原神の世界に通えるようになったので、モンドを拠点に異世界生活を楽しみます 作:ところてんの
モンドでの生活を始めて、少しずつ街の雰囲気にも慣れてきた。
冒険者ギルドで依頼を受け、簡単な仕事をこなす。街を歩いて店の品物を眺め、食事をしながら、この世界で暮らすために必要なことを覚えていく。
やっていること自体は、日本での生活とそれほど変わらない。
もちろん、周囲の景色はまるで違う。石造りの建物が並び、風車が回り、街の向こうには見慣れない山々が広がっている。歩いている人々の服装も、日本で見かけるものとは違う。
何より、ここにはゲームの中で見てきた人たちが、本当に暮らしている。
その事実には、いまだに慣れきれていなかった。
「……さて、今日は何をしようか」
俺はモンドの広場を歩きながら、そんなことを考えていた。
今日は、冒険者ギルドの依頼を受ける予定はない。
せっかく休日を使ってテイワットまで来ているのだから、依頼ばかりこなしていても仕方がない。観光もしたいし、街の人たちと交流する時間も欲しい。
それに、いずれは小規模ながら商売を始めたいと思っている。
故郷から持ち込んだ品物を、こちらの人たちに販売する。
それが本当に可能なのか、どんな商品なら喜んでもらえるのか。実際に試してみなければ分からないことは多い。
ただ、いきなり商品を並べて売り始めるのは少し早い気もした。
まずは、こちらの人たちが故郷の品物にどんな反応を示すのか知りたい。
そう考えていたとき、ふと、アイテムボックスに入れてある品物のことを思い出した。
「お菓子なら、ちょうどいいか」
日本で買ったグミや飴がある。
どちらも特別な商品ではない。スーパーやコンビニで普通に売られているものだ。
けれど、テイワットではどうだろう。
こちらにも甘いお菓子はあるだろうし、果物も豊富だ。だから、甘いもの自体が珍しいとは思わない。
それでも、グミのような食感や、個包装された飴は、こちらでは見慣れないものかもしれない。
食べてもらえば、少なくとも反応は分かる。
もちろん、味の好みは人それぞれだ。俺が好きだからといって、こちらの人たちにも受け入れられるとは限らない。
それに、今回は販売するわけではない。
まずは無料で少量を配り、感想を聞いてみる。
商売の準備という意味もあるが、単純に、故郷のお菓子を食べた人たちがどんな顔をするのか見てみたかった。
「よし。今日はこれでいこう」
方針が決まったので、俺は広場の端にある邪魔にならない場所へ移動した。
人通りを塞ぐわけにはいかない。
それから、システムを操作してアイテムボックスを開く。
視界の端に浮かぶアイコンを選ぶと、見慣れた一覧が表示された。
こういうとき、ゲームのシステムがそのまま使えるのは便利だ。
持ち込んだ品物を整理できるし、必要なものをすぐに取り出せる。普通の旅行なら、荷物の量を気にしなければならないところだが、俺の場合はその心配が少ない。
もっとも、便利だからといって、何でもかんでも持ち込めばいいわけではない。
仕入れにはお金がかかるし、食べ物には賞味期限もある。売れ残った商品をどうするかも考えなければならない。
異世界での生活だからといって、商売の基本が変わるわけではなさそうだった。
俺はグミと飴を取り出した。
今回用意したのは、いちご味のグミと、個包装された飴だ。
どちらも、たくさん配るつもりはない。
あくまで試しに配るだけなので、手持ちの中から少量を選んだ。
グミは小袋に入っていて、飴は一個ずつ包装されている。
衛生面を考えるなら、個包装されているもののほうが渡しやすいだろう。
ただ、グミも一度開封した袋から直接手渡すのではなく、小袋のまま渡すつもりだ。
相手が安心して受け取れることが大切だ。
「……とはいえ、いきなり配り始めるのもな」
俺は広場を見渡した。
子どもたちが数人、広場の一角で遊んでいる。
