流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第三十九話 霧の迷宮――第七観測区への再潜入

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷。

 

 夜明けから二時間ほどが経過したころ、俺たちは山間の集落を離れ、渓谷へ続く古い山道を歩いていた。

 

 朝の森には、独特の匂いがある。

 

 夜露を吸った土。

 

 苔むした岩。

 

 湿った樹皮と、若葉から立ち上る青臭い香り。

 

 それらが冷たい空気に溶け込み、深く息を吸うたびに肺の奥まで染み込んでくる。

 

 頭上では、名前も知らない鳥が短く鳴いていた。

 

 その声が木々の間を渡り、遠くの斜面へ吸い込まれていく。

 

 俺は足元の石を踏み越えながら、前を歩くリリアへ視線を向けた。

 

 彼女は深緑色の外套を羽織り、片手に地図を持っている。

 

 明るい栗色の髪は後ろでまとめられ、歩くたびに短い毛先が揺れていた。

 

 腰には短剣。

 

 背中には弓と矢筒。

 

 そして、左手には銀色の羅針盤。

 

『迷い人の足跡(ロスト・トレイル)』

 

 リリアが修行の末に完成させた、具現化系の念能力だ。

 

 今はその機能の一つ、『帰還者の羅針盤(ホームワード・コンパス)』を使っている。

 

 俺たちが前回歩いた経路を確認しながら、地形の変化を調べているのだ。

 

「……ここ、前に来たときより水が増えてる」

 

 リリアが足を止めた。

 

 視線の先には、岩の間を流れる細い沢があった。

 

 前回は靴底を濡らす程度だった流れが、今は足首ほどの深さになっている。

 

「昨夜の雨の影響か?」

 

「たぶん。でも、上流で土砂が崩れた可能性もあると思う」

 

 リリアは沢の向こう岸を見た。

 

「……少し上から渡った方がいいかな」

 

 俺も周囲を確認した。

 

 水量そのものは問題ない。

 

 俺なら跳び越えられる距離だし、ミレーヌさんも同様だろう。

 

 だが、今回の目的は速さを競うことではない。

 

 安全な経路を把握し、帰還時にも利用できるようにしておく必要がある。

 

「そうだな。上流を見てみよう」

 

 俺が答えると、リリアは頷いた。

 

 その様子を後ろから見ていたミレーヌさんが、静かに口を開いた。

 

「リリア」

 

「はい?」

 

「どうして上流を選んだの?」

 

 リリアは少し考えた。

 

「下流側は岩が大きくて、足場が見えにくいからです。それに、向こう岸の斜面も急なので」

 

「それだけ?」

 

「……あ」

 

 リリアはもう一度、沢を見た。

 

 水面。

 

 流れの速さ。

 

 岸辺に溜まった小枝。

 

 そして、濁った水。

 

「……上流から土砂が流れてきているかもしれないので、まず状態を確認したいです」

 

 ミレーヌさんは微笑んだ。

 

「そうね。もう一つ、沢の上流に崩落箇所があるなら、そこへ近づくこと自体が危険な場合もあるわ」

 

「……はい」

 

「だから、上流へ向かう前に、対岸の地形と水の流れを観察しておくこと」

 

 リリアは真剣に頷いた。

 

「わかりました」

 

 俺は二人のやり取りを聞きながら、改めて思った。

 

(……勉強になるな)

 

 俺は戦闘や危険察知には自信がある。

 

 ネテロ会長とビスケに鍛えられたおかげで、念の扱いも相応の水準に達している。

 

 だが、秘境探索となれば話は別だ。

 

 敵を倒せることと、危険な場所を安全に通過できることは、必ずしも同じではない。

 

 そして、今回のような未知の遺跡では、後者の能力が生死を分けることもある。

 

 俺は足元の地面を見た。

 

 湿った土には、細かな動物の足跡が残っている。

 

 小型の草食獣だろう。

 

 だが、その足跡の一部が、不自然に途切れていた。

 

「……リリア」

 

「どうしたの?」

 

「この足跡、見てくれ」

 

 彼女が近づいてくる。

 

 しゃがみ込み、地面を観察した。

 

「……あ、本当だ」

 

