流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む 作:アイエオ
目が覚めたとき、窓の外はまだ薄暗かった。
夜明け前の静けさが、部屋の中に満ちている。
寝台の上でゆっくりと身体を起こすと、敷布が肩から滑り落ちた。窓の隙間から入り込んだ冷たい空気が、剥き出しになった腕を撫でていく。
昨夜は久しぶりによく眠れた。
柔らかな寝台に清潔な寝具。屋根があり、壁があり、眠っている間に天井が崩れてくる心配もない。
そんな当たり前の環境が、今はひどく贅沢に感じられる。
霧哭きの渓谷で過ごした日々が、それだけ張り詰めたものだったのだろう。
俺は寝台から降り、軽く身体を伸ばした。
背骨が小さく鳴る。
疲労はほとんど残っていない。
念を使わずに拳を握り、開く。指先の感覚は鋭く、関節の動きにも違和感はなかった。
身体の調子は万全だ。
昨夜、六時間以上の睡眠を取ったことで、回復能力の使用回数も補充されているはずだった。
今日使えるのは三回。
もっとも、できれば一度も使わずに済ませたいところだ。
「……さて」
窓辺へ歩き、薄いカーテンを開く。
東の空が、わずかに白み始めていた。
街はまだ眠っている。
大通りには人影が少なく、時折、早朝から働く商人の荷車が石畳を軋ませながら通り過ぎていく。
昨日、俺たちは霧哭きの渓谷からこの街へ戻ってきた。
そして夜、リリアに自分の能力について詳しく説明した。
回復能力。
アイテムボックス。
常人離れした身体能力。
そして、俺の特質系の発。
『愚か者の宝物庫(ジャンキージャンクスロットマシーン)』。
持ち物を代償に、特殊な宝物を獲得する能力。
言葉にしてしまえば簡単だが、その実態は決して単純ではない。
価値のある品を捧げれば、必ず相応の報酬が返ってくるわけではない。
むしろ、何も得られずに終わる可能性のほうが高い。
だが、今回は事情が違う。
俺は窓から離れ、机の上に手をかざした。
アイテムボックスから取り出したのは、厚手の布で包まれた小さな容器だった。
慎重に蓋を開ける。
中に収められていた結晶が、夜明け前の薄明かりを受けて鈍く輝いた。
深紅の星髄石。
鶏卵ほどの大きさをした暗赤色の結晶には、金色の細い筋が幾重にも走っている。
表面は磨き上げられた宝石のように滑らかだが、内部には複雑な層が重なっていた。
じっと見つめていると、その奥で微かな光が脈打っているように錯覚する。
古代文明の遺構から持ち帰った、極めて希少な品だ。
遺構の記録によれば、オーラの伝導や蓄積に関わる性質を持つらしい。
だが、その正確な用途も、製造方法も分かっていない。
少なくとも、現在の一般的な技術で簡単に作れるものではないだろう。
同じ石は、あの地下施設にあと二つ残されている。
俺が持っているのは、そのうちの一つ。
正当な手続きを経て譲り受けたものだ。
協会の研究者に渡せば、相当な価値がつくに違いない。
あるいは、長い時間をかけて調べれば、古代文明の技術を理解する手がかりになるかもしれない。
それを、俺は今日、供物として失おうとしている。
永久に。
「……贅沢な賭けだな」
自分でもそう思う。
だが、不思議と迷いは少なかった。
もちろん、当たらなければ惜しい。
これほどの品を失って、何も手に入らなければ落胆するだろう。
それでも、俺の発がどこまでの可能性を秘めているのか、確かめてみたかった。
それに――。
昨夜、リリアと話していて考えたことがある。
俺一人が強くなれば、それでいいわけではない。
彼女が危険な場所へ先行するとき。
俺の手が届かないところで、予想外の敵と遭遇したとき。
そんな場面で役立つものを、もっと用意できないだろうか。
発から得られる宝物は、こちらの望み通りに選べるわけではない。
だから、都合のいいものが出るとは限らない。
それでも。
もし、今回の供物に見合うだけの宝物が手に入るなら。
その使い道は、慎重に考えたい。
俺は星髄石を容器へ戻し、アイテムボックスへ収納した。
窓の外では、東の空が少しずつ明るくなり始めていた。
◇
朝食の時間になると、宿の一階にはすでに数人の客が集まっていた。
焼きたてのパンと、香草を使った卵料理。
温かいスープに、薄く切られた燻製肉。
旅人向けの宿らしく、量は十分だった。
「おはよう、アオ」
先に席へ着いていたリリアが、こちらに気づいて手を上げた。
「おはよう。早いな」
「目が覚めちゃって。昨日は早く寝たからかな」
彼女は明るい栗色の髪を軽く整えながら笑った。
普段の外套は着ておらず、動きやすいシャツとズボン姿だ。
腰にはいつものポーチがある。
「よく眠れたか?」
「うん。久しぶりに、何も気にしないで眠れた気がする」
「俺もだ」
向かいの席に腰を下ろす。
リリアはパンをちぎりながら、少し声を落とした。
