流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷、地下深部。
第八隔離区画、補助動力炉室。
◇
『拒否権限はありません』
その言葉が響いた直後、俺は床を蹴った。
理由は単純だ。
相手がこちらの拒否を認めないというのなら、次に起こることは大抵ろくでもない。
まして、ここは人間を実験材料として扱っている施設の地下深くである。
律儀に次の説明を待つほど、俺もお人好しではなかった。
右斜め後方へ跳ぶ。
着地と同時に、頭上で甲高い音が鳴った。
キィン――。
青白い光が、俺のいた場所を貫いた。
いや、正確には貫いていない。
天井近くに浮かぶ球体から細い光が伸び、床に触れる寸前で停止していた。
光の先端は扇状に広がり、金属板の表面を舐めるように動く。
焼け焦げた痕跡はない。
床も溶けていない。
だが、凝で確認した瞬間、背筋に嫌な感覚が走った。
(……オーラを拾っている?)
光の内部には、細かな粒子のようなものが流れていた。
それらが床に残った俺のオーラへ触れ、球体へ吸い上げられていく。
攻撃ではない。
少なくとも、今のところは。
だが、だからといって安全とは限らなかった。
「リリア、光に触れるな!」
「わかった!」
リリアが即座に後退する。
彼女の足元を、二本目の光が横切った。
リリアは壁際へ飛び退き、露出した配管の陰へ身を隠した。
ミレーヌさんも動いている。
エドガーの左腕を拘束したまま、機械室の入口付近まで下がっていた。
その動きには迷いがない。
こちらが説明するまでもなく、光の危険性を察したのだろう。
一方、レオンとガルドは動けずにいた。
先ほどまで俺と戦っていた二人だ。
レオンは警棒を失い、ガルドは床に叩きつけられた際の衝撃が残っている。
どちらも意識ははっきりしているが、万全ではない。
「……何だ、こいつは」
ガルドが低く唸った。
俺は球体から視線を外さずに答える。
「お前たちの施設の装置だろ」
「俺たちだって知らん!」
「そうか。なら、同じ立場だな」
軽口を叩きながら、俺は床を移動した。
球体が追ってくる。
光の軌道は、俺の移動に合わせて滑らかに変化していた。
ただし、完全に追従できているわけではない。
俺が急激に方向を変えると、光は一瞬遅れる。
(追跡速度には限界がある)
それに、もう一つ。
球体が追っているのは、俺の身体そのものではないらしい。
先ほど、着地地点に残ったオーラを吸い上げていた。
ならば、俺が使った念の痕跡を追っている可能性がある。
試してみるか。
俺は壁際へ走り、途中で絶を使った。
全身から漏れ出るオーラを閉じる。
そのまま、配管の陰へ滑り込んだ。
青白い光が、俺の進行方向を追う。
しかし、配管の手前で動きが鈍った。
数秒ほど迷うように揺れたあと、光は俺が絶を使う直前に立っていた場所へ戻っていった。
(……やっぱりな)
オーラの痕跡を追っている。
少なくとも、現在の追跡方法の一つはそれだ。
俺は配管の陰から球体を見上げた。
そのとき。
『観測対象一、オーラ放出停止』
『状態変化を記録』
『再観測を要求』
無機質な声が響いた。
俺は口元を引き結んだ。
(要求、ね)
ずいぶんと一方的な要求だった。
◇
「アオ!」
リリアが配管の向こうから呼びかけてきた。
「そっちへ行ける?」
「ああ。どうした?」
「装置の表示が変わった!」
俺は絶を解き、必要なだけのオーラを纏い直した。
すぐに球体が反応する。
青白い光がこちらへ向きかけたが、俺はその前に配管の裏側へ移動した。
リリアは補助動力炉の側面にある操作盤を見ていた。
先ほど、俺が外部からオーラを流し込んだ端子の近くだ。
そこには、見覚えのない文字が並んでいた。
『補助電源:稼働』
『第七観測区への供給:再開』
『観測対象一:外部入力源』
『追加観測:実行中』
俺は最後の二行を見て、眉を寄せた。
「……外部入力源?」
「うん。アオが流したオーラを、まだ何かに使ってるみたい」
リリアは慎重に言った。
「たぶん、補助電源の起動だけじゃ終わってない」
俺は装置を見た。
青白い線が、円筒の表面を複雑に走っている。
先ほどまで弱々しかった光は、今では安定していた。
動力炉そのものは、正常に稼働しているように見える。
だが、その一部から細いオーラの流れが分岐し、天井の球体へ向かっていた。
(……なるほど。電源の復旧と観測機構が繋がっているのか)
俺が供給したオーラを手掛かりに、施設が俺を調べ始めた。
それだけなら、まだ理解できる。