笑い声が聞こえ、走り回る足音が石畳に響いていた。
子どもたちに配れば反応を見やすいだろうが、知らない大人が突然お菓子を渡し始めたら、警戒されてもおかしくない。
俺が子どもの親だったとしても、知らない人間から食べ物をもらうのを無条件で許すとは思わない。
まずは、保護者に確認するべきだろう。
俺は近くにいた女性へ声をかけた。
「すみません。少しお尋ねしてもいいですか?」
「はい、何でしょう?」
「故郷から持ってきたお菓子があるんですが、子どもたちに少し配ってみようと思っているんです。もちろん、保護者の方に確認してからにするつもりですけど」
女性は俺の手元に目を向けた。
「お菓子ですか?」
「はい。こちらではあまり見かけないものかもしれません」
「そうですね……。それなら、あの子たちの親にも声をかけてみましょうか」
「ありがとうございます。助かります」
女性は子どもたちのほうへ歩いていった。
俺はその場で待ちながら、手元のお菓子を見下ろした。
配るだけなら簡単だ。
けれど、受け取る側の事情を考えずに行動してはいけない。
こちらの世界にはこちらの常識がある。俺が知らないだけで、子どもに食べ物を渡すことについても、何かしらの決まりや慣習があるかもしれない。
分からないことは、確認しながら進める。
それが、異世界で暮らしていくために必要なことなのだろう。
しばらくすると、女性が戻ってきた。
「お母さんたちにも話してきました。本人たちが食べたがったら、ひとつずつ渡してあげてください」
「分かりました。ありがとうございます」
これで、ひとまず問題はなさそうだ。
俺は改めて子どもたちのそばへ向かった。
◇
「こんにちは」
声をかけると、子どもたちが一斉にこちらを向いた。
「こんにちは!」
「お兄さん、どうしたの?」
警戒されるかと思ったが、子どもたちは比較的気さくに返事をしてくれた。
「ちょっと聞きたいんだけど、お菓子は好きかな?」
「好き!」
「私も好き!」
「甘いのが好き!」
元気な返事が次々に返ってくる。
どうやら、質問するまでもなかったらしい。
「それなら、これを食べてみないか? 俺の故郷で売られているお菓子なんだ」
そう言って、グミの小袋を見せた。
子どもたちは、見慣れない包装に興味を示した。
「何それ?」
「赤い!」
「こっちは何?」
「こっちは飴だよ。どちらも甘いお菓子なんだ」
「飴なら知ってるよ!」
ひとりの子が声を上げた。
やはり、飴そのものは珍しくないらしい。
「こっちは見たことない!」
別の子はグミを指差した。
「これはグミっていうんだ。柔らかくて、噛むともちもちした食感がするよ」
「もちもち?」
「食べてみたい!」
子どもたちは興味津々だった。
俺は改めて、近くにいた保護者にも確認を取り、食べたいと言った子どもたちにひとつずつ渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
「ありがとうございます!」
受け取った子どもたちは、すぐに包装を眺め始めた。
「これ、どうやって開けるの?」
「ああ、ここを持って引っ張るんだ。難しかったら手伝うよ」
「できた!」
袋を開けた子が嬉しそうに声を上げる。
中から現れたのは、小さな赤いグミだった。
子どもたちは指先でつまみ、珍しそうに眺めている。
「本当に柔らかいの?」
「うん。強く握ると形が変わるくらいには柔らかいよ」
俺が答えると、ひとりの子がグミを軽く押した。
「わっ、へこんだ!」
「戻った!」
指を離すと、グミは少し形を戻した。
それだけで、子どもたちは楽しそうに笑った。
まだ食べてもいないのに、すでに遊び道具のようになっている。
「食べるときは、よく噛んでね」
俺が注意すると、子どもたちは頷いた。
そして、ひとりがグミを口に入れた。
「……!」
目が丸くなる。
「甘い!」
