原神の世界に通えるようになったので、モンドを拠点に異世界生活を楽しみます 作:ところてんの
休日の朝。
俺はモンドの街を歩いていた。
今日は冒険者ギルドで依頼を受ける予定もなければ、商品を売る予定もない。
前回はグッドハンターで食事をして、酒場にも立ち寄った。モンドの料理や人々の暮らしについて知ることができたのは、なかなか有意義だったと思う。
ただ、毎回何かを調べたり、商売の参考になる情報を集めたりする必要もないだろう。
せっかく異世界に来ているのだから、目的を決めずに街を歩く日があってもいい。
「今日は、のんびり観光でもするか」
俺は空を見上げた。
澄んだ青空が広がっている。
風は穏やかで、街の中を歩くにはちょうどいい天気だった。
石畳の道を進むと、露店の準備をしている商人や、買い物に出かける住民の姿が目に入る。
子どもたちが楽しそうに走り回り、店先では店員が商品を並べていた。
特別なことが起きているわけではない。
けれど、こういう何気ない光景を見るのは嫌いではなかった。
ゲームを遊んでいた頃は、街の中を移動するときも、目的地へ向かうことが中心だった。
必要な店に寄り、依頼を確認し、次の目的地へ進む。
それ自体はゲームとして自然な遊び方だ。
しかし、実際にこの世界へ来てみると、目的地までの道にも見るべきものがある。
建物の窓から聞こえてくる話し声。
道端に置かれた荷物。
店先から漂ってくる焼きたてのパンの香り。
風に揺れる旗。
そうした細かなものが、街の雰囲気を作っている。
俺は足を止め、通りの向こうに見える風車を眺めた。
モンドを象徴する景色の一つだ。
ゲームの画面でも何度も見てきたはずなのに、実際に風を受けながら眺めると、少し違った印象を受ける。
羽根がゆっくりと回り、青空の下で影を落としている。
ただの背景ではない。
この街に暮らす人々が、毎日のように目にしている風景なのだ。
「……いいな、こういうの」
自然と、そんな感想が漏れた。
俺は再び歩き始めた。
今日は時間を気にせず、気になった場所に立ち寄ってみよう。
どこかで食事をしてもいいし、気に入った景色があれば、しばらく眺めていてもいい。
何かを成し遂げなくても、休日は休日だ。
そんな気楽な気持ちで、俺はモンドの街を散策することにした。
◆
街を歩いているうちに、俺はモンドの入口へ続く橋の方へやって来た。
橋の上には、見覚えのある少年が立っていた。
欄干のそばで、川の方をじっと見つめている。
その視線の先には、何羽もの鳩がいた。
……ティミーか。
ゲームでも見かける、あの男の子だ。
ティミーは鳩たちを眺めながら、静かに立っていた。鳩たちは人間に慣れているのか、橋の上を歩き回ったり、羽を休めたりしている。
俺は少し離れたところで足を止めた。
そういえば、鳩に餌をあげることもできたはずだ。
せっかくだし、俺もやってみるか。
持ってきた荷物を確認すると、日本で買ってきたパンが入っていた。
自分で食べるつもりだったものだが、少しくらいなら分けてもいいだろう。
俺はパンを取り出し、手で小さくちぎった。
それから、鳩たちを驚かせないように、橋の端に少しずつ置いていく。
最初に近づいてきた一羽は、警戒するように首を動かしながらパンを見つめていた。
やがて、周囲を確かめるように一度顔を上げると、パンをついばんだ。
それを見たほかの鳩たちも、次々と集まってくる。
「おお、食べた食べた」
思わず声が出た。
小さくちぎったパンを置くと、鳩たちは競い合うように集まってきた。
近くまで来ると、足元をちょこちょこと歩き回るものもいる。
思っていた以上に人に慣れているらしい。
俺は残ったパンを、鳩たちが食べやすい大きさにちぎっていった。
すると、隣にいたティミーがこちらを向いた。
「こんにちは」
俺から声をかけると、少年は少し驚いたように目を瞬かせた。
「……こんにちは」
「鳩が好きなの?」
「うん。ここの鳩たちは、いつも見ているんだ」
