流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷、地下深部。
◇
人間の命は、数字で数えることができる。
だが、その数字の一つ一つに顔があり、名前があり、これまで生きてきた時間があるのだと考えれば、話はそう単純ではなくなる。
俺の目の前には、二十九人の人間が横たわっていた。
二十三人の被験者は、長い間閉じ込められていた培養槽から、ようやく解放されたばかりだ。
そのほかに、以前救出した一人の被験者と、巨大な身体を持つ零号。そして、中央区画で発見した四人の調査員がいる。
被験者二十五人、調査員四人。
全員、生きている。
だが、二十九人のほとんどは自力で歩ける状態ではなかった。携帯型の生命維持補助装置に繋がれ、古代の搬送台の上で眠っている。
さらに、連れて帰らなければならない人間は彼らだけではない。
ユリウス・ベルンハルト。
エドガー・ヴァイス。
そして、以前の戦闘で拘束した三人の念能力者の警備員。
合計五人の拘束者だ。
三人の警備員は、今も拘束された状態で壁際に寝かされている。戦闘で意識を失ったあと、時折反応を見せるようになっていたが、まだまともに動ける状態ではない。
とはいえ、念能力者である以上、油断は禁物だ。
レオンとガルドが交代で監視を続けていた。
俺は、部屋の中央に浮かぶ立体図へ視線を戻した。
青白い光で描かれた遺構の内部構造。
複雑に入り組んだ通路。
無数の隔壁。
そして、各所で点滅する赤い警告表示。
「……これは、厄介ね」
ミレーヌが低く呟いた。
彼女の視線の先では、地上へ通じる三本の主要昇降路が、すべて赤く表示されていた。
「統括機構。どうして全部使えないんだ?」
『第一昇降路は動力供給が不安定です。第二昇降路は構造破損により使用不能。第三昇降路は外部管理権限の無効化に伴い、安全確認が必要となっています』
「安全確認にはどれくらいかかる?」
『推定不能』
俺は眉を寄せた。
時間がない。
二十五人の被験者は、携帯型補助装置によって生命を維持している。装置そのものは優秀だが、無制限に稼働するわけではなかった。
「エドガー。補助装置の残り稼働時間は?」
拘束された研究者が顔を上げた。
「通常の患者であれば、十二時間程度です。しかし、状態が不安定な患者は消費が激しく……」
「四番と十三番か」
「……はい。四番は七時間ほど、十三番は六時間程度と考えられます」
俺は腕を組んだ。
六時間。
これほど大勢を連れて、複雑な地下施設を移動するには決して長くない。
「途中で再充填はできるのか?」
『中央医療区画および各中継補助室に、再供給設備が存在します』
中央統括機構の返答に、わずかな希望が見えた。
だが、地上への経路が確保できなければ意味がない。
そのときだった。
「アオ。ちょっと見て」
隣で銀色の羅針盤を確認していたリリアが、立体図の端を指差した。
「ここ。前に通った道なんだけど、覚えてる?」
彼女が示したのは、中央区画から離れた外縁部の通路だった。
俺は記憶を辿る。
古い配管が並び、壁面の照明がほとんど消えていた場所。
確か、途中に大きな整備用の扉があったはずだ。
「ああ。覚えてる」
「その先に、昇降路みたいな縦穴があったと思うの」
俺は立体図を見直した。
そこには、主要昇降路とは別の細い縦線が描かれている。
「統括機構。外縁整備区画に、独立した昇降路はあるか?」
『存在します』
立体図の一部が拡大された。
『旧式物資搬送用昇降機。中央制御系統から独立しています』
「稼働状態は?」
『長期間使用されていないため、不明です』
確実とは言えない。
だが、ほかに有力な選択肢もなかった。
俺はミレーヌへ視線を向けた。
「整備用昇降路を目指しましょう」
「そうね。途中で補助装置を再充填できれば、時間にも余裕ができる」
彼女は頷き、すぐに全員へ指示を出し始めた。
俺たちは、搬送の準備に取りかかった。
