流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷。
◇
遺跡というものは、死者が残した手紙に似ている。
文字が読めれば、そこに書かれた言葉を知ることができる。
建物を調べれば、かつて暮らしていた人々の生活を想像できる。
道具を手に取れば、何を必要とし、何を大切にしていたのかが見えてくる。
だが、どれほど多くのものが残されていても、それだけですべてが分かるわけではない。
書き残されなかった事情。
語ることを許されなかった真実。
そして、後世の人間には理解できない理由で下された決断。
そうしたものは、時間の向こう側に置き去りにされている。
霧哭きの渓谷で発見された古代遺構も、同じだった。
暗黒大陸から逃げ延びた人々。
彼らが築いた避難施設。
長い年月を経てもなお稼働し続けていた中央統括機構。
そして、俺に向けられた不可解な言葉。
『帰還を、確認しました』
あの声が何を意味していたのか、俺には分からない。
ただ、あの遺構にはまだ何かが隠されている。
そんな予感だけが、胸の奥に残っていた。
そして、その謎に誰よりも強い興味を示す男が、霧哭きの渓谷へやって来た。
◇
朝食を終えた俺は、前進拠点の医療区画へ向かっていた。
昨日、回復能力によって治療した四番の男性について、経過を確認するためだ。
雨上がりの空気は冷たく、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。
谷の斜面には薄い霧が漂っていたが、空はよく晴れていた。
足元の板張りの通路を歩いていると、前方からリリアがやって来た。
彼女は小さな木箱を抱えている。
「アオ、おはよう」
「おはよう。何を運んでるんだ?」
「医療班の人に頼まれた薬品。向こうの倉庫から持ってきたところ」
「手伝おうか?」
「大丈夫。そんなに重くないから」
そう言って笑うと、リリアは俺の隣へ並んだ。
「アオは四番の人のところ?」
「ああ。昨日の治療がうまくいってるか、気になってな」
「チードルさんが、朝の検査では安定してるって言ってたよ」
「そうか」
それを聞いて、少し安心した。
俺の回復能力は、怪我や病気を治すことができる。
だが、今回の被験者たちは普通の患者ではない。
長期間の人体実験によって、身体の内部にまで手が加えられている。
昨日、四番の男性から異常なオーラ経路を取り除くことには成功した。
しかし、その後に問題が起きないとは限らない。
医療の専門家による継続的な観察は、どうしても必要だった。
「十三番の人は?」
俺が尋ねると、リリアは少しだけ表情を曇らせた。
「まだ補助装置が必要みたい。でも、昨日より状態は落ち着いてるって」
「……そうか」
十三番の女性は、人工的なオーラ経路に生命活動を依存している。
単純に異常を取り除けばいいという話ではない。
チードルとゲルは慎重に検査を進めていた。
俺も、彼女たちの判断を待つつもりだった。
「それとね」
リリアが、何かを思い出したように言った。
「今朝、ピヨンさんがすごく騒いでた」
「ピヨンさんが?」
「うん。古い地図に何か見つけたみたい」
俺は足を止めかけた。
昨夜、ピヨンは暗黒大陸から続く複数の移動経路を調べていたはずだ。
そのうちの一つに、奇妙な印が残されているという話も聞いている。
「……何か分かったのかな」
「どうだろう。ミレーヌさんを呼びに行ってたよ」
俺は少し考えた。
医療区画の様子を確認した後で、資料解析室へ行ってみるか。
そう思ったときだった。
拠点の入口付近から、大きな声が聞こえてきた。
「だから、入れてくれって言ってんだろ!」
男の声だった。
かなり若い。
しかも、妙に遠慮がない。
俺とリリアは顔を見合わせた。
「……何だ?」
「さあ?」
続いて、警備担当者の困惑した声が聞こえる。
「身分証明書を確認させてください! 協会の関係者だというなら、手続きが必要です!」
「ほら、これだよ」
「……確かにハンターライセンスですが、入場許可は別です!」
「面倒くせえな。会長に聞いてみろって」
俺は、その言葉を聞いた瞬間、ある人物を思い浮かべた。
まさか。
いや、昨日の話を考えれば、あり得る。
