さくらニュータウンの住宅街から少し外れた場所に、昼間でも人通りの少ない裏路地があった。
古びたブロック塀と建物の裏口に挟まれたその道は、ところどころアスファルトが割れ、隅には空き缶や使われなくなった木箱が積み上げられている。日当たりが悪いせいか、夏の午後になっても湿気がこもっており、近くの飲食店から流れてくる油の匂いが排水溝の臭いと混じって漂っていた。
かつて、ユキがグレるりんたちに囲まれていた場所だった。あの時ケータに助けられてまだそれほど長い時間が経ったわけではないが、今のユキは自分の足でその路地へ戻ってきていた。
小さな手には駄菓子の入った紙袋を提げ、黄色い長靴でひび割れたアスファルトを踏みながら、奥へと歩いていく。周囲に冷気は漏れておらず、彼女の通り過ぎた場所が白く凍ることもなかった。あまりにも静かな足取りだったため路地の奥で騒いでいた妖怪たちは、彼女が声をかけるまで接近に気づかなかった。
「こんにちは。少し、お話をしてもいいかしら」
最初に振り返ったのは、グレるりんだった。
大きく突き出したリーゼントと、悪そうな目つきが特徴の不良妖怪である。彼は木箱へ腰を掛け、仲間たちに向かって何やら得意げに話していたが、ユキの姿を認めた途端、その顔をあからさまにしかめた。
「……あぁ? おめぇ……」
隣ではガ鬼が食べかけの菓子を落とし、ぎしんあん鬼が疑わしそうに目を細めた。少し離れたところにいたえこひい鬼だけは、驚いた後もすぐに黙り込み、ユキと仲間たちの顔を交互に眺めている。
「おいおい、誰かと思えば、あんときの雪女じゃねえか。何だよ、また冷やしに来たってのか?」
「……久しぶりね、グレるりん」
「へっ! ずいぶん余裕じゃねえか。前はオレたちの顔を見ただけでビビってたくせによ」
グレるりんは木箱から飛び降りると、わざと足音を立てながらユキへ近づいた。背後ではガ鬼が早速騒ぎ始め、どうせまた迷惑をかけに来たのだろう、前にジバニャンにやられた分の仕返しをさせろと喚いている。
ぎしんあん鬼はそれを制するでもなく、こんな場所へ一人で来るのは不自然だ、近くにあの人間や赤い猫が隠れているのではないかと、狭い路地の入口をしきりに振り返っていた。
ユキは、そんな彼らの様子を一通り眺めてから、小さく首を振った。
「今日は一人よ。ケータくんにも、ここへ来ることは話していないわ」
「ケータ……ああ、あの人間のガキか。何だよ、助けてもらったのが嬉しくて、今度は自分から仕返しに来たってか?」
「いいえ。あなたたちにお願いがあって来たの」
「……は?」
グレるりんの表情から、笑みが消えた。
ユキは相手の反応を待たず、紙袋を木箱の上へ置いた。中には小さな菓子がいくつか入っている。以前の彼女なら、相手を怒らせないよう恐る恐る差し出していただろう。
しかし今は誰の顔色を窺うこともなく、ただ話を始めるための手土産として持ってきたらしかった。
「この辺りには、あなたたちの知り合いがたくさんいるんでしょう? 誰がどこで何をしているのか、よく知っているみたいだったもの。少しだけ、その繋がりを貸してほしいの」
「……おめぇ、何言ってんだ?」
「町で起きている小さな困り事や、誰かが手伝いを探している話を集めてほしいのよ。特に、さくらニュータウンの周辺で起きていることを。私一人では知らないことも、あなたたちなら聞けるでしょう?」
グレるりんは数秒ほど呆気に取られ、それから腹を抱えて笑い始めた。
「ぎゃははは! 聞いたか、おめぇら! こいつ、オレたちに頼み事だってよ! あんとき散々泣きそうになってたくせに、今度は使いっ走りにしようってか!」
「ふざけんなよ! 何でこっちがお前のために働かなきゃいけねえんだよ! そんなのズルいだろ! 謝れよ!」
ガ鬼は食べかけの菓子を投げ捨て、地面を踏み鳴らした。自分たちが以前ユキを取り囲んでいたことなど、すっかり棚に上げている。
「だいたい怪しい。どうして急にそんなことを言い出した? 何のために困り事を集める? 本当にそれだけなのか? ほかに何か企んでるんじゃないのか?」
ぎしんあん鬼が畳みかけるように質問すると、それまで黙っていたえこひい鬼もユキへ視線を向けた。
「僕も気になるね。きみ、わざわざ嫌いな相手に頭を下げに来るような子じゃなかったでしょう。何か理由があるんじゃない?」
ユキは、彼の問いにだけ、少し考えてから答えた。
「……大切な人の役に立ちたいの。そのためには、私の知らないことを教えてくれる相手が必要なのよ」
「へえ。あの人間のためってわけか」
「ええ」
あまりにもあっさり認められたため、グレるりんは拍子抜けしたような顔をした。