その声をきっかけに、ほかの子どもたちも口に運んだ。
「本当だ!」
「柔らかい!」
「なんだか、もちもちしてる!」
「これ、何の味?」
「いちご味だよ」
「いちご?」
子どもたちは顔を見合わせた。
いちごという言葉が、こちらではあまり馴染みのないものだったらしい。
「俺の故郷でよく食べられている果物の味なんだ。甘酸っぱい感じがするだろ?」
「うん!」
「甘いけど、ちょっと酸っぱい!」
「おいしい!」
どうやら、味そのものも気に入ってくれたようだ。
もちろん、グミは本物の果物ではない。いちごの風味をつけたお菓子だ。
それでも、子どもたちにとっては新しい味との出会いになったらしい。
ひとりの男の子が、グミを噛みながら首を傾げた。
「これ、どうやって作るの?」
「うーん……。作り方を説明するのは難しいかな」
実際、俺はグミを作ったことがない。
材料や製造工程を詳しく知っているわけでもないので、適当な説明をするわけにはいかなかった。
「でも、こういうお菓子が故郷では普通に売られているんだ」
「へえー!」
「ほかにもあるの?」
「もちろん。甘いものも、しょっぱいものも、いろいろあるよ」
「食べてみたい!」
子どもたちは目を輝かせた。
その反応を見て、俺は自然と笑みを浮かべた。
自分が普段食べているものを、こんなにも楽しそうに味わってくれる。
それは、思っていた以上に嬉しいことだった。
◇
次は飴だ。
グミを食べ終えた子どもたちの中には、飴を選んだ子もいた。
「こっちはどうやって食べるの?」
「包装を開けて、口の中でゆっくり溶かして食べるんだ。噛んで割らないように気をつけてね」
「分かった!」
子どもたちは包装を開け、飴を口に入れた。
こちらはグミと違い、食感を楽しむというより、甘さをゆっくり味わうお菓子だ。
「甘い!」
「ずっと甘い味がする!」
「グミとは違うね!」
それぞれの感想が飛び交う。
飴そのものはモンドにもあるらしいが、味や形が違うのだろう。
特に、個包装されている点には興味を示していた。
「これ、一個ずつ袋に入ってるんだね」
「そうだね。持ち運びやすいし、配るときにも便利なんだ」
「へえー!」
俺としては当たり前のことだったが、子どもたちにとっては、包装も含めて新鮮だったらしい。
ただし、すべての反応が同じというわけではなかった。
飴を口に入れた女の子のひとりは、少し考え込んでから言った。
「私は、グミのほうが好きかも」
「そうなの?」
「うん。こっちはずっと口の中にあるから」
なるほど。
飴は長く楽しめる一方、グミのほうが食感もあって、すぐに味の変化を感じられる。
好みが分かれるのは当然だろう。
「そっか。教えてくれてありがとう」
「どういたしまして!」
こういう率直な感想はありがたい。
商売を始めるなら、どちらか一方だけが売れる可能性もある。あるいは、味によって反応が変わるかもしれない。
今回配ったのは、ほんの少量だ。
それでも、商品を選ぶうえで参考になることはいくつもあった。
「ねえ、お兄さん」
グミを食べていた男の子が、俺の服の裾を軽く引いた。
「ん?」
「これ、どこで買えるの?」
やはり、そこが気になるらしい。
「今のところ、この街では売っていないと思う。俺が故郷から持ってきたものだからね」
「そっかあ……」
男の子は少し残念そうな顔をした。
「また持ってきたら、食べられる?」
「機会があったら、また持ってくるよ」
「本当?」
「うん。ただ、いつになるかは分からないけどね」
できるだけ期待させすぎないように答えた。
お菓子自体は、故郷では簡単に手に入る。
けれど、こちらへ持ち込むためには、商品を選び、購入し、荷物を整理する必要がある。何より、今後も無料で配り続けるとは限らない。
今回は、あくまでも反応を見るための試みだ。
子どもたちが喜んでくれたからといって、毎回無料で配る必要はない。
