流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
念に覚醒してから、三日が経った。
俺は今、流星街の片隅にある瓦礫の隙間で、自分の右手をじっと見つめていた。
小さな手だ。
五歳程度の子供の手。
前世で三十二年間使っていた手とは、大きさも形もまるで違う。
しかし、その周囲には、前世では決して見ることのできなかったものが存在している。
オーラ。
生命エネルギー。
念の源となる力だ。
「……本当に、念能力者になったんだな」
俺は小さく呟いた。
右手の周囲に、薄い陽炎のようなものが揺らめいている。
意識を集中すると、それは皮膚の表面に沿うように集まり、淡い膜を形成した。
纏。
念の四大行の一つ。
身体から溢れ出すオーラを、肉体の周囲に留める技術。
先日の戦闘で、俺はこれを感覚的に習得した。
だが、まだ完璧ではない。
意識を逸らせば、オーラの膜は乱れる。
身体を大きく動かせば、部分的に薄くなる。
戦闘中に偶然できた攻防力の移動も、完全に再現できるわけではなかった。
つまり、俺は念に覚醒しただけの初心者だ。
それも、危険な洗礼によって強引に精孔を開かれた、極めて不安定な初心者。
原作のゴンやキルアなら、ウイングという優秀な師匠がいた。
その後には、ビスケという一流の念能力者から、本格的な修行を受けている。
だが、俺には師匠がいない。
この流星街で、念を教えてくれる人間を探すのは、あまりにも危険だった。
そもそも、俺はまだこの街のことをほとんど知らない。
ならば、どうするか。
答えは決まっていた。
「……独学でやるしかないよな」
幸い、前世の知識がある。
特に参考になるのは、ビスケがゴンとキルアに行わせていた修行だ。
基礎を徹底的に鍛える。
オーラの総量を増やす。
持続力を高める。
身体操作と念の制御を同時に磨く。
単純なようで、極めて合理的な方法だった。
そして、今の俺には、もう一つ大きな利点がある。
食料と水だ。
以前見つけた軍用補給物資。
およそ三か月分。
修行によって消費量が増える可能性はあるが、当面は飢えや渇きに追われずに済む。
三か月。
およそ九十日間。
この時間を、念の基礎修行に費やす。
それが、俺の立てた計画だった。
ただし、このときの俺はまだ気づいていなかった。
自分に与えられた五つ目の特典が、念の修行においても、とてつもない効果を発揮することに。
◇
最初に行ったのは、拠点の移動だった。
先日の戦闘で、俺は四人の荒くれ者と、そのボスを撃退した。
ボスは未熟ながらも念に覚醒しており、俺はその攻撃によって洗礼を受けた。
結果として念に覚醒できたとはいえ、危険な相手だったことに変わりはない。
しかも、連中は俺が大量の物資を持っていると思い込んでいる。
再び襲われる可能性は、十分にあった。
だから、今までの寝床を使い続けるのは得策ではない。
俺はアイテムボックスに毛布や食料を収納し、周辺の探索を始めた。
探す条件は四つ。
人目につきにくいこと。
雨風をしのげること。
逃げ道が複数あること。
そして、修行できるだけの空間があること。
流星街には、崩れた建物や廃棄された機械が山のように存在する。
その中から、条件に合う場所を探すのは簡単ではなかった。
しかし、半日ほど歩き回った末、ようやく候補を見つけた。
半ば地面に埋もれた、古い倉庫のような建物だった。
屋根の大部分は崩れているが、一角だけは残っている。
壁も傷んでいるものの、比較的安定していた。
内部には壊れた機械や金属片が散乱している。
だが、それらを片づければ、子供一人が生活するには十分な広さがあった。
さらに、出入口が二つある。
正面の大きな開口部。
そして、背後の崩れた壁にできた狭い隙間。
後者は大人が通るには窮屈だが、今の俺なら簡単に通り抜けられる。
緊急時の逃げ道として使えるだろう。
「……ここにするか」
俺は周囲に人の気配がないことを確認し、内部へ入った。
まず、床に散らばった金属片やガラス片を片づける。
危険なものはアイテムボックスへ収納した。
次に、毛布を敷く。
穴の開きかけたテントは、拾った金属棒を使って簡単に補強した。
