原神の世界に通えるようになったので、モンドを拠点に異世界生活を楽しみます 作:ところてんの
次の休日。
俺は自宅の机に荷物を広げ、ひとつずつ確認していた。
財布、スマートフォン、飲み物。それから、今日の昼食に使う道具だ。
小型の携帯コンロ、小さな鍋、未開封のミネラルウォーター。使い捨ての深皿と、百円ショップで買ったフォーク。食べ終わったあとにゴミを持ち帰るための袋も用意してある。
食材は、袋麺とカット野菜、それからミニウインナー。
袋麺は三食入りのものだ。少し前にスーパーで安売りしていたので、いくつかまとめて買っておいた。保存が利くし、手軽に食べられる。ひとり暮らしの昼飯にはちょうどいい。
カット野菜も、スーパーで売っている野菜炒め用の袋入り商品だ。何種類もの野菜を買って切る手間が省けるし、使い切りやすい。
ミニウインナーは百円ショップで買ったもの。
どれも高価な食材ではないが、ラーメンに加えれば、それなりに満足できる昼食になるはずだ。
「よし、これでいいか」
荷物をリュックにまとめ、背負ってみる。
多少の重さはあるが、散歩に持っていく程度なら問題ない。
今日の予定は、モンドの街を出て、街道沿いを歩くことだった。
いつもは冒険者ギルドの近くで露店を開き、客と話をしたり、商品の売れ行きを確認したりしている。商売は商売で楽しいが、休日のたびに売り物のことばかり考えていると、たまには何もせずに過ごしたくなる。
せっかく異世界に来られるようになったのだから、街の外の景色だって見てみたい。
とはいえ、いきなり森の奥へ入るつもりはない。
こっちの世界には、ゲームで見たことのある魔物がいる。実際に遭遇すれば、ゲームのように画面越しで対処するわけにはいかない。
自分の身を守る手段が十分にあるわけでもないのだから、無茶をする理由はなかった。
「よし、行くか」
俺はシステムメニューを開き、ログインを選択した。
視界が一瞬切り替わる。
次に目を開けたとき、目の前に広がっていたのは、見慣れたモンドの街並みだった。
ログインした場所は、街中にある解放済みのワープポイントだ。
周囲では人々が行き交い、店先からは料理のいい匂いが漂ってくる。何度も訪れている場所だけあって、すっかり見慣れた風景になっていた。
「さて、今日はどうするかな」
今日は露店を開く予定も、冒険者ギルドへ依頼を受けに行く予定もない。
俺はリュックを背負い直し、街の外へ向かって歩き始めた。
◇
モンドの街を出ると、空気が少し変わった気がした。
街中の賑やかな声が遠ざかり、代わりに聞こえてくるのは風の音や鳥の鳴き声だ。
道の脇には草花が生え、少し離れた場所には木々が広がっている。遠くを見れば、青い空と緑の大地がどこまでも続いているようだった。
「うーん、いい景色だな」
思わず足を止めてしまう。
ゲームで何度も見た風景ではある。
けれど、画面の中で見るのと、実際にその場に立つのとではまったく違った。
風が頬を撫でる感触も、草の匂いも、足元の土を踏む感覚も、本物だ。
遠くで鳥が羽ばたく音が聞こえた。
道端の草むらでは、小さな生き物が動いている。
そのひとつひとつが、画面の演出ではなく、この世界で生きているものなのだと思うと不思議な気分になった。
「こういう休日も悪くないな」
いつもは商売のことを考えている。
どの商品が売れるのか。仕入れに使ったお金をどう回収するのか。次は何を持ち込むべきか。
そういうことを考えるのも嫌いではない。
ただ、せっかく別の世界に来ているのだから、観光くらいはしておきたい。
俺は街道に沿って、のんびりと歩いていった。
しばらくすると、道の脇に木々が増えてきた。
森が近い。
木漏れ日が地面に落ち、風が吹くたびに葉が揺れている。
奥のほうには何があるのだろう。
気にはなるが、今日はあくまで散歩だ。地図もなしに森へ踏み込んで、帰り道が分からなくなったら笑えない。
俺は道から大きく離れないように気をつけながら、周囲の景色を眺めた。
そのときだった。
