流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷、地下深部。
第七観測区。
人間という生き物は、理解できないものを前にすると、まず自分の知っている何かに当てはめようとする。
幽霊。
怪物。
未知の生物。
あるいは、神のような存在。
だが、念能力というものを知っている人間にとって、それらの大半は別の可能性を持つ。
具現化系。
操作系。
放出系。
変化系。
強化系。
そして、既存の分類では説明しきれない特質系。
もちろん、念能力ですべての不可思議な現象を説明できるわけではない。
この世界には、まだ人類が把握していないものが数えきれないほど存在する。
それでも、目の前で起きていることを理解するためには、まず既知の法則から考えるべきだ。
俺は、そう教わってきた。
だからこそ。
(……あれを、単なる幽霊だと思うのは危険だ)
地下施設の中央。
巨大な円形装置の上に、青白い人影が浮かんでいた。
顔はない。
髪も、衣服もない。
ただ、人間の輪郭を模した光の集合体。
その内部では、細い線のようなものが絶えず走り回っている。
そして、先ほどから頭の中へ直接響いてくる声。
『対象一。特異反応を検出』
『既存分類との照合、不一致』
『観測優先順位を変更』
『対象一を最優先で確保する』
対象一。
どうやら、俺のことらしい。
(……何を基準に判定している?)
オーラの量か。
身体能力か。
それとも、もっと別の何かか。
いずれにしても、向こうはこちらを捕獲するつもりらしい。
俺は足を半歩引き、重心を落とした。
左斜め後方にはリリア。
右側にはミレーヌさん。
背後には、俺たちが通ってきた細い通路がある。
施設の奥からは、複数の足音。
少なくとも六人。
そのうち三人からは、はっきりとしたオーラの気配が感じられる。
残りの三人は、念能力者なのかどうか判断できない。
だが、問題は人数ではなかった。
この場所そのものが、敵の支配下にある可能性が高い。
「……アオ」
ミレーヌさんが、小さく声をかけてきた。
「はい」
「正面の敵は任せてもいい?」
「構いません」
「ただし、倒すことを優先しないで。まず能力を確認して」
「了解です」
彼女は頷いた。
そして、リリアへ視線を向ける。
「リリア。あなたは退路の確認。何か変化があったら、すぐに知らせて」
「はい!」
リリアは銀色の羅針盤を握り直した。
その横顔に、迷いはない。
俺は静かに息を吐いた。
(……さて)
まずは、相手の出方を見る。
そう考えた瞬間だった。
施設の奥から現れた男たちが、一斉に足を止めた。
◇
先頭に立っていたのは、灰色の制服を着た大柄な男だった。
短く刈り込んだ金髪。
四角い顎。
左頬には、縦に走る古い傷痕。
年齢は四十歳前後だろう。
腰には拳銃。
背中には短い金属製の棒を二本。
そして、その身体を包むオーラは、明らかに一般人のものではなかった。
(……強化系寄りか?)
纏の密度が高い。
呼吸も安定している。
戦闘経験は豊富そうだ。
男は俺たちを見渡し、眉をひそめた。
「……侵入者が三人?」
その背後にいた細身の男が、手元の端末を確認する。
「はい。認証されていない生体反応です」
「警備担当は何をしていた?」
「外部警備員ガイゼルとの通信は、数日前から途絶しています」
大柄な男の顔が険しくなった。
「……あの役立たずめ」
俺は黙って聞いていた。
どうやら、ガイゼルの不在は把握しているらしい。
だが、彼が捕縛されたことまでは知らないようだ。
大柄な男が一歩前へ出た。
「お前ら、どこから入った?」
俺は答えた。
「正面から」
「……ふざけているのか?」
「質問に答えただけだ」
男の眉間に皺が寄った。
俺は続けた。
「こっちからも質問がある」
「……何だ?」
「ここにいる人間は、全員自分の意思で来たのか?」
男の表情が変わった。
俺は、周囲に並ぶ透明な容器へ視線を向けた。
「少なくとも、あの中の人間が自由に出入りできるようには見えない」
大柄な男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……余計なことを知ったな」
低い声で言った。
俺は静かに頷いた。
「……そうか」
それで十分だった。
話し合いで解決できる相手ではなさそうだ。
男は右手を上げた。
「拘束しろ」
その瞬間。
背後の三人が動いた。
◇
最初に飛んできたのは、細い金属製の弾丸だった。
銃声はない。
発射音も、ほとんど聞こえなかった。
ただ、空気を裂く鋭い音だけが響く。
(……念弾か?)
