流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第五十七話 命を守る機械――二十五人の救出

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷、地下深部。

 

 中央環状区画。

 

     ◇

 

 無数の赤い糸が、空間を埋め尽くしていた。

 

 天井から床へ。

 

 壁から柱へ。

 

 そして、ユリウス・ベルンハルトの身体から、周囲の構造物へ。

 

 凝を使った視界の中で、それらは蜘蛛の巣のように重なり合っていた。

 

 一本一本は細い。

 

 だが、そこを流れるオーラの量は尋常ではない。

 

 正確には、ユリウス自身のオーラだけではなかった。

 

 床や壁を循環する遺構のオーラが、糸を通じて流れ込んでいる。

 

(……やはり、そういう能力か)

 

 俺は構えを崩さず、男の動きを観察した。

 

 ユリウスは、右手をゆっくりと持ち上げた。

 

 拘束具の隙間から伸びる赤い光。

 

 その先に、何十本もの糸が繋がっている。

 

「『万象の接続者(リンク・マスター)』」

 

 男は、自分の能力名をもう一度口にした。

 

「私のオーラを媒介に、異なる機構同士を接続する能力です」

 

「……随分と便利そうだな」

 

「便利という言葉では足りません」

 

 ユリウスは、苦しそうに呼吸しながらも微笑んだ。

 

「本来は互いに干渉できない装置を繋ぎ、情報や力の流れを別の経路へ移すことができる。もちろん、条件はありますが」

 

 俺は床へ視線を落とした。

 

 赤い糸が接続されているのは、遺構のオーラが流れる場所ばかりだ。

 

 さっきの戦闘でも、接続先を失った途端に衝撃を逃がせなくなっていた。

 

「……接続先が必要なんだろ」

 

 俺が言うと、ユリウスは目を細めた。

 

「ご明察です」

 

「それも、何でもいいわけじゃない。流れを持つものか、仕組みを理解しているもの。違うか?」

 

 男の笑みが、わずかに薄れた。

 

 図星らしい。

 

「あなたの観察力には驚かされますね」

 

「褒めても何も出ないぞ」

 

 俺は足元へオーラを集中させた。

 

 ユリウスは右手を動かす。

 

 赤い糸が一斉に張った。

 

 次の瞬間、広場の壁から金属製の柱が突き出した。

 

 一本。

 

 二本。

 

 三本。

 

 それらは俺の逃げ道を塞ぐように配置されていく。

 

 同時に、床から赤い光の輪が立ち上がった。

 

(……拘束するつもりか)

 

 俺は横へ跳んだ。

 

 だが、着地する予定だった床が沈み込む。

 

 足場そのものを動かされた。

 

 空中で身体を捻る。

 

 近くの柱を蹴り、進路を変えた。

 

 赤い糸が頬を掠める。

 

 皮膚が薄く裂け、温かいものが流れた。

 

 俺は構わず前へ出た。

 

 ユリウスの顔が強張る。

 

「……その速度は、本当に人間のものですか」

 

「人間だよ」

 

 俺は短く答えた。

 

 そして、拳を振り抜いた。

 

 男の腹部へ。

 

 しかし、拳が届く寸前、赤い糸が幾重にも重なった。

 

 衝撃が分散する。

 

 床が震え、離れた壁から鈍い音が響いた。

 

 だが、完全には逃がせていない。

 

 ユリウスの身体が後方へ吹き飛んだ。

 

 白衣が裂け、男は床を転がった。

 

「……ぐ、はっ!」

 

 血の混じった息を吐く。

 

 俺は追撃しなかった。

 

 殺すつもりはない。

 

 だが、これ以上好き勝手に動かされるわけにもいかなかった。

 

「……終わりにしろ、ユリウス」

 

 俺は男を見下ろした。

 

「お前の研究のために、これ以上誰も犠牲にはさせない」

 

 ユリウスは、ゆっくりと顔を上げた。

 

 眼鏡の片方のレンズが割れている。

 

 それでも、男の瞳には執念が残っていた。

 

「……まだです」

 

 男は、震える右手を持ち上げた。

 

「私は……まだ、何も手に入れていない」

 

 その言葉と同時に、床の赤い光が一斉に強まった。

 

     ◇

 

