原神の世界に通えるようになったので、モンドを拠点に異世界生活を楽しみます 作:ところてんの
モンドの朝は、穏やかな風と人々の話し声で始まる。
露店の準備をする商人。荷物を抱えて通りを歩く配達人。冒険者ギルドへ向かう者に、朝食を求めて店へ入る者。
いつもと変わらない光景だ。
そんな街の様子を眺めながら、俺はモンド城の大聖堂へ向かっていた。
今日は朝から露店を開くつもりだったが、その前に少し寄り道をしようと思ったのだ。
理由は単純。
大聖堂の近くを通ったとき、歌声が聞こえてきたからである。
澄んだ歌声が、朝の風に乗って街へ広がっている。
俺は思わず足を止めた。
歌に詳しいわけではない。それでも、聞いていると気持ちが落ち着いてくる。忙しい朝の街に、少しだけ違う時間が流れているような感覚だった。
歌声が途切れたところで、俺は大聖堂の方へ歩き出した。
そこにいたのは、バーバラだった。
「素敵な歌でした」
声をかけると、バーバラは少し驚いたようにこちらを振り返った。
「あっ、ありがとうございます! 聞いてくださったんですね」
「はい。通りかかったら聞こえてきたので、つい足を止めちゃいました」
「そう言ってもらえると嬉しいです。歌を聞いて、少しでも元気になってもらえたらと思っているんです」
バーバラはそう言って、柔らかく微笑んだ。
ゲームで知っているキャラクターが、目の前で普通に話している。
その光景にも、以前よりは慣れてきた。
ただ、慣れたからといって、何も感じなくなったわけではない。
バーバラはモンドの人々にとって、歌で元気を届けてくれる存在だ。実際にこうして歌声を聞くと、その人気にも納得できる。
俺もゲームでは何度もお世話になった。
回復役として編成に入れていた時期も長い。水元素を付着させたいときにも使っていたし、戦闘中に回復してもらったことも何度もある。
そういえば、衣装のことも思い出した。
バーバラの水着衣装が実装されたとき、買おうかどうか少し迷ったことがある。
結局、買わなかったのだけれど。
――まあ、今となっては、こうして本人に会えているわけだしな。
ゲーム画面の向こう側にいたキャラクターが、今は目の前で笑っている。
そう考えると、やっぱり不思議な気分になる。
「そうだ。これ、よかったらどうぞ」
俺は持ってきていた個包装の飴を取り出した。
「これは?」
「歌を聞かせてもらったお礼です。大したものじゃないですけど」
「そんな、わざわざありがとうございます!」
バーバラは少し遠慮したものの、俺が改めて勧めると受け取ってくれた。
「個包装のお菓子なんですね。持ち歩きやすそうです」
「そうなんです。食べたいときに一つずつ開けられますから」
「確かに便利ですね。ありがとうございます。大切にいただきますね」
大切に、というほどのものではないのだけれど。
とはいえ、喜んでもらえたならよかった。
俺としても、ただ歌を聞かせてもらったお礼というだけではない。
せっかく好きなキャラクターに会えたのだから、何かしてあげたいと思ったのだ。
……まあ、ほんの少しだけ、自分の露店の宣伝につながればいいな、という気持ちもある。
完全に無欲というわけではない。
ただ、飴を渡したのは本当に歌のお礼だ。露店の宣伝だけが目的だったら、さすがに自分でもどうかと思う。
「そういえば、俺は冒険者ギルドの近くで小さな露店を出しているんです。お菓子なんかを少し売っていて」
「露店ですか?」
「はい。まだ始めたばかりなんですけどね」
「そうなんですね。今度、時間があったら見に行ってみます!」
「ありがとうございます。無理に来なくても大丈夫ですからね」
「ふふっ、分かりました」
バーバラは楽しそうに笑った。
その後、少しだけ言葉を交わしてから、俺は大聖堂を後にした。
歌を聞いて、飴を渡して、少し話をした。
それだけのことなのに、朝からいい時間を過ごせた気がする。
さて。
そろそろ俺も、自分の仕事を始めよう。
