流星街の異邦人 ― その魂は二度目の人生を歩む   作:アイエオ

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第七十六話 運河の攻防――黒い船の来訪者

黒い船が、運河を滑るように進んでいた。

 

 水面を押し分ける船首から、細かな波紋が左右へ広がっていく。甲板には最低限の灯りしかなく、船体の大部分は夜の闇に沈んでいる。

 

 その側面に描かれた、白い獣の牙を模した紋章。

 

 ローデリック・フェインが、それを見て顔を険しくした。

 

「……面倒な連中が出てきやがった」

 

 俺たちは運河沿いの古い製粉所、その二階部分に身を潜めていた。

 

 屋根の一部が崩れ、壁には大きな亀裂が走っている。かつて穀物を運び込んでいたらしい搬入口からは、運河と荷揚げ場を広く見渡すことができた。

 

 下の岸壁には、小型の貨物船が一隻。

 

 その手前には、四つの木箱を積んだ荷車が止まっている。

 

 B-317。

 

 ほかの三つにも、異なる番号が振られていた。

 

 あの箱の中には、人がいる。

 

 エドガー・リースの証言によって、それはもはや疑いではなくなった。

 

 しかも、子供が含まれている可能性がある。

 

 俺は木箱から視線を外さず、ローデリックに尋ねた。

 

「知っている組織ですか?」

 

「あの紋章は見覚えがある。正式な組織名じゃなく、傘下の運送部門が使う印だ」

 

「どこの傘下です?」

 

「マフィアだ。複数の都市に手を伸ばしている連中でな。表向きは運送業や倉庫業をやっているが、裏じゃ武器も人間も扱うって噂がある」

 

 ローデリックは声を落とした。

 

「ただ、あの船に乗っている奴らが全員その組織の人間とは限らん。傭われた連中もいるだろう」

 

「なるほど」

 

 ダリオ・ゼッカートが単独で動いているとは、最初から思っていなかった。

 

 だが、ここまで露骨にマフィアの影が現れるとなれば、事件の規模は想像以上かもしれない。

 

 問題は、相手の組織力ではない。

 

 今、この場に何人の念能力者がいるのか。

 

 そして、木箱の中の人質を傷つけずに制圧できるか。

 

 それが最優先だった。

 

 隣で、リリアが静かに身を屈めた。

 

「アオ」

 

「ん?」

 

「船が来る前から岸壁にいた人たち、少し様子が変わった」

 

 俺は視線を向けた。

 

「どんなふうに?」

 

「荷車の近くにいた二人が、船から距離を取ってる。さっきまでは木箱のそばを離れなかったのに」

 

 言われてみれば、確かにそうだった。

 

 荷車を押してきた男たちは、黒い船が近づくにつれて、少しずつ後ろへ下がっている。

 

 まるで、船から来る人間を警戒しているかのように。

 

「……仲間同士にしては、妙だな」

 

「うん。それと、あの人」

 

 リリアが指差したのは、荷車の前方に立つ暗い外套の男だった。

 

 短く刈り込んだ髪。

 

 革手袋。

 

 先ほど旧工房の近くでも見かけた、身のこなしに隙の少ない男だ。

 

「右手をずっと腰の近くに置いてる」

 

「武器か?」

 

「たぶん。でも、船じゃなくて、荷車の方を気にしてる」

 

 俺は目を細めた。

 

 ……なるほど。

 

 あの男は、船から来る相手を全面的には信用していない。

 

 それなら、こちらにとって利用できる隙があるかもしれない。

 

 俺は通信機を取り出した。

 

「こちらアオ。荷車は運河沿いの旧製粉所南側、第三荷揚げ場に停車。黒い船が接近しています」

 

 少しの雑音。

 

 続いて、ヴァレンの声が返ってきた。

 

『確認している。水上警備隊にも連絡済みだ』

 

「現場の配置は?」

 

『南側の通りを封鎖した。東側にも警官を置いている。だが、岸壁へ一気に踏み込むと、人質を危険に晒す恐れがある』

 

「同感です」

 

『こちらはまだ相手に姿を見せていない。君たちも監視を続けてくれ』

 

「了解」

 

 通信を切った。

 

 警察はすでに周辺を押さえつつある。

 

 だが、船が出航してしまえば話は変わる。

 

 水上で人質を盾に取られれば、救出は格段に難しくなる。

 

 ……陸上で止めたいな。

 

 俺はリリアへ視線を向けた。

 

「船の動きが分かったら教えてくれ」

 

「うん」

 

 彼女は頷き、再び岸壁へ意識を向けた。

 

 その横顔には、余計な緊張がない。

 

 ただ静かに、必要な情報を集めている。

 

 俺も呼吸を整えた。

 

 戦いは、まだ始まっていない。

 

 だが、すでに互いの駆け引きは始まっていた。

 

     ◇

 

