流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第四十六話 鉄壁の番人――守るために振るう拳

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷、地下深部。

 

 第八隔離区画。

 

     ◇

 

 金属同士が打ち合うような、甲高い音が響いた。

 

 レオン・グラントの警棒が、俺の左肩を狙って振り下ろされる。

 

 その軌道を見切り、右足を半歩引いた。

 

 警棒が鼻先を通過する。

 

 風圧が頬を撫でた。

 

 俺は相手の右腕へ手を伸ばす。

 

 手首を掴み、肘を制し、重心を崩す。

 

 狙いは投げだ。

 

 だが、レオンは素早かった。

 

 俺が手首へ触れた瞬間、警棒を握る手を緩めたのだ。

 

 棒が手の中で滑り、握る位置が変わる。

 

 長く使っていた警棒が、短い打撃武器へと変わった。

 

 肘が畳まれる。

 

 至近距離から、柄頭が俺の胸へ突き出された。

 

(……そう来るか)

 

 俺は左手を差し込み、打撃の軌道を外した。

 

 同時に右の掌底を放つ。

 

 狙いは顎。

 

 レオンが首を傾けた。

 

 掌底は頬をかすめるに留まる。

 

 だが、こちらの目的はそれだけではない。

 

 俺は踏み込んだ足を軸に身体を回し、相手の右膝へ足を掛けた。

 

 レオンの重心が後方へ傾く。

 

 今度こそ倒れる。

 

 そう判断した瞬間だった。

 

 ガンッ!

 

 警棒の先端が床を叩いた。

 

 レオンはそれを支えにして、崩れかけた体勢を立て直した。

 

 さらに、警棒を押し込む反動を使って後方へ跳ぶ。

 

 俺の指先が制服をかすめた。

 

 距離が開く。

 

 互いに三メートルほど離れたところで、動きが止まった。

 

「……なるほどな」

 

 レオンが警棒を握り直した。

 

 口元には薄い笑みが浮かんでいる。

 

「その歳で、よくそこまで身体を使える」

 

 俺は返事をせず、相手の足元を観察した。

 

 右足がわずかに外側を向いている。

 

 左膝には、古い傷を庇うような癖がある。

 

 ただし、それが動きを鈍らせているわけではない。

 

 むしろ、長年の戦闘経験によって身体に染みついた動作なのだろう。

 

 警棒を扱う技術も高い。

 

 念の基礎も十分に鍛えられている。

 

 相手の攻撃を受ける瞬間にオーラを集中させ、無駄な消耗を抑えていた。

 

(……流も堅実だな)

 

 少なくとも、見かけだけの警備責任者ではない。

 

 レオンが顎をしゃくった。

 

「どうした。もう終わりか?」

 

「いや」

 

 俺は拳を開き、指を軽く動かした。

 

「少し確認していただけだ」

 

「何を?」

 

「どの程度なら、怪我をさせずに倒せるか」

 

 レオンの笑みが消えた。

 

 その背後で、灰色の作業服を着た大男が低く笑った。

 

「……随分と舐められたもんだな、隊長」

 

 レオンは答えなかった。

 

 ただ、警棒を構え直す。

 

 その目つきが変わった。

 

 先ほどまでの余裕を含んだものではない。

 

 敵を仕留めるために、必要な距離と機会を測る目だった。

 

(……ようやく本気か)

 

 俺も腰を落とした。

 

 戦いは、ここからが本番らしい。

 

     ◇

 

 もっとも、俺には長々と付き合うつもりはなかった。

 

 第七観測区では、二十四基の生命維持容器が稼働している。

 

 そのうち四基には異常が発生していた。

 

 七番。

 

 九番。

 

 十三番。

 

 二十一番。

 

 補助電源を起動しなければ、収容されている人間の命が危険に晒される。

 

 エドガーの説明が正しければ、だが。

 

 仮に嘘だったとしても、制御盤に異常表示が出ていたのは事実だ。

 

 放置する理由にはならない。

 

「アオ!」

 

 背後からリリアの声がした。

 

「右の通路、奥まで続いてる!」

 

 俺は視線を動かさずに答えた。

 

「補助電源は?」

 

「まだわからない。でも、太い送電管がそっちへ伸びてる!」

 

「了解!」

 

 レオンが小さく鼻を鳴らした。

 

「戦っている最中に、よそ見とは余裕だな」

 

「よそ見はしてない」

 

 俺は答えた。

 

「お前の呼吸も、足音も聞いてる」

 

 レオンが床を蹴った。

 

 今度は先ほどより速い。

 

 警棒を右肩に担いだ姿勢から、一気に踏み込んでくる。

 

 俺は左へ動いた。

 

 だが、レオンは警棒を振らなかった。

 

 踏み込んだ足を軸に身体を回し、左拳を突き出してきた。

 

 フェイント。

 

 俺は右腕で受け流した。

 

 拳が前腕に触れた瞬間、相手のオーラが急激に移動する。

 

(……硬!)