少し先の木々の間に、人影が見えた。
最初は、森に入っていく冒険者かと思った。
だが、よく見ると様子が違う。
赤みがかった髪。獣の耳のようなもの。身につけている服も、モンドの街で見かける一般的なものとは違っていた。
少年は地面にしゃがみ込み、草むらをじっと見つめている。
何かを探しているのだろうか。
俺は足を止めた。
こちらに気づいていないようだ。
声をかけるべきか、迷う。
森の近くでひとりでいる子供を見かけたら、普通は気になる。とはいえ、こちらの世界では見知らぬ人間に不用意に近づかないほうがいい場合もある。
そんなことを考えていると、少年が顔を上げた。
視線が合う。
少年は俺をじっと見たあと、立ち上がった。
「……人間?」
「うん。人間だよ」
「街から来た?」
「そう。ちょっと散歩にね」
少年は俺の背中にあるリュックを見た。
それから、俺の顔へ視線を戻す。
「何、してる?」
「景色を見に来たんだ。街の中ばかりだと、外の景色も見たくなるからさ」
「景色?」
「そう。こういう森とか、草原とか」
説明してみたものの、少年は不思議そうな顔をしていた。
街で暮らしている人間が、わざわざ景色を見るために出かけてくる。
森で暮らす者からすれば、よく分からない話なのかもしれない。
「君は、この辺りに住んでるの?」
「森。ここ、俺の家」
少年は森のほうを指さした。
「家って……森の中に?」
「うん」
あっさりと返されてしまった。
俺は少し驚いた。
モンドの街には、普通の人間だけでなく、いろいろな種族や事情を持った人々がいる。だから森で暮らしている人がいてもおかしくはない。
それでも、実際にこうして会うと、やはり気になるものだ。
「そっか。俺は悠真。山田悠真っていうんだ」
「ユウマ?」
「そう」
「俺、レザー」
少年――レザーは、短く名乗った。
その名前を聞いた瞬間、俺の頭にゲームのキャラクター情報が浮かんだ。
レザー。
モンドにいる、狼と暮らす少年。
ゲームで見た姿と目の前の少年が重なる。
ただ、知識があるからといって、相手のことを全部知っているわけではない。まして、ゲームの中の設定をそのまま本人に当てはめて接するのは違うだろう。
「レザーか。よろしく」
「よろしく?」
「挨拶みたいなものだよ」
「……よろしく」
レザーは少し考えたあと、同じ言葉を返してくれた。
その様子がなんだか微笑ましい。
「さっき、何か探してたの?」
「足跡」
「足跡?」
「ウサギ。ここ、通った」
レザーは地面を指さした。
俺には草が生えているようにしか見えない。
けれど、よく見ると土の一部が少しへこんでいるようにも思えた。
「よく分かるな……」
「分かる」
レザーは当然のように答えた。
「匂いもある。こっち」
彼は森のほうへ顔を向けた。
俺もそちらを見てみたが、木々と草があるだけだ。ウサギがいる気配など、まるで感じられない。
人間の生活環境が違えば、身につく能力も違うのだろう。
街で暮らしている俺が、森の中で生きるための知識を持っていないのと同じだ。
「レザーは、よく森の中を歩くの?」
「うん。いつも」
「迷ったりしない?」
「迷わない」
即答だった。
「森、知ってる。木も、道も、匂いも」
そう言って、レザーは周囲を見回した。
彼にとって、この森はただ木が生えている場所ではないのだろう。
どこに何があるのか。どこを通れば安全なのか。どんな生き物が近くにいるのか。
そういうことを、感覚として理解しているのかもしれない。
俺がゲームのマップを見て道を確認するのとは、根本的に違う。
「すごいな。俺は全然分からないよ」
「ユウマ、森、知らない?」
「うん。街の中ならともかく、森のことはほとんど知らない」
「じゃあ、奥、行かないほうがいい」
「……それは俺もそう思う」
まさか初対面の少年に、森へ入るなと忠告されるとは。
いや、むしろ正しい助言だ。
知らない場所に不用意に入らない。
異世界だからといって、好奇心だけで行動するのは危険だろう。
「今日は街道沿いを歩くだけにするよ」