 黒い船が岸壁へ接近すると、甲板から縄が投げられた。

 

 岸にいた男がそれを受け取り、係船柱へ巻きつける。

 

 続いて、船から三人の男が降りてきた。

 

 一人目は、灰色の背広を着た痩せた男。

 

 年齢は三十代半ばほど。

 

 髪をきっちりと撫でつけ、片手には革製の書類鞄を持っている。

 

 二人目は、大柄な男だった。

 

 短い黒髪。

 

 厚い首。

 

 肩幅が広く、上着の下からでも鍛えられた身体つきが分かる。

 

 そして三人目。

 

 細身の、長い外套を着た男。

 

 その男が甲板から岸へ足を下ろした瞬間、俺はわずかに眉を動かした。

 

 ……こいつ。

 

 歩き方が、ほかの二人と違う。

 

 無駄な動きがない。

 

 重心がほとんど上下せず、足音も小さい。

 

 だが、リリアのように周囲へ溶け込むための歩法ではない。

 

 むしろ、いつでも相手の懐へ踏み込めるように、身体を整えている。

 

 戦闘を前提とした動きだった。

 

「アオ」

 

 リリアも気づいたらしい。

 

「最後の人、強そう」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「念能力者の可能性が高い」

 

 ローデリックが低く唸った。

 

「……俺もそう思う」

 

 俺たちはさらに気配を抑えた。

 

 岸壁では、灰色の背広の男が荷車へ近づいていた。

 

「予定より遅れているな」

 

 その声は、夜の水辺によく響いた。

 

 荷車のそばにいた外套の男が答える。

 

「工房で問題があった」

 

「問題?」

 

「警察だ」

 

 灰色の背広の男が足を止めた。

 

「……何だと?」

 

「旧工房に踏み込まれた。荷は予定どおり運び出したが、残っていた連中は捕まったかもしれん」

 

 背広の男は顔をしかめた。

 

「聞いていないぞ」

 

「俺たちも、ついさっき知った」

 

「ダリオは何をしている?」

 

 その名前に、俺の意識が鋭くなった。

 

 ダリオ・ゼッカート。

 

 ようやく、直接名前が出た。

 

 外套の男は肩を竦めた。

 

「知らん。こっちは荷を運べと言われただけだ」

 

 背広の男は舌打ちした。

 

「……まったく。あの男は、いつも余計な面倒を持ち込む」

 

 その言葉を聞き、俺は考えた。

 

 どうやら、ダリオと船の連中は完全な上下関係ではないらしい。

 

 少なくとも、船側はダリオの失態を快く思っていない。

 

 そのとき、長い外套の男が口を開いた。

 

「話は後にしろ」

 

 低い声だった。

 

 背広の男が振り返る。

 

「何だ?」

 

「荷を確認する」

 

「今ここでか?」

 

「警察に踏み込まれたというなら、なおさらだ」

 

 長い外套の男は荷車へ歩み寄った。

 

 そして、木箱の一つに手を置く。

 

 B-317。

 

 俺は目を細めた。

 

 男は木箱の表面を軽く叩いた。

 

 こつ。

 

 乾いた音。

 

 次いで、耳を近づける。

 

 数秒後。

 

 箱の内側から、かすかな物音が返ってきた。

 

 男は頷いた。

 

「……生きているな」

 

 灰色の背広の男が眉を寄せた。

 

「当然だ。死体を運ぶ契約じゃない」

 

「なら、さっさと積み込め」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の腹の底で冷たいものが動いた。

 

 人間を荷物として扱う。

 

 それも、何のためらいもなく。

 

 流星街で生きていた頃から、そういう連中を見たことはある。

 

 人間の命を、金や物と同じように数える者たち。

 

 相手が何を感じ、何を失うのかなど、考えもしない。

 

 ……反吐が出る。

 

 だが、怒りに任せて飛び出すわけにはいかなかった。

 

 今は、まだ。

 

 俺はゆっくりと息を吐いた。

 

 その隣で、リリアが小さく手を動かした。

 

 三本の指。

 

 続いて、二本。

 

 船から降りた三人のうち、二人が戦闘要員。

 

 そういう意味だ。

 

 俺は小さく頷いた。

 

 同じ見立てだった。

 

     ◇

 

 荷車から最初の木箱が下ろされた。

 

 男たちが二人がかりで持ち上げ、船へ渡された板の上を進んでいく。

 

 そのとき。

 

 木箱の中から、短い悲鳴が聞こえた。

 

「……っ!」

 

 女の声だった。

 

 小さく、押し殺された声。

 

 運び手の一人が足を止める。

 

「おい、今……」

 

「気にするな」

 

 長い外套の男が言った。

 

「揺れたんだろう」

 

「でもよ……」

 

「運べ」

 

 その声には、有無を言わせない冷たさがあった。

 

 男たちは再び歩き始める。

 

 俺は通信機へ手を伸ばした。

 

