原神の世界に通えるようになったので、モンドを拠点に異世界生活を楽しみます 作:ところてんの
悠真は冒険者として戦うのではなく、各国の文化や暮らしに触れながら、現地の人々とのつながりを少しずつ広げていくことを目的としています。
そのため、似たような展開が続く場合があります。気になる方は、必要に応じて読み飛ばしてください。
引き続き、悠真の異世界生活を楽しんでいただければ幸いです。
翌日の日曜日。
俺はモンドでいつものように露店を出し、飴やグミ、文房具を販売した。顔なじみの客とのやり取りを楽しみながら一日を過ごし、夕方には店を片づけて日本へ戻った。
次の休日に訪れる場所は、稲妻だ。
モンドや璃月とは違う文化を持つ国。ゲームで街並みを知っていても、実際に歩けば新しい発見があるはずだ。まずはゆっくり見て回り、料理や店の並び方、人々の暮らしを自分の目で確かめたい。
「次は稲妻か。まずは、ゆっくり見て回ろう」
商売にも興味はあるが、初めて訪れる土地でいきなり露店を開くつもりはない。璃月では煙緋さんに法律や取引上の注意を教えてもらった。稲妻でも、先に必要な決まりや出店の手続きを調べておこう。
俺はスマートフォンに、販売できる場所や必要な手続き、値札の慣習、現地で人気の食べ物や日用品など、次の旅で確認したいことをメモした。
「まあ、全部を一日で調べる必要はないよな」
最初は街を歩いて、雰囲気を知るだけでもいい。情報を集めるのは、そこからでも遅くない。
◇
翌週末。
土曜日の朝、俺はいつもより少し早く目を覚ました。仕事のある平日とは違い、急いで家を出る必要はない。それでも、初めて訪れる場所へ行くと思うと、自然と目が覚めてしまった。
朝食を済ませ、持ち物を確認する。財布、スマートフォン、メモ帳、筆記用具。日本の商品を販売するための荷物は、今日は用意していない。今回の目的は下見と情報収集だ。必要なことが分かってから、改めて商品を選べばいい。
荷物が少ないことを確認してから、俺は自宅のパソコンの前に座った。
視界の端に、いつものシステム表示が浮かぶ。移動先の一覧から稲妻を選び、解放済みのワープポイントを指定した。
画面が一瞬揺れたように感じた次の瞬間、周囲の空気が変わった。
潮の香り。海面を渡ってくる風。近くで交わされる船乗りたちの声。
俺は顔を上げた。
「……おお。港か」
稲妻に到着した場所は、船着き場の近くだった。海には大小さまざまな船が浮かび、荷物を運ぶ人や、船から降りてきた人たちが行き交っている。岸辺には縄や木箱が置かれ、少し離れたところでは荷下ろしをする人たちが忙しそうに動いていた。
ゲーム画面で何度も見た景色だ。けれど、実際に立ってみると、波が岸壁に当たる音や、濡れた木材と潮の混じった匂いまで感じられる。
すぐ近くでは、荷下ろしをしている男たちが声を掛け合っていた。
「そっちの木箱、割れ物が入ってるぞ。乱暴に置くなよ!」
「分かってるって。こっちの荷は先に倉へ運べばいいんだな?」
「ああ。昼までに片づけないと、次の船が入ってくるからな」
少し離れた場所では、船乗りらしい男と荷主が、積み荷の数を確かめている。
「注文した分は、これで全部か?」
「いや、あと二箱ある。向こうの船から下ろしているところだ」
「なら、受け取りの札は最後にまとめて渡してくれ。数が合わないと、あとで面倒だからな」
別の一角からは、旅装の女性と船員の声も聞こえた。
「この船は稲妻城の近くまで行くんですか?」
「いや、ここが終点だよ。城下へ行くなら、あの道を上がっていけばいい」
「ありがとうございます。初めて来たので助かります」
誰もが仕事や移動に忙しそうだ。それでも、声を荒らげている人ばかりではない。慣れた手つきで荷を運ぶ人、到着した家族を見つけて笑顔になる人、次の出航について相談する人。港には、稲妻で暮らす人と外から訪れた人、それぞれの日常が混ざり合っていた。
「やっぱり、実際に来ると違うな」
港の景色をひととおり眺めた俺は、街へ向かう道を歩き始めた。初めて訪れた土地をゆっくり見て回りたい気持ちはある。けれど、今日は先に済ませておきたいことがあった。
「まずはキャサリンに相談してみよう」
モンドでも璃月でも、冒険者ギルドには世話になっている。稲妻のギルドがどんな様子なのかも気になるし、現地で依頼を受けるなら、先に顔を出しておくのがよさそうだった。それに、いつか稲妻でも露店を出したいと考えている。商売に関する相談先を知っているなら、教えてもらえるかもしれない。
俺は景色を楽しむのを少しだけ後回しにして、冒険者ギルドの受付を探した。見慣れた制服姿のキャサリンを見つけると、少しほっとした気分になる。
「こんにちは。稲妻の冒険者ギルドでも、あいさつしておこうと思って」
「ようこそ、冒険者ギルドへ。新しい冒険者の方でしょうか?」
「いえ、モンドや璃月でもギルドを利用しているんです。今日は稲妻に来たばかりで、まずは街のことを知ろうと思って」
「そうでしたか。稲妻での滞在が実りあるものとなりますように」
変わらない丁寧な応対に、俺は自然と笑みを浮かべた。
「せっかくなので、稲妻で依頼を受けるときのことも聞いておきたいんです。依頼の内容や受け方は、ほかの国と同じですか?」