「それ、いい」
レザーは小さくうなずいた。
◇
少し話をしているうちに、レザーは俺のリュックを気にしていることに気づいた。
正確には、リュックそのものというより、そこから漂う匂いらしい。
レザーは鼻を動かし、首を傾げた。
「……変な匂い」
「えっ。変な匂い?」
思わず自分の服を嗅いでしまった。
朝、ちゃんと着替えたはずだ。汗をかいたわけでもない。
まさか、異世界に来てから知らないうちに何かついていたのだろうか。
「いや、俺、臭い?」
「違う。食べ物の匂い」
「ああ、そっちか」
ほっとした。
どうやらリュックの中に入れている昼食の匂いが、少し漏れているらしい。
「昼飯を持ってきてるんだよ。もう少ししたら食べるつもり」
「食べ物?」
「うん。ラーメンっていう料理」
「ラーメン……?」
レザーは聞き慣れない言葉を繰り返した。
そりゃそうだろう。
日本のインスタントラーメンを、モンドの少年が知っているはずもない。
「麺をスープで煮て食べる料理なんだ。簡単に作れるし、結構うまいよ」
「麺……」
レザーは少し考え込んだ。
興味はあるようだが、どんな料理なのか想像できないのだろう。
俺も初めて見た料理を説明されただけでは、味まで想像できないことがある。
「今から作るところだけど、気になる?」
「……見る」
「分かった。じゃあ、少し場所を移そうか」
このまま道の真ん中で調理するわけにはいかない。
俺は周囲を見回し、街道から少し離れた、開けた場所を見つけた。
木々の陰になっているが、足元は平らで、周囲も見渡しやすい。
森の奥へ入り込む必要はないし、道からもそれほど離れていない。
ここなら大丈夫だろう。
「この辺りでいいかな」
レザーは周囲を確認し、うなずいた。
「ここ、いい。見える」
「何が?」
「まわり」
なるほど。
俺が景色や地面の状態を見て選んだのに対し、レザーは周囲の様子を把握できることを重視しているらしい。
森で暮らすなら、確かに重要なことだ。
俺はリュックを下ろし、調理道具を取り出した。
小型の携帯コンロと鍋、ミネラルウォーター。
それから袋麺、カット野菜、ミニウインナー。
レザーは、俺が並べた品々をじっと見ていた。
「それ、何?」
「これは鍋。こっちは火をつける道具だよ」
「火?」
「うん。料理を作るときに使うんだ」
携帯コンロを設置し、鍋を置く。
使い慣れた道具ではあるが、ここは日本の自宅ではない。周囲に燃えやすいものがないか確認し、火の扱いには気をつける。
レザーも少し離れた場所から、興味深そうに見ていた。
ミネラルウォーターを鍋に注ぎ、火をつける。
しばらくすると、鍋の中から小さな泡が浮かび始めた。
袋を開けて麺を入れる。
そのあと、カット野菜とミニウインナーも加えた。
野菜だけでは少し物足りないし、ウインナーが入れば食べ応えも増す。
普段、自宅で作るときも似たようなものだ。
凝った料理ではないが、こういう簡単な食事は気楽でいい。
「……匂い、強くなった」
「そうだね。もうすぐできるよ」
スープの匂いが広がる。
湯気と一緒に、食欲を刺激する香りが漂ってきた。
レザーは鍋を見つめている。
その視線は、さっきまで足跡を探していたときと同じくらい真剣だった。
料理を見慣れていないというより、純粋に興味があるのだろう。
麺が柔らかくなったところで火を止める。
鍋の中には、スープを吸った麺と、野菜、それに小さなウインナーが浮かんでいた。
「よし、できた」
俺は使い捨ての深皿を二つ取り出した。
そして、鍋の中身を二人分に分ける。
今日は自分の昼食として持ってきたものだが、レザーが興味を持っているなら、一緒に食べるのも悪くない。
麺の量を見ながら、なるべく均等になるように分けた。
「レザーも食べてみる?」
皿を差し出すと、レザーは俺と料理を交互に見た。
「……俺、食べる?」
「うん。よかったらどうぞ」
「いいの?」
「もちろん。俺ひとりじゃ食べきれないわけじゃないけど、二人で食べたほうが楽しいだろ」
