原神の世界に通えるようになったので、モンドを拠点に異世界生活を楽しみます 作:ところてんの
朝、目を覚ました俺は、ベッドの上でしばらく天井を眺めていた。
今日は何をしようか。
そんなことを考えながら、机の上に置いてあるノートへ目を向ける。
そこには、これまでモンドで経験したことが少しずつ書き足されていた。
冒険者ギルドで依頼を受け、街の人たちと話し、露店で商品を売ってみる。騎士団本部を訪ねたり、図書館で歴史を調べたり、料理を食べ歩いたりもした。
最初は何も分からなかったけれど、今では街の中を歩くことにも慣れてきた。
もちろん、まだ知らないことのほうが多い。
「よし。午前中は露店を出して、午後は錬金術師の工房に行ってみるか」
今日は以前から気になっていた場所を訪ねるつもりだった。
ゲームを遊んでいたころから、モンドの錬金術に関わる人物たちには馴染みがある。実際に会える機会があるなら、一度は話をしてみたい。
それに、研究で使われる道具にも興味があった。
俺が今扱っているのは、お菓子や日用品が中心だ。商売を始めたばかりなので、いきなり専門的な商品を扱うつもりはない。
ただ、研究者が普段どんな道具を使い、何を便利だと感じているのか知ることは、今後の商品選びにも役立つかもしれない。
「まずは、いつもどおりに商売だな」
俺は身支度を整え、販売用の商品を用意した。
個包装の飴、いちご味のグミ、それからいくつかの日用品。
持っていく量を確認してから、部屋のパソコンを通じてテイワットへ移動した。
◇
モンドの街に到着すると、朝の空気が頬を撫でた。
広場では人々が行き交い、店の準備をする者や仕事へ向かう者の姿が見える。風車は今日も変わらず回っていた。
この景色にも、だいぶ馴染んできた気がする。
俺は冒険者ギルドの近くにある、以前許可をもらった販売場所へ向かった。
露店といっても、立派な屋台があるわけではない。商品を並べるための台を用意し、持ってきた品物を見やすいように置くだけだ。
それでも、並べ方ひとつで印象は変わる。
飴は味ごとに分け、グミは手に取らなくても袋の中身が分かるように配置する。日用品も、用途が想像しやすいように並べておいた。
「こんなところかな」
準備を終えた俺は、少し離れて全体を眺めた。
値段は、前回の販売や街の店で聞いた話を参考に調整してある。
極端に安くするのではなく、商品の特徴をきちんと伝えたうえで買ってもらう。それが今の方針だ。
もちろん、考えたとおりに売れるとは限らない。
「いらっしゃいませ。よかったら見ていってください」
通りかかった人に声をかける。
足を止めてくれる人もいれば、そのまま通り過ぎていく人もいた。
最初のうちは、商品を見てもらえるだけでもありがたい。
「これは何に使うんだ?」
日用品のひとつを手に取った男性が尋ねてきた。
「小物をまとめたり、持ち運んだりするときに使えます。こういう使い方もできますよ」
実物を見せながら説明すると、男性は納得したようにうなずいた。
「なるほど。便利そうだな」
「ありがとうございます」
男性はしばらく考えたあと、その商品をひとつ購入してくれた。
俺は代金を受け取り、商品を渡す。
売れた。
何度経験しても、買ってもらえるとうれしいものだ。
その後も、少しずつ客が立ち寄った。
飴をひとつ買う人。グミの説明を聞いてから購入する人。日用品を手に取り、使い道を確認してから考える人。
全員が買ってくれるわけではない。それでも、商品を見て、質問して、考えてくれるだけで分かることはある。
特にグミは、初めて見る人には食感を想像しにくいらしい。
「柔らかいお菓子なのか?」
「はい。弾力があって、噛むと少しもちっとした感じです」
「ほう。そんな菓子もあるんだな」
説明を聞いて興味を持つ人もいれば、まだよく分からないという顔で立ち去る人もいた。
無理に勧めることはしない。
気になった人が、自分で選んで買ってくれる。それが一番だと思う。
昼が近づくころには、持ってきた商品の一部が売れていた。
大繁盛というほどではないが、売上がまったくないわけでもない。以前の販売で得た反応を踏まえて説明の仕方を変えたのも、少しはよかったのかもしれない。
俺は商品を整理し、露店をいったん片づけた。
「よし。午後は予定どおりだな」
昼食を取ってから向かうのは、錬金術師たちが活動している工房だ。
