原神の世界に通えるようになったので、モンドを拠点に異世界生活を楽しみます 作:ところてんの
休日の朝。
俺は自宅のパソコンを起動し、いつものようにテイワットへ向かう準備をしていた。
今回の目的地はフォンテーヌだ。
スメールでの観光や商売も一段落し、次は水の国をゆっくり見て回ろうと思っていた。
フォンテーヌといえば、運河を行き交う船や美しい街並み、そして独特の文化が印象的な国だ。ゲームで見ていた景色を、実際に自分の目で確かめられると思うと、出発前から楽しみだった。
もちろん、観光だけでなく、現地でどんな商品が売られているのかを見て回るつもりでもある。
日本から持ち込んだ日用品や文房具が、こちらの人たちにどんな反応をされるのか。商売のことも気になるが、せっかくの休日だ。あまり予定を詰め込まず、気ままに過ごしたい。
今日は特に細かな予定を決めていない。気になる場所があれば立ち寄り、疲れたら休む。そんな過ごし方でいいだろう。
俺は必要な荷物を確認してから、パソコンを通じてフォンテーヌへ移動した。
◇
フォンテーヌに到着して、まず目に入ったのは水の都らしい景色だった。
街のあちこちに水路が通り、建物は華やかな装飾をまとっている。石畳の道を人々が行き交い、商店の前では店員が客に声をかけていた。
運河を進む船の姿も見える。
「やっぱり、実際に見ると違うな」
ゲームの画面で何度も見た場所でも、現実の風景として目の前に広がると印象が変わる。
水の流れる音や人々の話し声、街を歩く人たちの足音。店から聞こえてくる呼び込みの声や、どこかで食器が触れ合う音まで重なって、フォンテーヌという街の暮らしを感じさせてくれる。
少し立ち止まって周囲を見回した。
視線を上げれば、建物の窓や装飾が目に入る。下を見れば、石畳の隙間を水が流れている場所もあった。水路と街が一体になっているような造りは、ほかの国ではあまり見ないものだ。
観光客らしい人たちが、橋の上で足を止めて景色を眺めている。俺もその一人になって、しばらく水面を見ていた。
こうして何もせず景色を眺めているだけでも、ここまで来た甲斐がある。
俺は名残惜しさを感じながらも、街の様子をもっと見て回るため、商業地区へと足を向けた。
◇
街を歩いていると、店先に並んだ品物が自然と目に入ってくる。
衣服や装飾品、生活雑貨、食料品。店ごとに扱っている商品が違い、通りを進むたびに新しい発見があった。
売り方も興味深い。
商品を棚に並べて客を待つ店もあれば、店先に品物を広げて通行人に声をかける商人もいる。値段を尋ねている客や、商品を手に取って細かく確認している客の姿も見られた。
商品を並べる位置や見せ方にも、それぞれ工夫があるようだ。通りから目につきやすい場所に目玉商品を置いている店もあれば、色や大きさをそろえて見やすく陳列している店もある。
俺は商売の参考になりそうな光景を見つけるたび、頭の中に覚えておく。
とはいえ、商売の研究ばかりしていたら、せっかくの観光が台無しだ。
気になった店を眺めつつ、運河沿いの道へと足を向けた。
水面には建物や空が映り、時折、船が通り過ぎて波紋を広げている。水面に映った景色が揺れるたび、建物の輪郭もゆっくりと形を変えていく。
橋の上では観光客らしい人たちが景色を眺め、近くの店からは焼き菓子の甘い香りが漂ってきた。
「こういう場所で一日ゆっくり過ごすのもいいな」
日本では会社勤めをしているので、休日に異世界へ行けるというだけでも十分に特別なことだ。
せっかく自由に行き来できるのだから、仕事のように予定を詰め込む必要はない。
そう思いながら歩いていると、通り沿いに食べ物を売る屋台が並んでいるのが見えた。
焼きたてのパンや、具材を挟んだ軽食などが売られている。通りを歩く人たちの中には、買ったばかりの食べ物を手に、近くのベンチで休んでいる人もいた。
店先では、客が商品を選びながら店員と話していた。
「このサンドイッチ、具は何が入っているんですか?」