 

 俺は接触を解き、身体を捻った。

 

 直後、レオンの拳が空を切る。

 

 拳に集中したオーラが、薄暗い照明の下で輪郭を際立たせていた。

 

 まともに受ければ、俺でも無傷では済まないだろう。

 

 だが、攻撃を外した直後のレオンは無防備だった。

 

 警棒を持つ右手は、まだ身体の外側にある。

 

 左拳は伸びきっている。

 

 重心は前。

 

 俺は懐へ踏み込んだ。

 

 右肩を相手の胸へ当てる。

 

 左手で腰を押さえる。

 

 そして、身体を沈めた。

 

「……っ!」

 

 レオンが息を呑む。

 

 俺は足を払った。

 

 今度は警棒を床へ突く暇を与えない。

 

 レオンの身体が浮いた。

 

 そのまま、床へ叩きつける。

 

 鈍い音が響いた。

 

 俺はすぐに追撃せず、相手の状態を確認した。

 

 呼吸はある。

 

 意識も残っている。

 

 だが、背中から落ちた衝撃で一瞬動きが止まっていた。

 

(……これで終わればいいんだが)

 

 そう考えた直後。

 

 レオンの口元が動いた。

 

「……捕まえた」

 

 俺は反射的に後退しようとした。

 

 だが。

 

 足が動かなかった。

 

     ◇

 

(……何?)

 

 視線を落とす。

 

 俺の右足首に、何かが絡みついていた。

 

 いや、違う。

 

 絡みついているわけではない。

 

 足首の周囲に、透明な輪のようなものが浮かんでいる。

 

 凝を強める。

 

 輪郭が見えた。

 

 淡い灰色のオーラ。

 

 それが床と俺の足首を結びつけている。

 

(……念能力か)

 

 俺は即座に左足へ重心を移した。

 

 だが、右足は動かない。

 

 無理に引き抜こうとすれば、足首へ強い負担がかかる。

 

 レオンが床から起き上がった。

 

「……ようやく掛かったな」

 

 男は警棒を拾い、肩を回した。

 

「お前、俺の攻撃をずっと見てただろ」

 

 俺は黙っていた。

 

「だが、足元はどうだ?」

 

 レオンが警棒の先端で床を叩く。

 

 その瞬間、灰色の輪がわずかに濃くなった。

 

(……警棒を床へ接触させることが条件か?)

 

 思い返す。

 

 最初の投げを防いだとき。

 

 レオンは警棒を床へ突いた。

 

 その後も、何度か床へ先端を接触させている。

 

 ただの体勢維持だと思っていたが、違ったらしい。

 

 あの動作には、別の意味があった。

 

「……能力名くらいは教えてやる」

 

 レオンが言った。

 

「『不動の戒め(アンカー・ロック)』」

 

 男は警棒を構えた。

 

「俺が指定した場所に、相手を固定する」

 

 俺は足首の輪を見た。

 

 なるほど。

 

 確かに、単純だが厄介な能力だ。

 

 ただし、説明をそのまま信じるつもりはない。

 

 相手がわざわざ能力名を教えるのには、理由があるかもしれない。

 

 発動条件を満たすためか。

 

 あるいは、能力の一部だけを明かして誤認させるためか。

 

 いずれにせよ、警戒する必要がある。

 

 レオンが踏み込んだ。

 

 警棒が振り下ろされる。

 

 俺は右足を固定されたまま、上体を捻った。

 

 警棒が肩をかすめる。

 

 続く横薙ぎ。

 

 俺は左腕で軌道を逸らした。

 

 さらに、相手の懐へ拳を放つ。

 

 だが、足が固定されているため、踏み込みが浅い。

 

 レオンは容易に距離を取った。

 