「だったら、なおさらお断りだぜ。おめぇがあのガキに気に入られようが、嫌われようが、オレたちには関係ねえ。あんときの猫を連れてこないだけマシだがな!」
グレるりんはそう言って、ユキの目の前へ顔を突き出した。
「それとも何か? あのガキに助けてもらったから、今度は自分が強くなったつもりかよ。勘違いすんじゃねえぞ。おめぇなんか、ちょっと冷たいだけの泣き虫じゃねえか!」
ガ鬼が面白がって笑い、ぎしんあん鬼は赤い猫が来ないかと入口を警戒し続けている。かつてのユキなら、これだけで身体を強張らせていたかもしれない。
「そう。協力してくれないのね」
ユキは残念そうに眉を下げたものの、声を荒らげることはなかった。
「なら、仕方がないわ。少し考え直してもらえるかしら」
「……あぁ?」
グレるりんが眉を吊り上げる。
その足元で、かすかにぴしり、と、乾いたものが割れるような音が響き、グレるりんは自分の足がピクリとも動かないことに違和感を覚え視線を下げる。
靴の裏が地面へ貼りついている。
見下ろすと、アスファルトと靴底の境目にだけ、ごく薄い氷が張っていた。周囲の地面は濡れてすらおらず、ユキの足元にも霜はない。にもかかわらず、彼の靴の周囲だけが白く凍り、足首を動かしてもびくともしなくなっていた。
「ンだよこれ!?」
「動かないほうがいいわよ。無理に引っ張ると、靴が破れてしまうかもしれないもの」
ユキはまるで、道端で転びそうになった相手へ穏やかに声をかけるような仕草で言った。
「てめぇ……! 昨日拾ったイカす靴に……! こんなもん、すぐぶっ壊してやる!」
グレるりんは拳を握り足元へ叩きつけようとしたが、その瞬間、氷が小さく伸びた。
今度は足首の横から細い柱が立ち上がり、振り下ろしかけた拳のすぐ下で止まった。指一本分ほどの太さしかない氷だったが、グレるりんの目の前で、まるで狙いを定めているかのように静止している。
「……っ!」
グレるりんは、思わず拳を引いた。
ユキは手を下ろしたまま、彼の顔を見上げていた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。あなたを傷つけるつもりはないもの」
「だ、だったら早く外しやがれ!」
「お話が終わったらね」
「テメェ、なめてんじゃねえぞ! オレが本気になれば、おめぇなんか──」
「前にも似たようなことを言っていたわね」
ユキが言葉を静かに遮り、威勢よく叫ぶグレるりんに目を細めて言った。
「でも、私はもう逃げないわ。あなたも、昔みたいに私を怖がらせられると思わないほうがいいわよ。強い言葉を使うだけなら、誰にでもできるもの」
「…………」
グレるりんは反論しようと口を開いたが、何も言えなかった。
彼の足元を凍らせている冷気は、ごくわずかなものだった。辺り一面を吹雪に変えるような派手な妖術ではないし、触れたものを片端から凍らせるわけでもない。
それなのに、まったく抵抗できない。力を込めても、氷は壊れない。少し動こうとするだけで、その動きに合わせるように氷が軋む。
グレるりんは、そこでようやく気づき始めていた。
目の前にいる雪女は、以前とは何かが違う。それが単純に強くなったということなのか、以前から持っていた力の使い方を覚えただけなのかは、まだ分からなかったが、少なくとも前と同じ調子で扱える相手ではなくなっていた。
「……なるほどね」
最初に口を開いたのは、えこひい鬼だった。
彼はグレるりんの足元とユキの顔を見比べ、しばらく何かを計算するように目を動かしていたが、やがて仲間たちから一歩離れ、ユキの前へ進み出た。
「僕は協力してもいいよ」
「はぁ!?」
真っ先に声を上げたのはガ鬼だった。
「おい、何言ってんだよ! お前、こいつに味方すんのか!? 裏切り者じゃねえか!」
「裏切り者だなんて、人聞きが悪いな。僕はまだ何も約束していないよ。話を聞いて、悪くないと思っただけさ」
えこひい鬼は平然と答えた。
そもそも彼にとって、グレるりんたちと一緒に行動することは、絶対に守らなければならない約束ではなかった。強い者や都合のよい者を優遇し、その近くにいることで自分も得をする。
そうした考え方をする彼にとって、以前は弱く見えた雪女が明らかに力をつけて戻ってきたという事実は、無視できない変化だった。
まして、彼女が要求しているのは命懸けの戦いや、誰かを倒してこいという物騒な仕事ではない。町の噂を聞き、困っている妖怪の話を集めるだけなら普段の生活の延長で済ませられる。それで強い妖怪に恩を売れるなら、断る理由はむしろ少なかった。
「ただし、僕にも条件があるんだ。きみのために働くなら、ほかの三人と同じ扱いっていうのは、ちょっと面白くないな」
えこひい鬼は、軽い調子で続けた。