 足跡は沢の手前まで続いている。

 

 だが、その先にはない。

 

「……引き返したのかな?」

 

「可能性はある」

 

 俺は頷いた。

 

「ただ、同じ方向へ向かう足跡が複数あるのに、戻った形跡が見当たらない」

 

 リリアは周囲を見渡した。

 

 そして、少し離れた岩場を指差した。

 

「……あっちに続いてるかも」

 

 俺は目を細めた。

 

 確かに、苔の一部が削れている。

 

 小動物が跳び移った痕跡にも見えた。

 

 ミレーヌさんが小さく笑う。

 

「二人とも、よく見ているわね」

 

 俺たちは顔を上げた。

 

「でも、ここで時間を使いすぎないことも大切よ」

 

 彼女は続けた。

 

「すべての痕跡を調べていたら、目的地へ辿り着く前に日が暮れてしまうもの」

 

 俺は苦笑した。

 

「……確かに」

 

「探索では、何を調べないか決めることも重要なの」

 

 その言葉を聞き、俺は頷いた。

 

 戦闘にも通じる考え方だった。

 

 すべての攻撃へ反応する必要はない。

 

 すべての情報を追う必要もない。

 

 重要なのは、目的に対して何が必要かを見極めること。

 

 俺たちは沢を安全に渡れる場所を選び、再び山道を進み始めた。

 

     ◇

 

 昼前。

 

 霧哭きの渓谷の入口へ到着した。

 

 巨大な岩壁が左右にそびえ立ち、その間を細い谷が奥へ続いている。

 

 前回と同じ光景。

 

 だが、今日は少し様子が違っていた。

 

「……霧が濃いな」

 

 俺は呟いた。

 

 谷の奥は、白い靄に覆われている。

 

 視界は三十メートルほど。

 

 岩壁の上部も、ほとんど見えない。

 

 ミレーヌさんは、周囲をゆっくりと見渡した。

 

「……なるほど」

 

 その声には、わずかな興味が混じっていた。

 

「これが霧哭きの渓谷ね」

 

「はい」

 

 リリアが答える。

 

「前に来たときも霧はありましたけど、今日はもっと濃いです」

 

 ミレーヌさんは地面へしゃがみ込んだ。

 

 そして、指先で土をすくい取る。

 

 湿り気。

 

 粒子の細かさ。

 

 周囲の植物。

 

 彼女はそれらを確認したあと、顔を上げた。

 

「……普通の霧に見えるわね」

 

「念によるものではないんですか?」

 

 俺が尋ねる。

 

「少なくとも、ここでは異常なオーラを感じないわ」

 

 ミレーヌさんは頷いた。

 

「ただし、自然の霧を利用している可能性はある」

 

「……なるほど」

 

 俺は円を広げた。

 

 半径五十メートル。

 

 周囲の岩壁。

 

 木々。

 

 小動物。

 

 そして、地面の凹凸。

 

 感覚は正常だった。

 

(……入口付近には、まだ異常がない)

 

 俺は円を解除した。

 

 円を維持し続けることもできるが、今回は長時間の探索になる。

 

 必要に応じて使い分けた方がいい。

 

 ミレーヌさんが俺を見た。

 

「……アオ」

 

「はい」

 

「円は、どれくらい維持できるの?」

 

「状況によりますが、短時間なら広範囲を確認できます。狭めれば、かなり長く維持できます」

 

「そう」

 

 彼女は頷いた。

 

「なら、常時使う必要はないわ。特に遺跡内部では、相手に存在を知らせる可能性もある」

 

「了解です」

 

 俺は答えた。

 

 円は便利だ。

 

 だが、円を広げるということは、こちらのオーラを周囲へ放つということでもある。

 

 念能力者が相手なら、察知される可能性は十分にある。

 

 俺たちは警戒を強め、谷の奥へ進んだ。

 

     ◇

 

 前回、地下遺跡の入口を発見した岩壁へ到着したのは、午後の早い時間だった。

 

 リリアが足を止める。

 

「……ここです」

 

 彼女が指差したのは、苔に覆われた岩壁。

 

 一見すると、ただの自然の岩にしか見えない。

 