完全な修理とは言えないが、寝床の周囲を囲う程度なら何とかなる。
最後に、出入口付近へ小石や金属片を置いた。
誰かが侵入すれば、音が鳴るようにするためだ。
簡単な警報装置。
念能力者相手には心許ないが、何もしないよりはましだろう。
こうして、俺の新しい拠点が完成した。
「……よし。これで修行に集中できるな」
俺は床に腰を下ろし、これからの三か月について考え始めた。
◇
最初の一週間は、纏の安定化に費やした。
纏は、念の基礎中の基礎だ。
身体から溢れるオーラを留め、肉体を守る。
これが不安定では、他の技術を覚えても意味がない。
俺は朝起きると、まず纏を発動した。
身体の周囲に、薄いオーラを留める。
その状態で歩く。
しゃがむ。
立ち上がる。
走る。
跳ぶ。
方向を変える。
身体を動かすたびに、オーラの膜が乱れる。
その乱れを修正する。
ただ、それだけの修行だった。
しかし、効果は確かだった。
三日目には、普通に歩く程度なら纏を維持できるようになった。
五日目には、軽く走っても崩れなくなった。
七日目には、日常生活のほとんどを纏の状態で過ごせるようになっていた。
もちろん、完全ではない。
激しい運動をすると、まだ乱れる。
しかし、明らかな進歩だった。
「……才能って、すごいな」
俺は自分の身体を見下ろし、思わず呟いた。
念能力の才能。
ゴンやキルアに匹敵するという特典。
その効果は、想像以上だった。
オーラの流れを感じ取ることができる。
意識すれば、ある程度自由に動かせる。
しかも、一度掴んだ感覚を忘れにくい。
これは、独学で修行する上では非常にありがたかった。
だが、才能だけに頼るつもりはない。
原作でも、ゴンやキルアは才能だけで強くなったわけではない。
努力を重ね、何度も失敗し、基礎を徹底的に鍛えている。
俺も、同じように修行する必要がある。
そして、二週間目。
俺は、絶の修行を始めた。
絶。
精孔を閉じ、オーラの流出を抑える技術。
気配を消し、消耗した身体を休める際にも役立つ。
流星街で生き延びるためには、特に重要な技術だ。
だが、これが思った以上に難しかった。
「……くそ、また漏れた」
俺は眉をひそめた。
腕の精孔を閉じる。
すると、脚からオーラが漏れる。
脚を意識すると、今度は肩から漏れる。
まるで、穴の開いた袋を押さえているようだった。
それでも、繰り返す。
一か所ずつ。
少しずつ。
精孔を閉じる感覚を覚えていく。
そして、数日後。
俺は初めて、全身のオーラをほぼ完全に消すことに成功した。
「……できた」
身体の周囲にあった薄い膜が消える。
気配が、内側へ収まったような感覚。
同時に、無防備になったような不安もある。
これが絶。
念による防御を失う代わりに、気配を消す技術だ。
俺はその感覚を、慎重に確かめた。
最初は十数秒。
次第に三十秒。
一分。
三分。
五分。
そして、二週間目の終わりには、十数分ほど維持できるようになっていた。
纏と絶。
この二つを切り替える修行も始めた。
纏。
絶。
纏。
絶。
何度も繰り返す。
最初は数秒かかっていた切り替えも、少しずつ速くなっていった。
ただし、絶の状態では念による防御が失われる。
だから、修行は必ず安全を確認した拠点内で行う。
危険な場所で不用意に絶を使うつもりはなかった。
◇
三週間目。
俺は、練の修行を始めた。
練。
体内から通常以上のオーラを生み出し、放出する技術。
原作でビスケがゴンとキルアに行わせていた修行の中でも、特に重要なものだ。
オーラの総量を増やす。
持続力を高める。
そして、戦闘に耐えられる基礎体力を作る。
そのためには、長時間の練を維持する必要がある。
俺は拠点の中央に立ち、深呼吸した。
まず、纏。
身体の周囲にオーラを留める。
次に、練。
体内から、より多くのオーラを引き出す。
そう意識した瞬間。
「……おお」
身体の周囲のオーラが膨らんだ。
薄い膜だったものが、厚みを増す。
肩から。
腕から。
胸から。
脚から。
全身を包むオーラが、勢いを増していく。
だが。
「……っ!」
急激な疲労感が襲ってきた。
俺は慌てて練を解除した。
呼吸が荒い。