レザーは少しだけ考え、それから皿を受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして。熱いから気をつけてね」
俺は自分の皿を手に取り、フォークで麺をすくった。
レザーも同じように麺を持ち上げようとしたが、少し扱いにくそうにしている。
「こうやって巻くと食べやすいよ」
俺がフォークに麺を絡めて見せると、レザーはそれを真似した。
不器用ながらも麺を持ち上げ、口に運ぶ。
そして、数秒。
「……うまい」
短い感想だった。
だが、その声にははっきりとした満足感があった。
「そっか。よかった」
「これ、あったかい。いい匂い」
「温かい料理だからね。野菜も入ってるし、ウインナーもあるよ」
レザーは皿の中を見て、ウインナーをフォークで刺した。
口に運び、ゆっくり噛む。
「これも、うまい」
「だろ?」
俺も自分の分を食べる。
特別な料理ではない。
日本のスーパーで買った袋麺を、野菜とウインナーで少し豪華にしただけだ。
それでも、外で食べると普段とは違う気分になる。
目の前には木々が広がり、頭上では葉が揺れている。
街の食堂で食べる料理とは、また違った味わいがあった。
レザーは黙々と食べていた。
ときどき麺をすくい、スープを飲み、野菜を口に運ぶ。
俺が話しかけなければ、ずっとそのまま食べ続けていそうな勢いだ。
「気に入った?」
「うん」
「よかった。こういうの、日本じゃ手軽に食べられるんだ」
「ニホン?」
「ああ、俺が生まれた世界の国だよ」
言いかけて、少しだけ言葉を選ぶ。
異世界から来たことを説明するつもりはない。そもそも、レザーに余計なことを話す必要もないだろう。
「……遠いところの話だと思ってくれればいいよ」
「遠い?」
「そう。かなり遠い」
レザーは俺の顔を見たが、それ以上は聞かなかった。
彼はまた、麺を口に運ぶ。
スープの中に残った野菜を探し、ひとつずつ食べていく。
やがて、皿の中身がなくなった。
レザーは皿の底を見つめ、少し傾けて残ったスープを飲んだ。
それから、空になった皿を俺に見せた。
「食べた」
「うん。きれいに食べたね」
「うまかった」
同じ感想をもう一度口にする。
よほど気に入ったらしい。
俺も自分の分を食べ終え、鍋の中を確認した。
麺も具材も残っていない。
レザーは空の皿を持ったまま、俺の手元を見ていた。
「また、食べたい」
「おっ、そんなに気に入った?」
「うん。あったかい。うまい」
どうやら、かなり好評だったようだ。
「また機会があったら作るよ」
「ほんと?」
「うん。約束する」
軽い気持ちで答えたつもりだったが、レザーは真剣な顔でうなずいた。
「約束」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ背筋を伸ばした。
大げさな約束ではない。
ただ、次に会うことがあれば、またラーメンを作る。
それだけの話だ。
それでも、レザーにとっては楽しみなことなのだろう。
◇
食事が終わったら、後片づけだ。
鍋に残ったスープを確認し、道具をまとめる。
使い終わった皿やフォークは、用意しておいたゴミ袋へ入れた。食品の包装も同じだ。
鍋は水を少し使って汚れを落とし、持ち帰れるように整える。
携帯コンロの火が完全に消えていることも確認した。
森の近くで火を使った以上、後始末はきちんとしておきたい。
食べ物の残りも、包装も、使い捨ての食器も、ここには置いていかない。
ゴミ袋をまとめてリュックにしまうと、ようやく一息つけた。
「よし、片づけ完了」
レザーは、俺が道具をしまう様子を見ていた。
「全部、持っていく?」
「もちろん。ゴミを置いていったら、森が汚れるだろ」
「……そう」
レザーは周囲の地面を見た。
森に暮らす彼にとって、ここは単なる食事場所ではない。普段から歩き、動物を探し、生活している場所なのだ。
そこを汚さないようにするのは、当然のことなのだろう。
「レザーは、いつもここで食べたりするの?」
「森で食べる。木の実とか、肉とか」