今日の露店には、いつもの商品に加えて、新しく試してみたいお菓子を持ってきていた。
売れ行きがどうなるかは分からない。
だからこそ、まずは少量から試してみるつもりだった。
◇
冒険者ギルドの近くに着くと、俺はいつもの場所で露店の準備を始めた。
商品を並べ、値札を置き、代金を受け取るための小箱を用意する。
すでに何度か繰り返している作業なので、準備そのものは手早く済んだ。
いつもの商品は、個包装の飴やイチゴグミ、それから少量の日用品。
そして、今日はいつもと少し違う商品も持ってきていた。
一つは、粉末や液体を混ぜ、自分で作って食べるタイプのお菓子だ。
いわゆる知育菓子で、味だけでなく、作る途中の色や形の変化も楽しめる商品である。
もう一つは、フーセンガム。
普通のガムと同じように噛むだけでなく、口の中で膨らませて風船のようにできる。
どちらも、ただ食べるだけではない楽しみ方がある商品だ。
俺自身、こういう商品は面白いと思っていた。
ただ、テイワットで同じように受け入れられるかは分からない。
知育菓子は作る過程を楽しんでもらえるか。フーセンガムは、そもそも風船のように膨らませられることに興味を持ってもらえるか。
実際に試してみなければ、反応は分からない。
だから今回は、どちらも少量だけ仕入れてみた。
まずは露店に並べて、客がどんな反応をするのか確かめる。売れ行きや感想を見て、次に仕入れるかどうかを考えるつもりだ。
いきなり大量に仕入れて売れ残っても困るし、今はまだ試験販売で十分だろう。
俺は商品を並べ終えると、露店の前に立った。
「いらっしゃいませー。お菓子や日用品を売ってますよー」
いつもどおり、通りかかった人に声をかける。
朝の時間帯ということもあり、冒険者ギルドへ向かう人が多い。何人かが足を止め、商品を眺めていった。
「これは、前にも見たお菓子だな」
「はい。前と同じものもありますよ」
「この小さい袋は何だ?」
「新しく持ってきたお菓子です。まだ試しに置いているところなので、気になったら見ていってください」
説明をすると、客は袋を手に取り、しばらく眺めてから元の場所へ戻した。
興味は持ってくれたようだが、すぐに売れるとは限らない。
まあ、そんなものだろう。
俺だって、見慣れない商品を見かけたら、まずはどんなものなのか確認する。
知らないものをすぐに買うかどうかは、値段や用途、そして自分に必要かどうかによる。
だから、無理に勧めるつもりはなかった。
しばらくして、見覚えのある少女が露店の前で立ち止まった。
紫色の衣装に、特徴的な帽子。
その隣には、一羽のカラスがいる。
――フィッシュルかあ。
雷元素を使うキャラクターで、ゲームではよく使っていた。
特にオズによる雷元素の付着には、何度も助けられた記憶がある。ほかの元素と組み合わせて元素反応を起こしたいときにも便利で、編成に入れていた時期はかなり長かった。
ただ、オズの操作には少し癖があったんだよな。
呼び出すタイミングや配置を考えたり、戦う場所に合わせて動かしたり。慣れれば便利なのだけれど、何も考えずに使えばいいというわけでもなかった。
もちろん、そんなことを本人に話すわけにはいかない。
俺はいつもどおりの態度で迎えた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「フッ……この我が目に留まるとは、なかなか興味深き品々を揃えているではないか」
フィッシュルは並んだ商品を見渡し、芝居がかった口調で言った。
「こちらの露店では、通常の菓子とは異なる品々を扱っていると聞き及んだ。ならば、その真価を確かめる必要があろう」
「お噂は、主にお菓子について広まっているようですね」
オズが落ち着いた口調で補足する。
「ええ。珍しいお菓子があると聞いて、興味を持たれた方が何人かいらっしゃったようです」
どうやら、これまで買ってくれた客が話してくれたらしい。