身体が重い。
足元がふらつく。
「……きついな、これ」
俺は床に座り込んだ。
纏とは、まるで違う。
練は、生命エネルギーを積極的に引き出す技術だ。
当然、消耗も大きい。
しかも、俺はまだ念に覚醒したばかり。
オーラの扱いも未熟だ。
無駄な放出が多いのだろう。
それでも、修行を続ける必要がある。
俺はしばらく休息し、再び練を行った。
しかし、二回目はさらに短い時間しか維持できなかった。
身体が重い。
オーラの勢いも弱い。
どうやら、最初の練でかなり消耗していたらしい。
「……やっぱり、休まないと駄目か」
俺は息を整えながら、呟いた。
そこで、ふと考えた。
待てよ。
俺には、回復能力がある。
一日に三回まで使用できる、完全回復の特典。
怪我や病気を治し、呪いを解除し、精神状態まで回復させることができる。
以前、念能力者の男に殴られたときも、この能力で内臓の損傷を治した。
あのときは、身体全体を回復させるよう意識したことで、完全な治癒に成功した。
ならば。
「……オーラの消耗も、回復できるんじゃないか?」
俺は、自分の身体を見下ろした。
オーラは生命エネルギーだ。
練によって大量に消費すれば、身体が疲労する。
ならば、完全回復の能力によって、その消耗を補える可能性がある。
もちろん、確証はない。
回復能力が、念のオーラにまで作用するとは限らない。
だが、試す価値はあった。
俺は目を閉じた。
まず、自分の状態を確認する。
身体が重い。
筋肉に疲労感がある。
呼吸も少し荒い。
そして、オーラの量が減っているような感覚がある。
正確な数値はわからない。
だが、練を行う前よりも、明らかに余裕がない。
俺は、回復能力を発動するために意識を集中させた。
今度は、怪我だけではない。
身体の疲労。
消耗した生命エネルギー。
そして、念の修行によって減少したオーラ。
それらすべてを、修行前の健全な状態へ戻す。
そう、強く思い描いた。
「……回復」
次の瞬間。
身体の内側に、柔らかな熱が広がった。
「……っ!」
驚いた。
疲労感が消えていく。
重かった手足が軽くなる。
呼吸が整う。
そして。
身体の奥に、何かが満ちていく感覚があった。
オーラ。
消耗していた生命エネルギーが、回復している。
「……マジか」
俺は思わず声を漏らした。
身体を包む纏を確認する。
オーラの流れが、先ほどよりも安定している。
練を行う前と、ほとんど変わらない感覚だった。
俺は立ち上がり、再び練を発動した。
オーラが膨らむ。
先ほどの二回目とは違う。
明らかに勢いがある。
身体も軽い。
疲労感もない。
練を維持する。
数秒。
十数秒。
そして、限界が近づいたところで解除した。
「……できる」
俺は確信した。
回復能力は、練によって消耗したオーラも回復できる。
しかも、肉体の疲労まで消してくれる。
これは、とんでもない発見だった。
◇
俺は、しばらく考え込んだ。
回復能力。
一日に三回まで使用できる特典。
これまで俺は、怪我や病気を治すための能力だと考えていた。
もちろん、それだけでも十分すぎるほど強力だ。
だが、今回の検証で、新たな用途が判明した。
消耗したオーラの回復。
肉体疲労の除去。
つまり、念の修行における回復手段として使えるのだ。
普通なら、練によってオーラを使い切れば、休息が必要になる。
十分に回復するまで、次の修行はできない。
しかし、俺は違う。
回復能力を使えば、消耗したオーラを補充し、疲労を取り除ける。
つまり、短い時間で、何度も高負荷の修行を行える。
「……これ、かなり効率が上がるぞ」
俺は思わず笑った。
ただし、制約はある。
一日に三回まで。
無制限に使えるわけではない。
それに、回復能力を使ったからといって、念の技術そのものが上達するわけではない。
オーラを扱う感覚。
制御の精度。
持続力。
それらは、自分で修行しなければ身につかない。
回復能力ができるのは、消耗した状態を元に戻すことだけだ。
それでも、十分すぎる。
普通なら一日に一回しかできないような高負荷の修行を、複数回行える。
しかも、肉体の疲労まで回復できる。
これは、念の修行において非常に大きな利点だった。