「ハムとチーズ、それに野菜ですよ。手軽に食べられるので、街歩きのお供にもおすすめです」
「じゃあ、それを一つください」
「飲み物もいかがですか?」
店員が隣に並んだ瓶を示した。
「それは何ですか?」
「フォンタです。よく冷えていますよ」
ちょうどよさそうだ。
俺はそのサンドイッチと、フォンタを買うことにした。
受け取った軽食を手に、運河が見える場所へ移動する。すぐ近くには腰を下ろせる場所があり、そこからなら水路を行き交う船も眺められそうだった。
パンの間にはハムやチーズ、野菜が挟まれていて、食べ歩きにはちょうどいい大きさだった。
「いただきます」
一口食べると、パンの香ばしさと具材の味が口の中に広がった。
「うん、普通においしい」
特別に豪華な料理ではないが、街を歩きながら食べるにはぴったりだ。具材の組み合わせも分かりやすく、食べ慣れた軽食に近い安心感がある。
フォンタも飲んでみる。こちらの世界で親しまれている飲み物を味わいながら、運河を行き交う船を眺めた。
船が近くを通ると、水面に小さな波が広がる。向こう岸では買い物袋を持った人が店から出てきて、連れの人と何か話しながら歩いていた。
こういう何気ない時間も、異世界観光の楽しみの一つだと思う。
食べ終わったあとは、買ったものを片づけて、少し休んでから再び街歩きを続けることにした。
◇
商業地区を歩いていると、華やかな衣服が飾られたブティックが目に入った。
店先の展示には、細かな装飾が施された衣服が並んでいる。色の組み合わせや布の使い方にもこだわりが感じられ、店そのものにも独特の雰囲気があった。
通りから見える範囲だけでも、服の仕立てや装飾に力を入れていることが伝わってくる。飾られている服は、普段着というより特別な場にも着ていけそうなものが多い。
看板を確認すると、千織のブティックらしい。
「ここが千織さんのお店か」
原神をプレイしていた俺にとって、名前には覚えがある。
店内には入らず、外から展示されている衣服や店構えを眺めるだけにした。
仕立てや服飾に詳しいわけではないが、細部まで丁寧に作られていることは見ているだけでも伝わってくる。縫い目や飾りの配置まで、きちんと考えられているのだろう。
店の前を通りかかった人たちも、飾られた衣服に目を向けていた。
「この服、素敵ね」
「千織さんのところの服は、仕上がりがきれいだからね」
そんな会話が聞こえてきた。
やはり、評判の店なのだろう。
店内の様子も気になるが、今は外から眺めるだけにしておく。店主がいるかどうかも分からないし、何の準備もなく訪ねるのは少し気が引けた。
興味はあるが、今日は予定を決めて訪ねたわけではない。また機会があれば、店の中も見てみたい。
俺は店構えをもう一度眺めてから、歩き始めた。
道の途中では、商人と客が商品の値段について話し合っている。
「もう少し安くならないか?」
「これでも十分に抑えているんですよ。品質を考えれば、お得だと思いますがね」
客は品物を手に取り、しばらく考えてから店員に何か尋ねていた。
街を歩いているだけでも、人々の暮らしや商売の様子が伝わってくる。
自分にとって便利なものでも、相手が必要としていなければ売れない。逆に、こちらでは当たり前のものが、別の場所では珍しい品になることもある。
そんなことを考えながら、俺は再び通りを進んだ。
◇
さらに歩いていると、飲食店が並ぶ一角にたどり着いた。
その中に、エスコフィエが営むレストランもあった。
店の外観を眺めると、料理を扱う店らしい落ち着いた雰囲気が感じられる。客が出入りする様子もあり、店の前を通りかかった人たちから料理の評判が聞こえてきた。
「ここの料理は本当においしいわね」
「ええ。味付けも盛り付けも素晴らしいわ」
「また食べに来たいわね」
どうやら、評判のいい店らしい。
「ここがエスコフィエさんのお店か」
原神で見た覚えはあるが、実際にこうして店の前に立つと、やはり気になるものだ。