俺は身体を捻った。
弾丸が頬の横を通過する。
背後の石壁へ突き刺さり、小さな破片が飛び散った。
威力は、通常の拳銃弾より高い。
少なくとも、石材へ深く食い込む程度の貫通力がある。
俺は床を蹴った。
一歩。
二歩。
瞬間的に距離を詰める。
だが、相手もそれを予想していたらしい。
細身の男が両手を広げた。
「――止まれ!」
その声と同時に、俺の足元へ何かが走った。
細い線。
透明に近いオーラの糸だ。
(……操作系か、具現化系か)
俺は踏み込みを中断し、跳躍した。
直後。
床に張られていた糸が、一斉に収縮する。
もし踏み込んでいれば、足首を拘束されていただろう。
俺は空中で身体を捻り、近くの石柱へ着地した。
その瞬間。
大柄な男が、正面から突っ込んできた。
「――おおおっ!」
速い。
大きな身体に似合わない加速だった。
男は右拳を振り上げる。
オーラが拳へ集中している。
(……硬に近いな)
俺は正面から受けなかった。
右足で石柱を蹴り、斜め下へ移動する。
男の拳が石柱へ激突した。
轟音。
石材が砕け、破片が飛び散る。
俺はその破片の間を抜け、男の懐へ入った。
左手で腕の軌道をずらす。
右拳を腹部へ。
流。
オーラを瞬間的に集中させる。
「ぐっ……!」
男の身体が揺れた。
だが、倒れない。
むしろ、腹筋を固めて踏みとどまった。
(……頑丈だな)
俺はすぐに距離を取った。
男が口元を歪める。
「……小僧のくせに、やるじゃねえか」
「そっちもな」
俺は答えた。
相手は、明らかに念を使った実戦に慣れている。
油断すれば、こちらも傷を負うだろう。
だが。
(……まだ、底は見えていない)
俺は呼吸を整えた。
◇
一方、リリアは施設の入口付近で、羅針盤を確認していた。
青白い針が、細かく震えている。
(……また、道が変わろうとしてる)
彼女は眉をひそめた。
前回の探索で確認した、通路の異常。
今回も、同じ現象が起き始めていた。
だが、違いがある。
今回は、変化する直前の兆候を感じ取れていた。
羅針盤の針が、一瞬だけ逆方向へ振れる。
その直後、記録された経路の一部が不自然に折れ曲がる。
(……これだ)
リリアは顔を上げた。
「先生!」
ミレーヌさんが振り向く。
「何?」
「入口の通路が変わろうとしています!」
ミレーヌさんの表情が引き締まった。
「……どれくらい?」
「まだ完全には変わっていません。でも、あと少しで……!」
その瞬間。
背後の通路から、低い振動音が響いた。
石壁が、わずかに揺れる。
リリアは羅針盤を握り直した。
「……来る!」
ミレーヌさんが、すぐに判断した。
「リリア、入口から離れて!」
「はい!」
二人は素早く後退した。
直後。
通路の奥から、重い音が響いた。
石材が擦れる音。
金属が軋む音。
そして。
入口の形が、ゆっくりと変化し始めた。
「……っ!」
リリアは息を呑んだ。
さっきまで一直線だった通路が、壁の奥へ引き込まれるように曲がっていく。
その先には、別の通路が現れていた。
まるで、巨大な迷路の一部が組み替えられているようだった。
ミレーヌさんは、冷静に観察していた。
「……なるほど」
彼女は小さく呟いた。
「物理的な構造変化と、念による認識干渉が組み合わされている可能性があるわね」
リリアは、羅針盤を見つめた。
「……記録が、ずれてる」
「消えたわけではないでしょう?」
「……はい」
「なら、まだ手はある」
ミレーヌさんは頷いた。
「まずは、今いる場所を基準に新しい経路を記録し直して」
「わかりました!」
リリアは深呼吸した。
焦る必要はない。
自分の能力は、帰るための道を記録するものだ。
ならば。
道が変わったのなら、変わった道を調べればいい。
彼女は静かに羅針盤を握り直した。
◇
戦闘は、徐々に激しさを増していた。
大柄な男。
金属弾を放つ男。
そして、透明な糸を操る男。
三人の連携は、思った以上に厄介だった。
大柄な男が正面から攻める。
俺が回避すれば、金属弾が飛んでくる。
さらに、移動先には透明な糸が張られている。
単純だが、よく考えられた戦術だった。