 嫌な感覚がした。

 

 俺は円を広げた。

 

 五十メートル。

 

 広場の床。

 

 壁。

 

 通路。

 

 そして、隔壁の向こう。

 

 そこにいるリリアたちの気配が伝わってくる。

 

 四人の調査員。

 

 二十三組の生命維持補助装置。

 

 全員、無事だ。

 

 だが、広場の奥から流れ込んできたオーラが、別の方向へ伸びていた。

 

 第七観測区。

 

 その方角だ。

 

(……まさか)

 

 俺はユリウスを睨んだ。

 

「お前、何をした!」

 

 男は笑った。

 

「……中央統括機構は、あなたの命令を優先している」

 

 俺は黙った。

 

「ならば……その判断を変えればいい」

 

 赤い糸が、床の内部へ潜り込んでいく。

 

 俺は即座に動いた。

 

 ユリウスの右腕を掴み、床へ押しつける。

 

 そのまま肩関節を極めた。

 

「止めろ!」

 

 男が呻く。

 

 だが、糸の動きは止まらない。

 

 すでに命令を送り終えているらしい。

 

『警告』

 

 中央統括機構の声が響いた。

 

『第七観測区の生命維持系統に、外部からの干渉を検知』

 

 俺の背筋が冷えた。

 

「……統括機構! 生命維持を守れ!」

 

『保護処理を開始』

 

「間に合うのか!」

 

『一部の制御経路が遮断されています』

 

 俺は奥歯を噛んだ。

 

 ユリウスは、苦しそうに笑った。

 

「……あなたが協力してくだされば、すぐに復旧できますよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺は理解した。

 

 こいつは、第七観測区にいる二十五人の命を交渉材料にするつもりだ。

 

 自分が研究を続けるために。

 

 俺は、男の腕をさらに捻った。

 

 骨が軋む。

 

「……二度と言わせるな」

 

 低い声が出た。

 

「人の命を道具にするな」

 

 ユリウスの笑みが消えた。

 

 俺は左手で男の右手首を押さえた。

 

 金属製の端末。

 

 暫定管理権限を持つ装置。

 

 これを壊せば、接続は切れるかもしれない。

 

 だが、中央統括機構との連絡まで失われる危険がある。

 

 以前から、それが問題だった。

 

(……壊すんじゃない)

 

 俺は、端末と男の腕を繋ぐオーラの流れを凝で見た。

 

 細い糸が、皮膚の表面を這っている。

 

 端末へ直接繋がっているのではない。

 

 男のオーラを経由し、金属製の輪に触れている。

 

 ならば。

 

 俺は、ユリウスの腕を押さえたまま、周を使った。

 

 自分のオーラを指先へ集中させる。

 

 そして、男の手首を覆っていた糸を、一本ずつ断ち切った。

 

 糸が弾ける。

 

 赤い光が揺らいだ。

 

 ユリウスが目を見開く。

 

「……なっ!」

 

「お前の能力は、接続するためのものだ」

 

 俺は言った。

 

「だったら、接続を切ればいい」

 

 最後の糸を断ち切る。

 

 その瞬間。

 

 右手首の端末から、赤い光が消えた。

 

 広場全体に張り巡らされていた糸が、一斉に緩む。

 

 ユリウスの身体から、力が抜けた。

 

 俺は男を床へ押さえつけた。

 

「……終わりだ」

 

 ユリウスは、しばらく動かなかった。

 

 やがて、低く笑った。

 

「……本当に、素晴らしい」

 

 俺は答えなかった。

 

 男の両腕を背中へ回し、拘束具を締め直す。

 

 今度は、手首だけではない。

 

 肘。

 

 肩。

 

 そして、身体の動きそのものを制限する。

 

 さらに、男のオーラが再び端末へ伸びないよう、接続部分を外側から固定した。

 

 完全な絶を強制できるわけではない。

 

 だが、少なくとも今すぐ同じことはできないはずだ。

 

「……統括機構」

 

『応答』

 

「第七観測区はどうなっている?」

 

『外部干渉の停止を確認』

 

 俺は息を止めた。

 

『生命維持系統の安定化を実施中』

 

「……全員、生きているか?」

 

 数秒の沈黙。

 