 だが、よく観察すれば、石材の継ぎ目が確認できる。

 

 ミレーヌさんは、しばらく黙って岩壁を見つめていた。

 

 そして、ゆっくりと近づいた。

 

「……古いわね」

 

 彼女は石の表面へ手を触れた。

 

「少なくとも、最近造られたものではない」

 

「どれくらい前のものですか?」

 

 リリアが尋ねる。

 

「正確にはわからないわ。石材の風化だけでは年代を断定できないもの」

 

 ミレーヌさんは、慎重に周囲を調べた。

 

「ただ、面白いことがある」

 

「……何ですか?」

 

 俺が尋ねると、彼女は岩壁の一角を指差した。

 

「ここを見て」

 

 俺たちは近づいた。

 

 そこには、細い溝が刻まれていた。

 

 前回は気づかなかった部分だ。

 

「……文字ですか?」

 

 リリアが尋ねる。

 

「文字というより、記号ね」

 

 ミレーヌさんは答えた。

 

「古い遺跡では、建築に関わった集団が石材へ印を刻むことがあるの」

 

 俺は目を細めた。

 

 記号は、三本の線が交差する形。

 

 中央には、小さな円。

 

(……あれ?)

 

 見覚えがある。

 

 俺は腰のポーチへ手を伸ばした。

 

 取り出したのは、第七観測区の通行許可証。

 

 その表面にも、同じような紋章が刻まれている。

 

「……ミレーヌさん」

 

「ええ」

 

 彼女は頷いた。

 

「気づいたようね」

 

 俺は札と岩壁を見比べた。

 

「……同じ紋章です」

 

「そうね」

 

 ミレーヌさんは静かに言った。

 

「つまり、この札を作った人間は、遺跡の古い記号を利用している可能性がある」

 

 俺は頷いた。

 

 古代の遺跡。

 

 現代の管理施設。

 

 そして、同じ紋章。

 

 両者には、何らかのつながりがある。

 

 だが、それが何なのかはまだわからない。

 

「……入ってみましょう」

 

 ミレーヌさんが言った。

 

 俺とリリアは頷いた。

 

     ◇

 

 地下遺跡の内部は、前回と変わらず薄暗かった。

 

 湿った石壁。

 

 崩れた柱。

 

 床に積もった土埃。

 

 そして、奥へ続く細い通路。

 

 リリアが羅針盤を開く。

 

「……帰還経路、確認できました」

 

 ミレーヌさんが頷いた。

 

「よろしい」

 

 俺は周囲を警戒した。

 

 前回、ガイゼルと戦った地下空洞。

 

 そこへ向かう途中、何かが変化している可能性もある。

 

 俺たちは慎重に歩いた。

 

 最初の曲がり角。

 

 問題なし。

 

 二つ目の分岐。

 

 問題なし。

 

 そして。

 

 三つ目の通路。

 

「……止まって」

 

 リリアが小さく言った。

 

 俺とミレーヌさんは足を止めた。

 

「……どうした?」

 

 俺が尋ねる。

 

 リリアは羅針盤を見つめていた。

 

「……ここ」

 

 彼女は地面を指差した。

 

「前に来たときと、違う」

 

 俺は周囲を見渡した。

 

 石壁。

 

 床。

 

 天井。

 

 見た目には、特に変化がない。

 

「……どこが?」

 

 リリアは、少し離れた壁を指差した。

 

「……あの石」

 

 俺は目を細めた。

 

 壁の一部に、ひび割れた石材がある。

 

「……前は、あそこにあったんです」

 

 リリアは別の場所を指差した。

 

 約三メートルほど離れた位置。

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……石が動いた?」

 

「ううん」

 

 リリアは首を振った。

 

「……壁の並び方が変わってる」

 

 俺は、もう一度周囲を確認した。

 

 確かに。

 

 石材の継ぎ目が、以前と微妙に違う。

 

 ミレーヌさんが静かに口を開いた。

 

「……なるほど」

 

 彼女は壁へ近づいた。

 

 そして、石材の表面を観察した。

 

「……これは、面倒ね」

 

 俺は彼女を見た。

 

「……何かわかりましたか?」

 

「まだ仮説だけれど」

 

