流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第六十二話 遺跡を追う男――ジン=フリークスとの邂逅

一九八九年、春。

 

 霧哭きの渓谷。

 

     ◇

 

 遺跡というものは、死者が残した手紙に似ている。

 

 文字が読めれば、そこに書かれた言葉を知ることができる。

 

 建物を調べれば、かつて暮らしていた人々の生活を想像できる。

 

 道具を手に取れば、何を必要とし、何を大切にしていたのかが見えてくる。

 

 だが、どれほど多くのものが残されていても、それだけですべてが分かるわけではない。

 

 書き残されなかった事情。

 

 語ることを許されなかった真実。

 

 そして、後世の人間には理解できない理由で下された決断。

 

 そうしたものは、時間の向こう側に置き去りにされている。

 

 霧哭きの渓谷で発見された古代遺構も、同じだった。

 

 暗黒大陸から逃げ延びた人々。

 

 彼らが築いた避難施設。

 

 長い年月を経てもなお稼働し続けていた中央統括機構。

 

 そして、俺に向けられた不可解な言葉。

 

『帰還を、確認しました』

 

 あの声が何を意味していたのか、俺には分からない。

 

 ただ、あの遺構にはまだ何かが隠されている。

 

 そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。

 

 そして、その謎に誰よりも強い興味を示す男が、霧哭きの渓谷へやって来た。

 

     ◇

 

 朝食を終えた俺は、前進拠点の医療区画へ向かっていた。

 

 昨日、回復能力によって治療した四番の男性について、経過を確認するためだ。

 

 雨上がりの空気は冷たく、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。

 

 谷の斜面には薄い霧が漂っていたが、空はよく晴れていた。

 

 足元の板張りの通路を歩いていると、前方からリリアがやって来た。

 

 彼女は小さな木箱を抱えている。

 

「アオ、おはよう」

 

「おはよう。何を運んでるんだ?」

 

「医療班の人に頼まれた薬品。向こうの倉庫から持ってきたところ」

 

「手伝おうか?」

 

「大丈夫。そんなに重くないから」

 

 そう言って笑うと、リリアは俺の隣へ並んだ。

 

「アオは四番の人のところ?」

 

「ああ。昨日の治療がうまくいってるか、気になってな」

 

「チードルさんが、朝の検査では安定してるって言ってたよ」

 

「そうか」

 

 それを聞いて、少し安心した。

 

 俺の回復能力は、怪我や病気を治すことができる。

 

 だが、今回の被験者たちは普通の患者ではない。

 

 長期間の人体実験によって、身体の内部にまで手が加えられている。

 

 昨日、四番の男性から異常なオーラ経路を取り除くことには成功した。

 

 しかし、その後に問題が起きないとは限らない。

 

 医療の専門家による継続的な観察は、どうしても必要だった。

 

「十三番の人は?」

 

 俺が尋ねると、リリアは少しだけ表情を曇らせた。

 

「まだ補助装置が必要みたい。でも、昨日より状態は落ち着いてるって」

 

「……そうか」

 

 十三番の女性は、人工的なオーラ経路に生命活動を依存している。

 

 単純に異常を取り除けばいいという話ではない。

 

 チードルとゲルは慎重に検査を進めていた。

 

 俺も、彼女たちの判断を待つつもりだった。

 

「それとね」

 

 リリアが、何かを思い出したように言った。

 

「今朝、ピヨンさんがすごく騒いでた」

 

「ピヨンさんが?」

 

「うん。古い地図に何か見つけたみたい」

 

 俺は足を止めかけた。

 

 昨夜、ピヨンは暗黒大陸から続く複数の移動経路を調べていたはずだ。

 

 そのうちの一つに、奇妙な印が残されているという話も聞いている。

 

「……何か分かったのかな」

 

「どうだろう。ミレーヌさんを呼びに行ってたよ」

 

 俺は少し考えた。

 

 医療区画の様子を確認した後で、資料解析室へ行ってみるか。

 

 そう思ったときだった。

 

 拠点の入口付近から、大きな声が聞こえてきた。

 

「だから、入れてくれって言ってんだろ!」

 

 男の声だった。

 

 かなり若い。

 

 しかも、妙に遠慮がない。

 

 俺とリリアは顔を見合わせた。

 

「……何だ?」

 

「さあ?」

 

 続いて、警備担当者の困惑した声が聞こえる。

 

