流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第四十八話 観測者の眼――奪われるはずのないもの

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷、地下深部。

 

 第八隔離区画、補助動力炉室。

 

     ◇

 

『拒否権限はありません』

 

 その言葉が響いた直後、俺は床を蹴った。

 

 理由は単純だ。

 

 相手がこちらの拒否を認めないというのなら、次に起こることは大抵ろくでもない。

 

 まして、ここは人間を実験材料として扱っている施設の地下深くである。

 

 律儀に次の説明を待つほど、俺もお人好しではなかった。

 

 右斜め後方へ跳ぶ。

 

 着地と同時に、頭上で甲高い音が鳴った。

 

 キィン――。

 

 青白い光が、俺のいた場所を貫いた。

 

 いや、正確には貫いていない。

 

 天井近くに浮かぶ球体から細い光が伸び、床に触れる寸前で停止していた。

 

 光の先端は扇状に広がり、金属板の表面を舐めるように動く。

 

 焼け焦げた痕跡はない。

 

 床も溶けていない。

 

 だが、凝で確認した瞬間、背筋に嫌な感覚が走った。

 

(……オーラを拾っている?)

 

 光の内部には、細かな粒子のようなものが流れていた。

 

 それらが床に残った俺のオーラへ触れ、球体へ吸い上げられていく。

 

 攻撃ではない。

 

 少なくとも、今のところは。

 

 だが、だからといって安全とは限らなかった。

 

「リリア、光に触れるな!」

 

「わかった!」

 

 リリアが即座に後退する。

 

 彼女の足元を、二本目の光が横切った。

 

 リリアは壁際へ飛び退き、露出した配管の陰へ身を隠した。

 

 ミレーヌさんも動いている。

 

 エドガーの左腕を拘束したまま、機械室の入口付近まで下がっていた。

 

 その動きには迷いがない。

 

 こちらが説明するまでもなく、光の危険性を察したのだろう。

 

 一方、レオンとガルドは動けずにいた。

 

 先ほどまで俺と戦っていた二人だ。

 

 レオンは警棒を失い、ガルドは床に叩きつけられた際の衝撃が残っている。

 

 どちらも意識ははっきりしているが、万全ではない。

 

「……何だ、こいつは」

 

 ガルドが低く唸った。

 

 俺は球体から視線を外さずに答える。

 

「お前たちの施設の装置だろ」

 

「俺たちだって知らん!」

 

「そうか。なら、同じ立場だな」

 

 軽口を叩きながら、俺は床を移動した。

 

 球体が追ってくる。

 

 光の軌道は、俺の移動に合わせて滑らかに変化していた。

 

 ただし、完全に追従できているわけではない。

 

 俺が急激に方向を変えると、光は一瞬遅れる。

 

(追跡速度には限界がある)

 

 それに、もう一つ。

 

 球体が追っているのは、俺の身体そのものではないらしい。

 

 先ほど、着地地点に残ったオーラを吸い上げていた。

 

 ならば、俺が使った念の痕跡を追っている可能性がある。

 

 試してみるか。

 

 俺は壁際へ走り、途中で絶を使った。

 

 全身から漏れ出るオーラを閉じる。

 

 そのまま、配管の陰へ滑り込んだ。

 

 青白い光が、俺の進行方向を追う。

 

 しかし、配管の手前で動きが鈍った。

 

 数秒ほど迷うように揺れたあと、光は俺が絶を使う直前に立っていた場所へ戻っていった。

 

(……やっぱりな)

 

 オーラの痕跡を追っている。

 

 少なくとも、現在の追跡方法の一つはそれだ。

 

 俺は配管の陰から球体を見上げた。

 

 そのとき。

 

『観測対象一、オーラ放出停止』

 

『状態変化を記録』

 

『再観測を要求』

 

 無機質な声が響いた。

 

 俺は口元を引き結んだ。

 

(要求、ね)

 

 ずいぶんと一方的な要求だった。

 