◇
出発前に、まず拘束者たちの状態を確認した。
ユリウスは両腕を背中側で固定され、右手首の管理端末も取り外されている。
エドガーも拘束されたままだが、医療機器の操作が必要なときだけ、レオンの監視下で手を使えるようにする予定だった。
問題は、三人の警備員だった。
全員が念能力者であり、しかも実戦経験を持つ。
現在は意識が不明瞭とはいえ、いつ回復するか分からない。
俺は三人の前へしゃがみ、凝でオーラの状態を確認した。
生命反応は安定している。
身体の周囲には、弱いオーラが残っていた。
「……念を使える程度には回復してきてるな」
レオンが頷いた。
「だからこそ、拘束を緩めるわけにはいかん」
三人の手首と足首には、それぞれ頑丈な拘束具が取り付けられていた。さらに、身体を搬送台へ固定するための帯も用意してある。
「拘束具だけで大丈夫ですか?」
「完全ではない。念能力者に絶対安全な拘束など、そう簡単にはできん」
レオンは、三人のうち一人を見下ろした。
「だが、能力の発動条件を警戒し、身体の自由を奪い、常に監視する。今できる対策を重ねるしかない」
俺は頷いた。
相手が念能力者である以上、意識がないからといって無防備にしておくわけにはいかない。
「じゃあ、三人は一台ずつ別の搬送台に固定しましょう。念能力の発動を確認したら、すぐ対応できるように」
「了解した」
ガルドが三人を順番に持ち上げ、用意した搬送台へ寝かせた。
俺は拘束の状態を確認する。
手首。
足首。
胴体。
首や胸を圧迫していないかも確かめた。
拘束者とはいえ、死なせていい理由にはならない。
最後に、三人の意識状態を記録した。
全員、生存。
重篤な外傷なし。
念能力の使用には警戒が必要。
これで、搬送の準備は整った。
「……全員の人数を確認するわ」
ミレーヌが声を上げた。
俺たちは、搬送列の周囲へ集まった。
「被験者二十五人。調査員四人。拘束者五人。そして、私たち五人」
ミレーヌは一人ずつ確認していく。
「合計三十九人」
俺は頷いた。
三十九人。
誰一人、地下へ置き去りにはしない。
「……行きましょう」
ミレーヌの言葉を合図に、搬送列が動き始めた。
◇
遺構の内部は、来たときとは違う顔を見せていた。
壁面を走っていた青白い光は弱まり、ところどころで赤い警告灯が点滅している。
遠くから聞こえる低い金属音。
天井の奥で何かが動く振動。
そして、冷たい空気に混じる、古い機械油のような匂い。
施設全体が、長い眠りへ戻ろうとしているようだった。
俺とガルドが先頭に立ち、通路の安全を確認する。
リリアは銀色の羅針盤を使い、以前通った経路との一致を確かめていた。
ミレーヌは患者の状態を管理し、レオンは拘束者の監視を担当する。
エドガーは、医療機器の異常があればすぐに報告するよう命じられていた。
ユリウスは、搬送列の中央を歩かされている。
三人の警備員は、拘束されたまま専用の搬送台で運ばれていた。
しばらくは、順調だった。
だが、三十分ほど進んだところで、最初の障害にぶつかった。
通路を塞ぐ巨大な隔壁。
天井から落ちた配管が絡みつき、半ば床へ埋まっている。
「……こいつは面倒だな」
ガルドが低く唸った。
俺は、隔壁の厚さを確認した。
三十センチほど。
普通の人間なら、重機がなければ動かせないだろう。
「……二人で持ち上げますか」
俺が言うと、ガルドは笑った。
「おう。久しぶりに力仕事らしい力仕事だ」
まず、周囲の配管を調べる。
中央統括機構に確認したところ、すでに停止した冷却系統らしい。
俺は周で強化したナイフを使い、絡みついた配管を切断した。
金属が裂ける甲高い音が響く。
ガルドが隔壁の端へ手をかける。
俺も反対側へ回った。
「……せーの!」
二人で力を込める。
重い金属板が、ゆっくりと持ち上がった。
腕に強烈な負荷がかかる。
だが、まだ耐えられる。
「リリア! 搬送台を通してくれ!」
「分かった!」
