流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第六十話 集う専門家たち――遺構に残された罪と希望

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷。

 

     ◇

 

 朝靄の向こうから、低いエンジン音が聞こえてきた。

 

 最初は、遠くの山道を走る車の音だと思った。

 

 だが、やがてその音は複数に増え、谷間に反響しながら近づいてくる。湿った岩肌を伝う振動が、足元の小石を微かに揺らした。

 

 俺は手にしていた金属製のカップを置き、宿泊用テントの外へ出た。

 

 空はまだ薄青い。

 

 夜明けから一時間ほどしか経っていないのだろう。谷を覆う霧は深く、対岸の岩壁さえ輪郭が曖昧だった。

 

 そんな中、拠点へ続く山道から大型車両が姿を現した。

 

 一台、二台、三台。

 

 先頭は装甲を施した四輪駆動車。後ろには医療設備を積んだ大型輸送車が続き、最後尾には通信機器らしい装置を載せた車両が走っている。

 

 車体の側面には、見慣れた紋章が描かれていた。

 

 ハンター協会。

 

「……本当に来たな」

 

 昨日、ネテロ会長から連絡があったばかりだ。

 

 専門家を派遣するとは聞いていたが、まさかこれほど早く到着するとは思わなかった。

 

 もっとも、地下遺構から救出した人々の状態を考えれば、一刻も早い対応が必要なのは確かだった。

 

「アオ?」

 

 背後から声がした。

 

 振り返ると、リリアがテントから顔を覗かせていた。

 

 まだ眠そうな目をしている。栗色の髪も少し跳ねていた。

 

「起こしたか?」

 

「ううん。車の音で目が覚めた」

 

 彼女は外套を羽織りながら、山道へ視線を向けた。

 

「協会の人たち?」

 

「ああ。昨日言ってた調査団だろう」

 

 リリアは車列を眺め、少しだけ目を丸くした。

 

「ずいぶん大勢だね」

 

「それだけ大きな事件ってことだ」

 

 俺は、朝霧の向こうに並ぶ車両を見つめた。

 

 地下遺構の探索は終わった。

 

 だが、事件そのものは終わっていない。

 

 二十五人の被験者。

 

 六人の調査員。

 

 ユリウスとエドガー。

 

 三人の念能力者の警備員。

 

 そして、呪いによって行動を制限されていた外部警備員たち。

 

 さらに、暗黒大陸から逃れてきた人々が築いたという古代遺構。

 

 考えるべきことは山ほどある。

 

 俺たちだけで扱える問題ではなかった。

 

「行ってみようか」

 

 俺が言うと、リリアは頷いた。

 

「うん」

 

 俺たちは並んで、拠点の中央へ向かった。

 

     ◇

 

 車両が停止すると、周囲はたちまち慌ただしくなった。

 

 医療班が機材を降ろし、通信担当者が発電設備の確認を始める。

 

 護衛の念能力者たちは周囲へ散開し、拠点の警備担当者と連絡を取り合っていた。

 

 その中心に、一人の男性が立っていた。

 

 きちんと整えられた黒髪。

 

 落ち着いた色合いの服装に、端正で生真面目そうな顔立ち。

 

 その眼差しには、物事を冷静に見極めようとする鋭さがあった。

 

 彼は手元の資料を確認しながら、次々と指示を出していた。

 

「拘束者の移送は、医療班の確認が済んでからにしてください。念能力者については能力の詳細が不明なため、監視を二重に」

 

「了解しました!」

 

「救出者の診療記録は原本を保全し、医療班には写しを渡してください。証拠と治療情報を混同しないように」

 

 無駄のない指示だった。

 

 俺は、その姿を見て一人の人物を思い浮かべた。

 

(……ミザイストム=ナナ)

 

 原作で知っている人物だ。

 

 もっとも、今は一九八九年。

 

 俺が知る未来の彼とは、立場も経験も異なるはずだ。

 

 少なくとも、今の彼を未来の肩書きで呼ぶつもりはない。

 

 その男性が、こちらに気づいた。

 

「君がアオか?」

 

「はい」

 

 彼は資料を閉じ、歩み寄ってきた。

 

「ミザイストム=ナナだ。クライムハンターとして、今回の事件の捜査に参加する」

 

 差し出された手を握る。

 

