流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第五十一話 白衣の仮面――研究者が隠したもの

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷、地下深部。

 

 第七観測区。

 

     ◇

 

「彼は、少々知りすぎているようです」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺はユリウス・ベルンハルトに対する評価を一段階引き上げた。

 

 もちろん、好意的な意味ではない。

 

 目の前の男は、危険だ。

 

 単に強い念能力者というだけではない。こちらが何を知り、何を疑い、どこまで踏み込もうとしているのかを観察しながら、自分に都合のいい方向へ話を運ぼうとしている。

 

 しかも、そのことを隠そうともしなくなった。

 

 俺は一番の被験者を背後に庇う位置へ移動した。

 

 床に敷かれた毛布が靴底に触れる。男の呼吸は弱々しいものの、先ほどと変わらず続いていた。

 

 意識を失っただけだ。

 

 少なくとも、今のところは。

 

「……知りすぎている、か」

 

 俺はユリウスを見据えた。

 

「随分と物騒な言い方だな」

 

「そう聞こえましたか?」

 

「ああ。口封じを考えている人間の台詞に聞こえた」

 

 ユリウスは困ったように微笑んだ。

 

「誤解ですよ。私は彼を傷つけるつもりなどありません」

 

「じゃあ、何を知っている?」

 

「それを確認したかったのです」

 

「質問に質問で返すなよ」

 

 俺が言うと、男は小さく肩をすくめた。

 

 その仕草には余裕があった。

 

 だが、俺は別のものを見ていた。

 

 ユリウスの右手。

 

 白衣の袖口から覗く指先が、わずかに動いている。

 

 親指が中指の腹を押し、離す。

 

 それを一定の間隔で繰り返していた。

 

 単なる癖かもしれない。

 

 だが、念能力者を相手にしている以上、意味のない動作だと決めつけるのは危険だ。

 

 俺は凝を使った。

 

 ユリウスの周囲を覆うオーラが、細部まで見えてくる。

 

 肩から腕、指先へと流れるオーラは滑らかだった。

 

 特定の部位へ極端に集中している様子はない。

 

 しかし、指が動くたび、袖口の内側で微弱な反応が生じていた。

 

(……何か持ってるな)

 

 俺は腰のナイフには触れなかった。

 

 相手を刺激する必要はない。

 

 それより先に、確認すべきことがある。

 

「リリア」

 

「うん」

 

「一番の人をミレーヌさんのところへ」

 

 リリアはすぐに動いた。

 

 彼女は俺の横を通り、一番の男の肩を支える。

 

 ミレーヌさんが反対側へ回り、二人で毛布ごと男を移動させた。

 

 ユリウスは、その様子を黙って見ていた。

 

 俺は男の視線を追った。

 

 一番の被験者。

 

 そして、ミレーヌさん。

 

 さらに、生命維持容器の列。

 

 ユリウスは部屋全体を確認している。

 

 何かを探しているようにも見えた。

 

「ユリウス」

 

「はい」

 

「今から三つ質問する」

 

 俺は指を一本立てた。

 

「一つ。あの男は、お前の何を知っている?」

 

 二本目。

 

「二つ。中央管理区画に連れていかれた四人の調査員は、今どうなっている?」

 

 三本目。

 

「三つ。お前が統括機構を停止させたい本当の理由は何だ?」

 

 ユリウスはしばらく俺を見つめた。

 

 それから、薄く笑った。

 

「……どれも簡単には答えられない質問ですね」

 

「答えられないのか、答えたくないのか」

 

「両方です」

 

 その返答に、俺はかえって警戒を強めた。

 

 嘘を重ねるのではなく、答えられないと認める。

 

 こちらが不信感を抱いていることを理解したうえで、無理に信用を取り戻そうとしない。

 

 相手にとって都合の悪い情報が、すでにこちらへ渡っていると判断したのかもしれない。

 

「では、私からも一つ質問を」

 

 ユリウスが言った。

 

「あなたは、この施設のすべての収容者を救えると思っていますか?」

 

「思っている」

 

 俺は即答した。

 

 ユリウスの目が、わずかに細くなる。

 

「根拠は?」

 

「救う方法がまだ残っているからだ」

 