     ◇

 

「アオ!」

 

 リリアが配管の向こうから呼びかけてきた。

 

「そっちへ行ける?」

 

「ああ。どうした?」

 

「装置の表示が変わった!」

 

 俺は絶を解き、必要なだけのオーラを纏い直した。

 

 すぐに球体が反応する。

 

 青白い光がこちらへ向きかけたが、俺はその前に配管の裏側へ移動した。

 

 リリアは補助動力炉の側面にある操作盤を見ていた。

 

 先ほど、俺が外部からオーラを流し込んだ端子の近くだ。

 

 そこには、見覚えのない文字が並んでいた。

 

『補助電源:稼働』

 

『第七観測区への供給:再開』

 

『観測対象一:外部入力源』

 

『追加観測:実行中』

 

 俺は最後の二行を見て、眉を寄せた。

 

「……外部入力源?」

 

「うん。アオが流したオーラを、まだ何かに使ってるみたい」

 

 リリアは慎重に言った。

 

「たぶん、補助電源の起動だけじゃ終わってない」

 

 俺は装置を見た。

 

 青白い線が、円筒の表面を複雑に走っている。

 

 先ほどまで弱々しかった光は、今では安定していた。

 

 動力炉そのものは、正常に稼働しているように見える。

 

 だが、その一部から細いオーラの流れが分岐し、天井の球体へ向かっていた。

 

(……なるほど。電源の復旧と観測機構が繋がっているのか)

 

 俺が供給したオーラを手掛かりに、施設が俺を調べ始めた。

 

 それだけなら、まだ理解できる。

 

 問題は、その調査がどこまで及ぶのかということだった。

 

 俺は自分の身体を確認した。

 

 異常はない。

 

 オーラの流れにも、目立った乱れはない。

 

 だが、こういうものは外見だけでは判断できない。

 

 念には、直接的な攻撃以外にも厄介な能力がある。

 

 操作。

 

 強制。

 

 呪い。

 

 条件を満たした相手にだけ作用する特殊な能力。

 

 この施設が何を仕掛けているのか、まだわからなかった。

 

「リリア」

 

「何?」

 

「表示の中に、観測を止める項目はあるか?」

 

 彼女は首を振った。

 

「見当たらない。補助電源の状態しか操作できないみたい」

 

「なら、エドガーに聞くか」

 

 俺はミレーヌさんの方へ視線を向けた。

 

 彼女はエドガーを壁際に座らせ、呼吸の状態を確認していた。

 

 男の顔色は悪い。

 

 切断した右腕の出血は抑えてあるが、失った血液が戻るわけではない。

 

 痛みと疲労も相当なものだろう。

 

(……そろそろ限界か)

 

 俺は少し考えた。

 

 今の俺には、回復能力が三回分残っている。

 

 零号。

 

 収容者たち。

 

 そして、今後現れるかもしれない負傷者。

 

 誰に使うべきか、簡単には決められない。

 

 だが、エドガーをこのまま放置すれば、情報を得る前に意識を失う可能性がある。

 

 腕を切断したのは俺だ。

 

 だからといって、命まで奪うつもりはなかった。

 

 俺はミレーヌさんへ近づいた。

 

「……容体は?」

 

「すぐに死ぬ状態ではないけれど、長時間の移動は危険ね」

 

 彼女はエドガーの額へ手を当てた。

 

「冷や汗がひどい。呼吸も浅くなってきている」

 

 俺は頷いた。

 

「わかりました」

 

 エドガーが、薄く目を開いた。

 

「……何を、するつもりですか」

 

「治療だ」

 

 男は驚いたように俺を見た。

 

「……私を?」

 

「ああ」

 

「……あなたが、腕を切り落としたのに?」

 

 俺はその視線を受け止めた。

 

「必要だったから切った。今は生かしておく必要がある」

 

 エドガーの顔が歪む。

 

「……随分と、勝手な理屈ですね」

 