 力強い握手だった。

 

「アオです。よろしくお願いします」

 

「ああ。君の報告書は読ませてもらった」

 

 ミザイストムは俺を見つめた。

 

 その視線は鋭いが、不快なものではない。

 

「十五歳とは思えない働きだな」

 

「……仲間に助けられましたから」

 

「その点も報告に記されている」

 

 彼は頷いた。

 

「救出活動については、改めて詳しく話を聞かせてもらいたい」

 

「分かりました」

 

 隣にいたリリアも挨拶する。

 

 ミザイストムは彼女にも丁寧に応じた。

 

 そのときだった。

 

「ちょっとちょっと! その子たちが例の探索者?」

 

 明るい声が割り込んできた。

 

 振り返ると、桃色を基調とした衣服を身につけた女性が、資料の束を抱えて歩いてきた。

 

 うさぎの耳を思わせる飾りが、頭の上で揺れている。

 

 彼女は俺とリリアを見比べ、目を輝かせた。

 

「へえ! 本当に若いんだ!」

 

「ピヨン」

 

 ミザイストムが少しだけ眉を寄せた。

 

「まず挨拶を」

 

「分かってるってば」

 

 女性は笑顔で手を振った。

 

「私はピヨン。古文書や古い文字を研究してるハンターだよ。よろしく!」

 

「アオです」

 

「リリアです。よろしくお願いします」

 

「うんうん!」

 

 ピヨンは満足そうに頷いた。

 

「それでね、早速なんだけど!」

 

 彼女は資料を一枚取り出した。

 

 そこには、地下遺構の壁に刻まれていた文字が写されていた。

 

「この文字、どこで見つけたの?」

 

「……中央区画へ向かう途中の壁です」

 

「へえ! その壁って、ほかの場所と材質が違った?」

 

 俺は、少し考えた。

 

「……確かに、周囲より古そうでした」

 

「やっぱり!」

 

 ピヨンは嬉しそうに資料へ何かを書き込んだ。

 

 ミザイストムが小さく咳払いする。

 

「ピヨン。詳しい聞き取りは、後で時間を取る」

 

「えー、今ちょっとだけ!」

 

「後でだ」

 

「……はーい」

 

 彼女は不満そうに頬を膨らませた。

 

 俺は、そのやり取りを見て思わず笑いそうになった。

 

 どうやら、これから賑やかになりそうだ。

 

     ◇

 

 続いて車両から降りてきたのは、白衣を羽織った二人の女性だった。

 

 一人は眼鏡をかけ、知的で落ち着いた雰囲気をまとっている。

 

 もう一人は、鋭い目つきと独特の気配を持つ女性だった。

 

 どちらも、医療関係者らしい。

 

 俺は、すぐに二人の名前を思い浮かべた。

 

(……チードルとゲル)

 

 原作で知っている人物たちだ。

 

 チードル=ヨークシャー。

 

 そして、ゲル。

 

 未来のハンター協会で重要な立場を担う二人。

 

 だが、今はまだ若い。

 

 そのため、俺の知識だけで現在の実力や立場を決めつけるわけにはいかない。

 

 チードルがミレーヌへ歩み寄った。

 

「あなたが今回の探索を指揮されたミレーヌさんですね?」

 

「ええ。よろしくお願いします」

 

「チードル=ヨークシャーです。医療班の調整を担当します」

 

 彼女は丁寧に頭を下げた。

 

「救出者の状態について、事前に送られた資料は確認しました。ただ、実際に診察しなければ判断できないことも多いと思います」

 

「その通りね」

 

 ミレーヌは頷いた。

 

「特に四番と十三番、それから零号については慎重に扱ってほしいわ」

 

「分かりました」

 

 チードルはすぐに医療テントへ向かおうとした。

 

 その隣で、ゲルが資料へ目を落とす。

 

「人工的なオーラ経路……ね」

 

 彼女の声は低く、落ち着いていた。

 

「普通の人体実験ではないようね」

 

「ええ」

 

 ミレーヌが答える。

 

「念能力を利用して、身体の構造そのものを改変している可能性があるわ」

 

 ゲルは、少しだけ目を細めた。

 

「厄介なことをしてくれたものね」

 

 その言葉には、明確な不快感が滲んでいた。

 