 ミレーヌさんは答えた。

 

「この通路、構造そのものが変わっている可能性があるわ」

 

 俺は目を細めた。

 

「……やっぱり」

 

「ええ」

 

 彼女は頷いた。

 

「ただし、物理的に壁が動いているのか、別の通路へ誘導されているのかはわからない」

 

 リリアが羅針盤を見た。

 

「……記録は、ちゃんと残ってます」

 

 ミレーヌさんは微笑んだ。

 

「それが重要なのよ」

 

 そして、俺たちへ視線を向けた。

 

「……ここからは、実験しながら進みましょう」

 

     ◇

 

 最初の実験は、単純なものだった。

 

 通路の入口に、目印を残す。

 

 次に、一定の距離を進む。

 

 そして、引き返す。

 

 それだけだ。

 

 ただし、目印は複数用意した。

 

 石壁へ結んだ赤い布。

 

 床に置いた小石。

 

 そして、リリアの念能力による経路記録。

 

 さらに、俺が円で周囲の構造を確認する。

 

 ミレーヌさんは、すべての情報を照合する役割だ。

 

「……準備はいい?」

 

「はい」

 

「うん!」

 

 俺たちは、通路を進んだ。

 

 十メートル。

 

 二十メートル。

 

 三十メートル。

 

 特に異常はない。

 

 そして、四十メートルほど進んだところで。

 

「……止まって」

 

 ミレーヌさんが言った。

 

 俺たちは足を止めた。

 

「……どうしました?」

 

 俺が尋ねる。

 

 彼女は、足元を指差した。

 

「……ここ、見て」

 

 石床に、小さな傷があった。

 

 俺は目を細めた。

 

 その傷には、見覚えがある。

 

「……さっきの小石?」

 

 リリアが呟いた。

 

 俺は振り返った。

 

 だが、背後にあるはずの赤い布が見えない。

 

 代わりに、別の石壁が続いている。

 

(……いつの間に)

 

 俺は円を広げた。

 

 周囲の構造が、感覚として伝わってくる。

 

 だが。

 

 先ほど確認した通路とは、明らかに違う。

 

 右側にあったはずの壁が、少し離れた場所へ移動している。

 

 そして、左側には、存在しなかったはずの空間があった。

 

「……変わってる」

 

 俺が呟くと、ミレーヌさんは頷いた。

 

「ええ」

 

 リリアは羅針盤を見つめていた。

 

「……記録上は、真っ直ぐ歩いてるのに」

 

 俺は目を細めた。

 

 実際に歩いた道。

 

 それを記録する能力。

 

 その記録は、真っ直ぐ進んだことを示している。

 

 だが、現在地は違う。

 

(……つまり)

 

 俺は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……通路の接続が、途中で変わった?」

 

 ミレーヌさんは微笑んだ。

 

「その可能性が高いわね」

 

 そして、少しだけ表情を引き締めた。

 

「ただし、問題はここからよ」

 

「……何ですか?」

 

 リリアが尋ねる。

 

「……誰が、何のために変えているのか」

 

 俺は黙った。

 

 それこそが、最大の問題だった。

 

     ◇

 

 次に行ったのは、通行許可証を使った実験だった。

 

 俺は金属札を取り出した。

 

 凝で確認すると、表面には微かなオーラが流れている。

 

 ミレーヌさんは札を見つめた。

 

「……アオ」

 

「はい」

 

「まず、あなたが持ったまま進んでみて」

 

「わかりました」

 

 俺は札を握り、通路へ足を踏み出した。

 

 リリアとミレーヌさんは、少し後ろからついてくる。

 

 十メートル。

 

 二十メートル。

 

 三十メートル。

 

 先ほどとは違い、周囲の構造に変化はない。

 

 俺は足を止めた。

 

「……今のところ、正常です」

 

 リリアも羅針盤を確認した。

 

「うん。記録も合ってる」

 

 ミレーヌさんは頷いた。

 

「……では、次」

 

 彼女は、俺へ手を差し出した。

 

「札を貸して」

 

「はい」

 

 俺は札を渡した。

 

 ミレーヌさんが持つ。

 

 そして、同じように歩き始めた。

 