「基本的な手続きは同じです。こちらに掲示されている依頼をご確認いただき、条件に合うものをお選びください。ただし、依頼によっては現地の事情や注意事項がございますので、詳細をよくお確かめください」
「なるほど。まずは掲示されている依頼を見て、分からないところは確認すればいいんですね」
「はい。安全に十分ご注意ください」
俺はうなずき、依頼の掲示をざっと眺めた。今日は下見が目的なので、すぐに受けるつもりはない。それでも、見慣れたギルドの仕組みが稲妻にもあると分かっただけで、少し安心できた。
「あと、いつか稲妻でも露店を出せたらと思っているんですが、出店の手続きについてはギルドで分かりますか?」
「商業活動に関する許可や場所の管理につきましては、冒険者ギルドではご案内できる範囲が限られております。勘定奉行にお尋ねになるのが確実かと存じます」
「勘定奉行……。そこに相談すれば、出店できる場所や手続きについて確認できるんですね」
「はい。まずは担当窓口でご相談になるとよろしいかと存じます」
「助かります。場所も含めて、先に確認しておきたかったんです。ありがとうございます」
「お役に立てたのであれば幸いです」
キャサリンに礼を言い、俺は受付を離れた。観光を始める前に、商売のことを確認する先が分かったのは大きな収穫だ。
教えてもらった行き先を確認し、俺は勘定奉行のもとへ向かった。商業に関わる手続きについて相談する場所だけあって、出入りする人々の表情は真剣で、手に書類を持っている人も多い。
建物の入口近くでは、商人らしい男が書類を抱えて、受付の者に頭を下げていた。
「先日届け出た荷の税について、確認したいことがありまして」
「受け取った控えはお持ちですか?」
「はい、こちらです。帳簿の数字と、こちらに記された額が少し違っているようなのです」
「確認いたしますので、順番にお待ちください。記録を照合したうえで担当から説明します」
商人は不満そうに眉を寄せたものの、すぐにうなずいて脇へ移った。少し離れたところでは、年配の女性が若い男性に何かを説明している。
「店を広げるなら、先に届けを出しておきなさい。あとから問題になると、あんたも困るだろう?」
「分かってるよ。今日は必要な書類を聞きに来ただけだって」
「その確認が大事なんだよ。商売は品物を用意すれば終わりじゃないんだからね」
聞くつもりはなかったが、自然と耳に入ってきた。商売をする人にとって、ここでの手続きは特別なことではなく、日々の仕事の一部なのだろう。
俺も受付で、露店の出店について相談したいと伝えた。担当者は必要な確認事項を順に説明してくれた。出店を希望する場所によって管理する側が異なること、勝手に通りへ商品を並べるのではなく、あらかじめ場所の使用について確認する必要があること。さらに、扱う商品や出店する時間帯についても、場所ごとの決まりがある場合はそれに従うようにとのことだった。
「なるほど……。空いている場所を見つけたからといって、すぐに店を出せるわけじゃないんですね」
「そのとおりです。希望する場所が決まってから、改めて確認していただくのがよいでしょう」
「分かりました。今日は下見に来ただけなので、まずは街を見て、どんな場所があるか調べてみます」
担当者は、場所を決めてから相談に来るよう案内してくれた。俺は礼を言い、教えてもらった内容をメモ帳に書き留めた。
これで、少なくとも何も知らないまま露店を出そうとする心配はなくなった。具体的な場所を決めるのは、街を見てからでいい。人通りの多い場所が必ずしも自分の商品に向いているとは限らないし、地元の人が日常的に買い物をする場所にも、それぞれの良さがあるはずだ。
「よし。これで安心して観光できるな」
俺はようやく肩の力を抜き、街の通りへ戻った。ここからは、急がずに稲妻の街並みや商店を見て回ろう。商売の下見も兼ねているとはいえ、せっかく来たのだから、自分自身がこの国を楽しむことも忘れたくなかった。
通りを歩き始めてすぐ、俺は行き交う人々の服装に目を留めた。
ゆったりとした袖の上着や、腰のあたりで帯を結んだ服。足元も、見慣れた革靴とは違う履物を身につけている人がいる。もちろん、誰もが同じ格好をしているわけではない。仕事着らしい動きやすい服もあれば、少し洒落た装いもあり、色や模様にもそれぞれの好みが表れていた。
(ああ、こうして見ると、やっぱり日本っぽいな)
原神を遊んでいたときから、稲妻の衣装には日本の和装を思わせる意匠が多いと感じていた。帯や袖の形、重ね着の仕方、布に描かれた模様。現実の着物をそのまま再現しているわけではないし、ファンタジーらしいアレンジも入っている。それでも、街を歩く人々の姿を実際に目にすると、ゲーム画面で見ていたときとは違う実感があった。
そこで、俺はふと、これまで訪れた国の人々の服装を思い返した。
モンドは、ヨーロッパの中世を思わせる雰囲気が強かった。チュニックや外套を連想させる服、革の装備、ブーツ。騎士団の制服も含めて、剣と魔法の世界に出てくる中世風の街という印象がある。もちろん、実際の中世ヨーロッパの服装そのものというより、ゲームらしく整理されたデザインだ。
璃月は中国風。襟や裾の形、布の重ね方、刺繍や飾りの使い方に、東アジアの伝統衣装を思わせる特徴があった。街並みや建物だけでなく、人々の服装にも国ごとの文化が反映されているのだと、改めて感じる。