 俺は、少し安心した。

 

 少なくとも、彼女たちは被験者を研究材料として見るつもりはなさそうだ。

 

 チードルが俺へ視線を向けた。

 

「あなたがアオさんですね?」

 

「はい」

 

「報告書に、特殊な回復能力を持っているとありました」

 

 俺は頷いた。

 

「ええ。怪我や病気、それに念による呪いも治せます」

 

 チードルの表情が変わった。

 

「……呪いも?」

 

「はい。ただし、一日に三回までです」

 

 彼女は、少し考え込んだ。

 

「興味深い能力ですね」

 

 そして、すぐに付け加えた。

 

「ですが、まずは私たちで患者の状態を確認します。あなたの能力を使う必要がある場合も、十分に相談したうえで判断しましょう」

 

 俺は頷いた。

 

「お願いします」

 

 その対応は、ありがたかった。

 

 俺の能力は強力だ。

 

 だが、万能ではない。

 

 何を治すべきか。

 

 どの患者を優先するべきか。

 

 その判断には、専門的な知識が必要になる。

 

 チードルとゲルなら、俺には分からないことも見抜いてくれるだろう。

 

     ◇

 

 さらに、最後尾の車両から大柄な男性が降りてきた。

 

 堂々とした体格。

 

 厳格な表情。

 

 周囲を見渡す視線には、長年の経験を感じさせる落ち着きがあった。

 

 その姿を見た瞬間、俺は内心で驚いた。

 

(……ボトバイ=ギガンテ)

 

 原作で知っている人物だ。

 

 彼もまた、未来のハンター協会で重要な役割を担うことになる。

 

 だが、今はまだその未来を知らない。

 

 目の前にいるのは、現在のボトバイだ。

 

 彼はミザイストムのところへ歩み寄った。

 

「状況は?」

 

「拘束者五名の身柄は確保されています。外部警備員については、別途保護と調査を進めています」

 

「よし」

 

 ボトバイは短く頷いた。

 

「被験者の安全を最優先にしろ。証拠の保全も必要だが、治療を妨げるようなことはするな」

 

「承知しています」

 

「それから、拘束者については個別に責任を確認する。全員を一括りにするな」

 

 その言葉を聞いて、俺は少しだけ目を見開いた。

 

 どうやら、事件の処理については慎重に進めるつもりらしい。

 

 ボトバイは、こちらへ視線を向けた。

 

「君がアオか」

 

「はい」

 

「今回の救出活動については報告を受けている」

 

 彼は、俺をじっと見つめた。

 

「大勢の命を救ったことは評価に値する」

 

「……ありがとうございます」

 

「だが、事件はまだ終わっていない」

 

 俺は頷いた。

 

「分かっています」

 

 ボトバイは、少しだけ表情を和らげた。

 

「ならばいい。今後も協力を頼む」

 

「はい」

 

 短いやり取りだった。

 

 だが、不思議と信頼できる人物だと感じた。

 

 少なくとも、目の前の問題から逃げるような人間ではなさそうだ。

 

     ◇

 

 調査団の到着から数時間後。

 

 前進拠点では、正式な会議が開かれた。

 

 出席者は、ミザイストム、ボトバイ、チードル、ゲル、ピヨン、ミレーヌ。

 

 そして、俺とリリア。

 

 レオンとガルドも、必要な証言を求められるため同席していた。

 

 机の上には、地下遺構の構造図と救出者の名簿が広げられている。

 

 ミザイストムが、会議の進行を始めた。

 

「まず、救出者の状態について確認したい」

 

 チードルが資料を取り出した。

 

「被験者二十五名のうち、多くは生命維持補助装置によって状態を保っています。ただし、長期間の実験による身体機能の低下が見られます」

 

 彼女は、患者ごとの記録を確認した。

 

「四番の男性には、神経系への負担が残っています。十三番の女性については、人工的なオーラ経路の影響が強く、装置を急に外すことはできません」

 

 俺は、黙って聞いていた。

 

 チードルは続けた。

 

「零号については、身体の構造そのものが通常の人間と大きく異なっています。現時点で覚醒の兆候はありませんが、生命活動は安定しています」

 

 ゲルが資料を一枚持ち上げた。

 

「薬物の残留についても調べているわ。通常の医薬品では説明できない成分がいくつか見つかっている」

 