問題は、その調査がどこまで及ぶのかということだった。
俺は自分の身体を確認した。
異常はない。
オーラの流れにも、目立った乱れはない。
だが、こういうものは外見だけでは判断できない。
念には、直接的な攻撃以外にも厄介な能力がある。
操作。
強制。
呪い。
条件を満たした相手にだけ作用する特殊な能力。
この施設が何を仕掛けているのか、まだわからなかった。
「リリア」
「何?」
「表示の中に、観測を止める項目はあるか?」
彼女は首を振った。
「見当たらない。補助電源の状態しか操作できないみたい」
「なら、エドガーに聞くか」
俺はミレーヌさんの方へ視線を向けた。
彼女はエドガーを壁際に座らせ、呼吸の状態を確認していた。
男の顔色は悪い。
切断した右腕の出血は抑えてあるが、失った血液が戻るわけではない。
痛みと疲労も相当なものだろう。
(……そろそろ限界か)
俺は少し考えた。
今の俺には、回復能力が三回分残っている。
零号。
収容者たち。
そして、今後現れるかもしれない負傷者。
誰に使うべきか、簡単には決められない。
だが、エドガーをこのまま放置すれば、情報を得る前に意識を失う可能性がある。
腕を切断したのは俺だ。
だからといって、命まで奪うつもりはなかった。
俺はミレーヌさんへ近づいた。
「……容体は?」
「すぐに死ぬ状態ではないけれど、長時間の移動は危険ね」
彼女はエドガーの額へ手を当てた。
「冷や汗がひどい。呼吸も浅くなってきている」
俺は頷いた。
「わかりました」
エドガーが、薄く目を開いた。
「……何を、するつもりですか」
「治療だ」
男は驚いたように俺を見た。
「……私を?」
「ああ」
「……あなたが、腕を切り落としたのに?」
俺はその視線を受け止めた。
「必要だったから切った。今は生かしておく必要がある」
エドガーの顔が歪む。
「……随分と、勝手な理屈ですね」
「そうかもしれないな」
俺は否定しなかった。
「だが、お前が生きていれば、助けられる人間がいるかもしれない」
エドガーは何も言わなかった。
俺は左手を男の肩へ置いた。
そして、回復能力を発動する。
意識するのは、全身。
切断された右腕。
失われた血液。
傷ついた血管。
筋肉。
神経。
そして、痛みと衰弱。
部分的な治療ではなく、身体全体を正常な状態へ戻す。
かつて、自分の腕の傷だけを治してしまった経験がある。
あの失敗を繰り返すつもりはなかった。
温かな感覚が、掌から広がった。
エドガーの身体が、小さく震える。
切断面を覆っていた布が、内側から押し上げられた。
骨が再生する。
筋肉が伸びる。
皮膚が形成される。
そして。
失われた右腕が、ゆっくりと元の形を取り戻していった。
「……な……」
エドガーが息を呑む。
ミレーヌさんも、わずかに目を見開いた。
数秒後。
俺は手を離した。
エドガーの右腕は、完全に再生していた。
ただし、腕輪はない。
あれは切断した腕に装着されたまま、俺が確保している。
再生した右腕には、当然ながら何もついていなかった。
「……馬鹿な……」
エドガーは、自分の右手を見つめた。
指を動かす。
握る。
開く。
そして、何度も確かめるように手首を回した。
「……あり得ない」
俺は静かに答えた。
「世の中には、そういうこともある」
エドガーが顔を上げた。
その目には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
恐怖。
驚愕。
そして。
研究者としての、抑えきれない好奇心。
「……あなたは、一体……」
俺は男の言葉を遮った。
「質問するのはこっちだ」
エドガーの口が閉じる。
「今の装置を止める方法を教えろ」
◇
エドガーは、しばらく補助動力炉を見つめていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……追加観測機構は、補助電源の制御系統とは別です」
「つまり?」
「電源を停止しても、観測処理が止まるとは限りません」
俺は眉を寄せた。
「……面倒な構造だな」
「この施設は、私たちが一から建造したものではありません」
エドガーは再生した右手を握りしめた。
「もともと存在した遺構に、研究設備を増設したのです」
「それは聞いた」
「……しかし、中心部にある機構の多くは、今でも完全には解明されていません」
俺は天井の球体を見た。
「その一つが、あれか」
「……ええ」
エドガーは頷いた。
「私たちは、あの機構を『観測核』と呼んでいます」
