流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
一九八九年、春。
霧哭きの渓谷。
◇
旅の終わりというものは、案外あっけなく訪れる。
昨日まで命を懸けて歩いていた場所が、今日はただの風景になっている。
崩落の危険に怯えながら進んだ地下通路。
異様な機械音が響いていた研究施設。
何十年、何百年という時間を越えて動き続けていた古代の装置。
そして、そこで出会った人々。
あれほど長く感じられた日々が、終わってみれば一瞬の出来事だったようにも思える。
だが、何も変わらなかったわけではない。
地下に囚われていた二十五人は、今では医療班の保護下にある。
行方不明になっていた六人の調査員も、全員が生還した。
ユリウス・ベルンハルトとエドガー・ヴァイス、それに三人の念能力者は拘束され、ハンター協会による正式な調査が進められている。
古代遺構は長期保全状態へ移行し、その記録の一部は協会へ引き渡された。
すべてが解決したわけではない。
むしろ、ここから始まる問題も多いだろう。
それでも、少なくとも俺たちは、生きて地上へ戻ってきた。
それだけは確かな事実だった。
そして今日。
俺たちは、この谷を離れることになっていた。
◇
朝の空気は冷たかった。
霧哭きの渓谷という名前に相応しく、山肌には薄い霧が漂っている。
前進拠点では、早朝から撤収作業が始まっていた。
金属製の支柱が外され、使用済みの資材が箱へ詰められていく。
車両のエンジン音。
作業員たちの呼び声。
荷物を運ぶ靴音。
数日前まで緊張に満ちていた場所に、ようやく日常的な喧騒が戻りつつあった。
俺は宿泊用テントの前に立ち、荷物の確認をしていた。
もっとも、俺の場合はアイテムボックスがある。
必要な道具の大半はすでに収納済みだ。
深紅の星髄石も、専用の保護容器に入れたまま保管している。
古代遺構から受け取った、暗赤色の結晶。
その性質は、まだ十分に解明されていない。
ただし、オーラの伝導と蓄積に関して、通常の鉱物とは明らかに異なる性質を持つらしい。
協会の研究班からは、正式な分析を受けないかと提案されていた。
だが、現時点では断っている。
俺自身がまだ、この石についてほとんど理解していないからだ。
それに、中央統括機構が俺へ託したものでもある。
軽々しく他人へ預ける気にはなれなかった。
「……よし」
荷物の確認を終え、テントの入口を閉じる。
そのとき、背後から声が聞こえた。
「アオ!」
振り返ると、リリアがこちらへ歩いてきていた。
明るい栗色の髪が、朝の風に揺れている。
肩には小さな鞄。
腰には、使い慣れた道具類。
いつもの旅装束だ。
「準備できた?」
「ああ。そっちは?」
「私も終わったよ」
リリアは笑った。
「でも、ミレーヌさんに呼ばれてるの」
「ミレーヌさんに?」
「うん。出発前に話があるんだって」
俺は少し考えた。
今回の調査について、最後の確認でもあるのだろうか。
「分かった。行こう」
俺たちは、拠点の中央へ向かった。
◇
会議用テントの前には、すでに数人のハンターが集まっていた。
ミレーヌ。
ミザイストム=ナナ。
ボトバイ=ギガンテ。
そして、チードル=ヨークシャー。
少し離れたところには、ピヨンとジン=フリークスの姿もある。
どうやら、単なる出発前の挨拶ではなさそうだ。
「おはよう、二人とも」
ミレーヌが声をかけてきた。
「おはようございます」
俺とリリアが挨拶すると、彼女は穏やかに頷いた。
「少し時間をもらえるかしら」
「はい」
俺たちは、会議用テントへ入った。
中には長机が置かれ、その上に何枚かの書類が並んでいた。
ミザイストムが席を勧める。
「座ってくれ。今回の調査について、正式な報告がある」
俺は、リリアと顔を見合わせた。
何だろう。
少なくとも、叱責されるようなことをした覚えはない。
……いや。
地下での行動を細かく振り返れば、多少無茶をした場面はある。
特にユリウスとの戦闘では、危険を承知で踏み込んだ。
そのあたりを指摘される可能性はあるかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、ミザイストムが口を開いた。
「まず、今回の霧哭きの渓谷における調査・救出活動について、協会の正式な評価がまとまった」
彼は、書類を一枚取り上げた。
「救出された被験者二十五名。生還した調査員六名。遺構内での重大な危険の排除。さらに、古代文明に関する記録の保全」
俺は、黙って聞いていた。
「これらは、単なる遺跡調査の成果にとどまらない。人命救助、危険施設の制圧、文化的資料の保護という複数の分野において、極めて大きな功績と認められた」
ボトバイが、重々しく頷いた。
「特に、地下施設での被験者救出は高く評価されている」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも、悪い話ではなさそうだ。
だが、ミザイストムの次の言葉を聞いた瞬間、俺は思わず目を見開いた。
「その結果、ハンター協会は、アオとリリアの両名に対し、一ツ星ハンターの称号を授与することを決定した」
……は?