ただ、店の名前については、記憶が少し曖昧だった。
「確か、店の名前が長かった気がするんだよな……」
俺は看板を眺めながら首をかしげた。
ゲームで見たことは覚えていても、細かな名前まですべて覚えているわけではない。こういうところは、実際に来てみて初めて気づくこともある。
店の中に入ってみたい気持ちもあったが、今日は外から様子を見るだけにしておこう。
料理人として名の知られた人物なら、どんな料理を出しているのか気になる。とはいえ、いきなり訪ねるより、また別の機会にしたほうがよさそうだ。
店の前を通る客の表情を見ると、料理を楽しみにしている様子が伝わってくる。食事を終えて出てきた人たちも、満足そうに話しながら通りを歩いていた。
俺は店構えを確認してから、その場を離れた。
通りにはほかにも飲食店が並び、食欲をそそる香りが漂っている。
このあたりをもう少し見て回ろうか。
そう考えながら歩いていると、広場の近くにベンチがあるのが見えた。
広場には人の往来があり、近くの店から出てきた人が足を止めて話をしている。ベンチの周りにも何人か座っていたが、その中に一人、見覚えのある女性がいた。
そこに、一人の女性が座っていた。
見覚えのある姿だった。
「……フリーナ?」
思わず小さく声が漏れる。
もちろん、見間違えるはずもない。原神をプレイしてきた俺にとって、彼女はよく知っている人物だった。
フォンテーヌの魔神任務では、彼女を巡ってさまざまな出来事があった。
この世界でも、あの一連の出来事はもう終わっているのだろうか。
ベンチに座るフリーナは、周囲の人々を気にする様子もなく、静かに過ごしているようだった。
かつてフォンテーヌの人々から注目を集めていた彼女も、今は自分の時間を過ごしているように見える。
ゲームで知っているキャラクターが、こうして目の前で普通に暮らしている。その光景は、何度経験しても不思議なものだった。
せっかくフォンテーヌに来たのだから、話しかけてみたい。
けれど、いきなり声をかけたら迷惑だろうか。
有名人だからというだけじゃない。彼女にも、誰にも邪魔されずに過ごしたい時間があるかもしれない。
俺は少し離れた場所で足を止め、フリーナの様子をうかがった。
彼女は手元に視線を落としていたが、特に何かをしているわけではないようだ。周囲の喧騒から少し距離を置き、ただ休憩しているように見える。
無理に話しかける必要はない。そう思いかけたものの、せっかくの機会を逃すのも惜しい。
相手の邪魔にならないよう、まずは挨拶だけしてみよう。
俺は少し距離を詰めて、声をかけた。
「あの、こんにちは」
フリーナが顔を上げた。
「ん? 僕に何か用かな?」
その声には、かつて人々の前で見せていたような大げさな演技はない。それでも、彼女らしい堂々とした雰囲気は残っていた。
「いえ、街を歩いていたら見かけたので。邪魔だったらすみません」
「いや、別に邪魔というわけじゃないよ。少し休んでいただけだからね」
フリーナはそう答え、周囲を軽く見回した。
「君は観光客かな?」
「はい。フォンテーヌに来たのは初めてなので、街を見て回っていました」
「なるほど。初めてなら、見ておくといい場所はたくさんあるよ」
そう言うと、フリーナの表情が少し明るくなった。
「この街には、美しい建物もあれば、素晴らしい舞台芸術もある。食べ物だって見逃せない。せっかく来たのなら、どれか一つだけで満足するのはもったいないからね」
「食べ物もおすすめなんですね」
「もちろんさ!」
フリーナは少し身を乗り出した。
「フォンテーヌの菓子には、見た目だけでなく味にもこだわったものが多いんだ。甘いものが好きなら、ぜひ試してみるといいよ」
「甘いものは好きですよ。故郷でもよく買います」
「それなら話が早いね!」
彼女は満足そうにうなずいた。
さっきまで少し物思いにふけっていたように見えたが、好きなものの話になると自然に表情が変わるらしい。