「そうかもしれないな」

 

 俺は否定しなかった。

 

「だが、お前が生きていれば、助けられる人間がいるかもしれない」

 

 エドガーは何も言わなかった。

 

 俺は左手を男の肩へ置いた。

 

 そして、回復能力を発動する。

 

 意識するのは、全身。

 

 切断された右腕。

 

 失われた血液。

 

 傷ついた血管。

 

 筋肉。

 

 神経。

 

 そして、痛みと衰弱。

 

 部分的な治療ではなく、身体全体を正常な状態へ戻す。

 

 かつて、自分の腕の傷だけを治してしまった経験がある。

 

 あの失敗を繰り返すつもりはなかった。

 

 温かな感覚が、掌から広がった。

 

 エドガーの身体が、小さく震える。

 

 切断面を覆っていた布が、内側から押し上げられた。

 

 骨が再生する。

 

 筋肉が伸びる。

 

 皮膚が形成される。

 

 そして。

 

 失われた右腕が、ゆっくりと元の形を取り戻していった。

 

「……な……」

 

 エドガーが息を呑む。

 

 ミレーヌさんも、わずかに目を見開いた。

 

 数秒後。

 

 俺は手を離した。

 

 エドガーの右腕は、完全に再生していた。

 

 ただし、腕輪はない。

 

 あれは切断した腕に装着されたまま、俺が確保している。

 

 再生した右腕には、当然ながら何もついていなかった。

 

「……馬鹿な……」

 

 エドガーは、自分の右手を見つめた。

 

 指を動かす。

 

 握る。

 

 開く。

 

 そして、何度も確かめるように手首を回した。

 

「……あり得ない」

 

 俺は静かに答えた。

 

「世の中には、そういうこともある」

 

 エドガーが顔を上げた。

 

 その目には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。

 

 恐怖。

 

 驚愕。

 

 そして。

 

 研究者としての、抑えきれない好奇心。

 

「……あなたは、一体……」

 

 俺は男の言葉を遮った。

 

「質問するのはこっちだ」

 

 エドガーの口が閉じる。

 

「今の装置を止める方法を教えろ」

 

     ◇

 

 エドガーは、しばらく補助動力炉を見つめていた。

 

 やがて、ゆっくりと口を開く。

 

「……追加観測機構は、補助電源の制御系統とは別です」

 

「つまり?」

 

「電源を停止しても、観測処理が止まるとは限りません」

 

 俺は眉を寄せた。

 

「……面倒な構造だな」

 

「この施設は、私たちが一から建造したものではありません」

 

 エドガーは再生した右手を握りしめた。

 

「もともと存在した遺構に、研究設備を増設したのです」

 

「それは聞いた」

 

「……しかし、中心部にある機構の多くは、今でも完全には解明されていません」

 

 俺は天井の球体を見た。

 

「その一つが、あれか」

 

「……ええ」

 

 エドガーは頷いた。

 

「私たちは、あの機構を『観測核』と呼んでいます」

 

 観測核。

 

 いかにも研究施設らしい名前だった。

 

「……何を観測する?」

 

「念能力者のオーラです」

 

「それだけか?」

 

 エドガーは、少しだけ言葉を詰まらせた。

 

 俺は見逃さなかった。

 

「……まだあるな」

 

 男は視線を逸らした。

 

「……観測対象の身体情報や精神状態も記録します」

 

「それで?」

 

「……一定の条件を満たした場合、対象の念能力の構造を解析することもあります」

 

 俺は黙った。

 

 リリアも、こちらを見ている。

 

 ミレーヌさんが低い声で尋ねた。

 

「解析した情報は、何に使われるの?」

 

 エドガーは、ゆっくりと答えた。

 

「……研究資料として保存されます」

 

「それだけ?」

 

「……場合によっては、能力の再現実験にも利用されます」

 

 俺は、思わず顔をしかめた。

 

(……そういうことか)

 

 零号の身体に組み込まれていた制御機構。

 