「身分証明書を確認させてください! 協会の関係者だというなら、手続きが必要です!」

 

「ほら、これだよ」

 

「……確かにハンターライセンスですが、入場許可は別です!」

 

「面倒くせえな。会長に聞いてみろって」

 

 俺は、その言葉を聞いた瞬間、ある人物を思い浮かべた。

 

 まさか。

 

 いや、昨日の話を考えれば、あり得る。

 

「……行ってみるか」

 

 俺が言うと、リリアも頷いた。

 

 俺たちは、拠点の入口へ向かった。

 

     ◇

 

 そこには、若い男が立っていた。

 

 年齢は、俺より少し上だろうか。

 

 十代後半ほどに見える。

 

 黒い髪は無造作に伸び、ところどころが跳ねている。

 

 服装は動きやすさを重視したもので、旅慣れていることが一目で分かった。

 

 肩には使い込まれた鞄を掛けている。

 

 靴には乾いた泥がこびりつき、袖口には細かな擦り傷があった。

 

 だが、何より印象的だったのは、その目だった。

 

 鋭い。

 

 ただし、敵意があるわけではない。

 

 目の前にあるものを、片端から観察しているような視線。

 

 警備員の装備。

 

 拠点の配置。

 

 車両の種類。

 

 そして、周囲を流れるオーラ。

 

 それらを、ごく自然に見ている。

 

 俺は足を止めた。

 

(……ジン=フリークス)

 

 原作で知っている顔とは、当然ながら年齢が違う。

 

 だが、その面影は確かにあった。

 

 何より、あの雰囲気だ。

 

 目の前の世界そのものを楽しんでいるような、独特の気配。

 

 俺が知る未来のジンにも通じるものがある。

 

 若い男は、こちらに気づいた。

 

 そして、俺を見た瞬間、わずかに目を細めた。

 

「……へえ」

 

 短い声だった。

 

 俺は、思わず身構えそうになった。

 

 男はそんな俺の反応を見て、口元を歪める。

 

「お前、アオだろ?」

 

「……そうですけど」

 

「やっぱりな」

 

 彼は、あっさりと言った。

 

「俺はジン。ジン=フリークスだ」

 

 そして、片手を上げた。

 

「よろしくな」

 

 俺は、一瞬だけ言葉に詰まった。

 

 原作で知っている人物が、目の前にいる。

 

 しかも、想像していた以上に若い。

 

 だが、いつまでも驚いているわけにはいかない。

 

「……アオです。よろしくお願いします」

 

 俺が答えると、ジンは満足そうに頷いた。

 

「おう」

 

 その横で、警備担当者が困り果てた表情を浮かべていた。

 

「あの、アオさん。この方をご存じですか?」

 

「……名前は聞いています」

 

 俺は答えた。

 

「ネテロ会長が、今回の遺構に興味を持つかもしれないって」

 

 ジンが笑った。

 

「爺さん、そんなこと言ってたのか」

 

「……はい」

 

「余計なこと言いやがって」

 

 口ではそう言いながら、まったく怒っている様子はない。

 

 むしろ、楽しそうだった。

 

 そこへ、ミレーヌが駆けつけてきた。

 

「何の騒ぎ?」

 

 彼女はジンを見ると、少しだけ眉を上げた。

 

「……あなたがジン=フリークス?」

 

「そうだ」

 

「協会から連絡は受けているわ。ただし、正式な調査団への参加手続きはまだ済んでいないはずよ」

 

「だから今、済ませようとしてんだろ」

 

「警備員を困らせることが手続きなの?」

 

 ジンは、少しだけ肩をすくめた。

 

「細かいこと気にすんなよ」

 

 ミレーヌは深く息を吐いた。

 

 その様子を見て、俺は思わず苦笑した。

 

 どうやら、ジンは昔からジンらしい。

 

     ◇

 

 正式な確認を終えたジンは、すぐに資料解析室へ向かった。

 

 俺とリリアも同行する。

 

 ミレーヌは途中で別の仕事に呼ばれたため、後から合流することになった。

 

 ジンは歩きながら、周囲を興味深そうに見回していた。

 

「へえ。結構でかい拠点だな」

 

「今回の救出活動で、医療設備が増えましたから」

 

「二十五人だったか。被験者を救出したんだろ?」

 

「はい」

 

「全員生きてるんだよな?」

 

