力者。

 

 行方不明だった調査隊の生存者二人。

 

 青白い光。

 

 帰還経路の異常。

 

 そして、第七観測区の通行許可証。

 

 ミレーヌさんは、途中で何度か質問を挟んだ。

 

「その男が使った黒い棘は、剣を床に接触させたときだけ発生したのね?」

 

「確認できた範囲では、そうです」

 

「棘が現れた場所には、何か共通点があった?」

 

「床に刻まれた溝です」

 

 俺が答えると、ミレーヌさんは頷いた。

 

「……なるほど」

 

 そして、リリアへ視線を向けた。

 

「それに気づいたのは、リリア?」

 

「はい」

 

「どうして?」

 

「追跡していた足跡が、途中で不自然に曲がっていたんです」

 

 リリアは地図を指差した。

 

「それで、床を調べたら、細い溝があることに気づきました」

 

 ミレーヌさんは、しばらく黙っていた。

 

 そして、微笑んだ。

 

「……よく見ていたわね」

 

 リリアの顔が明るくなる。

 

「ありがとうございます!」

 

「ただし」

 

 ミレーヌさんは人差し指を立てた。

 

「次からは、罠を見つけた時点で自分の退路も確認すること。味方に知らせるのは大切だけれど、自分が逃げられなくなったら意味がないわ」

 

「……はい」

 

 リリアは真剣に頷いた。

 

 俺も、その言葉を頭に入れた。

 

 実戦で得られる教訓は多い。

 

 だが、教訓を得るために命を落としていては話にならない。

 

 ミレーヌさんは、次に金属札へ視線を向けた。

 

「……これが、例の通行許可証ね」

 

「はい」

 

 俺は布に包んだ札を机へ置いた。

 

 ミレーヌさんは手袋を着け、慎重に持ち上げた。

 

 表面。

 

 裏面。

 

 縁の摩耗。

 

 刻印。

 

 そして、凝によるオーラの確認。

 

 彼女の表情が、徐々に真剣なものへ変わっていった。

 

「……念が込められているわね」

 

「やはり、そうですか」

 

「ええ。ただし、これは能力そのものというより、何らかの能力を受けるための印に近いかもしれない」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……印?」

 

「例えば、特定の場所に入る資格を示すもの」

 

 ミレーヌさんは札を机へ戻した。

 

「この札が持つオーラ自体は、それほど大きくない。なのに、遺跡内部の異常に対して効果があったのでしょう?」

 

「はい」

 

「なら、札が異常を打ち消しているとは限らないわ」

 

 俺は少し考えた。

 

(……なるほど)

 

 通行許可証。

 

 文字どおり、通行を許可するためのもの。

 

 もし遺跡の異常が念能力によって発生しているなら、その能力の対象から札の所持者を除外する仕組みも考えられる。

 

「……つまり、札は解除装置じゃなくて、識別票かもしれない」

 

「そういうこと」

 

 ミレーヌさんは頷いた。

 

「もちろん、まだ仮説だけれどね」

 

 俺は金属札を見つめた。

 

 小さな金属片。

 

 だが、そこには想像以上に重要な情報が隠されているのかもしれない。

 

     ◇

 

「……それと、もう一つ」

 

 ミレーヌさんが言った。

 

「ガイゼルという男について、詳しく聞かせて」

 

 俺は頷いた。

 

 そして、彼の首に刻まれた念の拘束について説明した。

 

 黒紫色のオーラ。

 

 首輪のような形状。

 

 雇い主の名前を口にすると命を奪われるという脅迫。

 

 そして、遺跡の奥に人間を集めている場所があるという証言。

 

 ミレーヌさんは、最後まで黙って聞いていた。

 

 やがて。

 

「……厄介ね」

 

 静かに呟いた。

 

「念による口封じは、解除の仕方を間違えると危険よ」

 

「はい」

 

 俺は頷いた。

 

「なので、まだ手を出していません」

 

「それが正解ね」

 

 ミレーヌさんは腕を組んだ。

 