「こちらアオ。木箱の中から女性と思われる声を確認。船への積み込みが始まりました」

 

『こちらヴァレン。了解』

 

「今のうちに止める必要があります」

 

『分かっている。水上警備隊はまだ到着していない。陸上班を動かす』

 

 俺は頷いた。

 

「こちらも支援します」

 

『頼む。ただし、人質への危害を防ぐことが最優先だ』

 

「了解」

 

 通信を切った。

 

 リリアが俺を見た。

 

「アオ」

 

「ああ。動く」

 

 彼女は頷いた。

 

 そして、岸壁の東側を指差した。

 

「私は、あっちから回る」

 

 そこには、古い倉庫と荷揚げ場を繋ぐ細い通路があった。

 

 積み上げられた木材。

 

 壊れた荷車。

 

 使われなくなった滑車。

 

 遮蔽物が多く、見張りの視界も通りにくい。

 

「船の渡し板まで行けると思う」

 

「危険だぞ」

 

「分かってる」

 

 リリアは落ち着いて答えた。

 

「でも、あそこを押さえれば、船へ荷物を運べなくなる」

 

 俺は彼女を見た。

 

 ……確かに。

 

 こちらが正面から動けば、敵は船へ逃げ込もうとする。

 

 そのとき、渡し板を押さえておけば、逃走経路を一つ潰せる。

 

 しかも、リリアなら見張りの視線を避けて近づける可能性が高い。

 

「分かった」

 

 俺は頷いた。

 

「ただし、船には乗るな。相手の念能力が分からない」

 

「うん。渡し板の手前まで」

 

「危険だと思ったら、すぐ退け」

 

「アオもね」

 

 リリアはそう言って、小さく笑った。

 

 俺も口元を緩めた。

 

「了解」

 

 彼女は一度だけ頷く。

 

 そして、身体を低くした。

 

 次の瞬間。

 

 夜の景色に、溶け込んだ。

 

 ローデリックが、隣で小さく息を吐いた。

 

「……何度見ても、妙な気分になるな」

 

「慣れますよ」

 

「慣れたくねえよ。あんな動き、目で追おうとすると自信をなくす」

 

 俺は少し笑った。

 

 だが、すぐに表情を引き締める。

 

「ローデリックさん」

 

「何だ?」

 

「俺は、荷車の護衛を押さえます」

 

「ああ」

 

「船から降りた大柄な男をお願いします。長い外套の男は、俺が見ます」

 

 ローデリックは眉を寄せた。

 

「……そいつが一番厄介そうだぞ」

 

「だからです」

 

 俺は答えた。

 

「木箱の近くで念能力を使われると、人質が危ない」

 

 ローデリックは数秒、俺を見つめていた。

 

 そして、頷いた。

 

「……分かった。任せる」

 

 俺は通信機の送信ボタンを押した。

 

「こちらアオ。配置につきました。警察の突入に合わせて動きます」

 

『了解。合図を待て』

 

 俺は静かに呼吸を整えた。

 

 夜風が、頬を撫でる。

 

 遠くで、船の係留索が軋んだ。

 

 そして。

 

『……各班、行動開始』

 

 ヴァレンの声が響いた。

 

     ◇

 

「警察だ!」

 

 岸壁の南側から、鋭い声が響いた。

 

「全員、その場を動くな! 武器を捨てろ!」

 

 同時に、複数の警官が遮蔽物の陰から姿を現した。

 

 男たちが一斉に振り返る。

 

「……何だと!?」

 

「警察!?」

 

 荷車の護衛が腰へ手を伸ばした。

 

 その瞬間。

 

 俺は動いた。

 

 古い製粉所の二階から、崩れた壁を足場にして外へ出る。

 

 石壁を蹴り、屋根の縁へ移る。

 

 そして、岸壁へ向かって跳んだ。

 

 身体が夜気を切り裂く。

 

 着地と同時に膝を沈め、衝撃を逃がす。

 

 荷車のそばにいた男が、こちらを見た。

 

「……っ!?」

 

 驚きに目を見開く。

 

 だが、反応するより早く、俺は男の懐へ踏み込んでいた。

 

 拳銃を抜こうとした右手。

 

 その手首を掴む。

 

 肘の向きを変え、重心を崩す。

 

 男の身体が前のめりになった。

 

「ぐっ!」

 

 俺はそのまま、男を石畳へ押さえ込んだ。

 

 拳銃が手から離れる。

 

 すぐに警官が駆け寄り、拘束具を掛けた。

 

「確保!」

 

 俺は顔を上げた。

 

 残る護衛が、こちらへ向かってくる。

 

 短い棍棒を持っていた。

 

「この野郎!」

 

 男が振り下ろす。

 

 俺は半歩だけ身体をずらした。

 

 棍棒が空を切る。

 

 その腕を取り、相手の勢いを利用して投げる。

 

