流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷にほど近い山間の集落。
ミレーヌさんが到着したのは、約束した三日目の昼過ぎだった。
その日は朝から薄い雲が空を覆っていた。
山々の頂には白い霧がかかり、谷の方角から吹いてくる風には、湿った土と若葉の匂いが混じっている。
集落の外れにある宿屋。
その二階の一室で、俺とリリアは調査資料を整理していた。
「……ここ、やっぱりおかしいと思う」
机に広げた地図を指差しながら、リリアが言った。
その指先が示しているのは、地下遺跡の入口から石扉までの経路だった。
俺たちが実際に歩いた道。
リリアの念能力によって記録された移動経路。
そして、古い測量図に記された地下構造。
三つを重ね合わせると、どうしても説明できない部分がある。
「この通路だな」
「うん」
リリアは頷いた。
「行きと帰りで、長さが違うの」
彼女が指し示した通路は、石扉から地下空洞へ続く一本道だった。
少なくとも、俺たちが通ったときにはそう見えた。
だが、記録上の距離には明らかな差があった。
「行きは約百八十メートル。帰りは百二十メートルくらい」
「六十メートルも違うのか」
「うん。それに、曲がった回数も一つ少ない」
俺は腕を組んだ。
六十メートル。
誤差として片づけるには大きすぎる。
まして、リリアの能力は自分が実際に通った道を記録するものだ。
測量器具のように絶対的な数値を保証するわけではないが、本人が歩いた経路の違いを把握するには十分な精度がある。
(……問題は、何が変わったのかだ)
俺たちの認識か。
実際の通路か。
それとも、念能力の記録そのものに干渉する何かがあるのか。
どれも、現時点では断定できない。
「アオはどう思う?」
リリアが尋ねてきた。
「そうだな……」
俺は地図を眺めた。
「まず、俺たちが同じ場所を歩いたという前提を疑った方がいいと思う」
「……同じ場所じゃなかった?」
「ああ。見た目が同じ通路を、別の場所で歩かされていた可能性もある」
リリアは少し考えた。
「……なるほど」
「あるいは、途中で通路が切り替わったのかもしれない」
「仕掛け扉みたいに?」
「もっと大掛かりなものかもしれないな」
俺は地図の余白へ、二本の線を描いた。
一本は、実際に歩いたと認識している経路。
もう一本は、途中で別の通路へ接続した場合の仮説だ。
「……どちらにしても、もう一度現地で確認する必要がある」
「うん」
リリアは真剣な顔で頷いた。
そのときだった。
階下から、聞き覚えのある声が響いた。
「リリアはいるかしら?」
リリアが顔を上げた。
「……先生!」
椅子を引く音がした。
次の瞬間、彼女は勢いよく立ち上がっていた。
俺は思わず笑った。
「行ってこいよ」
「うん!」
リリアは扉へ向かった。
だが、途中で振り返る。
「アオも来て!」
「わかった、わかった」
俺も立ち上がった。
◇
宿屋の一階。
食堂の入口に、ミレーヌさんが立っていた。
長旅を終えたばかりのはずだが、疲れた様子はほとんどない。
丈夫な外套。
使い込まれた革の鞄。
そして、周囲を自然に観察する落ち着いた眼差し。
その姿は、いかにも経験豊富な秘境ハンターという雰囲気だった。
「先生!」
リリアが駆け寄る。
ミレーヌさんは柔らかく微笑んだ。
「久しぶりね、リリア」
「お久しぶりです!」
リリアの声が弾んでいた。
ミレーヌさんは彼女の顔を見て、それから服装や装備へ視線を移した。
「……ちゃんと怪我はしていないようね」
「はい!」
「無茶もしていない?」
「……えっと」
リリアが少し言葉に詰まった。
ミレーヌさんの眉が上がる。
「リリア?」
「……少しだけ、危ないことはありました」
「でしょうね」
ミレーヌさんは小さく息を吐いた。
俺は二人へ近づいた。
「お疲れさまです、ミレーヌさん」
「あら、アオ」
彼女は俺を見上げ、少し目を細めた。
「あなたも元気そうね」
「おかげさまで」
「……ただし、詳しい話は聞かせてもらうわよ」
「もちろんです」
俺は頷いた。
ミレーヌさんは満足そうに微笑んだ。
「それじゃあ、まずは食事にしましょう」
「……食事ですか?」
俺が尋ねると、彼女は当然のように答えた。
