流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第七話 ゴミ山の向こう側

流星街に転生してから、半年ほどが経過した。

 正確な日数はわからない。

 カレンダーもなければ、時計もない。

 日付を教えてくれる人間もいない。

 だから、俺が把握している時間は、太陽の動きと睡眠の回数、それから自分で刻んだ記録によるものだった。

 もっとも、雨が降り続いた日や、昼間に長く眠ってしまった日もある。

 多少の誤差はあるだろう。

 それでも、おおよそ半年。

 前世の感覚でいえば、六か月ほどが過ぎたことになる。

「……半年、か」

 俺は、手の中にある金属片を見つめながら呟いた。

 表面には、小さな傷がいくつも刻まれている。

 一本の傷が、一日。

 五本ごとに横線を引き、数えやすくしてある。

 修行を始めた頃から続けている、俺なりの記録だった。

 これだけの時間を、この世界で過ごしたのか。

 そう考えると、何とも不思議な気分になる。

 前世では、半年という時間は決して短くなかった。

 仕事をして、食事をして、休日には漫画やアニメを楽しむ。

 そんな生活を繰り返していれば、気づかないうちに半年など過ぎてしまう。

 だが、この世界での半年は違った。

 毎日が、生き残るための戦いだった。

 食料を探す。

 水を確保する。

 寝床を整える。

 周囲の危険を確認する。

 そして、念の修行を行う。

 そんな生活を続けているうちに、いつの間にか半年が経っていた。

 最初に目覚めたとき、俺は何も持っていなかった。

 薄汚れた服。

 擦り切れた靴。

 そして、五歳ほどの子供の身体。

 それだけだった。

 だが、今は違う。

 アイテムボックスには、食料や水、毛布、テント、錆びたナイフ、その他の雑多な物資が収納されている。

 念も覚えた。

 纏。

 絶。

 練。

 そして、初歩的な攻防力移動。

 自分が特質系であることも判明した。

 水見式で葉っぱが十枚ほど増殖した光景は、今でも鮮明に覚えている。

 あれは、何度思い返しても奇妙な現象だった。

 ただし、自分固有の発については、まだ何も決めていない。

 今の俺には、まだ基礎が必要だ。

 そして、何より。

「……そろそろ、食料を探さないとな」

 俺は、アイテムボックスの中身を思い浮かべた。

 以前見つけた軍用補給物資。

 およそ三か月分と見積もっていた食料と飲料水。

 あれは、すでに大部分を消費していた。

 実際には、食事量を調整したり、途中で見つけた物資を補充したりしたため、当初の想定より長く持った。

 しかし、いつまでも頼れるわけではない。

 今後も生き延びるためには、新たな物資を確保する必要がある。

 そして、もう一つ。

 俺には、以前から気になっていることがあった。

 流星街の中心地。

 この街には、当然ながら人間が暮らしている。

 原作でも、流星街には多くの住民が存在していた。

 ならば、どこかに人々が集まって生活する場所があるはずだ。

 俺は、これまで人との接触を避けてきた。

 最初に出会った連中が、あまりにも物騒だったからだ。

 だが、いつまでも一人で暮らし続けるわけにはいかない。

 この世界の情報。

 流星街の地理。

 人々の生活。

 そして、今後の行動に必要な知識。

 それらを得るためには、人間社会との接触が必要になる。

「……まあ、まずは物資集めからだな」

 俺は立ち上がった。

 身体の周囲には、薄いオーラが自然に留まっている。

 纏。

 以前は意識しなければ維持できなかった技術。

 今では、ほとんど無意識に使えるようになっていた。

 半年という時間は、決して無駄ではなかった。

 俺はアイテムボックスの中身を確認し、探索の準備を始めた。

     ◇

 念の基礎修行を終えてから、さらに三か月。

 俺の生活は、少しずつ変化していた。

 以前は、一日の大半を念の修行に費やしていた。

 特に、練の持続時間を伸ばす修行には、多くの時間を使っていた。