「……危険なものですか?」

 

 俺が尋ねると、ゲルは頷いた。

 

「少なくとも、人体へ長期間投与していいものではないでしょうね」

 

 その言葉に、俺は拳を握った。

 

 ユリウスとエドガー。

 

 あの二人が何をしてきたのか。

 

 改めて、その重さを感じた。

 

 チードルは、少しだけ声を柔らかくした。

 

「ですが、救出されたことで治療の選択肢は増えました。今後は一人ずつ状態を確認し、無理のない回復計画を立てます」

 

 俺は頷いた。

 

「……お願いします」

 

 チードルは、静かに頷き返した。

 

     ◇

 

 医療報告が終わると、ミザイストムが資料を取り出した。

 

「次に、拘束者の処遇について確認する」

 

 彼は机の上に五人の記録を並べた。

 

 ユリウス。

 

 エドガー。

 

 そして、三人の念能力者の警備員。

 

「まず、ユリウスとエドガーについては、研究の指揮と実施に深く関与していたことが確認されている」

 

 ミザイストムは淡々と続けた。

 

「被験者の監禁や違法な人体実験について、重大な責任を問われる可能性が高い」

 

 誰も異論を挟まなかった。

 

 俺たちは、地下で彼らが何をしていたのかを見ている。

 

 ただし、エドガーが救出活動に協力したことも事実だ。

 

 ミザイストムは、その点にも触れた。

 

「救出への協力は記録する。しかし、それによって過去の行為が消えるわけではない」

 

 彼は資料をめくった。

 

「問題は、三人の警備員たちだ」

 

 俺は顔を上げた。

 

 三人の念能力者。

 

 施設内で俺たちと戦い、捕らえられた傭兵たち。

 

 彼らの扱いについては、俺も気になっていた。

 

「三人とも、研究施設の警備を請け負った傭兵だ。契約内容は、施設内への不法侵入者への対処、設備の防衛、研究員の護衛」

 

 ミザイストムは資料を確認した。

 

「現時点では、研究の核心を知っていた証拠はない」

 

 俺は、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 だが、彼はすぐに続けた。

 

「もっとも、知らなかったと言えば責任を免れるわけではない。三人は君たちと戦闘になっている。侵入者と判断した理由や、命令内容について確認する必要がある」

 

「……そうですね」

 

「ただし、施設の実態を知らずに雇われていたのであれば、研究者たちと同じ処遇にするのは適切ではない」

 

 彼は、資料を一枚取り上げた。

 

「現在、三人には個別の事情聴取を行っている。意識が十分に回復していない者については、医師の許可が出るまで本格的な取り調べを控える」

 

 俺は頷いた。

 

 念能力者であることと、怪我人であることは別の問題だ。

 

 拘束が必要でも、治療を受ける権利まで奪っていいわけではない。

 

「処遇については、いくつか選択肢がある」

 

 ミザイストムは言った。

 

「重大な犯罪への関与が認められなければ、関係当局と協議したうえで、協会の監督下で社会奉仕に従事する方法も考えられる」

 

「社会奉仕、ですか?」

 

「ああ。危険地域の物資輸送、災害時の救助活動、公共施設の復旧支援などだ」

 

 彼は少し考えてから付け加えた。

 

「三年程度を基本に、個々の責任に応じて期間を調整する案だ。ただし、これはまだ決定ではない」

 

 俺は、その説明を聞きながら考えた。

 

 彼らは確かに、俺たちへ攻撃してきた。

 

 だが、研究の実態を知らず、ただ雇われた仕事を遂行していたのであれば、ユリウスたちと同じ重罪人として扱うのは違うだろう。

 

 それでも、何の責任も負わなくていいとは思わない。

 

 ミザイストムの案は、その両方を考慮したものだった。

 

「……俺は、それでいいと思います」

 

 俺が言うと、彼は静かに頷いた。

 

「君の意見も記録しておこう。ただし、最終的には証拠に基づいて判断する」

 

「はい」

 

 その言葉に、不思議と安心した。

 

 俺の感情だけで、人の処遇が決まるわけではない。

 

 それは、当然のことだった。

 

     ◇

 

 次に議題となったのは、外部警備員たちだった。

 