小さな露店でも、口コミというものは意外と侮れない。
「まずは、こちらなどいかがでしょう」
俺はイチゴグミを差し出した。
「これは、以前から扱っているお菓子です。柔らかくて、少し甘酸っぱい味がします」
「ほう。では、まずはその味を確かめるとしよう」
フィッシュルは代金を支払い、袋を受け取った。
包装を開けて一つ口に入れる。
しばらく噛んでから、目を少し見開いた。
「む……。甘さの中に、確かな酸味があるな。しかも、この独特の弾力……」
「気に入っていただけましたか?」
「悪くない。いや、なかなかに興味深い味わいだ」
気に入ってくれたようだ。
フィッシュルは袋の中身を確認し、いくつか追加で購入してくれた。
「ありがとうございます」
「礼には及ばぬ。これは我が旅路において、よき供となるであろう」
そう言って、彼女はグミをしまった。
その後、露店に並べた新商品へ視線を移す。
「ところで、そちらの品は何だ?」
フィッシュルが指さしたのは、粉末や液体が入った知育菓子だった。
「それは新しく仕入れたお菓子です。自分で材料を混ぜて作るタイプで、作る途中に色が変わったり、膨らんだりするんですよ」
「自らの手で完成させる菓子……?」
「はい。味だけじゃなく、作る過程も楽しめる商品です。今回は試験販売なので、どんな反応になるか確かめているところですね」
フィッシュルは商品を手に取り、包装を眺めた。
「なるほど……。禁断の錬成術によって、未知なる甘味を生み出すというわけか」
「まあ、そういう言い方もできるかもしれませんね」
俺は苦笑した。
いや、錬成術というほど大げさなものではないのだけれど。
ただ、粉末を混ぜると色が変わったり、液体を加えると膨らんだりするのは、確かに初めて見る人には不思議だろう。
「オズ、これを試すぞ」
「かしこまりました、お嬢様」
フィッシュルは商品を購入すると、作り方を確認しようとして手を止めた。
「……む。文字が記されているが、これは?」
「ああ、作り方の説明書です。混ぜる順番があるので、確認しながら作った方がいいですよ」
俺は説明書を取り出して見せた。
今回の説明書は、事前にキャサリンに頼んでテイワットの文字で書き写してもらったものだ。
俺はテイワットの文字を読めるものの、自分で正確に書くことはできない。
商品の説明をするだけなら問題ないが、手順を間違えると、せっかくのお菓子がうまく作れない可能性もある。
だから、こういう商品を売るなら説明書が必要だと考えた。
「説明書まで用意しているとは、抜かりないな」
「作り方が分からないと困りますからね」
「では、我が使い魔に読み解かせよう」
「はい。手順を確認しながら進めましょう」
オズは説明書に目を通し、最初の工程を確認した。
「まず、こちらの粉末を指定の容器に入れるようです。その後、決められた量の液体を加える、とあります」
「よし。では、始めようではないか」
フィッシュルは粉末を容器に入れた。
そこへ液体を加え、付属の道具で混ぜていく。
最初は普通の色だった粉末が、混ぜるにつれて少しずつ変化していった。
「おお……!」
フィッシュルが目を輝かせる。
「色が変わったぞ、オズ!」
「ええ。説明書にも、その変化について記載があります。どうやら、次の工程へ進んでよさそうです」
「ふむ。なるほど、これが錬成の第一段階か……」
「普通のお菓子作りとは少し違いますね」
俺は二人の様子を眺めながら答えた。
楽しそうで何よりだ。
知育菓子は、食べることだけが目的ではない。作っている最中の変化や、完成するまでの過程も楽しめる。
こうして興味を持ってもらえるなら、試験販売としては悪くない反応だろう。
フィッシュルとオズが作業を続けていると、別の客が露店へやってきた。
「あっ、これ何だ?」
声をかけてきたのは、白い髪にゴーグルをつけた少年だった。
身につけている装備からして、冒険者なのだろう。
――ベネットかあ。