 男は荷車の脇へ転がった。

 

 鈍い音。

 

 呻き声。

 

 それで終わりだった。

 

 ……二人。

 

 俺は次の相手へ視線を向けた。

 

 長い外套の男。

 

 そいつは、動いていなかった。

 

 ただ、こちらを見ていた。

 

 そして、ゆっくりと口元を歪めた。

 

「……なるほど」

 

 低い声。

 

「ただの警察じゃないと思ったが……ハンターか」

 

 俺は答えなかった。

 

 男は肩を回した。

 

「若いな。何歳だ?」

 

「答える必要はない」

 

「つれないねえ」

 

 男は笑った。

 

 だが、その目は冷たいままだった。

 

 次の瞬間。

 

 男の身体から、オーラが立ち上った。

 

 ……やはり。

 

 念能力者だ。

 

 俺は『絶』を解き、即座に『纏』へ移行した。

 

 オーラが身体を包む。

 

 男の目が、わずかに細くなった。

 

「……ほう」

 

 その声に、少しだけ興味が混じった。

 

「随分と綺麗な『纏』だな」

 

 俺は静かに構えた。

 

「木箱から離れろ」

 

「……何?」

 

「人質を巻き込むな」

 

 男は一瞬、俺を見つめた。

 

 そして、笑った。

 

「……ああ。なるほど」

 

 彼はゆっくりと両手を広げた。

 

「お前、あの荷物を助けに来たのか」

 

 俺は答えなかった。

 

 男は肩を竦める。

 

「……仕事熱心だな、ハンターってのは」

 

 その言葉が終わるより早く。

 

 男が踏み込んだ。

 

     ◇

 

 速い。

 

 だが、見えないほどではない。

 

 男は右足を踏み込み、身体を低くした。

 

 次いで、左手をこちらへ伸ばす。

 

 俺は半歩退いた。

 

 その瞬間。

 

 男の指先が、わずかに伸びたように見えた。

 

 ……ん?

 

 いや。

 

 指が伸びたわけではない。

 

 指先から、細い何かが飛び出していた。

 

 オーラだ。

 

 糸のように細い、半透明の線。

 

 それが、俺の肩へ向かって伸びてくる。

 

 俺は身体を捻った。

 

 線が上着の表面を掠める。

 

 布地が、小さく裂けた。

 

 ……なるほど。

 

 切断力を持つオーラか。

 

 男は口元を歪めた。

 

「……避けるか」

 

 俺は距離を取った。

 

 その間に、男の右手からも細い線が伸びる。

 

 両手の指先。

 

 合計で数本。

 

 糸状のオーラが、夜気の中で揺れていた。

 

 ……変化系か、あるいは放出系を組み合わせているのか。

 

 見た目だけでは断定できない。

 

 だが、切断力があることは分かった。

 

 問題は、その射程と操作性だ。

 

 俺は足元の石片を拾い、男の右側へ投げた。

 

 男は指を動かした。

 

 次の瞬間。

 

 石片が、空中で二つに割れた。

 

 ……ふむ。

 

 糸を動かせる。

 

 しかも、かなり鋭い。

 

 だが、男はその動作のために、右手の指をわずかに動かしていた。

 

 完全な自動追尾ではないらしい。

 

「……試してるのか?」

 

 男が笑った。

 

「面白いガキだ」

 

 俺は答えなかった。

 

 そして、足元を蹴った。

 

 男の左側へ回り込む。

 

 男はすぐに指を動かした。

 

 糸が横薙ぎに走る。

 

 俺は身体を沈め、その下を抜けた。

 

 続いて、男の懐へ踏み込む。

 

 右拳。

 

 男は腕を上げて防御した。

 

 だが、衝撃を受け止めきれず、後方へ数歩下がる。

 

「……っ!」

 

 俺は追撃しなかった。

 

 木箱との距離を確認する。

 

 まだ近い。

 

 ここで大きな攻撃を使えば、人質を巻き込む可能性がある。

 

 ……もう少し離したいな。

 

 俺は男へ視線を向けた。

 

「こっちだ」

 

 そう言って、岸壁の奥へ移動する。

 

 男は目を細めた。

 

「……誘ってるのか?」

 

「どう思う?」

 

 男は笑った。

 

「……いいぜ」

 

 そして、追ってきた。

 

 ……よし。

 

 俺は速度を上げた。

 

 木箱から距離を取り、広い石畳の上へ出る。

 

 そこなら、多少激しく動いても人質を巻き込む危険は少ない。

 

 男は追いながら、指先の糸を伸ばした。

 

 数本の線が、夜の中を走る。

 

 俺はそれを避けながら、相手の動きを観察した。

 

 ……射程は、およそ十メートル前後か。

 

 糸の数は、今のところ六本。

 

 指の動きに合わせて方向を変える。

 

 そして、一定以上離れると、糸は消える。

 

 ……なるほど。

 