 回復能力を利用すれば、消耗したオーラと肉体疲労を回復できる。

 そのため、一日に三回、回復能力を使い切ることを基本としていた。

 しかし、食料の残量が減り始めてからは、修行だけに集中するわけにはいかなくなった。

 物資の探索。

 拠点の維持。

 周囲の安全確認。

 それらに費やす時間が増えた。

 結果として、念の修行に使える時間は減った。

 だが、不思議なことに、念の扱いは以前よりも洗練されてきていた。

 理由は、単純だ。

 日常生活の中で、念を使う機会が増えたからだった。

 瓦礫の山を歩くとき。

 足場の悪い場所を跳び越えるとき。

 重い物を動かすとき。

 危険を感じて身を隠すとき。

 俺は、そのたびに念を使っていた。

 特に、纏と絶。

 この二つは、生活の中で自然と使用するようになっていた。

 纏を維持しながら歩く。

 人の気配を感じたら、状況に応じて絶へ切り替える。

 危険が去ったら、再び纏へ戻す。

 それを繰り返すうちに、切り替えが以前よりも滑らかになった。

 そして、オーラの攻防力移動。

 これも、少しずつ上達していた。

 足場の悪い場所を跳び越える際、脚へオーラを集める。

 重い金属片を動かす際、腕へオーラを集める。

 ただし、必要以上にオーラを集中させることは避けた。

 防御が薄くなるからだ。

 原作でも、攻防力移動は重要な技術だった。

 攻撃部位へオーラを集めれば、威力は上がる。

 しかし、その分、他の部分の防御は薄くなる。

 だから、適切な配分が必要になる。

 俺は、日常生活の中で、その感覚を少しずつ磨いていた。

 以前のように、ただ大量のオーラを出すだけではない。

 必要なときに。

 必要な場所へ。

 必要な量だけ。

 それが、今の俺の修行方針だった。

「……こういうのも、立派な修行だよな」

 俺は、瓦礫の上に立ちながら呟いた。

 足元には、錆びた鉄骨が横たわっている。

 俺は軽く膝を曲げ、跳び越えた。

 着地。

 足元が滑る。

 しかし、重心を調整し、転倒を防ぐ。

 その間も、纏は崩れていない。

 以前なら、こうした動きでオーラが乱れていた。

 だが、今は違う。

 身体の動きとオーラの流れが、自然に連動している。

 これは、明らかな成長だった。

     ◇

 回復能力についても、この三か月で新たな発見があった。

 それは、使用回数の回復条件だ。

 俺の回復能力は、一日に三回まで使用できる。

 これは、転生時に与えられた特典の一つだった。

 だが、当初はその回数がいつ補充されるのか、正確にはわかっていなかった。

 日付が変わった瞬間なのか。

 使用から二十四時間が経過したときなのか。

 それとも、別の条件があるのか。

 最初の三か月間は、毎日三回使い切ることを優先していた。

 そして、翌日には再び使えるようになっていた。

 そのため、何となく一日単位で回復しているのだろうと考えていた。

 しかし、ある日。

 俺は、その考えが間違っている可能性に気づいた。

 きっかけは、探索中の仮眠だった。

 その日は朝から長時間歩き回り、念の修行も行っていた。

 練によってオーラを消耗し、回復能力を三回使い切っていた。

 その後、拠点へ戻る途中で疲労を感じたため、安全そうな場所で短い仮眠を取った。

 目を覚ましたとき、ふと思った。

 睡眠によって、回復能力の使用回数が補充されている可能性はないだろうか。

 俺は試しに、回復能力を発動しようとした。

 しかし。

「……あれ?」

 何も起こらなかった。

 能力が発動しない。

 使用回数が残っていないときの感覚だった。

「……駄目か」

 俺は首を傾げた。

 仮眠では、回復しない。

 では、夜の睡眠ならどうだろうか。

 その日の夜。

 俺は拠点へ戻り、食事を済ませて眠った。

 そして、翌朝。

 目を覚ました俺は、再び回復能力を試した。

 すると。

 発動できた。

「……ん?」

 俺は、自分の手を見つめた。