「ええ。まだ治療中ですけど」

 

 ジンは、短く頷いた。

 

「そりゃよかった」

 

 軽い言い方だった。

 

 だが、その声には嘘がなかった。

 

 俺は、少しだけ彼を見た。

 

 ジンは、すぐに別の話題へ移った。

 

「それで、遺構の入口は完全に閉じてんのか?」

 

「はい。中央統括機構が封鎖しました」

 

「外部通信は?」

 

「緊急用の回線だけ残っています」

 

「物資の搬送経路は?」

 

「一部だけ使えるみたいです」

 

 ジンは、考え込むように顎へ手を当てた。

 

「ふうん」

 

 その反応が、妙に気になった。

 

「……何か分かるんですか?」

 

「いや、まだ何も」

 

 ジンは、あっさりと答えた。

 

「でも、気になるだろ」

 

「……何が?」

 

「完全に封鎖するつもりなら、外部との繋がりを全部切ればいい」

 

 俺は、少しだけ眉を寄せた。

 

 確かに、その通りだ。

 

「なのに、通信回線と物資の搬送経路は残してる」

 

 ジンは、歩きながら続けた。

 

「つまり、その施設は閉じこもるためだけのもんじゃない。外と何かをやり取りする必要があったってことだ」

 

 俺は、言葉を失った。

 

 そんなことは、考えていなかった。

 

 施設が封鎖された。

 

 それでも通信回線が残っている。

 

 俺は、その事実を当然のものとして受け入れていた。

 

 だが、ジンは違う。

 

 そこに理由があるはずだと考えている。

 

「……なるほど」

 

 俺が呟くと、ジンは笑った。

 

「まだ仮説だけどな」

 

 彼は、肩に掛けた鞄を直した。

 

「それに、避難施設だったんだろ?」

 

「はい」

 

「だったら、外から人を受け入れる仕組みがあってもおかしくねえ」

 

 俺は、ゆっくりと頷いた。

 

 暗黒大陸から逃げ延びた人々。

 

 彼らが築いた避難施設。

 

 その目的が生命の保護だったなら、外部との接続を残す理由も理解できる。

 

 だが。

 

 それなら、なぜ今は封鎖されているのか。

 

 俺は、その疑問を口にした。

 

 ジンは、少しだけ笑った。

 

「だから調べるんだろ」

 

 その返答に、俺は思わず口元を緩めた。

 

 確かに、その通りだった。

 

     ◇

 

 資料解析室へ入ると、ピヨンが机の上に広げた地図と格闘していた。

 

 彼女は俺たちに気づくと顔を上げた。

 

「あ、アオ! ちょうどよかった!」

 

 そして、ジンを見た。

 

 一瞬、目を丸くする。

 

「……え?」

 

 ジンが片手を上げた。

 

「よっ」

 

「ジン!?」

 

 ピヨンは、勢いよく立ち上がった。

 

「本当に来たの!?」

 

「来ちゃ悪いかよ」

 

「悪くないけど、連絡くらいしなさいよ!」

 

「しただろ」

 

「今朝の一言だけじゃ連絡とは言わない!」

 

 俺は、二人のやり取りを見て少し驚いた。

 

 どうやら、すでに面識があるらしい。

 

 ジンは、机の上の資料へ視線を向けた。

 

「それより、これか?」

 

 彼が指差したのは、暗黒大陸の地図だった。

 

 ピヨンの表情が変わる。

 

「……うん」

 

 彼女は、机の上の紙を整理した。

 

「まだ完全には読めてないけど、かなり変わった記録なの」

 

「見せてくれ」

 

 ジンは、椅子を引いて座った。

 

 そして、地図をじっと見つめ始めた。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

 先ほどまでの軽い雰囲気が消え、目の前の資料へ意識が集中している。

 

 俺は、思わず息を潜めた。

 

 ジンは、しばらく何も言わなかった。

 

 指先で地図の端を押さえ、細い線を目で追っている。

 

 やがて、彼は一つの場所を指差した。

 

「……これ、何の印だ?」

 

 そこには、ピヨンが昨夜から調べていた奇妙な記号があった。

 

「それが分からないの」

 

 ピヨンは答えた。

 

「周囲の文字とも少し違うし、地図上のほかの印とも一致しない」

 

 ジンは、記号を見つめた。

 

 そして、別の資料を取り上げた。

 

「こっちの図面、誰が作った?」

 