 強制的なオーラの増幅。

 

 そして、被験者の意思を奪う装置。

 

 それらの技術は、単なる肉体改造だけで完成したものではないのだろう。

 

 念能力者から得た情報を利用している。

 

 そう考えれば、辻褄が合う。

 

「……つまり、俺の能力を調べて、それを別の人間に使おうとしてるわけか」

 

 エドガーは首を横に振った。

 

「……そこまで単純ではありません」

 

「どう違う?」

 

「念能力は、本人の資質や精神性、制約によって成立します。情報を得たからといって、そのまま再現できるわけではない」

 

 俺は頷いた。

 

 それは理解できる。

 

 念能力は、ただの技術ではない。

 

 能力者自身の生き方や価値観と深く結びついている。

 

 同じ現象を起こす能力でも、発動条件や代償が違えば、まったく別物になる。

 

 まして、俺には念以外の力もある。

 

 アイテムボックス。

 

 回復能力。

 

 そして、この身体そのものが持つ異常な身体能力。

 

 それらが施設の観測機構にどう映るのか、俺にもわからない。

 

(……余計なものまで調べられるのは困るな)

 

 俺は天井を見上げた。

 

 青白い光は、今も俺の位置を探っている。

 

「……解析を止める方法は?」

 

 エドガーは、少し考えた。

 

「観測核への接続を遮断することです」

 

「場所は?」

 

「……この部屋の奥に、観測系統の分離盤があります」

 

 俺は目を細めた。

 

「さっきは、そんなものがあるとは言わなかったな」

 

「……聞かれませんでしたから」

 

 俺は、しばらく男を見つめた。

 

 エドガーは気まずそうに視線を逸らした。

 

 どうやら、右腕を再生してもらった程度では、性格までは変わらないらしい。

 

     ◇

 

 分離盤があるという部屋は、補助動力炉室のさらに奥だった。

 

 俺たちは移動する前に、レオンとガルドへ事情を説明した。

 

 二人とも、最初は疑わしげな顔をしていた。

 

 だが、補助電源が正常に稼働していることを確認すると、少しずつ態度が変わった。

 

「……本当に起動させたのか」

 

 レオンが呟く。

 

「ああ」

 

 俺は答えた。

 

「ただし、余計なものまで動き始めた」

 

 男は天井の球体を見た。

 

 その表情が険しくなる。

 

「……観測核か」

 

「知ってるのか?」

 

「名前だけはな」

 

 レオンは警棒を拾い上げた。

 

 俺は一瞬、身構えた。

 

 だが、男はそれを腰へ戻しただけだった。

 

「……主任から、触れるなと言われていた」

 

「それは正しい判断だったみたいだな」

 

 レオンは苦笑した。

 

「お前は触ったんだろう?」

 

「必要だったからな」

 

「……そうか」

 

 男はしばらく黙っていた。

 

 そして、俺を見た。

 

「補助電源が動いたなら、第七観測区の連中は助かるのか?」

 

「まだ確認してない。だが、少なくとも電力は戻った」

 

 レオンは頷いた。

 

「……なら、俺たちも手伝おう」

 

 俺は眉を上げた。

 

「いいのか?」

 

「隊長として、区画内の安全を守る責任がある」

 

 レオンは淡々と答えた。

 

「それに、あの装置が暴走すれば、俺たちだって無事では済まん」

 

 俺は少しだけ笑った。

 

「現実的な理由だな」

 

「仕事だからな」

 

 ガルドも、腕を組んだまま頷いた。

 

「……俺は、あんたを信用したわけじゃないぞ」

 

「別に構わない」

 

 俺は答えた。

 

「今は、目的が同じなら十分だ」

 

 ガルドは鼻を鳴らした。

 

 だが、それ以上は何も言わなかった。

 

     ◇

 

 観測系統の分離盤は、狭い制御室の中にあった。

 

 壁一面に計器が並び、床には太い配線が走っている。

 