 結果は、同じだった。

 

 通路は変化しない。

 

 リリアの記録も正常。

 

 俺の円にも異常はない。

 

「……なるほど」

 

 ミレーヌさんは札を見つめた。

 

「やはり、これが鍵になっている可能性は高いわね」

 

 俺は頷いた。

 

「……所持者を識別している?」

 

「おそらくね」

 

 彼女は答えた。

 

「ただし、誰が持っていても効果があるのか。それとも、特定の条件があるのかはまだわからない」

 

 リリアが口を開いた。

 

「……じゃあ、札を持ってない人は?」

 

 ミレーヌさんは頷いた。

 

「それを確かめたいところだけれど……」

 

 彼女は少し考えた。

 

「三人が離れるのは危険ね」

 

 俺も同意した。

 

 札の効果範囲がわからない以上、別行動は避けた方がいい。

 

 俺たちは、札を持ったまま進むことにした。

 

     ◇

 

 地下空洞へ到着したのは、それから三十分ほど後だった。

 

 前回、ガイゼルと戦った場所だ。

 

 巨大な石柱。

 

 崩れた石材。

 

 そして、奥にそびえる石扉。

 

 俺は周囲を見渡した。

 

「……ここです」

 

 ミレーヌさんは、静かに頷いた。

 

「……なるほど」

 

 彼女は石床を観察した。

 

 そこには、前回の戦闘で生じたひび割れが残っている。

 

 黒い棘が突き出した場所。

 

 俺が男を投げ倒した場所。

 

 そして、剣が転がった場所。

 

 ミレーヌさんは、床の溝へしゃがみ込んだ。

 

「……これね」

 

「はい」

 

 俺は頷いた。

 

「ガイゼルは、ここへ剣を突き立てていました」

 

 彼女は指先で溝をなぞった。

 

「……人工的に刻まれているわね」

 

 俺は頷いた。

 

 リリアも近づいた。

 

「……あのとき、ここに黒いオーラが流れていました」

 

 ミレーヌさんは、しばらく考えた。

 

 そして。

 

「……この溝、古いものね」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……どういうことですか?」

 

「石材の摩耗具合が、周囲と同じなの」

 

 彼女は答えた。

 

「つまり、最近刻まれたものではない可能性が高い」

 

 俺は目を細めた。

 

(……古い遺跡の構造を、念能力に利用している?)

 

 ガイゼルの能力は、剣から黒いオーラを流し込み、床の溝に沿って棘を発生させるものだった。

 

 だが、その溝自体は古代から存在していた。

 

 つまり。

 

 この遺跡には、もともと何らかの仕掛けがあった可能性がある。

 

 ミレーヌさんは立ち上がった。

 

「……奥へ行きましょう」

 

 俺たちは頷いた。

 

     ◇

 

 石扉を開くと、冷たい空気が流れ出してきた。

 

 奥には、前回発見した小さな石室がある。

 

 ダリオとエマが閉じ込められていた場所だ。

 

 俺たちは慎重に進んだ。

 

 石室には、まだ二人が使っていた毛布や水筒が残っている。

 

 リリアは周囲を見渡した。

 

「……ここも、変わってないね」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

 ミレーヌさんは、壁に刻まれた文字を調べ始めた。

 

 俺も近づいた。

 

 そこには、見慣れない記号が並んでいる。

 

 だが、よく見ると、規則性があった。

 

「……文字、ですか?」

 

 俺が尋ねる。

 

「おそらくね」

 

 ミレーヌさんは答えた。

 

「ただし、私の知っている古代文字とは少し違う」

 

 彼女は手帳を取り出し、記号を写し始めた。

 

「……後で専門家に見せる必要があるわ」

 

 俺は頷いた。

 

 そのとき。

 

 リリアが、小さく声を上げた。

 

「……アオ、先生」

 

 俺たちは振り向いた。

 

 リリアは、石室の奥にある通路を見つめていた。

 

 その先から、青白い光が漏れている。

 

「……光が、強くなってる」

 

 俺は目を細めた。

 

 確かに。

 

 前回より、明らかに明るい。

 

 まるで、通路の奥に巨大な灯火があるようだった。

 