ティミーは再び鳩たちへ視線を戻した。
その様子から、ただ鳩を眺めているだけでも、彼にとっては大切な時間なのだと感じた。
「そっか。俺も、こうして餌をあげるのは初めてなんだ」
「そのパン、どこで買ったの?」
「ああ、これは俺の故郷から持ってきたものなんだ。日本っていう、遠い国のパンだよ」
「日本……?」
「うん。ここからはずっと遠い場所だね」
説明は少し難しかったかもしれない。
それでも、ティミーはパンをついばむ鳩たちを見ながら、興味深そうに聞いていた。
「このパン、おいしいのかな?」
「どうだろう。人間が食べるためのものだからね」
俺は苦笑した。
鳩にとっておいしいかどうかまでは分からないが、少なくとも食べてくれている。
ただ、何でも与えていいわけではないだろう。鳩の体に悪いものを食べさせるのは避けたいし、今日は持ってきたパンを少し分ける程度にしておこう。
俺は残りのパンを確認し、最後のひとかけらを小さくちぎった。
鳩たちはそれをついばみ、満足したのか、少しずつ散らばっていった。
「……こういう時間も、いいな」
俺が呟くと、ティミーがこちらを見た。
「え?」
「いや、なんでもないよ。鳩って、見ていると飽きないなと思って」
「うん。みんな、かわいいから」
ティミーは、鳩たちを見ながら微笑んだ。
その言葉には迷いがなかった。
好きなものを好きだと言えるのは、いいことだと思う。
俺は手についたパンくずを払い、少年に声をかけた。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「うん。またね」
「またね」
ティミーに別れを告げ、俺は橋を離れた。
特別な出来事があったわけではない。
ただ、日本から持ってきたパンをちぎって、鳩たちに餌をあげただけだ。
それでも、こういう何気ない体験が、あとになって思い出に残るのかもしれない。
ゲームで見ていた場所で、ゲームで見かけた少年と、実際に言葉を交わした。
そんな小さな出来事が、俺にとっては楽しかった。
◆
橋を離れた俺は、再び街の中へ戻った。
先ほどまで見ていた風景も、歩く場所が変われば違って見える。
露店では店員が客に商品を説明し、買い物を終えた住民が袋を手に歩いていた。
俺は以前、あの場所で商品を売ったことを思い出した。
客が立ち止まってくれるか、商品に興味を持ってくれるか。売れた数や受け取ったモラが気になって、何度も周囲を見ていたものだ。
けれど、今日は違う。
俺はただの通行人として、街の様子を眺めていた。
商売のことを考え始めると、どうしても頭の中で分析してしまう。
値段は適切なのか。
説明の仕方に工夫はないか。
どんな商品が売れそうなのか。
そうしたことを考えるのも楽しいが、ずっとそればかりでは疲れてしまう。
「今日は仕事のことは忘れよう」
自分に言い聞かせ、俺は露店から離れた。
そもそも、テイワットへ来るようになった理由は、商売をするためだけではない。
異世界の景色を見て、知らない場所を歩き、ゲームで知っていた世界を自分の目で確かめる。
そういう楽しみもあったはずだ。
俺は広場の端にあるベンチを見つけ、腰を下ろした。
目の前では、住民たちが思い思いに過ごしている。
買い物帰りらしい女性が荷物を持ち直し、子どもが親に何かをねだっている。
近くの店からは、食事をする人たちの声が聞こえてきた。
俺はしばらく、その光景を眺めていた。
日本で暮らしているときも、休日に街を歩くことはある。
けれど、ここで見ている景色は、どこか新鮮だった。
中世風の街並み。
異世界らしい服装の人々。
ゲームで見たことのある建物。
それらが当たり前のものとして存在している。
それでも、そこで暮らす人たちにとっては、特別な景色ではないのだろう。
毎日通る道であり、いつもの買い物先であり、友人と待ち合わせる場所なのだ。
そう考えると、少し不思議な気持ちになる。