 部屋の中央には、金属製の操作卓。

 

 その上に、複数の切り替え器が配置されていた。

 

 俺は、まず凝で周囲を確認した。

 

 不自然なオーラの集中はない。

 

 ただし、操作卓の内部には複雑な流れがある。

 

 迂闊に壊すべきではなさそうだ。

 

「……これか」

 

 俺が呟くと、エドガーが頷いた。

 

「……ええ」

 

 リリアが操作卓へ近づいた。

 

 表示を確認する。

 

『第七観測区・生命維持系統』

 

『第七観測区・強制制御系統』

 

『第八隔離区画・補助電源系統』

 

『観測核・情報収集系統』

 

 四つの項目が並んでいる。

 

 俺は、それぞれを確認した。

 

 生命維持。

 

 強制制御。

 

 補助電源。

 

 そして、情報収集。

 

(……分かれているな)

 

 少なくとも、表示上は独立した系統になっている。

 

 俺はエドガーへ尋ねた。

 

「情報収集系統だけを止められるのか?」

 

「……理論上は」

 

「また理論上か」

 

 男は顔をしかめた。

 

「……この設備は、古い遺構の機構を利用しているのです。完全な保証などできません」

 

 俺は少し考えた。

 

 確かに、未知の装置を扱う以上、絶対はない。

 

 だが、何もせずに観測され続けるわけにもいかない。

 

「……リリア」

 

「うん」

 

「操作する前に、今の状態を記録してくれ」

 

 彼女は頷いた。

 

 懐から小さな手帳を取り出し、表示の内容を書き留め始める。

 

 ミレーヌさんも操作卓へ近づいた。

 

「……切り替え器の位置も確認しておきましょう」

 

「お願いします」

 

 俺たちは、慎重に装置を調べた。

 

 その間も、天井の球体は俺の位置を探っていた。

 

 ただし、この部屋へ入ってからは光が届いていない。

 

 壁や天井が、観測を妨げているらしい。

 

(……この部屋は、もともと観測核から独立してるのか)

 

 そう考えたとき。

 

 リリアが小さく声を上げた。

 

「……アオ、これ」

 

 俺は彼女の指差す場所を見た。

 

 操作卓の端。

 

 そこには、小さな文字が刻まれていた。

 

『観測系統分離時、記録情報は保存される』

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……保存?」

 

 エドガーが頷いた。

 

「……観測核は、取得した情報を内部へ蓄積します」

 

「つまり、今止めても、すでに調べられた情報は残るのか」

 

「……ええ」

 

 俺は、しばらく黙っていた。

 

(……厄介だな)

 

 ただし、今までの観測時間は短い。

 

 しかも、俺は光を避け、途中で絶も使っている。

 

 どこまで情報を得られたかは不明だ。

 

 少なくとも、能力の詳細まで把握されたとは限らない。

 

 俺は、静かに頷いた。

 

「……まずは、これ以上調べられないようにする」

 

 リリアが頷く。

 

「うん」

 

 俺は切り替え器へ手を伸ばした。

 

 だが、その直前。

 

 ミレーヌさんが俺の手首を掴んだ。

 

「……待ちなさい」

 

 俺は振り向いた。

 

「……何です?」

 

 彼女は、操作卓の下部を指差した。

 

 そこには、細い配線が一本だけ伸びていた。

 

 他の配線とは違う。

 

 青白い光を放っている。

 

 しかも、その先は壁の中へ消えていた。

 

「……これ、何かしら」

 

 俺は凝を強めた。

 

 配線の内部を、微弱なオーラが流れている。

 

 そして、その流れは操作卓へ向かっていた。

 

(……外から供給されてる?)