「ええ。山道を移動してきたんだもの。お腹が空いたわ」
そして、リリアを見る。
「あなたたちも、ちゃんと食べている?」
「はい!」
「それならよろしい」
俺は少し笑った。
こういうところを見ると、リリアがミレーヌさんを慕う理由がわかる気がする。
厳しいだけではない。
何を優先すべきか、よく理解している人なのだ。
◇
食事を終えたあと、俺たちは二階の部屋へ戻った。
机には、地図と調査資料が広げられている。
ミレーヌさんは椅子に腰掛け、資料を一枚ずつ確認していった。
俺とリリアは、これまでの出来事を順番に説明する。
霧哭きの渓谷。
地下遺跡。
黒い剣を使う念能力者。
行方不明だった調査隊の生存者二人。
青白い光。
帰還経路の異常。
そして、第七観測区の通行許可証。
ミレーヌさんは、途中で何度か質問を挟んだ。
「その男が使った黒い棘は、剣を床に接触させたときだけ発生したのね?」
「確認できた範囲では、そうです」
「棘が現れた場所には、何か共通点があった?」
「床に刻まれた溝です」
俺が答えると、ミレーヌさんは頷いた。
「……なるほど」
そして、リリアへ視線を向けた。
「それに気づいたのは、リリア?」
「はい」
「どうして?」
「追跡していた足跡が、途中で不自然に曲がっていたんです」
リリアは地図を指差した。
「それで、床を調べたら、細い溝があることに気づきました」
ミレーヌさんは、しばらく黙っていた。
そして、微笑んだ。
「……よく見ていたわね」
リリアの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「ただし」
ミレーヌさんは人差し指を立てた。
「次からは、罠を見つけた時点で自分の退路も確認すること。味方に知らせるのは大切だけれど、自分が逃げられなくなったら意味がないわ」
「……はい」
リリアは真剣に頷いた。
俺も、その言葉を頭に入れた。
実戦で得られる教訓は多い。
だが、教訓を得るために命を落としていては話にならない。
ミレーヌさんは、次に金属札へ視線を向けた。
「……これが、例の通行許可証ね」
「はい」
俺は布に包んだ札を机へ置いた。
ミレーヌさんは手袋を着け、慎重に持ち上げた。
表面。
裏面。
縁の摩耗。
刻印。
そして、凝によるオーラの確認。
彼女の表情が、徐々に真剣なものへ変わっていった。
「……念が込められているわね」
「やはり、そうですか」
「ええ。ただし、これは能力そのものというより、何らかの能力を受けるための印に近いかもしれない」
俺は眉をひそめた。
「……印?」
「例えば、特定の場所に入る資格を示すもの」
ミレーヌさんは札を机へ戻した。
「この札が持つオーラ自体は、それほど大きくない。なのに、遺跡内部の異常に対して効果があったのでしょう?」
「はい」
「なら、札が異常を打ち消しているとは限らないわ」
俺は少し考えた。
(……なるほど)
通行許可証。
文字どおり、通行を許可するためのもの。
もし遺跡の異常が念能力によって発生しているなら、その能力の対象から札の所持者を除外する仕組みも考えられる。
「……つまり、札は解除装置じゃなくて、識別票かもしれない」
「そういうこと」
ミレーヌさんは頷いた。
「もちろん、まだ仮説だけれどね」
俺は金属札を見つめた。
小さな金属片。
だが、そこには想像以上に重要な情報が隠されているのかもしれない。
◇
「……それと、もう一つ」
ミレーヌさんが言った。
「ガイゼルという男について、詳しく聞かせて」
俺は頷いた。
そして、彼の首に刻まれた念の拘束について説明した。
黒紫色のオーラ。
首輪のような形状。
雇い主の名前を口にすると命を奪われるという脅迫。
そして、遺跡の奥に人間を集めている場所があるという証言。
ミレーヌさんは、最後まで黙って聞いていた。
やがて。
「……厄介ね」
静かに呟いた。
「念による口封じは、解除の仕方を間違えると危険よ」
「はい」
俺は頷いた。
「なので、まだ手を出していません」
「それが正解ね」
ミレーヌさんは腕を組んだ。
「解除そのものが引き金になる可能性もある。術者に通知される仕掛けがあるかもしれないし、本人が知らない制約も考えられるわ」
俺は頷いた。
実際、俺の回復能力には除念の効果がある。