商売として続けるなら、きちんと販売することも考えなければならなかった。
それでも、また食べたいと言ってもらえたのは素直に嬉しかった。
◇
子どもたちと話していると、少し離れた場所から明るい声が聞こえてきた。
「みんな、何をしてるの?」
子どもたちが一斉に振り向く。
「あっ、アンバーお姉ちゃん!」
その名前を聞いた瞬間、俺も反射的に顔を向けた。
赤い衣装に、特徴的なウサギの耳のような髪飾り。
見覚えのある姿だった。
西風騎士団の偵察騎士、アンバー。
ゲームで何度も見てきた人物が、今、目の前にいる。
……いや、ゲームで見ていた人物という言い方も、少し違うのかもしれない。
今ここにいるのは、画面の中のキャラクターではない。
モンドで暮らし、騎士団の仕事をこなし、街の人々と関わっている一人の人間だ。
その事実に、俺は改めて不思議な気分になった。
そんな俺の内心を知るはずもなく、アンバーは子どもたちのところまで歩いてきた。
「何かあったの? みんな、ずいぶん楽しそうだけど」
「このお兄さんがお菓子をくれたんだ!」
「見たことないお菓子!」
「グミっていうんだって!」
「すっごく甘いんだよ!」
子どもたちは、我先にと説明し始めた。
アンバーは楽しそうに話を聞いていたが、やがて俺へ視線を向けた。
「こんにちは。私はアンバー。西風騎士団で偵察騎士をやってるの」
「こんにちは。俺は悠真。故郷のお菓子を少し配っていたところなんだ」
「悠真だね。よろしく!」
「こちらこそ、よろしく」
知っている名前を聞き、知っている顔と話している。
それだけなのに、妙な緊張感があった。
アンバーのことはゲームを通じて知っている。性格や話し方も、ある程度は分かっているつもりだ。
けれど、実際に会ってみると、当然ながらゲームでは見えなかった部分もある。
彼女の視線は、子どもたちの様子や手元のお菓子を確認していた。
知らない人間が食べ物を配っているのだから、騎士団の一員として気にするのは当然だろう。
「それで、どんなお菓子なの?」
アンバーが尋ねた。
「こっちはグミ。柔らかくて、いちごの味がするんだ。こっちは飴で、口の中でゆっくり溶かして食べるものだよ」
「グミに飴……。飴は知ってるけど、グミっていうのは初めて聞いたなあ」
アンバーは、子どもたちの持っている小袋を興味深そうに見た。
「故郷では普通に売られているものなんだけど、こっちでは見かけないかもしれないね」
「へえ、故郷のお菓子なんだ!」
彼女は納得したように頷いた。
「私も食べてみてもいい?」
「もちろん。よかったらどうぞ」
俺は未開封のグミをひとつ取り出して、アンバーに渡した。
「ありがとう!」
アンバーは礼を言い、包装を開けた。
小さな赤いグミを指先に乗せ、少しだけ不思議そうに眺める。
「これがグミかあ……」
それから口に入れた。
「……あっ、本当に柔らかい!」
アンバーの表情がぱっと明るくなった。
「噛むと、もちもちしてるんだね。甘いし、ちょっと酸っぱい感じもする!」
「いちご味だからね」
「いちご……。うん、なるほど。果物みたいな風味がする!」
アンバーは感心したように頷いた。
どうやら、彼女にも気に入ってもらえたらしい。
「これは面白いね! モンドにも甘いお菓子はあるけど、こういう食感のものはあまり見かけないと思う」
「やっぱり珍しいんだ」
「うん。少なくとも、私は普段見かけないかな」
その反応は、今後の商売を考えるうえでも参考になった。
単に甘いだけでなく、食感そのものに特徴がある。
こちらにも甘味はあるのだから、味だけで勝負するより、珍しさや食べやすさを伝えるほうがいいのかもしれない。
「悠真は、商人なの?」
アンバーが尋ねた。
「まだ、そう呼べるほどじゃないよ。これから少しずつ、故郷の品物を売れないか試してみようと思っているところなんだ」
「そうなんだ! それで、まずはお菓子を配ってみたんだね」