「……どうした?」

 

 男が笑う。

 

「さっきまでの動きはどこへ行った?」

 

 俺は返事をしなかった。

 

 代わりに、足首へ意識を向ける。

 

 オーラの輪は、右足を固定している。

 

 だが、床そのものと一体化しているわけではなさそうだ。

 

 輪の内側には、わずかな空間がある。

 

 俺は右足へ力を込めた。

 

 動かない。

 

 さらに力を加える。

 

 床が軋んだ。

 

 レオンの表情が、わずかに変わる。

 

(……なるほど)

 

 固定されているのは、俺の足首と床の一点。

 

 ならば。

 

 床の方を動かせばいい。

 

 俺は左足を踏み込み、右足へ力を集中させた。

 

 バキッ!

 

 金属製の床板が、鈍い音を立てて歪んだ。

 

 レオンが目を見開く。

 

「……なっ!?」

 

 俺はさらに力を加えた。

 

 床板を固定していた金具が外れる。

 

 次の瞬間。

 

 俺の右足が、床板の一部を引き剥がした。

 

 灰色の輪は、足首と床板を繋いだままだ。

 

 だが、床板そのものが動いている。

 

(……やっぱりな)

 

 俺は右足を持ち上げた。

 

 床板がぶら下がる。

 

 レオンが、呆然と呟いた。

 

「……馬鹿な」

 

 俺は、静かに答えた。

 

「固定する相手を間違えたな」

 

 そして。

 

 床板を振り払うように右足を動かした。

 

 金属片が床へ叩きつけられる。

 

 衝撃で灰色の輪が揺らぎ、消えた。

 

 俺は足首を回した。

 

 問題なく動く。

 

 レオンは、しばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

「……化け物か、お前は」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「ただのハンターだよ」

 

     ◇

 

 レオンの能力は、厄介ではある。

 

 だが、絶対的な拘束ではない。

 

 少なくとも、今の使い方ではそうだった。

 

 能力の本質は、対象と場所を結びつけること。

 

 ただし、結びつけた場所が動けば、固定も崩れる。

 

 ならば、対処法はいくつもある。

 

 もっとも、毎回床を壊していたら、施設そのものが危険になる。

 

 俺は周囲を見た。

 

 壁際には大型の機械。

 

 床には送電管。

 

 天井には複雑な配線。

 

 ここで派手に暴れれば、補助電源を破損させる可能性がある。

 

(……次は、もっと静かに終わらせるか)

 

 俺はレオンへ向き直った。

 

「……まだやるか?」

 

 男は警棒を握り直した。

 

「当然だ」

 

「補助電源を起動するだけだ。邪魔しないでくれれば、戦う必要はない」

 

 レオンは首を横に振った。

 

「それを決めるのは俺だ」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……そうか」

 

 ならば、仕方ない。

 

 俺は足を踏み出した。

 

 レオンが構える。

 

 だが、今度は俺から仕掛けた。

 

 床を蹴る。

 

 距離を詰める。

 

 レオンが警棒を振り下ろす。

 

 俺は左へ避けた。

 

 そのまま、相手の右腕へ手を伸ばす。

 

 レオンが警棒を引く。

 

 だが、俺は追わない。

 

 代わりに、右足を踏み込んだ。

 

 狙いは、相手の左側。

 

 レオンが身体を回す。

 

 その瞬間。

 

 俺は、相手の視線から外れた。

 

「……っ!?」

 

 レオンが反応するより早く、背後へ回り込む。

 

 左腕で肩を制する。

 

 右手で警棒を持つ手首を押さえる。

 

 そして、重心を崩した。

 

 レオンが抵抗する。

 

 だが、今度は逃がさない。

 

 俺は相手の足を払った。

 

 身体が傾く。

 

 そのまま、床へ倒す。

 

 ただし、頭を打たせないようにする。

 

 そして、関節を極めた。

 

「……ぐっ!」

 

 レオンが呻く。

 

 俺は必要な力だけを加えた。

 

「……終わりにしよう」

 

 男は歯を食いしばった。

 

 だが、まだ諦めていない。

 

 警棒を握る手に、オーラが集まる。

 

(……まだか)

 

 俺は、その手首をさらに制した。

 

 レオンが痛みに顔を歪める。

 

 警棒が床へ落ちた。

 

 俺は素早く拾い、手の届かない場所へ放り投げた。

 