 ミレーヌさんも表情を引き締めた。

 

「……時間帯の影響かしら」

 

「……まだ昼過ぎです」

 

 俺が答える。

 

「ダリオさんの話では、夜になると強くなるはずでした」

 

 ミレーヌさんは頷いた。

 

「……なら、何か条件が変わったのかもしれないわね」

 

 俺は、円を広げた。

 

 周囲の構造。

 

 通路。

 

 そして、奥の空間。

 

 だが。

 

(……まただ)

 

 円の感覚が、途中で薄くなる。

 

 前回と同じ。

 

 いや。

 

 今回は、さらに強い。

 

 まるで、何かが俺の感覚を押し返しているようだった。

 

「……ミレーヌさん」

 

「ええ」

 

 彼女は頷いた。

 

「私も感じているわ」

 

 俺は目を細めた。

 

「……念ですか?」

 

「可能性は高い」

 

 ミレーヌさんは答えた。

 

「ただし、かなり広範囲に作用しているみたいね」

 

 リリアは羅針盤を握り直した。

 

「……どうしますか?」

 

 ミレーヌさんは、しばらく考えた。

 

 そして。

 

「……少しだけ、奥を確認しましょう」

 

 俺は頷いた。

 

 リリアも、真剣な表情で頷いた。

 

     ◇

 

 通路の奥へ進むにつれて、空気が変わっていった。

 

 湿った石の匂いに、別の臭いが混じり始める。

 

 金属。

 

 薬品。

 

 そして、どこか焦げたような臭気。

 

 俺は眉をひそめた。

 

(……研究施設、か)

 

 ガイゼルの証言。

 

 透明な箱。

 

 壁一面の管。

 

 そして、人間を集めている場所。

 

 それらが、頭の中でつながり始める。

 

 だが、まだ確証はない。

 

 俺たちは慎重に歩いた。

 

 通路は、次第に広くなっていく。

 

 壁には、古い石材とは明らかに違う金属製の板が取り付けられていた。

 

 さらに、天井には細い管が通っている。

 

 俺は目を細めた。

 

「……新しい設備ですね」

 

 ミレーヌさんが頷いた。

 

「ええ。古代遺跡を改造しているようね」

 

 リリアは壁の一部を指差した。

 

「……ここ、最近修理された跡があります」

 

 俺は近づいた。

 

 金属板の継ぎ目。

 

 新しいボルト。

 

 そして、工具で締めた痕跡。

 

 確かに、最近のものだ。

 

「……人が出入りしている証拠だな」

 

 俺が言うと、リリアは頷いた。

 

「うん」

 

 ミレーヌさんは、静かに息を吐いた。

 

「……ここから先は、より慎重に」

 

 俺たちは頷いた。

 

     ◇

 

 さらに進んだ先。

 

 通路は、巨大な空間へつながっていた。

 

 俺は、その光景を見て足を止めた。

 

「……これは」

 

 目の前には、広大な地下施設が広がっていた。

 

 天井は高く、無数の金属製の管が縦横に走っている。

 

 壁には、青白く光る装置が並び、床には複雑な配線が敷かれていた。

 

 そして。

 

 空間の中央には、巨大な円形の装置があった。

 

 直径は、十メートル以上。

 

 周囲には、透明な筒状の容器が並んでいる。

 

 その中には。

 

「……人?」

 

 リリアが、小さく呟いた。

 

 俺は目を細めた。

 

 透明な容器。

 

 内部に満たされた液体。

 

 そして。

 

 その中に浮かぶ、人間の姿。

 

 一人。

 

 二人。

 

 三人。

 

 数えきれないほどの容器が、並んでいた。

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

(……本当に、あったのか)

 

 ガイゼルの証言。

 

 透明な箱。

 

 管。

 

 眠っている人間。

 

 すべてが、目の前に存在していた。

 

 リリアは、唇を噛んでいた。

 

「……ひどい」

 

 その声には、怒りが混じっていた。

 

 俺も同じ気持ちだった。

 

 だが、感情だけで動くわけにはいかない。

 

 俺は周囲を確認した。

 

 円を広げる。

 

 すると。

 

(……いる)

 

 施設の奥。

 