「……よし。決めた」
俺は、新しい修行方針を立てた。
毎日、回復能力を三回使い切る。
ただし、無駄遣いはしない。
練によってオーラを消耗する。
限界が近づいたら解除する。
そして、回復能力を使う。
回復したら、再び練を行う。
これを、一日に三回繰り返す。
もちろん、回復能力を使った後も、身体に異常がないか確認する。
無理な負荷をかけ続けることは避ける。
しかし、回復能力がある以上、その利点を活かさない手はなかった。
こうして、俺の修行は新しい段階へ入った。
◇
翌日。
俺は朝食を済ませると、拠点の中央に立った。
まず、纏。
身体の周囲にオーラを留める。
次に、練。
オーラを増やす。
その状態を、できるだけ長く維持する。
最初は、数十秒程度だった。
やがて、身体が重くなってくる。
オーラの勢いも弱まる。
俺は無理をせず、練を解除した。
そして、回復能力を発動する。
「……回復」
身体の内側に、柔らかな熱が広がる。
疲労が消える。
オーラが満ちる。
呼吸が整う。
一回目。
俺は、すぐに二回目の練を始めた。
今度は、先ほどよりも少し長く維持できた。
限界が近づいたところで解除する。
再び、回復。
二回目。
そして、三回目の練。
さらに、回復。
三回目。
その日の回復能力を、すべて使い切った。
「……ふう」
俺は床に座り込み、息を吐いた。
身体は軽い。
疲労感もない。
オーラも回復している。
しかし、精神的には、少し疲れていた。
回復能力によって精神状態を整えることはできる。
だが、修行そのものに必要な集中力や、技術を習得するための経験まで自動的に得られるわけではない。
それに、同じ修行を繰り返すことによる退屈さや、注意力の低下もある。
だから、回復能力を使い切った後は、無理に高負荷の修行を続けないことにした。
午後は、纏の維持や絶の切り替えなど、比較的負荷の軽い修行を行う。
そして、十分に食事を取り、眠る。
それが、新しい一日の流れになった。
俺は、この方法を毎日繰り返した。
練。
回復。
練。
回復。
練。
回復。
毎日三回。
一度も余らせない。
もちろん、回復能力の使用回数がいつ補充されるのかも確認した。
最初は、日付が変わった瞬間なのか、使用から二十四時間後なのか、わからなかった。
そこで、何日かにわたって使用時間を変え、翌日の発動可否を確かめた。
その結果、少なくとも俺の感覚では、一日単位で三回分が補充されているらしいことがわかった。
厳密な仕組みまでは不明だ。
だが、毎日三回使えることは確認できた。
そして、もう一つ。
回復能力について、新たな理解が深まった。
この能力は、単純に傷を治すだけのものではない。
使用者が意識した範囲の状態を、健全な状態へ戻す力。
そう考えると、これまでの現象を説明できた。
野犬に傷つけられた左腕を治したとき。
俺は左腕だけを意識していた。
だから、そこだけが治った。
念能力者の男に殴られたとき。
俺は全身の損傷を治すよう意識した。
だから、内臓を含めた全身の怪我が治った。
そして今回。
俺は、肉体疲労と消耗したオーラを回復するよう意識した。
だから、その両方が回復した。
つまり。
この能力は、意識の向け方によって、回復の対象を変えられる。
それが、現時点での俺の結論だった。
「……なるほどな」
俺は、自分の手を見つめた。
この能力。
まだまだ、知らないことがありそうだ。
だが、今は無理に検証を広げるつもりはない。
修行に必要な使い方がわかった。
それだけで、十分な収穫だった。
◇
一か月が過ぎた。
俺の生活は、すっかり修行中心になっていた。
朝。
起床後、周囲の安全確認。
食事と水分補給。
その後、纏と絶の切り替え訓練。
午前中。
一回目の練。
限界が近づいたところで解除し、回復能力を使用。
昼。
食事と休息。
午後。
二回目の練。
再び回復能力を使用。
夕方。
三回目の練。
そして、その日最後の回復能力を使用。
夜。
軽い身体操作の練習と、修行記録の確認。
最後に食事を取り、就寝。
それを、毎日繰り返した。
回復能力を三回使い切る。
この習慣は、一か月目の終わりには完全に定着していた。