 昨日は使えなかった。

 しかし、眠って起きた今は使える。

 これは、単なる偶然だろうか。

 俺は、何日かにわたって検証を続けた。

 まず、短時間の仮眠。

 駄目だった。

 次に、少し長めの昼寝。

 これも駄目。

 さらに、夜に短時間だけ眠り、途中で起きて確認した。

 やはり、回復していない。

 しかし、その後に十分な睡眠を取って目覚めると、使用回数が補充されていた。

 何度か繰り返した結果、ある程度の法則が見えてきた。

 どうやら、回復能力の使用回数は、睡眠を取ってから目覚めたときに補充されるらしい。

 ただし、短時間の睡眠では駄目だ。

 仮眠程度では、回復しない。

 ある程度まとまった睡眠が必要になる。

 俺の体感では、おそらく六時間以上。

 それくらい眠ってから目覚めたときに、使用回数が三回へ戻っているようだった。

「……なるほどな」

 俺は、ようやく納得した。

 回復能力の制約。

 一日に三回。

 その一日というのは、単純な日付ではなく、十分な睡眠を挟んだ活動周期を意味しているのかもしれない。

 もちろん、正確な条件はまだわからない。

 俺には時計がない。

 睡眠時間を厳密に測ることはできない。

 だから、六時間という数字も、あくまで体感だ。

 しかし、少なくとも短い仮眠では補充されないこと。

 そして、十分に眠って目覚めると補充されること。

 この二つは、何度も確認できた。

 俺は、その結果を修行記録へ刻んだ。

 回復能力。

 睡眠後に補充。

 短時間では不可。

 おそらく六時間以上。

 これで、また一つ能力への理解が深まった。

 そして、この発見は、今後の生活にも大きな意味を持つ。

 もし危険な戦闘で回復能力を使い切った場合。

 短い仮眠では、使用回数を回復できない。

 十分な睡眠が必要になる。

 つまり、回復能力を使い切った状態で危険な場所へ向かうのは、極めて危険だ。

 俺は、そのことを改めて認識した。

 それ以降、回復能力の使い方を少し変えた。

 修行だけの日は、これまで通り三回使い切る。

 しかし、長時間の探索や、人との接触が予想される日は、回復能力を温存する。

 念の修行効率よりも、生存を優先する。

 それが、今の俺の方針だった。

     ◇

 物資の探索は、少しずつ範囲を広げていった。

 最初は、拠点の周辺。

 次に、以前食料を見つけた軍用補給物資の廃棄場所。

 さらに、その周囲のゴミ山。

 そして、今まで足を踏み入れたことのない区域へ。

 流星街は、とにかく広かった。

 どこまで行っても、ゴミの山が続いている。

 古い車両。

 壊れた家電。

 錆びた金属。

 破れた衣類。

 腐敗した食品。

 正体不明の薬品。

 危険なものも多い。

 俺は、できるだけ新しく廃棄された物資を探すようにしていた。

 古い食料は、腐敗している可能性がある。

 水も、汚染されているかもしれない。

 だから、口にするものは慎重に選ぶ必要があった。

 幸い、アイテムボックスがある。

 使えそうなものを見つけたら、その場で収納できる。

 重い荷物を運ぶ必要がない。

 これは、探索において非常に大きな利点だった。

 ある日。

 俺は、比較的新しい廃棄物が集まっている場所を見つけた。

 周囲には、破れた段ボール箱が散乱している。

 中身はほとんど抜き取られていた。

 しかし、よく探すと、まだ使えるものが残っていた。

 未開封の缶詰。

 密封された乾燥食品。

 小さな水の容器。

 古い布。

 そして、比較的状態のいい靴。

「……おお、当たりだ」

 俺は思わず笑った。

 特に靴はありがたかった。

 今まで履いていた靴は、転生時から使っているものだ。

 すでに底が擦り減り、何度も修理していた。

 今回見つけた靴は、少し大きい。

 だが、布を詰めれば使えそうだった。

 俺はそれらをアイテムボックスへ収納した。

 さらに、周辺を探索する。

 壊れた箱の下。

 金属板の隙間。

 布の山の奥。

