流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷、地下深部。
中央管理区画。
◇
四台の搬送寝台が、音もなく通路を進んでいた。
それぞれに横たわっているのは、行方不明となっていた調査員たちだ。
マルクを含む四人全員の生命反応は安定している。中央統括機構によって用意された携帯型補助装置が、彼らの呼吸と循環を支えていた。
その後方には、二十三組の生命維持補助装置を積んだ搬送台が続いている。
俺たちは、それらを挟むように歩いていた。
先頭が俺。
すぐ後ろにリリア。
さらにエドガーとユリウス。
搬送台が長い列を作っているため、全体を見渡せる位置を意識していた。
ここまで来れば、第七観測区まで戻るだけだ。
そう考えたいところだが、どうにも胸の奥が落ち着かなかった。
理由はわかっている。
ユリウス・ベルンハルト。
あの男だ。
中央統括機構から暫定的な管理権限を与えられた研究者。
遺構の機能を解析し、研究施設の設備を作り上げた人物。
そして、俺を『観測対象一』として利用しようとしている男。
何かを企んでいることは間違いない。
だが、今のところ決定的な証拠がない。
いや、正確には違う。
証拠がないのではなく、目的がわからないのだ。
俺の身体能力やオーラに興味を持っていることは明らかだった。
だが、それだけのために、これほど大掛かりな施設を動かすだろうか。
しかも、中央統括機構から与えられた権限を使ってまで。
(……何か、別の目的がある)
俺は歩きながら、背後の気配を探った。
ユリウスのオーラは安定している。
不自然な膨張も、攻撃の兆候もない。
だが、それがかえって気味悪かった。
この男は、感情を表に出すことに慣れていないのではない。
感情を隠すことに慣れすぎている。
そんな印象があった。
「……アオ」
リリアが小声で呼んだ。
「どうした?」
「前の床、さっきと違う」
俺は足を止めた。
彼女が指差した場所を見る。
通路の中央に、細い青白い線が走っていた。
先ほど通ったときにはなかったものだ。
俺は凝を使った。
床の内部を、細いオーラの流れが走っている。
それ自体は、この遺構では珍しくない。
だが、今回は流れ方が違っていた。
床から壁へ。
壁から天井へ。
そして、再び床へ。
まるで、通路全体を囲むように循環している。
(……何かの装置が動いている?)
俺は搬送台を止めた。
「……統括機構」
『応答』
「この通路に、何か異常があるのか?」
少しの沈黙。
『現在、搬送経路の安全性を確認しています』
「……確認中?」
『一部区画において、管理命令の競合を検知』
俺は目を細めた。
「……誰の命令だ?」
『暫定管理権限による命令です』
俺は、ゆっくりと振り返った。
ユリウスが立っていた。
男は、俺の視線を受けても表情を変えなかった。
「……何をした?」
俺が尋ねると、ユリウスは穏やかに答えた。
「搬送経路の確認を」
「俺たちは、そんなことを頼んでいない」
「ええ。ですが、必要な作業です」
俺は男を見つめた。
「……勝手なことはするなと言ったはずだ」
「もちろん、覚えています」
「なら、なぜやった?」
ユリウスは、少しだけ笑った。
「……この先には、危険な区画がありますから」
俺は眉を寄せた。
「……危険?」
「ええ」
男は、通路の奥を見た。
「……あなたには、まだ見せていないものがあります」
俺は、静かに息を吸った。
嫌な予感がした。
◇
「……説明しろ」
俺はユリウスを見据えた。
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……この遺構には、中央統括機構とは別に、独立した管理領域が存在します」
俺は眉を寄せた。
「……独立した管理領域?」
「ええ。私たちが便宜上、『深層記録区画』と呼んでいる場所です」
俺は、少しだけ考えた。
中央統括機構。
医療設備室。
観測区。
そして、深層記録区画。