そして、その効果は驚くほど大きかった。
まず、練の維持時間が伸びた。
最初は数十秒。
それが、数分。
十分。
二十分。
三十分。
そして、一か月目の終わりには、三十分以上の練を維持できるようになっていた。
もちろん、原作のビスケの修行を考えれば、まだまだ短い。
しかし、俺は念に覚醒してから、まだ一か月程度しか経っていない。
しかも、独学だ。
それを考えれば、かなりの成長だろう。
何より、回復能力によって、一日に複数回の高負荷修行ができることが大きかった。
普通なら、練でオーラを使い切れば、長時間の休息が必要になる。
しかし、俺は回復能力を使うことで、短時間で再び修行を始められる。
その結果、同じ一日でも、修行に費やせる実質的な時間が増えた。
さらに、肉体の疲労も回復するため、翌日に疲れを持ち越しにくい。
これは、成長期の身体を持つ俺にとって、非常にありがたいことだった。
ただし、注意点もあった。
回復能力によって疲労が消えるからといって、身体への負荷が無意味になるわけではない。
修行の成果は、繰り返しによって蓄積される。
しかし、無理な負荷をかければ、技術が乱れる。
だから、俺は毎回、限界まで追い込むことは避けた。
オーラの制御が乱れ始めたら、そこで練を解除する。
そして、回復能力を使う。
これを徹底した。
結果として、修行の効率は大きく向上した。
◇
二か月目。
俺は、練の持続時間を伸ばす修行に加え、オーラの攻防力移動を本格的に練習し始めた。
原作でビスケがゴンとキルアに行わせていた修行の一つだ。
念を使った戦闘では、オーラをどこに、どれだけ配分するかが重要になる。
攻撃する瞬間には、攻撃部位へ。
防御する瞬間には、防御部位へ。
それを素早く、正確に行う。
いわゆる流の基礎だ。
俺は、まず右手へオーラを集める練習から始めた。
纏を維持する。
そして、右手へ意識を向ける。
オーラが、わずかに集まる。
次に、左手。
右足。
左足。
胸。
背中。
少しずつ、移動させる。
最初は、うまくいかなかった。
右手へ集めようとすると、肩にも集まる。
左足へ移そうとすると、腰の周囲が薄くなる。
だが、何度も繰り返すうちに、少しずつ精度が上がっていった。
ここでも、念の才能が大きく作用した。
オーラの流れを、感覚的に理解できる。
しかも、フィジカルギフテッドによる身体操作能力と組み合わせることで、より効率的に動かせた。
身体のどの部分に力がかかるのか。
次にどの筋肉が動くのか。
重心がどちらへ移動するのか。
それらを直感的に把握できる。
その感覚と、オーラの流れを重ね合わせる。
すると、攻防力の移動が、自然と身体の動きに連動するようになった。
「……これは、相性がいいな」
俺は思わず呟いた。
念の才能。
戦闘の才能。
フィジカルギフテッド。
この三つは、互いに補い合うように働いている。
特に、身体操作とオーラ制御の組み合わせは、想像以上に強力だった。
ただし、まだ高度な流を使いこなせるわけではない。
オーラの配分を正確に数値化することもできない。
だが、確実に上達している。
そして、練の維持時間も伸び続けていた。
一回の練で、四十分。
五十分。
そして、二か月目の終わりには、一時間近く維持できるようになった。
回復能力を三回使う修行法も、変わらず続けている。
練。
回復。
練。
回復。
練。
回復。
毎日三回。
その繰り返しによって、俺のオーラの持続力は、着実に成長していた。
◇
二か月目の終わり。
俺は、以前から気になっていたことを試すことにした。
自分の念系統だ。
念には、六つの系統が存在する。
強化系。
変化系。
放出系。
具現化系。
操作系。
そして、特質系。
自分がどの系統に属するかによって、得意な能力の方向性が変わる。
今後、発を考える上では、重要な情報だった。
俺は、修行の合間に集めておいた道具を取り出した。
透明なガラスコップ。
飲料水。
そして、小さな葉っぱ。
水見式。
原作で、念系統を判別するために使われていた方法だ。
俺はコップに水を満たし、その上に葉っぱを一枚浮かべた。
そして、両手でコップを囲む。
「……さて、何系かな」