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
隣を見ると、リリアも同じような顔をしている。
「……え?」
彼女が、小さく声を漏らした。
俺は、思わず聞き返した。
「……一ツ星、ですか?」
「ああ」
ミザイストムは頷いた。
「正式な認定だ」
俺は、言葉を失った。
一ツ星ハンター。
それは、特定の分野において顕著な功績を残したハンターへ与えられる称号だ。
原作の知識がある俺は、その意味をよく理解している。
単に強いだけでは得られない。
優れた念能力を持っているだけでも足りない。
社会的、あるいは専門的な分野において、明確な成果を残す必要がある。
そして、その功績を協会から正式に認められなければならない。
それが、一ツ星ハンターだった。
「……俺たちが?」
俺が呟くと、ミザイストムは頷いた。
「君たちのこれまでの活動記録も含めて審査された。今回の事件は、その評価を決定づけるものだった」
彼は、まず俺へ視線を向けた。
「アオ。君は危険区域における救助活動、特殊な念能力への対処、そして多数の被害者の保護において、極めて高い成果を残した」
俺は、黙って聞いていた。
「特に、通常の医療技術では対応が難しい状態にあった被験者を救い、施設の崩壊を防ぎながら救出活動を成功させた点が評価されている」
チードルが、静かに口を開いた。
「あなたの回復能力については、まだ分からないことも多いわ」
彼女は、俺を見た。
「でも、今回の救助活動で多くの命が繋がったことは事実よ」
俺は、少しだけ頭を下げた。
「……ありがとうございます」
ミザイストムは、続いてリリアへ視線を向けた。
「リリア。君については、危険区域における経路探索と集団避難の誘導能力が高く評価された」
リリアは、背筋を伸ばした。
「……はい」
「地下遺構から多数の人間を安全に脱出させることができたのは、君の判断と能力によるところが大きい」
ミザイストムは、書類を確認した。
「特に、崩落の危険がある通路での経路選定、移動速度の調整、負傷者を含む集団の誘導について、専門的な観点から高い評価が与えられている」
俺は、リリアを見た。
彼女は、少しだけ緊張した表情をしていた。
だが、その目は真剣だった。
俺は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
リリアは、今回の探索で何度も俺たちを助けてくれた。
彼女がいなければ、全員を無事に地上へ連れ出すことは難しかっただろう。
その功績が、正式に認められたのだ。
ミザイストムは、二枚の書類を机へ置いた。
「以上の理由から、両名の一ツ星認定が決定した」
俺は、しばらく書類を見つめていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありがとうございます」
それ以外に、言葉が見つからなかった。
◇
だが、話はそこで終わらなかった。
ミザイストムが、もう一枚の書類を取り上げた。
「そして、もう一件ある」
俺は、顔を上げた。
ミザイストムは、ミレーヌへ視線を向けた。
「ミレーヌ。君についても、正式な認定結果が届いている」
ミレーヌは、静かに頷いた。
「ええ」
その反応を見る限り、彼女はある程度予想していたらしい。
ミザイストムは、書類を読み上げた。
「ミレーヌは、これまで秘境調査分野において顕著な功績を残し、一ツ星ハンターとして活動してきた」
俺は、黙って聞いていた。
「また、協会の秘境調査事業において重要な役職を務め、複数の調査計画の管理と人材育成に携わっている」
なるほど。
ミレーヌは、単なる優秀な秘境ハンターではなかったらしい。
協会の内部でも、重要な役割を担っていたのだ。
ミザイストムは続けた。
「そして今回、弟子であるリリアが一ツ星ハンターへ認定されたことで、二ツ星認定に必要な条件が揃った」
リリアが、はっと顔を上げた。
「……え?」
ミザイストムは、静かに告げた。
「ミレーヌ。君を二ツ星ハンターとして認定する」
室内に、短い沈黙が落ちた。
俺は、思わずミレーヌを見た。
二ツ星ハンター。