彼女はすぐに動いた。
まず、状態の不安定な患者から通す。
続いて、ほかの被験者たち。
調査員。
そして、拘束した三人の警備員。
三人は搬送台に固定されたまま、レオンの監視下で通過した。
最後に、ユリウスとエドガーが続く。
全員が通り抜けるまで、俺とガルドは隔壁を支え続けた。
最後の一人が通過したのを確認してから、ゆっくりと金属板を下ろす。
鈍い衝撃が床を伝わった。
「……ふう」
ガルドが額の汗を拭った。
「なかなか骨が折れるな」
「本当に」
俺は腕を軽く回した。
力仕事なら慣れているつもりだったが、これほど重いものを長時間支えるのはさすがに堪える。
だが、全員が無事に通過できた。
それだけで十分だった。
◇
一時間ほど進んだところで、最初の中継補助室へ到着した。
部屋の中央には、古い医療用の台座が並んでいる。
壁面には、読めない文字が刻まれていた。
俺たちは、携帯型生命維持補助装置を順番に接続した。
青白い光が流れ込み、装置の蓄積量が少しずつ回復していく。
特に四番と十三番の患者については、エドガーと中央統括機構の両方に状態を確認させた。
「……十三番の循環は?」
「安定しています。ただし、移送中の振動には注意が必要です」
「四番は?」
「こちらも問題ありません。補助装置の出力を少し調整しました」
俺は頷いた。
「勝手な変更はするなよ。必ず統括機構にも確認させろ」
「……承知しています」
エドガーは、素直に頭を下げた。
その姿を見ても、俺の中にあった不信感が消えることはなかった。
この男が人体実験に関わっていた事実は変わらない。
今、患者を救うために働いているからといって、過去の罪が帳消しになるわけではないのだ。
俺は、少し離れた場所へ視線を向けた。
ユリウスは、壁際に座らされている。
レオンが監視する三人の警備員も、近くの搬送台に固定されていた。
そのうちの一人が、わずかに身じろぎした。
俺は、すぐに近づいた。
「……意識が戻ったか?」
男の瞼が、薄く開いている。
視線が定まっていない。
だが、こちらを認識しているようだった。
「……ここは……」
掠れた声。
「移動中だ」
俺は短く答えた。
「お前たちも地上へ連れて帰る」
男の表情が変わった。
警戒。
困惑。
そして、恐怖。
「……研究所は……」
「もう終わりだ」
俺は、男を見下ろした。
「ユリウスもエドガーも拘束した。お前たちについても、地上で正式に調べてもらう」
男は、何かを言いかけた。
だが、言葉にならなかった。
俺は、レオンへ視線を向けた。
「……この人、意識が戻りかけています」
「分かった。監視を強めよう」
俺は頷いた。
念能力者が意識を取り戻すのは、危険が増えるということでもある。
だが、だからといって、必要以上に傷つけるつもりはなかった。
彼らが何をしてきたのか。
どこまで事件に関わっていたのか。
それを明らかにするのは、地上へ戻ってからだ。
◇
休憩中、俺はリリアの隣へ腰を下ろした。
彼女は銀色の羅針盤を膝に置き、地図と見比べていた。
「疲れたか?」
「少しね」
リリアは肩を回した。
「でも、まだ大丈夫」
「無理するなよ」
「それ、アオに言われたくないな」
俺は返す言葉に詰まった。
彼女は小さく笑った。
「さっきから、ずっと前に出てるでしょ」
「……まあ、俺が一番動けるからな」
「だからって、疲れないわけじゃないよ」
そう言って、彼女は水筒を差し出してきた。
俺は受け取り、一口飲んだ。
冷たい水が喉を通る。
思っていた以上に、身体が水分を欲していた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
水筒を返すと、リリアは少しだけ表情を和らげた。
俺は、搬送台に横たわる人々を見つめた。
二十九人の救出者たち。
そのほとんどは、まだ眠っている。
彼らは、自分たちが救出されたことを知らない。
目を覚ましたとき、どんな反応をするのだろう。