「……行ってみるか」
俺が言うと、リリアも頷いた。
俺たちは、拠点の入口へ向かった。
◇
そこには、若い男が立っていた。
年齢は、俺より少し上だろうか。
十代後半ほどに見える。
黒い髪は無造作に伸び、ところどころが跳ねている。
服装は動きやすさを重視したもので、旅慣れていることが一目で分かった。
肩には使い込まれた鞄を掛けている。
靴には乾いた泥がこびりつき、袖口には細かな擦り傷があった。
だが、何より印象的だったのは、その目だった。
鋭い。
ただし、敵意があるわけではない。
目の前にあるものを、片端から観察しているような視線。
警備員の装備。
拠点の配置。
車両の種類。
そして、周囲を流れるオーラ。
それらを、ごく自然に見ている。
俺は足を止めた。
(……ジン=フリークス)
原作で知っている顔とは、当然ながら年齢が違う。
だが、その面影は確かにあった。
何より、あの雰囲気だ。
目の前の世界そのものを楽しんでいるような、独特の気配。
俺が知る未来のジンにも通じるものがある。
若い男は、こちらに気づいた。
そして、俺を見た瞬間、わずかに目を細めた。
「……へえ」
短い声だった。
俺は、思わず身構えそうになった。
男はそんな俺の反応を見て、口元を歪める。
「お前、アオだろ?」
「……そうですけど」
「やっぱりな」
彼は、あっさりと言った。
「俺はジン。ジン=フリークスだ」
そして、片手を上げた。
「よろしくな」
俺は、一瞬だけ言葉に詰まった。
原作で知っている人物が、目の前にいる。
しかも、想像していた以上に若い。
だが、いつまでも驚いているわけにはいかない。
「……アオです。よろしくお願いします」
俺が答えると、ジンは満足そうに頷いた。
「おう」
その横で、警備担当者が困り果てた表情を浮かべていた。
「あの、アオさん。この方をご存じですか?」
「……名前は聞いています」
俺は答えた。
「ネテロ会長が、今回の遺構に興味を持つかもしれないって」
ジンが笑った。
「爺さん、そんなこと言ってたのか」
「……はい」
「余計なこと言いやがって」
口ではそう言いながら、まったく怒っている様子はない。
むしろ、楽しそうだった。
そこへ、ミレーヌが駆けつけてきた。
「何の騒ぎ?」
彼女はジンを見ると、少しだけ眉を上げた。
「……あなたがジン=フリークス?」
「そうだ」
「協会から連絡は受けているわ。ただし、正式な調査団への参加手続きはまだ済んでいないはずよ」
「だから今、済ませようとしてんだろ」
「警備員を困らせることが手続きなの?」
ジンは、少しだけ肩をすくめた。
「細かいこと気にすんなよ」
ミレーヌは深く息を吐いた。
その様子を見て、俺は思わず苦笑した。
どうやら、ジンは昔からジンらしい。
◇
正式な確認を終えたジンは、すぐに資料解析室へ向かった。
俺とリリアも同行する。
ミレーヌは途中で別の仕事に呼ばれたため、後から合流することになった。
ジンは歩きながら、周囲を興味深そうに見回していた。
「へえ。結構でかい拠点だな」
「今回の救出活動で、医療設備が増えましたから」
「二十五人だったか。被験者を救出したんだろ?」
「はい」
「全員生きてるんだよな?」
「ええ。まだ治療中ですけど」
ジンは、短く頷いた。
「そりゃよかった」
軽い言い方だった。
だが、その声には嘘がなかった。
俺は、少しだけ彼を見た。
ジンは、すぐに別の話題へ移った。
「それで、遺構の入口は完全に閉じてんのか?」
「はい。中央統括機構が封鎖しました」
「外部通信は?」
「緊急用の回線だけ残っています」
「物資の搬送経路は?」
「一部だけ使えるみたいです」
ジンは、考え込むように顎へ手を当てた。
「ふうん」
その反応が、妙に気になった。
「……何か分かるんですか?」
「いや、まだ何も」
ジンは、あっさりと答えた。
「でも、気になるだろ」
「……何が?」
「完全に封鎖するつもりなら、外部との繋がりを全部切ればいい」
俺は、少しだけ眉を寄せた。
確かに、その通りだ。
「なのに、通信回線と物資の搬送経路は残してる」
ジンは、歩きながら続けた。
「つまり、その施設は閉じこもるためだけのもんじゃない。外と何かをやり取りする必要があったってことだ」
俺は、言葉を失った。