「僕が一番役に立ったら、ちゃんと一番に評価してくれるかい? それなら、いい情報を持ってきてあげてもいいよ」
ユキは、彼の顔を見つめた。
まだ何も手伝っていないのに、既に自分の待遇を気にしている。以前なら、何て身勝手なのだろうと困惑していたかもしれないが、今は少し違う考えが浮かんだ。
この妖怪は、特別扱いされるのが好きなのだ。それならそうしてあげればいい。
「ええ。あなたが一番役に立ってくれるなら、私もあなたの意見を最初に聞くわ。みんなと同じにする必要はないもの」
「へえ!」
えこひい鬼の顔が、ぱっと明るくなった。
「それなら決まりだね。僕、きみのお願いを聞いてあげるよ」
「ありがとう。助かるわ」
ユキが微笑むと、えこひい鬼も満足そうに笑った。もっとも、その笑顔はケータ等と接する時の妖怪の友情を結んだときのものではない。うまい話を見つけた商人のような、抜け目のない表情だった。その様子を見ていたグレるりんは、歯を剥き出しにして怒鳴った。
「おい! 勝手に決めてんじゃねえぞ! そいつはオレたちの敵だろうが!」
「敵だからって、ずっと敵でいる必要はないでしょう? それに、今のきみは足が動かないじゃないか」
「てめぇ……!」
「怒っても氷は溶けないと思うよ」
えこひい鬼は肩をすくめた。グレるりんは悔しそうに唸ったものの、実際に身動きが取れないため、言い返すことしかできなかった。
ユキは二人のやり取りを聞きながら、思いのほか簡単に一人目が協力を申し出てくれたことに驚いていた。強く脅さなくても、相手が望むものを示せば動いてくれる場合がある。
昨夜スナックのママが話してくれた、人と人との繋がりを作るという話とは少し違うのかもしれないが、少なくとも目の前のえこひい鬼には通用している。
それなら、残りの三体にも、それぞれの考えに合わせて話せばよいのだろう。
「……次は、あなたね」
ユキが視線を向けると、ガ鬼はびくりと肩を震わせた。
「な、何だよ! こっち見んなよ!」
「私のことが嫌いなのは分かったわ。でも、そうやって怒鳴っていても、お話が進まないでしょう?」
「うるせえ! 何でお前の言うこと聞かなきゃなんねえんだよ! そんなの不公平だろ! グレるりんのほうが偉いんだから、あいつに言えよ!」
「今、あなたに聞いているのよ」
「だから嫌だって言ってんだろ! 嫌なもんは嫌なんだよ!」
ガ鬼は両腕を振り回し、癇癪を起こした子供のように地面を踏み鳴らした。しばらく騒いでいれば、いつものように周囲が折れてくれるとでも思っているらしい。
ユキは、その様子を数秒ほど眺め、静かに片手を上げた。
「……分かったわ。じゃあ、一度だけ」
ガ鬼の足元に転がっていた空き缶が、突然白く曇った。
缶の表面へ薄い霜が広がり、次の瞬間、ぱきん、と小さな音を立てて中ほどが裂けた。冷気はすぐに収まり、周囲の地面は何事もなかったように乾いていた。
「……なっ!?」
思わず飛びのいたガ鬼を尻目にユキは破れた缶を見下ろし、少しだけ首を傾げた。
「あら、思ったより脆かったのね」
それから、ガ鬼へ視線を戻す。
「あなたにも、同じことをする必要があるかしら?」
「ひっ……!」
ガ鬼は反射的に口を押さえる。その言葉が冗談なのかどうかを判断できず、怯えから衝動的に口を開く。
「……わ、分かったよ! やればいいんだろ、やれば! ちくしょう、何でこんな目に遭わなきゃいけねえんだよ!」
「そう。ありがとう」
「礼なんか言うなよ! 別に好きでやるわけじゃねえんだからな!」
ガ鬼は涙目になりながら文句を言い続けていたが、少なくとも拒否するつもりはなくなったらしい。ユキはそれ以上追い詰めず、彼の隣にいたぎしんあん鬼へ向き直った。
「あなたは、どうかしら」
彼はグレるりんの足元を確かめ、破れた空き缶を見つめ、それからユキの顔を疑わしそうに見上げた。
「……お前、本当にあの雪女なのか?」
「ええ。そうよ」
「嘘じゃないのか? 誰かが化けているんじゃないのか? そもそも、そんなに強かったなら、どうして前は反撃しなかったんだ?」
「……あの頃は、誰かを傷つけるのが怖かったの。自分がどれだけ力を出せるのかも、よく分かっていなかったから」
ユキは、ぎしんあん鬼をまっすぐ見つめた。
「でも、今は少し違うわ。必要なだけ使えばいいって、教えてもらったもの」
ぎしんあん鬼は、眉をひそめた。
「……誰に?」
「大切な人によ」
ぎしんあん鬼は、しばらく考えてから別の質問を投げかけた。
「だったら、お前が約束を守る保証はあるのか? 協力した後で、やっぱり気に入らないから凍らせるとか、そういうことはしないんだろうな?」
「ちゃんと仕事をしてくれるなら、何もしないわ」