「その方法が失敗したら?」

 

「別の方法を探す」

 

「それでも駄目なら?」

 

「そのとき考える」

 

 ユリウスは小さく笑った。

 

「随分と非合理的ですね」

 

「そうか?」

 

「ええ。限られた資源を、成功する保証のない救出へ投入する。研究成果を失う危険まで冒して」

 

 俺は男を見た。

 

「お前にとって、人間の命は研究成果より軽いのか?」

 

「軽いとは言っていません」

 

「じゃあ、何だ?」

 

 ユリウスは少し考えた。

 

「……価値の種類が違うのです」

 

 その言葉に、俺は何も返さなかった。

 

 価値の種類。

 

 随分と便利な言葉だ。

 

 人間を容器に閉じ込め、身体を改造し、意思を奪って戦わせる。

 

 その結果を研究成果と呼ぶなら、確かに普通の人間とは価値観が違うのだろう。

 

 だが、それを理解することと、受け入れることは別だった。

 

「お前の考えはわかった」

 

 俺は一歩前へ出た。

 

「次は、こっちの質問に答えてもらう」

 

     ◇

 

「アオ、待って」

 

 リリアの声が背後から聞こえた。

 

 俺は足を止めた。

 

 彼女は一番の男をミレーヌさんに預け、銀色の羅針盤を手にしていた。

 

 針が揺れている。

 

 だが、先ほどまでのように帰路を示そうとしているわけではない。

 

 リリアは床を見ていた。

 

「……ユリウスさん、ここへ来る前に中央管理区画にいたんですよね?」

 

 ユリウスが顔を向ける。

 

「ええ。そう説明しましたが」

 

「そこから、どうやって第八隔離区画まで来たんですか?」

 

「施設の通路を通ってですよ」

 

「通路が変わっているのに?」

 

「私は遺構の構造を研究しています。一般の方よりは、移動に慣れていますから」

 

 リリアは頷いた。

 

 だが、そこで質問を終えなかった。

 

「では、三日前にも、この区画へ来ましたか?」

 

 ユリウスの表情が止まった。

 

 本当に一瞬だった。

 

 知らない人間なら見逃したかもしれない。

 

 だが、俺はその変化を見ていた。

 

「……なぜ、そう思うのです?」

 

 リリアは答えず、床へしゃがみ込んだ。

 

 彼女の指先が、金属板の継ぎ目をなぞる。

 

「第八隔離区画へ向かう途中で、何人かの足跡を見つけました。保安部門の人たちとは違う靴底の模様もありました」

 

 リリアはユリウスの革靴を見た。

 

「あなたの靴、底の外側だけ少し削れていますよね」

 

 俺も視線を落とした。

 

 確かに、右足の踵に特徴的な摩耗がある。

 

 ユリウスは微笑んだ。

 

「それが何か?」

 

「同じ形の跡が、あの通路に残っていました」

 

 リリアは立ち上がった。

 

「しかも、古い跡の上に新しい跡が重なっていたんです。少なくとも一度きりの移動じゃない」

 

 俺は内心で感心した。

 

 あのとき、俺は周囲の気配と施設の構造変化に注意を向けていた。

 

 リリアが足跡を調べていることは知っていたが、そこまで細かく記憶しているとは思わなかった。

 

 彼女は続けた。

 

「あなたは三日前にも、第八隔離区画へ来ていますね?」

 

 ユリウスは、しばらく沈黙した。

 

 やがて、観念したように頷く。

 

「……ええ。来ました」

 

「何をしに?」

 

「設備の点検です」

 

「補助電源の操作盤が壊れた日ですよね」

 

「偶然です」

 

 リリアは首を傾げた。

 

「偶然かもしれません。でも、もう一つ気になることがあります」

 

 彼女は銀色の羅針盤を掲げた。

 

「あなたの足跡を追おうとすると、途中で記録が途切れるんです」

 

 ユリウスの目が、わずかに見開かれた。

 

「……それは興味深い」

 

「床が動いたから、というだけでは説明できません」

 

 リリアの声は落ち着いていた。

 

「足跡の続きが、通路の別の場所にも見つからない。まるで、途中から歩かなくなったみたいに」

 

 俺はユリウスを見た。

 