そして稲妻は、日本風だ。
(モンドは中世ヨーロッパ風、璃月は中国風、稲妻は日本風……。ゲームを遊んでいるときは地域ごとのデザインとして見ていたけど、こうして実際に歩いていると、違いがもっとはっきり分かるな)
もちろん、服装だけでその国の文化を全部理解できるわけではない。それでも、普段着や仕事着、身につけている小物を観察すれば、暮らし方や気候、好まれている色や素材など、何かしら見えてくるものがありそうだった。
俺は、行き交う人の邪魔にならないよう気をつけながら、もう一度街並みを見渡した。今日は商売の準備を進めるために来たけれど、こういう違いを自分の目で確かめられるのも、異世界を旅する楽しみの一つだ。
通りの先から、買い物客たちの話し声が流れてきた。
「この布、前に見たときより色が増えてない?」
「昨日、新しい荷が届いたって聞いたよ。祭りも近いし、少し華やかな色が人気なんだろうね」
「なるほどねえ。じゃあ、あの紺色も見せてもらおうかな」
別の店先では、荷物を抱えた男性が店主に声をかけていた。
「これと同じものを、もう少し多く頼めるかい?」
「数によるね。必要な量と、いつまでに欲しいのか教えておくれ」
「来週までに十個ほど。仲間の分もまとめて買いたいんだ」
「それなら、倉にある分を確認しておくよ。明日また寄ってくれるかい?」
客と店主のやり取りは気取ったものではなく、日常の買い物そのものだった。値段を確かめ、品物を選び、必要なら注文する。国が変わっても、商売の基本には共通するところがあるらしい。
もちろん、言葉や貨幣、決まりごとは同じではない。だからこそ、俺は焦って自分の知っているやり方を持ち込むのではなく、まずはこの土地の人たちがどう暮らし、どう買い物をしているのかを見ていきたいと思った。
◇
俺は、食料品を扱う店の前で足を止めた。
店頭には乾物や調味料、保存のきく食品が並んでいる。見たことのない形の包みもあり、香りだけで何に使うのか想像できないものもあった。
店主は、俺が商品を見比べていることに気づくと、穏やかに声をかけてきた。
「何かお探しかい?」
「あ、いえ。初めて来たので、どんなものが売られているのか気になって。見慣れない品が多くて、つい足を止めてしまいました」
「そうかい。稲妻の外から来た人なら、そう感じるかもしれないね。これは保存が利くし、料理にも使いやすいよ」
店主は乾物の包みを一つ手に取り、保存方法や料理での使い方を簡単に説明してくれた。別の包みについて尋ねると、こちらは汁物に入れることが多いらしい。名前を聞いただけでは想像しにくかったが、どんな味なのかを聞くと少しずつ興味が湧いてくる。
「ありがとうございます。話を聞くと、実際に試してみたくなりますね」
「料理が好きなら、いくつか買っていくといい。少量でも味の違いは分かるだろうさ」
俺は一瞬、買うかどうか迷った。今日は下見が目的で、仕入れに来たわけではない。だが、ここで紹介してもらったものを自分で試すのは、観光としても面白そうだった。
「じゃあ、これを一ついただきます」
店主が包みを用意している間、俺は値段を確かめ、財布から代金を出した。包みを受け取ると、店主は持ち運びやすいよう、紐をきちんと結んでくれた。
「稲妻では、こういう保存食もよく売れるんですか?」
「もちろん。毎日使うものは安定して売れるね。あとは季節や祭りの時期によって、よく出る品も変わるよ」
「祭りの時期ですか。普段と売れるものが変わるんですね」
「そうだね。人が集まる時期は、食べ歩き用のものや贈り物になる品がよく動く。季節によっても好まれるものは変わるよ。いつも同じ品が同じ数だけ売れるわけじゃない」
「なるほど……。売るものを考えるなら、時期も気にしたほうがよさそうですね」
「そういうことさ。ただ、流行りそうだからと大量に仕入れるのは勧めないね。初めて扱うものなら、まずは少しずつ試してみるといい」
その言葉に、俺はうなずいた。モンドで商売を始めたときも、最初から大量に仕入れたわけではない。売れ行きを見ながら種類や数を調整してきた。稲妻でも、基本は変わらないのだろう。
「ありがとうございます。稲妻ならではの食べ物や、普段使いの品ももっと見てみたいです」
「それなら、通りの向こうにある店も覗いてみるといい。地元の人がよく買うものが置いてあるよ」
「ありがとうございます。行ってみます」
俺は店主に礼を言い、教えてもらった方向へ歩き出した。
せっかく教えてもらったのだから、話を聞くだけでなく、実際に買って試してみるのもいい。商品を売る側の目線で見るのも大事だが、客として買い物をすれば、値段の付け方や包み方、店員とのやり取りも分かるはずだった。今日は観光も兼ねている。気になったものを少しずつ買い、家に戻ってから味や使い勝手を確かめてみよう。
◇
最初に俺の足を止めたのは、通りの角にある小さな店だった。
店先には、木や布を使った飾りが並んでいる。大きなものではない。手のひらに収まりそうな大きさで、紫や赤、金色を使った模様が一つずつ違っていた。遠目には似ているように見えたが、近づくと細工の形も色の組み合わせも少しずつ異なっている。