「本当か? 本当に本当か?」
「……そこまで疑うなら、最初から私を信じなくてもいいのよ」
ぎしんあん鬼が怪訝そうに顔を上げるとユキは穏やかに続けた。
「私が約束を守るかどうかは、実際に見れば分かるでしょう? あなたが言ったことも、私が言ったことも、あとで確かめればいいの。疑うこと自体が得意なら、それを役に立ててほしいわ」
思いがけない返答だったらしく、ぎしんあん鬼は口を閉じた。
普段は何でも疑うせいで仲間から面倒がられ、グレるりんにも余計な口を挟むなと怒鳴られている。しかしユキはその性質を直せとは言わず、むしろそれを仕事に使えと言っているのだ。
「……何を確かめればいいんだ?」
「誰かが持ってきた噂が本当なのかどうかよ。聞いた話をそのまま私に伝えるだけじゃ、間違っていることもあるでしょう? だから、別の妖怪にも聞いて、確かな話かどうかを調べてほしいの」
「……ほかのやつが嘘をついていたら?」
「そのことも教えて。何が分からないのか、分からないまま伝えてくれればいいわ」
ぎしんあん鬼は、再び考え込み、それから渋々といった様子で頷いた。
「……分かった。けど、まだ信用したわけじゃないからな」
「それで構わないわ」
その会話を聞いていたグレるりんは、とうとう我慢できなくなったらしい。氷に拘束された足を無理やり動かそうとしながら、仲間たちへ向かって怒鳴り始めた。
「おめぇら、ふざけんなよ! 何でそんな簡単に従ってんだ! オレが一番先にこいつとやり合ったんだぞ! オレの前で勝手に話進めんな!」
えこひい鬼は呆れたように肩をすくめ、ガ鬼は自分だって嫌なのだと喚いた。ぎしんあん鬼は、そもそもグレるりんが最初に喧嘩を売ったのが悪いのではないかと疑い始めている。
やがてグレるりんの足元に張りついていた氷が、するりと溶けた。
「……おっ?」
突然自由になったグレるりんは、勢い余ってよろめいた。慌てて体勢を立て直し、ユキを睨みつける。
「何のつもりだ!」
「もう十分でしょう? いつまでも動けないと、話もしにくいもの」
ユキは、彼の前へ歩み寄った。以前なら近づくだけで怖かった相手だったが、今はグレるりんのほうがわずかに後ずさっている。
「あなたには、少し違うことをお願いしたいの」
「……あぁ?」
「この辺りの路地には、あなたの知り合いが多いんでしょう? 私が直接会いに行くより、あなたから話を聞いてもらったほうが早いと思うわ」
「……だから、何でオレが……!」
「もちろん、あなたが私に従っているなんて、ほかの妖怪へ言う必要はないわ。今までどおり、あなたが自分で話を聞きに行けばいいのよ」
グレるりんの表情が、わずかに変わった。
「あなたがこの辺りに詳しいことは、私も分かっているわ。だからお願いしているの。知らない相手に、こんなことは頼めないもの」
「……ふん」
グレるりんからは先ほどまでの怒鳴り声は出てこなかった。自身の能力を正当に評価された気分になり、少しだけ持ち直したからだ。
「それに、あなたが協力してくれれば、私もわざわざこの路地で妖術を使う必要がなくなるでしょう? そのほうが、お互いに気持ちよく過ごせると思うのだけれど」
最後の言葉は柔らかかったが、グレるりんにはその意味がはっきりと伝わっていた。
「……ちっ。分かったよ。少しだけなら付き合ってやる」
グレるりんは、吐き捨てるように答えた。
「ただし、勘違いすんなよ! オレはおめぇの子分になったわけじゃねえからな!」
「ええ。もちろんよ」
ユキは、嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、グレるりん」
その笑顔を見て、グレるりんは不愉快そうに顔を背けた。
四体の返事が揃ったところで、ユキは木箱の上に置いた紙袋を開いた。
中からいくつかの駄菓子を取り出し、えこひい鬼へ一つ、ガ鬼へ一つと順に渡していく。グレるりんは最初、そんなもので機嫌を取れると思うなと拒否したもののユキが特に気にせず袋を片づけようとすると、結局舌打ちしながら受け取った。
ひとまず話を聞いてもらえる状態にはなった。
もっとも、ここから何をどう頼むかについて、ユキの考えが完全にまとまっていたわけではない。
昨夜、スナックのママから聞いた話は、とても参考になった。人との繋がりを大切にし、困っている相手を助け、何度でも会いたくなる存在になればいい。それをケータとの関係へ当てはめようと考えたものの、実際に何から始めればよいのかはまだ手探りだった。
ただ、一つだけはっきりしていることがある。
「……まず、お願いしたいことを説明するわね」