 厄介ではあるが、対処できない能力ではない。

 

 俺は足を止めた。

 

 男が笑う。

 

「……諦めたか?」

 

「いや」

 

 俺は静かに答えた。

 

「もう十分だ」

 

 男の表情が変わった。

 

 その瞬間。

 

 俺は踏み込んだ。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 岸壁の反対側では、ローデリックが大柄な男と対峙していた。

 

「……でかいな、お前」

 

 ローデリックが呟く。

 

 相手は、彼よりさらに一回り大きかった。

 

 厚い腕。

 

 丸太のような首。

 

 その身体を包むオーラは、荒々しいが力強い。

 

 強化系の可能性が高い。

 

「……邪魔するな」

 

 大柄な男が低く唸った。

 

「荷は運ばせてもらう」

 

 ローデリックは肩を回した。

 

「悪いな」

 

 そして、拳を握る。

 

「そいつは無理な相談だ」

 

 男が踏み込んだ。

 

 石畳が、鈍い音を立てる。

 

 次の瞬間。

 

 巨大な拳が、ローデリックへ向かって振り下ろされた。

 

 ローデリックは正面から受け止めた。

 

 衝撃。

 

 空気が震える。

 

 だが、彼の身体はほとんど動かなかった。

 

「……っ!?」

 

 大柄な男が目を見開く。

 

 ローデリックは口元を歪めた。

 

「……悪いが、力比べなら俺も得意でな」

 

 彼は相手の腕を掴み、そのまま身体を回転させた。

 

 巨体が宙を舞う。

 

 次の瞬間、石畳へ叩きつけられた。

 

 鈍い音。

 

 男が呻く。

 

 ローデリックは一歩下がり、構え直した。

 

「……立てるか?」

 

 男は歯を食いしばり、ゆっくりと起き上がった。

 

 その身体から、さらに強いオーラが立ち上る。

 

 ローデリックは目を細めた。

 

「……なるほど」

 

 そして、少し笑った。

 

「まだやる気か」

 

     ◇

 

 一方、リリアは船の渡し板の近くにいた。

 

 彼女は、積み上げられた木材の陰から、船と岸壁の動きを観察している。

 

 『絶』によってオーラを抑え、呼吸を静かに整える。

 

 船の甲板には、少なくとも四人。

 

 そのうち二人は、積み込み作業をしている。

 

 残る二人は、周囲を警戒していた。

 

 リリアは目を細めた。

 

 ……まだ、船に乗せちゃ駄目。

 

 彼女はゆっくりと視線を動かした。

 

 渡し板。

 

 係留索。

 

 船の位置。

 

 そして、荷車。

 

 木箱は四つ。

 

 そのうち一つは、すでに渡し板の手前まで運ばれている。

 

 だが、警察が姿を現したことで、運び手たちは動きを止めていた。

 

 リリアは周囲を確認した。

 

 警官たちは、岸壁の南側から距離を詰めている。

 

 しかし、船の甲板にいる男たちが武器を持っている可能性がある。

 

 無闇に飛び出せば、銃撃戦になるかもしれない。

 

 ……どうする。

 

 彼女は考えた。

 

 船を動かさせない。

 

 木箱を傷つけない。

 

 そして、警察が安全に近づける状況を作る。

 

 そのためには。

 

 リリアは、係留索へ視線を向けた。

 

 船は岸壁に繋がれている。

 

 だが、船員が縄を外せば、すぐに動き出すことができる。

 

 ……先に、あそこを押さえる。

 

 彼女は静かに移動した。

 

 木材の陰から、壊れた荷車の裏へ。

 

 そこから、係船柱の近くへ。

 

 足音はない。

 

 衣擦れもない。

 

 見張りの視線が、警察のいる南側へ向いた瞬間。

 

 リリアは、次の影へ滑り込んだ。

 

 そして、気づけば係留索のすぐそばにいた。

 

 彼女は縄の状態を確認する。

 

 太い麻縄。

 

 船側で解けば外せる結び方だ。

 

 だが、岸側にも余裕がある。

 

 リリアは腰の小さな道具袋から、細い補助索を取り出した。

 

 それを使い、係留索が簡単には外れないよう、岸側の固定を補強する。

 

 もちろん、船が無理に動けば切れる可能性はある。

 

 だが、少なくとも出航までの時間は稼げる。

 

 作業を終えたリリアは、再び周囲を確認した。

 

 そのとき。

 

 甲板の男が、こちらへ視線を向けた。

 

 リリアは動かなかった。

 

 係船柱の影。

 

 木材の隙間。

 

 そこに身体を収め、呼吸を止める。

 

 男はしばらく周囲を見回した。

 

 だが、何も見つからなかったらしい。

 

 やがて、警察の方へ視線を戻した。

 

 リリアは静かに息を吐いた。

 

 ……よし。

 

 その直後。

 