(……なるほど)
俺は石柱の陰へ身を滑り込ませた。
直後、金属弾が柱へ突き刺さる。
石片が頬をかすめた。
俺は凝で周囲を確認する。
透明な糸。
床。
柱。
そして、敵の位置。
(……糸は、一定の範囲にしか張れない)
俺は目を細めた。
男が両手を広げるたびに、糸の配置が変わっている。
だが、同時に維持できる数には限界があるらしい。
さらに。
(……弾丸の発射にも、わずかな間隔がある)
俺は、三人の動きを頭の中で整理した。
大柄な男は、近接戦闘。
糸の男は、移動制限。
弾丸の男は、遠距離攻撃。
役割分担は明確だ。
ならば。
(……崩すなら、連携の要からだ)
俺は、糸の男へ視線を向けた。
彼がいるのは、施設の左側。
大柄な男から約十メートル後方。
金属弾の男とは、さらに五メートルほど離れている。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
そして。
石柱の陰から、飛び出した。
「……来るぞ!」
大柄な男が叫ぶ。
金属弾が飛ぶ。
俺は身体を低くした。
弾丸が頭上を通過する。
同時に、床へ透明な糸が走った。
だが。
俺は、その糸を踏まなかった。
右足で床を蹴る。
跳躍。
そして、空中で身体を捻る。
糸の男が目を見開いた。
「……なっ!」
俺は、男の正面へ着地した。
距離は一メートル。
男が両手を上げる。
だが、遅い。
俺は左手で腕を押さえ、右拳を腹部へ叩き込んだ。
「がっ……!」
男の身体が折れる。
続けて、首筋へ手刀。
もちろん、殺すつもりはない。
意識を奪うための一撃だ。
男は、その場へ崩れ落ちた。
(……一人)
俺はすぐに振り向いた。
大柄な男が、怒りの表情を浮かべている。
「……てめえ!」
俺は静かに構えた。
「……次は?」
◇
大柄な男が、二本の金属棒を抜いた。
長さは、それぞれ五十センチほど。
先端には、鈍い光沢がある。
男は棒を両手に構えた。
「……ここからは、本気だ」
俺は眉をひそめた。
「さっきまでは違ったのか?」
「……減らず口を!」
男が踏み込む。
左右の棒が、交互に振るわれた。
速い。
だが、単純な連撃ではない。
右の棒が、肩口へ。
左の棒が、膝へ。
そして、右の棒が再び頭部へ。
それぞれの攻撃が、次の攻撃を誘導するように組み立てられている。
(……武器術もできるのか)
俺は後退しながら、攻撃の軌道を観察した。
男の身体能力は高い。
だが、攻撃にはわずかな癖があった。
右の棒を振るう直前、左肩が少し下がる。
左の棒を使うときは、右足へ重心が移る。
その癖を利用すれば、先を読むことができる。
俺は一歩踏み込んだ。
男が右の棒を振り上げる。
俺は、その内側へ入った。
左手で肘を押さえる。
右手で手首を掴む。
そして。
身体を捻った。
「……っ!?」
男の重心が崩れる。
俺は、そのまま足を払った。
男の巨体が、床へ叩きつけられた。
轟音。
石床が、わずかにひび割れる。
だが、男はすぐに起き上がろうとした。
俺は、その腕を極めた。
「……動くな」
男が歯を食いしばる。
「……くそっ!」
俺は力を加えた。
関節が軋む。
「……まだやるか?」
男は、しばらく抵抗していた。
だが。
やがて、力を抜いた。
「……わかった」
俺は頷いた。
そして、拘束具を取り出した。
男の両腕を固定する。
続けて、脚も拘束した。
もちろん、念能力者である以上、これで完全に安全とは言えない。
だが、少なくとも自由な動きは封じられる。
(……二人目)
俺は静かに息を吐いた。
残るは、金属弾を放つ男。
だが。
その男は、すでに攻撃を止めていた。
◇
金属弾の男は、施設の奥へ後退していた。
その顔には、明確な焦りが浮かんでいる。
「……嘘だろ」
男が呟いた。
「……隊長が、負けた?」
俺はゆっくりと近づいた。
「……降参するか?」
男は首を振った。
「……できるわけがない!」
そして、懐から小さな装置を取り出した。
黒い箱。
手のひらに収まる程度の大きさ。
表面には、赤いボタンがある。
(……何だ?)
