卵が産まれたっ
三日目の特訓では、ジバニャンにも参加してもらうことになった。
朝からケータがメダルを使って呼び出すと、ジバニャンは少し眠そうな顔で現れたものの、特訓の内容を聞くなり、面白そうに耳を立てた。
「ニャッ!? ユキの特訓? 楽しそうニャン!」
「今日はさ、ユキが動いてるものを狙って凍らせる練習をするんだ。ジバニャンなら素早いし、手伝ってもらえるかなって」
「ふふん! オレっちに任せるニャン!」
ジバニャンは得意げに胸を張ったが、ウィスパーが用意していた道具を見せると、少しだけ表情を曇らせた。
そこにあったのは、長い紐に結びつけられた小さな布の袋だった。中には軽い木の玉が入っており、紐を引っ張ると左右へ揺れるようになっている。
「……これ、オレっちが持って走るニャン? 普通こっちが追いかける側じゃないかニャン?」
「ええ。ユキさんには、動いている袋の先だけを冷やしていただきます。ジバニャンは、冷気の範囲へ入りすぎないよう、少し離れて動いてください」
「ニャー……。何だか、オレっちだけ忙しそうニャン」
「そこは頼りにしておりますよ。あなたの身軽さがあれば、何かあっても避けられるでしょうから」
ウィスパーがそう言うと、ジバニャンは少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
「まあ、それなら仕方ないニャン!」
こうして、三日目の特訓が始まった。最初は、紐で吊るした袋をゆっくり揺らすところからだった。ユキは袋の動きを目で追い、近づいてきた瞬間に冷気を放つ。
しかし、動いているものを狙うのは、思っていた以上に難しかった。
袋が右へ動けば、冷気も右へ、左へ動けば、今度は左へ。追いかけるように力を放っているうちに、どうしても範囲が広がってしまい、気づけば袋だけでなく紐まで凍りついていた。
「うーん……難しいわ」
ユキが困ったように眉を下げる。
その様子を見ていたジバニャンは、少し考えた後、何か思いついたように顔を上げた。
「ユキ、袋ばっかり追いかけてるから、うまくいかないんじゃないかニャン?」
「……え?」
「ほら、オレっちだって、相手が動くたびに追いかけてたら、攻撃が当たらないニャン。相手がどこに来るか考えて、先に動くんだニャン!」
そう言いながら、ジバニャンは軽く地面を蹴って見せた。
赤い身体が左右へ素早く動き、次の瞬間には袋の動く先へ回り込んでいる。ゆきおんなは、その身のこなしを見て目を見開いた。
「……なるほど」
今まで、動いている袋を追いかけることばかり考えていたけれど、袋がどこへ動くか分かれば、そこへ必要な分だけ冷気を出せばいい。
ユキは小さく頷くと、もう一度構え直した。
「……やってみるわ」
袋が右へ動く。
ユキはすぐには力を出さず、次に左へ戻ってくるところを見つめた。そして、袋がちょうど正面を通り過ぎる瞬間に指先から細い冷気を放った。
ぱきっと袋の表面に、薄い霜が張りつく。紐は凍っておらず、周囲の草にも冷気は広がっていない。
「……できた!」
ユキが嬉しそうに声を上げると、ケータも思わず拍手した。
「すごい! 今の、ちゃんと袋だけ凍ってたよ!」
「ニャハハ! やればできるニャン!」
四日目。
特訓の仕上げとして呼ばれたのは、キュウビだった。
ケータがメダルを妖怪ウォッチへ差し込むと、周囲の空気がわずかに揺らぎ、金色の妖気が静かに広がった。
その中心から現れたのは、九本の尾を持つ美しい狐の妖怪だった。
金色を基調とした毛並みは陽射しを受けて柔らかく輝き、白い顔にはどこか気品のある表情が浮かんでいる。大きく広がる九本の尾は、それぞれが独立した生き物のようにゆっくりと揺れ、ただそこに立っているだけで、周囲の妖怪たちとは明らかに異なる存在感を放っていた。
「……へぇ」