観測核。
いかにも研究施設らしい名前だった。
「……何を観測する?」
「念能力者のオーラです」
「それだけか?」
エドガーは、少しだけ言葉を詰まらせた。
俺は見逃さなかった。
「……まだあるな」
男は視線を逸らした。
「……観測対象の身体情報や精神状態も記録します」
「それで?」
「……一定の条件を満たした場合、対象の念能力の構造を解析することもあります」
俺は黙った。
リリアも、こちらを見ている。
ミレーヌさんが低い声で尋ねた。
「解析した情報は、何に使われるの?」
エドガーは、ゆっくりと答えた。
「……研究資料として保存されます」
「それだけ?」
「……場合によっては、能力の再現実験にも利用されます」
俺は、思わず顔をしかめた。
(……そういうことか)
零号の身体に組み込まれていた制御機構。
強制的なオーラの増幅。
そして、被験者の意思を奪う装置。
それらの技術は、単なる肉体改造だけで完成したものではないのだろう。
念能力者から得た情報を利用している。
そう考えれば、辻褄が合う。
「……つまり、俺の能力を調べて、それを別の人間に使おうとしてるわけか」
エドガーは首を横に振った。
「……そこまで単純ではありません」
「どう違う?」
「念能力は、本人の資質や精神性、制約によって成立します。情報を得たからといって、そのまま再現できるわけではない」
俺は頷いた。
それは理解できる。
念能力は、ただの技術ではない。
能力者自身の生き方や価値観と深く結びついている。
同じ現象を起こす能力でも、発動条件や代償が違えば、まったく別物になる。
まして、俺には念以外の力もある。
アイテムボックス。
回復能力。
そして、この身体そのものが持つ異常な身体能力。
それらが施設の観測機構にどう映るのか、俺にもわからない。
(……余計なものまで調べられるのは困るな)
俺は天井を見上げた。
青白い光は、今も俺の位置を探っている。
「……解析を止める方法は?」
エドガーは、少し考えた。
「観測核への接続を遮断することです」
「場所は?」
「……この部屋の奥に、観測系統の分離盤があります」
俺は目を細めた。
「さっきは、そんなものがあるとは言わなかったな」
「……聞かれませんでしたから」
俺は、しばらく男を見つめた。
エドガーは気まずそうに視線を逸らした。
どうやら、右腕を再生してもらった程度では、性格までは変わらないらしい。
◇
分離盤があるという部屋は、補助動力炉室のさらに奥だった。
俺たちは移動する前に、レオンとガルドへ事情を説明した。
二人とも、最初は疑わしげな顔をしていた。
だが、補助電源が正常に稼働していることを確認すると、少しずつ態度が変わった。
「……本当に起動させたのか」
レオンが呟く。
「ああ」
俺は答えた。
「ただし、余計なものまで動き始めた」
男は天井の球体を見た。
その表情が険しくなる。
「……観測核か」
「知ってるのか?」
「名前だけはな」
レオンは警棒を拾い上げた。
俺は一瞬、身構えた。
だが、男はそれを腰へ戻しただけだった。
「……主任から、触れるなと言われていた」
「それは正しい判断だったみたいだな」
レオンは苦笑した。
「お前は触ったんだろう?」
「必要だったからな」
「……そうか」
男はしばらく黙っていた。
そして、俺を見た。
「補助電源が動いたなら、第七観測区の連中は助かるのか?」
「まだ確認してない。だが、少なくとも電力は戻った」
レオンは頷いた。
「……なら、俺たちも手伝おう」
俺は眉を上げた。
「いいのか?」
「隊長として、区画内の安全を守る責任がある」
レオンは淡々と答えた。
「それに、あの装置が暴走すれば、俺たちだって無事では済まん」
俺は少しだけ笑った。
「現実的な理由だな」
「仕事だからな」
ガルドも、腕を組んだまま頷いた。
「……俺は、あんたを信用したわけじゃないぞ」
「別に構わない」
俺は答えた。
「今は、目的が同じなら十分だ」
ガルドは鼻を鳴らした。
だが、それ以上は何も言わなかった。
◇
観測系統の分離盤は、狭い制御室の中にあった。
壁一面に計器が並び、床には太い配線が走っている。
部屋の中央には、金属製の操作卓。
その上に、複数の切り替え器が配置されていた。
俺は、まず凝で周囲を確認した。
不自然なオーラの集中はない。
ただし、操作卓の内部には複雑な流れがある。
迂闊に壊すべきではなさそうだ。
「……これか」
俺が呟くと、エドガーが頷いた。
「……ええ」
リリアが操作卓へ近づいた。