「中央統括機構から送られてきたものだよ」

 

「ふうん」

 

 彼は、遺構の構造図を地図の横へ並べた。

 

 俺は、何をしているのか分からず見守った。

 

 ジンは、二枚の図面を交互に見比べた。

 

 そして、突然笑った。

 

「なるほどな」

 

 ピヨンが身を乗り出した。

 

「何か分かった!?」

 

「いや、まだ分かんねえ」

 

「もう!」

 

 彼女は不満そうに頬を膨らませた。

 

 だが、ジンは気にした様子もなく続けた。

 

「ただ、この印は場所を示してるんじゃないかもしれねえ」

 

 俺は、眉を寄せた。

 

「……どういうことですか?」

 

 ジンは、地図を指差した。

 

「普通、地図に印を付けるなら、そこに何かがあるって意味だろ?」

 

「はい」

 

「でも、こいつはちょっと違う」

 

 彼は、地図上の細い線をなぞった。

 

「見ろ。この印の前後で、線の描き方が変わってる」

 

 俺は、凝ではなく普通の目で地図を見つめた。

 

 確かに、細い線の太さがわずかに違っている。

 

 それまでは、一定の幅で描かれていた。

 

 だが、奇妙な記号を境に、線が細くなっている。

 

「……本当だ」

 

 リリアが呟いた。

 

 ジンは頷いた。

 

「ここで、何かが変わったんだ」

 

 ピヨンが、目を細めた。

 

「……移動手段?」

 

「その可能性もある」

 

 ジンは、指を動かした。

 

「あるいは、通れる人間の条件が変わったのかもしれねえ」

 

 俺は、思わず顔を上げた。

 

 通れる人間の条件。

 

 その言葉が、妙に引っかかった。

 

 中央統括機構は、俺を『観測対象一』と呼んでいた。

 

 そして、最後に『帰還を確認しました』と言った。

 

 あれは、単なる偶然なのだろうか。

 

 俺は、地図へ視線を戻した。

 

 ジンは、しばらく考えていた。

 

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……この遺構を造った連中は、何かから逃げてきたんだよな」

 

「はい」

 

 俺が答える。

 

「なら、普通は逃げ道を記録する」

 

 ジンは続けた。

 

「でも、これは逃げ道だけじゃない気がする」

 

 ピヨンが、静かに尋ねた。

 

「……帰り道?」

 

 ジンは、口元を歪めた。

 

「そういう可能性もある」

 

 俺は、息を止めた。

 

 帰り道。

 

 その言葉が、胸の奥へ深く沈んでいった。

 

     ◇

 

 しばらくして、ミレーヌが資料解析室へやって来た。

 

 ジンは、彼女へ簡単に挨拶すると、早速質問を始めた。

 

「遺構の外壁、材質は?」

 

「現地で採取した試料はあるわ。ただし、詳細な分析はまだよ」

 

「見せてくれ」

 

「今?」

 

「今」

 

 ミレーヌは、少しだけ呆れたように息を吐いた。

 

「本当にせっかちね」

 

 それでも、彼女は資料を取り出した。

 

 外壁の破片。

 

 地下通路の床材。

 

 そして、中央区画で採取した微細な金属片。

 

 ジンは、それらを一つずつ手に取った。

 

 指先で表面を撫で、重さを確かめ、光に透かして観察する。

 

 その動きには、迷いがなかった。

 

 俺は、思わず尋ねた。

 

「……何を調べてるんですか?」

 

 ジンは、外壁の破片を持ち上げた。

 

「作り方だよ」

 

「……作り方?」

 

「ああ」

 

 彼は、破片の断面を見せた。

 

「この施設、相当古いんだろ?」

 

「はい」

 

「なのに、壁材の劣化が妙に少ねえ」

 

 俺は、断面を見つめた。

 

 確かに、表面には傷があるものの、内部はほとんど変質していない。

 

「普通の石材や金属じゃ、こうはならねえ」

 

 ジンは続けた。

 

「もちろん、念能力で保護してた可能性もある。だが、それだけで説明するのは雑だ」

 

 俺は、静かに聞いていた。

 

「何か特別な加工をしてるのかもしれねえし、そもそも素材が違うのかもしれねえ」

 

 彼は、破片を机へ戻した。

 

「重要なのは、何が使われてるかだけじゃない」

 

 ジンは、俺を見た。

 