俺にとっては夢のような場所でも、ここに住む人たちにとっては日常なのだ。
「……まあ、俺も少しずつ慣れてきたけど」
最初の頃は、街を歩くだけでも妙に緊張していた。
ゲームの中に入ったような感覚が抜けず、見るものすべてに驚いていた気がする。
今では、道を歩いて店を探すことにも慣れてきた。
それでも、ふとした瞬間に、ここが本当に異世界なのだと思い出す。
そんな感覚も、悪くない。
俺はベンチから立ち上がり、広場の奥へ向かった。
◆
しばらく歩いていると、どこからか音楽が聞こえてきた。
軽やかな旋律だ。
人々の話し声に混じって、弦楽器の音が風に乗って届いてくる。
俺は自然と足を止めた。
音のする方向へ目を向けると、広場の一角で、一人の少年が楽器を演奏していた。
緑を基調とした服装に、羽根のついた帽子。
手にした楽器を軽快に奏でながら、楽しそうに歌っている。
……あれは。
俺は、その姿に見覚えがあった。
ウェンティ。
モンドで吟遊詩人をしている少年だ。
ゲームで何度も見てきたキャラクターの一人。
もちろん、ゲームで知っている情報が、そのまま目の前の彼に当てはまると決めつけるわけにはいかないだろう。
それでも、ウェンティの演奏には、思わず足を止めてしまう魅力があった。
旋律は軽やかで、聞いているだけで気分が明るくなる。
歌声もよく通り、街のざわめきの中でも不思議と耳に残った。
演奏を聞いている人たちの中には、足を止めて聴き入っている人もいる。
曲が終わると、何人かが拍手を送った。
ウェンティは嬉しそうに笑い、帽子に手を添えて一礼した。
「ありがとう! 気に入ってくれたなら、吟遊詩人としてうれしいよ」
その声に、周囲から小さな笑いが起きる。
どうやら、彼はこうして街の人たちを楽しませているらしい。
俺も拍手を送りながら、少しだけ近づいた。
「いい演奏でした」
「おっ、ありがとう! 君も音楽が好きなの?」
ウェンティがこちらを向いた。
近くで見ると、やはりゲームで見た姿そのものだ。
ただ、実際に目の前にいると、画面越しでは分からない表情の変化や、声の響きまで伝わってくる。
「詳しいわけじゃないですけど、聞くのは好きですね」
「それならよかった。音楽は、詳しくなくても楽しめるものだからね」
ウェンティは気さくに笑った。
「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったね。僕はウェンティ。モンドで吟遊詩人をしているんだ」
「俺は悠真です。最近、モンドに来たばかりなんですよ」
「へえ、悠真か。よろしくね!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺は笑顔で頷いた。
「気分が落ち込んでいるときでも、楽しいときでも、音楽はそばにいてくれる。そういうものだと思うんだ」
「確かに、そうかもしれません」
俺は頷いた。
音楽の専門知識がなくても、好きな曲を聞けば気分が変わることはある。
仕事で疲れたときに音楽を聞くこともあるし、気分転換に動画や配信を見ることもある。
音楽には、そういう力があるのだろう。
「ところで、君はモンドの人?」
「いえ、最近こちらに来たばかりです」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、まだ知らない場所も多いのかな?」
「そうですね。少しずつ街を歩いているところです」
「それはいいね! 知らない街を歩くのって、わくわくするものだよ。思いがけない出会いもあるし、おいしいものが見つかることだってある」
「今日は、まさにそんな感じで歩いていました」
「おっ、いい過ごし方をしているね」
ウェンティは楽しそうに頷いた。
「せっかくモンドにいるんだから、あまり急がずに楽しむといいよ。風は、いつだって好きなところへ吹いていくものだからね」
風。
モンドらしい言葉だと思った。
この街は自由の国と呼ばれている。