 

 俺はエドガーへ視線を向けた。

 

「……この線は?」

 

 男は、配線を見た。

 

 その瞬間。

 

 顔色が変わった。

 

「……そんなはずは……」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……何だ?」

 

 エドガーは、震える声で答えた。

 

「……これは、管理者権限の補助回線です」

 

「……それが?」

 

「……通常、観測系統の分離盤へ接続されることはありません」

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

(……誰かが繋いだのか)

 

 あるいは、施設そのものが接続を変えたのか。

 

 どちらにせよ、普通ではない。

 

 俺は配線を観察した。

 

 壁から伸びた細い管。

 

 その表面には、新しい傷がある。

 

 金属製の固定具も、最近取り付けられたように見えた。

 

(……人為的な改造か)

 

 俺はレオンへ尋ねた。

 

「この部屋に入れる人間は?」

 

「主任研究員と、保安部門の一部だけだ」

 

「最近、誰か入ったか?」

 

 レオンは少し考えた。

 

「……三日前、点検があった」

 

 俺は眉を上げた。

 

「誰が?」

 

「……技術班の人間だ」

 

 エドガーが、突然顔を上げた。

 

「……まさか」

 

 俺は男を見た。

 

「……心当たりがあるのか?」

 

 エドガーは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……三日前から、施設の挙動が変わった」

 

 俺は頷いた。

 

「聞いた」

 

「……補助電源の操作盤が破壊され、通路の接続が変化し始めた」

 

「それも聞いた」

 

 エドガーは、青白い配線を見つめた。

 

「……もし、あれらが偶然ではないとしたら……」

 

 俺は、静かに続きを促した。

 

「……誰かが、観測核の制御権限を奪おうとしている?」

 

 エドガーは、ゆっくりと頷いた。

 

「……その可能性があります」

 

 俺は、しばらく考えた。

 

 補助電源の操作盤が破壊された。

 

 施設の通路が変化した。

 

 観測核が自律的に動き始めた。

 

 そして、管理者権限の補助回線が、通常とは違う場所へ接続されている。

 

 これらが同じ原因によるものなら。

 

(……誰かが、この施設を利用している?)

 

 だが、まだ確証はない。

 

 俺は、青白い配線を見つめた。

 

 そのとき。

 

 配線の内部を流れるオーラが、わずかに強くなった。

 

 俺は反射的に後退した。

 

 直後。

 

 操作卓の表示が、一斉に切り替わった。

 

『管理者権限、再照合』

 

『外部操作を検知』

 

『観測系統分離要求、拒否』

 

 俺は目を細めた。

 

(……まだ操作してないぞ)

 

 切り替え器には、触れていない。

 

 それなのに、分離要求が検知された。

 

 つまり。

 

 こちらの行動を、何者かが監視している。

 

 そして、先回りして操作を妨害している。

 

 俺は、青白い配線へ視線を向けた。

 

「……こいつか」

 

 リリアが、すぐに理解したようだった。

 

「……外から、操作卓に命令を送ってる?」

 

「その可能性が高い」

 

 俺は頷いた。

 

 ミレーヌさんが、静かに言った。

 

「……なら、まずはこの回線を切り離す必要があるわね」

 

 俺は腰のナイフへ手を伸ばした。

 

 だが、すぐには抜かなかった。

 

 この回線が何に繋がっているのか、まだわからない。

 

 無闇に切れば、別の装置へ影響する可能性がある。

 

 俺はエドガーへ尋ねた。

 

「……この回線だけを切り離したら、どうなる?」

 

 男は、しばらく考えた。

 

「……通常なら、管理者権限の補助認証が失われるだけです」

 

「生命維持装置は?」

 

「……直接の影響はないはずです」

 

「補助電源は?」

 

「……稼働を続けます」

 

 俺は頷いた。

 

「……なら、やる」

 

 ただし、切断ではない。

 

 まずは、接続部を外す。

 

 俺は操作卓の下へしゃがみ込んだ。

 

 青白い配線の根元。

 

 そこには、小さな固定具があった。

 

 金属製の留め金。

 

 そして、二本の細いネジ。

 

 俺は指先へオーラを集中させた。

 

 慎重に留め金を外す。

 