少し話しただけでも、食べ物や舞台の話が好きなのは伝わってくる。とはいえ、まだお互いの名前も知らない。こちらから一方的に話しかけている状態なので、そろそろ名乗ったほうがよさそうだ。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。俺は山田悠真です」
「ユウマか。僕はフリーナ。よろしく頼むよ」
「フリーナさんですね。よろしくお願いします」
「うん。こちらこそ」
互いに名前を伝えると、少しだけ距離が縮まったような気がした。
俺が名前を口にしたとき、フリーナは一度だけ確かめるように繰り返した。異国の名前だから、聞き慣れないのかもしれない。
「ユウマは、どこから来たんだい?」
「遠いところからです。いろいろな場所を見て回っているんですよ」
異世界から来たことを話すわけにはいかない。俺はいつもどおり、曖昧に答えた。
「そうか。旅をしているんだね」
「そんな感じです。今日はフォンテーヌの街を見て回ろうと思って」
「それなら、いいところに来たね」
フリーナは広場の向こうへ視線を向けた。
「この街は、歩いているだけでも楽しめる場所が多いんだ。通りごとに雰囲気も違うし、少し移動すれば水路の景色も変わる。初めてなら、時間をかけて見て回るといい」
「そうします。まだ見ていないところも多そうですし」
「うん。焦る必要はないよ」
その言葉には、どこか実感がこもっているように聞こえた。
無理に事情を尋ねる必要はないだろう。
俺たちはしばらく、街の見どころや食べ物の話を続けた。
◇
話が一段落したころ、フリーナがベンチの背もたれに軽く寄りかかった。
「ところで、ユウマはこのあとどこへ行くつもりなんだい?」
「特に決めていません。街を歩いて、気になった場所に立ち寄ろうと思っています」
「そうか。なら、僕が少し案内してあげようか?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。今日はたまたま休みでね。少しゆっくりしていたところさ。街を歩くくらい、どうということはないよ」
フリーナは何でもないことのように言った。
今日は休みで、特に予定もなかったのだろう。けれど、言い方には少しばかり見栄を張っているような雰囲気もある。
こちらとしては、わざわざ指摘することでもない。
「それなら、お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろんさ。せっかく知り合ったんだ。フォンテーヌのことを少しでも知ってもらえたら嬉しいよ」
「ありがとうございます」
フリーナは立ち上がり、服の裾を軽く整えた。
「それじゃあ、行こうか」
「お願いします」
こうして、俺はフリーナと一緒にフォンテーヌの街を歩くことになった。
歩き始めてすぐ、フリーナは通りの先にある建物を示した。
「まずは、あちらを見てみよう。あの建物は外観にも特徴があるんだ」
「確かに、装飾が細かいですね」
「そうだろう? 近くで見ると、また違った印象になるよ」
彼女は建物の特徴を簡単に説明してくれた。専門的な話を延々と続けるというより、自分が気に入っている場所や、街を歩くときに目に留まるものを話してくれる。
その話し方は、誰かに見せるための説明というより、好きな街を知人に紹介しているようだった。
建物の前で少し足を止め、外壁の装飾を眺める。細かな模様は遠くからでも目立つが、近くで見ると一つ一つの形が違っていた。
「こういうところまで作り込まれているんですね」
「街を歩くときは、そういう細かなところにも目を向けると面白いよ」
「そうですね。急いで通り過ぎたら気づかないですね」
「そういうものさ。目的地に向かうだけなら、見落としてしまうものも多いからね」
言われて周囲を見渡すと、建物の壁や窓、欄干など、細かな部分にも工夫が見られた。
ただ通り過ぎるだけでは気づかないものも多い。
「フリーナさんは、こういう街歩きもよくするんですか?」