ゲームでは、かなり長い間お世話になったキャラクターだ。
元素爆発による攻撃力アップと回復が便利で、編成に困ったときにも頼りになる。炎元素を使えることもあって、元素反応を組み立てるうえでも使いやすかった。
ニコが登場するまでは、実質サポートの炎神だったんじゃないかと思うくらいだ。
……いや、今はゲームのキャラクターとしてではなく、目の前にいる一人の少年として接しよう。
「いらっしゃいませ。何か気になるものがありましたか?」
ベネットは露店に並んだ商品を見渡した。
知育菓子を見つけると、少し身を乗り出す。
ベネットは興味津々といった様子で、フィッシュルたちが作業している容器を覗き込んだ。
「うわっ、色が変わってる! すごいな!」
「ふむ。これは禁断の錬成術の一端にすぎぬ」
フィッシュルが得意げに言う。
「錬成術? えっと……お菓子作りのことか?」
「そういうことにしておきましょう」
俺が苦笑しながら答えると、ベネットは楽しそうに笑った。
「へえー! 俺もやってみたいな!」
その言葉に、俺は知育菓子の箱を手に取った。
「興味があるなら、よかったら一つ――」
「あっ、でも……」
ベネットはそこで、何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだ! 先に冒険者ギルドへ行かないといけないんだった!」
「ギルドですか?」
「うん! 依頼が終わったから、報告しなきゃいけないんだ。忘れてたら、キャサリンさんに怒られちゃうかもしれないし!」
ベネットは頭の後ろをかき、少し困ったように笑った。
どうやら、依頼を終えたばかりらしい。
冒険者として仕事をしている以上、報告は必要だ。興味があるからといって、いつまでも寄り道をしているわけにはいかないのだろう。
「そっか。じゃあ、知育菓子はまた今度ですね」
「うん! せっかく面白そうなのに残念だけど、依頼の報告が先だな!」
ベネットは名残惜しそうに、もう一度知育菓子を見た。
「また時間があるときに来てください。商品は、反応を見ながら続けて仕入れるつもりですから」
「本当か!? じゃあ、今度試してみるよ!」
ベネットは明るく笑った。
興味を持ってくれたのは嬉しいが、今回の知育菓子はまだ試験販売だ。今後も扱うかどうかは、売れ行きや客の反応次第になる。
それでも、こうして次に試してみたいと思ってもらえたのなら、ひとまず悪くない。
ベネットは改めて露店の商品を見渡した。
そして、今度は別の商品に目を留めた。
「ところで、こっちは何だ?」
彼が手に取ったのは、フーセンガムだった。
「それはガムっていうお菓子です。口の中で噛んで、味を楽しむものですね」
「噛むお菓子?」
「はい。飴みたいにすぐ溶けるわけじゃなくて、しばらく噛み続けられるんです」
「へえー! そんなお菓子もあるんだ!」
ベネットは包装を裏返したり、表に戻したりして、珍しそうに眺めていた。
「ちなみに、味は甘いですよ。これはベリー味です」
「ベリー? どんな味なんだ?」
「いくつかのベリー系の果物を合わせたような、甘酸っぱい味ですね」
「へえー! 美味しそうだな!」
ベネットは興味津々といった様子で包装を眺めていた。
「噛んでいると、少しずつ味が薄くなっていきます。でも、しばらく噛み続けられるんですよ」
「なるほど! それで、風船みたいに膨らませられるんだな!」
「そうです。これはフーセンガムといって、普通のガムとは違って、口の中で膨らませることもできます。まずは普通に噛んで、柔らかくなってから試してみてください。最初は小さく膨らませるのがおすすめです」
「よし、これを買うよ!」
ベネットは代金を支払い、フーセンガムを受け取った。
「ありがとうございます。最初は無理せず、少しずつ試してみてくださいね」
「分かった!」
元気のいい返事だった。
ベネットは包装を開け、ガムを口に入れた。
しばらく噛んでいると、表情が明るくなる。