 配線が、わずかに震えた。

 

 その瞬間。

 

 青白い光が、急激に強くなった。

 

(……来るか)

 

 俺は即座に手を離した。

 

 直後。

 

 配線の先端から、細い糸状のオーラが噴き出した。

 

 それは俺の手首へ向かって伸びる。

 

 俺は身体を捻り、かわした。

 

 糸は空を切り、操作卓の縁へ触れた。

 

 金属が、かすかに鳴る。

 

(……エドガーの糸に似てるな)

 

 俺は、凝を強めた。

 

 だが、完全に同じではない。

 

 エドガーの腕輪から伸びた糸は、もっと鋭く、複雑に動いていた。

 

 こちらは、単純な防御反応に近い。

 

 俺は、もう一度接続部を見た。

 

 糸が伸びるのは、配線へ触れたときだけ。

 

 しかも、一定の距離以上は伸びない。

 

(……なら、問題ない)

 

 俺は腰のナイフを抜いた。

 

 刃へ周を施す。

 

 そして、配線ではなく、固定具の金属部分へ刃を差し込んだ。

 

 軽く捻る。

 

 留め金が外れた。

 

 配線が浮く。

 

 青白い糸が噴き出す。

 

 俺は左手でその軌道を避けながら、右手のナイフで接続端子を押し上げた。

 

 カチリ。

 

 小さな音。

 

 次の瞬間。

 

 配線が、操作卓から外れた。

 

 青白い光が消える。

 

 糸も、霧のように散った。

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

「……外れた」

 

 リリアが操作卓を確認する。

 

 表示が、ゆっくりと変化した。

 

『管理者補助回線、切断』

 

『観測系統分離要求、再受付』

 

 俺は頷いた。

 

「……よし」

 

 そして、切り替え器へ手を伸ばした。

 

     ◇

 

 今度は、妨害されなかった。

 

 切り替え器を倒す。

 

 カチリ。

 

 操作卓の内部で、複数の機械音が響いた。

 

『観測核・情報収集系統』

 

『分離処理を開始』

 

 俺は、凝を強めた。

 

 操作卓から伸びるオーラの流れが、少しずつ弱まっていく。

 

 その先は、補助動力炉の天井へ向かっていた。

 

 やがて。

 

 青白い光が、一つずつ消え始めた。

 

『分離処理、完了』

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

(……止まったか)

 

 少なくとも、この区画から観測核へ送られていた情報は遮断された。

 

 だが、まだ安心はできない。

 

 観測核そのものが停止したわけではない。

 

 取得済みの情報も残っている。

 

 それに、別の回線が存在する可能性もある。

 

 俺は操作卓の表示を確認した。

 

『第七観測区・生命維持系統:正常』

 

『第七観測区・強制制御系統:停止』

 

『第八隔離区画・補助電源系統:正常』

 

『観測核・情報収集系統:分離』

 

 俺は、ようやく肩の力を抜いた。

 

 少なくとも、当初の目的は達成できたらしい。

 

 第七観測区の生命維持装置は、正常に戻っている。

 

 零号の強制制御も停止したままだ。

 

 補助電源も稼働している。

 

 そして、俺への追加観測も、この区画では遮断された。

 

 俺はリリアへ視線を向けた。

 

「……戻ろう」

 

 彼女は頷いた。

 

「うん」

 

 ミレーヌさんも、静かに口を開いた。

 

「……収容者たちの状態を確認しないとね」

 

「ええ」

 

 俺は頷いた。

 

 まだ、全員を救出したわけではない。

 

 むしろ、ここからが大変だろう。

 

 二十四基の容器。

 

 それぞれ異なる身体状態。

 

 外部環境へ適応できない人間もいる。

 

 そして、施設の奥には、まだ未確認の区画が残っている。

 

 俺たちは、ようやく一つの問題を解決したにすぎなかった。

 

 だが。

 

 それでも、前進したことは確かだ。

 

     ◇

 