ユキが口を開くと、四体はそれぞれ違う反応を見せた。えこひい鬼は興味深そうに身を乗り出し、ぎしんあん鬼は疑わしげに腕を組む。ガ鬼は菓子を食べながら不満そうに顔をしかめ、グレるりんは壁にもたれて、聞いていないふりをしていた。
「町で困っている妖怪を見つけたら、その話を私に教えてほしいの。何に困っているのか、誰かに手伝ってもらいたいのか、どこへ行けば会えるのか。そういうことが分かると助かるわ」
「……それだけかよ?」
グレるりんが尋ねる。
「最初はそれだけでいいわ。それから妖怪同士で何か約束をしている話を聞いたときも教えて。誰かが手伝いを探しているなら、私にもできることがあるかもしれないでしょう?」
「ふうん。だったら、困ってるやつを見つけたら、わざともっと困らせりゃいいんじゃねえか? そしたら、おめぇが助けに行けばいいんだろ?」
グレるりんは、いかにも自分が頭のよい提案をしたという顔で笑った。
「……それは駄目よ」
グレるりんが口を閉じる。
「誰かを困らせるためにお願いしているわけじゃないの。そんなことをしたら、助ける意味がなくなってしまうでしょう?」
「……へっ。冗談だよ、冗談」
「冗談でも、しないでちょうだい」
ユキはもう一度だけ念を押す。その声には怒鳴るような激しさこそなかったものの、少しも譲る気がないことが伝わってきた。ガ鬼が小声で何か文句を言いかけたが、グレるりんが睨むと黙った。
「それと、あの人間の男の子には、勝手に近づかないでね。何か用事があるときも、まず私に話してほしいの」
ユキは続けた。
「その子や、お友達に取り憑いたり、無理に何かをさせたりするのも駄目。約束してくれる?」
えこひい鬼は、少し意外そうに目を瞬かせた。
「へえ。きみ、その人間の子を自分の思いどおりにしたいわけじゃないんだ?」
「……ええ」
ユキは、静かに頷いた。
「その子には、自分で決めてほしいの」
「だったら、どうしてそんなにいろいろ調べたがるんだい?」
「その子が困ったとき、私を頼ってくれたら嬉しいでしょう? だから、私にできることを増やしておきたいのよ」
彼は納得したように頷き、先ほど渡された菓子を口へ運んだが、ぎしんあん鬼はまだ疑っていた。
「それなら、普通に友達を増やせばいいんじゃないのか? どうしてわざわざ前にお前をいじめた連中へ頼むんだ?」
その問いには、ユキも少しだけ言葉を選んだ。
確かにジバニャンへ相談することもできた。トゲニャンやワルニャン、ロボニャンだって、頼めば手伝ってくれるかもしれない。しかし、彼らに今日のようなお願いをするのは、何となく気が引けた。
ケータと仲のよいジバニャンに、彼の行動を知るための協力を頼めば、きっと理由を聞かれるだろう。ケータのことが心配だからと説明したところで、一日中後をつけてしまったことや、フミちゃんへの嫉妬まで話すことになるかもしれない。
しかし自分がどんなことを考えているのか、ジバニャンには知られたくなかった。だから、あえて彼らとは別の相手を選んだのだ。
「……あなたたちのほうが、この辺りの事情に詳しいと思ったからよ」
ぎしんあん鬼は納得していない様子だったが、それ以上問い詰めようとはしなかった。
ユキは木箱の上へ落ちていた紙片を拾い、そこへ簡単な印を描く。
「それじゃあ、明日の夕方、ここで一度お話を聞かせて。何も分からなかったなら、それでもいいわ。でも、適当な話を作って報告するのはやめてね」
「……おい。毎日こんなことすんのかよ?」
ガ鬼が不満そうに言う。
「一日中探し回れってんなら、絶対嫌だからな!」
「最初から長い時間を使わなくてもいいわ。あなたは、普段遊んでいる場所で誰かが騒いでいたら、その理由を聞いてきてくれる?」
「……騒いでるやつの理由?」
「ええ。あなた、そういう話はよく聞いているでしょう?」
確かに、彼は普段から誰かの文句を聞いたり、自分から騒ぎへ首を突っ込んだりしている。わざわざ新しいことを覚えなくても、そうした話を持ってくればよいというなら、まだ我慢できそうだった。
「……まあ、それくらいなら」
「ありがとう。期待しているわ」
「べ、別に期待されたって嬉しくねえからな!」
そう言いながらも、ガ鬼は少しだけ得意げに胸を張った。
四体は、同じように扱っても動いてくれない。
グレるりんは面子を気にするし、ガ鬼は面倒なことが嫌いで、すぐに不満を口にする。ぎしんあん鬼は何でも疑うし、えこひい鬼は、自分が特別に扱われることを望んでいる。
……なるほど。彼らの性格をよく考えれば、それぞれに頼めることがある。以前は、自分をいじめる怖い妖怪たちとしか思っていなかった相手を、今は違う目で見ている。
それぞれがどんなことを得意とし、何を嫌がり、どうすれば協力してくれるのか。
今なら、自分にもそれができる。