「肉も自分で獲るの?」
「うん。狩り、する」
レザーは短く答えた。
それ以上の説明はなかったが、彼にとっては特別なことではないのだろう。
俺はスーパーで食材を買い、鍋で麺を茹でている。
レザーは森で食べ物を探し、狩りをする。
同じ食事でも、そこに至るまでの過程はまるで違う。
「俺は狩りなんてしたことないな」
「ユウマ、狩り、しない?」
「うん。できないと思う」
少なくとも、今日の俺には無理だ。
野生動物を追いかける技術も、獲物を仕留めるための道具もない。ゲームならボタンひとつで済むことでも、現実ではそうはいかない。
「森の中で食べ物を探すのも、たぶん無理だな。何が食べられるのか分からないし」
「知らないもの、食べないほうがいい」
「それもそうだね」
レザーの言葉には説得力があった。
異世界で食中毒になったらどうなるのか。
そもそも、この世界の植物や動物が日本のものと同じとは限らない。
好奇心だけで口にするのは危険だ。
持ってきた食材を食べる。それが今の俺には一番確実だった。
「レザーは、街に行くこともあるの?」
「……たまに」
「そうなんだ」
「街、人、多い。音、いっぱい」
レザーは少し顔をしかめた。
なるほど。
街で暮らす俺には当たり前のことでも、森で暮らすレザーには落ち着かない環境なのだろう。
人の声、足音、店の呼び込み、荷車の音。
モンドの街は活気がある。その分、静かな森とはまったく違う。
「俺も、街の中が嫌になるときはあるよ」
「ユウマも?」
「うん。人が多いところって、疲れることもあるからね」
仕事帰りの電車や、休日の混雑した店を思い出す。
普段は気にしていなくても、疲れているときには人混みが妙にこたえる。
そういう意味では、レザーの気持ちも少しは分かる気がした。
「でも、街には便利なものも多いよ。食べ物も買えるし、道具も手に入る。人と話すのも楽しいしね」
「……便利」
「うん。ただ、森の暮らしにも、街の暮らしにも、それぞれいいところがあるんだと思う」
口にしてから、少しだけ考える。
俺は森で暮らしたことがない。
レザーも街で長く暮らしたことがあるわけではないだろう。
どちらがいいかなんて、簡単には決められない。
それでも、違う環境で暮らしている人間同士だからこそ、知らないことを教え合えるのかもしれない。
レザーはしばらく黙っていたが、やがて森のほうを見た。
「森、好き」
「そっか」
「狼たち、いる。ここ、俺の場所」
狼たち。
その言葉を聞いて、俺はゲームで見た情報を思い出した。
レザーは狼たちと暮らしている。
ただ、目の前の彼がそのことを口にする様子には、ゲームの説明文を読んだときとは違う重みがあった。
彼にとって狼たちは、ただ一緒にいる動物ではないのだろう。
家族に近い存在なのかもしれない。
「狼たちと一緒に暮らしてるんだね」
「うん。仲間」
レザーは迷いなく答えた。
「大事?」
「大事」
短い言葉だった。
けれど、それだけで十分に伝わってきた。
俺はそれ以上、詳しく聞かなかった。
他人にとって大切なものを、初対面だからといって根掘り葉掘り聞く必要はない。
レザーが話したくなったら、話してくれるだろう。
◇
昼食を終えたあとも、俺たちはしばらくその場で話をしていた。
とはいっても、ずっと会話が続くわけではない。
俺が質問し、レザーが短く答える。
レザーが何かに気づけば、そちらへ注意を向ける。
そんな調子だった。
レザーはときどき周囲の音に耳を傾けていた。
風が吹く音。鳥の声。遠くで草を踏むような物音。
俺には区別できない音でも、レザーには何か分かるのかもしれない。
「何かいるの?」
「鳥」
「鳥か。俺にはよく分からないな」
「鳴いてる」
「うん。鳴き声は聞こえるけど、どこにいるかまでは分からないよ」
レザーは木の上を指さした。
俺もそちらを見上げる。
枝の間に、小さな鳥がとまっていた。
「あ、本当だ。よく見つけたね」
「声、する」
レザーは不思議そうな顔をした。
彼にとっては、鳴き声が聞こえた方向を見るだけのことなのだろう。