「……今日、使うんだよね?」
「ああ」
「例の発」
「そのつもりだ」
彼女は一度頷き、それから周囲を見回した。
近くの席には商人らしい男が二人いる。
俺たちの会話に耳を傾けている様子はなかったが、念能力の話をするには適した場所ではない。
「場所はどうするの?」
「街の外で探そうと思ってる。人目がなくて、多少派手なことをしても問題のない場所がいい」
「だったら、昨日の街道から見えた丘陵地帯は?」
「西側の?」
「うん。あそこなら林が点在してるし、道から少し離れれば人も来ないと思う」
リリアは指先で卓上に簡単な地形を描いた。
「ただ、北側には牧草地があったから、そっちは避けた方がいいかな」
「なるほど」
「南側に小さな沢が見えたでしょ。その上流なら、たぶん岩場があると思う」
昨日、街へ向かう途中で通った場所だ。
確かに、街道から外れた先に雑木林と岩場が広がっていた。
地形的にも、発を使うには都合がよさそうだった。
「じゃあ、そこを調べてみよう」
「うん」
話が決まると、リリアは満足そうにスープへ手を伸ばした。
俺も朝食を食べ始める。
昨夜の会話以来、彼女の態度が大きく変わったわけではない。
だが、少しだけ違うものを感じていた。
以前なら、俺の能力について尋ねるとき、どこか遠慮があった。
秘密に踏み込んではいけないと考えていたのかもしれない。
今は、必要なことなら自然に質問してくれる。
その変化は、俺にとってありがたかった。
「ねえ、アオ」
「ん?」
「昨日の話なんだけど」
「何だ?」
「供物にするものって、もう決めてるの?」
「ああ。決めてある」
「……高価なもの?」
「たぶん、今まで捧げたものの中でも、かなり上の方だと思う」
リリアは目を瞬かせた。
「そんなものを使うんだ」
「今回はな」
「……大丈夫?」
「心配してくれてるのか?」
「当たり前でしょ」
彼女は少し眉を寄せた。
「アオが自分で決めたことなら止めないけど、無理してないかは気になるよ」
俺はパンを置き、彼女を見た。
「大丈夫だ。結果が外れでも、生活に困るようなものじゃない」
「それならいいけど……」
「ただ、惜しくはなるだろうな」
「そこは正直なんだね」
「そりゃそうだ」
俺が笑うと、リリアもつられて笑った。
だが、そのあと彼女は少し真面目な顔になった。
「……私、ちゃんと見てるね」
「何を?」
「アオの発。どういう仕組みで、どんなことが起きるのか」
その言葉に、俺は小さく頷いた。
「ああ。頼む」
◇
朝食を終え、必要な準備を済ませた俺たちは街を出た。
門を抜けると、春の風が頬を撫でた。
街道沿いには若草が芽吹き、遠くの畑では農夫たちが仕事を始めている。
空は晴れていた。
薄い雲がゆっくりと流れ、日差しは穏やかだった。
リリアの案内で西へ向かい、街道から外れた小道へ入る。
しばらく進むと、周囲の木々が増え始めた。
地面には落ち葉が積もり、ところどころに露出した岩が見える。
沢の音が、遠くから微かに聞こえていた。
「この辺りから調べてみるね」
リリアが足を止めた。
「頼む」
彼女は腰のポーチから銀色の羅針盤を取り出した。
『迷い人の足跡(ロスト・トレイル)』。
具現化された羅針盤の針が、ゆっくりと回り始める。
リリアは周囲の地面や木々の間を観察しながら、慎重に進んでいった。
俺は少し距離を置いて後に続く。
周囲へ『円』を広げた。
半径およそ五十メートル。
薄く広がったオーラが、木々や岩の輪郭を捉えていく。
小動物の気配がいくつかある。
鳥が枝を移動し、地面の下では小さな生き物が動いている。
人間の気配はない。
だが、念能力者の中には『絶』を使って気配を消す者もいる。
円だけを頼りにするつもりはなかった。
「アオ」
前方からリリアが声をかけてきた。
「この先、少し開けた場所があるみたい」
「人の出入りは?」
「古い足跡はあるけど、最近のものはほとんどないよ。獣道も外れてる」
「行ってみよう」
彼女の後を追い、緩やかな斜面を登る。
やがて木々が途切れ、小さな岩場が姿を現した。
周囲を低い崖と雑木林に囲まれた、天然の窪地だった。
地面は比較的平らで、中央には大きな岩が一つある。
見上げれば、木々の隙間から青空が覗いていた。
街道からは完全に見えない位置だ。
「ここならどうかな?」
リリアが振り返る。
「十分だな」
俺は周囲をもう一度確認した。
人の気配はない。
地形も安定している。
仮に発の演出で大きな音や光が出たとしても、街まで届くことはないだろう。
「ここでやろう」
「うん」
リリアは少し離れた岩の上に腰を下ろした。
俺は窪地の中央へ進む。
そして、アイテムボックスから深紅の星髄石を取り出した。
◇
「……それが、供物?」
リリアの声が、わずかに上ずった。
「ああ」
俺は掌の上に載せた結晶を見せた。
朝日を受けた星髄石は、昨夜とは違う輝きを放っていた。