そんなことは、考えていなかった。
施設が封鎖された。
それでも通信回線が残っている。
俺は、その事実を当然のものとして受け入れていた。
だが、ジンは違う。
そこに理由があるはずだと考えている。
「……なるほど」
俺が呟くと、ジンは笑った。
「まだ仮説だけどな」
彼は、肩に掛けた鞄を直した。
「それに、避難施設だったんだろ?」
「はい」
「だったら、外から人を受け入れる仕組みがあってもおかしくねえ」
俺は、ゆっくりと頷いた。
暗黒大陸から逃げ延びた人々。
彼らが築いた避難施設。
その目的が生命の保護だったなら、外部との接続を残す理由も理解できる。
だが。
それなら、なぜ今は封鎖されているのか。
俺は、その疑問を口にした。
ジンは、少しだけ笑った。
「だから調べるんだろ」
その返答に、俺は思わず口元を緩めた。
確かに、その通りだった。
◇
資料解析室へ入ると、ピヨンが机の上に広げた地図と格闘していた。
彼女は俺たちに気づくと顔を上げた。
「あ、アオ! ちょうどよかった!」
そして、ジンを見た。
一瞬、目を丸くする。
「……え?」
ジンが片手を上げた。
「よっ」
「ジン!?」
ピヨンは、勢いよく立ち上がった。
「本当に来たの!?」
「来ちゃ悪いかよ」
「悪くないけど、連絡くらいしなさいよ!」
「しただろ」
「今朝の一言だけじゃ連絡とは言わない!」
俺は、二人のやり取りを見て少し驚いた。
どうやら、すでに面識があるらしい。
ジンは、机の上の資料へ視線を向けた。
「それより、これか?」
彼が指差したのは、暗黒大陸の地図だった。
ピヨンの表情が変わる。
「……うん」
彼女は、机の上の紙を整理した。
「まだ完全には読めてないけど、かなり変わった記録なの」
「見せてくれ」
ジンは、椅子を引いて座った。
そして、地図をじっと見つめ始めた。
その瞬間、空気が変わった。
先ほどまでの軽い雰囲気が消え、目の前の資料へ意識が集中している。
俺は、思わず息を潜めた。
ジンは、しばらく何も言わなかった。
指先で地図の端を押さえ、細い線を目で追っている。
やがて、彼は一つの場所を指差した。
「……これ、何の印だ?」
そこには、ピヨンが昨夜から調べていた奇妙な記号があった。
「それが分からないの」
ピヨンは答えた。
「周囲の文字とも少し違うし、地図上のほかの印とも一致しない」
ジンは、記号を見つめた。
そして、別の資料を取り上げた。
「こっちの図面、誰が作った?」
「中央統括機構から送られてきたものだよ」
「ふうん」
彼は、遺構の構造図を地図の横へ並べた。
俺は、何をしているのか分からず見守った。
ジンは、二枚の図面を交互に見比べた。
そして、突然笑った。
「なるほどな」
ピヨンが身を乗り出した。
「何か分かった!?」
「いや、まだ分かんねえ」
「もう!」
彼女は不満そうに頬を膨らませた。
だが、ジンは気にした様子もなく続けた。
「ただ、この印は場所を示してるんじゃないかもしれねえ」
俺は、眉を寄せた。
「……どういうことですか?」
ジンは、地図を指差した。
「普通、地図に印を付けるなら、そこに何かがあるって意味だろ?」
「はい」
「でも、こいつはちょっと違う」
彼は、地図上の細い線をなぞった。
「見ろ。この印の前後で、線の描き方が変わってる」
俺は、凝ではなく普通の目で地図を見つめた。
確かに、細い線の太さがわずかに違っている。
それまでは、一定の幅で描かれていた。
だが、奇妙な記号を境に、線が細くなっている。
「……本当だ」
リリアが呟いた。
ジンは頷いた。
「ここで、何かが変わったんだ」
ピヨンが、目を細めた。
「……移動手段?」
「その可能性もある」
ジンは、指を動かした。
「あるいは、通れる人間の条件が変わったのかもしれねえ」
俺は、思わず顔を上げた。
通れる人間の条件。
その言葉が、妙に引っかかった。
中央統括機構は、俺を『観測対象一』と呼んでいた。
そして、最後に『帰還を確認しました』と言った。
あれは、単なる偶然なのだろうか。
俺は、地図へ視線を戻した。
ジンは、しばらく考えていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……この遺構を造った連中は、何かから逃げてきたんだよな」