商売のことだけで一日を終えるのも悪くないが、せっかく異世界で暮らしているのだから、いろいろなものを見ておきたい。
そう思いながら、俺は昼食を取る場所を探して歩き始めた。
◇
昼食を済ませた俺は、錬金術師たちの工房へ向かった。
近づくにつれて、周囲に置かれた道具や、作業に使われている器具が目に入る。
見慣れない形の容器や、細かな部品。何に使うのか分からない道具も多い。
やっぱり、専門の場所という感じがするな。
入口で声をかけ、邪魔にならない範囲で見学できないか尋ねると、作業中の人物がこちらを振り向いた。
白い髪に、落ち着いた雰囲気。
その顔を見た瞬間、俺は危うく声を上げそうになった。
おー、生アルベドだ。
いや、待ってくれ。
本当にいる。
ゲームの画面越しに何度も見てきたアルベドが、目の前で普通に作業をしている。
最初のころは、本当にお世話になった。
戦闘でも探索でも、何かと頼りにしていた記憶がある。そんな人物が今、目の前に立っているのだ。
感動するなというほうが無理だろう。
……落ち着け、俺。
ここはゲームの中じゃない。アルベド本人が生活している世界だ。
「何か用かな?」
アルベドが穏やかな声で尋ねてきた。
「あっ、すみません。工房を見学できないかと思って来ました。錬金術に詳しいわけではないんですが、どういう道具を使っているのか気になって」
「そうなんだね。危険な作業をしている場所もあるから、案内できる範囲は限られるけれど、それでよければ」
「もちろんです。作業の邪魔をするつもりはありません」
「それなら問題ないよ。僕はアルベド。錬金術の研究をしている」
「悠真です。よろしくお願いします」
なんとか普通に挨拶できた。
内心ではかなり興奮しているのだが、表面上は平静を装う。
ここでゲームの話を始めても、相手を困らせるだけだ。
アルベドは俺の様子を特に気にすることなく、作業台の周辺を簡単に説明してくれた。
素材を計量するための器具。液体を混ぜるための容器。作業の結果を記録するための紙や筆記具。
並べられているものの多くは、俺が普段使っている道具とは違う。
けれど、よく見てみると、意外な共通点もあった。
「記録用の紙も、けっこう使うんですね」
「そうだね。観察した内容や、素材の配合、実験で確認できたことなどを記録する。記憶だけに頼ると、細かな違いを見落とすことがあるから」
「なるほど。俺も最近、商売の記録をつけるようになったんです」
「商売?」
「ええ。冒険者ギルドの近くで、小さな露店を出しています。お菓子や日用品を少しずつ売っているんです」
「それは興味深いね。商品を売るためにも、記録が役立つのかな?」
「はい。何が売れたかだけじゃなくて、どんな質問をされたか、どういうところに興味を持ってもらえたかも書いています」
アルベドは軽くうなずいた。
「売上の数字だけでは分からないこともある、というわけだね」
「そうです。売れなかった商品でも、説明が足りなかったのか、そもそも需要がないのか、それだけでは判断できないので」
「確かに。結果を記録するだけでなく、その結果が生じた理由を考える必要がある。研究にも通じるところがあるね」
思いがけず、商売と研究の話がつながった。
俺は専門的な研究をしているわけではないが、分からないことを調べ、結果を記録し、次に活かすという流れは似ているのかもしれない。
「記録用の道具にも、使いやすさの違いがあるんですか?」
「あるよ。何を記録するのかによって、必要なものも変わる。細かな数値を記す場合と、形状を図に描き残す場合では、適した道具も異なるからね」
アルベドは作業台の上にある筆記具を示した。
「ただし、道具が優れていれば、必ず良い結果が得られるというわけでもない。何のために使うのかを理解することが大切だ」
「道具より、使い方ということですか」
「道具と使い方の両方だね。目的に合っていない道具では、余計な手間が増えることもある」
その言葉は、商売にも当てはまりそうだった。
便利そうだからと仕入れても、実際に使う人にとって必要なものでなければ売れない。
商品を選ぶときには、どんな場面で役立つのかまで考える必要がある。
俺がそんなことを考えていると、工房の奥から控えめな声が聞こえた。
「あ、あの……アルベドさん。こちらの器具の確認が終わりました」
振り向くと、緑色の髪の女性が書類を手に立っていた。
スクロースだ。
……スクロースもいる!