喜ぶ人もいるだろう。
恐怖で混乱する人もいるかもしれない。
失われた時間を知り、怒りや悲しみを抱く人だっているはずだ。
俺たちができるのは、彼らを地上へ連れ帰るところまでだ。
その先の人生を取り戻すには、もっと多くの人間の力が必要になる。
「……アオ?」
リリアの声で、思考が途切れた。
「どうしたの?」
「いや」
俺は首を振った。
「地上に戻ったら、やることが山ほどあるなって」
「そうだね」
彼女は、搬送台の列へ目を向けた。
「でも、今は帰ることだけ考えよう」
「……そうだな」
俺は頷いた。
そのとき、部屋の奥で小さな電子音が鳴った。
『通知』
中央統括機構の声だった。
『中継補助室の再供給処理が完了しました』
俺は立ち上がった。
「よし。出発しよう」
◇
二つ目の障害は、旧式整備区画へ入る直前に待っていた。
通路の床が、大きく裂けていた。
幅は、およそ四メートル。
下には暗い空洞が広がっている。
底は見えなかった。
搬送台には短い段差を越える機能があるが、これほどの距離を飛び越えることはできない。
「……橋が必要ね」
ミレーヌが呟いた。
俺は周囲を見渡した。
壁には、古い整備用の足場が折り畳まれている。
金属製の板が、何枚も重なっていた。
「……あれ、使えないかな」
俺が指差すと、ガルドが頷いた。
「試す価値はある」
俺たちは壁へ近づいた。
足場は、長い年月の間に固着しているようだった。
手動の操作盤は動かない。
だが、構造自体は残っている。
俺は凝を使い、内部のオーラの流れを確認した。
ほとんど動いていない。
つまり、今はただの金属の塊だ。
「……外せそうだな」
俺は、固定具へ手を伸ばした。
そのときだった。
背後から、ユリウスの声が聞こえた。
「……その足場は、荷重に耐えられませんよ」
俺は振り返った。
男は、レオンに監視されながらこちらを見ていた。
「……理由は?」
「旧式の構造材です。表面は健全に見えても、内部の結合が劣化している可能性が高い」
俺は、金属板を見た。
確かに、表面には細かい亀裂が走っている。
「……じゃあ、別の方法があるのか?」
「あります」
ユリウスは、通路の天井を見上げた。
「あの梁です。中央の支持材を利用すれば、荷重を分散できます」
俺は、男の視線を追った。
天井には、太い金属製の梁が何本も走っている。
そのうちの一本は、亀裂の向こう側まで続いていた。
「……なるほど」
俺は少し考えた。
ユリウスの言葉を無条件に信じるわけにはいかない。
だが、構造を確認すれば、使えるかどうかは判断できる。
「統括機構。あの梁の状態は?」
『構造強度、許容範囲内』
「搬送台の重量に耐えられるか?」
『補助支持を追加した場合、可能です』
俺は頷いた。
そして、ユリウスを見た。
「……情報は助かった」
男は、少しだけ目を細めた。
「私は、ここで死ぬつもりはありませんから」
「俺もだ」
俺は、それだけ答えた。
その後、俺たちは天井の梁を利用して仮設の橋を作った。
金属板を固定し、周囲の支持材で補強する。
ガルドが強度を確認し、俺が実際に渡ってみる。
問題はなかった。
それでも、搬送台を通すときは慎重に進めた。
一台ずつ。
ゆっくりと。
下から吹き上げる冷たい風が、衣服を揺らす。
遠くで、水滴の落ちる音がした。
暗闇の底には、何があるのだろう。
考えても仕方がない。
俺は、目の前の搬送台へ意識を集中させた。
まず、状態の不安定な患者たち。
続いて、ほかの被験者と調査員。
三人の警備員を乗せた搬送台も、一台ずつ慎重に渡した。
その際、レオンが常に近くで監視を続けていた。
途中、警備員の一人が再び身じろぎしたが、拘束が緩むことはなかった。
最後に、ユリウスとエドガーを渡らせる。
全員が通過したことを確認してから、俺たちも橋を渡った。
「……人数確認をお願いします」
俺が言うと、ミレーヌが全員を確認した。
「被験者二十五人、調査員四人、拘束者五人。全員いるわ」