 地下へ同行した三人とは異なり、彼らは遺構の外周警備を担当していた人間たちだ。

 

 そして、その一部には、念による呪いがかけられていた。

 

 ミザイストムは、別の資料を取り出した。

 

「外部警備員については、事情がさらに複雑だ」

 

 彼は資料を机へ置いた。

 

「一部の者に、念能力による強制の痕跡が確認されている。命令への服従を促す仕組みだった可能性があるが、詳しい発動条件はまだ分かっていない」

 

 俺は、以前見た呪いの状態を思い出した。

 

 人間の身体へ絡みつく、不自然なオーラ。

 

 本人の意思とは関係なく、行動を縛ろうとする力。

 

 あれを受けた人間が、自由に判断できたとは思えない。

 

「……呪いは、まだ残っているんですか?」

 

 俺が尋ねると、ミザイストムは頷いた。

 

「君が以前に解除した対象については、再発の兆候は確認されていない。だが、ほかの者については、まだ完全な検査が終わっていない」

 

 俺は、少し考えた。

 

「……必要なら、俺も協力できます」

 

「その申し出はありがたい」

 

 ミザイストムは、真剣な表情で俺を見た。

 

「ただし、君の能力だけに頼るつもりはない。協会にも除念を専門とする人材がいる。まずは全員の状態を確認し、生命の危険がある者から優先的に処置する」

 

「分かりました」

 

 ゲルが口を開いた。

 

「呪いによる身体への影響も調べる必要があるわね。除念した後も、症状が残る可能性はある」

 

 チードルも頷いた。

 

「精神的な負担も無視できません。強制された経験が長ければ、治療には時間がかかるでしょう」

 

 俺は、二人の言葉を聞きながら考えた。

 

 呪いを解除すれば、すべてが元通りになるわけではない。

 

 身体に残った傷。

 

 恐怖。

 

 そして、自分の意思を奪われた記憶。

 

 それらは、簡単には消えないのだろう。

 

 ミザイストムは、資料を閉じた。

 

「呪いを受けていたという事実だけで、彼らを犯罪者と判断してはならない」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……はい」

 

「もし、命令に逆らえば命を奪われるような状況だったなら、その行動には強制が働いている。自由意思で行った行為と、そうでない行為を区別する必要がある」

 

 彼は続けた。

 

「強制された行為しか確認されなければ、処罰する理由はない。逆に、呪いとは無関係に違法行為へ加担していたなら、その部分について責任を調べる」

 

 俺は、ゆっくりと頷いた。

 

 それが正しいのだろう。

 

 誰かに命令され、逆らえない状態に置かれていた人間まで、一律に罰するべきではない。

 

「……呪いをかけた人間については?」

 

 俺が尋ねると、ミザイストムの表情が引き締まった。

 

「当然、調べる」

 

 短い返答だった。

 

 だが、その声には明確な意思があった。

 

「術者が誰なのか。誰の命令で呪いをかけたのか。そして、その呪いを使って何をさせたのか」

 

 ボトバイが、低い声で言った。

 

「その件は、外部の協力者へ繋がる可能性もある」

 

 俺は、二人を見た。

 

 ミザイストムが頷く。

 

「研究施設の資金提供者や、被験者の調達に関わった者たち。そこまで調べなければ、この事件は終わらない」

 

 俺は、静かに息を吸った。

 

 呪いをかけた人物。

 

 ユリウスの協力者。

 

 施設の外部にいるかもしれない関係者。

 

 まだ、見えていないものがある。

 

 だが、それを追うのは、今度はミザイストムたちの仕事だ。

 

     ◇

 

 会議の後半では、レオンとガルドについても話し合われた。

 

 二人は現在、正式な証言を求められている。

 

 レオンは施設の警備責任者として、警備体制や命令系統について説明できる立場にあった。

 

 一方、ガルドは現場での警備や護衛を担当しており、研究の運営には関わっていなかったという。

 

 ミザイストムは、二人の資料を並べた。

 

「レオンについては、警備責任者だった以上、三人の傭兵よりも詳しい確認が必要だ」

 

 俺は頷いた。

 

「……そうですね」

 

「ただし、現時点で人体実験への直接的な関与を示す証拠はない。むしろ、実態を知った後は君たちに協力し、被験者の救出へ尽力している」

 