「解除そのものが引き金になる可能性もある。術者に通知される仕掛けがあるかもしれないし、本人が知らない制約も考えられるわ」

 

 俺は頷いた。

 

 実際、俺の回復能力には除念の効果がある。

 

 だが、だからといって、何も考えずに使うべきではない。

 

 念による拘束が消えたとしても、相手の組織が別の方法でガイゼルを監視している可能性は残る。

 

「……一度、本人に話を聞きたいわね」

 

 ミレーヌさんが言った。

 

「俺もそう思っていました」

 

「なら、これから行きましょう」

 

     ◇

 

 ガイゼルが拘束されている倉庫へ向かったのは、午後の遅い時間だった。

 

 集落の自警団に事情を説明し、俺たちは中へ入った。

 

 ガイゼルは壁際に座っていた。

 

 俺たちを見るなり、顔をしかめる。

 

「……また来たのかよ」

 

「今日は客がいる」

 

 俺が言うと、男はミレーヌさんへ視線を向けた。

 

「……誰だ?」

 

「秘境ハンターのミレーヌさんだ」

 

 ガイゼルの表情が、わずかに変わった。

 

「……秘境ハンター?」

 

「ええ」

 

 ミレーヌさんは穏やかに答えた。

 

「少し話を聞かせてもらえるかしら」

 

「……話すことなんざねえ」

 

「そう」

 

 彼女は頷いた。

 

「それなら、まずは私から質問するわ」

 

 ガイゼルが眉をひそめる。

 

 ミレーヌさんは椅子を引き寄せ、男の正面に座った。

 

「あなたは、あの遺跡で何を守っていたの?」

 

 ガイゼルは黙っていた。

 

「入口?」

 

 沈黙。

 

「通行許可証?」

 

 沈黙。

 

「それとも、奥にいる誰か?」

 

 ガイゼルの肩が、わずかに動いた。

 

 ミレーヌさんは、その反応を見逃さなかった。

 

「……なるほど」

 

 彼女は静かに頷いた。

 

「あなた自身は、奥の施設について詳しく知らないのね」

 

「……何でそう思う」

 

「知っているなら、もっと違う反応をするからよ」

 

 ガイゼルは顔をしかめた。

 

 俺は黙って見守った。

 

 ミレーヌさんの尋問は、威圧的ではなかった。

 

 声を荒らげることもない。

 

 ただ、相手の反応を丁寧に拾っている。

 

「……あなた、いつからあの場所にいたの?」

 

「……半年くらいだ」

 

 ガイゼルが、ぽつりと答えた。

 

 俺は目を細めた。

 

 半年。

 

 調査隊が行方不明になった三か月前よりも、さらに前だ。

 

「……その間、何人くらいの人間が奥へ連れていかれたの?」

 

 ミレーヌさんが尋ねる。

 

 ガイゼルの顔色が変わった。

 

「……知らねえ」

 

「大まかでいいわ」

 

「……知らねえって」

 

 その瞬間。

 

 ガイゼルが、突然、首元を押さえた。

 

「ぐっ……!」

 

 俺は反射的に一歩踏み出した。

 

「……ガイゼル!」

 

 男の顔が赤くなる。

 

 首元に、黒紫色のオーラが浮かび上がった。

 

(……発動した!)

 

 俺は凝で確認した。

 

 細い輪が、首を締めつけるように収縮している。

 

 ガイゼルが床へ倒れた。

 

「が……っ!」

 

 ミレーヌさんが鋭く言った。

 

「アオ、質問を止めて!」

 

「はい!」

 

 俺は即座にガイゼルのそばへ膝をついた。

 

 呼吸が乱れている。

 

 首の周囲に、明らかな圧迫がある。

 

(……このままだと危険だ)

 

 俺は一瞬、判断を迫られた。

 

 除念能力を使うか。

 

 それとも、発動が収まるのを待つか。

 

 だが。

 

 ガイゼルの呼吸は、すでに途切れかけていた。

 

(……待てない)

 

 俺は右手を伸ばした。

 

 首元へ触れる。

 

 そして。

 