俺は足を止めた。
男は、震える手で装置を握っている。
「……近づくな!」
俺は静かに答えた。
「……何をするつもりだ?」
「……これを押せば、施設の防衛機構が作動する!」
俺は目を細めた。
「……防衛機構?」
「……そうだ!」
男は叫んだ。
「……お前らも、ここから出られなくなるぞ!」
俺は黙った。
脅しなのか。
それとも、本当に何かの装置なのか。
判断は難しい。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
押させるべきではない。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「……わかった」
男の表情が、少しだけ緩んだ。
「……そうだ、動くな」
俺は頷いた。
「……動かない」
そして。
次の瞬間。
俺は、男の背後へ回り込んでいた。
「……え?」
男が振り向くより早く、俺は右手を伸ばした。
装置を握る手首を掴む。
指を押さえる。
そして、装置を取り上げた。
「……なっ!?」
男が目を見開く。
俺は静かに言った。
「……押すなって言われてないからな」
男は、何かを言おうとした。
だが、その前に。
俺は男の首筋へ手刀を打ち込んだ。
男は、意識を失って倒れた。
(……三人目)
俺は、装置を確認した。
赤いボタン。
小さな表示。
そして、側面に刻まれた文字。
『緊急封鎖』
俺は眉をひそめた。
(……やっぱり、危険なものだったか)
俺は装置を慎重に保管した。
そして、周囲を見渡した。
戦闘は、ひとまず終わった。
だが。
施設の奥には、まだ複数の人間の気配がある。
それに。
中央の青白い人影。
あれは、まだ消えていなかった。
◇
『……観測結果を更新』
頭の中に、声が響いた。
俺は顔を上げた。
青白い人影が、こちらを見つめている。
『対象一。身体能力、既存基準を超過』
『念反応、解析不能領域あり』
『特異反応、継続確認』
俺は目を細めた。
(……やっぱり、俺を調べている)
だが、何を調べているのかはわからない。
オーラか。
身体能力か。
それとも。
(……転生時にもらった能力か?)
俺は、わずかに眉をひそめた。
もし、あの装置が俺の念以外の能力まで検知しているなら、厄介だ。
ただし、今のところ、それを裏づける証拠はない。
単に、身体能力やオーラの性質が通常と異なるだけかもしれない。
俺は、冷静に考えることにした。
そのとき。
「……アオ!」
リリアの声が響いた。
俺は振り向いた。
彼女が、ミレーヌさんとともにこちらへ走ってくる。
「……大丈夫?」
「ああ」
俺は頷いた。
「怪我はない」
リリアは、ほっとしたように息を吐いた。
「……よかった」
ミレーヌさんは、倒れている男たちを確認した。
「……三人とも、無力化したのね」
「はい」
「……さすがね」
俺は肩をすくめた。
「連携は厄介でしたけど、何とかなりました」
ミレーヌさんは頷いた。
「ただし、まだ終わっていないわ」
俺も同意した。
「……はい」
俺たちは、中央の装置へ視線を向けた。
青白い人影が、静かに浮かんでいる。
そして。
『……観測対象一』
声が響いた。
『……施設管理者への通知を完了』
俺は目を細めた。
(……管理者?)
ミレーヌさんの表情が変わった。
「……まずいわね」
俺は頷いた。
「……ええ」
リリアも、羅針盤を握り直した。
青白い光が、強くなる。
そして。
『……第七観測区、第二段階へ移行』
低い振動音が響いた。
施設の壁。
天井。
床。
それらが、わずかに震え始める。
俺は周囲を確認した。
すると。
透明な容器の一部が、ゆっくりと動き始めていた。
内部の液体が揺れる。
青白い光が、強くなる。
そして。
容器の中にいる人間たちの身体が、微かに動いた。
俺は息を呑んだ。
(……何をするつもりだ?)
青白い人影が、こちらを向いた。
『……観測対象一の確保を優先』
『……補助実験体、起動』
その言葉とともに。
透明な容器の一つが、ゆっくりと開いた。
内部の液体が床へ流れ落ちる。
そして。
中から、一人の人間が現れた。
痩せた男。
青白い肌。
閉じられた瞼。
その身体には、無数の細い管が接続されている。
男は、ゆっくりと顔を上げた。
そして。
目を開いた。
その瞳には、青白い光が宿っていた。
俺は、静かに息を吐いた。
(……これは)
人間だ。
少なくとも、肉体は人間のものだ。
だが。
その動きには、本人の意思が感じられなかった。
まるで、何かに操られているようだった。
リリアが、震える声で呟いた。
「……あの人も、被害者なの?」
俺は頷いた。
「……その可能性が高い」
ミレーヌさんは、静かに構えた。
「……二人とも」
「はい」
「うん」
「……殺さないで止める方法を考えましょう」
俺は頷いた。
目の前の男は、敵ではないかもしれない。
ならば。
無闇に傷つけるわけにはいかない。
俺は、静かに拳を握った。
そして。
青白い瞳を持つ男が、一歩踏み出した。
その身体から、異様なオーラが立ち上る。
まるで。
本人の意思とは無関係に、無理やり引き出されているような。
俺は目を細めた。
(……なるほど)
どうやら。
本当の戦いは、ここかららしい。
地下施設の奥で、巨大な装置が低く唸った。
青白い光が、さらに強くなる。
そして。
人間を実験体として扱う施設の、恐ろしい仕組みが動き始めていた。