俺は、棚の端に置かれた小さな飾りを手に取った。表側の模様を眺め、裏返してみる。見えにくい部分まで丁寧に整えられていた。
「これ、ひとつずつ模様が違うんですね」
店の奥にいた店主が顔を上げた。
「気づいたかい。似た形でも、仕上げは少しずつ違うんだ。そちらは地元の職人が作ったものだよ」
「職人さんが? 全部手作りなんですか?」
「品によるね。これは細かいところを手で仕上げている。大量に作れる品じゃないから、同じ形でも模様が少しずつ違うんだ」
俺はもう一度、飾りを光にかざしてみた。細い線が重なり、角度を変えると色の見え方も変わる。
「なるほど……。こういうのって、贈り物に買う人も多いんですか?」
「そうだね。大きな贈り物というより、ちょっとした土産や、家に飾るものとして買っていく人がいるよ。祭りの時期には、普段より手に取る人が増えることもある」
祭りの時期。先ほどの食料品店でも聞いた言葉だ。
「やっぱり、祭りがあると買い物も変わるんですね」
「人が集まれば、いつもは買わないものを見ていく人もいるからね。でも、祭りだから何でも売れるというわけじゃない。品物を選ぶ人もいるし、値段を見て考える人もいる」
店主の言葉は、特別な商売の秘訣というより、日々店を開いている人の実感に聞こえた。俺はうなずき、手にしていた飾りを棚に戻そうとする。
けれど、もう一度見ると、やはり気に入ってしまった。
「……これ、一つください」
「それでいいのかい? こっちの模様も人気だよ」
店主が隣の品を見せてくれる。こちらは色合いが少し落ち着いていて、最初に手に取ったものより控えめな印象だった。
俺は二つを並べてしばらく考えた。どちらもいい。片方は稲妻らしい華やかさがあり、もう片方は部屋に置いても馴染みそうだ。
「うーん……最初に気になったこっちにします」
「分かった。包もうか?」
「お願いします」
店主は小さな紙で飾りを包み、形が崩れないように紐をかけてくれた。俺は代金を支払い、包みを受け取る。
「ありがとうございます。大事にします」
「気に入ってもらえたなら何よりだよ」
店を離れてからも、俺は包みを一度見下ろした。自分の部屋に置いておけば、稲妻を訪れた記念になるだろう。商売の下見に来たはずなのに、すでに観光客としての買い物を楽しんでいる。
次に目に入ったのは、布袋や籠を扱う店だった。入口の近くに大小さまざまな袋が吊るされ、奥の棚には編み籠が積み重なっている。買い物に使えそうなものもあれば、道具を入れるための丈夫そうなものもあった。
俺は店先に置かれた小さな布袋を手に取った。口を閉じる紐がついていて、縫い目もしっかりしている。
「すみません。これ、普段は何を入れるんですか?」
「何でも入れるよ。買い物の小物をまとめたり、旅の道具を入れたりね。もう少し大きいものなら、食べ物を包んで持ち歩く人もいる」
「なるほど。大きさで用途が変わるんですね」
「そうだね。こっちは口が広いから、物を出し入れしやすい。そっちは紐で閉じられるから、小さな物を落としにくいよ」
店主は二つの袋を並べて、口を開けたり閉じたりして見せてくれた。俺も真似して、紐を引いてみる。確かに、片方は中身を取り出しやすく、もう片方はしっかり閉じられた。
日本で使っている買い物袋とは素材も形も違うが、持ち運びやすさを考える点は同じらしい。買った品をどう渡し、どう持ち帰ってもらうか。販売する側に立つなら、商品そのものだけでなく、こうした部分も考える必要がある。
「これなら小物を入れておくのに使えそうですね。小さいほうを一つください」
店主が袋を取り、口を軽く整えて渡してくれた。俺は代金を支払い、先ほどの飾りと一緒に持った。
そのとき、手元の荷物が少し増えたことに気づいたが、まだ持ち運びに困るほどではない。これくらいなら大丈夫だろう。そう考えたのが、あとから思えば少し甘かった。
店を出た俺は、もう一度通りを見渡した。衣服を扱う店では布地の色や模様が目を引き、日用品の店では竹や木を使った道具が棚に並んでいる。眺めるだけのつもりでも、見慣れない品があると、どうしても足を止めてしまう。
やがて、店先で一人の商人が、買い物を終えた客に小さな包みを渡しているのが見えた。客は包みを受け取る前に中身を確認し、商人はそれを急かさずに待っていた。品物に問題がないことを確かめると、客は礼を言って去っていく。
別の店では、客が同じ品を二つ手に取り、値段を尋ねていた。店主が価格を伝えると、客は一つだけ買うか、二つまとめて買うかを迷っている様子だった。店主は商品の違いを説明し、客は納得したように一つを棚へ戻した。
俺は、すぐにその場を離れず、しばらくやり取りを見ていた。
値段の相談をする店もあれば、表示された金額でそのまま売買する店もある。品物を買う前に状態を確かめる客もいれば、店主の説明を聞いて決める客もいる。どれか一つが稲妻の決まったやり方というより、扱う商品や店の方針、客との関係によって違うようだった。
「値段の見せ方も、店によって違うんだな」
俺はメモ帳を取り出した。モンドで露店を開くときは、商品のそばに値段を書いて置くようにしている。客が毎回尋ねなくても済むし、聞き間違いも減る。稲妻でも同じ方法が合うかは分からないが、少なくとも、販売を始める前に現地のやり方を確かめておきたい。