キュウビは周囲を見回すと、少し面白そうに口元を緩めた。
「ケータ、今日はずいぶん変わった場所へ呼び出してくれたね。何か面白いことでもあるのかい?」
「うん! 実はさ、ユキの妖術の特訓をしてるんだ!」
「ユキ?」
キュウビの視線が、ケータの隣に立っていた小柄な少女へ向けられる。その目は穏やかだったが、どこか相手を見定めるような鋭さもあった。
「なるほど。ゆきおんなか。ふうん、きみが最近ケータと仲良くしている子なんだね」
「は、初めまして」
ユキは少し緊張しながら頭を下げた。
キュウビほど強い妖気を持つ相手と、これほど近くで話すのは初めてだった。自分も氷の妖術を扱う妖怪だが、目の前の彼が持つ炎の力は、明らかに自分のものとは規模が違う。
キュウビはそんな彼女の緊張など気にする様子もなく、ゆっくりと尾を揺らしながら笑った。
「そんなに硬くならなくていいよ。ボクは別に、きみをいじめに来たわけじゃないんだから」
「……ええ」
「それでケータ。ボクに何をしてほしいんだい?」
「ユキが冷気をうまく抑えられるように、手伝ってほしいんだ。キュウビって炎の妖術が得意でしょ? だったら、何かいい練習ができるかなって」
ケータが説明すると、キュウビは少し考えるように目を細めた。
それから、ユキへ視線を向ける。
「なるほど。力の出し方ではなく、抑え方を覚えたいんだね」
「そうなの。私、冷気をうまく扱えなくて……」
「そういうことなら、少し手伝ってあげようか」
キュウビは軽く尾を振った。
その瞬間、彼の周囲に小さな炎が生まれた。
炎は赤く燃え上がることもなく、まるで提灯の灯りのように静かに揺れている。火の妖術であるはずなのに、周囲の草を焦がすことも、地面を焼くこともない。
ユキは思わず目を見張った。
「……すごい、こんなに近くに炎があるのに、周りが燃えないのね」
キュウビは少しだけ口元を緩めた。
「当然だよ。ボクが、燃やすつもりで出していないからね」
「燃やすつもりで、出していない……」
「そう。妖術というのは、ただ強く放てばいいというものではないんだ。大切なのは、何をどうしたいのか、きちんと決めることさ」
キュウビはそう言いながら、小さな炎を一つだけ前へ進ませた。
炎は空中をゆっくりと移動し、地面に置かれた小さな石の上へ浮かぶ。次の瞬間、石の表面だけがほんのり赤くなり、周囲の草は何の影響も受けなかった。
「ほら。ボクはこの石だけを温めたいと思った。だから、それ以外のものへ炎を広げなかったんだ」
ユキはその様子をじっと見つめる。今まで、寒くしないように、凍らせないように、誰かに迷惑をかけないようにと必死に冷気を抑えようとしていた。
「……なるほど」
ユキは小さく頷いた。
キュウビは満足そうに笑うと、今度は地面へ三つの小石を並べた。
「じゃあ、試してみようか。真ん中の石だけを凍らせてごらん。左右の石には触れずにね」
「分かったわ」
ユキは両手を前へ差し出した。
冷気を集めるが、これまでとは少し意識が違っていた。
力を抑えることだけを考えるのではなく、真ん中の石を凍らせることに集中する。
そのほかのものには絶対に触れない。そう決めてから、ゆっくりと妖術を放った。
ぱきっと真ん中の石だけが、薄い氷に包まれた。左右の石には、霜一つついていない。
「あっ」
今まで何度も失敗してきたことが、今日は驚くほど自然にできたことに驚き声をあげるユキにキュウビが感心したように目を細める。
「へぇ、なかなかやるじゃないか。まだ少し冷気が漏れているけれど、この様子だとずいぶん上手になっているみたいだね」
「……ありがとう」
ユキは嬉しそうに笑ったが、キュウビはそこで終わらなかった。
「さて、次は少し難しくしてみようか。今度は、ボクが周囲の温度を変える。きみはそれに惑わされず、同じ石だけを凍らせるんだ」