この遺構には、まだ俺たちが知らない場所があるらしい。
「……そこに何がある?」
ユリウスは首を横に振った。
「完全にはわかっていません」
「……またそれか」
俺は、思わず呟いた。
ユリウスは苦笑した。
「残念ながら、本当のことです」
俺は男を睨んだ。
「……なら、何のために行く?」
「……記録を確認するためです」
「何の記録だ?」
ユリウスは、少しだけ間を置いた。
「……この遺構が、なぜ建造されたのか。その詳細です」
俺は、黙った。
中央統括機構は、生命保護を目的とした施設だと説明した。
だが、なぜそのような施設が必要だったのか。
何から人々を守ろうとしていたのか。
その部分は、まだわかっていない。
確かに、調べる価値はある。
だが。
「……今じゃない」
俺は言った。
「先に救出を終わらせる」
ユリウスは、しばらく俺を見つめた。
「……あなたは、本当に頑固ですね」
「よく言われる」
俺は肩をすくめた。
「だが、今回は譲らない」
ユリウスは、少しだけ目を細めた。
そして。
「……では、少しだけ考え方を変えましょう」
俺は眉を寄せた。
「……何を?」
男は、静かに答えた。
「……あなたが救おうとしている人々の命と、私の研究は、必ずしも対立するものではありません」
俺は、しばらく黙っていた。
そして。
「……どういう意味だ?」
ユリウスは、ゆっくりと口を開いた。
「……この遺構の医療技術を完全に解明できれば、現代の医学では救えない人々を救えるかもしれません」
俺は、男を見た。
「……それは、わかる」
実際、この施設の技術は驚異的だ。
生命維持装置。
神経補助器具。
オーラ循環安定器。
どれも、現代の医学では再現が難しいものだろう。
だが。
「……だからって、人体実験をしていい理由にはならない」
俺は言った。
ユリウスは、少しだけ表情を変えた。
「……もちろんです」
「本当にそう思っているのか?」
男は、すぐには答えなかった。
俺は続けた。
「第七観測区にいた人間たちは、実験材料として扱われていた。零号もそうだ」
ユリウスは黙っている。
「……お前は、それを知っていたんだろう?」
男は、しばらく俺を見つめた。
そして。
「……ええ」
俺は、拳を握った。
「……止めようとはしなかったのか?」
「……私の研究部門とは、管轄が異なりました」
その言葉を聞いた瞬間、腹の底が冷たくなった。
管轄。
それだけか。
人間が苦しんでいることを知りながら、管轄が違うという理由で放置したのか。
「……お前」
俺は、一歩踏み出した。
だが、リリアがそっと腕に触れた。
「……アオ」
俺は、彼女を見た。
リリアは、静かに首を横に振った。
今は、ここで争うべきではない。
そう言いたいのだろう。
俺は、ゆっくりと息を整えた。
「……わかった」
そして、ユリウスへ視線を戻した。
「……今は、先へ進む」
男は、少しだけ頷いた。
「……賢明な判断です」
俺は、その言葉を無視した。
◇
通路を進むと、前方に広い空間が現れた。
円形の広場。
床には幾何学的な模様が刻まれ、中央には高さ二メートルほどの柱が立っている。
柱の表面には、細い文字がびっしりと刻まれていた。
俺は、足を止めた。
リリアも、周囲を見渡している。
「……ここ、さっき通った?」
「いや」
俺は首を横に振った。
医療設備室へ向かうとき、こんな場所は通っていない。
つまり、搬送経路が変わっている。
俺は、ユリウスを見た。
「……お前の仕業か?」
男は、少しだけ笑った。
「……正確には、統括機構の判断です」
「……どういう意味だ?」
「私が経路の安全確認を要求したところ、こちらの通路が選択されたのです」
俺は、周囲を見た。
確かに、危険な気配はない。
だが、何かがおかしい。
円を広げる。
五十メートル。
その範囲内に、複数の通路が存在している。
だが、どれも途中で途切れている。
壁の向こうへ続くはずの通路が、不自然に閉ざされていた。
(……閉じ込められた?)