(……対象は、首に刻まれた念の拘束)

 

 意識を集中させる。

 

 単なる傷の回復ではない。

 

 念による呪い。

 

 その構造そのものを、対象から取り除く。

 

 俺は、静かに力を発動させた。

 

 柔らかな光が、掌から広がる。

 

 黒紫色のオーラが、一瞬だけ強く脈打った。

 

 そして。

 

 消えた。

 

「……っ!」

 

 ガイゼルの身体が大きく震えた。

 

 次の瞬間。

 

「がはっ……!」

 

 彼は激しく咳き込み、空気を吸い込んだ。

 

 俺はすぐに呼吸を確認した。

 

 脈拍。

 

 意識。

 

 首の状態。

 

 すべて、徐々に安定している。

 

(……成功した)

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 回復能力の残り使用回数は、これでゼロ。

 

 今夜、十分に眠るまでは使えない。

 

 だが、ガイゼルは生きている。

 

 それで十分だった。

 

     ◇

 

 倉庫の中には、重い沈黙が落ちていた。

 

 ガイゼルは床に座り込み、何度も自分の首へ触れている。

 

 その顔には、信じられないという表情が浮かんでいた。

 

「……消えた」

 

 男が呟いた。

 

「……あれが、消えた……」

 

 俺は頷いた。

 

「少なくとも、今は確認できない」

 

 ガイゼルは、震える手で俺を指差した。

 

「……てめえ、何をした」

 

「治療だよ」

 

「……治療?」

 

「ああ」

 

 俺は短く答えた。

 

「詳しいことは言えない」

 

 ガイゼルは、しばらく俺を見つめていた。

 

 そして、ゆっくりと顔を伏せた。

 

「……そうか」

 

 その声には、力がなかった。

 

 だが、先ほどまでの恐怖も薄れていた。

 

 ミレーヌさんが俺へ視線を向けた。

 

 その目には、驚きと警戒が混じっている。

 

「……アオ」

 

「はい」

 

「あとで、少し話しましょう」

 

「……わかりました」

 

 俺は頷いた。

 

 リリアも、静かにこちらを見ていた。

 

 その表情は複雑だった。

 

 驚き。

 

 心配。

 

 そして、何かを考えているような眼差し。

 

 俺は、少しだけ胸の奥が重くなるのを感じた。

 

(……いずれ、説明する必要があるかもしれないな)

 

 だが、今はそれよりも重要なことがある。

 

 俺はガイゼルへ向き直った。

 

「……話せるか?」

 

 男は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……ああ」

 

 小さく頷いた。

 

「……話す」

 

     ◇

 

 ガイゼルの話は、予想以上に複雑だった。

 

 彼が雇われたのは、約半年前。

 

 仕事の内容は、霧哭きの渓谷にある地下施設の警備。

 

 雇い主の名前は、直接知らされていない。

 

 契約は、仲介人を通じて行われた。

 

 報酬は高額。

 

 ただし、秘密保持のため、念による拘束を受けることが条件だった。

 

「……最初は、ただの警備だと思ってた」

 

 ガイゼルは、低い声で言った。

 

「遺跡を荒らす連中を追い払えばいい。それだけだってな」

 

 俺は黙って聞いた。

 

「だが、途中から変わった」

 

「……何が?」

 

「人間が、運び込まれるようになった」

 

 俺は目を細めた。

 

「……どんな人間だ?」

 

「研究者みたいな連中もいた。旅人もいた。中には、傭兵らしい奴もいた」

 

 ガイゼルは唇を噛んだ。

 

「……みんな、奥へ連れていかれた」

 

 リリアの表情が険しくなる。

 

「……その人たちは、自分の意思で?」

 

 ガイゼルは首を横に振った。

 

「……違う」

 

 その一言で、空気が重くなった。

 

「眠らされてる奴もいた。縛られてる奴もいた。中には、歩いてるのに目が虚ろな奴もいた」

 

 俺は拳を握った。

 

(……やっぱりか)

 

 人間を集めている。

 

 しかも、本人の意思とは無関係に。

 