 甲板の奥から、別の男が現れた。

 

 片手に拳銃を持っている。

 

「……おい! 縄を外せ!」

 

 リリアの表情が引き締まった。

 

 ……来た。

 

 男は船員へ怒鳴った。

 

「警察が来てる! すぐ出すぞ!」

 

 船員が係留索へ手を伸ばす。

 

 だが、縄は簡単には外れない。

 

「……何だ、これ!?」

 

 男が苛立った声を上げる。

 

 リリアは、その様子を静かに見ていた。

 

 ……もう少し。

 

 警察が近づくまで、あとわずか。

 

 そのとき。

 

 拳銃を持った男が、荷車の木箱へ銃口を向けた。

 

「……近づくな!」

 

 怒鳴り声が響く。

 

「こいつらがどうなってもいいのか!」

 

 リリアの瞳が、鋭くなった。

 

 ……人質を盾にするつもり。

 

 彼女はゆっくりと身体を沈めた。

 

 相手の視線。

 

 拳銃の向き。

 

 指の動き。

 

 そして、足場。

 

 すべてを、一瞬で確認する。

 

 ……今。

 

 リリアが動いた。

 

     ◇

 

 拳銃を持った男は、警察へ向かって怒鳴り続けていた。

 

「……下がれ! 下がらねえと撃つぞ!」

 

 警官たちが動きを止める。

 

 その瞬間。

 

 男の視界の端を、何かが横切った。

 

「……ん?」

 

 男が顔を向ける。

 

 だが、そこには誰もいない。

 

 次の瞬間。

 

 手首に、鋭い衝撃が走った。

 

「ぐあっ!?」

 

 拳銃が跳ね上がる。

 

 男が反射的に引き金を引いた。

 

 銃声。

 

 弾丸は夜空へ飛んだ。

 

 その直後。

 

 男の身体が、甲板へ倒れ込んだ。

 

 リリアだった。

 

 彼女は渡し板の手前から一気に距離を詰め、男の死角へ回り込んでいた。

 

 手首を打ち、銃口を逸らす。

 

 続いて、足を払う。

 

 男は何が起きたのか理解する間もなく、甲板へ叩きつけられた。

 

「……なっ!?」

 

 周囲の船員たちが目を見開く。

 

 リリアは男の拳銃を蹴り飛ばし、すぐに距離を取った。

 

 彼女は船の奥へ進まない。

 

 あくまで、渡し板の近く。

 

 岸へ戻れる位置を保っている。

 

 そして、警察へ向かって叫んだ。

 

「今です!」

 

 その声に、警官たちが動いた。

 

 岸壁の南側から、一斉に距離を詰める。

 

 船員たちは慌てて後退した。

 

 だが、すでに遅い。

 

 渡し板の近くは、リリアが押さえている。

 

 係留索も、すぐには外せない。

 

 船は、簡単には動けなかった。

 

     ◇

 

 その頃。

 

 俺は、長い外套の男と対峙していた。

 

 相手の能力は、ある程度分かった。

 

 指先から伸びる糸状のオーラ。

 

 切断力。

 

 十メートル前後の射程。

 

 そして、指の動きに連動する操作。

 

 厄介な能力ではある。

 

 だが、相手の身体能力そのものは、俺を大きく上回るほどではない。

 

 むしろ、近接戦闘ならこちらに分がある。

 

 男は、俺の正面で指を広げた。

 

「……何を企んでる?」

 

 俺は答えなかった。

 

 そして、一歩踏み込んだ。

 

 男の指が動く。

 

 糸が走る。

 

 俺はその軌道を見切り、身体を沈めた。

 

 続いて、男の右側へ回り込む。

 

 男はすぐに糸を引き戻そうとした。

 

 だが、その瞬間。

 

 俺はさらに一歩、踏み込んだ。

 

 ……遅い。

 

 右拳が、男の腹部へ入る。

 

「ぐっ!?」

 

 男の身体が折れた。

 

 続けて、左手で襟を掴む。

 

 そのまま、身体を回転させる。

 

 男は石畳へ叩きつけられた。

 

 鈍い音。

 

 だが、男はすぐに起き上がろうとした。

 

 俺はその動きを見て、足を止めた。

 

 ……まだやるか。

 

 男の身体から、オーラが立ち上る。

 

 そして、指先の糸が再び伸びた。

 

 だが。

 

 その瞬間。

 

 俺は男の懐へ踏み込んだ。

 

 右手首を掴む。

 

 左手首も押さえる。

 

 そして、膝で相手の重心を崩した。

 

「……っ!」

 

 男は抵抗しようとした。

 

 だが、俺はその動きを許さなかった。

 

 身体を捻り、腕を背中へ回す。

 

 男の胸が石畳へ押しつけられる。

 

「……ぐあっ!」

 

 俺は低い声で言った。

 

「終わりだ」

 

 男は歯を食いしばった。

 