心の中で、思わず声が弾んだ。
ゲームでは風元素のサポート役として、ずいぶんお世話になった。
スクロース、風のバフ、いつもありがとうございます。
もちろん、そんなことを本人に伝えても意味は分からない。
そもそも、彼女は俺のことなど知らないのだ。ゲームでの性能を知っているからといって、初対面から馴れ馴れしくするわけにはいかない。
「ありがとう、スクロース。こちらは悠真さん。工房を見学したいそうだ」
「あっ、そうなんですね。は、初めまして。スクロースです」
「初めまして。悠真です。今日は見学させてもらっています」
「そ、そうですか……。あの、危険な器具もありますので、近づくときは気をつけてくださいね」
「分かりました。ありがとうございます」
スクロースは手元の書類を抱え直すと、作業台に目を向けた。
「アルベドさん、記録用の紙が少なくなってきているので、あとで補充しておいたほうがいいと思います。それと、器具の一覧も……」
「分かった。あとで確認しておこう」
ふたりのやり取りを聞いていると、研究というのは実験だけで成り立つものではないのだと分かる。
器具を管理し、材料を確認し、記録を整理する。そうした地道な仕事も欠かせないのだろう。
スクロースが書類を置くと、俺は作業台の端に積まれた紙の束に目を留めた。
「記録用の紙って、かなり使うんですね」
「は、はい。実験の記録だけでなく、観察したものを描いたり、気づいたことを書き留めたりしますので……」
「ノートみたいなものも使いますか?」
「ノート、ですか?」
「ええ。ページが綴じてあって、順番に記録できるものです。持ち歩きやすいサイズなら、思いついたことをその場で書き留めるのにも便利かなと思って」
スクロースは少し考えるように視線を上げた。
「たしかに……。観察したことをあとでまとめるより、その場で記録できたほうが便利な場合もありますね。特に、短い時間で変化するものを観察するときは……」
そこまで言って、彼女の口調が少しずつ速くなった。
「ただ、実験の種類によって必要な記録の量も違いますし、図を描くならページの広さも重要です。細かい数値を書く場合は罫線があったほうが見やすいかもしれませんし、逆に自由に図を描きたい場合は、何も印刷されていない紙のほうが……」
なるほど。
研究者らしい着眼点だ。
俺は思わずうなずいた。
「確かに、用途によって使いやすい形は変わりますね」
「そ、そうなんです。ですから、単純に便利そうだからといって、すべての研究に向いているとは限らなくて……」
「それはそうですよね」
話を聞きながら、俺は頭の中で商品候補を整理していた。
小さなノート。書きやすい筆記具。紙をまとめるための道具。
今のところ、具体的に仕入れると決めたわけではない。ただ、研究をする人にとっても、記録用の文房具には需要があるかもしれない。
もちろん、こちらの世界ですでに一般的なものなら、わざわざ持ち込む意味は薄い。
どんなものが使われているのか、どんな不便があるのか。それを知らずに仕入れても、うまくいくとは限らない。
「もしよければ、普段どういう道具を使っているのか、もう少し聞いてもいいですか?」
「は、はい。私でよければ……」
スクロースは少し安心したようにうなずいた。
そこからは、記録用の紙の大きさや、図を描くときに困ること、筆記具の使い心地などについて話を聞いた。
専門的な内容はすべて理解できたわけではないが、道具に求める条件は少しずつ分かってきた。
持ち運びやすいこと。
必要なことをすぐに書けること。
記録した内容をあとから見返しやすいこと。
どれも当たり前のようだが、実際に使う人の話を聞かなければ、細かな不便には気づけない。
「ありがとうございます。参考になりました」
「い、いえ。こちらこそ、こういう話をする機会はあまりないので……」
スクロースは少し照れたように笑った。
俺は彼女の邪魔にならないように話を切り上げようとした。
そのとき、入口のほうから別の男性が入ってきた。
「アルベド、頼まれていた器具の確認なんだけど――あれ? お客さんかい?」