俺は改めて、森の中で暮らすということの違いを感じた。
普段の生活では、周囲の音をそこまで意識することはない。
車の音が聞こえても、走っている車をいちいち確認したりはしない。鳥の声だって、聞こえたからといって姿を探すわけではない。
けれど、森では違う。
音や匂いが、周囲の状況を知るための大事な手がかりになるのだろう。
「レザーは、そういうのが得意なんだね」
「得意?」
「周りのことに気づくのが早いってこと」
「……そう?」
「うん。俺なら、気づかないことが多いと思う」
レザーは少し考えてから、首を傾げた。
「ユウマ、街のこと、知ってる?」
「まあ、森よりはね」
「店、いっぱいある?」
「あるよ。食べ物を売ってる店も、道具を売ってる店もある。服を売ってる店もね」
「食べ物……」
レザーの視線が、俺のリュックへ向いた。
さっき食べたラーメンを思い出したのかもしれない。
「さっきのラーメンみたいなものも売ってるの?」
「いや、あれは俺が持ってきたものだから、街の店で同じものが買えるとは限らないかな」
「そう」
「でも、モンドにもおいしい料理はたくさんあるよ。街の食堂に行けば、いろいろ食べられる」
「……そうなんだ」
興味がないわけではなさそうだ。
ただ、今すぐ街へ行きたいという様子でもない。
無理に誘う必要はないだろう。
「もし街へ行くことがあったら、食べ物の店を見てみるといいよ。知らない料理もあると思う」
「分かった」
レザーはうなずいた。
そして、しばらく考えたあと、ぽつりと言った。
「ユウマ、また来る?」
「え?」
「ここ。散歩、また来る?」
予想していなかった質問だった。
俺は少し驚き、それから笑った。
「うん。時間があればね」
「ラーメンも?」
「……そこも気になるのか」
思わず笑ってしまう。
レザーは真面目な顔のままだった。
「うまかった」
「分かった、分かった。次に会えたら、また作るよ」
「約束」
「はいはい、約束」
俺が答えると、レザーは満足したようにうなずいた。
どうやら、次に会う楽しみができたらしい。
俺にとっても、悪くない話だった。
モンドの街で商売をしていると、いろいろな人と知り合う。
冒険者ギルドの職員や、街の商人、騎士団の人たち。
それぞれに違う事情があり、違う生活がある。
そして、街から少し離れた森には、森を自分の居場所として暮らす少年がいる。
当たり前のことなのかもしれないが、実際に会って話をすると、ゲームの世界を歩いているという実感が改めて湧いてくる。
俺はもう一度、森のほうへ目を向けた。
木々の向こうは、相変わらずよく見えない。
無理に奥へ入ろうとは思わなかった。
知らないことがあるからといって、すべてを今すぐ知る必要はない。
今日はレザーと話せただけでも、十分に楽しい散歩になった。
◇
そろそろ街へ戻ろうかと考えていたとき、レザーが顔を上げた。
森の奥へ視線を向け、耳を澄ませている。
「どうしたの?」
「……狼たち」
「狼?」
「呼んでる」
レザーは立ち上がった。
俺には何も聞こえなかったが、彼には仲間の気配が分かるのだろう。
「もう行くの?」
「うん。帰る」
「そっか。今日は話してくれてありがとう」
「ラーメン、ありがとう」
レザーは空になった皿を見て、そう言った。
「どういたしまして。またな、レザー」
「また」
彼は短く答えると、森の中へ向かって歩き出した。
その足取りに迷いはない。
木々の間を進みながら、ときどき立ち止まって周囲を確かめている。
やがて、その姿は森の奥へと消えていった。
「……すごいな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
森の中を迷いなく歩いていく姿は、俺とはまるで違う。
俺がこの世界でできることは、まだ限られている。
街の中なら少しずつ行動範囲も広がってきたし、商売も始められた。けれど、森の中で暮らすとなれば話は別だ。
知識も経験も足りない。