メモを取っていると、すぐそばの店から紙をめくる音がした。覗き込むつもりはなかったが、店主が売れた品を帳面に記録しているのが目に入る。商品を渡したあと、品名と受け取った代金を書き込んでいた。
俺は自分のメモ帳を開き直した。売上や在庫を記録するのは、すでに続けていることだ。何がどれだけ売れたのか分かれば、次の仕入れを考えやすい。反対に、記録をつけなければ、売れた数も残った数も曖昧になってしまう。
「やっぱり、記録は大事だよな」
自分のやり方が間違っていないと分かると、少し安心した。ただし、店の規模も扱う商品も違う。目にした一例だけで稲妻全体の習慣を判断するのは早い。今日見たことは、あくまで自分が歩いた範囲で気づいたこととして残しておこう。
通りを進むと、また別の品が目に入った。日本から持ち込んだタオルや洗濯ばさみ、ノートや鉛筆などを売るとしたら、どんな人が興味を持つだろう。考え始めると、つい商品のことに意識が向いてしまう。
タオルは肌触りや吸水性を説明できる。洗濯ばさみは、洗濯物を干す習慣や普段使っている道具によって、便利さの感じ方が変わるかもしれない。ノートや鉛筆も、使い方を知らなければ価値が伝わらない可能性がある。
モンドでは、鉛筆と消しゴムを実演したことで、ジンやリサさんが興味を持ってくれた。稲妻でも、必要なら使い方を見せるのがよさそうだ。
「……いや、今日はまだ売る日じゃないんだった」
俺は小さく笑い、メモ帳をしまった。売れるかどうかを考えるのは楽しいが、せっかく初めて来た稲妻だ。今日は街を知り、自分が楽しむ時間も大切にしたい。
そのとき、通りの先から甘い香りが漂ってきた。
焼き菓子らしきものを売る店の前に、数人が並んでいる。店先の台には、表面にこんがりと焼き色のついた菓子が並び、店員が注文を受けるたびに紙へ乗せて渡していた。買った品をすぐに食べる人もいれば、いくつかまとめて包んでもらう人もいる。
俺は少し離れたところで足を止めた。
「……あれ、絶対おいしそうだよな」
商売の調査をしていたはずなのに、今はすっかり食欲が勝っている。けれど、現地の食べ物を味わうことだって旅の目的の一つだ。俺は列の最後尾に並んだ。
前に並んでいた女性は、店員に二種類の菓子を指しながら、どちらが今日のおすすめなのか尋ねていた。店員は焼きたてのものと、少し冷まして味が落ち着いたものの違いを説明する。女性は迷ったあと、家族の分も含めていくつか注文した。
俺の番が来る。近くで見ると、菓子は思ったより小ぶりだった。表面は香ばしそうで、割れ目から甘い餡が少しのぞいている。
「これを一つください」
「はい。熱いので、少し気をつけてくださいね」
代金を支払い、紙に乗せられた菓子を受け取る。手のひらに温かさが伝わってきた。俺は店の前を塞がないように少し横へ移動し、ふう、と息を吹きかけてから一口かじった。
「うん、おいしい」
外側は香ばしく、少し歯ごたえがある。中の餡は甘く、口の中に優しい風味が広がった。
俺はもう一口かじり、ふと日本で食べたお菓子を思い出した。
(これ、味はたい焼きに似てるな)
形こそ違うものの、香ばしい生地と甘い餡の組み合わせは、どこか懐かしい。もちろん、細かな味や食感は違う。それでも、日本のお菓子を思い出すには十分だった。
異世界の街で食べているのに、こうして馴染みのある味に出会うと、少し不思議な気分になる。
「こういうお菓子もいいな」
俺は残りを味わいながら、店先に並んだほかの菓子にも目を向けた。
食べながら周囲を眺めると、若い人だけでなく年配の人も買っている。何個かまとめて買う客もいて、家族への土産にするのかもしれない。焼きたてを一つ買ってその場で食べる人と、包んでもらって持ち帰る人では、求めているものも少し違うのだろう。
人気があるからといって、すぐに自分が扱える商品というわけではない。それでも、どんなものが好まれているのか知る手がかりにはなる。俺は食べ終えたあと、包み紙をきちんとたたみ、近くのごみ入れに捨てた。
「さて……もう少しだけ見てみるか」
昼が近づくと、通りを行き交う人の流れにも少しずつ変化が出てきた。買い物袋を提げた人が増え、店先で昼食の相談をする声も聞こえる。俺も、気づけば朝からずっと歩き続けていた。手元のメモ帳を閉じ、いったん昼食を取ることにした。
どこに入ろうかと通りを見回していると、煮込んだ料理の香りが漂ってくる店が目に留まった。入口の脇には今日の料理らしい品が書かれた札が掛かり、店内からは食器の触れ合う音と、何人もの話し声が聞こえてくる。高級そうな店ではないが、地元の人が気軽に立ち寄る食事処のようだった。
「ここにしてみるか」
俺は入口から中を覗いた。店員が客の注文を聞き、料理を運び、空いた皿を下げている。席はほとんど埋まっていたが、壁際に二人掛けの席が一つ空いていた。
「いらっしゃい。お一人かい?」
「はい。一人です」
「じゃあ、そこの席へどうぞ。決まったら声をかけておくれ」
店員に案内され、俺は壁際の席に腰を下ろした。卓上には箸と小さな器が用意されている。壁には料理の絵がいくつか飾られていたが、名前だけでは味の想像がつかないものもある。
メニューを眺めていると、店員が水を持ってきてくれた。