 だが、もう動けない。

 

 俺は通信機へ手を伸ばした。

 

「こちらアオ。念能力者一名を制圧。拘束班をお願いします」

 

『了解! すぐ向かう!』

 

 俺は男を押さえたまま、周囲を確認した。

 

 ローデリックの方でも、大柄な男が倒れている。

 

 どうやら、あちらも決着がついたらしい。

 

 そして、船の方。

 

 銃声が聞こえた。

 

 俺の表情が変わった。

 

 ……リリア。

 

 だが、すぐに彼女の声が響いた。

 

「今です!」

 

 続いて、警官たちが船へ向かって動く。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……無事か。

 

 それだけ確認できれば、十分だった。

 

 俺は拘束班へ男を引き渡し、船へ向かった。

 

     ◇

 

 岸壁では、警察が船員たちを次々に拘束していた。

 

 リリアは渡し板の近くに立っている。

 

 その足元には、拳銃を持っていた男が倒れていた。

 

 警官がその男を拘束し、武器を回収する。

 

 俺はリリアへ近づいた。

 

「大丈夫か?」

 

 彼女は振り返った。

 

「うん。平気」

 

 俺は彼女の身体を確認した。

 

 目立った傷はない。

 

 呼吸も乱れていない。

 

「銃声がした」

 

「銃口を逸らしたときに、撃たれたの。でも、誰にも当たってない」

 

「そうか」

 

 俺は頷いた。

 

「よくやった」

 

 リリアは少し笑った。

 

「アオもね」

 

 俺たちは、短く視線を交わした。

 

 それだけで、十分だった。

 

 だが、まだ終わっていない。

 

 俺は荷車へ視線を向けた。

 

 四つの木箱。

 

 そのうち一つは、渡し板の手前に置かれている。

 

 残る三つは、荷車の上。

 

 どれも、まだ開けられていない。

 

 ヴァレンが駆け寄ってきた。

 

「アオ! リリア!」

 

「警部補」

 

「船員たちは確保した。船内も捜索中だ」

 

 俺は頷いた。

 

「木箱を開けましょう」

 

「ああ」

 

 ヴァレンは警官たちへ指示を出した。

 

「医療班を呼べ! 箱の中に人がいる可能性が高い! 慎重に開けろ!」

 

 警官たちが動き始める。

 

 俺は、B-317の前へ立った。

 

 白い布。

 

 黒い文字。

 

 あの番号。

 

 エドガーが不審に思い、調べようとした貨物。

 

 その中に、何があるのか。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……ようやく、ここまで来た。

 

 警官が工具を使い、木箱の留め具を外していく。

 

 金属の軋む音。

 

 木材の擦れる音。

 

 そして。

 

 蓋が、ゆっくりと持ち上げられた。

 

 中は暗かった。

 

 だが、すぐに小さな影が見えた。

 

 ……人だ。

 

 俺は目を細めた。

 

 木箱の中には、若い女性がいた。

 

 手首を縛られ、口には布が当てられている。

 

 身体を小さく丸め、怯えた目でこちらを見上げていた。

 

 リリアがすぐにしゃがみ込んだ。

 

「大丈夫」

 

 彼女は穏やかな声で言った。

 

「助けに来たよ」

 

 女性の目が、大きく見開かれた。

 

 リリアは続けた。

 

「もう、怖い人たちはいないから」

 

 その声は、静かだった。

 

 だが、確かな温かさがあった。

 

 女性の目から、涙がこぼれ落ちる。

 

 俺は胸の奥で、何かがほどけるのを感じた。

 

 ……間に合った。

 

 少なくとも、この人には。

 

 俺は残る木箱へ視線を向けた。

 

「全部、開けましょう」

 

 ヴァレンが頷いた。

 

「ああ」

 

 警官たちが、次々に木箱を開けていく。

 

 二つ目。

 

 中には、十歳前後の少年。

 

 三つ目。

 

 若い男性。

 

 四つ目。

 

 少女が二人、身を寄せ合っていた。

 

 全員、生きていた。

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

 ……よかった。

 

 だが、安心するにはまだ早い。

 

 彼らは長時間、狭い木箱の中に閉じ込められていた。

 

 脱水や衰弱の危険がある。

 

 医療班が到着するまで、慎重に対応する必要があった。

 

 俺はリリアへ視線を向けた。

 

「手伝おう」

 

「うん」

 

 俺たちは、救助活動へ加わった。

 

     ◇

 

 救出された人々は、順番に毛布で包まれ、医療班へ引き渡された。

 

 リリアは子供たちのそばに付き、落ち着いた声で話しかけていた。

 

 俺は、その様子を少し離れた場所から見ていた。

 

 彼女の斥候としての技術は、確かに一流だ。

 

 だが、それだけではない。

 

 怯えた子供の目線に合わせ、急かさず、必要な距離を保つ。

 