「そうだね。以前よりは、自分の時間を持てるようになったから」
彼女は少しだけ間を置いてから、続けた。
「誰かに見られていることを気にせず、自分の好きな場所へ行ったり、好きなものを食べたりする。そういう何気ない時間も、案外いいものなんだ」
「そうですね。予定を決めずに歩くのも、意外と楽しいです」
「うん。思いがけない発見があるからね」
フリーナはそう言って、街の先へ視線を向けた。
その横顔からは、さっきベンチに座っていたときの静かな雰囲気が少し薄れていた。
◇
しばらく歩いたあと、俺たちは水路の近くへ出た。
水路沿いには人が行き交い、船着き場の近くでは乗客が乗り降りしている。船が水面を進むたび、周囲に小さな波が広がっていた。
ちょうどアクアバスが停まっており、乗客が乗り降りしている。
その姿を見た瞬間、俺は足を止めた。
「これがアクアバスか。すごく乗ってみたいです」
ゲームで見ていた乗り物が、実際に目の前で動いている。船体の大きさや、水面に浮かぶ様子を眺めていると、乗ってみたいという気持ちが自然に湧いてきた。
「興味があるのかい?」
「あります。歩いているときとは違う景色が見られそうですから」
「それなら、乗ってみるかい?」
フリーナが提案した。
「いいんですか?」
「もちろん。せっかくフォンテーヌに来たんだから、アクアバスも楽しんでいくといいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えます」
「それなら決まりだね」
乗り場の案内を確認する。乗り方や行き先を確かめてから、俺たちは乗船することにした。
乗客の流れに合わせて船へ乗り込む。座る場所を探して腰を下ろすと、船内からは水の音や乗客たちの話し声が聞こえてきた。
しばらくすると、船がゆっくりと動き出した。
水面が後ろへ流れていく。街並みも歩いているときとは違う角度から眺められた。
橋の下をくぐり、建物の間を進む。船が進むにつれて、さっきまで歩いていた通りが少しずつ遠ざかっていく。乗客たちは景色を楽しみながら、それぞれ会話を交わしていた。
「こうして見ると、また印象が違いますね」
「そうだろう? 歩いて見る街もいいけれど、水の上から眺める景色も悪くないんだ」
フリーナは満足そうにうなずいた。
「建物の高さや水路の広さも、乗ってみるとよく分かりますね」
「そうなんだ。橋の上から見るのとも違うだろう?」
「はい。水路の中から街を眺める機会は、なかなかないですから」
「気に入ってくれたならよかったよ」
フリーナは窓の外へ視線を向けた。
「僕も、こうしてのんびり過ごすのは嫌いじゃないよ」
「忙しいと、こういう時間も貴重ですよね」
「本当にね」
短いやり取りのあと、俺たちはしばらく景色を眺めた。
水面に反射した光が揺れ、建物の影がゆっくりと流れていく。橋を渡る人たちがこちらを見ていることもあれば、船に気づかず通り過ぎていく人もいた。
特別なことを話さなくても、気まずさはなかった。
初対面の相手と一緒にいるのだから、もっと緊張するかと思っていたが、フリーナは思っていたよりも自然に接してくれている。
もちろん、まだお互いに知らないことは多い。それでも、こうして同じ景色を楽しめるのは嬉しかった。
やがてアクアバスは次の乗り場へ近づいていった。
乗客たちが降りる準備を始める。俺たちも周囲の流れに合わせて立ち上がり、船を降りた。
◇
アクアバスを降りたあと、俺たちは飲食店が並ぶ通りへ向かった。
船に乗っている間に、少し時間が経っていた。街を歩いているときは気づかなかったが、そろそろ食事を考えてもいいころだ。
「そろそろ食事にしようか。君は何か食べたいものはあるかい?」
「そうですね。せっかくですし、フォンテーヌらしい料理を食べてみたいです」
「それなら、僕に任せてくれたまえ!」
フリーナは自信たっぷりに胸を張った。
「実は、君におすすめしたい店があるんだ。料理がおいしいのはもちろん、盛り付けにもこだわりがあるんだよ」