ティマイオスだった。
彼は俺とアルベド、スクロースを順番に見てから、軽く会釈した。
「初めまして。ティマイオスです。錬金術の研究をしています」
「悠真です。今日は工房を見学させてもらっています」
「そうなんだ。研究に興味があるのかい?」
「研究そのものに詳しいわけではないんですが、使っている道具や、記録の取り方には興味があります。俺も商売をしていて、売上やお客さんの反応をノートに記録しているので」
「なるほど。記録を残すことは大切だからね。僕たちも実験の条件や結果を整理しているよ」
ティマイオスは近くにあった書類を手に取った。
「実験は一度成功したからといって、それで終わりじゃない。同じ条件で再現できるか、どこを変えると結果が変わるのか。そういうことを確認するためにも、記録が必要なんだ」
「商売でも、似たところがあると思います。売れた商品があっても、どうして売れたのか分からなければ、次も同じように売れるとは限りませんから」
「それは確かにそうだね」
ティマイオスは納得したようにうなずいた。
研究者と商売人。
立場は違っても、結果を見て次に活かすという点では共通している。
「ところで、記録に使うノートや筆記具についてなんですが、今のものに不便を感じることはありますか?」
俺が尋ねると、ティマイオスは少し考え込んだ。
「そうだな……。持ち歩くための小さな記録帳は便利だと思う。ただ、書く量が多いと、すぐにページが埋まってしまう。用途によって大きさを使い分ける必要はあるね」
「やっぱり、使い分けですか」
「うん。研究の記録をまとめるものと、作業中に簡単なメモを取るものでは、必要な形が違うからね」
スクロースも会話に加わった。
「それに、書いた内容をあとから探しやすいことも重要です。日付や項目ごとに整理できれば、過去の記録を確認するときに便利ですし……」
「なるほど。小さなノートひとつでも、いろいろ考えることがあるんですね」
俺は感心した。
文房具なんて、どこでも似たようなものだと思っていた部分がある。
しかし、使う人の目的によって求められる機能は変わる。研究用なら、単に安くて書ければいいというわけではないらしい。
アルベドが静かに口を開いた。
「商品を選ぶときには、使う人が何を必要としているのかを把握することが重要だね。機能が多ければ良いというわけでもない。必要のない機能は、かえって扱いにくさにつながる場合もある」
「確かに。便利なものを仕入れたつもりでも、使う人に合わなかったら意味がありませんね」
「そういうことだね」
俺は三人の話を聞きながら、頭の中で整理していた。
今すぐ文房具を仕入れて売ると決める必要はない。
まずは、どんな商品があるのか調べる。こちらで一般的に使われているものと、俺が持ち込めるものを比べる。それから、本当に需要があるか考えればいい。
露店を始めたばかりなのだから、焦って商品を増やすより、ひとつずつ確かめていくほうがいいだろう。
「そういえば……」
俺は持ってきた荷物を思い出した。
今日は、実際に使ってもらいたいものを少し用意していたのだ。
「少し待っていてください」
そう断ってから荷物を開き、ノートを取り出した。
小さなものから、少し大きめのものまで。大きさの違うノートをいくつか用意してある。
どれも特別な高級品ではない。百円ショップで買った、ごく普通のノートだ。
ただ、使う人によって好みが違うだろうと思い、サイズをいくつか選んでおいた。
「これ、よかったら試しに使ってみてください」
まず、アルベドに一冊渡す。
「ノートか。記録用の紙を綴じたものなんだね」
「はい。大きさが違うものを持ってきました。実際に使ってみて、使いやすいかどうか教えてもらえるとうれしいです」
アルベドはノートを手に取り、表紙を確かめてからページを開いた。
何も書かれていない紙をしばらく眺め、指先でページをめくる。
「なるほど。最初から一冊にまとまっているから、記録が散らばりにくい。必要な情報をまとめておくには便利そうだね」
「そうなんです。紙を一枚ずつ持ち歩くよりは、扱いやすいと思います」