俺は頷いた。
その言葉が、何よりも心強かった。
◇
旧式整備区画は、中央区画とは明らかに雰囲気が違っていた。
壁の装飾は少なく、設備は実用性を重視した造りになっている。
太い配管。
剥き出しの支持材。
古い作業台。
そして、長い年月の間に積もった埃。
ここは、かつて遺構を維持していた人々が働いていた場所なのだろう。
俺は、壁際に並ぶ棚へ目を向けた。
その中には、見慣れない形の工具や、金属製の容器が残されている。
ほとんどは劣化していた。
だが、一部の保管庫には、まだ淡い光が灯っていた。
「……統括機構」
『応答』
「この区画には、何が保管されている?」
『整備用資材、予備部品、特殊伝導素材などです』
「特殊伝導素材?」
『生命維持設備および観測機構に使用される、高安定性の伝導媒体です』
俺は、足を止めた。
壁際の保管庫に、三つの小さな容器が並んでいた。
透明な外装の向こうに、深紅の結晶が見える。
大きさは、鶏卵ほど。
その内部には、細い金色の筋が走っていた。
光を当てたわけでもないのに、結晶の奥で微かな輝きが揺らめいている。
「……何だ、これ」
俺は思わず呟いた。
リリアが隣へ来た。
「綺麗な石だね」
「ああ」
俺は、凝を使った。
すると、結晶の内部に、奇妙なオーラの流れが見えた。
外から流れ込んでいるわけではない。
結晶そのものが、長い時間をかけて蓄えたものを保持しているようだった。
しかも、その流れは驚くほど安定している。
(……こんな素材があるのか)
俺は、しばらく見入ってしまった。
「統括機構。この石は?」
『特殊伝導鉱物。登録名称――深紅の星髄石』
「……深紅の星髄石」
聞いたことのない名前だった。
『本施設の建造時に搬入された素材です。現存数、三個』
「今も使われているのか?」
『否。現在は予備資材として保管されています』
「……そうか」
俺は、保管庫から視線を離した。
興味はある。
だが、今は患者を地上へ運ぶことが先だ。
それに、勝手に持ち出すわけにもいかない。
「……あとで、調査資料として確認してもらおう」
俺が言うと、リリアが頷いた。
「うん。ミレーヌさんにも伝えておこう」
俺たちは、再び歩き始めた。
背後の保管庫では、三つの深紅の結晶が、静かに輝いていた。
◇
整備用昇降路に到着したのは、それから一時間ほど後だった。
巨大な縦穴が、暗闇の中へ伸びている。
中央には、古い物資搬送用の昇降台が設置されていた。
幅は十分にある。
だが、搬送対象は三十九人。
そのうち二十九人は救出者であり、三人の警備員も搬送台に固定されている。
全員を一度に運ぶことはできない。
「……統括機構。この昇降機は動くのか?」
『旧式昇降機の動力系統を確認中』
数秒後。
『主動力は停止しています』
俺は、顔をしかめた。
「……やっぱりか」
『ただし、補助動力系統は使用可能です』
「本当か?」
『肯定』
俺は、思わず笑った。
「……それは助かる」
だが、続く言葉で笑みが消えた。
『補助動力による上昇運転可能回数は、最大三回です』
三回。
俺は、昇降台の広さを確認した。
患者の搬送台。
警備員を固定した搬送台。
そして、護衛と研究者たち。
適切に分ければ、三回で運べる可能性はある。
ただし、失敗は許されない。
「……一回あたり、何台載せられる?」
『標準生命維持搬送台の場合、最大十二台。ただし、搭乗者および補助機材の重量により変動します』
俺は、ミレーヌたちと相談した。
まず、状態の不安定な患者を優先する。
四番と十三番を含む被験者十二人を第一便へ。
付き添いはミレーヌ。
第二便には、残りの被験者十二人と四人の調査員を乗せる。搬送台の規格が異なるため、実際の配置は統括機構に計算させた。
そして、第三便。
零号。
拘束した三人の警備員。
ユリウスとエドガー。
俺、レオン、ガルド。
リリアは第二便に乗り、上層区画で患者たちの受け入れを手伝うことになった。