 これは、明らかに犯罪行為だ。

 

 ミレーヌさんが静かに尋ねた。

 

「……施設の奥には、何があるの?」

 

 ガイゼルは首を振った。

 

「……知らねえ。俺は入口の警備だけだった」

 

「でも、何か見たのでしょう?」

 

 男は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……青い光だ」

 

 低い声で言った。

 

「……あの光の中に、人間が入っていく」

 

 俺は目を細めた。

 

「……自分から?」

 

「……そう見える」

 

 ガイゼルは頷いた。

 

「でも、まともじゃねえ。何かに呼ばれてるみたいに、ふらふら歩いていくんだ」

 

 俺は、ダリオの証言を思い出した。

 

 死んだ妻の声。

 

 亡くなった弟の声。

 

 そして、青白い光。

 

(……同じ現象だな)

 

 ミレーヌさんが続けた。

 

「……その光の向こうに、何があるの?」

 

 ガイゼルは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……一度だけ、見た」

 

 俺たちは黙った。

 

 男は、震える声で続けた。

 

「……でかい部屋だった」

 

 そして。

 

「……壁一面に、何かの管が通ってた」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……管?」

 

「ああ」

 

 ガイゼルは頷いた。

 

「……その先に、人間がいた」

 

 リリアが息を呑む。

 

「……どんな状態で?」

 

 ガイゼルは、しばらく答えなかった。

 

 やがて。

 

「……眠ってた」

 

 低い声で言った。

 

「……透明な箱みたいなものの中で」

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

 透明な箱。

 

 管。

 

 眠っている人間。

 

 その組み合わせから連想できるものは、いくつもある。

 

 だが、現時点で決めつけるべきではない。

 

「……何人いた?」

 

 俺が尋ねる。

 

 ガイゼルは、首を横に振った。

 

「……数えちゃいねえ」

 

 そして、震える声で付け加えた。

 

「……だが、十人や二十人じゃなかった」

 

 俺は黙った。

 

 リリアも、言葉を失っていた。

 

 ミレーヌさんだけが、冷静な表情を保っていた。

 

 だが、その目は鋭く細められている。

 

「……わかったわ」

 

 彼女は静かに言った。

 

「十分よ」

 

     ◇

 

 倉庫を出たあと。

 

 俺たちは、集落の外れにある小高い丘へ向かった。

 

 そこからは、霧哭きの渓谷へ続く山々が見渡せる。

 

 夕陽が山の稜線を赤く染めていた。

 

 ミレーヌさんは、しばらく黙って景色を眺めていた。

 

 そして。

 

「……アオ」

 

「はい」

 

「さっきの能力について、聞いてもいいかしら」

 

 俺は頷いた。

 

「……答えられる範囲なら」

 

「ええ。それで構わないわ」

 

 ミレーヌさんは、俺へ視線を向けた。

 

「……あれは、除念?」

 

 俺は少し考えた。

 

「……結果としては、そうです」

 

「結果として?」

 

「はい」

 

 俺は言葉を選んだ。

 

「傷や病気を治すこともできます。念による呪いを取り除くこともできます。ただ、普通の念能力とは少し違います」

 

 ミレーヌさんは黙って聞いていた。

 

「……詳しい仕組みは、説明できません」

 

 俺は続けた。

 

「ですが、無制限に使えるものではありません」

 

 ミレーヌさんは、しばらく俺を見つめた。

 

 そして。

 

「……わかったわ」

 

 静かに頷いた。

 

「無理に聞くつもりはない」

 

 俺は少し驚いた。

 

「……いいんですか?」

 

「ええ」

 

 彼女は微笑んだ。

 

「ハンターには、それぞれ秘密があるものよ」

 

 そして、少しだけ表情を引き締めた。

 

「ただし、ひとつだけ」

 

「……はい」

 

「その力があるからといって、無茶をしないこと」

 

 俺は黙った。

 

「どんな能力にも、限界はある。あなた自身がそれを忘れたら、いつか取り返しのつかないことになるわ」

 