だが、だからといって、何も考えずに使うべきではない。
念による拘束が消えたとしても、相手の組織が別の方法でガイゼルを監視している可能性は残る。
「……一度、本人に話を聞きたいわね」
ミレーヌさんが言った。
「俺もそう思っていました」
「なら、これから行きましょう」
◇
ガイゼルが拘束されている倉庫へ向かったのは、午後の遅い時間だった。
集落の自警団に事情を説明し、俺たちは中へ入った。
ガイゼルは壁際に座っていた。
俺たちを見るなり、顔をしかめる。
「……また来たのかよ」
「今日は客がいる」
俺が言うと、男はミレーヌさんへ視線を向けた。
「……誰だ?」
「秘境ハンターのミレーヌさんだ」
ガイゼルの表情が、わずかに変わった。
「……秘境ハンター?」
「ええ」
ミレーヌさんは穏やかに答えた。
「少し話を聞かせてもらえるかしら」
「……話すことなんざねえ」
「そう」
彼女は頷いた。
「それなら、まずは私から質問するわ」
ガイゼルが眉をひそめる。
ミレーヌさんは椅子を引き寄せ、男の正面に座った。
「あなたは、あの遺跡で何を守っていたの?」
ガイゼルは黙っていた。
「入口?」
沈黙。
「通行許可証?」
沈黙。
「それとも、奥にいる誰か?」
ガイゼルの肩が、わずかに動いた。
ミレーヌさんは、その反応を見逃さなかった。
「……なるほど」
彼女は静かに頷いた。
「あなた自身は、奥の施設について詳しく知らないのね」
「……何でそう思う」
「知っているなら、もっと違う反応をするからよ」
ガイゼルは顔をしかめた。
俺は黙って見守った。
ミレーヌさんの尋問は、威圧的ではなかった。
声を荒らげることもない。
ただ、相手の反応を丁寧に拾っている。
「……あなた、いつからあの場所にいたの?」
「……半年くらいだ」
ガイゼルが、ぽつりと答えた。
俺は目を細めた。
半年。
調査隊が行方不明になった三か月前よりも、さらに前だ。
「……その間、何人くらいの人間が奥へ連れていかれたの?」
ミレーヌさんが尋ねる。
ガイゼルの顔色が変わった。
「……知らねえ」
「大まかでいいわ」
「……知らねえって」
その瞬間。
ガイゼルが、突然、首元を押さえた。
「ぐっ……!」
俺は反射的に一歩踏み出した。
「……ガイゼル!」
男の顔が赤くなる。
首元に、黒紫色のオーラが浮かび上がった。
(……発動した!)
俺は凝で確認した。
細い輪が、首を締めつけるように収縮している。
ガイゼルが床へ倒れた。
「が……っ!」
ミレーヌさんが鋭く言った。
「アオ、質問を止めて!」
「はい!」
俺は即座にガイゼルのそばへ膝をついた。
呼吸が乱れている。
首の周囲に、明らかな圧迫がある。
(……このままだと危険だ)
俺は一瞬、判断を迫られた。
除念能力を使うか。
それとも、発動が収まるのを待つか。
だが。
ガイゼルの呼吸は、すでに途切れかけていた。
(……待てない)
俺は右手を伸ばした。
首元へ触れる。
そして。
(……対象は、首に刻まれた念の拘束)
意識を集中させる。
単なる傷の回復ではない。
念による呪い。
その構造そのものを、対象から取り除く。
俺は、静かに力を発動させた。
柔らかな光が、掌から広がる。
黒紫色のオーラが、一瞬だけ強く脈打った。
そして。
消えた。
「……っ!」
ガイゼルの身体が大きく震えた。
次の瞬間。
「がはっ……!」
彼は激しく咳き込み、空気を吸い込んだ。
俺はすぐに呼吸を確認した。
脈拍。
意識。
首の状態。
すべて、徐々に安定している。
(……成功した)
俺は静かに息を吐いた。
回復能力の残り使用回数は、これでゼロ。
今夜、十分に眠るまでは使えない。
だが、ガイゼルは生きている。
それで十分だった。
◇
倉庫の中には、重い沈黙が落ちていた。
ガイゼルは床に座り込み、何度も自分の首へ触れている。
その顔には、信じられないという表情が浮かんでいた。
「……消えた」
男が呟いた。
「……あれが、消えた……」
俺は頷いた。
「少なくとも、今は確認できない」
ガイゼルは、震える手で俺を指差した。
「……てめえ、何をした」
「治療だよ」
「……治療?」
「ああ」
俺は短く答えた。
「詳しいことは言えない」
ガイゼルは、しばらく俺を見つめていた。
そして、ゆっくりと顔を伏せた。