暗赤色の内部に走る金色の筋が、光を反射して複雑な模様を描いている。
まるで、凝固した血の中に星の光を閉じ込めたような石だった。
リリアは立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。
「……これ、もしかして」
「分かるか?」
「遺構で見た、あの結晶……?」
「ああ。深紅の星髄石だ」
彼女はしばらく言葉を失った。
そして、俺の顔と石を交互に見た。
「……本当に、これを使うの?」
「そのつもりだ」
「でも、すごく貴重なものなんでしょ?」
「ああ。少なくとも、簡単に手に入る品じゃない」
「……」
リリアは黙り込んだ。
俺は彼女が考えを整理するのを待った。
やがて、彼女はゆっくりと口を開いた。
「アオが譲り受けたものだから、どう使うかはアオが決めることだと思う」
「ああ」
「でも……失敗したら、本当に消えちゃうんだよね?」
「そうだ」
「取り戻す方法もない?」
「ない」
リリアは星髄石を見つめた。
その瞳には、迷いが浮かんでいた。
無理もない。
この石がどれほど希少なものか、彼女も理解している。
遺構の研究に使えば、重要な発見につながるかもしれない。
売却すれば、莫大な資金になる可能性もある。
それを、当たるかどうかも分からない抽選に使おうとしているのだ。
普通に考えれば、無謀な行為に見えるだろう。
「……なあ、リリア」
「なに?」
「もし、この石を使って宝物が手に入ったら、どうするのがいいと思う?」
彼女は少し驚いたように俺を見た。
「私に聞くの?」
「ああ」
「……どんな宝物かも分からないのに?」
「だからこそだ」
俺は笑った。
「使い道を考えるのは、手に入れてからでも遅くないだろ」
リリアは少し考えたあと、小さく頷いた。
「……そうだね」
それから、彼女は俺を見上げた。
「じゃあ、まずはちゃんと当てないと」
「簡単に言うな」
「ふふっ」
リリアが笑う。
俺もつられて笑った。
緊張が少しだけ和らいだ。
俺は星髄石を掌に載せ直し、ゆっくりと息を吐いた。
「……始めるぞ」
「うん」
リリアは数歩下がり、少し離れた位置に立った。
俺は意識を集中させる。
オーラを練り上げ、発を起動する。
そして、その名を口にした。
「――『愚か者の宝物庫(ジャンキージャンクスロットマシーン)』」
次の瞬間。
俺の目の前で、空間が軋んだ。
◇
最初に聞こえたのは、金属が擦れ合うような音だった。
ギィン、と。
何もない空間に、錆びた鉄板の輪郭が浮かび上がる。
続いて、歪んだ金属の骨組みが組み上がっていった。
古びた歯車。
傷だらけの外装。
ところどころ塗装の剥げた、奇妙な機械。
それらが互いに噛み合い、一つの形を作り上げていく。
数秒後。
俺の前には、見慣れた筐体が立っていた。
錆びた鉄板を継ぎ接ぎしたような本体。
正面には三つのリール。
側面にはレバー。
上部には派手なランプが並び、下部には景品の払い出し口がある。
まるで、廃品置き場から拾い集めた部品で作ったスロットマシーンだ。
だが、その外見に反して、機械の内部には濃密なオーラが満ちていた。
「……わあ」
リリアが思わず声を漏らした。
「これが……アオの発?」
「ああ」
「……本当に機械なんだね」
「説明した通りだろ」
「うん。でも、実際に見ると全然違う」
彼女は目を輝かせながら、筐体を眺めていた。
もっとも、無闇に近づこうとはしない。
念能力者として、未知の発に対する警戒は忘れていないようだ。
「触っても大丈夫?」
「今はまだ触らない方がいいな。どこまで他人の干渉を受け付けるか、完全には分かってない」
「分かった」
リリアは素直に頷いた。
俺は筐体の正面に立つ。
リールには、七、星、鐘、宝箱、髑髏など、いくつもの絵柄が並んでいた。
上部のランプはまだ消えている。
供物を捧げる前の、待機状態だ。
「じゃあ、これを入れる」
俺は深紅の星髄石を持ち上げた。
筐体の側面。
普段は小さな硬貨ほどの大きさしかない投入口が、ゆっくりと形を変え始める。
金属の板が左右に開き、星髄石が収まるほどの空間が生まれた。
その奥には、底の見えない暗闇が広がっている。
リリアが息を呑んだ。
「……形が変わった」
「供物に合わせて変化するんだ」
「……不思議」
俺は投入口へ星髄石を近づけた。
その瞬間。
筐体の内部から、低い唸り声のような音が響いた。
ゴウン……。
まるで、長い眠りから目覚める巨大な機械のようだった。
俺は一度、手を止めた。
掌の中の結晶は、まだ確かに存在している。
これを入れれば、二度と戻らない。
その事実を、最後にもう一度だけ確かめる。
そして。
「……頼むぞ」
俺は深紅の星髄石を、投入口へ差し入れた。
結晶が闇の中へ沈んでいく。
指先から、その重みが消えた。
直後。
ガシャンッ!