「どうやって造ったかだ」

 

 俺は、少しだけ目を見開いた。

 

「……なるほど」

 

「技術ってのは、いきなり生まれるもんじゃねえからな」

 

 彼は、軽く肩をすくめた。

 

「材料を集める人間がいて、加工する人間がいて、組み立てる人間がいる。そいつらがどういう暮らしをしてたか、そこまで考えないと分かんねえ」

 

 俺は、机の上の破片を見つめた。

 

 これまで俺は、遺構の機能ばかりに注目していた。

 

 何ができるのか。

 

 どれほど強力なのか。

 

 どんな危険があるのか。

 

 だが、ジンは違う。

 

 それを造った人間たちを見ようとしている。

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「……勉強になります」

 

 ジンは、意外そうに俺を見た。

 

「何だよ、急に」

 

「いや。俺、そういう考え方はしてなかったので」

 

「別に難しいことじゃねえよ」

 

 彼は、あっさりと言った。

 

「誰かが造ったんなら、造った理由がある。それだけだ」

 

 その言葉は、妙に胸へ残った。

 

     ◇

 

 昼過ぎ。

 

 俺は、ジンと二人で拠点の外れを歩いていた。

 

 彼が、実際に遺構の入口周辺を見たいと言い出したからだ。

 

 ただし、封鎖された地下へ入ることはできない。

 

 ミザイストムからも、無断で接近しないように注意されている。

 

 そのため、俺たちは安全が確認された外周区域だけを歩くことになった。

 

 リリアは医療班の手伝いへ戻り、ピヨンは資料解析室に残っている。

 

 ジンは、周囲の岩肌を興味深そうに眺めていた。

 

「……ここ、昔は水が流れてたな」

 

 突然、そんなことを言った。

 

 俺は、足元を見た。

 

「……分かるんですか?」

 

「岩の削れ方を見りゃ、大体な」

 

 ジンは、斜面の一部を指差した。

 

「ほら。あそこだけ丸く削れてるだろ」

 

 俺は、目を細めた。

 

 確かに、岩肌の一部が滑らかになっている。

 

 周囲の岩とは、明らかに形が違った。

 

「……なるほど」

 

「今は水が流れてねえけど、昔は結構な量だったはずだ」

 

 ジンは、谷の奥へ視線を向けた。

 

「遺構の入口も、もともとは別の場所にあったかもしれねえな」

 

 俺は、少し驚いた。

 

「……入口が?」

 

「ああ。地形が変われば、地上との接続も変わる」

 

 彼は、足元の小石を拾い上げた。

 

「長い年月が経ってるなら、なおさらだ」

 

 俺は、周囲を見回した。

 

 地下遺構の入口は、巨大な岩盤の下に隠されていた。

 

 だが、あれが建造当時の入口だったとは限らない。

 

 もしかすると、昔はもっと広い通路が存在していたのかもしれない。

 

 ジンは、小石を放り投げた。

 

 それから、ふと俺を見た。

 

「なあ、アオ」

 

「はい?」

 

「お前、何でこの遺構に入ったんだ?」

 

 俺は、少し考えた。

 

「……最初は、行方不明になった調査員を探すためです」

 

「それだけか?」

 

「……それだけじゃないですね」

 

 俺は、谷の奥へ視線を向けた。

 

 未知の遺構。

 

 古代の技術。

 

 そして、まだ誰も知らない歴史。

 

 そうしたものへの興味がなかったと言えば、嘘になる。

 

「……正直、好奇心もありました」

 

 ジンは笑った。

 

「だろうな」

 

 俺は、少しだけ肩をすくめた。

 

「でも、途中からは人を助けることが優先になりました」

 

「そりゃそうだろ」

 

 ジンは、あっさりと言った。

 

「目の前で死にそうな奴がいたら、まず助ける。遺跡は逃げねえからな」

 

 俺は、思わず笑った。

 

「……確かに」

 

 ジンは、少しだけ真剣な表情になった。

 

「ただな」

 

 俺は、彼を見た。

 

「遺跡を調べるってのは、宝探しとは違う」

 

 その言葉に、俺は黙って耳を傾けた。

 

「もちろん、珍しいもんが見つかるのは楽しい。すげえ技術が残ってたら、興奮もする」

 

 ジンは、谷の奥を見つめた。

 

「でも、そこにいた人間が何を考えて、何を残したのか。それを知る方が、俺は好きだ」

 