「……そうか」
その声には、力がなかった。
だが、先ほどまでの恐怖も薄れていた。
ミレーヌさんが俺へ視線を向けた。
その目には、驚きと警戒が混じっている。
「……アオ」
「はい」
「あとで、少し話しましょう」
「……わかりました」
俺は頷いた。
リリアも、静かにこちらを見ていた。
その表情は複雑だった。
驚き。
心配。
そして、何かを考えているような眼差し。
俺は、少しだけ胸の奥が重くなるのを感じた。
(……いずれ、説明する必要があるかもしれないな)
だが、今はそれよりも重要なことがある。
俺はガイゼルへ向き直った。
「……話せるか?」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ああ」
小さく頷いた。
「……話す」
◇
ガイゼルの話は、予想以上に複雑だった。
彼が雇われたのは、約半年前。
仕事の内容は、霧哭きの渓谷にある地下施設の警備。
雇い主の名前は、直接知らされていない。
契約は、仲介人を通じて行われた。
報酬は高額。
ただし、秘密保持のため、念による拘束を受けることが条件だった。
「……最初は、ただの警備だと思ってた」
ガイゼルは、低い声で言った。
「遺跡を荒らす連中を追い払えばいい。それだけだってな」
俺は黙って聞いた。
「だが、途中から変わった」
「……何が?」
「人間が、運び込まれるようになった」
俺は目を細めた。
「……どんな人間だ?」
「研究者みたいな連中もいた。旅人もいた。中には、傭兵らしい奴もいた」
ガイゼルは唇を噛んだ。
「……みんな、奥へ連れていかれた」
リリアの表情が険しくなる。
「……その人たちは、自分の意思で?」
ガイゼルは首を横に振った。
「……違う」
その一言で、空気が重くなった。
「眠らされてる奴もいた。縛られてる奴もいた。中には、歩いてるのに目が虚ろな奴もいた」
俺は拳を握った。
(……やっぱりか)
人間を集めている。
しかも、本人の意思とは無関係に。
これは、明らかに犯罪行為だ。
ミレーヌさんが静かに尋ねた。
「……施設の奥には、何があるの?」
ガイゼルは首を振った。
「……知らねえ。俺は入口の警備だけだった」
「でも、何か見たのでしょう?」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……青い光だ」
低い声で言った。
「……あの光の中に、人間が入っていく」
俺は目を細めた。
「……自分から?」
「……そう見える」
ガイゼルは頷いた。
「でも、まともじゃねえ。何かに呼ばれてるみたいに、ふらふら歩いていくんだ」
俺は、ダリオの証言を思い出した。
死んだ妻の声。
亡くなった弟の声。
そして、青白い光。
(……同じ現象だな)
ミレーヌさんが続けた。
「……その光の向こうに、何があるの?」
ガイゼルは、ゆっくりと顔を上げた。
「……一度だけ、見た」
俺たちは黙った。
男は、震える声で続けた。
「……でかい部屋だった」
そして。
「……壁一面に、何かの管が通ってた」
俺は眉をひそめた。
「……管?」
「ああ」
ガイゼルは頷いた。
「……その先に、人間がいた」
リリアが息を呑む。
「……どんな状態で?」
ガイゼルは、しばらく答えなかった。
やがて。
「……眠ってた」
低い声で言った。
「……透明な箱みたいなものの中で」
俺は、静かに息を吐いた。
透明な箱。
管。
眠っている人間。
その組み合わせから連想できるものは、いくつもある。
だが、現時点で決めつけるべきではない。
「……何人いた?」
俺が尋ねる。
ガイゼルは、首を横に振った。
「……数えちゃいねえ」
そして、震える声で付け加えた。
「……だが、十人や二十人じゃなかった」
俺は黙った。
リリアも、言葉を失っていた。
ミレーヌさんだけが、冷静な表情を保っていた。
だが、その目は鋭く細められている。
「……わかったわ」
彼女は静かに言った。
「十分よ」
◇
倉庫を出たあと。
俺たちは、集落の外れにある小高い丘へ向かった。
そこからは、霧哭きの渓谷へ続く山々が見渡せる。
夕陽が山の稜線を赤く染めていた。
ミレーヌさんは、しばらく黙って景色を眺めていた。
そして。
「……アオ」
「はい」
「さっきの能力について、聞いてもいいかしら」