「そういうこと。いきなり売るより、どんな反応をされるのか知りたかったから」
「なるほどね。知らないものをいきなり買うのは不安だもんね」
アンバーは納得したように頷いた。
「でも、子どもたちに食べ物を渡すときは、親御さんにも確認してね。知らない人から食べ物をもらうのは、心配する人もいるから」
「それは俺も考えていたよ。さっき、保護者の人に確認してから配ったんだ」
「そうだったんだ。それならよかった!」
アンバーはほっとしたように笑った。
騎士団の一員としての注意でもあり、子どもたちを気遣う言葉でもある。
俺も素直に頷いた。
「次からも気をつけるよ」
「うん!」
それからアンバーは、子どもたちのほうへ向き直った。
「みんな、お菓子をもらったからって、知らない人についていっちゃ駄目だよ。今日はちゃんと確認してもらっていたみたいだけど、いつも気をつけるんだよ?」
「はーい!」
元気な返事が返ってくる。
そのやり取りを見て、俺は少し苦笑した。
異世界に来たからといって、こういう注意が必要なくなるわけではない。
むしろ、俺のほうがこの世界の常識を知らないのだから、気をつけるべきことは多い。
アンバーは改めてこちらを向いた。
「ところで、悠真はモンドに来たばかりなの?」
「少し前にね。今はこの街を拠点にして、いろいろ見て回ろうと思っているんだ」
「そうなんだ! モンドはいいところだよ。街の人たちも親切だし、美味しい料理もたくさんあるし!」
「それは、歩いていて感じるよ」
「でしょ? もし分からないことがあったら、冒険者ギルドや騎士団に聞いてみるといいよ。もちろん、私に聞いてくれてもいいからね!」
アンバーは明るく胸を張った。
気さくで、面倒見がいい。
ゲームで知っていた印象と重なるところは多いが、実際に話してみると、彼女がこの街で暮らしていることを強く感じる。
俺が知っているのは、あくまでもゲームの中で描かれた彼女の一面にすぎない。
これから関わっていけば、まだ知らない部分も見えてくるのだろう。
「ありがとう。助かるよ」
「どういたしまして!」
そのとき、アンバーの視線が俺の手元にあるお菓子へ移った。
「ところで、まだ残ってる?」
「少しだけね」
「じゃあ、私ももうひとつ……って言いたいところだけど、今日は子どもたちの分で十分かな!」
アンバーは笑って手を振った。
「また機会があったら、今度は別のお菓子も見てみたいな」
「考えておくよ」
「楽しみにしてるね!」
そう言うと、アンバーは子どもたちに軽く手を振り、巡回へ戻っていった。
子どもたちも、アンバーの背中を見送ってから、再びお菓子の話で盛り上がっている。
俺は残った袋を確認した。
配ったのは、ほんの少しだ。
それでも、十分に分かったことがある。
グミの食感は、こちらの人たちにとって珍しいらしい。いちご味も好評で、子どもだけでなくアンバーにも気に入ってもらえた。
一方、飴そのものはモンドにもあるようだが、個包装や味の違いには興味を持ってもらえた。
今回の反応だけで、売れると断言することはできない。
無料だから喜んでもらえた可能性もあるし、実際にお金を払うとなれば、話は変わってくるだろう。
それでも、何も分からない状態からは一歩進めた。
「最初としては、悪くないかな」
俺は小さく呟いた。
◇
広場を離れた俺は、街の通りを歩きながら、今日の出来事を振り返っていた。
子どもたちの反応は良かった。
アンバーとも知り合えた。
ただ、商売という観点で考えるなら、まだ確認することは多い。
どんな商品が売れそうなのか。いくらなら買ってもらえるのか。販売する場所は確保できるのか。
まずは、少量の商品を実際に販売してみる必要があるだろう。
その前に、販売場所について確認しておきたい。
冒険者ギルドの近くなら、人通りもある。冒険者や街の人たちが立ち寄る機会も多いだろう。