俺は、すぐに統括機構へ呼びかけた。
「……ここから第七観測区へ戻る経路を示してくれ」
『要求を受理』
少しの沈黙。
『現在、経路を再構成しています』
俺は眉を寄せた。
「……どれくらいかかる?」
『未確定』
俺は、ユリウスを見た。
男は、穏やかに微笑んでいた。
その表情を見た瞬間、確信した。
これは偶然ではない。
「……ユリウス」
「はい」
「……お前、最初からここへ連れてくるつもりだったな?」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……ええ」
あっさりと認めた。
俺は、静かに拳を握った。
「……目的は?」
ユリウスは、中央の柱へ視線を向けた。
「……あなたに、見てもらいたいものがあるのです」
俺は、眉を寄せた。
「……何を?」
男は、ゆっくりと答えた。
「……この遺構の、真の価値を」
◇
ユリウスが柱へ近づいた。
俺は、すぐにその腕を掴んだ。
「……勝手に動くな」
男は、少しだけ驚いた顔をした。
「……警戒しすぎではありませんか?」
「お前が信用できないだけだ」
俺は答えた。
ユリウスは、苦笑した。
「……それは困りましたね」
俺は、男を柱から引き離した。
「……説明だけしろ」
ユリウスは、しばらく考えた。
そして。
「……この柱は、遺構の管理記録を閲覧するための端末です」
俺は、柱を見た。
確かに、表面には細い文字が刻まれている。
だが、今は光っていない。
「……何が記録されている?」
「……建造当初の情報です」
俺は、少しだけ考えた。
医療設備室で見た記録媒体と同じようなものだろうか。
「……統括機構」
俺は呼びかけた。
『応答』
「この柱は何だ?」
『記録閲覧端末です』
ユリウスの説明と一致している。
「……何が見られる?」
『施設の運用履歴および一部の建造記録』
俺は頷いた。
「……閲覧できるか?」
『可能』
俺は、少しだけ驚いた。
ユリウスの権限が必要なのかと思っていたが、そうではないらしい。
「……なら、見せてくれ」
『要求を受理』
柱の表面に、青白い光が灯った。
空中に、幾つもの文字が浮かび上がる。
だが、やはり読めない。
医療設備室で見たものと同じ文字体系だった。
俺は、統括機構へ尋ねた。
「……翻訳できるか?」
『一部のみ可能』
「……頼む」
文字が、ゆっくりと変化した。
だが、表示された内容は断片的だった。
『……生命保護……』
『……外部環境……』
『……帰還……』
『……封鎖……』
俺は、しばらく文字を見つめた。
医療設備室で見た記録と似ている。
だが、今回は少しだけ違う言葉があった。
封鎖。
何を封鎖したのか。
俺は、さらに詳しく尋ねようとした。
そのときだった。
ユリウスが、低く呟いた。
「……やはり、ここにも残っていましたか」
俺は、男を見た。
「……何が?」
ユリウスは、空中の文字を見つめていた。
「……私たちが探していた記録です」
俺は、眉を寄せた。
「……何のために?」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……この遺構の技術を、完全に再現するためです」
俺は、ユリウスを見つめた。
「……それが、お前の目的か?」
「ええ」
男は頷いた。
「……この遺構の技術は、現代の医学や工学を大きく変える可能性があります」
俺は黙って聞いた。
「……ですが、私たちはその一部しか理解できていません」
ユリウスは、柱へ視線を向けた。
「……中央統括機構の管理権限を完全に掌握できれば、すべての記録へアクセスできるはずです」
俺は、少しだけ考えた。
なるほど。
ユリウスが統括機構を停止させようとしていた理由。
それは、施設を破壊するためではない。
自分の管理下へ置くためだった。
「……それで、俺を利用するつもりだったのか?」
俺が尋ねると、ユリウスは頷いた。
「……あなたは、中央統括機構が特別な反応を示した唯一の人間です」
俺は、静かに息を吸った。
「……つまり、俺を鍵にするつもりか」
「……そういうことになります」
ユリウスは、穏やかに答えた。
俺は、男を見据えた。
「……断る」
ユリウスは、少しだけ目を細めた。
「……理由を聞いても?」
「……信用できないからだ」
俺は即答した。
「お前は、人体実験を知りながら放置した。収容者の命より研究を優先している」
男は黙った。
「そんな人間に、これほどの技術を自由に扱わせるわけにはいかない」
ユリウスは、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……残念です」
その声には、初めて明確な失望が滲んでいた。
◇
次の瞬間。
柱の表面に、赤い光が走った。
俺は、即座に身構えた。
ユリウスの右手首にある金属製の輪が、淡く光っている。
拘束具は外れていない。
だが、男のオーラが変化した。
これまで静かに保たれていた流れが、急激に膨張する。
(……来る!)