『生命反応、二十五名』

 

 俺は、ようやく息を吐いた。

 

 間に合った。

 

 だが、安心するにはまだ早い。

 

「……リリア!」

 

 俺は隔壁の向こうへ声を張った。

 

「戻るぞ!」

 

「うん!」

 

 彼女の返事が響いた。

 

 俺はユリウスを立たせた。

 

 男は抵抗しなかった。

 

 ただ、どこか虚ろな目で中央の柱を見つめていた。

 

 その表情には、敗北の悔しさだけではない、別の感情が混じっているように見えた。

 

 だが、今は気にしなかった。

 

 俺たちには、まだ救わなければならない人たちがいる。

 

     ◇

 

 第七観測区へ戻る途中、俺はリリアから状況を聞いた。

 

「四人とも大丈夫。補助装置も全部無事だよ」

 

「助かった」

 

「ううん。アオが隔壁を止めてくれたから」

 

 リリアは、搬送台の列を振り返った。

 

 四人の調査員は、まだ眠っている。

 

 だが、呼吸は安定していた。

 

 俺は頷いた。

 

「……あの人たちも、地上へ連れて帰ろう」

 

「うん」

 

 彼女は、少しだけ笑った。

 

 その表情を見て、俺の胸の奥に残っていた緊張がわずかに和らいだ。

 

 だが、すぐに前方へ意識を戻す。

 

 通路の構造は、まだ完全には安定していない。

 

 中央統括機構が経路を再構成しているため、壁の一部が時折動いていた。

 

 俺は円を使い、周囲の変化を確認しながら進んだ。

 

 途中、ユリウスが口を開いた。

 

「……あなたは、なぜそこまで他人を救おうとするのですか」

 

 俺は振り返らなかった。

 

「……理由が必要か?」

 

「必要でしょう」

 

 男は、静かに続けた。

 

「あなたほどの力があれば、もっと多くのものを手に入れられる。名誉も、富も、知識も」

 

 俺は、少しだけ考えた。

 

 確かに、そうかもしれない。

 

 俺には、人並み外れた身体能力がある。

 

 念の才能もある。

 

 特殊な能力も持っている。

 

 その力を使えば、いろいろなことができるだろう。

 

 だが。

 

「……別に、全部欲しいわけじゃない」

 

 俺は答えた。

 

 ユリウスが黙る。

 

「俺は、目の前で助けられる人間を見捨てたくないだけだ」

 

 それは、立派な理想というほどのものではない。

 

 自分がそうしたいから、そうする。

 

 ただ、それだけだ。

 

「……理解できませんね」

 

 ユリウスが呟いた。

 

 俺は肩をすくめた。

 

「理解しなくていい」

 

 そして、歩き続けた。

 

     ◇

 

 第七観測区へ戻ると、ミレーヌが真っ先に駆け寄ってきた。

 

「アオ!」

 

「ミレーヌさん」

 

 彼女は、俺たちの後ろに続く搬送台を見た。

 

 四人の調査員。

 

 そして、大量の医療機材。

 

 その表情が、驚きから安堵へ変わる。

 

「……見つけたのね」

 

「はい。四人とも生きています」

 

 ミレーヌは、ゆっくりと頷いた。

 

「……よかった」

 

 その声には、深い安堵が滲んでいた。

 

 彼女にとっても、調査員たちの救出は大きな目的だったのだろう。

 

 俺は、周囲を見渡した。

 

 レオンが警戒を続けている。

 

 ガルドは、第七観測区の入口付近に立っていた。

 

 そして、部屋の奥。

 

 二十三基の生命維持装置が、淡い光を放っている。

 

 その中には、まだ二十三人の人間が眠っていた。

 

 俺は、静かに拳を握った。

 

「……始めましょう」

 

 ミレーヌが頷いた。

 

「ええ」

 

 エドガーが、医療機材へ近づいた。

 

 俺は、その肩を掴んだ。

 

「……お前には作業をしてもらう」

 

 男は、緊張した表情で頷いた。

 

「……はい」

 

「ただし、勝手な操作は許さない」

 

「承知しています」

 

 俺は、中央統括機構へ呼びかけた。

 

「……統括機構」

 

『応答』

 

「第七観測区の二十三人を、全員救出したい」

 