表示を確認する。
『第七観測区・生命維持系統』
『第七観測区・強制制御系統』
『第八隔離区画・補助電源系統』
『観測核・情報収集系統』
四つの項目が並んでいる。
俺は、それぞれを確認した。
生命維持。
強制制御。
補助電源。
そして、情報収集。
(……分かれているな)
少なくとも、表示上は独立した系統になっている。
俺はエドガーへ尋ねた。
「情報収集系統だけを止められるのか?」
「……理論上は」
「また理論上か」
男は顔をしかめた。
「……この設備は、古い遺構の機構を利用しているのです。完全な保証などできません」
俺は少し考えた。
確かに、未知の装置を扱う以上、絶対はない。
だが、何もせずに観測され続けるわけにもいかない。
「……リリア」
「うん」
「操作する前に、今の状態を記録してくれ」
彼女は頷いた。
懐から小さな手帳を取り出し、表示の内容を書き留め始める。
ミレーヌさんも操作卓へ近づいた。
「……切り替え器の位置も確認しておきましょう」
「お願いします」
俺たちは、慎重に装置を調べた。
その間も、天井の球体は俺の位置を探っていた。
ただし、この部屋へ入ってからは光が届いていない。
壁や天井が、観測を妨げているらしい。
(……この部屋は、もともと観測核から独立してるのか)
そう考えたとき。
リリアが小さく声を上げた。
「……アオ、これ」
俺は彼女の指差す場所を見た。
操作卓の端。
そこには、小さな文字が刻まれていた。
『観測系統分離時、記録情報は保存される』
俺は眉をひそめた。
「……保存?」
エドガーが頷いた。
「……観測核は、取得した情報を内部へ蓄積します」
「つまり、今止めても、すでに調べられた情報は残るのか」
「……ええ」
俺は、しばらく黙っていた。
(……厄介だな)
ただし、今までの観測時間は短い。
しかも、俺は光を避け、途中で絶も使っている。
どこまで情報を得られたかは不明だ。
少なくとも、能力の詳細まで把握されたとは限らない。
俺は、静かに頷いた。
「……まずは、これ以上調べられないようにする」
リリアが頷く。
「うん」
俺は切り替え器へ手を伸ばした。
だが、その直前。
ミレーヌさんが俺の手首を掴んだ。
「……待ちなさい」
俺は振り向いた。
「……何です?」
彼女は、操作卓の下部を指差した。
そこには、細い配線が一本だけ伸びていた。
他の配線とは違う。
青白い光を放っている。
しかも、その先は壁の中へ消えていた。
「……これ、何かしら」
俺は凝を強めた。
配線の内部を、微弱なオーラが流れている。
そして、その流れは操作卓へ向かっていた。
(……外から供給されてる?)
俺はエドガーへ視線を向けた。
「……この線は?」
男は、配線を見た。
その瞬間。
顔色が変わった。
「……そんなはずは……」
俺は眉をひそめた。
「……何だ?」
エドガーは、震える声で答えた。
「……これは、管理者権限の補助回線です」
「……それが?」
「……通常、観測系統の分離盤へ接続されることはありません」
俺は、静かに息を吐いた。
(……誰かが繋いだのか)
あるいは、施設そのものが接続を変えたのか。
どちらにせよ、普通ではない。
俺は配線を観察した。
壁から伸びた細い管。
その表面には、新しい傷がある。
金属製の固定具も、最近取り付けられたように見えた。
(……人為的な改造か)
俺はレオンへ尋ねた。
「この部屋に入れる人間は?」
「主任研究員と、保安部門の一部だけだ」
「最近、誰か入ったか?」
レオンは少し考えた。
「……三日前、点検があった」
俺は眉を上げた。
「誰が?」
「……技術班の人間だ」
エドガーが、突然顔を上げた。
「……まさか」
俺は男を見た。
「……心当たりがあるのか?」
エドガーは、しばらく黙っていた。
そして。
「……三日前から、施設の挙動が変わった」
俺は頷いた。
「聞いた」
「……補助電源の操作盤が破壊され、通路の接続が変化し始めた」
「それも聞いた」
エドガーは、青白い配線を見つめた。
「……もし、あれらが偶然ではないとしたら……」
俺は、静かに続きを促した。
「……誰かが、観測核の制御権限を奪おうとしている?」
エドガーは、ゆっくりと頷いた。
「……その可能性があります」
俺は、しばらく考えた。
補助電源の操作盤が破壊された。
施設の通路が変化した。
観測核が自律的に動き始めた。
そして、管理者権限の補助回線が、通常とは違う場所へ接続されている。
これらが同じ原因によるものなら。
(……誰かが、この施設を利用している?)