「おっ、甘いな! ベリーの味がする!」
「そうでしょう?」
「うん! これ、面白いな!」
ベネットは何度か噛んだあと、口の中のガムを舌でまとめ始めた。
「えーっと……こうやって膨らませるんだよな?」
「そうです。最初は小さく、ゆっくりと」
俺が説明すると、ベネットは真剣な顔で頷いた。
そして、慎重に息を吹き込む。
ぷくり。
小さな泡ができた。
「おおっ! できた!」
「おお、上手ですね」
「すごい! 本当に膨らむんだ!」
ベネットは嬉しそうに笑った。
初めてのフーセンガムで、いきなり成功するとは。
なかなか器用なのかもしれない。
……と思ったのも束の間だった。
「よーし、もっと大きくしてみよう!」
「あ、ちょっと待っ――」
ぷつん。
次の瞬間、膨らませすぎたガムが弾けた。
ガムは唇だけでなく、鼻の下や頬にまで広がり、顔のあちこちに張りついてしまった。
「…………」
「…………」
俺とベネットは、しばらく無言で見つめ合った。
「……あれ?」
ベネットが間の抜けた声を出した。
「えっと……失敗、かな?」
「はい。ちょっと大きくしすぎましたね」
「うわああっ! 顔にくっついてる!」
ベネットは慌ててガムを取ろうとした。
「待ってください! 無理に引っ張ると、余計に広がりますから!」
「えっ、そうなの!?」
「とりあえず、じっとしていてください」
俺は布を取り出し、ガムが広がらないように少しずつ取り除いていった。
無理に引っ張らず、張りついた部分を慎重に剥がしていく。
思った以上に手間がかかったが、何とか顔から取り除くことができた。
「ふう……。取れましたよ」
「ありがとう! いやー、びっくりした!」
ベネットは顔を触り、ガムが残っていないことを確かめた。
「でも、すごかったな! 膨らむのは本当だったんだ!」
「ええ。次は、もう少し小さく膨らませてみてください」
「うん! 今度はもっと上手にやってみるよ!」
失敗したことを気にする様子もなく、ベネットは笑っていた。
前向きなのはいいことだ。
ただ、初めてのフーセンガムで顔中にガムを張りつけるところまでいくとは思わなかった。
……商品の説明に、膨らませすぎると弾けることも書いておいた方がいいだろうか。
いや、説明書に書くほどのことでもないか。
ともかく、ベネットはフーセンガムを気に入ってくれたようだった。
「さて、俺はそろそろギルドに行かないと!」
ベネットは思い出したように言った。
「そうでしたね。依頼の報告、忘れないようにしてください」
「うん! 今度はそっちの菓子も試したいから、そのときはよろしくな!」
「はい。お待ちしてます」
「じゃあ、また!」
ベネットは元気よく手を振ると、冒険者ギルドの方へ駆けていった。
依頼の報告があるのに、寄り道して大丈夫だったのだろうか。
……まあ、本人も忘れずに思い出したことだし、問題はないだろう。
俺はベネットの背中を見送ってから、露店へ視線を戻した。
フィッシュルとオズは、まだ知育菓子を作っている最中だった。
「さて、お二人は順調ですか?」
「当然だ。我が手にかかれば、この程度の錬成など造作もない」
フィッシュルは容器を手にしたまま答えた。
「今のところ、手順どおりに進んでおります。次の工程へ移るところです」
オズが落ち着いて補足する。
容器の中身は、先ほどよりも色が変わり、少しずつ膨らんでいた。
確かに、初めて見る人には不思議な光景だろう。
俺はその様子を眺めながら、露店の前を通る客にも声をかけていた。
知育菓子に興味を持つ人はいるものの、すぐに購入を決める人ばかりではない。
フーセンガムについても、ベネットのように興味を示す人はいるが、まだ珍しさの方が先に立っているようだった。
こういう商品は、実際に作っているところや、食べているところを見てもらった方が分かりやすいのかもしれない。
もちろん、毎回誰かに実演してもらうわけにもいかないけれど。
そんなことを考えていると、フィッシュルの声が響いた。