少しだけ緊張していた。
前世では、何度も想像したことがある。
自分なら、どの系統になるだろうか。
強化系か。
変化系か。
それとも、別の系統か。
今、その答えを知ることができる。
俺は深呼吸した。
纏。
そして、練。
身体の周囲にオーラが膨らむ。
その状態で、コップへ意識を向けた。
最初の数秒。
何も起こらなかった。
水面は静かだ。
葉っぱも動かない。
しかし。
ぴくり。
葉っぱが、わずかに揺れた。
「……ん?」
俺は目を凝らした。
葉っぱが、二重に見える。
いや。
違う。
二重に見えているのではない。
葉っぱが、増えている。
一枚だった葉っぱのすぐ横に、もう一枚。
まったく同じ形の葉っぱが、現れた。
「……は?」
俺は目を見開いた。
水面には、二枚の葉っぱが浮かんでいる。
間違いない。
最初に浮かべたのは、一枚だけだった。
それが、二枚になっている。
そして。
ぴくり。
また一枚。
三枚。
四枚。
五枚。
「……ちょ、ちょっと待て」
俺は慌てた。
葉っぱが、次々と増えていく。
まるで、スロットマシンが当たりを出し、コインを吐き出しているかのようだった。
六枚。
七枚。
八枚。
水面が、葉っぱで埋まっていく。
それでも、増殖は止まらない。
九枚。
十枚。
そして、十一枚。
最初の一枚を含めて、合計十一枚。
つまり、増えた葉っぱは十枚ほどだった。
水面に収まりきらなくなった葉っぱが、コップの縁を越えた。
ぱらぱらと、金属板の上へ散らばっていく。
「…………」
俺は、完全に固まっていた。
何だ、これ。
葉っぱが増えた。
それも、十枚ほど。
まるで、何もないところから複製されたかのように。
俺は慌てて練を解除した。
身体の周囲のオーラが、静かに落ち着く。
しかし、葉っぱは消えなかった。
コップの中にも。
金属板の上にも。
増えた葉っぱが、そのまま残っている。
「……マジか」
俺は、一枚を拾い上げた。
触れる。
普通の葉っぱだ。
薄く、柔らかい。
表面には細かな葉脈が走っている。
匂いも、普通の植物と変わらない。
俺は、別の葉っぱも手に取った。
同じだ。
形も、大きさも、ほとんど変わらない。
元の葉っぱと見分けがつかないほど、よく似ている。
「……増殖、したのか?」
俺は呟いた。
原作の水見式を思い出す。
強化系なら、水の量が増える。
変化系なら、水の味が変わる。
放出系なら、水の色が変わる。
具現化系なら、水に不純物が現れる。
操作系なら、葉が動く。
そして。
特質系。
それ以外の変化が起こる。
「……特質系」
俺は、ゆっくりとその言葉を口にした。
間違いない。
少なくとも、原作で示されていた五つの系統の典型的な反応とは違う。
水の量が増えたわけではない。
味が変わったわけでもない。
色が変わったわけでもない。
水中に不純物が現れたわけでもない。
葉っぱが動いただけでもない。
葉っぱそのものが、増えた。
これは、特質系の反応だ。
「……俺、特質系なのか」
不思議な感覚だった。
驚きはある。
しかし、どこか納得している自分もいた。
なぜなら、俺自身が、普通ではあり得ない存在だからだ。
前世の俺は、現代日本で暮らしていた三十二歳の男だった。
そして、死んだ。
その後、謎の存在と出会い、別の世界へ転生した。
それも、漫画として知っていた世界へ。
そんな経験をした人間が、普通の念系統に収まるとは限らない。
いや、もちろん、転生した人間が必ず特質系になるというわけではないだろう。
そもそも、転生者という存在自体が、どれほどいるのかわからない。
だが、少なくとも俺の場合。
極めて特殊な転生経験が、念の性質に影響している可能性は十分にあった。
俺は、散らばった葉っぱを見つめた。
十枚。
元の一枚を含めれば、十一枚。
まるで、何かを複製するような現象。
これは、単なる偶然なのだろうか。
それとも。
俺自身の念の性質を、何らかの形で表しているのだろうか。
「……増やす、か」
俺は呟いた。
ただし、すぐに首を振った。
まだ、結論を出すべきではない。
水見式の反応は、念系統を判別するためのものだ。
それが、そのまま自分の発の内容になるとは限らない。