 念能力。

 

 あるいは、遺構の移動機構。

 

 どちらかを使って移動した可能性がある。

 

 ただし、リリアの能力は足跡を追跡するものだ。

 

 痕跡が途切れたからといって、瞬間移動したと断定することはできない。

 

 それでも、十分に不自然だった。

 

「……ユリウス」

 

 俺は言った。

 

「お前、通路を使わずに移動する方法を知ってるな?」

 

 男は笑みを消した。

 

 そして、初めて俺たちを対等な相手として見るような目をした。

 

「……彼女は、優秀ですね」

 

「質問に答えろ」

 

「ええ。知っています」

 

 ユリウスは頷いた。

 

「ただし、誰でも利用できるものではありません」

 

「どういう仕組みだ?」

 

「遺構の内部搬送機構です。施設の一部を短距離で移動させる機能があります」

 

 俺は眉を寄せた。

 

「通路が変わるのと同じ仕組みか?」

 

「原理は近いですね」

 

 ユリウスは壁へ視線を向けた。

 

「この遺構は、固定された建造物ではありません。複数の区画を接続し直すことで、内部の経路を変化させています」

 

「……つまり、お前はその接続を操作できる」

 

「限定的には」

 

 俺は頷いた。

 

 なるほど。

 

 それなら、足跡が途中で途切れた理由も説明できる。

 

 通路を歩いていた人間が、区画ごと移動した。

 

 移動先が別の場所へ接続されれば、足跡はそこで終わる。

 

 ただし。

 

(……本当に、それだけか?)

 

 ユリウスの説明は筋が通っている。

 

 だが、都合のいい部分しか話していない可能性は高かった。

 

     ◇

 

「……待ってください」

 

 今度はエドガーが口を開いた。

 

 俺は振り返った。

 

 男はユリウスを見つめていた。

 

 その顔には、明らかな動揺が浮かんでいる。

 

「内部搬送機構は、まだ実用化されていなかったはずです」

 

 ユリウスは首を傾げた。

 

「いつの話です?」

 

「……少なくとも、先月の報告では」

 

「研究は進むものですよ、エドガー主任」

 

 ユリウスは穏やかに答えた。

 

「あなたが人体実験に没頭している間にも、こちらでは成果が出ていたのです」

 

 エドガーの顔が歪んだ。

 

 俺は二人を見比べた。

 

 同じ施設の研究者。

 

 だが、互いの研究内容を完全には把握していない。

 

 それどころか、情報を意図的に隠し合っているように見える。

 

「……エドガー」

 

 俺は尋ねた。

 

「ユリウスは、お前より上の立場なのか?」

 

「……研究部門の権限は、ほぼ同格です」

 

「ほぼ?」

 

「……中央管理区画の遺構制御に関しては、彼の権限が優先されます」

 

 俺はユリウスへ視線を戻した。

 

「それなら、生命維持装置の搬送にも協力できるんじゃないか?」

 

 男は少し考えた。

 

「可能性はあります」

 

「また可能性か」

 

「この施設のすべてを制御できるわけではありませんから」

 

 俺は一歩近づいた。

 

「なら、できることを全部話せ」

 

 ユリウスは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……わかりました」

 

 白衣の内側へ手を入れた。

 

 俺は即座に反応した。

 

「動くな」

 

 ユリウスの手が止まる。

 

 俺は男の右腕へ視線を向けた。

 

「何を出す?」

 

「認証端末です」

 

「ゆっくり出せ」

 

 ユリウスは頷いた。

 

 白衣の内側から、小さな金属板を取り出す。

 

 掌ほどの大きさ。

 

 表面には青白い線が刻まれていた。

 

 見覚えがある。

 

 エドガーの腕輪や、施設の操作盤に使われているものと同じ系統の技術だ。

 

「これは?」

 

「中央管理区画への認証端末です」

 

 ユリウスは金属板を掲げた。

 

「これを使えば、一部の搬送機構を起動できます」

 

 俺は凝で確認した。

 

 金属板には微弱なオーラが流れている。

 

 だが、今のところ攻撃的な反応はない。

 

「……それを使って、俺たちを中央管理区画へ運べるのか?」

 

「ええ」

 