「店主ぅぅぅぅっ!!」
「はいはい、今行きますよー」
俺は接客を切り上げ、フィッシュルたちのところへ向かった。
彼女は容器を持ち上げ、そこに入っているものを俺に見せてきた。
「見よ! この不吉なる色彩を! 禁断の錬成術が、恐るべき変貌を遂げているぞ!」
容器の中身は、先ほどまでとは違う色になっていた。
しかも、混ぜているうちに少しずつ膨らみ、見た目にも変化が出ている。
確かに、初めて見る人には驚く光景かもしれない。
「……ええと、説明書を見せてもらっていいですか?」
「これだ!」
フィッシュルが説明書を差し出す。
俺は書かれている手順を確認した。
色が変わることも、膨らむことも、きちんと説明されている。
失敗ではない。
むしろ、順調に進んでいるようだ。
「大丈夫ですよ。ここは色が変わる工程みたいです。次の手順に進んでください」
「な、何……?」
「説明書にも書いてありますから。問題ありません」
「しかし、この色は……!」
「予定どおりです」
俺はもう一度、説明書の該当部分を指さした。
オズも内容を確認し、頷いた。
「確かに、色の変化について記載があります。お嬢様、手順は間違っていないようです」
「そ、そうか……。ならばよい」
フィッシュルは少し落ち着いたようだった。
それでも、容器の中身を警戒するように見つめている。
……いや、そこまで警戒しなくても。
ただのお菓子だからな?
「次は、もう少し混ぜるようですね」
オズが説明書を読み上げる。
「うむ。ならば、続けるとしよう」
フィッシュルは再び道具を手に取り、容器の中身を混ぜ始めた。
少しずつ、膨らんでいた生地のようなものがまとまっていく。
「おお……!」
作業を見ていた客が、思わず声を上げた。
フィッシュルは満足そうに容器を見つめる。
「ついに完成したぞ……!」
オズが最後の工程を確認し、フィッシュルは完成したお菓子を口に運んだ。
少しの間、味を確かめるように黙っている。
「……ふむ」
「どうですか?」
「甘い。思っていたよりも、普通に菓子として成立しているな」
「それはよかったです」
「作る過程も含めて、なかなか興味深い品であった。オズ、お前も食べてみるがよい」
「では、少しだけいただきましょう」
オズも味を確かめた。
「なるほど。確かに甘味として楽しめますね。何より、作る手順そのものに面白さがあります」
「そうでしょう? 俺も、こういうお菓子は面白いと思っているんです」
フィッシュルは残りのお菓子を眺め、満足げに頷いた。
「よい試みであった。次なる錬成にも期待するとしよう」
「ありがとうございます。今回の反応を見て、次に仕入れるか考えてみます」
俺はそう答えながら、心の中で小さく頷いた。
知育菓子については、少なくとも興味を持ってくれる人がいることが分かった。
フーセンガムも、ベネットが気に入ってくれた。
もちろん、二人の反応だけで売れ行き全体を判断することはできない。だが、実際に試してみたからこそ分かることもある。
こうした小さな積み重ねが、商売を続けていくうえでは大切なのだろう。
◇
日が傾き始めた頃、俺は露店の商品を片づけ始めた。
今日の売り上げは、いつもの商品に加えて新商品への反応も確認できた。
知育菓子は、フィッシュルとオズが作る過程を楽しんでくれた。特に、色が変わったり膨らんだりするところは、初めて見る人にとって印象に残るらしい。
ベネットも知育菓子に興味を持ってくれたが、冒険者ギルドへ依頼の報告に行く必要があり、今回は見送ることになった。次に来たときも扱っていれば、試してくれるかもしれない。
フーセンガムは、ベネットが購入してくれた。ベリー味も気に入ってくれたようだ。
ただし、膨らませるときには注意が必要だ。
小さく膨らませるところまでは成功したのに、調子に乗って大きくしようとした結果、顔中にガムが張りつくことになった。
……次に売るときは、最初に小さく膨らませるよう、もう少し念を押しておこう。