俺は頷いた。
「……答えられる範囲なら」
「ええ。それで構わないわ」
ミレーヌさんは、俺へ視線を向けた。
「……あれは、除念?」
俺は少し考えた。
「……結果としては、そうです」
「結果として?」
「はい」
俺は言葉を選んだ。
「傷や病気を治すこともできます。念による呪いを取り除くこともできます。ただ、普通の念能力とは少し違います」
ミレーヌさんは黙って聞いていた。
「……詳しい仕組みは、説明できません」
俺は続けた。
「ですが、無制限に使えるものではありません」
ミレーヌさんは、しばらく俺を見つめた。
そして。
「……わかったわ」
静かに頷いた。
「無理に聞くつもりはない」
俺は少し驚いた。
「……いいんですか?」
「ええ」
彼女は微笑んだ。
「ハンターには、それぞれ秘密があるものよ」
そして、少しだけ表情を引き締めた。
「ただし、ひとつだけ」
「……はい」
「その力があるからといって、無茶をしないこと」
俺は黙った。
「どんな能力にも、限界はある。あなた自身がそれを忘れたら、いつか取り返しのつかないことになるわ」
俺は静かに頷いた。
「……わかっています」
ミレーヌさんは満足そうに笑った。
「なら、いいわ」
隣で、リリアがこちらを見ていた。
その表情は、少しだけ柔らかかった。
◇
その夜。
俺たちは、再び調査計画を立てた。
目標は明確だ。
地下遺跡の奥にある施設を確認する。
残り四人の調査隊を捜索する。
可能であれば、他の被害者も救助する。
そして、施設を管理している者の正体を突き止める。
ただし、無理はしない。
ミレーヌさんが、最初にそう念を押した。
「……三人で行く以上、役割分担が必要ね」
彼女は地図を広げた。
「まず、リリア」
「はい」
「あなたは経路の確認と、痕跡の追跡を担当して」
「わかりました」
「アオ」
「はい」
「あなたは周囲の警戒と、戦闘への対応をお願い」
「了解です」
「私は、遺跡の構造と仕掛けの調査。それから、全体の判断を担当するわ」
俺は頷いた。
合理的な分担だ。
リリアの追跡能力。
俺の戦闘能力と円。
ミレーヌさんの秘境調査経験。
三つを組み合わせれば、前回よりも安全に進めるはずだ。
もちろん、絶対ではない。
未知の念能力者が相手なら、どれだけ準備しても予想外の事態は起こり得る。
だが、だからこそ準備する。
俺は地図へ視線を落とした。
「……出発は?」
ミレーヌさんは答えた。
「明日の早朝」
リリアが頷く。
「わかりました」
俺も頷いた。
「了解です」
ミレーヌさんは、最後に金属札を指差した。
「……それと、これ」
「通行許可証ですね」
「ええ」
彼女は静かに言った。
「もし、これが本当に識別票なら、持っているだけで相手に存在を知られる可能性もあるわ」
俺は目を細めた。
「……なるほど」
「だから、遺跡へ入るまでは使わない方がいいかもしれない」
俺は頷いた。
「わかりました」
リリアも、真剣な表情で頷いた。
◇
翌朝。
空は、まだ薄暗かった。
集落の外れに、三人のハンターが立っていた。
ミレーヌさん。
リリア。
そして、俺。
それぞれの装備を確認する。
食料。
水。
医療用品。
ロープ。
照明器具。
武器。
通信機。
そして、帰還経路を確保するための道具。
リリアは銀色の羅針盤を具現化し、蓋を開いた。
青白い針が、静かに揺れる。
「……準備できました」
ミレーヌさんが頷いた。
「よろしい」
俺は周囲を見渡した。
山々の向こう。
霧哭きの渓谷が、白い霧に包まれている。
あの奥に、地下遺跡がある。
そして。
人間を集めている謎の施設。
青白い光。
消えた調査隊。
まだ、何も解決していない。
俺は静かに息を吐いた。
(……今度こそ)
残りの四人を探す。
施設の正体を確かめる。
そして、可能な限り多くの人間を救う。
そのために、ここまで来た。
「……行きましょう」
俺が言うと、ミレーヌさんが頷いた。
「ええ」
リリアも、力強く頷く。
「うん!」
三人は、霧に包まれた山道へ足を踏み出した。
朝の風が、木々を揺らす。
遠くから、鳥の声が聞こえた。
そして。
渓谷の奥。
まだ誰も見ていない場所で。
青白い光が、静かに揺れていた。
まるで。
新たな訪問者を、待ち受けているかのように。