とはいえ、勝手に場所を使っていいとは限らない。
前回、冒険者ギルドで依頼について教えてもらったときのことを思い出す。
まずはキャサリンに相談してみるのがよさそうだ。
販売できる場所があるのか。許可が必要なのか。商品を扱ううえで注意することは何か。
分からないことを自分だけで判断するより、現地の事情を知っている人に聞いたほうが確実だ。
俺は頭の中で、次に確認することを整理した。
それから、街の店先を眺めながら歩いた。
並んでいる商品を見ていると、こちらにもこちらの生活があることがよく分かる。
食料品、日用品、衣服、道具。
どれも、モンドで暮らす人たちにとって必要なものだ。
俺が持ち込む品物も、珍しいという理由だけでは長続きしないだろう。値段に見合った価値がなければ、何度も買ってもらうことは難しい。
そのあたりは、日本で暮らしていたときの買い物と同じなのかもしれない。
ただ、こちらの貨幣はモラだ。日本円の感覚をそのまま持ち込んでも、正しい価格設定にはならない。
現地の物価を知る必要がある。
「……結局、調べることが多いな」
思わず苦笑した。
異世界生活と聞くと、もっと気楽なものを想像していた。
実際には、生活する場所を決め、仕事を探し、買い物をして、必要な知識を集めていく。
世界が変わっても、暮らすために必要なことは変わらないらしい。
それでも、街を歩いているだけで新しい発見がある。
店先から漂う料理の匂いも、石畳を歩く人々の声も、風に揺れる街路樹も、俺にとっては新鮮だった。
何より、ここにはまだ見たことのない景色がいくらでもある。
モンドの外にも行ってみたいし、璃月や稲妻、スメール、フォンテーヌ、ナタにも、またゆっくり滞在したい。
ただ、今はまずモンドで生活の基盤を整えるところからだ。
焦る必要はない。
休日に少しずつ通いながら、できることを増やしていけばいい。
◇
その日の活動を終える前に、俺は人通りの少ない場所へ移動した。
周囲に誰もいないことを確認し、システムを呼び出す。
視界の端に表示されていたアイコンを操作すると、見慣れたメニューが開いた。
その中から、ログアウトを選択する。
次の瞬間、景色が切り替わった。
目の前にあるのは、見慣れた自分の部屋だった。
「……戻ってきたか」
時計を確認する。
テイワットで過ごした時間だけ、日本でも時間が進んでいる。
明日は仕事がある。いつまでも向こうに滞在しているわけにはいかない。
俺は持ち物を確認し、今日の出来事を簡単にメモすることにした。
配ったお菓子の種類。子どもたちの反応。アンバーとの会話。次に確認すること。
特に、グミの食感が珍しがられた点は覚えておきたい。
日本語で書く分には問題ない。だが、テイワットの文字で記録を残すことはできない。現地で帳簿をつける必要が出てきたら、別の方法を考える必要があるだろう。
今のところは、日本語のメモで十分だ。
ただし、今日の結果だけで売れると決めつけるのは早い。次は実際に販売して、どんな人が買うのかを確かめる必要がある。
販売場所については、冒険者ギルドに相談する。
そのあと、現地の価格を調べる。
やることは決まった。
俺はメモを閉じ、椅子の背もたれに体を預けた。
異世界でお菓子を配る。
少し前までなら、そんなことを本気で考える日が来るとは思っていなかった。
けれど、今はそれができる。
ゲームの中で眺めていた世界を、自分の足で歩き、自分の手で触れ、そこに暮らす人たちと話せる。
それだけでも十分に面白い。
もちろん、これから先、うまくいかないこともあるだろう。
持ち込んだ商品が売れないかもしれないし、思ったように商売を始められないかもしれない。
それでも、試してみなければ何も分からない。
「次は、ちゃんと売ってみるか」
俺はそう呟いて、次の休日に向けて考えを巡らせた。
モンドでの生活は、まだ始まったばかりだ。