だが、まだ確証はない。
俺は、青白い配線を見つめた。
そのとき。
配線の内部を流れるオーラが、わずかに強くなった。
俺は反射的に後退した。
直後。
操作卓の表示が、一斉に切り替わった。
『管理者権限、再照合』
『外部操作を検知』
『観測系統分離要求、拒否』
俺は目を細めた。
(……まだ操作してないぞ)
切り替え器には、触れていない。
それなのに、分離要求が検知された。
つまり。
こちらの行動を、何者かが監視している。
そして、先回りして操作を妨害している。
俺は、青白い配線へ視線を向けた。
「……こいつか」
リリアが、すぐに理解したようだった。
「……外から、操作卓に命令を送ってる?」
「その可能性が高い」
俺は頷いた。
ミレーヌさんが、静かに言った。
「……なら、まずはこの回線を切り離す必要があるわね」
俺は腰のナイフへ手を伸ばした。
だが、すぐには抜かなかった。
この回線が何に繋がっているのか、まだわからない。
無闇に切れば、別の装置へ影響する可能性がある。
俺はエドガーへ尋ねた。
「……この回線だけを切り離したら、どうなる?」
男は、しばらく考えた。
「……通常なら、管理者権限の補助認証が失われるだけです」
「生命維持装置は?」
「……直接の影響はないはずです」
「補助電源は?」
「……稼働を続けます」
俺は頷いた。
「……なら、やる」
ただし、切断ではない。
まずは、接続部を外す。
俺は操作卓の下へしゃがみ込んだ。
青白い配線の根元。
そこには、小さな固定具があった。
金属製の留め金。
そして、二本の細いネジ。
俺は指先へオーラを集中させた。
慎重に留め金を外す。
配線が、わずかに震えた。
その瞬間。
青白い光が、急激に強くなった。
(……来るか)
俺は即座に手を離した。
直後。
配線の先端から、細い糸状のオーラが噴き出した。
それは俺の手首へ向かって伸びる。
俺は身体を捻り、かわした。
糸は空を切り、操作卓の縁へ触れた。
金属が、かすかに鳴る。
(……エドガーの糸に似てるな)
俺は、凝を強めた。
だが、完全に同じではない。
エドガーの腕輪から伸びた糸は、もっと鋭く、複雑に動いていた。
こちらは、単純な防御反応に近い。
俺は、もう一度接続部を見た。
糸が伸びるのは、配線へ触れたときだけ。
しかも、一定の距離以上は伸びない。
(……なら、問題ない)
俺は腰のナイフを抜いた。
刃へ周を施す。
そして、配線ではなく、固定具の金属部分へ刃を差し込んだ。
軽く捻る。
留め金が外れた。
配線が浮く。
青白い糸が噴き出す。
俺は左手でその軌道を避けながら、右手のナイフで接続端子を押し上げた。
カチリ。
小さな音。
次の瞬間。
配線が、操作卓から外れた。
青白い光が消える。
糸も、霧のように散った。
俺は、静かに息を吐いた。
「……外れた」
リリアが操作卓を確認する。
表示が、ゆっくりと変化した。
『管理者補助回線、切断』
『観測系統分離要求、再受付』
俺は頷いた。
「……よし」
そして、切り替え器へ手を伸ばした。
◇
今度は、妨害されなかった。
切り替え器を倒す。
カチリ。
操作卓の内部で、複数の機械音が響いた。
『観測核・情報収集系統』
『分離処理を開始』
俺は、凝を強めた。
操作卓から伸びるオーラの流れが、少しずつ弱まっていく。
その先は、補助動力炉の天井へ向かっていた。
やがて。
青白い光が、一つずつ消え始めた。
『分離処理、完了』
俺は、静かに息を吐いた。
(……止まったか)
少なくとも、この区画から観測核へ送られていた情報は遮断された。
だが、まだ安心はできない。
観測核そのものが停止したわけではない。
取得済みの情報も残っている。
それに、別の回線が存在する可能性もある。
俺は操作卓の表示を確認した。
『第七観測区・生命維持系統:正常』
『第七観測区・強制制御系統:停止』
『第八隔離区画・補助電源系統:正常』
『観測核・情報収集系統:分離』
俺は、ようやく肩の力を抜いた。
少なくとも、当初の目的は達成できたらしい。