 ユリウスは頷いた。

 

「ただし、条件があります」

 

 俺は顔をしかめた。

 

「……聞こうか」

 

「搬送機構を起動するには、中央管理区画の認証が必要です」

 

「お前の端末じゃ足りないのか?」

 

「私の端末は、移動先を指定するためのものです。実際の起動には、別の承認が必要になります」

 

「誰の承認だ?」

 

 ユリウスは、少しだけ笑った。

 

「……統括機構です」

 

 俺は、しばらく黙っていた。

 

 統括機構。

 

 また、その名前か。

 

 どうやら、この施設の重要な機能は、すべてそこへ繋がっているらしい。

 

「……その統括機構は、今も正常に動いているのか?」

 

 俺が尋ねると、ユリウスは首を横に振った。

 

「いいえ。三日前から、命令系統に異常が発生しています」

 

「だから通路が変わる?」

 

「それも原因の一つです」

 

 俺は、男の顔を見た。

 

「……お前が何かしたからじゃないのか?」

 

 ユリウスは答えなかった。

 

 その沈黙が、何よりも雄弁だった。

 

     ◇

 

「……一つ、確認させてください」

 

 ミレーヌさんが口を開いた。

 

 彼女は一番の男を寝かせたあと、こちらへ戻ってきていた。

 

「三日前、あなたたちは遺構の中枢機構を起動させたと言いましたね」

 

「ええ」

 

「その直後から、施設の異常が始まった」

 

「そうです」

 

「では、起動させた機能は何だったのですか?」

 

 ユリウスは、しばらく考えた。

 

 そして、静かに答えた。

 

「……記録の再生です」

 

 俺は眉を寄せた。

 

「記録?」

 

「この遺構には、過去の観測情報が大量に保存されています」

 

 ユリウスは中央装置へ視線を向けた。

 

「私たちは、その一部を再生することに成功しました」

 

「何の記録だ?」

 

「……遺構が建造された当時のものです」

 

 俺は、少しだけ興味を引かれた。

 

 この遺構は、少なくとも二十年以上前に発見されたものだ。

 

 だが、建造された年代はわかっていない。

 

 現代の技術では再現できない機構も多い。

 

 その記録が残っているなら、施設の正体を知る手掛かりになる。

 

「……何が映っていた?」

 

 ユリウスは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……人間です」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「人間?」

 

「ええ。大勢の人間が、この施設を利用していました」

 

「研究者か?」

 

「……違います」

 

 ユリウスの声が、わずかに低くなった。

 

「彼らは、ここで生活していたのです」

 

 俺は黙った。

 

 生活。

 

 研究施設ではなく?

 

「……どういう意味だ?」

 

 ユリウスは、ゆっくりと説明を始めた。

 

「この遺構は、もともと人間を閉じ込めるための場所ではなかったようです」

 

 俺は、透明な容器の列を見た。

 

 二十三人。

 

 その全員が、機械に繋がれている。

 

 ユリウスは続けた。

 

「生命維持機構も、観測機構も、本来は人間を保護するためのものだった可能性があります」

 

 俺は、静かに考えた。

 

 人間を保護するための施設。

 

 ならば、なぜこれほど複雑な機構が必要だったのか。

 

 何から人間を守ろうとしていたのか。

 

 そして、誰がそれを建造したのか。

 

 疑問は増えるばかりだった。

 

「……記録には、他に何が残っていた?」

 

 俺が尋ねると、ユリウスは微笑んだ。

 

「……それを、あなたにも見ていただきたいのです」

 

「中央管理区画で?」

 

「ええ」

 

 俺は、しばらく男を見つめた。

 

 どうやら、ユリウスは俺を中央管理区画へ連れていきたいらしい。

 

 理由はまだわからない。

 

 だが、こちらの目的とも重なっている。

 

 四人の行方不明者。

 

 携帯型の生命維持補助装置。

 

 そして、遺構の統括機構。

 

 すべて中央管理区画にあるという。

 

(……誘導されてるな)

 

 俺は、そう感じていた。

 

 だが、誘導されているからといって、必ずしも避けるべきとは限らない。

 

 相手の狙いを理解したうえで、利用できるものは利用する。

 

 それも一つの方法だ。

 