 複数の人間の気配。

 

 少なくとも、十人以上。

 

 その中には、明らかに強いオーラを持つ者もいた。

 

 俺は目を細めた。

 

「……ミレーヌさん」

 

「……ええ」

 

 彼女も、同じものを感じているらしい。

 

「……念能力者がいるわね」

 

 俺は頷いた。

 

「少なくとも、数人」

 

 リリアは、静かに羅針盤を握り直した。

 

「……どうしますか?」

 

 ミレーヌさんは、しばらく施設を見つめていた。

 

 そして。

 

「……まずは、情報を集めましょう」

 

 俺は頷いた。

 

 リリアも頷く。

 

 だが。

 

 その瞬間だった。

 

 施設の中央にある巨大な装置が、突然、低い音を立て始めた。

 

 ゴウン。

 

 ゴウン。

 

 まるで、巨大な歯車が回転するような音。

 

 青白い光が、強くなっていく。

 

 俺は目を細めた。

 

(……何だ?)

 

 装置の周囲に、オーラが集まり始めている。

 

 その量は、決して小さくない。

 

 むしろ。

 

(……かなり大きい)

 

 俺は、反射的に構えた。

 

 リリアも、短剣へ手を伸ばす。

 

 ミレーヌさんは、静かに息を吐いた。

 

「……二人とも」

 

「はい」

 

「うん」

 

「……下がって」

 

 その声には、明確な警戒があった。

 

 俺たちは、すぐに一歩後退した。

 

 そして。

 

 巨大な装置の中央から、青白い光が噴き上がった。

 

 光は、天井へ向かって伸びる。

 

 その中に。

 

 人影が、浮かび上がった。

 

 俺は目を細めた。

 

(……人間?)

 

 いや。

 

 違う。

 

 それは、輪郭だけが人間に似ていた。

 

 顔はない。

 

 目も、口もない。

 

 ただ、青白い光が人の形を作っている。

 

 そして。

 

 その存在が、ゆっくりとこちらを向いた。

 

 次の瞬間。

 

 頭の中に、声が響いた。

 

『……新たな、観測対象を確認』

 

 俺は息を呑んだ。

 

 リリアも、顔を強張らせている。

 

 ミレーヌさんは、静かに目を細めた。

 

『……適合率、測定開始』

 

 青白い光が、俺たちを包もうと広がっていく。

 

 俺は、反射的にオーラを練り上げた。

 

(……来る!)

 

 だが。

 

 光が触れる直前。

 

 俺は、妙な違和感を覚えた。

 

 攻撃ではない。

 

 少なくとも、単純な破壊を目的としたものではない。

 

 まるで。

 

 何かを、調べられているような。

 

『……対象一。特異反応』

 

 声が響く。

 

 俺の身体へ、青白い光が集中した。

 

『……既存分類に該当せず』

 

 俺は目を細めた。

 

(……何だと?)

 

 光の人影が、こちらを見つめる。

 

『……観測優先順位、変更』

 

 そして。

 

『……対象一を、最優先で確保する』

 

 その言葉と同時に。

 

 施設の奥から、複数の足音が響いた。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

(……なるほど)

 

 どうやら。

 

 俺たちは、歓迎されていないらしい。

 

 俺は、隣のリリアとミレーヌさんへ視線を向けた。

 

「……来ます」

 

 ミレーヌさんが頷いた。

 

「ええ」

 

 リリアも、短剣を構えた。

 

「……うん!」

 

 青白い光が、地下施設を照らしている。

 

 その奥から、複数の人影が現れ始めた。

 

 俺は拳を握った。

 

 今度の相手は、ただの番人ではない。

 

 そして。

 

 この施設は、俺たちが想像していた以上に危険な場所なのかもしれない。

 

 だが。

 

 ここには、助けを待っている人間がいる。

 

 それだけは、確かだった。

 

 俺は、静かに一歩踏み出した。

 

「……さて」

 

 拳に、オーラを集中させる。

 

「……まずは、話を聞かせてもらおうか」

 

 地下施設の奥で、青白い光が脈打った。

 

 そして。

 

 第七観測区の真実へ続く戦いが、静かに幕を開けようとしていた。

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