第七観測区の生命維持装置は、正常に戻っている。
零号の強制制御も停止したままだ。
補助電源も稼働している。
そして、俺への追加観測も、この区画では遮断された。
俺はリリアへ視線を向けた。
「……戻ろう」
彼女は頷いた。
「うん」
ミレーヌさんも、静かに口を開いた。
「……収容者たちの状態を確認しないとね」
「ええ」
俺は頷いた。
まだ、全員を救出したわけではない。
むしろ、ここからが大変だろう。
二十四基の容器。
それぞれ異なる身体状態。
外部環境へ適応できない人間もいる。
そして、施設の奥には、まだ未確認の区画が残っている。
俺たちは、ようやく一つの問題を解決したにすぎなかった。
だが。
それでも、前進したことは確かだ。
◇
制御室を出ようとしたときだった。
リリアが、ふと足を止めた。
「……アオ」
「どうした?」
彼女は銀色の羅針盤を見つめていた。
針が、ゆっくりと回転している。
いや。
回転しているのではない。
一定の方向を指そうとしているのに、その方向が少しずつ変わっている。
「……帰り道が、また変わった」
俺は眉を寄せた。
「……今度は、どこへ?」
リリアはしばらく羅針盤を見つめた。
そして、顔を上げた。
「……わからない」
俺は黙った。
彼女がそう答えるのは珍しい。
リリアの能力は、通った道を記録することに優れている。
ただし、施設そのものが変化する場合、記録された道が現在も通れるとは限らない。
今回も、それが起きているのだろう。
「……記録が消えたのか?」
俺が尋ねると、リリアは首を横に振った。
「ううん。記録は残ってる」
「なら?」
「……道の繋がりが、変わってる」
彼女は制御室の出口を指差した。
「さっきまで、あの先は動力炉室へ戻る通路だった」
俺は頷いた。
「そうだな」
「でも、今は違う場所に繋がってるみたい」
俺は、静かに息を吐いた。
(……またか)
施設の構造変化。
どうやら、観測系統を分離しても止まらないらしい。
俺は円を広げた。
半径五十メートル。
壁の向こう。
通路の先。
そして、制御室の周囲。
気配を探る。
すると。
(……ん?)
俺は、あることに気づいた。
先ほどまで感じていた人間の気配が、一つ増えている。
しかも、その気配は。
制御室の出口の向こう。
ほんの十数メートル先にあった。
俺は足を止めた。
「……誰かいる」
リリアが顔を上げる。
「……え?」
ミレーヌさんも、すぐに構えた。
レオンとガルドが、互いに視線を交わす。
俺は、出口を見据えた。
そこからは、足音が聞こえない。
呼吸も、ほとんど感じられない。
だが、確かに人間の気配がある。
しかも。
(……念能力者だな)
かなり強い。
少なくとも、レオンやガルドとは違う。
オーラの密度が高く、流れも安定している。
俺は、静かに拳を握った。
そのとき。
出口の向こうから、声が聞こえた。
「……ようやく、ここまで来たか」
低い声だった。
落ち着いている。
そして、どこか楽しげでもあった。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「……誰だ?」
短い沈黙。
そして。
「……君を待っていた者だよ、アオ」
俺は目を細めた。
(……俺の名前を知ってる?)
声の主は、続けた。
「……ずいぶんと派手に動いてくれたね」
俺は答えなかった。
相手の気配を探る。
位置は変わらない。
ただ、こちらを待っている。
そして。
「……安心したまえ」
男の声が、静かに響いた。
「……私は、君と戦うために来たわけではない」
俺は、静かに息を吐いた。
(……そう言う奴ほど、信用できないんだよな)
俺は、出口へ向かって一歩踏み出した。
リリアが、隣へ並ぶ。
ミレーヌさんも、少し後方から続いた。
俺は、扉の向こうを見据えた。
そこにいるのが誰であれ。
俺たちの目的は変わらない。
収容者たちを救出し、この施設から脱出する。
そのために、必要なことをするだけだ。
俺は、ゆっくりと扉へ手を伸ばした。
そして。
重い金属製の扉が、音もなく開き始めた。