『要求を受理』

 

「……必要な手順を示してくれ」

 

『生命維持補助装置の接続を開始してください』

 

 俺は頷いた。

 

 そして、リリアへ視線を向けた。

 

「……頼む」

 

「うん」

 

 彼女は、すぐに動き始めた。

 

     ◇

 

 最初に取りかかったのは、比較的状態が安定している収容者だった。

 

 中央統括機構の指示に従い、携帯型補助装置を接続する。

 

 エドガーが生命維持装置の設定を確認し、リリアが搬送台を準備する。

 

 ミレーヌは、作業全体を監督していた。

 

 俺は、収容者の身体を支える役目を引き受けた。

 

 最初の一人。

 

 透明な容器の内部で眠っていた若い男が、ゆっくりと外へ運び出される。

 

 呼吸は安定している。

 

 脈も正常だ。

 

 携帯型補助装置が、淡い光を放っていた。

 

『移送完了』

 

 統括機構の声が響く。

 

 俺は、男を搬送台へ寝かせた。

 

 そして、次の容器へ向かった。

 

 二人目。

 

 三人目。

 

 四人目。

 

 作業は、想像していたよりも慎重さを必要とした。

 

 生命維持装置を切り替える際、わずかなオーラの乱れが生じる。

 

 それを見逃せば、収容者の身体へ負担がかかる。

 

 俺は凝を使い、オーラの流れを確認した。

 

 必要に応じて、エドガーへ指示を出す。

 

「……流れが強すぎる。少し下げろ」

 

「……はい」

 

「そっちは逆だ。補助装置の出力を上げてくれ」

 

「……わかりました」

 

 エドガーは、黙って従った。

 

 男の顔には、疲労が浮かんでいた。

 

 だが、手を止めることはなかった。

 

 自分が関わった実験の被害者たちを、今度は救うために働いている。

 

 それで罪が消えるわけではない。

 

 だが、少なくとも今は、必要なことをしてもらうしかなかった。

 

     ◇

 

 十人目を救出したところで、問題が起きた。

 

 十三番の容器。

 

 複雑なオーラ循環補助を受けていた女性だ。

 

 携帯型装置へ切り替えた瞬間、オーラの流れが乱れた。

 

「……出力が落ちています!」

 

 エドガーが叫んだ。

 

 俺は、すぐに凝を使った。

 

 女性の身体を巡るオーラが、途中で途切れかけている。

 

 人工的な循環経路に依存していた部分だ。

 

「……切り替えを止めろ!」

 

 俺は叫んだ。

 

 エドガーが操作する。

 

 だが、流れは安定しない。

 

 女性の呼吸が浅くなる。

 

 俺は、奥歯を噛んだ。

 

(……まずい)

 

 ここで無理に装置を外せば、命に関わる。

 

 だが、元の装置へ戻しても、完全に安定する保証はない。

 

 俺は、すぐに統括機構へ呼びかけた。

 

「……補助経路を増やせるか!」

 

『可能』

 

「……やってくれ!」

 

『追加補助経路を形成』

 

 携帯型装置の表面に、新しい光の線が走った。

 

 女性の身体へ流れ込むオーラが、少しずつ安定していく。

 

 俺は、その流れを見つめた。

 

 数秒。

 

 十秒。

 

 二十秒。

 

 やがて、女性の呼吸が落ち着いた。

 

『生命維持状態、安定』

 

 俺は、ようやく息を吐いた。

 

 リリアが、隣で小さく呟いた。

 

「……よかった」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

 だが、まだ終わりではない。

 

 残りの収容者も、同じような問題を抱えているかもしれない。

 

 俺は、作業の速度を落とした。

 

 急ぐことより、確実に救うことを優先する。

 

 それが、今できる最善の判断だった。

 

     ◇

 

 時間が過ぎていった。

 

 十五人。

 

 十八人。

 

 二十人。

 

 救出した収容者たちが、搬送台へ並べられていく。

 

 全員、携帯型補助装置に支えられながら呼吸を続けていた。

 

 俺は、一人ずつ状態を確認した。

 

 そのたびに、胸の奥にあった重いものが少しずつ軽くなっていく。

 

 そして。

 

 二十三人目。

 