「へえ、そんなお店があるんですね」
「あるとも。僕が保証するよ」
「そこまで言われると、期待しちゃいますね」
「ふふん。期待してくれて構わないよ」
そう言って歩き出すフリーナについていく。
飲食店が並ぶ通りには、店ごとに違った香りが漂っていた。焼いた肉の香ばしい匂い、焼き菓子の甘い香り、煮込み料理のような温かな匂い。歩いているだけで、どの店に入ろうか迷ってしまいそうになる。
フリーナは迷う様子もなく、慣れた足取りで先へ進んでいく。
「よく来るお店なんですか?」
「そうだね。気に入っている店の一つだよ。料理の味はもちろん、見た目にもこだわっているからね」
「フリーナさんは、料理の見た目も気にするんですね」
「当然さ。料理は味だけで完成するものじゃない。目で楽しむことも大切だからね」
彼女は当然のことのように答えた。
しばらくすると、先ほど外から眺めた店の前にたどり着いた。
「あれ、ここって……」
「知っているのかい?」
「いえ、さっき通りかかって、外から見ていたんです。評判がよさそうだったので、気になっていました」
「それなら、ちょうどよかったね。ここは料理がおいしいんだ。僕も気に入っているよ」
フリーナは店の入口へ向かう。
「さあ、入ろう」
「はい、楽しみです」
店内は落ち着いた雰囲気で、客たちは料理を楽しみながら会話をしていた。
外から見た印象よりも、店内はゆったりとしている。席と席の間にも余裕があり、料理を楽しむための空間が整えられていた。
厨房のほうからは、調理する音が聞こえてくる。食材を切る音や、鍋や器具が触れ合う音が時折響き、料理が作られている様子を想像させた。
エスコフィエの姿は見当たらない。奥にいるのかな。
せっかく店まで来たのだから本人にも会ってみたい気持ちはあるが、今日は店を訪ねるために来たわけではない。厨房の奥にいるのかもしれないし、今は仕事に集中しているのだろう。無理に探すことはせず、今日は料理を楽しむことにした。
俺たちは案内された席に座り、メニューを確認する。
料理の名前を見ても、すぐには想像できないものがいくつかあった。食材の名前からある程度予想できるものもあるが、調理方法や味付けまでは分からない。
「どれにするか迷いますね……」
「初めてなら、気になったものを選んでみるのもいいと思うよ。もちろん、僕のおすすめを頼んでもいいけれどね」
「それなら、おすすめを教えてもらえますか?」
「任せてくれたまえ」
フリーナは嬉しそうにメニューを指し示しながら、料理の特徴を説明してくれた。
食材の組み合わせや、どんな味付けなのか。見た目だけでは分からない部分も、彼女の説明を聞くと少しずつ想像できる。
「これは見た目が華やかだけど、味は意外と落ち着いているんだ。こちらは香りがいいね。初めてなら、このあたりもおすすめだよ」
「詳しいですね」
「ふふん。食べることについてなら、僕だってそれなりに詳しいさ」
少し得意げな表情を見せるフリーナに、俺は思わず笑ってしまった。
「それなら、そのおすすめを頼んでみます」
「いい選択だと思うよ」
俺はその中から気になったものを選び、注文を済ませた。
料理を待つ間も、店内の様子を眺めていた。
客たちはそれぞれ食事を楽しんでいる。料理が運ばれてくると、皿を見て嬉しそうに話す人もいれば、すぐにナイフやフォークを手に取る人もいた。
厨房からは相変わらず調理する音が聞こえてくる。料理人たちが忙しく動いているのだろう。
「ここはいつもこんな感じなんですか?」
「時間帯によって違うけれど、食事時は賑わっていることが多いね。人気のある店だから」
「なるほど。外から見たときも、お客さんが出入りしていましたね」
「それだけ料理を楽しみにしている人が多いということさ」
そんな話をしているうちに、料理が運ばれてきた。
皿の上には、彩りよく盛り付けられた料理が並んでいる。見た目にも丁寧に仕上げられていて、食べる前から期待が高まった。