 俺は、地下での出来事を思い出した。

 

 レオンがいなければ、拘束者たちの監視は難しかっただろう。

 

 彼の念能力も、何度も俺たちを助けてくれた。

 

「……レオンさんは、最後まで一緒に戦ってくれました」

 

「その証言は、すでに記録している」

 

 ミザイストムは頷いた。

 

「ただし、救出に協力したからといって、過去の行為を調べなくていいわけではない。警備責任者として何を知っていたのか、何を見逃していたのか。それを確認する」

 

「分かっています」

 

「ガルドについては、現場での護衛業務が中心だったようだ。こちらも、現時点で重大犯罪への関与は確認されていない」

 

 俺は、少し安心した。

 

 ミザイストムは、資料をまとめた。

 

「二人とも、証言と記録に矛盾がなければ、刑事責任を問う必要はないと考えている」

 

 俺は頷いた。

 

「……よかった」

 

「ただし、正式な判断は調査を終えてからだ」

 

 ミザイストムは、少しだけ表情を和らげた。

 

「それに、二人とも優秀な人材らしい。今後、協会の仕事に協力してもらうことも考えられる」

 

「……レオンさんとガルドさんが?」

 

「ああ。もちろん、本人たちの意思次第だが」

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

 確かに、二人なら協会の仕事でも十分に活躍できるだろう。

 

 レオンの冷静な判断力。

 

 ガルドの頑丈な身体と、仲間を守ろうとする姿勢。

 

 どちらも、今回の探索で何度も助けられた。

 

 だが、彼らがこれから何を選ぶのかは、本人たちが決めることだ。

 

 俺は、そのことを忘れないようにしようと思った。

 

     ◇

 

 午後。

 

 俺とリリアは、拠点の一角に設けられた資料整理室を訪れていた。

 

 ピヨンが、古代文字の解析を進めていると聞いたからだ。

 

 部屋へ入ると、机の上には大量の紙が広がっていた。

 

 古代文字の写し。

 

 地図。

 

 遺構の構造図。

 

 そして、中央統括機構から提供された記録の翻訳結果。

 

 その中心で、ピヨンが真剣な表情を浮かべていた。

 

「……あ、来た!」

 

 俺たちに気づくと、彼女は顔を上げた。

 

「ちょうどいいところに来たね!」

 

「……何か分かったんですか?」

 

 俺が尋ねると、ピヨンは大きく頷いた。

 

「うん! まだ少しだけだけど!」

 

 彼女は、机の上の資料を一枚持ち上げた。

 

「まず、この遺構の文字ね。完全に未知の文字体系ってわけじゃなさそう」

 

「……どういうことですか?」

 

「古い言語が、いくつか混ざってるみたいなの」

 

 ピヨンは、文字の一部を指差した。

 

「ここは、古い交易語に近い形。こっちは、もっと古い記号体系に似てる」

 

 俺は、資料を覗き込んだ。

 

 確かに、文字の形が統一されていない。

 

 同じ文章の中に、異なる文化の記号が混ざっているように見える。

 

「……複数の民族が使っていた言葉、ということですか?」

 

「可能性はあるね」

 

 ピヨンは頷いた。

 

「でも、それだけじゃないかも」

 

 彼女は、別の資料を取り出した。

 

 そこには、昨日見た古代の地図が描かれていた。

 

 暗黒大陸。

 

 その一部と考えられる、未知の地形。

 

 ピヨンは、地図の端を指差した。

 

「この地図、すごく変なの」

 

「……変?」

 

「うん。普通、地図っていうのは、自分たちが知っている場所を描くものでしょ?」

 

 俺は頷いた。

 

「でも、この地図には、明らかに違う種類の情報が重なってる」

 

 彼女は、地図の一部を拡大した。

 

 そこには、細い線がいくつも走っている。

 

「地形の記録と、移動経路の記録。それから、何かの危険区域を示す記号」

 

 俺は、目を細めた。

 

 確かに、単なる地理情報には見えない。

 

「……避難経路、ですか?」

 

 俺が呟くと、ピヨンは目を輝かせた。

 

「そう! 私もその可能性を考えてた!」

 

 彼女は、別の資料を広げた。

 

「昨日の翻訳で『避難』『生存者』『帰還』って言葉が出てきたでしょ?」

 