翌日の夕方、ユキが同じ路地へ戻ると、四体の妖怪は既に集まっていた。もっとも、全員が真面目に仕事をしてきたわけではない。ガ鬼は昼間に聞いた喧嘩の話を大袈裟に説明し、その途中で自分のほうがひどい目に遭ったのだと文句を言い始めた。
グレるりんは知り合いの妖怪から聞いた噂をいくつか持ってきたものの、どれも自分の手柄を誇張して話すため、実際に何があったのか分かりにくい。ぎしんあん鬼はそれらの話を片端から疑い、グレるりんと口論になっていた。
その中で、えこひい鬼だけは最初から話を整理していた。
「ユキちゃん。僕、ちょっと面白い話を聞いてきたよ」
彼は、ほかの三体より一歩前へ出た。
「さんかく公園で、セミまるって妖怪が困っているらしいんだ。忍術の練習をしていたら、木の枝に引っかかっていた凧糸へ身体が絡まっちゃったんだってさ」
「……セミまる?」
思わず目を丸くしたのは聞き覚えのある名前だったからだ。以前、ケータと一緒に悩みを解決したことのある、小柄なセミの妖怪である。自分では立派な忍術使いのつもりらしいが、実際には少々臆病で失敗するとすぐに慌ててしまうところがある。
「そう。木から木へ飛び移ろうとして、途中にあった糸に引っかかったみたい。自分で外そうとしてるんだけど、動くたびに絡まっちゃうらしいよ」
えこひい鬼は、得意げに続けた。
「僕は、それを聞いてきたんだ。きみが欲しがってるのは、こういう話だろう?」
ユキは、ゆっくりと頷いた。
「……ええ。とても助かるわ」
「へへっ。やっぱりね」
えこひい鬼が満足そうに笑うと、ぎしんあん鬼が横から口を挟んだ。
「その話なら、少し確かめてきたぞ。公園の近くにいた妖怪も、木の上から変な鳴き声が聞こえるって言っていた。けど、本当にセミまるなのか? 別の妖怪が騒いでいるだけなんじゃないのか?」
「……それなら、直接確かめに行けばいいわ」
ユキは、落ち着いた声で答えた。
「場所は、さんかく公園で間違いないのね?」
「そうだよ。大きな木が並んでいるところだって」
「ありがとう。二人とも、よく調べてくれたのね」
ユキが微笑むと、えこひい鬼はますます得意げになった。ぎしんあん鬼は、まだ本当かどうか分からないと念を押していたが、少なくとも報告が役立ったことには満更でもなさそうだった。
一方、グレるりんは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「ふん。そんな小せえ話、オレだって知ってたぜ」
「だったら、先に言ってくれればよかったのに」
ユキが首を傾げると、グレるりんは一瞬言葉に詰まった。
「……う、うるせえ! 別に忘れてたわけじゃねえぞ!」
「そう。次は教えてくれると嬉しいわ」
ユキはそれ以上追及せず、さんかく公園へ向かうことにした。
セミまるが本当に困っているなら、早めに助けてあげたい。それに、彼はケータの友達でもある。ケータがこのことを知れば、きっと放っておかないだろう。もしかしたら、ちょうど公園へ遊びに来ているかもしれない。
その可能性を考えた瞬間、ユキの足取りは少しだけ軽くなった。
さんかく公園へ着いた頃には、夕陽が木々の間から差し込み始めていた。
遊具の周囲にはまだ何人かの子供たちがいたものの、昼間ほど賑やかではない。ブランコでは小さな女の子が母親に背中を押してもらい、砂場には使いかけのバケツやスコップが残されていた。
ユキが木々のほうへ目を向けると、少し離れた場所から聞き覚えのある声がした。
「ミ、ミーン! た、助けてほしいミーン!」
ユキが顔を上げると、大きな木の枝の間に、小柄な妖怪が引っかかっているのが見えた。
黄色い顔に大きな丸い目、緑色の身体を包むような装束。細い手足をばたつかせ、何とか抜け出そうとしているのは、間違いなくセミまるだった。
どうやら、木の枝へ絡まっていた古い凧糸に、装束の一部と身体が引っかかってしまったらしい。無理に動こうとするたびに糸が引っ張られ、かえって身動きが取れなくなっていた。
「セミまる!」
ユキが声をかけると、セミまるはぱっと顔を上げた。
「ミーン!? ユキかミーン! よかった、来てくれたのかミーン!」
「大丈夫? 今、助けるからね」
「うう……。セミ流忍術の新しい技を試していたら、こんなことになっちゃったミーン。風を使って抜けようとしたけど、糸がもっと絡まっちゃったミーン……」
ユキは、木の枝を見上げた。
凧糸は細く、枝の間に複雑に絡みついている。セミまるの身体を無理に引っ張れば、装束を破いてしまうかもしれないし、枝から落ちてしまう危険もある。
どうすれば安全に外せるだろうとユキが考え込んでいると、公園の入口から別の声がした。