「おお、これはうまそうですね」
「そうだろう? 見た目も料理の大切な要素だからね」
フリーナは満足そうに笑った。
「それじゃあ、いただきます」
一口食べてみる。
使われている食材も味付けも、普段日本で食べる料理とは違っていた。けれど、素材の味が生かされていて、全体のまとまりもいい。
「おいしいですね、これ」
「気に入ったようで何よりだよ」
フリーナも自分の料理を口に運んだ。
「料理というのは、味だけでなく、香りや見た目、それに食べるときの雰囲気も大事なんだ。こうして誰かと一緒に食べると、また違った楽しさがあるだろう?」
「そうですね。一人で食べるのも気楽ですけど、誰かと話しながら食べるのもいいですね」
「うん。そういう時間も大切にしたいものだね」
料理を楽しみながら、俺たちは食べ物や街の話を続けた。
フリーナは、フォンテーヌの菓子や料理について話すとき、自然と熱が入る。どんな味が好みか、見た目にどんな工夫があるか、話題はさまざまだった。
「甘いものも好きだけど、食事として楽しめる料理にも魅力があるんだ。見た目が美しいだけじゃなく、食べてみて初めて分かる工夫もあるからね」
「なるほど。そういうところまで意識して食べると、また違って感じられそうですね」
「そのとおりさ!」
彼女は嬉しそうにうなずいた。
「普段から、こういう店に食べに来るんですか?」
「いつもというわけではないよ。気分転換に出かけたり、気になるものを食べに行ったりすることはあるけれどね」
「好きなものを食べに行けるのはいいですね」
「そうだね。以前は、そういう当たり前のことにも気を遣う必要があったから」
フリーナは料理に目を落とし、少しだけ表情を和らげた。
「今は、自分で行きたい場所を選べる。食べたいものを食べられる。それだけでも、ずいぶん違うものだよ」
「自分の時間を楽しめるようになったんですね」
「うん。そういうことさ」
それ以上、俺から詳しく尋ねることはしなかった。
彼女が過去にどんな経験をしてきたのか、俺はゲームの知識としてある程度知っている。けれど、本人の口から話していないことまで、知っているように振る舞うのは違うだろう。
今は、目の前の食事と会話を楽しめばいい。
話題はやがて、劇場や舞台芸術のことへ移っていった。
「舞台は、演じる人だけで完成するものではないんだ。脚本や音楽、舞台装置、それに観客の反応も含めて、一つの作品になるからね」
「そう考えると、いろいろな人が関わっているんですね」
「そのとおり。だからこそ、素晴らしい舞台に出会えたときは嬉しいんだ」
彼女の言葉には、舞台を大切に思う気持ちが表れていた。
俺は専門的なことを詳しく知っているわけではないが、好きなものについて楽しそうに語る姿を見るのは好きだった。
「今度は、実際に舞台も見てみたいです」
「それはいい考えだよ。機会があれば、ぜひ見ていくといい」
「おすすめの演目とかありますか?」
「そうだね……。そのときに上演されているものにもよるけれど、初めてなら、まずは自分が興味を持てるものを選ぶといい。無理に難しいものを見る必要はないからね」
「なるほど。最初は楽しめそうなものを選んでみます」
「うん。それがいいよ」
食事をしながら、舞台の話を聞く。こうして話していると、フリーナがどれだけ舞台を大切にしているのかが伝わってくる。
彼女は自分の好きなことを話すとき、言葉の端々に楽しさがにじんでいた。
料理も会話も、思っていた以上に楽しい時間になっていた。
◇
食事を終えるころには、最初に出会ったときの距離感も、少しずつ薄れていた。
もちろん、今日一日で何もかも分かったわけではない。フリーナにも、彼女にしか分からない日々があり、俺にも彼女に話していない事情がある。
それでも、街を歩き、景色を眺め、おいしいものを食べながら話をする。そんな時間を一緒に過ごせたことは、素直に楽しかった。
店を出ると、外には相変わらず人々の行き交う光景が広がっていた。