 そして、相手の身体を拘束する。

 

 レオンが、荒い息を吐いた。

 

「……くそっ」

 

 俺は静かに答えた。

 

「……これ以上やっても、結果は変わらない」

 

 男は、しばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

「……認める」

 

 低い声で言った。

 

「俺の負けだ」

 

 俺は、拘束を少し緩めた。

 

 だが、完全には離さない。

 

「……なら、補助電源の場所を教えてくれ」

 

 レオンは、苦々しげに笑った。

 

「……奥だ」

 

 俺は頷いた。

 

「……ありがとう」

 

 男は、呆れたように息を吐いた。

 

「……礼を言われるとは思わなかったな」

 

     ◇

 

 そのとき。

 

 背後で、重い足音が響いた。

 

 俺は振り向いた。

 

 灰色の作業服を着た大男が、ゆっくりと近づいてくる。

 

 身長は二メートル近い。

 

 太い腕。

 

 厚い胸板。

 

 そして、身体を包む濃いオーラ。

 

 男は、俺を見下ろした。

 

「……隊長を倒すとはな」

 

 俺は静かに構えた。

 

「……次は、あんたか?」

 

 大男は、少しだけ笑った。

 

「……そうなるな」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……補助電源を起動したいだけなんだが」

 

 男は肩をすくめた。

 

「……俺たちにも、仕事がある」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

(……面倒だな)

 

 だが、相手が戦うつもりなら、仕方ない。

 

 俺は拳を握った。

 

 その瞬間。

 

 リリアの声が響いた。

 

「……アオ!」

 

 俺は振り向いた。

 

 彼女は、右側の通路を指差していた。

 

「……補助電源、見つけた!」

 

 俺は目を見開いた。

 

「……本当か!」

 

「うん!」

 

 リリアが頷く。

 

「……でも、操作盤が壊されてる!」

 

 俺は眉をひそめた。

 

(……壊されてる?)

 

 その言葉に、大男の表情が変わった。

 

 俺は、それを見逃さなかった。

 

「……何か知ってるな?」

 

 男は答えなかった。

 

 代わりに、拳を握った。

 

 その拳に、濃いオーラが集まる。

 

 俺は静かに構え直した。

 

(……なるほど)

 

 どうやら。

 

 この先には、まだ隠されていることがあるらしい。

 

     ◇

 

 俺は大男を見据えた。

 

 相手の身体は大きい。

 

 だが、零号ほどではない。

 

 筋肉も発達しているが、自然な範囲に収まっている。

 

 そして、何より。

 

 この男には、自分の意思がある。

 

 戦う理由も、判断する能力も。

 

 ならば、零号とは違う。

 

 俺は、静かに口を開いた。

 

「……一つ聞く」

 

 大男が眉を上げる。

 

「……何だ?」

 

「補助電源の操作盤を壊したのは、お前か?」

 

 男は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……違う」

 

 俺は目を細めた。

 

「……じゃあ、誰だ?」

 

 大男は、ゆっくりと視線を奥へ向けた。

 

 その先には、薄暗い通路が続いている。

 

 そして。

 

「……俺たちにも、わからん」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……どういうことだ?」

 

 男は、低い声で答えた。

 

「……三日前から、この区画では妙なことが起きている」

 

 俺は黙った。

 

 大男は続けた。

 

「……設備が勝手に動く。通路が変わる。監視装置が、誰もいない場所を追いかける」

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

(……やっぱり)

 

 この施設には、研究者たちの制御を超えた何かがある。

 

 そして、それは今も活動している。

 

 大男は、さらに続けた。

 

「……補助電源の操作盤が壊れたのも、その頃だ」

 

 俺は、静かに目を細めた。

 

「……誰かが壊したわけじゃないのか?」

 

「……少なくとも、俺たちは知らん」

 

 俺は、少しだけ考えた。

 

 ならば、補助電源を起動するには、別の方法を探す必要がある。

 

 だが、その前に。

 

 この大男をどうするか。

 

 俺は、静かに構えた。

 

「……それでも、戦うのか?」

 

 男は、ゆっくりと頷いた。

 

「……ああ」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……わかった」

 

 ならば、早く終わらせよう。

 

 俺は、床を蹴った。

 

 大男も、同時に動いた。

 

 そして。

 

 第八隔離区画の中央で、新たな戦いが始まった。

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