 人が見落としそうな場所を、一つずつ確認する。

 すると、奥の方から、小さな金属製の容器が出てきた。

 蓋がついている。

 中身は空だった。

 だが、状態は悪くない。

「……これも使えるな」

 俺は収納した。

 食料や水だけではない。

 生活に使える道具も、少しずつ集めていく。

 容器。

 布。

 紐。

 金属片。

 小さな刃物。

 そうしたものは、いざというときに役立つ。

 特に、流星街のような環境では、物資の価値が高い。

 俺は、見つけたものを慎重に選びながら回収していった。

     ◇

 探索範囲を広げるにつれて、俺はある変化に気づき始めた。

 人の気配だ。

 最初は、ほんのわずかだった。

 遠くから聞こえる話し声。

 何かを叩く音。

 金属がぶつかる音。

 そして、時折感じる人間の存在。

 これまでも、流星街で人の気配を感じることはあった。

 だが、それらは散発的だった。

 数人の集団。

 物資を探す人間。

 あるいは、遠くを歩いている誰か。

 しかし、最近は違う。

 ある方向へ進むほど、人の気配が増えている。

 しかも、数が多い。

「……何だ?」

 俺は、瓦礫の上に立ち、周囲を見渡した。

 遠くには、ゴミ山が続いている。

 見た目は、これまでと変わらない。

 しかし、耳を澄ませば、確かに人の声が聞こえる。

 それも、一人や二人ではない。

 複数の声。

 笑い声。

 怒鳴り声。

 何かを運ぶ音。

 生活の音だ。

「……もしかして」

 俺は、ある可能性に思い至った。

 流星街の中心地。

 人々が集まって暮らしている場所。

 それが、この先にあるのではないだろうか。

 俺は、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。

 この半年間。

 俺は、ほとんど人と関わってこなかった。

 最初に出会った荒くれ者たちを除けば、まともな会話すらしていない。

 だが、そろそろ人間社会の情報が必要だ。

 この世界のことを知るためにも。

 流星街のことを知るためにも。

 そして、今後の生活を安定させるためにも。

 人々が集まる場所を見つけることには、大きな意味がある。

「……行ってみるか」

 俺は、慎重に歩き始めた。

 もちろん、無防備に近づくつもりはない。

 周囲の気配を確認する。

 危険を感じたら、すぐに身を隠す。

 必要なら絶を使う。

 そして、回復能力は温存する。

 そう決めていた。

 俺は、ゴミ山の間を縫うように進んでいった。

     ◇

 それから数時間。

 人の気配は、さらに強くなっていた。

 いや。

 もはや、気配というよりも、明確な生活音だった。

 遠くから、金属を叩く音が聞こえる。

 誰かが怒鳴っている。

 子供の笑い声も聞こえた。

 何かを売り買いしているような声もある。

 そして、空気の匂いが変わった。

 これまでのゴミ山では、腐敗臭や薬品の匂いが強かった。

 しかし、今は違う。

 煙の匂い。

 調理された食べ物の匂い。

 人が生活している場所特有の匂い。

 それらが、風に乗って漂ってきた。

「……近いな」

 俺は、足を止めた。

 目の前には、大きなゴミ山がある。

 高さは、数十メートルほどだろうか。

 古い車両や金属片、壊れた家具が積み重なっている。

 その向こうから、人の声が聞こえていた。

 俺は、慎重に登り始めた。

 足場を確認する。

 崩れそうな場所は避ける。

 必要に応じて、脚へオーラを集める。

 そして、少しずつ高度を上げていく。

 やがて。

 ゴミ山の頂上近くまで登ったとき。

 俺は、思わず足を止めた。

「……うわ」

 視界が、一気に開けた。

 そこには。

 街があった。

 いや。

 正確には、街と呼ぶにはあまりにも雑然としていた。

 古い建物。

 トタン板で作られた小屋。

 廃材を組み合わせた家。

 錆びたコンテナ。

 壊れた車両を改造した住居。