「はい」
俺が答える。
「なら、普通は逃げ道を記録する」
ジンは続けた。
「でも、これは逃げ道だけじゃない気がする」
ピヨンが、静かに尋ねた。
「……帰り道?」
ジンは、口元を歪めた。
「そういう可能性もある」
俺は、息を止めた。
帰り道。
その言葉が、胸の奥へ深く沈んでいった。
◇
しばらくして、ミレーヌが資料解析室へやって来た。
ジンは、彼女へ簡単に挨拶すると、早速質問を始めた。
「遺構の外壁、材質は?」
「現地で採取した試料はあるわ。ただし、詳細な分析はまだよ」
「見せてくれ」
「今?」
「今」
ミレーヌは、少しだけ呆れたように息を吐いた。
「本当にせっかちね」
それでも、彼女は資料を取り出した。
外壁の破片。
地下通路の床材。
そして、中央区画で採取した微細な金属片。
ジンは、それらを一つずつ手に取った。
指先で表面を撫で、重さを確かめ、光に透かして観察する。
その動きには、迷いがなかった。
俺は、思わず尋ねた。
「……何を調べてるんですか?」
ジンは、外壁の破片を持ち上げた。
「作り方だよ」
「……作り方?」
「ああ」
彼は、破片の断面を見せた。
「この施設、相当古いんだろ?」
「はい」
「なのに、壁材の劣化が妙に少ねえ」
俺は、断面を見つめた。
確かに、表面には傷があるものの、内部はほとんど変質していない。
「普通の石材や金属じゃ、こうはならねえ」
ジンは続けた。
「もちろん、念能力で保護してた可能性もある。だが、それだけで説明するのは雑だ」
俺は、静かに聞いていた。
「何か特別な加工をしてるのかもしれねえし、そもそも素材が違うのかもしれねえ」
彼は、破片を机へ戻した。
「重要なのは、何が使われてるかだけじゃない」
ジンは、俺を見た。
「どうやって造ったかだ」
俺は、少しだけ目を見開いた。
「……なるほど」
「技術ってのは、いきなり生まれるもんじゃねえからな」
彼は、軽く肩をすくめた。
「材料を集める人間がいて、加工する人間がいて、組み立てる人間がいる。そいつらがどういう暮らしをしてたか、そこまで考えないと分かんねえ」
俺は、机の上の破片を見つめた。
これまで俺は、遺構の機能ばかりに注目していた。
何ができるのか。
どれほど強力なのか。
どんな危険があるのか。
だが、ジンは違う。
それを造った人間たちを見ようとしている。
俺は、少しだけ笑った。
「……勉強になります」
ジンは、意外そうに俺を見た。
「何だよ、急に」
「いや。俺、そういう考え方はしてなかったので」
「別に難しいことじゃねえよ」
彼は、あっさりと言った。
「誰かが造ったんなら、造った理由がある。それだけだ」
その言葉は、妙に胸へ残った。
◇
昼過ぎ。
俺は、ジンと二人で拠点の外れを歩いていた。
彼が、実際に遺構の入口周辺を見たいと言い出したからだ。
ただし、封鎖された地下へ入ることはできない。
ミザイストムからも、無断で接近しないように注意されている。
そのため、俺たちは安全が確認された外周区域だけを歩くことになった。
リリアは医療班の手伝いへ戻り、ピヨンは資料解析室に残っている。
ジンは、周囲の岩肌を興味深そうに眺めていた。
「……ここ、昔は水が流れてたな」
突然、そんなことを言った。
俺は、足元を見た。
「……分かるんですか?」
「岩の削れ方を見りゃ、大体な」
ジンは、斜面の一部を指差した。
「ほら。あそこだけ丸く削れてるだろ」
俺は、目を細めた。
確かに、岩肌の一部が滑らかになっている。
周囲の岩とは、明らかに形が違った。
「……なるほど」
「今は水が流れてねえけど、昔は結構な量だったはずだ」
ジンは、谷の奥へ視線を向けた。
「遺構の入口も、もともとは別の場所にあったかもしれねえな」
俺は、少し驚いた。
「……入口が?」
「ああ。地形が変われば、地上との接続も変わる」
彼は、足元の小石を拾い上げた。
「長い年月が経ってるなら、なおさらだ」
俺は、周囲を見回した。
地下遺構の入口は、巨大な岩盤の下に隠されていた。
だが、あれが建造当時の入口だったとは限らない。
もしかすると、昔はもっと広い通路が存在していたのかもしれない。
ジンは、小石を放り投げた。
それから、ふと俺を見た。
「なあ、アオ」