「初めて来たんだけど、おすすめはありますか?」
「そうだね。昼なら、こちらの煮込みとご飯の組み合わせがよく出るよ。少し濃いめの味だけど、ご飯と一緒なら食べやすい。魚料理も人気だね」
「じゃあ、その煮込みとご飯をお願いします。あと、飲み物も一つ」
「はいよ。少し待っていてね」
注文を済ませると、俺は店内をそっと見回した。客の多くは地元の人らしく、店員と顔なじみのように話している人もいた。料理が運ばれてくるまでの間も、あちこちの卓から会話が聞こえてくる。天気の話、仕事の話、買い物の話。どれも特別な話題ではない。それでも、そこで暮らす人たちの日常に少しだけ混ざれたような気がした。
そのとき、隣の卓に座っていた男性たちの話が耳に入った。
「目狩り令が終わって、本当によかったよな」
「ああ。あの頃は、神の目を持っている知り合いがどうなるのか、気が気じゃなかった」
「奉納させられた人たちも、すぐに元どおりというわけにはいかないんだろうが……それでも、もう怯えなくていいんだ」
「これから少しずつ、街も落ち着いていくさ。商売だって、前みたいに活気が戻ってくれればいいんだがな」
別の男性が、ほっと息をつくように笑った。
「まったくだ。先のことを心配しながら暮らすのは、もうこりごりだよ」
俺は、メニューに視線を落としたまま、聞こえてきた会話を心の中で反芻した。
ゲームで知っていた展開ではある。目狩り令が終わることも、雷電将軍との一連の出来事も、知識としては頭に入っていた。
(……よかった。目狩り令は、ちゃんと終わっているんだな)
そんなことを思いながら、俺は料理が運ばれてくるのを待った。今は、目の前の食事と、初めて訪れた稲妻の街を楽しもう。魔神任務の結末を知っているからといって、旅先でまであれこれ考え込む必要はない。
少しして、店員が料理を運んできた。
「お待たせ。煮込みとご飯、それから飲み物だよ」
「ありがとうございます」
湯気の立つ器から、食欲をそそる香りが広がった。俺はまず一口、煮込みを口に運ぶ。しっかりと味が染みていて、ご飯によく合う。少し濃いめだと店員が言っていた意味も分かった。
「おいしい……」
思わず声が漏れた。
モンドの料理も、璃月の料理もおいしかった。それぞれの土地ならではの味があり、初めて食べる料理に驚かされることもあった。
けれど、稲妻の料理には、どこか懐かしさを感じる。
ご飯を主食にしていることもそうだし、味付けや料理の見た目にも、日本で食べていたものを思い出させるところがあった。もちろん、食材や細かな味付けは違う。それでも、慣れ親しんだ食文化に近いものを感じると、自然と気持ちが和らいだ。
特別に珍しい料理というわけではないのかもしれない。けれど、地元の人たちが普段から食べている料理を、その土地で味わうのは楽しかった。
朝から歩いていたこともあって、箸が進む。ご飯を一口食べ、煮込みをもう一口。途中で飲み物を挟みながら、俺はゆっくりと食事を楽しんだ。
(こういう味、なんだか落ち着くな)
観光で訪れた異世界の国なのに、食事をしていると、少しだけ日本にいるような気分になる。それもまた、稲妻を訪れてよかったと思える理由の一つだった。
食べ終わる頃には、店内の会話も、いつの間にか別の話題へ移っていた。先ほどの男性たちも、今度は仕事の予定や、帰りに何を買うかという話をしている。
俺は店員を呼び、代金を支払った。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「ありがとう。また寄っておくれ」
「はい。また来ます」
店を出ると、昼の光が石畳を照らしていた。人の往来も朝より増えている。俺は歩き出し、次にどの通りを見て回ろうかと考えた。
午後になり、俺は商業地区から少し離れた通りへ足を延ばした。
人通りは中心部より落ち着いている。店先で商品の手入れをする人、軒先で近所の人と話をする人、荷物を運び込む人。観光客向けというより、そこで暮らしている人たちの日常が見える場所だった。
俺は、道具を扱う小さな店の前で足を止めた。木製の器や籠、紐、布、修理用の道具などが並んでいる。どれも華やかではないが、生活には欠かせなさそうなものばかりだ。
店主らしい男性が、棚に品物を戻していた。俺は邪魔にならないよう、入口から少し離れたところで声をかけた。
「すみません。少しお聞きしてもいいですか?」
「何だい?」
「このあたりで露店を出している人たちは、場所の決まりや手続きについて、どこで確認しているんでしょうか。いつか稲妻でも商品を売ることを考えているので、先に知っておきたくて」
男性は俺を一度見てから、店の前の道を指し示した。
「このあたりで勝手に店を広げるのはやめたほうがいい。道を使う人もいるし、店の前をふさがれると困る。市場なら管理する者がいるはずだから、そちらで聞くのがいいだろう」
「なるほど。まずは市場の管理をしている人に相談するんですね」
「そういうことだ。商品が珍しいかどうかより、まずは決まりを守れるかどうかだな。きちんと話を通しておけば、余計な揉め事も減る」
率直な言葉だったが、俺は納得した。
珍しい商品を持っていけば、興味を持つ人はいるかもしれない。だが、興味を持ってもらうことと、そこで売っていいことは別だ。