 ただし、相手の都合どおりに動くつもりはなかった。

 

     ◇

 

「……中央管理区画へ行く前に、確認することがある」

 

 俺は言った。

 

 ユリウスが首を傾げる。

 

「何でしょう?」

 

「一番の男が、お前を見て怯えた理由だ」

 

 男の笑みが、わずかに薄れた。

 

「……彼は混乱しているのでしょう」

 

「それだけか?」

 

「長期間の実験によって、精神状態が不安定になっている可能性があります」

 

 俺は首を横に振った。

 

「違うな」

 

 ユリウスは黙った。

 

「確かに、あの男は衰弱している。だが、お前を見た瞬間の反応は、単なる混乱じゃない」

 

 俺は続けた。

 

「明確に、お前を恐れていた」

 

 ユリウスは、しばらく俺を見つめた。

 

 そして。

 

「……あなたは、人の感情を読むのが得意なようですね」

 

「流星街で育ったからな」

 

 俺は答えた。

 

「相手が何を考えてるか見誤ると、死ぬこともある」

 

 ユリウスは、少しだけ目を細めた。

 

「……流星街」

 

 その言葉を、ゆっくりと繰り返した。

 

「興味深い経歴ですね」

 

「話を逸らすな」

 

 俺は一歩近づいた。

 

「お前は、あの男に何をした?」

 

 ユリウスは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……何もしていません」

 

 俺は、男の目を見た。

 

 嘘をついているのか。

 

 それとも、本当に何もしていないのか。

 

 判断は難しい。

 

 だが、少なくとも何かを隠していることは確かだった。

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

「……そうか」

 

 ユリウスは、少しだけ安心したように見えた。

 

 だが、次の瞬間。

 

 俺は男の右手首を掴んだ。

 

「……っ!」

 

 ユリウスの身体が強張る。

 

 俺は、そのまま腕を持ち上げた。

 

 白衣の袖口がずれ、内側に隠されていたものが見えた。

 

 細い金属製の輪。

 

 その表面には、青白い線が刻まれている。

 

 エドガーの腕輪に似ていた。

 

 だが、構造は違う。

 

 俺は凝を強めた。

 

 輪の内部を、微弱なオーラが循環している。

 

「……これは何だ?」

 

 俺が尋ねると、ユリウスは苦笑した。

 

「……乱暴ですね」

 

「答えろ」

 

「……研究用の補助端末です」

 

「何の研究だ?」

 

 ユリウスは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……観測情報の収集です」

 

 俺は、目を細めた。

 

(……やっぱりな)

 

 こいつは、俺たちと話している間も何かを調べていた。

 

 俺は腕輪を観察した。

 

 金属製の輪から、細いオーラの糸が伸びている。

 

 その先は。

 

 床。

 

 そして、壁の内部へ繋がっていた。

 

(……施設と接続してるのか)

 

 俺は、ユリウスを見た。

 

「……いつから使ってた?」

 

 男は、少しだけ笑った。

 

「……あなた方と会ったときからです」

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

 どうやら、こいつは最初から俺たちを観察していたらしい。

 

「……何を調べた?」

 

「……あなたのオーラです」

 

 俺は、眉をひそめた。

 

「観測核の情報収集は止めたはずだが?」

 

「ええ。あちらの系統は停止しています」

 

 ユリウスは、ゆっくりと答えた。

 

「ですが、私の端末は別の経路を使っています」

 

 俺は、男の腕輪を見た。

 

 細いオーラの糸。

 

 壁の内部へ伸びる接続。

 

 そして、中央管理区画へ繋がる認証端末。

 

(……こいつ、最初から俺を調べるつもりだったのか)

 

 俺は、静かに拳を握った。

 

「……随分と舐めた真似をしてくれるな」

 

 ユリウスは、苦笑した。

 

「……研究者の性分でして」

 

「その言い訳は、もう聞き飽きた」

 

 俺は、腕輪へ視線を向けた。

 

 そして、指先へオーラを集中させた。

 

 ユリウスの表情が変わる。

 

「……待ってください」

 

 俺は手を止めた。

 

「何だ?」

 

「……それを壊すと、少々困ったことになります」

 

「どう困る?」

 