「あれ? ユキ?」
振り返ると、そこには虫取り網を持ったケータが立っていた。隣には、いつものようにウィスパーが浮かんでいる。
「ケータくん!」
ユキの表情が、ぱっと明るくなった。
「……ちょうどよかったわ。セミまるが困っているの」
「えっ、セミまるが?」
ケータは慌てて木のほうへ駆け寄り、枝の間に引っかかっているセミまるを見つけると驚いたように目を丸くした。
「うわっ! セミまる! 大丈夫!?」
「ケータ! 助けてほしいミーン! このままじゃ、忍者としての威厳が台無しだミーン!」
「いや、もう結構台無しだと思うけど……」
「ひ、ひどいミーン!」
ケータの率直な感想に、セミまるは情けない声を上げた。ウィスパーは二人のやり取りを横目に、木の枝の様子を確かめていた。
「ふむ。これは少々厄介ですねぇ。糸が枝へ何重にも巻きついています。下手に引っ張ると、セミまるの身体まで締めつけてしまうかもしれません」
「じゃあ、どうすんの?」
「まず、これ以上暴れないようにしてもらいましょう。セミまる、しばらくじっとしていてください」
「わ、分かったミーン!」
セミまるは、慌てて動きを止めた。
その様子を見て、ユキがそっと口を開いた。
「……ねえ、ウィスパーさん。糸だけを凍らせれば、外しやすくなるかもしれないわ」
ウィスパーは、少し驚いたように彼女を見た。
「糸だけ、ですか?」
「ええ。セミまるの身体には触れないように、絡まっている部分だけを冷やすの。そうすれば、糸が硬くなって、切りやすくなると思うわ」
ユキは、静かに木の枝へ視線を向けた。
「……やってみてもいい?」
ユキが尋ねると、ケータはすぐに頷いた。
「うん! でも、セミまるまで凍らせないように気をつけてね!」
「うふふ。分かっているわ」
指先からごく細い冷気が流れ出し、その冷気は周囲へ広がることなく、木の枝へ絡まった糸だけを包み込んだ。
ぴしり、と小さな音がして凧糸の表面に薄い氷が張っていく。セミまるの身体へ触れている部分は避け、枝へ固定されている部分だけを冷やす。氷が厚くなりすぎないように気を配りながら、ユキは慎重に妖術を使い続けた。
「……よし。これなら……」
ユキが小さく呟いた、そのときだった。
「おおっ! 凄いや!」
ケータが、感心したように声を上げた。
「前はちょっと冷やすだけでも大変だったのに、今はこんな細かいことまでできるんだ!」
嬉しそうな笑顔を浮かべユキを褒めるケータに思わず口角が上がりかけるが、今は妖術に集中しなければならない。ユキは小さく息を整え、再び指先へ意識を向けた。
「……ケータくん。もう少しだけ、待っていてね」
「うん!」
……ケータくんとの共同作業。これは傍から見れば新婚夫婦の会話のように見えないだろうか。と思いながら糸の一部が十分に冷え固まったところで、ウィスパーが声をかけた。
「ケータくん、虫取り網を使いましょう。セミまるの下へ差し出して、落ちても受け止められるようにしてください」
「分かった!」
ケータは網を持ち上げ、セミまるの真下へ構えた。ユキは氷で硬くなった糸を少しずつ砕き、枝へ巻きついていた部分を外していく。
最後に、セミまるの装束へ絡まっていた糸を慎重に緩めた。
「……これで、どうかしら?」
「ミ、ミーン! 動けるミーン!」
セミまるは、嬉しそうに身体を動かした。その拍子に、枝から小さく滑り落ちたものの、ケータが構えていた虫取り網の中へ無事に収まった。
「やったー! 助かった!」
「ありがとうミーン……!」
セミまるは網の中でへたり込み、ようやく安心したように大きく息を吐く。ケータはそっと網を地面へ下ろし、セミまるが自分で立ち上がるのを待った。
「もう大丈夫?」
「だ、大丈夫だミーン! ちょっと失敗しただけだミーン!」
ケータが笑うと、セミまるも照れくさそうに頭を掻いた。
ユキは、その光景を少し離れたところから眺めていた。
「ありがとう、ユキ!」
不意にケータが振り返った。
「ユキがいなかったらもっと大変だったよ! いてくれて助かった!」
「うふふ。そんなことないわ。ケータくんが網で受け止めてくれたから、安心して妖術を使えたのよ」
「そっか! じゃあ、二人で助けたってことだね!」
「──っ! ええ! ええ! 二人で、ね!」
セミまるが元気を取り戻し、忍術の練習を再開するのはもう少し後にすると宣言して帰っていくと、ケータはユキと並んで公園の出口へ向かった。ウィスパーは、二人の少し後ろを漂いながら、先ほどの出来事を思い返していた。
「それにしても、ユキさん。ずいぶんよいところへいらっしゃいましたね。セミまるが困っていたこと、どこかで聞いたのですか?」
ウィスパーが尋ねると、ユキは自然な様子で頷いた。