「ありがとうございます。参考になりました」
「商売を始めるなら、客だけじゃなく、周りで商売をしている人にも気を配ることだな」
「はい。気をつけます」
俺は礼を言って、その場を離れた。
メモ帳には、似たような内容が少しずつ増えていく。
勝手に場所を使わない。管理者に確認する。周囲の店の邪魔をしない。商品や価格を分かりやすくする。無理な量を持ち込まない。客とのやり取りを大切にする。
特別な裏技があるわけではない。むしろ、当たり前のことを丁寧に守る必要があるのだろう。モンドで商売をしているときも、売上を増やすことだけを考えるより、客が安心して買えるようにすることを意識してきた。稲妻でも、その基本は変わらないはずだ。
ただし、具体的な決まりは別だ。今日確認できたのは基本的な流れで、実際に出店したい場所が決まったら、勘定奉行に改めて必要な手続きを確認する必要がある。今日聞いた話だけで、出店の準備が整ったと思い込まないようにしよう。
◇
道具を扱う店を出たあとも、俺はすぐに帰る気にはなれなかった。せっかく稲妻まで来たのだから、もう少しだけ街を見て回りたい。そう思って通りを曲がると、今度は茶葉や乾物を扱う店が目に入った。店頭には小さな包みが並び、それぞれに香りを確かめられる見本が置かれている。
俺が一つの包みに顔を近づけると、店主が声をかけてきた。
「気になるかい? これは香りが強めで、食後に飲む人も多いよ。こっちは少しやわらかい香りだね」
「見本の香りを試してもいいですか?」
「もちろん。包みを開けずに、こちらを嗅いでみな」
店主が小さな器を差し出した。俺は順番に香りを確かめる。片方はすっきりとしていて、もう片方は少し甘いような香りがした。どちらも気になるが、いきなり大きな包みを買うのはためらわれた。
「初めてなので、少量のものはありますか?」
「あるよ。試しに飲むなら、こっちの小さな包みで十分だろう」
「じゃあ、それを一つください」
店主は小さな包みを紙で包み、代金を伝えた。俺は支払いを済ませ、受け取った品を袋に入れる。これでまた荷物が一つ増えた。
その先では、稲妻らしい模様の入った布や、食卓で使う小さな器を売る店が並んでいた。布は色合いがきれいで、手触りも一枚ずつ違う。器は形こそ素朴だが、縁に細かな模様が入っているものもある。見るだけのつもりで近づいたのに、店主に用途を聞き、手に取って確かめるうちに、つい欲しくなってしまった。
小さな器を一つ。手触りのよい布を一枚。保存食を少し。さらに、先ほど食べた菓子が気に入ったので、持ち帰り用にいくつか包んでもらった。どれも大量ではない。けれど、一つずつ買い足していると、いつの間にか荷物は増えていた。
「……あれ?」
俺は両手を見下ろした。右手には食材や茶葉の包み、左手には小物や布袋。指には菓子の包みも掛かっている。最初は片手で持てるくらいだったはずなのに、気づけば両手が塞がっていた。
(ちょっと買いすぎたか?)
まだ気になる店はある。だが、この状態でさらに買い物を続けるのは無理がある。片手を空けようとして荷物を持ち直すと、紙袋がかさりと音を立てた。落としそうになり、俺は慌てて抱え直す。
「これは、いったん整理したほうがいいな……」
道の真ん中でアイテムボックスを使うわけにはいかない。周囲の人々は自分の買い物や用事に気を取られているようだが、誰が見ているか分からない。俺は人の流れを邪魔しないよう、通りの端を歩いて、建物と建物の間にある静かな路地へ向かった。
路地の入口で一度足を止め、奥に人がいないか確かめる。物陰にも人影はなく、表通りからも中の様子は見えにくい。念のため少し奥まで進み、通りの声が遠くなったところで、俺は周囲を見回した。誰もいない。
「よし……ここなら大丈夫そうだ」
俺は荷物を一つずつ手元に寄せ、システムを操作した。買った品々がアイテムボックスへ収納されていく。包みを落とさないよう気を遣う必要もなく、両手が少しずつ軽くなっていく。最後の包みを収納し終えると、俺は空になった手を握ったり開いたりした。
「助かった。これがなかったら、買い物どころじゃなかったな」
もちろん、便利だからといって人前で気軽に使うつもりはない。見られれば説明のつかないことになるし、余計な注目を集めるのは避けたかった。使うなら、こうして人目のない場所だけだ。
路地から出る前に、俺はもう一度、表通りの様子を確認した。誰もこちらを気にしている様子はない。何事もなかったように通りへ戻り、少し身軽になったところで、ようやく肩の力を抜いた。
歩き疲れた俺は、通り沿いの休憩できそうな場所を見つけ、腰を下ろした。
海から吹いてくる風が心地よい。遠くには、稲妻城の建物が見える。屋根の形や建物の配置はゲームで知っていたが、実際に眺めると、そこに人が暮らしていることが強く感じられた。
行き交う人々は、それぞれの用事を持っている。買い物に来た人、仕事へ向かう人、誰かと待ち合わせている人。俺が知らないだけで、そこにはそれぞれの生活がある。
ゲームの知識は、場所を探したり、道を把握したりするのには役立つ。けれど、目の前の人が何を考え、どんな日々を送っているのかまでは教えてくれない。
「やっぱり、来てみないと分からないことが多いな」