 俺は、少しだけ目を見開いた。

 

 ジンは続けた。

 

「今回の遺構だってそうだろ。暗黒大陸から逃げてきた連中が、何であんな施設を造ったのか」

 

 彼は、足元の岩を軽く蹴った。

 

「そいつらが何を守りたかったのか、気にならねえか?」

 

 俺は、ゆっくりと頷いた。

 

「……気になります」

 

「だろ?」

 

 ジンは、満足そうに笑った。

 

 その笑顔を見て、俺は少しだけ不思議な感覚を覚えた。

 

 原作で知っているジン=フリークス。

 

 世界でも屈指の才能を持つハンター。

 

 その印象は、確かに強かった。

 

 だが、今目の前にいるのは、未知の遺跡を前に目を輝かせる若い男だ。

 

 肩書きや実績ではなく、純粋な好奇心で動いている。

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「……ジンさんらしいですね」

 

 ジンが、こちらを見た。

 

「何だよ、それ」

 

「いえ。何となく」

 

 彼は、少し不思議そうな顔をした。

 

 だが、それ以上は追及しなかった。

 

     ◇

 

 拠点へ戻る途中。

 

 ジンが、突然足を止めた。

 

「……おい」

 

 俺は振り返った。

 

「どうしました?」

 

 ジンは、俺の顔をじっと見つめていた。

 

 その表情から、先ほどまでの軽さが消えている。

 

「お前、変なオーラしてんな」

 

 俺は、思わず息を止めた。

 

 ジンは、ゆっくりと俺の周囲を見回すように視線を動かした。

 

「纏はかなり上手い。オーラの流れも安定してる」

 

 俺は、黙っていた。

 

「でも、それだけじゃねえ」

 

 ジンは、少しだけ眉を寄せた。

 

「何か、普通の念能力者と違う感じがする」

 

 俺は、内心で警戒した。

 

 俺には、転生の際に与えられた能力がある。

 

 念の才能。

 

 戦闘の才能。

 

 身体能力。

 

 アイテムボックス。

 

 そして、回復能力。

 

 それらが、通常の念能力者とは異なる性質を持っている可能性はある。

 

 だが、ジンが何を感じ取ったのかは分からない。

 

「……そうですか?」

 

 俺は、できるだけ自然に答えた。

 

 ジンは、しばらく俺を見つめていた。

 

 そして、突然笑った。

 

「まあ、いいか」

 

 俺は、少しだけ目を丸くした。

 

「……いいんですか?」

 

「お前が話したくねえなら、無理に聞く必要もねえだろ」

 

 ジンは、あっさりと言った。

 

「ただ、強そうだなとは思った」

 

 俺は、少しだけ笑った。

 

「……ジンさんも、かなり強そうですけど」

 

「そりゃどうも」

 

 彼は、楽しそうに笑った。

 

「今度、軽く手合わせでもするか?」

 

 俺は、思わず顔を上げた。

 

 ジン=フリークスとの手合わせ。

 

 それは、正直かなり興味がある。

 

 未来のジンがどれほどの実力を持つのか、俺は原作の知識である程度知っている。

 

 だが、今のジンがどこまで強いのかは分からない。

 

 しかも、彼は俺より少し年上に見える程度だ。

 

 それでも、目の前にいるだけで分かる。

 

 この男は、ただ者ではない。

 

「……機会があれば、ぜひ」

 

 俺が答えると、ジンは笑った。

 

「よし。決まりだな」

 

 俺は、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。

 

 未知の遺構。

 

 暗黒大陸の謎。

 

 そして、ジン=フリークス。

 

 今回の探索は、終わったはずだった。

 

 だが、新しい出会いによって、また別の道が開かれようとしている。

 

     ◇

 

 その日の夕方。

 

 資料解析室では、ピヨンとジンが再び古代の地図を調べていた。

 

 俺とリリアも、二人の作業を見守っている。

 

 机の上には、暗黒大陸の地図と遺構の構造図が並んでいた。

 

 ジンは、奇妙な記号を指差した。

 

「なあ、ピヨン」

 

「何?」

 

「この印、文字じゃなくて記号だとしたら?」

 

 ピヨンは、少し考えた。

 

「……何かの装置を示してる?」

 

「かもしれねえ」

 

 ジンは頷いた。

 

「でも、俺はもう一つ考えてる」

 