 最後の容器が開いた。

 

 中にいたのは、まだ若い女性だった。

 

 顔色は悪い。

 

 だが、呼吸は安定している。

 

 俺は、慎重に身体を支えた。

 

 リリアが、搬送台を近づける。

 

 エドガーが補助装置を確認する。

 

 ミレーヌが、全体の状態を見渡した。

 

 そして。

 

『移送完了』

 

 中央統括機構の声が響いた。

 

 俺は、女性を搬送台へ寝かせた。

 

 その瞬間。

 

 身体の奥から、力が抜けるような感覚があった。

 

「……終わった」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 リリアが、隣で頷いた。

 

「……うん」

 

 彼女の目には、涙が浮かんでいた。

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「……全員、助けられたな」

 

「うん……!」

 

 リリアは、何度も頷いた。

 

 俺は、周囲を見渡した。

 

 二十三人。

 

 そして、最初に救出した一人。

 

 さらに、零号。

 

 合計二十五人。

 

 全員、生きている。

 

 俺は、ようやく深く息を吐いた。

 

     ◇

 

 零号は、まだ意識を取り戻していなかった。

 

 巨大な身体が、床に横たわっている。

 

 呼吸は安定している。

 

 だが、長期間の強制制御による負担は大きい。

 

 俺は、そばへしゃがんだ。

 

 その身体を見つめる。

 

 人間離れした体格。

 

 異常な筋肉の発達。

 

 そして、身体の各所に残る古い傷痕。

 

 この男が、どれほど過酷な実験を受けてきたのか。

 

 想像するだけで、胸が重くなった。

 

「……もう大丈夫だ」

 

 俺は、小さく呟いた。

 

「……お前を、ここから連れ出す」

 

 零号は、何も答えなかった。

 

 だが、呼吸は続いている。

 

 それだけで十分だった。

 

 俺は立ち上がった。

 

 そして、ミレーヌへ視線を向けた。

 

「……全員、移送できますか?」

 

 ミレーヌは、搬送台を見渡した。

 

「……時間はかかるけど、可能よ」

 

 俺は頷いた。

 

「……なら、地上へ戻りましょう」

 

 彼女は、少しだけ笑った。

 

「ええ」

 

 俺は、リリアを見た。

 

「……帰り道、頼めるか?」

 

 彼女は銀色の羅針盤を取り出した。

 

 針が、ゆっくりと回転する。

 

「……うん。確認してみる」

 

 俺は頷いた。

 

 だが、そのときだった。

 

 中央統括機構の声が響いた。

 

『通知』

 

 俺は、顔を上げた。

 

『第七観測区の生命維持対象、移送準備完了』

 

「……ああ」

 

『本施設の保護機能を、通常運用へ移行できます』

 

 俺は、少しだけ眉を寄せた。

 

「……通常運用?」

 

『外部からの不正干渉を遮断し、生命保護機能を優先する状態です』

 

 俺は、しばらく考えた。

 

 それなら、悪い話ではない。

 

 だが、確認すべきことがある。

 

「……その状態にすれば、研究者たちは勝手に操作できなくなるのか?」

 

『暫定管理権限の無効化が必要です』

 

 俺は、ユリウスを見た。

 

 男は、レオンの監視下で拘束されている。

 

 その顔には、疲労と諦めが浮かんでいた。

 

 俺は、中央統括機構へ向き直った。

 

「……無効化できるか?」

 

『可能』

 

「……なら、やってくれ」

 

 数秒の沈黙。

 

『権限無効化処理を開始』

 

 俺は、静かに息を吸った。

 

 これで、ようやく終わりが見えてきた。

 

 だが、まだ最後の仕事が残っている。

 

 この遺構を、安全な状態にすること。

 

 そして、全員を地上へ連れ帰ることだ。

 

 俺は、搬送台に並ぶ人々を見渡した。

 

 彼らは、まだ眠っている。

 

 だが、もう実験材料ではない。

 

 守られるべき、一人一人の人間だ。

 

 俺は、その光景を胸に刻んだ。

 

 そして、リリアへ声をかけた。

 

「……行こう」

 

 彼女は頷いた。

 

「うん」

 

 俺たちは、長い地下探索の終わりへ向けて、歩き始めた。

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