投入口が勢いよく閉じた。
同時に、筐体全体が激しく震え始める。
ギギギギギ……!
内部で無数の歯車が回転し、金属同士がぶつかり合う音が響いた。
リリアが反射的に一歩下がる。
「アオ!」
「大丈夫だ!」
俺は筐体から目を離さずに答えた。
次の瞬間。
上部のランプが、一斉に点灯した。
赤。
金。
白。
三色の光が交互に明滅し、筐体の表面を走る。
普段なら薄汚れた金属板にしか見えない外装が、まるで別の機械へ生まれ変わったかのようだった。
そして、リールの上に浮かび上がった文字。
それを見た瞬間、俺は思わず目を見開いた。
『SPECIAL OFFERING』
特別供物。
そんな表示は、今まで見たことがなかった。
「……おいおい」
思わず笑みが漏れる。
どうやら、星髄石は俺が思っていた以上に高く評価されたらしい。
ただし。
特別な演出が出たからといって、大当たりが確定したわけではない。
それは、今までの経験からよく分かっている。
俺はレバーへ手を伸ばした。
「リリア」
「……うん?」
「ここからが本番だ」
彼女は真剣な顔で頷いた。
「見てるよ」
俺はレバーを握り込む。
そして。
一気に引き下ろした。
◇
ガコンッ!
三つのリールが、同時に回転を始めた。
ジャララララララッ!
絵柄が高速で流れ、金属音が岩場に響き渡る。
上部のランプが激しく点滅した。
赤い光が右から左へ走り、続いて金色の光が逆方向へ駆け抜ける。
筐体の内部から、耳慣れない電子音が鳴り始めた。
ピロリロリロリロ……!
その音が、次第に高くなっていく。
「……すごい音」
リリアが呟いた。
「いつもこうなの?」
「いや」
俺は即答した。
「今日はかなり派手だ」
普段の抽選でも、ある程度の演出は発生する。
だが、ここまで筐体全体が光り輝くことは滅多にない。
供物の価値が高いからなのか。
それとも、単なる偶然なのか。
判断はつかなかった。
やがて、リールの回転がわずかに遅くなる。
その瞬間。
カッ!
筐体上部のランプが、真紅に染まった。
『CHANCE』
文字が浮かび上がる。
続いて、三つのリールが一瞬だけ停止した。
――と思った次の瞬間。
ギュルルルルッ!
逆回転。
しかも、通常とは明らかに異なる速度だった。
「……っ!」
俺は思わず身を乗り出した。
リリアが驚いたように俺を見る。
「アオ?」
「逆回転演出だ」
「逆回転?」
「ああ。期待できる」
「……当たりそうってこと?」
「まだ分からん!」
そう答えた直後。
ドンッ!
筐体の側面から、金属製の装飾が飛び出した。
歯車を模した役物が回転し、その中心に赤い光が灯る。
続いて、低い鐘の音が響いた。
ゴォン……!
ゴォン……!
ゴォン……!
三度。
そのたびに、筐体の内部から濃密なオーラが噴き上がった。
周囲の空気が震える。
リリアが目を見開いた。
「……念の量が増えてる」
「ああ」
俺も感じていた。
ただの光や音ではない。
この筐体は、明らかに通常とは違う状態へ移行している。
そして。
左のリールが、ゆっくりと停止した。
カシャン。
中央の窓に現れた絵柄は――。
赤い七。
「……一つ目」
俺は小さく呟いた。
リリアが身を乗り出す。
「七だね」
「ああ」
続いて、中央のリールが回転を落とし始める。
絵柄が流れていく。
鐘。
星。
宝箱。
髑髏。
そして――。
七。
カシャンッ!