もちろん、自由といっても、何でも好き勝手にしていいというわけではないだろう。
それでも、人々の暮らしには、どこか肩の力が抜けたような雰囲気がある。
ウェンティの言葉にも、そうした空気が感じられた。
「そういえば、さっきの曲は自分で作ったんですか?」
「うん! もちろん、昔から伝わっている歌も演奏するけど、自分で作るのも好きなんだ」
「すごいですね。曲を作るのって難しそうです」
「難しいときもあるよ。でも、風の音や街の声、旅先で出会った人たちの話から、ふっと旋律が浮かぶこともあるんだ」
ウェンティは楽器を軽く持ち上げた。
「大切なのは、いろんなものを見て、聞いて、感じることかな。そうすれば、いつか歌にしたくなるものが見つかるかもしれない」
「なるほど……」
俺は少し考えた。
これまでの俺は、何かをするために街を歩くことが多かった。
依頼を受けるため。
商品を売るため。
必要なものを買うため。
もちろん、それらも大切なことだ。
でも、目的がなくても、街を歩いて見聞きしたことが、あとから何かにつながることはあるのかもしれない。
今日だって、最初はただ散歩するつもりだった。
それなのに、橋で鳩に餌をあげたり、こうしてウェンティの演奏を聞いたりしている。
こういう偶然も、異世界で暮らす楽しみの一つなのだろう。
「ありがとうございます。今日は、のんびり歩くつもりだったので、ちょうどよかったです」
「ふふっ。それなら、僕の演奏も役に立ったかな?」
「はい。いい気分転換になりました」
「それはよかった!」
ウェンティは満足そうに笑った。
改めて見ると、やっぱり顔立ちが整っている。
小柄な体つきに、柔らかい表情。緑を基調とした服装もよく似合っているし、仕草もどこか軽やかだ。
……いや、やっぱり女の子に見えるなー。
ゲームで知っているから、ウェンティが男だということは分かっている。
分かっているのだが、実際に目の前にいると、どうにも第一印象がそちらへ引っ張られる。
別に、男か女かを間違えたわけではない。
ただ、見た目だけで判断したら、勘違いする人もいるんじゃないだろうか。
少なくとも、初対面で性別を知らなかったら、俺は一瞬迷ったかもしれない。
……いや、さすがに本人には言わないけど。
「ん? どうかした?」
ウェンティが不思議そうに首を傾げた。
「いえ、何でもないです」
「ふーん? まあ、いいけど」
ウェンティは少し不思議そうな顔をしたものの、すぐにいつもの笑顔に戻った。
危ない。
初対面でいきなり失礼なことを言うほど、俺も無神経じゃない。
そもそも、本人が気にしているとも限らないのだから、わざわざ口にする必要もないだろう。
俺は何事もなかったように話を続けた。
「ところで、ウェンティさんは普段からここで演奏しているんですか?」
「うん。毎日というわけじゃないけど、気が向いたときにね。街の人たちが楽しんでくれるなら、僕もうれしいから」
「いいですね。こういう演奏が聞けるのも、街の魅力なんでしょうね」
「そうだね。モンドには音楽を楽しむ人も多いし、歌にまつわる話もたくさんあるよ。気になるなら、今度ゆっくり聞かせてあげようか?」
「ぜひお願いします」
「約束だよ?」
ウェンティは、いたずらっぽく笑った。
軽い調子で言っているようにも聞こえるが、演奏を気に入ってもらえたことを喜んでいるのは本当なのだろう。
俺は頷いた。
「はい。また聞かせてください」
「うん! それじゃあ、僕はもう少し演奏していくよ。君も、よい一日を!」
「ウェンティさんも」
そう言って、俺はその場を離れた。
背後では、再び弦楽器の音が響き始めていた。
軽やかな旋律が風に乗り、広場のざわめきに溶け込んでいく。
俺は歩きながら、先ほどの会話を思い返した。
ウェンティは、気さくで話しやすい人物だった。
音楽を楽しみ、街を歩き、食事を楽しむことを肯定してくれる。
ただ、何となく不思議な雰囲気もある。
言葉の選び方や、時折見せる意味深な笑顔。