「大きさによって、記録できる量も変わる。用途に応じて使い分けられそうだ」
アルベドは興味深そうにノートを閉じた。
続いて、スクロースにも別のサイズのノートを渡す。
「スクロースさんも、よかったら使ってみてください。図を描いたり、実験の記録を取ったりするのに、どの大きさが使いやすいか試してもらえれば」
「えっ、いいんですか?」
「はい。今回はお試しということで」
スクロースは少し遠慮がちに受け取ると、ページを開いた。
「この大きさなら、持ち歩きやすそうですね……。でも、図を大きく描きたいときは、もう少し大きいものも便利かもしれません」
「やっぱり、用途によって違いますよね」
「はい。小さなものは、思いついたことをすぐに書き留めるのによさそうです。大きなものなら、図と説明を一緒に書けますし……」
さっそく使い道を考えてくれている。
これは、なかなかいい反応かもしれない。
最後に、ティマイオスにもノートを一冊渡した。
「ティマイオスさんも、よかったらどうぞ。研究の記録に使えるか、試してみてください」
「僕にも? ありがとう。こういうものは、実際に使ってみないと分からないからね」
ティマイオスはノートを開き、ページを何枚かめくってみた。
「普段の記録をまとめるのにもよさそうだ。簡単なメモ用と、詳しい記録用で分けるのもいいかもしれないね」
「そういう使い分けもできますね」
これで三人それぞれに、違う大きさのノートを渡すことができた。
実際に使ってみた感想を聞ければ、どのサイズに需要がありそうなのかも考えやすくなるだろう。
「それと、こちらも一緒にどうぞ」
俺は鉛筆と、小さな鉛筆削りを取り出した。
「ノートだけだと使えませんからね。鉛筆と鉛筆削りも、よかったら試してみてください」
「これは……鉛筆?」
スクロースが鉛筆を手に取る。
「はい。文字を書いたり、図を描いたりするためのものです。先が丸くなったら、こっちの道具で削れます」
俺は小さな鉛筆削りを見せた。
百円ショップで買った、ごく普通のものだ。鉛筆を差し込んで回せば、先を削れる。ナイフを使う必要もないので、扱いも簡単だ。
「鉛筆削り……。こんなに小さな道具で、先を整えられるんですね」
「そうなんです。持ち運びもしやすいですし、鉛筆と一緒に使うなら便利だと思います」
スクロースは鉛筆削りを手に取り、興味深そうに眺めていた。
アルベドも鉛筆と鉛筆削りを確かめる。
「筆記具だけでなく、それを継続して使うための道具もそろっているわけだね」
「はい。ノートと鉛筆、それから鉛筆削り。ひとまず、この三つをセットで試してもらえればと思っています」
ティマイオスも鉛筆削りを確認してから、うなずいた。
「なるほど。鉛筆が丸くなっても、すぐに使える状態に戻せるのか。研究の記録にも役立ちそうだね」
「実際に使ってみて、便利だと思ったら、よかったら買いに来てください。冒険者ギルドの近くで露店を出していますから」
「分かった。しばらく使ってみるよ」
ティマイオスが答え、スクロースも小さくうなずいた。
「私も、ノートと一緒に試してみます。ありがとうございます」
アルベドもノートを手にしたまま、鉛筆と鉛筆削りを見比べていた。
今回渡したのは、どれも特別な品物じゃない。
それでも、実際に使ってもらえば、こちらではどんな道具が便利だと感じられるのか分かるはずだ。
気に入ってもらえたら、次は露店で販売する商品として用意してみよう。
もちろん、使ってもらったからといって、必ず買ってもらえるわけではない。
あくまで試供品だ。使い心地を確かめてもらい、必要だと思った人が買いに来てくれればいい。
商売をする以上、相手に無理をさせるつもりはなかった。
「今日は、いろいろと教えていただいてありがとうございます。研究の邪魔をしてしまっていなければいいんですが」
「気にしなくていいよ。僕たちにとっても、違う立場の人の考えを聞くのは参考になる」
アルベドは穏やかに答えた。
「また見学したいことがあれば、作業の都合がつく範囲で声をかけてくれればいい」
「ありがとうございます」