二つ目の赤い七が、中央に停止した。
その瞬間。
筐体の上部から、甲高い音が鳴り響いた。
キュイィィン!
『DOUBLE SEVEN』
金色の文字が浮かび上がる。
リリアが息を呑んだ。
「……あと一つ?」
「ああ」
俺は右のリールを見つめた。
最後の一つ。
これが七で止まれば、大当たりだ。
だが、ここから外れることもある。
むしろ、二つ揃って最後に外れる演出など、いくらでも見てきた。
油断はできない。
右のリールが、ゆっくりと回転を落としていく。
星。
鐘。
七。
――七が通り過ぎた。
その次に現れたのは、黒い髑髏の絵柄だった。
カシャン。
右のリールが停止する。
七。
七。
髑髏。
……外れ。
筐体の光が、一瞬だけ消えた。
周囲に静寂が落ちる。
「……あ」
リリアが小さく声を漏らした。
俺は思わず息を吐いた。
「……そう簡単にはいかないか」
悔しさが胸の奥に広がる。
深紅の星髄石。
あれほどの供物を捧げても、当たりは保証されない。
分かっていたことだ。
だが、実際に目の前で外れると、やはり堪える。
「アオ……」
リリアが何か言いかけた。
そのときだった。
カチリ。
筐体の内部から、小さな音が聞こえた。
俺は顔を上げた。
消えたはずのランプが、ひとつだけ点灯している。
筐体の中央。
錆びた鉄板の隙間に埋め込まれた、小さな赤いランプ。
それが、ゆっくりと明滅していた。
……何だ?
俺は目を細めた。
ランプの下に、見慣れない文字が浮かび上がる。
『CONTINUE?』
続行?
次の瞬間。
筐体全体が、低く唸った。
ゴゴゴゴゴ……!
右のリールが、わずかに震え始める。
そして。
ギュルンッ!
逆回転した。
「……っ!」
俺は思わず声を上げた。
右のリールが、猛烈な勢いで逆方向へ回り始める。
それに呼応するように、左と中央のリールも再び動き出した。
三つのリールが、互いに異なる方向へ回転する。
筐体のランプが一斉に点灯した。
赤。
金。
白。
そして、今度は青い光まで加わる。
耳をつんざくような電子音が鳴り響いた。
ピロリロリロリロリロ――!
その音が、突然途切れる。
直後。
ドォンッ!
筐体上部の役物が、勢いよく落下した。
金属製の巨大な七。
それが三つ、筐体の前面に並ぶ。
『777』
俺は息を呑んだ。
……まさか。
リリアが驚いたように叫ぶ。
「アオ! あれ!」
「分かってる!」
俺は筐体へ視線を戻した。
三つのリールが、同時に減速を始める。
今度は、先ほどとは違う。
絵柄の流れが、異様なほどゆっくりだった。
左。
中央。
右。
三つのリールが、同じ速度で回転している。
そして。
カシャン。
左のリールが止まった。
七。
カシャン。
中央のリールが止まる。
七。
最後に。
カシャンッ!
右のリールが停止した。
七。
七。
七。
――777。
その瞬間。
世界が、金色に染まった。
◇
キュイィィィィンッ!
甲高い音が、岩場全体へ響き渡った。
筐体のランプが一斉に点灯し、無数の光が空中へ弾け飛ぶ。
赤い光。
金色の光。
白い光。
それらが渦を巻き、筐体の上部へ集まっていく。
続いて、低く荘厳な鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォォン……!