俺は、リリアへ叫んだ。
「下がれ!」
同時に、ユリウスの身体から細いオーラの糸が伸びた。
糸は、床へ。
壁へ。
そして、中央の柱へ繋がっていく。
俺は、すぐに動いた。
男の腕を掴んだまま、身体を捻る。
足を払う。
ユリウスの重心が崩れた。
だが。
男の身体は、倒れなかった。
床から伸びたオーラの糸が、身体を支えていた。
俺は目を細めた。
(……操作系か?)
いや、まだ断定できない。
糸そのものを具現化している可能性もある。
だが、少なくとも単純な肉体強化ではない。
俺は、男の腕をさらに捻った。
骨を折る寸前まで力を加える。
「……止めろ」
俺は低く言った。
ユリウスは、苦しそうに息を吐いた。
だが、その顔には笑みが残っていた。
「……申し訳ありません」
男は、静かに言った。
「……ですが、ここまで来て諦めるわけにはいかないのです」
その瞬間。
床の模様が、一斉に赤く光った。
俺は、反射的に後ろへ跳んだ。
ユリウスの腕を掴んだまま。
だが、足元から強い反発力が生じた。
俺の身体が、わずかに浮き上がる。
その隙に、ユリウスが腕を引いた。
拘束具が軋む。
俺は、力を緩めなかった。
だが、男の身体から伸びた糸が、床の内部へ潜り込んでいく。
そして。
赤い光が、通路全体へ広がった。
『警告』
中央統括機構の声が響く。
『暫定管理権限による不正操作を検知』
俺は、歯を食いしばった。
「……統括機構! こいつの権限を停止しろ!」
『要求を受理』
数秒の沈黙。
『権限停止処理を開始』
ユリウスが、低く笑った。
「……遅いですよ」
俺は、男を睨んだ。
「……何をした?」
ユリウスは、静かに答えた。
「……中央統括機構の制御経路を、一部切り離しました」
俺は、目を見開いた。
その瞬間。
床の赤い光が、さらに強まった。
壁の一部が動き始める。
天井から、低い唸りが響く。
俺は、リリアへ視線を向けた。
彼女は、搬送台のそばに立っていた。
四人の調査員。
二十三組の生命維持補助装置。
すべて、まだこの区画にある。
俺は、静かに息を吸った。
ここで戦えば、巻き込む危険がある。
だが、ユリウスを放置するわけにもいかない。
俺は、男の腕を掴んだまま、低く言った。
「……お前、何をするつもりだ?」
ユリウスは、ゆっくりと俺を見た。
その目には、狂気というより、長年積み重ねてきた執念が宿っていた。
「……私は、知りたいのです」
男は、静かに言った。
「……この遺構を造った者たちが、何を知っていたのか」
俺は、黙った。
「……なぜ、これほどの技術を持ちながら、歴史から姿を消したのか」
ユリウスは、赤く光る柱を見上げた。
「……そして、なぜ私たちは、その技術を受け継げなかったのか」
俺は、男を見据えた。
「……だから、人間を犠牲にするのか?」
ユリウスは、しばらく黙っていた。
そして。
「……必要な犠牲は、あるのです」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の中で、何かが決まった。
「……そうか」
俺は、男の腕を握る力を強めた。
「……なら、もう話すことはない」
ユリウスの目が、わずかに細くなった。
俺は、足元へオーラを集中させた。
床の赤い光が、さらに強まる。
だが、俺は動かなかった。
相手が何を仕掛けてくるのか。
どこへオーラを流しているのか。
それを、見極める。
ユリウスは、静かに笑った。
「……素晴らしい」
男は、低く呟いた。
「……やはり、あなたは最高の観測対象です」
俺は、冷たく答えた。
「……俺は、お前の実験材料じゃない」
次の瞬間。
床の赤い光が、一斉に弾けた。
中央環状区画に、激しい振動が走る。
そして。
ユリウスの身体から、無数のオーラの糸が伸びた。
俺は、拳を握った。
長い探索の末に辿り着いた中央管理区画。
その中心で。
ついに、研究者との戦いが始まろうとしていた。