「はい」

 

「それと、この地図を組み合わせるとね……」

 

 ピヨンは、少しだけ声を落とした。

 

「この遺構を造った人たちは、ただ逃げてきただけじゃないのかもしれない」

 

 俺は、眉を寄せた。

 

「……どういうことですか?」

 

「分からない」

 

 彼女は、あっさりと言った。

 

「でも、逃げた先で何かを残そうとしていたのは確かだと思う」

 

 俺は、資料へ目を落とした。

 

 暗黒大陸から逃げ延びた人々。

 

 彼らが、何を恐れていたのか。

 

 何を守ろうとしていたのか。

 

 そして、なぜあれほど高度な施設を造ったのか。

 

 まだ、答えは見つかっていない。

 

 ピヨンは、俺たちを見比べた。

 

「ねえ。中央統括機構って、どんな感じだった?」

 

「……どんな感じ、ですか?」

 

「うん。機械っぽかった? それとも、人間みたいだった?」

 

 俺は、少し考えた。

 

 中央統括機構。

 

 あの青白い光。

 

 淡々とした声。

 

 そして、最後に聞いた言葉。

 

『帰還を、確認しました』

 

 俺は、ゆっくりと答えた。

 

「……基本的には機械でした」

 

 ピヨンが頷く。

 

「でも、時々……人間みたいに感じることがありました」

 

「へえ」

 

 彼女は、興味深そうに身を乗り出した。

 

「例えば?」

 

 俺は、最後の言葉について説明した。

 

 すると、ピヨンはしばらく黙り込んだ。

 

 そして、机の上の記録へ目を向けた。

 

「……帰還、か」

 

 彼女は、小さく呟いた。

 

「それ、かなり重要な言葉かもしれないね」

 

 俺は、何も言わなかった。

 

 だが、同じことを考えていた。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 俺は、レオンとガルドのいるテントを訪れた。

 

 二人は、簡易的な食事を取っているところだった。

 

「おう、アオ!」

 

 ガルドが大きな声で迎えてくれた。

 

「ちょうどいい。飯でも食うか?」

 

「いや、さっき食べたばかりなので」

 

「そうか。残念だな」

 

 ガルドは笑いながら、皿の上の肉を口へ運んだ。

 

 レオンは、いつもの落ち着いた表情で俺を見た。

 

「何か用か?」

 

「……今日の調査について、少し」

 

 俺が言うと、レオンは頷いた。

 

「ミザイストムから話は聞いている」

 

「……そうですか」

 

「我々の立場についても、正式に調べるそうだ」

 

 俺は、少しだけ言葉を選んだ。

 

「……大丈夫だと思います」

 

 レオンは、静かに笑った。

 

「そうだといいがな」

 

 彼は、カップを机へ置いた。

 

「警備責任者だった以上、知らなかったでは済まない部分もあるだろう」

 

 俺は、黙って聞いていた。

 

「施設の研究内容について、私はすべてを知っていたわけではない。だが、不審な点がなかったと言えば嘘になる」

 

 レオンは、少しだけ目を伏せた。

 

「もっと早く調べるべきだったのかもしれん」

 

 俺は、彼を見つめた。

 

 責任を感じているのだろう。

 

 だが、俺には彼を責める気にはなれなかった。

 

「……レオンさん」

 

「何だ?」

 

「俺は、あなたが最後まで一緒に戦ってくれたことを覚えています」

 

 レオンは、こちらを見た。

 

「それだけは、忘れません」

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

 やがて、レオンは小さく笑った。

 

「……ありがとう」

 

 俺は頷いた。

 

 隣で、ガルドが豪快に笑った。

 

「まったく、二人とも真面目だな!」

 

 俺たちは、思わず顔を向けた。

 

 ガルドは、皿を置いて立ち上がった。

 

「俺は難しいことは分からん! だが、あの地下でやったことに後悔はねえ!」

 

 大きな拳を握る。

 

「人を助けた。それで十分だ!」

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「……ガルドさんらしいですね」

 

「おう!」

 

 彼は、俺の肩を軽く叩いた。

 

「それに、お前さんとはまた一緒に仕事してみたいもんだ」

 

「……俺もです」

 

 ガルドは満足そうに頷いた。

 

 レオンも、穏やかな表情を浮かべていた。

 