俺は目を細めた。
眩しい。
だが、目を逸らす気にはなれなかった。
筐体の中央には、三つの七が並んでいる。
間違いない。
大当たりだ。
『JACKPOT』
金色の文字が浮かび上がった。
続いて。
『SPECIAL TREASURE』
その文字が、ゆっくりと輝きを増していく。
俺は思わず拳を握った。
「……よしっ!」
声が漏れた。
普段なら、もう少し落ち着いていられる。
だが、今回は無理だった。
あれほどの供物を捧げたのだ。
期待していなかったと言えば嘘になる。
そして、その期待が現実になった。
「当たったの!?」
リリアが駆け寄ってきた。
「ああ!」
「本当に!?」
「777だ!」
俺が答えると、彼女は筐体を見つめた。
そして、ぱっと顔を輝かせた。
「やったね、アオ!」
「ああ!」
思わず笑ってしまった。
リリアも笑っている。
その姿を見て、胸の奥にあった緊張が一気に解けていった。
だが、まだ終わりではない。
大当たりが出たなら、次は宝物の払い出しだ。
俺たちは筐体へ視線を戻した。
金色の光が、ゆっくりと収束していく。
そして、筐体の下部。
景品の払い出し口から、かすかな音が聞こえた。
カラン。
小さな金属音。
続いて、淡い光が漏れ出した。
俺はゆっくりと近づいた。
払い出し口の奥に、何かが置かれている。
それは、小さなペンダントだった。
◇
俺は慎重に手を伸ばし、宝物を取り出した。
銀色の細い鎖。
その先には、深紅の宝石を中心に据えた小さな装飾がついている。
形は、古い燭台を思わせた。
中央の宝石は透明度が高く、その内部には金色の光が揺らめいていた。
まるで、小さな炎が閉じ込められているようだった。
「……綺麗」
リリアが呟いた。
俺も同感だった。
これまで手に入れた宝物の中でも、かなり繊細な意匠をしている。
派手な装飾はない。
だが、銀細工の細部まで丁寧に作り込まれており、ただの装身具ではないことが一目で分かる。
俺は掌の上でペンダントを傾けた。
内部の光が、ゆっくりと揺れる。
すると。
視界の端に、淡い文字が浮かび上がった。
発によって得られた宝物の情報。
それを確認するための、能力固有の表示だった。
俺は意識を集中させる。
文字が、ゆっくりと形を成していく。
――――――――――
宝物名:『生命の灯火(ライフ・ビーコン)』
分類:救命補助型宝物
能力:登録対象が致命的な危機に陥った際、自動的に発動。生命活動を最大三十分間維持する。
登録対象:一名
登録条件:対象本人の同意
登録変更:二十四時間
再使用制限:発動後三十日間
補足:死亡が確定した対象には発動しない。負傷や病気そのものを治療する効果はない。
危機通知:登録対象が半径十キロメートル以内にいる場合、所有者へ危機を知らせる。
――――――――――
俺は、しばらく文字を見つめていた。
……生命の灯火。
名前からして、何かを守るための宝物なのだろうとは思った。
だが、能力の内容は予想以上だった。
致命的な危機に陥った人間の生命活動を、最大三十分間維持する。
つまり、本来ならその場で命を落とすような状態でも、治療を受けるまでの時間を稼げるということだ。
ただし、傷が治るわけではない。
死亡が確定したあとに蘇生できるわけでもない。
あくまで、命が消えるまでの猶予を生み出す能力。
それでも。
「……これは」
思わず声が漏れた。
俺の回復能力と組み合わせれば、どうなる?
致命傷を負った人間に、三十分の猶予が生まれる。
その間に俺が駆けつけ、回復能力を使うことができれば。
本来なら助けられなかった命を、救える可能性がある。
もちろん、必ず助かるわけではない。
俺が近くにいるとは限らない。
回復能力の使用回数が残っているとも限らない。
そもそも、どんな状況でも安全に治療できるわけではない。
だが、可能性は確実に増える。
それは、俺にとって非常に大きな意味を持っていた。
「アオ?」
リリアの声で、俺は顔を上げた。
「どうしたの? 何か分かった?」
「ああ」
俺はペンダントを見せた。
「名前は『生命の灯火(ライフ・ビーコン)』。命を守るための宝物だ」
「命を……?」
「正確には、致命傷を負った人間の生命活動を、一時的に維持する」
リリアの表情が変わった。
「……それって」
「ああ。死にかけた人間に、治療を受けるまでの時間を与える能力だ」
俺は、表示されている情報を一つずつ説明した。
登録できる対象は一人。
本人の同意が必要なこと。
致命的な危機に陥ったとき、自動的に発動すること。
最大三十分間、生命活動を維持できること。
ただし、傷そのものを治すわけではないこと。
発動後は三十日間、再使用できないこと。
そして、死亡が確定した人間を蘇らせることはできないこと。
リリアは途中で口を挟まず、最後まで聞いていた。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「……すごい宝物だね」