葉っぱが増えたからといって、俺の念能力が物体の複製になると決まったわけではない。
むしろ、今はそうした先入観を持たないほうがいいだろう。
俺は、慎重に葉っぱを集めた。
元の葉っぱと、増えた葉っぱ。
区別はつかない。
どれも普通の葉っぱに見える。
試しに一枚を軽く引っ張る。
破れた。
感触も、普通の植物と変わらない。
さらに、別の一枚をアイテムボックスへ収納してみた。
問題なく収納できた。
取り出すこともできる。
つまり、少なくともアイテムボックスは、増えた葉っぱを普通の物体として扱っているらしい。
ただし、それが本当に永続的に存在する物体なのかは、まだわからない。
時間が経てば消える可能性もある。
念によって生じた一時的な現象かもしれない。
そのあたりは、今後確認する必要があるだろう。
「……面白いな」
俺は、思わず笑った。
特質系。
それも、葉っぱが増殖するという、奇妙な水見式の反応。
自分の念系統がわかったことは、大きな収穫だった。
しかし、同時に新しい疑問も生まれた。
俺の念は、どんな性質を持っているのか。
転生という経験は、どのように影響しているのか。
そして、将来どんな発を作るべきなのか。
考えることは、山ほどある。
だが。
「……まずは基礎だな」
俺は、自分に言い聞かせた。
特質系だからといって、すぐに強力な能力が使えるわけではない。
むしろ、特質系は特殊だからこそ、慎重に扱うべきだろう。
今の俺には、まだまだ基礎が足りない。
纏。
絶。
練。
そして、発。
四大行のうち、発については、まだ本格的な修行を始めていない。
水見式で系統は判明した。
しかし、それだけだ。
自分固有の念能力は、まだ何も決まっていない。
だから、焦らない。
まずは、三か月間の基礎修行をやり遂げる。
その後で、改めて考えればいい。
俺は、そう決めた。
◇
三か月目。
俺は、これまでの修行をさらに発展させることにした。
纏の維持。
絶の切り替え。
練の持続。
そして、オーラの攻防力の移動。
原作でビスケが行っていた修行を参考に、できる範囲で組み合わせていく。
まず、纏。
これは、日常生活ではほぼ問題なく維持できるようになっていた。
食事中も。
歩行中も。
軽い運動中も。
意識しなくても、薄いオーラが身体を包んでいる。
もちろん、完全ではない。
激しい衝撃を受けたり、集中力が大きく乱れたりすれば、纏が崩れる可能性はある。
だから、今後も修行を続ける必要がある。
次に、絶。
こちらも、かなり安定してきた。
精孔を閉じる感覚が、明確になった。
以前のように、一部分だけオーラが漏れることも少なくなった。
さらに、纏から絶への切り替えも速くなった。
ただし、絶の状態では念による防御が失われる。
そのため、実戦で使う場合は慎重に判断する必要がある。
そして、練。
これが、三か月間で最も大きく成長した技術だった。
最初は数秒。
それが、一か月目には三十分以上。
二か月目には一時間近く。
そして、三か月目。
俺は、ついに二時間近く練を維持できるようになっていた。
「……っ、はあ……!」
練を解除する。
全身から汗が流れ落ちた。
呼吸が荒い。
だが、倒れ込むほどではない。
以前よりも、明らかに余裕がある。
オーラの総量が増えたのか。
あるいは、無駄な消費が減ったのか。
おそらく、その両方だろう。
俺は水を飲み、身体を休めた。
そして、修行記録に新しい印を刻んだ。
約二時間。
これが、現在の俺の練の維持時間だ。
原作のビスケの修行を考えれば、まだまだ先は長い。
だが、三か月前の俺と比べれば、確実に成長している。
そして、もう一つ。
俺は、オーラの攻防力移動についても、少しずつ練習していた。
最初に念能力者の男を撃退したとき、俺は感覚的にオーラを拳へ集中させた。
あれは、偶然に近い成功だった。
だが、今は違う。
意識して、ある程度再現できるようになっていた。
右手へ。
左手へ。
右足へ。
左足へ。
オーラを移動させる。
もちろん、まだ高度な流を使いこなせるわけではない。
オーラの配分も、正確に数値化できるわけではない。
だが、身体の一部分へオーラを集め、別の部分へ移す感覚は、かなり明確になっていた。