スクロースも、手元のノートを大事そうに抱えてうなずいた。
「私も、使ってみて気づいたことがあったら、お伝えしますね」
「ぜひお願いします」
ティマイオスも笑顔で応じた。
「商売の記録についても、もう少し聞いてみたいな」
「俺でよければ、いつでも」
三人に礼を言い、俺は工房をあとにした。
◇
工房を離れてから、俺は街を歩きながら、今日聞いた話を思い返していた。
午前中は露店で商品を売り、午後は錬金術師たちの話を聞いた。
どちらも、派手な出来事があったわけではない。
それでも、得られたものは多かったと思う。
露店では、商品の説明を少し変えるだけで、客の反応が変わることがあると分かった。
工房では、道具を使う人の話を聞くことの大切さを学んだ。
ノートや鉛筆を扱うかどうかは、まだ決めていない。今の露店に商品を増やすとしても、仕入れに使える金額には限りがある。
それに、商品を増やせば管理する手間も増える。
売れるか分からないものを大量に仕入れるより、少量から試したほうがいい。
「まずは、三人の感想を聞いてからだな」
独り言をこぼし、俺は空を見上げた。
風が吹き抜け、街の旗が揺れている。
この世界に来てから、少しずつ生活の範囲が広がっている。
冒険者ギルドで依頼を受けることも、街で買い物をすることも、露店を出すことも、最初は手探りだった。
今も分からないことは多いが、分からないことをひとつずつ確かめていけばいい。
それに今日は、ゲームで何度も見ていたアルベドやスクロースと、実際に話すことができた。
内心では、かなりうれしかった。
最初にアルベドを見たときなんて、思わず「生アルベドだ」と叫びそうになったくらいだ。
スクロースに対しても、心の中では感謝の言葉が止まらなかった。
もちろん、本人たちにそんな事情を説明することはできない。
だから、今は普通に話して、少しずつ知り合っていけばいい。
次に会う機会があったら、今度はもう少し落ち着いて話せるといいな。
……いや、アルベドとスクロースを前にして、平常心でいられる自信はあまりない。
そんなことを考えながら、俺は帰り道を歩いた。
◇
夕方、俺はシステムを開き、ログアウトを選択した。
次の瞬間、見慣れた自分の部屋に戻っていた。
荷物を片づけ、机に向かう。
ノートを開き、今日の売上と、工房で聞いた話を書き留めていった。
午前中の販売では、どの商品が売れたのか。客からどんな質問をされたのか。説明を加えたとき、反応がどう変わったのか。
午後の記録には、研究用の道具に求められる条件をまとめた。
持ち運びやすさ。書きやすさ。あとから記録を探しやすいこと。
用途によって、必要な形が違うことも忘れずに書いておく。
そして、今日の重要な記録。
アルベド、スクロース、ティマイオスに、それぞれ大きさの違うノートを一冊ずつ渡したこと。
鉛筆と鉛筆削りも一緒に渡し、使ってみてもらうことにした。
それぞれがどんな感想を持つのか、次に会ったときに聞いてみよう。
もし評判がよければ、露店で扱う商品の候補になるかもしれない。
ただし、すぐに仕入れる必要はない。まずは、実際に使った感想を聞き、需要がありそうか考えるところからだ。
俺はノートを閉じ、椅子の背もたれに体を預けた。
「今日も、けっこう充実してたな」
朝は露店、午後は錬金術師の工房。
売上を確認するだけでなく、街の人たちが何を必要としているのかを知る機会にもなった。
それに、アルベドとスクロースに会えたのは、個人的にも大きな出来事だった。
ゲームで知っているキャラクターが、目の前で普通に暮らしている。
何度経験しても、不思議な感覚だと思う。
とはいえ、明日も仕事がある。
今日はそろそろ休もう。
俺はノートを机にしまい、明日の準備を始めた。
テイワットでの生活は、まだまだ続く。
焦らず、楽しみながら、少しずつ自分のできることを増やしていこう。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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