 それらが、無秩序に並んでいる。

 細い道が、迷路のように入り組んでいた。

 建物と建物の間には、洗濯物が干されている。

 煙突のようなものから、煙が上がっている。

 そして。

 人。

 人。

 人。

 見渡す限り、多くの人間が生活していた。

 子供。

 大人。

 老人。

 男。

 女。

 さまざまな人間が、狭い道を行き交っている。

 何かを運んでいる者。

 地面に座り込んでいる者。

 食べ物を売っているような者。

 喧嘩をしている者。

 そして、笑っている子供たち。

 そこには、確かに人間の生活があった。

「……すげえ」

 俺は、思わず呟いた。

 流星街。

 捨てられたものが集まる場所。

 その中心には、こんな街があったのか。

 原作では、流星街の詳細な地理はほとんど描かれていなかった。

 だから、俺も具体的な姿までは知らなかった。

 だが、今。

 目の前に広がっている光景を見れば、理解できる。

 ここは、単なるゴミ捨て場ではない。

 人々が暮らす場所だ。

 社会がある。

 生活がある。

 そして、おそらく独自のルールもある。

「……ここが、中心地か」

 俺は、しばらくその光景を見つめていた。

 正確な地理はわからない。

 ここが流星街全体の中心なのか、それとも大きな居住区の一つなのかも不明だ。

 だが、少なくとも俺がこれまで見てきた場所の中では、最も人が多い。

 流星街の中心地と呼んでも、不思議ではない場所だった。

 俺は、ゆっくりと息を吐いた。

 そして、ゴミ山を下り始めた。

     ◇

 中心地へ近づくにつれて、周囲の様子が変わっていった。

 まず、道ができている。

 これまでのゴミ山では、歩きやすい場所を自分で探す必要があった。

 しかし、ここには人が通るための道があった。

 舗装などされていない。

 地面は土と砂利、そして細かなゴミで覆われている。

 だが、多くの人間が行き来しているため、自然と道が形成されていた。

 次に、建物が増えた。

 最初は、ゴミ山の隙間に作られた小さな小屋。

 それが、中心へ近づくにつれて、数を増していく。

 廃材を組み合わせた家。

 古いコンテナを利用した住居。

 壊れた車両を改造した建物。

 中には、比較的しっかりした造りの建物もあった。

 そして、人の数。

 これが、圧倒的だった。

 道を歩く人間。

 荷物を運ぶ人間。

 何かを売っている人間。

 子供たち。

 老人たち。

 さまざまな人間が、狭い道を行き交っている。

 俺は、その中へ慎重に足を踏み入れた。

 当然ながら、目立つ。

 五歳ほどの子供が、一人で歩いているのだ。

 しかも、服装は薄汚れている。

 だが、周囲の人間は、思ったほど俺に関心を示さなかった。

 ちらりと見る者はいる。

 しかし、すぐに視線を逸らす。

 ここでは、子供が一人で歩いていることも珍しくないのかもしれない。

 俺は、少しだけ安心した。

 ただし、油断はしない。

 周囲の気配を確認する。

 危険そうな人間には近づかない。

 人混みの中では、必要以上に目立たないようにする。

 そして、アイテムボックスは使わない。

 人前で物を出し入れすれば、間違いなく注目を集める。

 それは避けるべきだった。

 俺は、周囲を観察しながら歩いた。

 すると、あることに気づいた。

 言葉だ。

 人々が話している言葉。

 それが、理解できる。

「おい、そっちの箱を運べ!」

「今日はもう終わりだ!」

「水、持ってこい!」

「それ、いくらだ?」

 さまざまな声が聞こえてくる。

 しかし、不思議なことに、その意味がわかる。

 前世の日本語とは、発音も語順も違う部分があるように感じる。

 だが、俺には自然と理解できた。

 転生時に、何らかの形で言語能力が与えられているのだろうか。

 あるいは、この身体が元々持っていた言語知識なのか。

 詳しいことはわからない。

 しかし、会話ができることは確かだった。

「……助かったな」