 そういう細やかな気遣いも、リリアらしい。

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 ……助けられて、よかった。

 

 そのとき。

 

 ローデリックが隣へ来た。

 

「……終わったな」

 

「ひとまずは」

 

 俺は答えた。

 

 彼は岸壁を見渡した。

 

 拘束された男たち。

 

 警察の船。

 

 救助された人々。

 

 そして、黒い船。

 

「……だが、事件そのものは終わってねえ」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「ダリオ・ゼッカートが残っています」

 

 ローデリックは表情を険しくした。

 

「それだけじゃない」

 

 俺は彼を見た。

 

「……どういうことです?」

 

 彼は黒い船を指差した。

 

「船の紋章だ」

 

 白い獣の牙。

 

 その印が、月明かりの下に浮かんでいる。

 

「……あれを使う連中は、ただの運び屋じゃない」

 

 ローデリックは声を落とした。

 

「裏社会でも、かなり深いところと繋がっている」

 

 俺は静かに頷いた。

 

 ……やはりな。

 

 ダリオは、あくまで一つの窓口に過ぎないのかもしれない。

 

 人間を集める者。

 

 運ぶ者。

 

 買う者。

 

 そして、それらを繋ぐ組織。

 

 その全体像は、まだ見えていない。

 

 俺は黒い船を見つめた。

 

 ……どこまで続いているんだ、この事件は。

 

 そのとき。

 

 船内を捜索していた警官が、ヴァレンへ駆け寄ってきた。

 

「警部補!」

 

「どうした?」

 

「船長室から、書類が見つかりました!」

 

 ヴァレンが眉を寄せる。

 

「どんな書類だ?」

 

「……それが」

 

 警官は一瞬、言葉を詰まらせた。

 

 そして、声を落とした。

 

「……人の名前が書かれた一覧です」

 

 俺の表情が変わった。

 

 ……名簿か。

 

 警官は続けた。

 

「年齢、性別、出身地……それに、金額らしき数字まで」

 

 ローデリックが低く舌打ちした。

 

「……やっぱりか」

 

 俺は拳を握った。

 

 人間を、商品として扱う。

 

 その証拠が、ついに見つかった。

 

 ヴァレンは書類を受け取り、目を通した。

 

 そして、表情を険しくした。

 

「……これは」

 

 俺は彼を見た。

 

「何か?」

 

 ヴァレンは顔を上げた。

 

「……この名簿、今夜の四つの木箱だけじゃない」

 

 俺は目を細めた。

 

「……他にも?」

 

「ああ」

 

 ヴァレンは頷いた。

 

「……もっと多い」

 

 その言葉に、夜風が冷たく感じられた。

 

 俺は、リリアへ視線を向けた。

 

 彼女も、こちらを見ていた。

 

 互いに、何も言わなかった。

 

 だが、考えていることは同じだった。

 

 ……まだ、助けを待っている人間がいる。

 

 そして。

 

 この事件は、まだ終わっていない。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 街の中心部から少し離れた、高級住宅街。

 

 その一角にある屋敷で、一人の男が窓辺に立っていた。

 

 ダリオ・ゼッカート。

 

 四十六歳。

 

 かつて運送会社を経営し、今は裏社会で人と物を動かす仕事に関わっている男だ。

 

 彼は、手にした酒杯を静かに傾けた。

 

 その背後で、部下が膝をついている。

 

「……報告があります」

 

 ダリオは振り返らなかった。

 

「何だ?」

 

「……運河の便が、警察に押さえられました」

 

 酒杯を持つ手が、わずかに止まった。

 

「……何?」

 

「船も、貨物も……すべて」

 

 ダリオはゆっくりと振り返った。

 

 その顔から、表情が消えていた。

 

「……誰がやった?」

 

「警察です。それと……ハンターが数名」

 

 ダリオは目を細めた。

 

「……ハンター?」

 

「はい。若い男と女、それから中年の男がいたそうです」

 

 ダリオはしばらく黙っていた。

 

 そして、低く呟いた。

 

「……なるほど」

 

 彼は酒杯を机へ置いた。

 

「……余計なことをしてくれたな」

 

 部下は何も答えなかった。

 

 ダリオは窓の外へ視線を向けた。

 

 街の灯りが、遠くに広がっている。

 

「……上には、どう報告する?」

 

 部下が尋ねた。

 

 ダリオは少し考えた。

 

 そして、冷たく笑った。

 

「……ありのままを伝えろ」

 

「……よろしいのですか?」

 

「ああ」

 

 彼は頷いた。

 

「……ただし、付け加えておけ」

 

 部下が顔を上げる。

 

 ダリオは低い声で言った。

 

「……邪魔をしたハンターがいる、とな」

 

 その言葉とともに、屋敷の空気が冷たく沈んだ。

 

 そして、遠く離れたどこかで。

 

 新たな歯車が、静かに動き始めようとしていた。

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