単なる吟遊詩人というだけでは説明できないような、独特の空気を感じた。
……まあ、初対面で全部分かるわけもないか。
俺は考えを切り替え、再び街の散策を楽しむことにした。
◆
広場を離れた俺は、少し遠回りをしながら街を歩いた。
風が吹くたび、軒先に吊るされた飾りが揺れる。
建物の間を抜ける風は、時折、思いがけない方向から頬を撫でていった。
モンドは風の街だ。
そのことを、今日はいつも以上に実感する。
風車が回り、旗が揺れ、街の人々の髪や服が風になびく。
目に見えない風が、街のあちこちに存在している。
もちろん、日本でも風は吹く。
けれど、ゲームで見ていた景色と、実際に風を感じながら歩く体験は、やはり違った。
俺は建物の影で足を止め、空を見上げた。
青い空に、白い雲がゆっくりと流れている。
急いで何かをする必要はない。
今日の予定は、街を散策して、気になったものを楽しむこと。
それだけだ。
俺は再び歩き始めた。
途中、食べ物を売る露店が目に入った。
香ばしい匂いに引かれて近づくと、店先には焼きたての軽食が並んでいる。
さっき食事をしたばかりというわけでもないが、こういうものを見ると、つい気になってしまう。
「すみません、これ一つください」
「はいよ。少し待ってな」
店員は手際よく商品を包み、俺に渡してくれた。
代金を支払い、受け取った軽食をひと口食べる。
表面は香ばしく、中は温かい。
食べ慣れない味ではあるが、妙に落ち着く味だった。
「これも、おいしいな」
俺は歩きながら、ゆっくりと食べた。
こういう小さな楽しみも、街歩きの魅力だろう。
わざわざ有名な店へ行かなくても、露店で買った軽食が思い出に残ることだってある。
ゲームでは、アイテムとして手に入れた料理を使うことが多かった。
けれど、実際に食べてみると、温度や食感、香りまで感じられる。
同じ料理でも、受ける印象はずいぶん違うものだ。
俺は食べ終えた包みを片づけ、近くのゴミ箱に捨てた。
街を楽しむなら、こういうところにも気をつけたい。
自分が気持ちよく過ごすだけでなく、ほかの人たちも気持ちよく暮らせるようにする。
それも、街の中で生活するうえでは大切なことだろう。
◆
食事を終えた俺は、街の外へ続く道を少しだけ歩いてみることにした。
遠くまで行くつもりはない。
今日は観光が目的なので、危険な場所へ向かう必要もないだろう。
街の出入口付近では、荷物を積んだ荷車が通り過ぎていった。
護衛らしき冒険者が周囲を確認し、商人が荷物の状態を確かめている。
街の中で暮らしているだけでは、こうした人たちの仕事を意識する機会は少ない。
けれど、街の外から物資が運ばれてくるからこそ、店に商品が並び、人々は食事や買い物を楽しめる。
当たり前の生活も、多くの人の仕事によって支えられているのだ。
俺は道の脇に寄り、荷車が通り過ぎるのを待った。
その様子を見ていると、商売についても少し考えてしまう。
俺が日本から商品を持ち込むのは、こちらの流通とは別の方法だ。
今は少量を自分で運んでいるだけなので、規模も小さい。
それでも、商品を仕入れ、運び、販売するという流れは変わらない。
いつか規模を大きくするなら、輸送や保管についても考える必要が出てくるだろう。
……いや、今日は仕事のことを忘れるんだった。
俺は軽く頭を振った。
せっかくの休日なのだから、商売のことばかり考えていても仕方ない。
目の前の景色を楽しもう。
道の向こうには、モンドの城壁が続いている。
街を守る壁。
その内側では、人々が普段どおりの生活を送っている。
俺も、今はその中にいる。
そう考えると、少しだけ不思議な気分になった。
◆
街へ戻る途中、俺は再び広場の近くを通った。
先ほどウェンティが演奏していた場所には、まだ何人かの人が集まっている。
ただ、今は別の演奏者が楽器を奏でていた。
街では、こうして音楽を楽しむ機会があるらしい。
誰かが演奏し、誰かが立ち止まり、誰かが拍手を送る。