「ええ。知り合いの妖怪が教えてくれたの。だから、様子を見に来たのよ」
「ほう。そうでしたか」
ウィスパーは、それ以上追及しなかった。
困っている妖怪の話を聞き、自分から助けに向かった。その行動自体は、何もおかしくない。むしろ、以前より積極的に周囲の妖怪へ関わるようになったということなら喜ばしい変化だろう。
ただ、少しだけ気になることがある。ユキは、セミまるがどの木に引っかかっているのか、最初から知っていたように見えた。しかも最近は以前よりも町の妖怪について詳しくなっている。
もちろん、ジバニャンに案内されて友達が増えたことは知っているし、それが理由かもしれない。今の段階で疑うようなことではないだろう。
それでも、ユキが誰と仲良くなり、どんなことをしているのかについては、少しずつ知っておいたほうがよいかもしれないが。
「……ユキさん」
「……はい?」
「今度、ケータくんと一緒に、あなたのお友達のところへ遊びに行ってみませんか? 最近は随分と交友関係も広がったようですし、わたくしもご挨拶しておきたいですねぇ」
ユキは、一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに嬉しそうに笑った。
「ええ。ぜひ。トゲニャンたちも、きっと喜ぶと思うわ」
「それは楽しみですね」
前を歩くケータは、そんな二人の会話を聞きながら、セミまるが無事に助かったことを喜んでいた。
「いやー、よかったよかった! セミまる、ああ見えて結構ドジだからさ! この間なんて葉っぱだけを切るって言って自分が乗ってた枝を切って落ちちゃってたんだよ!」
ユキは、楽しそうにともだちのことを話すケータの隣で微笑んだ。……彼が何も知らないことに、少しだけ安心しながら。
その夜、ひとなし路地では四体の妖怪が集まっていた。
各々がそれぞれの理由で不機嫌そうにする中、えこひい鬼だけはどこか上機嫌だった。
「いやあ、悪くない話だと思うけどね。きみたちも、そんなに嫌がることないんじゃない?」
「……おめぇ、本気で言ってんのか?」
グレるりんが睨みつける。
「オレたち、あいつに使われることになっちまったんだぞ!」
「でも、別に一日中働けって言われたわけじゃないでしょう? 僕なんか、ちょっと話を聞いてきただけで褒めてもらえたし。あれなら、また何か持っていけばいいんじゃない?」
「お前はいいよな! 自分だけ特別扱いしてもらってんだから!」
ガ鬼が不満そうに叫ふと、えこひい鬼はそんな彼を見て得意げに笑った。
「だって、僕はちゃんと役に立ったもの。評価されるのは当然じゃないか」
グレるりんは、舌打ちした。
それから、昼間自分の足を凍らせていた氷の感触を思い返した。
あのゆきおんなは確かに変わっていた。以前は少し脅せば怯えていたのに、今ではこちらが怒鳴っても表情ひとつ変えない。
それに力を使うときの様子が妙に落ち着いている。あれでは今までのように押し切ろうとしても、簡単には近づけない。
「……なあ」
グレるりんは、少しだけ声を落とした。
「おめぇら、あいつのこと、どう思う?」
ガ鬼はすぐに顔をしかめた。
「怖ぇよ! あんなやつ、もう関わりたくねえ!」
ぎしんあん鬼は、しばらく考えてから答えた。
「……まだ分からない。あいつ、本当にあの人間のためだけにやってるのか? 何でそこまでしたいんだ? 何か別の理由があるんじゃないのか?」
えこひい鬼は、軽く肩をすくめた。
「さあね。でも、僕は別にどうでもいいよ。ちゃんと仕事をすれば、悪い扱いはされないみたいだし」
四人が話している頃、ユキはさくらニュータウンの住宅街を歩いていた。夕方に助けたセミまるのことを思い返しながら、ゆっくりと家路を辿っている。
以前なら、偶然ああいった出来事に出会うのを待つしかなかったが、今日はグレるりんたちから情報を集めたことでセミまるが困っていることを知り、自分から助けに行くことができた。
「結果的に、ケータくんと一緒になれる時間も増えたわ」
ユキは、自分の手を見下ろした。数日前、おおもり山でナガバナたちを凍らせてしまったとき、彼女は自分の力が恐ろしくなった。
けれど、この前も今日も自分の力を正しく使えたのだ。それなら、昨日グレるりんたちへ少しだけ力を見せたことも、間違いではなかったのかもしれない。
これからも同じようにすればいい。
町の妖怪たちが何に困っているのかを知り、自分にできることを考えて、必要ならほかの妖怪にも手伝ってもらう。そうすればケータの役に立てる場面は、きっと今より増えていくだろう。
「もっと、頑張らなくちゃ」
──彼女は、まだ自分が誰かを支配し始めているとは考えていなかった。