それは、一ツ星よりもさらに厳しい条件を満たした者へ与えられる称号だ。
特定分野での功績だけでは足りない。
後進の育成。
協会への貢献。
そして、組織的な責任を担う立場。
そうした条件を満たして初めて認定される。
ミレーヌは、しばらく目を閉じていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありがとうございます」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
リリアが、椅子から立ち上がりかけた。
「ミレーヌさん!」
彼女の声が、少しだけ震えている。
「……二ツ星、おめでとうございます!」
ミレーヌは、驚いたように目を丸くした。
そして、穏やかに笑った。
「ありがとう、リリア」
彼女は、リリアを見つめた。
「でも、私より先に、あなた自身のことを喜びなさい」
リリアは、少しだけ目を伏せた。
「……だって」
言葉が続かない。
ミレーヌは、ゆっくりと立ち上がった。
そして、リリアの前へ歩み寄る。
「あなたがここまで成長してくれたことが、私は何より嬉しいの」
その言葉に、リリアの目が潤んだ。
「……ミレーヌさん」
ミレーヌは、そっと彼女の肩へ手を置いた。
「よく頑張ったわね」
リリアは、唇を噛みしめた。
そして、小さく頷いた。
「……はい」
俺は、その光景を静かに見守っていた。
師匠と弟子。
長い時間をかけて築かれた関係。
その積み重ねが、今こうして形になったのだ。
俺は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
◇
正式な認定書類の受領が終わると、会議室の空気は少しだけ和らいだ。
ジンが、俺の肩を軽く叩いた。
「おめでとさん」
「……ありがとうございます」
「十五歳で一ツ星か。やるじゃねえか」
俺は、少しだけ苦笑した。
「……まだ実感がないです」
「そりゃそうだろ」
ジンは笑った。
「星が付いたからって、急に何かが変わるわけじゃねえしな」
俺は、少しだけ目を細めた。
確かに、その通りだ。
俺の身体能力が突然上がるわけではない。
念能力が強化されるわけでもない。
昨日までできなかったことが、今日からできるようになるわけでもない。
だが、周囲からの評価は変わる。
責任も増えるだろう。
「……気を引き締めないといけませんね」
俺が言うと、ジンは肩をすくめた。
「まあ、好きにすりゃいいさ」
彼は、少しだけ笑った。
「ただ、星のために動くようになったら、つまんなくなるぞ」
俺は、思わず顔を上げた。
ジンは、軽い調子で続けた。
「自分がやりたいことをやって、その結果として星が付く。それでいいんじゃねえか?」
俺は、少し考えた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……そうですね」
ジンは、満足そうに笑った。
「おう」
その横で、ピヨンがリリアへ話しかけていた。
「リリアもおめでとー!」
「ありがとうございます!」
「一ツ星になったんだから、今度一緒に遺跡調査しようよ!」
リリアは、少し驚いた顔をした。
「え、私でいいんですか?」
「もちろん!」
ピヨンは笑った。
「今回の地図の読み方、結構助かったんだよね」
リリアは、少し照れたように笑った。
「……嬉しいです」
俺は、その様子を見て小さく笑った。
どうやら、リリアにも新しい道が開けそうだ。
◇
昼前。
俺たちは、医療区画へ向かった。
出発前に、救出した人々の様子を確認しておきたかったからだ。
医療テントの中では、チードルとゲルが最後の診察を行っていた。
四番の男性は、寝台の上で上半身を起こしていた。
昨日よりも顔色がいい。
俺たちが近づくと、彼はゆっくりと顔を上げた。
「……あ」
俺は、軽く手を上げた。
「こんにちは」
男性は、少しだけ笑った。
「……こんにちは」
声はまだ掠れている。
だが、昨日よりもはっきりしていた。
チードルが、穏やかに説明した。
「回復は順調よ。ただし、筋力と体力の低下が大きいから、しばらくはリハビリが必要ね」
俺は頷いた。
「……よかったです」