「今日は案内してくれてありがとうございました。おかげで、いろいろ楽しめました」
「いや、僕も楽しかったよ。誰かと街を歩くのも、たまにはいいものだね」
フリーナは少し笑ってから、こちらを見た。
「またフォンテーヌに来ることがあったら、街を見て回るといい。今日行かなかった場所にも、面白いものがあるからね」
「はい。また来たら、いろいろ見てみます」
「うん。それじゃあ、またね」
「また」
俺たちはそこで別れた。
フリーナは人通りの向こうへ歩いていき、やがて街並みに紛れて見えなくなった。
◇
その後、俺はもう少しだけ街を歩くことにした。
千織のブティックやエスコフィエの店は、今日は外から眺めただけだ。気になる場所はまだまだあるし、次に来たときには、また違った景色や出会いがあるだろう。
買い物をしている人々、仕事の合間に休憩している人々、友人同士で話しながら歩く人々。
それぞれが、それぞれの日常を過ごしている。
観光名所を巡るだけでも楽しいが、こうした何気ない光景を眺めるのも、異世界を旅する醍醐味なのかもしれない。
通りを歩きながら、気になった店の看板を眺めたり、水路の向こうに見える建物を確かめたりする。さっきフリーナに案内してもらった場所も、今度は一人で歩いてみると、また違った印象になるかもしれない。
今日は予定を決めずに出てきたが、結果的には充実した一日になった。
日が傾き始めたころ、俺は帰ることにした。
今日一日で、フォンテーヌのすべてを見て回れたわけではない。それでも、街並みを眺め、軽食を味わい、アクアバスに乗り、フリーナと話をすることができた。
十分に充実した一日だったと思う。
俺は解放済みのワープポイントを使い、帰還の準備を整えた。
◇
日本の自宅に戻ると、見慣れた部屋の光景が目に入った。
パソコンの前に座り、ひと息つく。
「今日は楽しかったな」
フリーナとの街歩きは、思っていた以上に印象に残るものだった。
舞台の話をするときの生き生きとした表情や、料理を楽しんでいた様子。ベンチに一人で座っていたときは少し考え込んでいるように見えたが、街を歩くうちに自然な笑顔も見せてくれた。
彼女にも、彼女なりの生活があるのだろう。
そんなことを考えながら、今日の出来事を振り返っていたとき、ふと別のことに気づいた。
「……そういえば」
俺がゲームの知識として知っている魔神任務のストーリーは、スネージナヤ編の序盤までだ。
もちろん、フォンテーヌの魔神任務についても知っている。
今日、実際にフォンテーヌの街を歩き、フリーナと話をしたことで、ゲームで見ていた物語の先にある日常を目にしたのだと改めて感じた。
フリーナは一人でベンチに座っていたものの、街を歩き、好きなものについて話し、自然に笑っていた。かつて人々の前で担っていた役割とは別に、自分自身の時間を過ごしているように見えた。
街の人々も、それぞれの日常を送っていた。
ゲームで知っていた展開を思い返すと、フォンテーヌの魔神任務も、もう終わっているのだろう。
「……そっか。フォンテーヌの魔神任務も、もう終わってるんだな」
そう考えると、今日のフリーナとの会話も、また違った意味を持って感じられた。
物語の中で描かれていた出来事だけでなく、その先にある人々の生活も、この世界では続いている。
フリーナがどんな経験をして、今の生活に至ったのか。ゲームの知識があっても、実際に目の前で話した彼女の気持ちまですべて分かるわけではない。
それでも、物語の先にある日常を、こうして実際に見ることができたのだ。
「ゲームで知っていることと、実際に来て分かることは、やっぱり違うな」
俺はそうつぶやいた。
フォンテーヌには、まだ訪れていない場所も、会っていない人たちもいる。
次に来るときは、また別の景色を見てみよう。気になる店に入ってみるのもいいし、今日のように予定を決めずに歩くのも悪くない。
そう考えながら、俺は次の休日に思いを巡らせた。