あれはあれで面白かったけれど、毎回あんなことになっても困る。
それから、バーバラにも飴を渡した。
歌を聞かせてもらったお礼だったが、露店の場所も伝えられた。もし本当に見に来てくれたら、それはそれで嬉しい。
今日もいろいろな人と話すことができた。
商売を始めてから、街の人たちとの接点が少しずつ増えている。
最初は、商品が売れるかどうかばかり気にしていた。
もちろん、今でも売り上げは大事だ。
だが、商品を手に取った人がどんな反応をするのか。何を面白いと感じ、何を便利だと思うのか。
そういうことを知るのも、商売の楽しさなのかもしれない。
俺は最後の商品をしまい、周囲を確認した。
通行の邪魔になっていないことを確かめてから、露店を片づけ終える。
さて、今日はこれで終わりだ。
人目の少ない場所へ移動し、システムメニューを開く。
表示された項目から、ログアウトを選択した。
視界が切り替わる。
次に目を開けたとき、そこは日本の自宅だった。
「……ふう。今日もいろいろあったな」
俺は椅子に腰を下ろし、いつものノートを取り出した。
テイワットでの出来事を忘れないうちに記録しておくためだ。
まずは、今日の売り上げと商品の反応。
いつもの商品は、これまでと同じように並べておく。新商品については、知育菓子とフーセンガムの反応をもう少し見てから、次の仕入れを決める。
知育菓子は、作る過程そのものが興味を引く。説明書はキャサリンに書き写してもらったものを用意して正解だった。俺自身がテイワットの文字を書けない以上、こうした商品を扱うときには、説明の準備が欠かせない。
フーセンガムは、ベリー味が好評だった。食べ方を知らない人には、噛んで味を楽しむお菓子であること、風船のように膨らませられることを説明する必要がある。
そして、膨らませすぎないことも。
「……これは、次から気をつけよう」
俺はノートにそう書き加えた。
それから、バーバラに歌のお礼として飴を渡したことも記録しておく。
露店の場所を伝えたので、今後もし顔を出してくれることがあれば、そのときは普通に接客しよう。
フィッシュルとオズについては、知育菓子の作り方を楽しんでくれたことが印象に残った。あの二人のやり取りは独特だったが、商品への反応は素直に参考になる。
ベネットは、依頼の報告があるからと知育菓子を試すのは次回にした。それでもフーセンガムは購入してくれたし、膨らませることにも興味を持ってくれた。
……最後は、顔中にガムが張りつくことになったけれど。
「まあ、本人が楽しそうだったからいいか」
思い出すと、どうしても少し笑ってしまう。
ノートを閉じ、椅子の背にもたれた。
今日は大聖堂で歌を聞き、バーバラに会い、露店では新商品を試した。
ゲームで知っていた人たちと実際に話すことにも、少しずつ慣れてきた気がする。
それでも、毎回新しい発見がある。
知っているはずのキャラクターが、ゲームの中とは違う表情を見せることもあるし、ゲームでは気にしていなかったような日常の出来事が、思いのほか印象に残ることもある。
そして、商売も同じだ。
ゲームの知識だけでは分からないことが、実際に商品を並べてみると見えてくる。
「さて、次は何を試してみるかな」
俺はノートを机の上に置き、少しだけ考えた。
焦る必要はない。
まずは小さく試し、反応を見て、必要なら改善する。
それを繰り返していけばいい。
明日からはまた会社員としての生活がある。
テイワットへ行くのは、次の休日だ。
それまでに、今日の記録を整理しておこう。
俺は立ち上がり、夕食の準備を始めた。
モンドでの一日は終わった。
けれど、次に向こうへ行く日が、今から少し楽しみだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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