 制御室を出ようとしたときだった。

 

 リリアが、ふと足を止めた。

 

「……アオ」

 

「どうした?」

 

 彼女は銀色の羅針盤を見つめていた。

 

 針が、ゆっくりと回転している。

 

 いや。

 

 回転しているのではない。

 

 一定の方向を指そうとしているのに、その方向が少しずつ変わっている。

 

「……帰り道が、また変わった」

 

 俺は眉を寄せた。

 

「……今度は、どこへ?」

 

 リリアはしばらく羅針盤を見つめた。

 

 そして、顔を上げた。

 

「……わからない」

 

 俺は黙った。

 

 彼女がそう答えるのは珍しい。

 

 リリアの能力は、通った道を記録することに優れている。

 

 ただし、施設そのものが変化する場合、記録された道が現在も通れるとは限らない。

 

 今回も、それが起きているのだろう。

 

「……記録が消えたのか?」

 

 俺が尋ねると、リリアは首を横に振った。

 

「ううん。記録は残ってる」

 

「なら?」

 

「……道の繋がりが、変わってる」

 

 彼女は制御室の出口を指差した。

 

「さっきまで、あの先は動力炉室へ戻る通路だった」

 

 俺は頷いた。

 

「そうだな」

 

「でも、今は違う場所に繋がってるみたい」

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

(……またか)

 

 施設の構造変化。

 

 どうやら、観測系統を分離しても止まらないらしい。

 

 俺は円を広げた。

 

 半径五十メートル。

 

 壁の向こう。

 

 通路の先。

 

 そして、制御室の周囲。

 

 気配を探る。

 

 すると。

 

(……ん?)

 

 俺は、あることに気づいた。

 

 先ほどまで感じていた人間の気配が、一つ増えている。

 

 しかも、その気配は。

 

 制御室の出口の向こう。

 

 ほんの十数メートル先にあった。

 

 俺は足を止めた。

 

「……誰かいる」

 

 リリアが顔を上げる。

 

「……え?」

 

 ミレーヌさんも、すぐに構えた。

 

 レオンとガルドが、互いに視線を交わす。

 

 俺は、出口を見据えた。

 

 そこからは、足音が聞こえない。

 

 呼吸も、ほとんど感じられない。

 

 だが、確かに人間の気配がある。

 

 しかも。

 

(……念能力者だな)

 

 かなり強い。

 

 少なくとも、レオンやガルドとは違う。

 

 オーラの密度が高く、流れも安定している。

 

 俺は、静かに拳を握った。

 

 そのとき。

 

 出口の向こうから、声が聞こえた。

 

「……ようやく、ここまで来たか」

 

 低い声だった。

 

 落ち着いている。

 

 そして、どこか楽しげでもあった。

 

 俺は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……誰だ?」

 

 短い沈黙。

 

 そして。

 

「……君を待っていた者だよ、アオ」

 

 俺は目を細めた。

 

(……俺の名前を知ってる?)

 

 声の主は、続けた。

 

「……ずいぶんと派手に動いてくれたね」

 

 俺は答えなかった。

 

 相手の気配を探る。

 

 位置は変わらない。

 

 ただ、こちらを待っている。

 

 そして。

 

「……安心したまえ」

 

 男の声が、静かに響いた。

 

「……私は、君と戦うために来たわけではない」

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

(……そう言う奴ほど、信用できないんだよな)

 

 俺は、出口へ向かって一歩踏み出した。

 

 リリアが、隣へ並ぶ。

 

 ミレーヌさんも、少し後方から続いた。

 

 俺は、扉の向こうを見据えた。

 

 そこにいるのが誰であれ。

 

 俺たちの目的は変わらない。

 

 収容者たちを救出し、この施設から脱出する。

 

 そのために、必要なことをするだけだ。

 

 俺は、ゆっくりと扉へ手を伸ばした。

 

 そして。

 

 重い金属製の扉が、音もなく開き始めた。

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