 彼は、地図の上に指を置いた。

 

「この印が、移動経路の切り替わる場所を示してるんじゃないかってな」

 

 俺は、地図を見つめた。

 

 細い線が、奇妙な記号を境に変化している。

 

 その先には、別の地形が描かれていた。

 

 ピヨンが、ゆっくりと頷いた。

 

「……確かに、そう考えると辻褄が合う部分もあるね」

 

 ジンは、さらに資料を取り上げた。

 

「それに、この遺構の構造図にも似たような記号がある」

 

 俺は、思わず身を乗り出した。

 

「……どこですか?」

 

 ジンは、図面の一角を指差した。

 

 そこには、小さな記号が描かれていた。

 

 地下遺構の中央区画。

 

 中央統括機構が存在していた場所の近くだ。

 

 俺は、息を止めた。

 

「……これ」

 

 見覚えがあった。

 

 中央統括機構の端末に表示されていた、あの記号。

 

 俺が『観測対象一』と認識されたとき、画面の隅に浮かんでいたものだ。

 

 俺は、ゆっくりと口を開いた。

 

「……この印、見たことがあります」

 

 ピヨンが顔を上げた。

 

「本当!?」

 

「はい。中央統括機構の端末に表示されていました」

 

 ジンの表情が変わった。

 

「……いつだ?」

 

「俺が、最初に中央統括機構へ認識されたときです」

 

 俺は、当時の状況を説明した。

 

 青白い光。

 

 端末に表示された文字。

 

 そして、『観測対象一』という呼称。

 

 ジンは、しばらく黙って聞いていた。

 

 やがて、彼は小さく笑った。

 

「……なるほどな」

 

 俺は、彼を見た。

 

「何か分かったんですか?」

 

「いや。まだ分かんねえ」

 

 ジンは、あっさりと言った。

 

 だが、その目は鋭かった。

 

「ただ、一つだけ気になることがある」

 

 彼は、地図と構造図を交互に指差した。

 

「この印が同じ意味を持つなら、地図に描かれた場所と、この遺構の中央区画には何か共通点があるはずだ」

 

 ピヨンが頷いた。

 

「……確かに」

 

 ジンは、俺へ視線を向けた。

 

「アオ」

 

「はい」

 

「お前、中央統括機構に『帰還を確認した』って言われたんだよな?」

 

 俺は、ゆっくりと頷いた。

 

「……はい」

 

 ジンは、しばらく考えていた。

 

 そして、静かに言った。

 

「だったら、そいつはお前を何かと勘違いしたのかもしれねえ」

 

 俺は、息を止めた。

 

「……勘違い?」

 

「ああ」

 

 ジンは、地図へ視線を戻した。

 

「あるいは、勘違いじゃねえのかもしれない」

 

 俺は、言葉を失った。

 

 ピヨンも、黙って地図を見つめている。

 

 ジンは、少しだけ笑った。

 

「どっちにしても、調べる価値はありそうだな」

 

 俺は、胸の奥に小さな緊張を感じた。

 

 中央統括機構。

 

 観測対象一。

 

 帰還。

 

 そして、暗黒大陸の地図に描かれた奇妙な記号。

 

 それらが、少しずつ繋がり始めている。

 

 だが、その先に何があるのかは、まだ分からない。

 

 俺は、机の上の地図を見つめた。

 

 遥か昔、暗黒大陸から逃げ延びた人々。

 

 彼らが残した記録。

 

 そして、今もなお動き続ける古代の機械。

 

 そのすべてが、俺へ向けて何かを語ろうとしているように感じられた。

 

 ジンは、地図を指先で軽く叩いた。

 

「……さて」

 

 彼は、楽しそうに笑った。

 

「ここからが本番だな」

 

 俺は、その言葉を聞いて、ゆっくりと息を吸った。

 

 霧哭きの渓谷での探索は終わった。

 

 だが、遺構が残した謎は、まだ解き明かされていない。

 

 そして、その謎を追う新しい仲間が加わった。

 

 ジン=フリークス。

 

 彼との出会いが、これから俺の人生にどんな影響を与えるのか。

 

 今は、まだ分からない。

 

 ただ一つだけ、確かなことがある。

 

 この男と関われば、きっと退屈する暇はないだろう。

 

 俺は、静かに笑った。

 

 未知の世界への扉が、また一つ開こうとしていた。

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