男性は、俺を見つめた。
そして、少しだけ迷ったように口を開いた。
「……あの」
「はい?」
「……名前を、思い出しました」
俺は、思わず目を見開いた。
「……本当ですか?」
男性は、ゆっくりと頷いた。
「……エリオット」
彼は、少しだけ息を整えた。
「エリオット・グレイ……それが、私の名前です」
俺は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
四番。
それは、研究施設で与えられた番号だった。
だが、彼には本来の名前がある。
エリオット・グレイ。
その名前を、彼は取り戻したのだ。
「……エリオットさん」
俺が呼ぶと、男性はゆっくりと頷いた。
「……はい」
その返事には、確かな意思があった。
俺は、少しだけ笑った。
「……よかった」
エリオットは、静かに目を閉じた。
そして、掠れた声で言った。
「……生きてて、よかった」
俺は、何も言えなかった。
ただ、静かに頷いた。
その言葉だけで、十分だった。
◇
十三番の女性については、まだ慎重な治療が必要だった。
人工的なオーラ経路に依存していた身体は、すぐに元へ戻せる状態ではない。
チードルとゲルは、段階的に補助装置への依存を減らしていく方針を立てていた。
俺の回復能力についても、今後の治療過程で必要になれば協力することになっている。
ただし、無理に使うつもりはない。
回復能力は強力だ。
だが、万能ではない。
少なくとも、今回のように複雑な状態の患者については、専門家の判断が欠かせなかった。
零号と呼ばれていた大柄な被験者も、依然として意識を取り戻していない。
ただし、生命活動は安定している。
今後は、協会の医療施設で長期的な治療を受けることになるらしい。
俺は、静かに息を吐いた。
全員が元通りになるまでには、長い時間が必要だろう。
それでも、彼らには未来がある。
それが、何より大切だった。
◇
午後。
俺たちは、レオンとガルドに別れを告げるため、拠点の外れへ向かった。
二人は、物資の積み込み作業を手伝っていた。
ガルドは、大きな木箱を軽々と持ち上げている。
その隣で、レオンが作業員たちへ指示を出していた。
「……おう、アオ!」
俺たちに気づいたガルドが、片手を上げた。
「もう出発するのか?」
「ああ。今日の夕方には」
「そうか」
ガルドは、少しだけ寂しそうに笑った。
「世話になったな」
俺は首を横に振った。
「こっちこそ。助かりました」
実際、ガルドの働きは大きかった。
重い機材の運搬。
負傷者の搬送。
危険区域での力仕事。
彼がいなければ、救出活動はもっと難しくなっていただろう。
レオンが、静かに口を開いた。
「……アオ」
「はい」
「改めて、礼を言わせてくれ」
俺は、彼を見た。
「君たちがいなければ、あの施設で何が行われていたのか、私は最後まで知らないままだったかもしれない」
レオンは、少しだけ目を伏せた。
「……自分の無知を、言い訳にはしたくない」
俺は、黙って聞いていた。
「だから、これからは自分にできることをするつもりだ」
彼は、静かに続けた。
「協会の調査に協力し、必要なら被害者たちの支援にも関わりたい」
俺は、ゆっくりと頷いた。
「……それがいいと思います」
レオンは、少しだけ笑った。
「ありがとう」
ガルドが、豪快に笑った。
「俺も手伝うぜ! 力仕事なら任せろ!」
俺は、思わず笑った。
「頼りにしてます」
ガルドは、満足そうに頷いた。
俺は、二人へ手を差し出した。
「……また、どこかで」
レオンが、その手を握った。
「ああ。また会おう」
続いて、ガルドが俺の手を握った。
相変わらず、とんでもない握力だった。
「次に会うときは、もっといい場所でな!」
「……そうですね」
俺は、笑って頷いた。
◇
夕方が近づく頃。
拠点では、最後の報告会が開かれていた。
ミザイストムとボトバイが、今回の事件の今後について説明する。
ユリウス・ベルンハルト。
エドガー・ヴァイス。
そして、地下施設で拘束された三人の念能力者。
彼らについては、正式な取り調べと証拠の精査が進められることになった。
ただし、全員を同じように扱うわけではない。