 ユリウスは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……中央管理区画への接続が、完全に失われます」

 

 俺は目を細めた。

 

「……つまり、お前はこれを壊されたくないわけだ」

 

「ええ」

 

 俺は、少しだけ考えた。

 

 そして。

 

 腕輪を壊すのをやめた。

 

 ユリウスの表情が、わずかに緩む。

 

 だが、俺はそのまま男の手首を掴み続けた。

 

「……壊さないとは言ったが、自由に使わせるとは言ってない」

 

 俺は、腰から細い拘束具を取り出した。

 

 そして、ユリウスの右手首を固定する。

 

 腕輪そのものには触れず、指先の動きを制限する形だ。

 

 ユリウスは、苦笑した。

 

「……用心深いですね」

 

「お前が信用できないからな」

 

 俺は答えた。

 

「中央管理区画へ着くまで、勝手な操作はするな」

 

 ユリウスは、しばらく俺を見つめた。

 

 そして。

 

「……わかりました」

 

 静かに頷いた。

 

     ◇

 

 そのときだった。

 

 部屋の中央にある青白い観測機構が、突然明滅した。

 

 俺は反射的に顔を上げた。

 

 青白い人影が、空中へ浮かび上がる。

 

 以前にも見た姿だ。

 

 輪郭の曖昧な、人間に似た形。

 

 だが、その表情は読み取れない。

 

『観測対象一』

 

 無機質な声が響いた。

 

 俺は、静かに構えた。

 

「……何だ?」

 

『未承認の管理操作を検知』

 

 俺は、ユリウスへ視線を向けた。

 

 男の顔から、笑みが消えていた。

 

『管理権限の照合を開始』

 

 青白い人影が、ゆっくりとユリウスへ向いた。

 

『認証情報、不一致』

 

 俺は眉をひそめた。

 

「……不一致?」

 

 ユリウスが、低く呟いた。

 

「……そんなはずは」

 

 青白い人影は、さらに続けた。

 

『当該個体の管理権限を確認できません』

 

 俺は、ユリウスを見た。

 

 男は、明らかに動揺している。

 

 その反応は、これまでの余裕ある態度とは違っていた。

 

『警告』

 

 観測機構の声が、部屋全体へ響く。

 

『当該個体は、登録済み管理者ではありません』

 

 俺は、静かに息を吐いた。

 

(……どういうことだ?)

 

 ユリウスは、この施設の研究者を名乗っている。

 

 エドガーも、彼を知っている。

 

 レオンたちも、存在を認識している。

 

 それなのに。

 

 遺構の観測機構は、彼を管理者として認めていない。

 

 俺は、ユリウスへ視線を向けた。

 

「……説明してもらおうか」

 

 男は、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

 ゆっくりと笑った。

 

 それは、これまでの穏やかな笑みとは違っていた。

 

 何かを諦めたような。

 

 あるいは。

 

 ようやく隠す必要がなくなったことを喜んでいるような。

 

 そんな笑みだった。

 

「……やはり、ここまで来ましたか」

 

 俺は、静かに拳を握った。

 

「……何者だ、お前」

 

 ユリウスは、ゆっくりと顔を上げた。

 

 そして。

 

「……それを知りたいのなら」

 

 男は、青白い観測機構へ視線を向けた。

 

「……中央管理区画へ来ていただくしかありません」

 

 その瞬間。

 

 部屋の床が、低く震えた。

 

 俺は足元へ視線を落とした。

 

 金属板の継ぎ目から、青白い光が漏れ始めている。

 

 壁の奥で、巨大な機械が動く音が響いた。

 

 リリアが、羅針盤を握りしめる。

 

「……アオ!」

 

 俺は頷いた。

 

「ああ、わかってる」

 

 施設が、また動き始めた。

 

 だが、今回は違う。

 

 ただ通路が変化しているのではない。

 

 部屋そのものが、ゆっくりと移動している。

 

 俺は、ユリウスを見据えた。

 

 男は、静かに微笑んでいた。

 

「……ようこそ」

 

 その声が、機械音の中へ溶けていく。

 

「……遺構の、本当の姿へ」

 

 そして。

 

 第七観測区全体が、深い振動に包まれた。

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