 俺は、小さく呟いた。

 言葉が通じなければ、情報を集めることすら難しい。

 だが、これなら何とかなる。

 そう思った。

 しかし。

 次の瞬間。

 俺は、別の問題に気づいた。

     ◇

 道の脇に、小さな店のようなものがあった。

 廃材で作られた台の上に、食料や雑貨が並べられている。

 その背後には、板が立てかけられていた。

 板には、何かが書かれている。

 文字だ。

 俺は、何気なくそれを見た。

 そして。

「……ん?」

 首を傾げた。

 読めない。

 いや。

 正確には、文字だということはわかる。

 だが、意味がわからない。

 前世の日本語でもない。

 英語でもない。

 見覚えのない文字が、並んでいる。

「……え?」

 俺は、思わず立ち止まった。

 もう一度、板を見る。

 やはり、読めない。

 何が書かれているのか、まったくわからない。

 俺は、周囲の店を見渡した。

 別の店にも、文字が書かれている。

 建物の壁にも。

 古い看板にも。

 箱の表面にも。

 しかし。

 どれも、読めなかった。

「……マジか」

 俺は、呆然とした。

 言葉は通じる。

 会話の意味は理解できる。

 しかし、文字が読めない。

 これは、予想外だった。

 俺は、転生時に言語能力が与えられているものだと思っていた。

 実際、会話は問題なくできる。

 だが、どうやら読み書きまでは含まれていないらしい。

 いや、そもそも、この身体は五歳程度だ。

 元の持ち主が文字を覚えていなかった可能性もある。

 あるいは、転生によって会話能力だけが補われたのかもしれない。

 理由はわからない。

 だが、現実として、文字が読めない。

 これは、かなり大きな問題だった。

 俺は、眉をひそめた。

 この世界で生活していくなら、文字を読めるようになる必要がある。

 看板。

 地図。

 書類。

 本。

 それらを理解できなければ、得られる情報が大きく制限される。

 特に、俺は原作の知識を持っている。

 だが、その知識だけで生きていけるわけではない。

 この世界独自の情報を集める必要がある。

 そのためには、読み書きが不可欠だった。

「……どうするかな」

 俺は、周囲を見渡した。

 学校のようなものは、見当たらない。

 もちろん、ここは流星街だ。

 普通の街と同じ教育制度があるとは限らない。

 そもそも、子供たちが学校へ通っているのかどうかもわからない。

 だが、文字を覚える方法は、何かあるはずだ。

 俺は、考え始めた。

 まず、誰かに教えてもらう。

 最も確実な方法だ。

 しかし、問題がある。

 俺は、この街に知り合いがいない。

 しかも、五歳ほどの子供だ。

 見知らぬ人間に、文字を教えてくれと頼んでも、簡単には応じてもらえないだろう。

 次に、本を手に入れる。

 文字を覚えるための教材。

 絵本。

 教科書。

 そうしたものがあれば、独学できる可能性がある。

 だが、文字が読めない状態で、どうやって教材を選ぶのか。

 それに、流星街で本がどれほど手に入るのかもわからない。

 さらに、文字を読める人間を探す。

 これは、比較的現実的かもしれない。

 店を開いている人間。

 物資の取引をしている人間。

 看板を書いている人間。

 そうした人々なら、文字を読める可能性が高い。

 ただし、教えてもらうには、何らかの対価が必要になるだろう。

「……対価、か」

 俺は、アイテムボックスの中身を思い浮かべた。

 食料。

 水。

 布。

 金属片。

 その他の雑多な物資。

 これらを使えば、何かと交換できるかもしれない。

 しかし、アイテムボックスの存在を知られるわけにはいかない。

 それに、物資を大量に持っていることも、できれば隠しておきたい。

 ならば、少量ずつ取り出して、普通に持ち歩く。

 そして、必要なものと交換する。

 それが、現実的だろう。

 俺は、そんなことを考えながら歩き続けた。

     ◇

 しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。

 そこには、いくつもの露店が並んでいた。

 食料。

 衣類。

 工具。

 古い機械。

 そして、雑貨。

 さまざまなものが売られている。

 人々は、物資を交換したり、何かの硬貨を使って取引したりしていた。

 どうやら、流星街の中心地にも、ある程度の経済活動が存在しているらしい。

 俺は、少し離れた場所からその様子を観察した。

 店主が客と話している。

 客が商品を指差す。

 店主が値段を告げる。

 客が首を振る。

 そして、別の商品を指差す。

 そんなやり取りが、あちこちで行われていた。

 俺は、その光景を見ながら考えた。

 ここなら、情報を集められるかもしれない。

 だが、いきなり店主に話しかけるのは、少し危険だ。

 相手がどんな人間かわからない。

 それに、俺はまだ、この街の常識を知らない。

 だから、まずは観察することにした。

 人々が何を使って取引しているのか。

 どんな物資に価値があるのか。

 子供がどのように扱われているのか。

 そして、文字を読める人間がどれほどいるのか。

 それらを、少しずつ確認していく。

 すると、ある店が目に入った。

 小さな雑貨屋のような店だった。

 古い紙束。

 鉛筆のようなもの。

 破れた本。

 そして、何かの帳簿。

 それらが、台の上に並べられている。

「……本?」

 俺は、思わず足を止めた。

 この流星街にも、本がある。

 当然といえば当然だ。

 だが、実際に見ると、少し安心した。

 文字を覚えるための教材が、手に入るかもしれない。

 俺は、慎重に店へ近づいた。

 店主は、痩せた中年の男だった。

 髪はぼさぼさ。

 服は古びている。

 だが、目つきは鋭い。

 俺が近づくと、男はちらりとこちらを見た。

「……何だ、坊主」

 言葉は理解できる。

 俺は、少しだけ緊張しながら答えた。

「……本を見たいんだけど」

 男は、眉を上げた。

「本?」

「うん」

「読めるのか?」

 俺は、一瞬迷った。

 だが、ここで嘘をついても意味がない。

「……まだ、読めない」

 男は、鼻で笑った。

「読めねえのに、本が欲しいのか」

「文字を覚えたいんだ」

 俺がそう答えると、男は少しだけ表情を変えた。

 驚いたような。

 あるいは、興味を持ったような。

 そんな顔だった。

「……文字を?」

「うん」

「誰に教わるんだ?」

「……まだ、決めてない」

 男は、しばらく俺を見つめていた。

 そして、台の上に置かれた古い本を指差した。

「これなら、絵が多い。字を覚えるには使えるかもしれねえな」

 俺は、その本を見た。

 表紙には、何かの絵が描かれている。

 そして、その下に文字が並んでいた。

 やはり、読めない。

 だが、絵がある。

 これは、ありがたい。

「……いくら?」

 俺が尋ねると、男は値段を告げた。

 しかし、俺にはその価値がわからなかった。

 この街の通貨について、まだ何も知らないからだ。

 俺は、少し考えてから尋ねた。

「……物と交換できる?」

 男は、俺を見た。

「物によるな」

「食べ物とか、水とか」

 その言葉に、男の目が少し細くなった。

「……持ってるのか?」

 俺は、すぐには答えなかった。

 ここで大量の物資を持っていると思われるのは危険だ。

 だから、慎重に言葉を選んだ。

「……少しだけ」

 男は、しばらく俺を見つめていた。

 そして、肩をすくめた。

「見せてみろ」

 俺は、頷いた。

 だが、その場でアイテムボックスを使うわけにはいかない。

 俺は、あらかじめポケットに入れておいた小さな保存食を取り出した。

 未開封の包装。

 比較的新しいものだ。

 男は、それを受け取って確認した。

「……ほう」

 少しだけ、興味を示したようだった。

 包装を確認し、軽く振る。

 そして、俺を見る。

「これなら、交換してやってもいい」