だからこそ、自分にできる範囲を見極めて行動する必要がある。
俺はリュックを背負い直した。
携帯コンロや鍋、ゴミ袋など、持ってきたものはすべて片づけてある。周囲にもゴミは残っていない。
最後に足元を確認し、街道へ戻った。
◇
帰り道は、来たときよりも少しゆっくり歩いた。
急いで帰る必要はない。
せっかくの休日なのだから、景色を楽しみながら戻ればいい。
道端の草花を眺めたり、遠くの山を見たり、ときどき立ち止まって風の音を聞いたりする。
街から離れすぎないように気をつけながら、散歩を続けた。
途中、街道を行く人たちともすれ違った。
荷物を運ぶ商人らしき人や、武器を携えた冒険者らしき人もいる。
彼らはそれぞれの目的地へ向かっているのだろう。
俺には俺の予定があり、彼らには彼らの生活がある。
そんな当たり前のことを考えながら歩いていると、やがてモンドの街並みが見えてきた。
「戻ってきたな」
街の中へ入ると、さっきまで聞こえていた風や鳥の声に代わり、人々の話し声や足音が耳に入ってくる。
活気のある街の雰囲気は、やはり落ち着く。
今日は露店を出していないので、冒険者ギルドの近くへ行く必要もない。
帰る前に少しだけ街を歩いてもいいが、今日はもう十分に楽しんだ気がした。
「さて、帰るか」
俺は人通りの少ない場所でシステムメニューを開いた。
ログアウトを選択する。
視界が切り替わり、次の瞬間には自宅の部屋に戻っていた。
◇
日本の自宅。
リュックを下ろした俺は、まず荷物を片づけた。
使った鍋や携帯コンロを確認し、汚れが残っていないかを確かめる。ゴミ袋の中身も確認して、分別して処分する。
それから、机の上に置いてあったノートを開いた。
テイワットでの出来事は、できるだけ記録するようにしている。
商売の売上や仕入れのことだけではない。
誰と会ったのか。どこへ行ったのか。何を話したのか。
あとで思い出せるように、簡単に書き留めておくのだ。
今日のページには、まず散歩に出かけたことを書いた。
モンドの街を出て、街道沿いを歩いた。
森の近くでレザーという少年に会った。
森で暮らしていて、狼たちを仲間として大切にしているらしい。
そして、昼食に作ったラーメンを一緒に食べた。
感想は――うまい、あったかい、いい匂い。
「……感想が小学生みたいだな」
自分で書いた文字を見て、少し笑ってしまった。
いや、レザーらしいといえばレザーらしい。
言葉数は少なかったが、料理を気に入ってくれたのはよく分かった。
また会ったら、ラーメンを作る約束もした。
次に会うのがいつになるかは分からない。
森へ行く予定を毎週入れるつもりもないし、そもそも俺は森のことをよく知らない。今日のように、街道沿いから様子を見る程度にしておくのがいいだろう。
それでも、また会えたら話をしてみたい。
森での暮らしについても、もう少し聞いてみたいと思った。
俺はノートを閉じ、椅子の背もたれに体を預けた。
「休日に散歩するだけでも、いろいろあるもんだな」
今日は商売をしていない。
商品も売っていないし、モラを稼いだわけでもない。
それでも、無駄な一日だったとは思わなかった。
街の外の景色を見られたし、レザーとも知り合えた。
異世界での生活は、何か大きな事件が起きなければ楽しめないというものでもないのだろう。
こうして普通に歩いて、誰かと話して、一緒に食事をする。
それだけでも、十分に意味がある。
「さて、夕飯はどうするかな……」
昼にラーメンを食べたばかりなので、夜は別のものにしたい。
冷蔵庫の中身を思い出しながら、俺は立ち上がった。
明日からはまた仕事だ。
次にテイワットへ行くのは、次の休日になるだろう。
そのときは露店を開くか、それとも別の場所へ行ってみるか。
まだ決めていない。
ただ、次にレザーと会うことがあれば、約束したラーメンをまた作ってやろう。
そんなことを考えながら、俺は夕飯の準備を始めた。
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