「ああ」
「でも、使い方を間違えたら危ない」
「その通りだ」
彼女はペンダントを見つめた。
「三十分って、長いようで短いよね」
「そうだな」
「離れた場所で発動しても、アオが間に合わなかったら……」
「ああ。助けられない可能性はある」
俺は頷いた。
「だから、これを持っているからって無茶をしていいわけじゃない」
「……うん」
リリアは真剣な顔で頷いた。
俺はもう一度、ペンダントを見つめた。
銀色の装飾の中央で、小さな金色の炎が揺れている。
その光は、どこか温かく見えた。
深紅の星髄石。
古代文明が残した希少な結晶。
その石を失った代わりに、俺はこの宝物を手に入れた。
価値を金銭で比較することはできない。
だが、少なくとも俺にとっては、十分すぎるほどの成果だった。
◇
しばらくして、俺は発を解除した。
筐体がゆっくりと崩れ、錆びた金属片のような光となって消えていく。
最後に三つのリールが淡く輝き、その姿を失った。
岩場には、再び静けさが戻った。
鳥の声が聞こえる。
沢の水音が、風に乗って届いてきた。
俺は掌の上に残ったペンダントを見つめた。
「……終わったな」
「うん」
リリアは隣に立ち、少し不思議そうな顔をしていた。
「ねえ、アオ」
「何だ?」
「さっき、最後のリールが一回外れたよね?」
「ああ」
「なのに、もう一回回った」
「そうだな」
「……あれも、発の仕組みなの?」
「演出の一つだと思う」
俺は苦笑した。
「俺も全部の演出を把握してるわけじゃない。今回のは、かなり珍しい部類だ」
「……すごく心臓に悪いね」
「同感だ」
思わず笑い合う。
実際、最後のリールが外れた瞬間は、かなり落胆した。
あそこから逆回転して777が揃うとは思わなかった。
高価な供物によって特別な演出が発生したのか。
あるいは、単に運がよかったのか。
正確なところは分からない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
今回は、当たった。
そして、宝物を手に入れた。
それだけで十分だった。
「……アオ」
リリアが、少し遠慮がちに声をかけてきた。
「そのペンダント、どうするの?」
俺は掌の上の『生命の灯火』を見つめた。
どうするか。
実は、発を使う前から考えていたことがある。
もし、今回の宝物が仲間を守るために役立つものだったなら。
俺が持っているよりも、必要な人間に託した方がいいのではないか。
もちろん、まだ性能を完全に確認したわけではない。
登録方法や、所有者との関係についても詳しく調べる必要がある。
ただ、現時点で最も有効な使い道は、すでに思い浮かんでいた。
「……まだ決めてない」
俺はそう答えた。
嘘ではない。
考えはあるが、決定したわけではない。
「まずは、もう少し詳しく調べてみる」
「そっか」
リリアは頷いた。
そして、少し笑った。
「でも、よかったね。ちゃんと宝物が手に入って」
「ああ」
俺はペンダントを見つめた。
内部の金色の炎が、静かに揺れている。
「……本当に、よかった」
そう呟いたとき、ふと胸の奥に別の感情が浮かんだ。
俺は、何度も人を助けてきた。
流星街でも。
ハンターになってからも。
霧哭きの渓谷でも。
だが、救えなかった命もある。
どれほど強くなっても、すべての人間を守ることはできない。
それは、嫌というほど分かっている。
だからこそ。
こういう宝物には、意味がある。
命を救うための時間。
たった三十分。
それでも、その三十分があるかないかで、結末が変わることもある。
俺はペンダントを慎重にアイテムボックスへ収納した。
そして、リリアへ顔を向けた。
「戻ろうか」
「うん」
彼女は頷いた。
俺たちは岩場を離れ、来た道を引き返し始めた。
◇
帰り道は、行きよりも少しゆっくり歩いた。
木々の間から差し込む日差しが、地面にまだらな模様を描いている。
リリアは時折、足元の痕跡を確かめながら進んでいた。
俺はその後ろを歩きつつ、先ほどの出来事を思い返していた。
深紅の星髄石。
777。
そして、『生命の灯火』。
今回の抽選は、俺の発が持つ可能性を改めて感じさせるものだった。
だが、それ以上に考えさせられたのは、宝物の使い道だった。
強い武器。
便利な道具。
希少な能力。
そうしたものを手に入れることも、もちろん魅力的だ。
しかし、俺が今欲しいものは、必ずしも自分を強くするためのものではない。
仲間が危険な場所へ向かうとき。
俺の手が届かない場所で、何かが起きたとき。
それでも、助かる可能性を残せるもの。
今回の宝物は、まさにそれだった。
「……ねえ、アオ」
前を歩いていたリリアが振り返った。
「ん?」
「さっきの宝物なんだけど」
「ああ」
「登録できるのは一人だけなんだよね?」
「そうだ」