 俺は静かに頷いた。

 

「……わかっています」

 

 ミレーヌさんは満足そうに笑った。

 

「なら、いいわ」

 

 隣で、リリアがこちらを見ていた。

 

 その表情は、少しだけ柔らかかった。

 

     ◇

 

 その夜。

 

 俺たちは、再び調査計画を立てた。

 

 目標は明確だ。

 

 地下遺跡の奥にある施設を確認する。

 

 残り四人の調査隊を捜索する。

 

 可能であれば、他の被害者も救助する。

 

 そして、施設を管理している者の正体を突き止める。

 

 ただし、無理はしない。

 

 ミレーヌさんが、最初にそう念を押した。

 

「……三人で行く以上、役割分担が必要ね」

 

 彼女は地図を広げた。

 

「まず、リリア」

 

「はい」

 

「あなたは経路の確認と、痕跡の追跡を担当して」

 

「わかりました」

 

「アオ」

 

「はい」

 

「あなたは周囲の警戒と、戦闘への対応をお願い」

 

「了解です」

 

「私は、遺跡の構造と仕掛けの調査。それから、全体の判断を担当するわ」

 

 俺は頷いた。

 

 合理的な分担だ。

 

 リリアの追跡能力。

 

 俺の戦闘能力と円。

 

 ミレーヌさんの秘境調査経験。

 

 三つを組み合わせれば、前回よりも安全に進めるはずだ。

 

 もちろん、絶対ではない。

 

 未知の念能力者が相手なら、どれだけ準備しても予想外の事態は起こり得る。

 

 だが、だからこそ準備する。

 

 俺は地図へ視線を落とした。

 

「……出発は?」

 

 ミレーヌさんは答えた。

 

「明日の早朝」

 

 リリアが頷く。

 

「わかりました」

 

 俺も頷いた。

 

「了解です」

 

 ミレーヌさんは、最後に金属札を指差した。

 

「……それと、これ」

 

「通行許可証ですね」

 

「ええ」

 

 彼女は静かに言った。

 

「もし、これが本当に識別票なら、持っているだけで相手に存在を知られる可能性もあるわ」

 

 俺は目を細めた。

 

「……なるほど」

 

「だから、遺跡へ入るまでは使わない方がいいかもしれない」

 

 俺は頷いた。

 

「わかりました」

 

 リリアも、真剣な表情で頷いた。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 空は、まだ薄暗かった。

 

 集落の外れに、三人のハンターが立っていた。

 

 ミレーヌさん。

 

 リリア。

 

 そして、俺。

 

 それぞれの装備を確認する。

 

 食料。

 

 水。

 

 医療用品。

 

 ロープ。

 

 照明器具。

 

 武器。

 

 通信機。

 

 そして、帰還経路を確保するための道具。

 

 リリアは銀色の羅針盤を具現化し、蓋を開いた。

 

 青白い針が、静かに揺れる。

 

「……準備できました」

 

 ミレーヌさんが頷いた。

 

「よろしい」

 

 俺は周囲を見渡した。

 

 山々の向こう。

 

 霧哭きの渓谷が、白い霧に包まれている。

 

 あの奥に、地下遺跡がある。

 

 そして。

 

 人間を集めている謎の施設。

 

 青白い光。

 

 消えた調査隊。

 

 まだ、何も解決していない。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

(……今度こそ)

 

 残りの四人を探す。

 

 施設の正体を確かめる。

 

 そして、可能な限り多くの人間を救う。

 

 そのために、ここまで来た。

 

「……行きましょう」

 

 俺が言うと、ミレーヌさんが頷いた。

 

「ええ」

 

 リリアも、力強く頷く。

 

「うん!」

 

 三人は、霧に包まれた山道へ足を踏み出した。

 

 朝の風が、木々を揺らす。

 

 遠くから、鳥の声が聞こえた。

 

 そして。

 

 渓谷の奥。

 

 まだ誰も見ていない場所で。

 

 青白い光が、静かに揺れていた。

 

 まるで。

 

 新たな訪問者を、待ち受けているかのように。

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