俺はメモ帳を開き、今日聞いた話を整理した。
商業地区では、商品を見やすく並べる工夫や、客とのやり取りの仕方を観察した。食料品店の店主からは、季節や祭りによって売れやすい品が変わることを聞いた。別の店では、出店する場所の管理者に確認する必要があると教わった。
これだけでも、来た意味はあった。
ただ、具体的な出店手続きについては、まだ確認しきれていない。出店したい場所を決めたうえで、次に来たときは勘定奉行に必要な手続きや条件を詳しく確認してみよう。
そのうえで、販売する商品を考えればいい。今すぐに決める必要はない。
俺はスマートフォンを取り出し、次に稲妻を訪れるときのために、確認事項を追加した。
出店したい場所を絞る。勘定奉行に具体的な手続きや条件を確認する。価格表示や販売方法について聞く。現地で人気のある商品をもう少し調べる。
「よし。今日はこれくらいでいいか」
立ち上がって、服についた埃を軽く払う。
商売の下見は、思った以上に収穫があった。まだ何も売っていないし、売れる見込みが立ったわけでもない。それでも、知らない土地でいきなり商売を始めるより、ずっといい。
それに、稲妻の街を歩くのは単純に楽しかった。景色を眺め、食べ物を味わい、人々の暮らしを少しだけ知る。こうした時間も、俺が異世界へ来るようになって楽しみにしていることの一つだった。
◇
夕方が近づき、通りには柔らかな光が差し込んでいた。
俺は最後にもう一度、商業地区をゆっくり歩いた。昼間は商品を広げていた店が、売れた品を補充したり、棚を整えたりしている。店じまいを始める人もいれば、夕食の買い物に来た人もいる。荷物を抱えた人が家路を急ぐ一方で、店先で知り合いと立ち話をしている人もいた。昼間とは少し違う雰囲気があり、同じ通りでも時間によって表情が変わるのが面白かった。
朝から歩いてきた道を、今度はゆっくり戻る。朝に見た店先には、売れて少なくなった品もあれば、夕方になって新しく並べられた品もある。客の顔ぶれも変わっていた。朝は仕事へ向かうような人が多かったが、今は家に持ち帰る食材を選ぶ人が目立つ。
露店を出すなら、どの時間帯に人が多いのかも考えたほうがよさそうだ。朝と夕方では、通りを歩く人の目的が違うかもしれない。観光客が多い場所と、地元の人が買い物をする場所でも、求められる商品は変わるだろう。
けれど、今日はもう十分歩いた。
「次に来たときは、もう少し具体的に調べよう」
俺はそう決め、帰る前に近くの店で飲み物を買った。慣れない土地を歩いたせいか、思ったより喉が渇いていた。飲みながら、初めて稲妻へ来た日のことを頭の中で振り返る。
街並みはきれいだった。食べ物もおいしかった。商人たちの話も参考になった。モンドや璃月とは違うところが多く、まだ見ていない場所もたくさんある。
稲妻には、まだ見ていない場所も、食べたことのない料理もたくさんある。
今日歩いたのは街の一部だけだ。それでも、店ごとに並んでいる商品が違い、店主との会話からも、この土地ならではの暮らしが少しずつ見えてきた。
次に訪れたときは、今日とは違う通りも歩いてみよう。気になる店を見つけたら、また立ち寄ってみればいい。
そんなことを考えながら、俺は帰り支度を始めた。
もちろん、商売のことも忘れてはいない。けれど、旅のすべてを売上につなげる必要はない。知りたいことを知り、食べたいものを食べ、会いたい人と話す。その積み重ねが、結果として今後の商売にも役立つのだろう。
俺は帰還の操作をする前に、もう一度だけ稲妻の街を振り返った。
「また来るよ」
次に来るときは、今日よりも少しだけ、この国のことを知っているはずだ。
視界が切り替わり、気づけば自宅の部屋に戻っていた。机の上には、出発前に確認したメモ帳が置かれている。俺は椅子に座り、今日の記録を改めてまとめた。
初めての稲妻。街歩きと商業地区の下見。出店前に確認すべきこと。食べてみたいもの。次回、聞いておきたいこと。そして、気づけば両手いっぱいになるほど買い物をしてしまったこと。
買ってきたものを思い出すと、自然と笑みがこぼれた。食材は少しずつ試してみよう。菓子はお茶と一緒に食べてもいいし、気に入ったものは次に訪れたときにも買えるかもしれない。小物も、部屋に置けば旅の記念になる。
今日は商売のための下見として来たが、結局は自分が楽しむ買い物もたくさんしてしまった。それでも、無駄だったとは思わない。店主から聞いた説明は、品物を知るきっかけになった。自分で代金を払い、包んでもらい、持ち帰るまでの流れも、売る側に立ったときの参考になる。
もちろん、客としての経験だけで商売のすべてが分かるわけではない。次に来たときは、今日見つけられなかった正式な窓口を探し、必要な手続きを確認する。それから、どんな商品をどれくらい持ってくるかを考えればいい。
ページを閉じると、俺は小さく息を吐いた。
冒険者ギルドのキャサリンに相談し、勘定奉行のもとで出店の基本的な決まりも確認できた。あとは街を歩きながら、どんな場所が自分の商売に合いそうかを考えていけばいい。
「よし。稲妻も、ゆっくり楽しんでいこう」
まだ露店を出す段階ではない。けれど、次にやるべきことは見えてきた。焦らず、少しずつ。観光も商売の準備も、自分のペースで進めていけばいい。