「はい?」
「お前、何でこの遺構に入ったんだ?」
俺は、少し考えた。
「……最初は、行方不明になった調査員を探すためです」
「それだけか?」
「……それだけじゃないですね」
俺は、谷の奥へ視線を向けた。
未知の遺構。
古代の技術。
そして、まだ誰も知らない歴史。
そうしたものへの興味がなかったと言えば、嘘になる。
「……正直、好奇心もありました」
ジンは笑った。
「だろうな」
俺は、少しだけ肩をすくめた。
「でも、途中からは人を助けることが優先になりました」
「そりゃそうだろ」
ジンは、あっさりと言った。
「目の前で死にそうな奴がいたら、まず助ける。遺跡は逃げねえからな」
俺は、思わず笑った。
「……確かに」
ジンは、少しだけ真剣な表情になった。
「ただな」
俺は、彼を見た。
「遺跡を調べるってのは、宝探しとは違う」
その言葉に、俺は黙って耳を傾けた。
「もちろん、珍しいもんが見つかるのは楽しい。すげえ技術が残ってたら、興奮もする」
ジンは、谷の奥を見つめた。
「でも、そこにいた人間が何を考えて、何を残したのか。それを知る方が、俺は好きだ」
俺は、少しだけ目を見開いた。
ジンは続けた。
「今回の遺構だってそうだろ。暗黒大陸から逃げてきた連中が、何であんな施設を造ったのか」
彼は、足元の岩を軽く蹴った。
「そいつらが何を守りたかったのか、気にならねえか?」
俺は、ゆっくりと頷いた。
「……気になります」
「だろ?」
ジンは、満足そうに笑った。
その笑顔を見て、俺は少しだけ不思議な感覚を覚えた。
原作で知っているジン=フリークス。
世界でも屈指の才能を持つハンター。
その印象は、確かに強かった。
だが、今目の前にいるのは、未知の遺跡を前に目を輝かせる若い男だ。
肩書きや実績ではなく、純粋な好奇心で動いている。
俺は、少しだけ笑った。
「……ジンさんらしいですね」
ジンが、こちらを見た。
「何だよ、それ」
「いえ。何となく」
彼は、少し不思議そうな顔をした。
だが、それ以上は追及しなかった。
◇
拠点へ戻る途中。
ジンが、突然足を止めた。
「……おい」
俺は振り返った。
「どうしました?」
ジンは、俺の顔をじっと見つめていた。
その表情から、先ほどまでの軽さが消えている。
「お前、変なオーラしてんな」
俺は、思わず息を止めた。
ジンは、ゆっくりと俺の周囲を見回すように視線を動かした。
「纏はかなり上手い。オーラの流れも安定してる」
俺は、黙っていた。
「でも、それだけじゃねえ」
ジンは、少しだけ眉を寄せた。
「何か、普通の念能力者と違う感じがする」
俺は、内心で警戒した。
俺には、転生の際に与えられた能力がある。
念の才能。
戦闘の才能。
身体能力。
アイテムボックス。
そして、回復能力。
それらが、通常の念能力者とは異なる性質を持っている可能性はある。
だが、ジンが何を感じ取ったのかは分からない。
「……そうですか?」
俺は、できるだけ自然に答えた。
ジンは、しばらく俺を見つめていた。
そして、突然笑った。
「まあ、いいか」
俺は、少しだけ目を丸くした。
「……いいんですか?」
「お前が話したくねえなら、無理に聞く必要もねえだろ」
ジンは、あっさりと言った。
「ただ、強そうだなとは思った」
俺は、少しだけ笑った。
「……ジンさんも、かなり強そうですけど」
「そりゃどうも」
彼は、楽しそうに笑った。
「今度、軽く手合わせでもするか?」
俺は、思わず顔を上げた。
ジン=フリークスとの手合わせ。
それは、正直かなり興味がある。
未来のジンがどれほどの実力を持つのか、俺は原作の知識である程度知っている。
だが、今のジンがどこまで強いのかは分からない。
しかも、彼は俺より少し年上に見える程度だ。
それでも、目の前にいるだけで分かる。
この男は、ただ者ではない。
「……機会があれば、ぜひ」
俺が答えると、ジンは笑った。
「よし。決まりだな」
俺は、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。
未知の遺構。
暗黒大陸の謎。
そして、ジン=フリークス。
今回の探索は、終わったはずだった。
だが、新しい出会いによって、また別の道が開かれようとしている。