研究計画の主導者。
実験の実行責任者。
雇われた念能力者。
それぞれの関与の程度は異なる。
ミザイストムは、明確に言った。
「責任は、個別に判断されるべきだ」
俺は、静かに頷いた。
ユリウスとエドガーが行ったことは、決して許されるものではない。
だが、だからといって、関わった人間すべてを一括りに裁くのは違う。
特に、外部警備員の中には、念による強制を受けていた者もいる。
彼らの扱いには、慎重さが必要だった。
ボトバイが、低い声で続けた。
「今後は、背後関係の調査も進める」
俺は、顔を上げた。
背後関係。
ユリウスが、どこから資金や人員を調達していたのか。
誰が、人体実験に必要な設備を用意したのか。
そして、外部警備員へ念の強制を施した人物は誰なのか。
まだ分かっていないことは多い。
だが、それらは協会が引き継ぐことになった。
俺たちの役割は、ここまでだ。
◇
報告会が終わると、ネテロ会長から通信が入った。
会議室の通信装置に、見慣れた老人の顔が映し出される。
『ほっほっほ。皆、よう働いたのう』
その声を聞いて、俺は少しだけ笑った。
「お久しぶりです、会長」
『うむ。元気そうじゃな、アオ』
「おかげさまで」
ネテロは、楽しそうに笑った。
『一ツ星、おめでとう』
「……ありがとうございます」
『リリアも、よく頑張ったのう』
リリアが、少し緊張した様子で頭を下げた。
「ありがとうございます!」
『そして、ミレーヌ』
ネテロは、彼女へ視線を向けた。
『二ツ星への昇格、見事じゃ』
ミレーヌは、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます、会長」
ネテロは、満足そうに頷いた。
『弟子の成長ほど、師にとって嬉しいものはあるまい』
その言葉に、ミレーヌは少しだけ微笑んだ。
「……ええ。本当に」
俺は、その様子を見て胸が温かくなった。
ネテロは、しばらく三人を見つめていた。
そして、楽しそうに笑った。
『さて。星を得たからといって、そこで満足してはいかんぞ』
俺は、背筋を伸ばした。
『ハンターの道に終わりはない。未知のものを追い、己の目で確かめ、己の意思で進む』
ネテロは、静かに続けた。
『その先に何があるかは、誰にも分からん』
俺は、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
ネテロは、最後に笑った。
『また会おうぞ』
「はい。また」
通信が切れた。
俺は、静かに息を吐いた。
ハンターの道に終わりはない。
その言葉が、胸の奥へ深く残った。
◇
日が傾き始めた頃。
俺たちは、拠点の入口に立っていた。
ミレーヌ。
ジン。
ピヨン。
そして、リリア。
今回の探索で、特に長い時間を共にした面々だ。
ミレーヌが、俺たちを見た。
「……それじゃあ、ここでお別れね」
リリアは、少しだけ寂しそうな顔をした。
「……はい」
ミレーヌは、穏やかに笑った。
「そんな顔をしないの」
彼女は、リリアの肩へ手を置いた。
「あなたはもう、一人前のハンターよ」
リリアは、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
「もちろん、まだ学ぶことはたくさんあるわ」
ミレーヌは続けた。
「でも、それは私も同じ。二ツ星になったからといって、知らないことがなくなるわけじゃないもの」
リリアは、少しだけ笑った。
「……そうですね」
ミレーヌは、彼女を見つめた。
「これからも、自分の目で見て、自分で考えなさい」
リリアは、しっかりと頷いた。
「はい!」
その返事には、以前よりも確かな自信があった。
俺は、二人のやり取りを静かに見守った。
ミレーヌが、今度は俺へ視線を向けた。
「アオ」
「はい」
「リリアをよろしくね」
俺は、少しだけ目を丸くした。
そして、笑った。
「……はい。もちろんです」
ミレーヌは、満足そうに頷いた。
その横で、ジンが口を開いた。
「おい、アオ」
「はい?」
「今度、どっかで手合わせしようぜ」
俺は、思わず笑った。
「……覚えてたんですか?」
「当たり前だろ」
ジンは、楽しそうに笑った。