ただし、第一便と第二便に乗る患者の数が多い。
俺は、統括機構へ確認した。
「……この配置で重量制限は大丈夫か?」
『第一便、許容範囲内』
『第二便、許容範囲内』
『第三便、許容範囲内』
俺は頷いた。
「……よし」
最後に、三人の警備員の拘束を再確認した。
意識を取り戻しかけている一人は、こちらの動きを目で追っていた。
残りの二人は、まだ反応が鈍い。
「……逃げようなんて考えるなよ」
俺は、目を開けている男へ声をかけた。
「地上へ出たら、正式な調査を受けてもらう。ここで暴れても、誰の得にもならない」
男は、しばらく俺を見つめていた。
やがて、視線を逸らした。
返事はなかった。
だが、今のところ抵抗する様子もない。
俺はレオンへ頷いた。
「……お願いします」
「任せろ」
準備が整った。
俺たちは、慎重に搬送を始めた。
◇
第一便は、無事に上層区画へ到着した。
昇降台がゆっくりと上昇し、暗い縦穴の中へ消えていく。
俺は、下からその様子を見守っていた。
数分後。
『第一便、上層区画へ到着』
統括機構の声が響いた。
俺は、ようやく息を吐いた。
続いて、昇降台が戻ってくる。
第二便。
残りの被験者と調査員たちが乗り込む。
リリアが付き添い、ミレーヌが上層で受け入れる。
俺は、最後まで下層に残ることにした。
ユリウスとエドガー。
三人の警備員。
レオンとガルド。
そして、零号。
最後の便には、俺たちが乗る。
昇降台が上昇していくのを見送りながら、俺は壁へ背を預けた。
長い一日だった。
いや、正確には、地下へ入ってからずっと気を張り続けている。
身体はまだ動く。
だが、疲労がないわけではない。
念を使い続けた負担もある。
俺は、拳を握った。
指先に、わずかな震えがあった。
(……地上に戻ったら、少し休みたいな)
そんなことを考えたときだった。
床が、低く震えた。
俺は顔を上げた。
天井の奥から、重い音が響いてくる。
まるで、巨大な扉が閉じるような音だった。
「……何だ?」
『通知』
中央統括機構の声が響いた。
『暫定管理権限の無効化が完了しました』
俺は、目を細めた。
『施設全体の保護封鎖処理を開始します』
「……封鎖?」
『外部からの不正干渉を防止するため、主要区画を順次隔離します』
俺は、すぐに問い返した。
「待て。俺たちがまだ中にいる」
『認識しています』
「なら、封鎖は後にできないのか?」
『一部の区画では、すでに自動隔離が進行しています』
俺は、奥歯を噛んだ。
中央統括機構が悪意を持っているわけではない。
むしろ、施設を守るための処理だ。
だが、今はタイミングが悪すぎる。
「……統括機構。俺たちの脱出を優先しろ」
『生命保護命令を優先します』
「だったら、昇降機を止めるな」
『了解』
俺は、昇降路を見上げた。
遠くで、昇降台が上層へ到着する音がした。
数秒後。
『第二便、上層区画へ到着』
俺は、胸を撫で下ろした。
あとは、最後の便だけだ。
◇
昇降台が戻ってきた。
俺たちは、急いで零号を搬送台ごと乗せた。
続いて、三人の警備員を乗せた搬送台。
それぞれの拘束具を、レオンが確認する。
意識を取り戻しかけていた警備員が、周囲を見渡した。
「……どこへ……」
「地上だ」
レオンが答えた。
「大人しくしていろ」
男は、唇を噛んだ。
だが、抵抗しなかった。
ユリウスとエドガーも乗り込む。
最後に、俺とガルドが昇降台へ足を踏み入れた。
「……全員、乗ったな」
レオンが確認する。
俺は頷いた。
「はい」
昇降台が、ゆっくりと動き始めた。
金属製の床が震える。
巨大な縦穴の壁が、少しずつ下へ流れていく。
俺は、上を見上げた。
遥か先に、淡い光が見える。
地上ではない。
まだ上層区画だ。
だが、確実に出口へ近づいている。
そのときだった。
昇降台が、大きく揺れた。
「……っ!」
ガルドが足を踏ん張る。
レオンが零号の搬送台を押さえた。