◇
その日の夕方。
資料解析室では、ピヨンとジンが再び古代の地図を調べていた。
俺とリリアも、二人の作業を見守っている。
机の上には、暗黒大陸の地図と遺構の構造図が並んでいた。
ジンは、奇妙な記号を指差した。
「なあ、ピヨン」
「何?」
「この印、文字じゃなくて記号だとしたら?」
ピヨンは、少し考えた。
「……何かの装置を示してる?」
「かもしれねえ」
ジンは頷いた。
「でも、俺はもう一つ考えてる」
彼は、地図の上に指を置いた。
「この印が、移動経路の切り替わる場所を示してるんじゃないかってな」
俺は、地図を見つめた。
細い線が、奇妙な記号を境に変化している。
その先には、別の地形が描かれていた。
ピヨンが、ゆっくりと頷いた。
「……確かに、そう考えると辻褄が合う部分もあるね」
ジンは、さらに資料を取り上げた。
「それに、この遺構の構造図にも似たような記号がある」
俺は、思わず身を乗り出した。
「……どこですか?」
ジンは、図面の一角を指差した。
そこには、小さな記号が描かれていた。
地下遺構の中央区画。
中央統括機構が存在していた場所の近くだ。
俺は、息を止めた。
「……これ」
見覚えがあった。
中央統括機構の端末に表示されていた、あの記号。
俺が『観測対象一』と認識されたとき、画面の隅に浮かんでいたものだ。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「……この印、見たことがあります」
ピヨンが顔を上げた。
「本当!?」
「はい。中央統括機構の端末に表示されていました」
ジンの表情が変わった。
「……いつだ?」
「俺が、最初に中央統括機構へ認識されたときです」
俺は、当時の状況を説明した。
青白い光。
端末に表示された文字。
そして、『観測対象一』という呼称。
ジンは、しばらく黙って聞いていた。
やがて、彼は小さく笑った。
「……なるほどな」
俺は、彼を見た。
「何か分かったんですか?」
「いや。まだ分かんねえ」
ジンは、あっさりと言った。
だが、その目は鋭かった。
「ただ、一つだけ気になることがある」
彼は、地図と構造図を交互に指差した。
「この印が同じ意味を持つなら、地図に描かれた場所と、この遺構の中央区画には何か共通点があるはずだ」
ピヨンが頷いた。
「……確かに」
ジンは、俺へ視線を向けた。
「アオ」
「はい」
「お前、中央統括機構に『帰還を確認した』って言われたんだよな?」
俺は、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
ジンは、しばらく考えていた。
そして、静かに言った。
「だったら、そいつはお前を何かと勘違いしたのかもしれねえ」
俺は、息を止めた。
「……勘違い?」
「ああ」
ジンは、地図へ視線を戻した。
「あるいは、勘違いじゃねえのかもしれない」
俺は、言葉を失った。
ピヨンも、黙って地図を見つめている。
ジンは、少しだけ笑った。
「どっちにしても、調べる価値はありそうだな」
俺は、胸の奥に小さな緊張を感じた。
中央統括機構。
観測対象一。
帰還。
そして、暗黒大陸の地図に描かれた奇妙な記号。
それらが、少しずつ繋がり始めている。
だが、その先に何があるのかは、まだ分からない。
俺は、机の上の地図を見つめた。
遥か昔、暗黒大陸から逃げ延びた人々。
彼らが残した記録。
そして、今もなお動き続ける古代の機械。
そのすべてが、俺へ向けて何かを語ろうとしているように感じられた。
ジンは、地図を指先で軽く叩いた。
「……さて」
彼は、楽しそうに笑った。
「ここからが本番だな」
俺は、その言葉を聞いて、ゆっくりと息を吸った。
霧哭きの渓谷での探索は終わった。
だが、遺構が残した謎は、まだ解き明かされていない。
そして、その謎を追う新しい仲間が加わった。
ジン=フリークス。
彼との出会いが、これから俺の人生にどんな影響を与えるのか。
今は、まだ分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この男と関われば、きっと退屈する暇はないだろう。
俺は、静かに笑った。
未知の世界への扉が、また一つ開こうとしていた。