「お前、結構強そうだしな」
俺は、少しだけ肩をすくめた。
「……そのときは、よろしくお願いします」
「おう」
ジンは、片手を上げた。
「じゃあな」
その軽い挨拶が、妙に彼らしかった。
ピヨンも、俺たちへ手を振った。
「二人とも、またねー!」
「はい!」
リリアが笑って答える。
「今度は、もっと落ち着いた遺跡で会いたいです!」
ピヨンが、楽しそうに笑った。
「それは保証できないかなー!」
俺は、思わず苦笑した。
確かに。
ハンターの仕事に、絶対の安全などない。
だが、それでも。
次に会うときは、もう少し穏やかな状況であってほしいものだ。
◇
俺とリリアは、渓谷を抜ける道を歩き始めた。
夕陽が、山肌を赤く染めている。
足元の道は、まだ少し湿っていた。
遠くでは、鳥の鳴き声が聞こえる。
俺は、ゆっくりと息を吸った。
長い探索だった。
だが、ようやく終わった。
隣を歩くリリアが、ふと口を開いた。
「……ねえ、アオ」
「ん?」
「一ツ星になったんだよね、私たち」
俺は、少しだけ笑った。
「ああ」
「……まだ、信じられない」
「俺もだよ」
リリアは、少しだけ笑った。
そして、空を見上げた。
「……ミレーヌさん、嬉しそうだったね」
「ああ」
俺は頷いた。
「リリアが頑張ったからだろ」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「……アオも頑張ってたよ」
「まあ、俺もそれなりにな」
俺が笑うと、リリアも笑った。
しばらく、二人で歩いた。
やがて、彼女が口を開いた。
「……次は、どこへ行く?」
俺は、少し考えた。
流星街へ戻るのもいい。
ネテロ会長やビスケに会いに行くのも悪くない。
まだ見たことのない土地を旅するのも、楽しそうだ。
この世界には、知らない場所が山ほどある。
そして、俺たちはまだ若い。
時間は、十分にあるはずだ。
「……そうだな」
俺は、遠くの山並みを見つめた。
「まずは、どこかでゆっくり休みたい」
リリアが笑った。
「それ、いいね」
「それから、次の目的地を考えよう」
「うん」
彼女は、楽しそうに頷いた。
俺は、少しだけ笑った。
星を得た。
功績を認められた。
だが、それで何かが終わるわけではない。
むしろ、ここから新しい道が始まる。
俺は、歩きながら空を見上げた。
夕焼けの向こうには、まだ見ぬ世界が広がっている。
そのどこかに、俺が知らないものがある。
出会っていない人々がいる。
そして、これから経験する出来事が待っている。
俺は、静かに笑った。
ハンターとして。
そして、この世界に生きる一人の人間として。
これからも、自分の足で歩いていこう。
隣には、リリアがいる。
それだけで、十分だった。
◇
霧哭きの渓谷。
その地下深くでは、古代遺構が静かな眠りについていた。
暗黒大陸から逃げ延びた人々が残した記録。
未来の子孫へ託された、帰還の可能性。
そして、まだ誰にも解き明かされていない秘密。
それらは、今も地下に眠っている。
だが、今回の探索で、その一部は確かに未来へ受け継がれた。
人々の命は救われた。
記録は守られた。
そして、三人のハンターが新たな星を得た。
アオ。
リリア。
ミレーヌ。
それぞれが異なる道を歩みながら、同じ出来事を通して成長した。
その功績は、やがてハンター協会の記録に残されることになるだろう。
だが、俺たちにとって大切なのは、星の数ではない。
何を見て。
何を知り。
何を守り。
そして、どんな道を選ぶのか。
その答えを、これからも探し続けることだ。
夕陽の中、俺とリリアは歩き続けた。
霧哭きの渓谷が、少しずつ遠ざかっていく。
俺は、一度だけ振り返った。
山々の間に、薄い霧が漂っている。
その向こうには、かつて命を懸けて歩いた地下遺構が眠っている。
俺は、静かに息を吐いた。
「……じゃあな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
そして、前を向いた。
隣では、リリアが穏やかに笑っていた。
俺たちは、再び歩き始める。
まだ見ぬ世界へ。
まだ知らない未来へ。
そして、自分たちの意思で選んだ、新しい旅路へ。