三人の警備員を乗せた搬送台も、固定具が軋む音を立てた。
俺は、すぐに円を広げた。
縦穴の壁。
昇降機の支持材。
そして、上方の駆動装置。
異常があった。
古い支持材の一部が、崩れかけている。
「……まずい!」
俺は、天井を見上げた。
金属片が落ちてくる。
大きさは、人間の胴体ほど。
しかも、昇降台の真上だ。
俺は、迷わず跳んだ。
周で強化した拳を、落下してくる金属片へ叩き込む。
鈍い衝撃。
金属片が砕け、破片が周囲へ散った。
俺は、空中で身体を捻り、昇降台へ着地した。
だが、その直後。
昇降機の駆動音が、不規則に変わった。
『警告』
統括機構の声。
『昇降機の補助動力が低下しています』
「……あとどれくらいだ!」
『上層区画まで、残り約百二十メートル』
俺は、歯を食いしばった。
百二十メートル。
まだ遠い。
昇降台が、わずかに下降した。
ガルドが、低く唸った。
「……落ちるぞ」
俺は、すぐに周囲を見た。
壁には、古い補助レールが走っている。
その間隔は、約三メートル。
俺なら、飛び移れる。
だが、零号の搬送台はどうする。
三人の警備員もいる。
レオンとガルド。
ユリウスとエドガー。
全員を連れていかなければならない。
俺は、頭を回転させた。
そして、あることに気づいた。
昇降機の中央に、太い駆動軸がある。
そこから、上方へ力が伝わっている。
完全に停止したわけではない。
ただ、出力が足りなくなっているだけだ。
「……統括機構!」
『応答』
「補助動力を、昇降機だけに集中できるか!」
『他設備への供給を停止する必要があります』
「生命維持装置に影響は?」
『上層区画の患者搬送には影響しません』
「なら、やってくれ!」
『補助動力の再配分を開始』
数秒後。
昇降機の駆動音が変わった。
低く、力強い音。
昇降台が、再び上昇し始める。
俺は、思わず拳を握った。
「……よし!」
だが、安心するには早かった。
上方の支持材が、また軋んだ。
俺は、凝を使って確認した。
構造そのものが、限界に近づいている。
ここから先は、時間との勝負だ。
俺は、昇降台の端へ移動した。
レオンが、こちらを見る。
「何をするつもりだ?」
「……上の支持材を確認してきます」
「危険だぞ」
「分かってます」
俺は、壁の補助レールへ飛び移った。
そして、上へ向かって駆け出した。
足場は狭い。
だが、身体能力と念を使えば、十分に移動できる。
俺は、壁を蹴り、梁を掴み、さらに上へ進んだ。
昇降台が、下で動いている。
その上には、仲間たちがいる。
拘束した三人の警備員も、ユリウスもエドガーも。
絶対に落とすわけにはいかない。
俺は、上方の支持材へ辿り着いた。
そこには、大きな亀裂が走っていた。
今にも折れそうだ。
(……どうする)
俺は、周囲を見渡した。
近くには、使われていない補助梁があった。
まだ強度は残っている。
俺は、それを掴んだ。
そして、力任せに引き抜いた。
金属が軋む。
固定具が弾ける。
俺は、補助梁を亀裂の下へ差し込んだ。
即席の支えだ。
完全な修理ではない。
だが、少しでも時間を稼げればいい。
俺は、周で強化した拳を使い、梁を固定した。
その瞬間。
下から、ガルドの声が響いた。
「アオ! 上がるぞ!」
俺は、昇降台を見下ろした。
すでに、上層区画の入口が近づいている。
俺は、最後の固定具を押し込んだ。
そして、壁を蹴った。
身体が宙を舞う。
昇降台の端へ着地したとき、ちょうど上層の床が目の前に現れた。
『第三便、上層区画へ到着』
中央統括機構の声が響いた。
俺は、膝に手をついた。
「……間に合った」
その言葉を聞いたガルドが、豪快に笑った。
「はっ! お前さん、本当に無茶するな!」
俺も、思わず笑ってしまった。
「……自覚はあります」
だが、まだ気を抜くわけにはいかない。
俺は、三人の警備員の搬送台を確認した。
拘束具に異常はない。
零号も無事だ。
ユリウスとエドガーも、怪我を負っていない。