フィジカルギフテッドによる身体操作能力との相性もいい。
身体の動きと、オーラの流れ。
その二つを同時に制御することで、より効率的に力を発揮できる。
俺は、その可能性を強く感じていた。
そして、回復能力。
これも、三か月間で理解が深まった特典だった。
毎日三回。
練によって消耗したオーラと、肉体の疲労を回復するために使用した。
その結果、回復能力が単なる治癒能力ではないことを、改めて理解できた。
意識した対象を、健全な状態へ戻す。
それが、この能力の本質に近いのだろう。
ただし、回復できるものと、できないものがある。
肉体の損傷。
疲労。
消耗したオーラ。
これらは回復できる。
だが、念の技術そのものを習得させることはできない。
オーラの総量を、直接増やすこともできない。
あくまで、消耗した状態を元に戻すだけだ。
だからこそ、修行と組み合わせることで真価を発揮する。
俺は、そのことを理解した。
◇
三か月目の終わり。
俺は、拠点の中央に立っていた。
目を閉じる。
呼吸を整える。
そして、纏を発動する。
薄いオーラが、身体を包む。
安定している。
次に、絶。
オーラが消える。
気配が薄くなる。
再び、纏。
オーラが身体の周囲へ戻る。
そして、練。
体内から、より多くのオーラを引き出す。
淡い光が、身体の周囲で膨らんだ。
俺は、その状態をしばらく維持した。
呼吸は安定している。
身体の動きも、問題ない。
以前なら、すぐに疲労していた。
だが、今は違う。
三か月間。
毎日、繰り返してきた。
その成果が、確かに現れていた。
「……よし」
俺は練を解除し、静かに息を吐いた。
三か月。
約九十日。
決して短い時間ではなかった。
だが、振り返ってみれば、あっという間だったようにも感じる。
その間、俺は念の基礎を徹底的に鍛えた。
纏。
絶。
練。
そして、発については、自分の系統を知るところまで進んだ。
特質系。
水見式では、葉っぱが十枚ほど増殖するという、奇妙な現象が起こった。
あれは、今でも忘れられない。
スロットマシンがコインを吐き出すように、次々と葉っぱが増えていく光景。
それは、俺の念の性質を象徴しているようにも思えた。
ただし、その意味はまだわからない。
今後、発を考える際には、重要な手がかりになるかもしれない。
だが、今はそれで十分だ。
俺は、少しだけ笑った。
「……強くなったな」
三か月前。
俺は、念能力者の男に一撃で倒された。
内臓にまでダメージを受け、回復能力を使わなければ死んでいたかもしれない。
その俺が、今では念の基礎をある程度使いこなせるようになっている。
もちろん、まだまだ未熟だ。
本格的な念能力者と比べれば、経験も知識も足りない。
戦闘技術も、十分とは言えない。
それでも。
確実に、前へ進んでいる。
俺は、右手を握った。
拳の周囲に、オーラが集まる。
その感覚は、三か月前よりもずっと鮮明だった。
そして、身体を動かす。
一歩。
踏み込む。
腰を回す。
拳を突き出す。
オーラが、動きに合わせて拳へ集まる。
空気が、小さく震えた。
俺は、その感覚を確かめながら、静かに拳を下ろした。
まだ、完成ではない。
むしろ、ようやく始まったばかりだ。
だが。
この三か月間は、決して無駄ではなかった。
念の基礎。
身体の使い方。
オーラの制御。
そして、自分自身の系統。
さらに、回復能力の新たな用途。
それらを知ることができた。
今後、どんな念能力を作るのか。
どんな戦い方をするのか。
どんな人間になるのか。
その答えは、まだ出ていない。
しかし、一つだけ決まっていることがある。
俺は、この世界で生き抜く。
そして、いつか。
自分の意思で、自分の未来を選ぶ。
そのために、もっと強くなる。
もっと多くのことを学ぶ。
そして、決して慢心しない。
俺は、静かに息を吐いた。
瓦礫の隙間から、灰色の空が見える。
流星街。
捨てられたものが集まる場所。
そんな世界の片隅で。
五歳ほどの子供が、一人。
三か月間の念の基礎修行を終えた。
それは、まだ小さな一歩にすぎない。
だが、その一歩は確かに、未来へとつながっていた。