「……アオ自身を登録することもできるの?」
「できるはずだ」
リリアは少し考えた。
「だったら、アオが使った方がいいんじゃない?」
「どうして?」
「だって、アオはいつも危険な場所へ真っ先に飛び込むでしょ」
俺は返事に詰まった。
否定しようと思えばできる。
だが、実際にそういう場面が多かったのも事実だ。
「アオが倒れたら、困る人がたくさんいるよ」
リリアは真剣な顔で続けた。
「それに、アオの回復能力はほかの人には使えないんだから」
「……なるほど」
確かに、理屈としては正しい。
俺が致命傷を負ったとき、ライフ・ビーコンが発動すれば、回復能力を使うための時間を確保できる可能性がある。
ただし、俺自身が意識を失っていた場合、能力を使えるかどうかは分からない。
それに、俺には普通の人間よりも高い耐久力がある。
念による防御も使える。
致命傷を負う可能性が低いとは言わないが、少なくともリリアよりは危険に耐えられるだろう。
俺は彼女を見た。
「……考えておく」
「うん。ちゃんと考えてね」
「ああ」
リリアは満足そうに頷き、再び歩き始めた。
俺はその背中を見つめた。
彼女は、自分が宝物を使うことなど考えていないらしい。
俺の身を案じて、俺自身に使うことを勧めてくれた。
……まったく。
こういうところが、リリアらしい。
俺は小さく息を吐き、彼女の後を追った。
まだ、急いで決める必要はない。
宝物の詳しい性質を調べ、互いに納得できる形で使えばいい。
ただ、俺の中では、すでに一つの考えが固まりつつあった。
ライフ・ビーコン。
そして、以前手に入れた『静寂の環』。
この二つは、リリアがこれから探索を続けていくうえで、大きな助けになるはずだ。
もちろん、指輪の方も、使用条件や制限を改めて説明する必要がある。
特に、一度使えば休息するまで再使用できないという点は、単独行動をする彼女にとって重要だ。
それに、宝物を持っているからといって、無謀な行動をしていいわけではない。
むしろ、危険を避けるための判断材料として使ってほしい。
そんなことを考えているうちに、木々の向こうに街の城壁が見えてきた。
春の陽光を受けた石壁が、淡い灰色に輝いている。
その向こうには、人々の暮らしがある。
俺たちが戻る場所だ。
「アオ、今日はどうする?」
リリアが尋ねた。
「そうだな……」
俺は少し考えた。
「まずは昼飯。そのあと、必要な買い物でもしよう」
「いいね。私、靴を見たいな」
「靴?」
「今のもまだ使えるけど、そろそろ替え時かなって。渓谷で随分歩いたし」
「確かに、あの地形は靴に厳しかったな」
「アオも新しい服とか買ったら?」
「俺はまだ大丈夫だろ」
「……そう言って、いつも後回しにするんだから」
リリアは呆れたように笑った。
俺も笑う。
昨日まで、俺たちは命懸けの探索をしていた。
古代文明の遺構を調べ、危険な念能力者たちと戦い、囚われていた人々を救い出した。
そして今日は、街で靴や服を買う相談をしている。
随分と落差のある話だ。
だが、こういう時間も必要なのだろう。
戦うことだけが、旅ではない。
歩くこと。
食べること。
休むこと。
誰かと他愛ない話をすること。
そうした時間の積み重ねが、俺たちの旅を形作っていく。
俺はリリアの隣に並んだ。
「じゃあ、今日は買い物に付き合うよ」
「本当?」
「ああ。どうせ俺も必要なものがあるしな」
「……珍しいね」
「何が?」
「アオが素直に買い物に付き合ってくれるなんて」
「俺を何だと思ってるんだ」
「ふふっ。秘密」
リリアは楽しそうに笑い、少しだけ歩調を速めた。
俺はその後を追う。
街の門が、ゆっくりと近づいてくる。
そのとき、アイテムボックスの中に収めた小さなペンダントのことを思い出した。
深紅の星髄石を失い、代わりに手に入れた宝物。
その内部では、今も小さな金色の炎が揺れているはずだ。
命を繋ぐ灯火。
それを誰に託すべきか。
答えは、もうほとんど決まっていた。
あとは、きちんと話をするだけだ。
俺は隣を歩くリリアへ視線を向けた。
彼女は街の方を見ながら、今日立ち寄りたい店について話している。
その横顔には、昨日までの緊張はなかった。
穏やかな春の日差しの下で、楽しそうに笑っている。
俺は、その姿を見て思った。
これから先も、こんな時間が続けばいい。
もちろん、危険な旅を続ける以上、何も起きないわけではない。
新しい土地へ行けば、新しい問題に出会う。
未知の念能力者と戦うこともあるだろう。
古代遺構で見つかった記録も、まだ多くの謎を残している。
それでも。
どんな場所へ向かうとしても、帰ってこられる可能性を残しておきたい。
自分だけではなく。
一緒に歩く人間のためにも。
俺は小さく息を吐き、歩調を合わせた。
街の門をくぐる頃には、昼の鐘が鳴り始めていた。
新しい宝物を手に入れた朝。
その一日は、まだ始まったばかりだった。