 その姿を見て、俺は少しだけ安心した。

 

 この二人とは、きっとまたどこかで会うことになるだろう。

 

     ◇

 

 夜。

 

 俺は、宿泊用テントの中で一人、アイテムボックスから小さな金属製の容器を取り出していた。

 

 中には、深紅の星髄石が収められている。

 

 蓋を開くと、淡い赤色の光が暗い室内へ広がった。

 

 俺は、しばらくその結晶を見つめた。

 

 暗黒大陸から持ち込まれたという、未知の鉱物。

 

 高度なオーラ伝導能力を持ち、長い年月を経ても性質を失わない。

 

 もし、これを『愚か者の宝物庫』へ捧げたら。

 

 どんな結果が出るのだろう。

 

 そんな考えが、再び頭をよぎった。

 

 だが、俺は首を横に振った。

 

 今は、まだ早い。

 

 この石の性質は、ほとんど分かっていない。

 

 しかも、現存する三個のうち一個が俺の手元にある。

 

 軽い気持ちで失うわけにはいかない。

 

 俺は、容器の蓋を閉じた。

 

 そして、再びアイテムボックスへ収納した。

 

 そのとき、テントの外から声が聞こえた。

 

「アオ、起きてる?」

 

 リリアだった。

 

「起きてるよ」

 

 俺が答えると、彼女が入口から顔を覗かせた。

 

「ちょっと外、歩かない?」

 

「……今から?」

 

「うん。星が綺麗なんだ」

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「分かった」

 

 外套を羽織り、テントを出る。

 

 夜の霧哭きの渓谷は、昼間とは違う静けさに包まれていた。

 

 遠くで虫が鳴き、風が草を揺らしている。

 

 空には、無数の星が輝いていた。

 

 俺とリリアは、並んで歩き始めた。

 

「……今日、いろんな人に会ったね」

 

 リリアが呟いた。

 

「ああ」

 

「ミザイストムさんも、ピヨンさんも、チードルさんも、ゲルさんも、ボトバイさんも」

 

 彼女は、少しだけ笑った。

 

「みんな、すごい人たちなんだね」

 

「……そうだな」

 

 俺は頷いた。

 

 それぞれの分野で、優れた能力を持つハンターたち。

 

 今回の事件を任せるには、頼もしい人材だ。

 

「……ジンって人も来るのかな?」

 

 リリアが尋ねた。

 

 俺は、少し考えた。

 

「さあな。会長も分からないって言ってたし」

 

「どんな人なんだろうね」

 

「……変わった人だと思う」

 

 俺が答えると、リリアは首を傾げた。

 

「会ったことあるの?」

 

「いや」

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「何となく、そんな気がするだけだ」

 

 リリアは、不思議そうな顔をした。

 

 だが、それ以上は追及しなかった。

 

 俺たちは、しばらく黙って歩いた。

 

 谷の向こうには、暗い山並みが広がっている。

 

 そのさらに向こうには、まだ知らない土地がある。

 

 そして、世界の遥か外側には、暗黒大陸が存在している。

 

 俺は、静かに息を吸った。

 

 未知の世界への興味は、確かにある。

 

 だが、今はそれ以上に大切なものがあった。

 

 隣を歩く仲間。

 

 帰る場所。

 

 そして、これから生きていく時間。

 

 俺は、リリアへ視線を向けた。

 

「……リリア」

 

「ん?」

 

「次の旅も、一緒に来るか?」

 

 彼女は、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

 

 そして、すぐに笑った。

 

「……もちろん」

 

 その返事は、迷いのないものだった。

 

 俺は頷いた。

 

「……そうか」

 

 夜空には、無数の星が輝いていた。

 

 霧哭きの渓谷での探索は終わった。

 

 だが、そこで出会った人々との縁は、これからも続いていくだろう。

 

 そして、古代遺構に残された謎も、ハンター協会の手によって少しずつ解き明かされていくはずだ。

 

 俺たちは、まだ知らない。

 

 この事件が、どれほど多くの人間の運命を変えることになるのか。

 

 そして、暗黒大陸から持ち込まれた深紅の星髄石が、いつか俺自身の選択を試すことになるとも。

 

 ただ、今夜だけは。

 

 静かな星空の下で、次の旅を思い描いていたかった。

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