そうした光景が、日常の一部になっているのだろう。
俺は少し離れた場所から演奏を聞き、しばらくして歩き出した。
そのとき、ふとウェンティの言葉を思い出した。
――いろんなものを見て、聞いて、感じること。
それが、いつか歌につながることもある。
俺は吟遊詩人ではないし、音楽を作るつもりもない。
それでも、街を歩いて感じたことは、自分の中に残っていく。
今日の風景も、食べた料理の味も、ウェンティとの会話も。
すぐに何かへ役立つわけではないだろう。
けれど、そうした経験が増えていけば、テイワットでの暮らしも、少しずつ自分のものになっていくのだと思う。
「……来てよかったな」
俺は小さく呟いた。
今日の散策は、これで十分だろう。
無理に予定を詰め込む必要はない。
まだ訪れていない場所はたくさんあるし、食べてみたい料理もある。
また次の休日に、少しずつ楽しんでいけばいい。
俺は人通りの少ない場所へ移動し、システムを操作した。
視界の端に表示されたメニューから「ログアウト」を選ぶ。
次の瞬間、モンドの景色が消えた。
◆
日本の自室に戻ると、俺は椅子に腰を下ろした。
「……ふう」
いつもの部屋だ。
パソコンも、机も、読みかけの小説も、出かける前と同じ場所にある。
けれど、頭の中には、モンドで過ごした一日の光景が残っていた。
風車の回る街並み。
橋で餌をあげた鳩たち。
ティミーとの短い会話。
広場で聞いたウェンティの演奏。
そして、彼との会話。
俺はノートを開き、今日のことを少しだけ書き留めることにした。
もちろん、日本語だ。
現地の文字は読めても、自由に書くことはできない。
だから、気づいたことや印象に残ったことは、帰ってから日本語で記録している。
今日は、商売の記録とは少し違う内容になりそうだ。
まずは、街を歩いて感じたこと。
ゲームで見慣れた景色でも、実際に歩いてみると印象が違う。
風や匂い、街の人たちの声、店先の雰囲気。
そうした細かなものが、街をより身近に感じさせてくれる。
橋では、ティミーという少年と話をした。
日本から持ってきたパンをちぎって鳩にあげただけだが、鳩たちが集まってくる様子は見ていて楽しかった。
そして、ウェンティの演奏。
吟遊詩人として気さくに話しかけてくれた彼は、音楽を楽しむことや、街を歩いていろいろなものを見聞きすることの大切さを話してくれた。
俺はそこまで書いて、ペンを止めた。
今日の経験は、すぐに商売へ役立つものではない。
けれど、別にそれでいい。
テイワットへ来る目的は、商売だけではないのだから。
異世界の街を歩き、景色を眺め、食事を楽しみ、そこで暮らす人たちと話をする。
そういうこと自体が、俺にとっての楽しみなのだ。
「……次も、のんびり過ごす日があっていいな」
俺はノートを閉じた。
これからも、依頼を受けたり、商品を売ったりすることはあるだろう。
けれど、それだけにこだわる必要はない。
何も予定を決めずに街を歩く日があってもいい。
気になった店に立ち寄り、食べたいものを食べ、話したい人と話す。
そんな日常を積み重ねていくのも、異世界生活の楽しみ方の一つだ。
俺は椅子の背もたれに体を預け、次の休日のことを考えた。
次は、騎士団の仕事についてもう少し知るのもよさそうだ。
ジンさんやガイアさんから聞いた話を踏まえて、街を支えている人たちの普段の仕事を見てみたい。
アンバーとも、また話す機会があるだろう。
そう考えると、次の休日も楽しみになってきた。
異世界での生活は、まだ始まったばかりだ。
焦る必要はない。
少しずつ歩き、少しずつ知り、少しずつ楽しんでいけばいい。
俺はパソコンの電源を落とし、ゆっくりと立ち上がった。
今日は、いい休日だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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