 俺は、内心で安堵した。

 どうやら、交渉は成立しそうだ。

 男は、古い本を一冊取り上げた。

 表紙には、子供向けらしい絵が描かれている。

 そして、俺へ差し出した。

「ほら」

 俺は、慎重に受け取った。

「……ありがとう」

 男は、鼻を鳴らした。

「礼を言うほどのもんじゃねえよ」

 俺は、本を胸に抱えた。

 初めて手に入れた、この世界の本。

 文字は読めない。

 だが、これが第一歩になるかもしれない。

 俺は、少しだけ嬉しくなった。

     ◇

 その日の夕方。

 俺は、中心地から少し離れた場所にあるゴミ山の陰で、手に入れた本を開いていた。

 表紙は汚れている。

 角も擦り切れている。

 だが、ページはまだ残っていた。

 中には、簡単な絵と文字が並んでいる。

 動物。

 食べ物。

 道具。

 そして、人間。

 どうやら、子供向けの絵本らしい。

 俺は、一ページずつめくっていった。

 絵は理解できる。

 だが、文字は読めない。

 それでも、何となく意味を推測することはできた。

 たとえば、犬の絵。

 その横に、短い文字列がある。

 おそらく、犬を意味する単語だろう。

 猫の絵。

 その横にも、別の文字列。

 おそらく、猫。

 そんなふうに、少しずつ推測していく。

 しかし。

「……やっぱり、難しいな」

 俺は、ため息をついた。

 絵があるとはいえ、文字の読み方がわからない。

 音と文字が結びつかないのだ。

 これでは、単語の意味を推測できても、正しく読むことはできない。

 やはり、誰かに教えてもらう必要がある。

 俺は、本を閉じた。

 そして、考えた。

 どうすれば、文字を覚えられるだろうか。

 店主に頼むか。

 それとも、別の人間を探すか。

 あるいは、子供たちが集まる場所を探してみるか。

 もし、流星街に学校のようなものがあるなら、そこへ行くのが一番早い。

 だが、そんな場所が存在するのかどうかもわからない。

 俺は、しばらく考え込んだ。

 そして、ふと思った。

 流星街の中心地。

 ここには、多くの人間がいる。

 その中には、当然ながら文字を読める人間もいるはずだ。

 ならば、文字を教えてくれる人間を探せばいい。

 問題は、どうやって探すかだ。

「……まあ、焦る必要はないか」

 俺は、静かに呟いた。

 この半年間。

 俺は、ほとんど一人で生きてきた。

 だが、今は違う。

 人々が暮らす場所を見つけた。

 物資を交換できる場所もある。

 そして、文字を覚えるための本も手に入れた。

 少しずつだが、生活の幅が広がっている。

 それは、確かな進歩だった。

 俺は、手に入れた本をアイテムボックスへ収納した。

 もちろん、周囲に人がいないことを確認してからだ。

 そして、立ち上がった。

 明日も、中心地を探索しよう。

 物資を集める。

 情報を集める。

 文字を覚える方法を探す。

 そして、念の修行も続ける。

 やるべきことは、山ほどある。

 だが、不思議と嫌な気分ではなかった。

 むしろ、少し楽しみだった。

 前世では、漫画の中でしか知らなかった世界。

 その世界を、自分の足で歩いている。

 そして、少しずつ理解していく。

 それは、危険で。

 不便で。

 時には、理不尽なこともある。

 だが。

 確かに、俺は生きている。

 俺は、灰色の空を見上げた。

 流星街。

 捨てられたものが集まる場所。

 その中心には、人々の生活があった。

 そして、そこには、まだ俺の知らない世界が広がっている。

「……さて、どうなるかな」

 俺は、小さく笑った。

 次に何が待っているのかは、わからない。

 だが、一つだけ確かなことがある。

 俺は、もうゴミ山の片隅で生き延びるだけの存在ではない。

 少しずつ。

 確実に。

 この世界へ、踏み出し始めている。

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