俺は、レオンへ視線を向けた。
「……全員、無事ですね」
「ああ。五人の拘束者も、全員いる」
俺は頷いた。
これで、ようやく上層区画へ戻れた。
◇
上層区画では、リリアとミレーヌが待っていた。
俺たちの姿を見た瞬間、リリアが駆け寄ってくる。
「アオ!」
「……ただいま」
彼女は、俺の顔を見た。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「……また無茶したでしょ」
「……少しだけ」
「少し?」
「……結構」
リリアは、呆れたように息を吐いた。
だが、すぐに笑った。
「……無事ならいいよ」
俺は頷いた。
その言葉が、胸に染みた。
俺たちは、再び搬送台を並べた。
被験者二十五人。
調査員四人。
拘束者五人。
そして、俺たち五人。
三十九人。
全員、無事だ。
中央統括機構の案内に従い、上層区画から外部へ続く通路を進む。
途中、いくつかの隔壁が閉まり始めていた。
だが、俺たちの通る経路だけは、最後まで開放されていた。
統括機構が、生命保護命令を優先しているのだろう。
俺は、天井へ視線を向けた。
「……統括機構」
『応答』
「ありがとう」
しばらく、返事はなかった。
そして。
『生命保護は、本施設の基本目的です』
静かな声が響いた。
俺は、少しだけ笑った。
「……そうか」
それで十分だった。
◇
外へ続く最後の隔壁が開いたとき、俺は思わず足を止めた。
冷たい空気が流れ込んできた。
湿った土の匂い。
遠くで鳴く鳥の声。
そして、頬に触れる風。
地下では感じられなかったものばかりだった。
俺は、ゆっくりと外へ出た。
目の前には、霧哭きの渓谷が広がっていた。
谷を覆う霧は、まだ濃い。
だが、その向こうには、確かに空があった。
薄い雲の隙間から、朝の光が差し込んでいる。
俺は、深く息を吸った。
冷たい空気が、肺の奥まで満ちていく。
「……帰ってきた」
小さく呟いた。
後ろから、搬送台が次々と出てくる。
ミレーヌ。
レオン。
ガルド。
リリア。
そして、二十九人の救出者たち。
ユリウスとエドガーも、拘束されたまま地上へ出てきた。
さらに、三人の念能力者の警備員。
彼らも、拘束された状態で搬送台に乗せられている。
全員が外へ出たことを確認すると、背後の隔壁がゆっくりと閉まり始めた。
重い金属音が、谷に響く。
俺は、その様子を見つめた。
巨大な扉が、少しずつ閉じていく。
その向こうには、まだ解明されていない謎が数えきれないほど残されている。
古代の技術。
未知の文字。
見たことのない地図。
そして、あの深紅の結晶。
だが、今は追いかけるべきではない。
俺たちは、十分すぎるほどのものを見つけた。
そして、何よりも大切なものを持ち帰った。
人の命だ。
最後の隔壁が閉じる直前。
中央統括機構の声が、かすかに響いた。
『生命保護対象の退避を確認』
『施設保護封鎖を完了します』
そして。
『……帰還を、確認しました』
俺は、目を細めた。
その言葉には、どこか不思議な響きがあった。
まるで、長い間、誰かが帰ってくるのを待っていたかのような。
だが、その意味を考える前に、隔壁が閉じた。
鈍い音が響き、遺構の入口が静まり返る。
俺は、しばらくその場所を見つめていた。
やがて、隣にリリアが立った。
「……終わったね」
俺は、首を横に振った。
「……いや」
彼女が、こちらを見る。
俺は、搬送台に横たわる人々へ視線を向けた。
「……まだ、やることがある」
リリアは、少しだけ考えたあと、頷いた。
「……そうだね」
俺たちは、谷の出口へ向かって歩き始めた。
霧の向こうから、朝の光が差し込んでいた。
長い地下探索は、ようやく終わりを迎えようとしている。
だが、この遺構で見つかったものが、どれほど大きな意味を持つのか。
そのときの俺たちは、まだ知らなかった。
そして、あの深紅の結晶が、後に俺自身の運命へ関わることになるとも。