そう言うと、キュウビは九本の尾をゆっくりと揺らした。
その周囲に小さな炎がいくつも生まれ、空中を漂い始める。
炎が近づいた場所はほんのり暖かくなり、離れたところには元の夏の空気が戻ってくる。強い熱ではないものの、周囲の温度が絶えず変化するため、冷気を一定に保つのは難しそうだった。
「…やってみるわ」
再び冷気を集めると炎が近づき、周囲の空気が暖かくなる。その変化に合わせるように、ユキの冷気も強くなりかけた。
昨日までなら、温度が変わっただけで力を強めてしまっていただろう。
けれど、今は違う。必要なのは、真ん中の石を凍らせることだけ。目的意識への極度の集中の仕方は、既に覚えている。周囲が暖かくなろうと、涼しくなろうと、それは変わらない。
そう意識すると、自然と冷気の流れが細くなった。
ぱきっと同じように真ん中の石にだけ、氷が張りつく。キュウビが炎を近づけても、ユキはそれ以上冷気を強めようとしなかった。
「……うん。今のは、なかなかよかったね」
キュウビが満足そうに頷く。
ケータも、嬉しそうに声を上げた。
「すごいよ、ユキ! もうほとんど失敗しなくなってるじゃん!」
ユキは照れくさそうに笑った。
「ケータくんが手伝ってくれたおかげよ」
「えー、オレはそんなに何もしてないよ。頑張ったのはユキじゃん!」
「でも、あなたが一緒にいてくれたから」
そう言って、ユキはそっと微笑んだ。
「……だから、頑張れたの」
その言葉を聞いたケータは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「そっか。じゃあ、オレも一緒に頑張ってよかった!」
お互いが笑い合う光景を、ウィスパーは少し離れたところから眺めていた。
特訓を始めてから、さらに数日が過ぎた。
ユキの妖術は、まだ完全には遠いものの以前とは比べものにならないほど安定してきていた。
驚いたときや、気持ちが大きく動いたときには、少し冷気が漏れてしまうこともある。それでも、何もしていないのに周囲を凍らせてしまうことは随分と減り、今ではケータの隣に座っていても、以前ほど寒がらせずに済むようになっていた。
その成果を確かめるため、最後の特訓では、少し変わった課題が用意された。
「今日は、これをやってみよう!」
ケータが取り出したのは、小さな花の形に切り抜いた紙だった。
色とりどりの紙が何枚もあり、その中に一枚だけ、水色のものが混じっている。
「ユキには、この水色の花だけを凍らせてほしいんだ」
「……水色の花だけ?」
「うん! ほかの花は凍らせないで、これだけを氷で包むんだって」
ケータがそう説明すると、ユキは少し考えてから頷いた。
簡単そうに見えるが、実際にはかなり難しい。紙は薄く、冷気を当てすぎれば簡単に凍りついてしまう。しかも、周囲には別の色の紙が並んでおり、少しでも冷気が広がれば、まとめて凍らせてしまうだろう。
しかし、ユキはもう以前のように怖がってはいなかった。
「……やってみるわ」
そう言って、そっと手を伸ばす。
指先から、細い冷気が流れ始める。水色の紙へ、白い霜が触れ、その瞬間彼女はゆっくりと力を弱めた。
冷気は紙の表面にだけ留まり、花の輪郭に沿って薄い氷を作り始める。
やがて、水色の花は、小さな氷細工のような姿になった。周囲の紙には、何の影響もない。
「……できた」
ユキが小さく呟く。
次の瞬間、ケータが嬉しそうに声を上げた。
「やったー! ほんとにすごいよ、ユキ!」
その声を聞いて、ユキはぱっと顔を上げた。
ケータが笑っている。自分が頑張ったことを、心から喜んでくれている。嬉しくて思わず駆け寄りそうになったが、しかしすぐに足を止めた。
今なら、今の自分なら、冷気を抑えたまま彼の近くへ行けるかもしれない。ユキはそっと深呼吸すると、ゆっくりとケータへ歩み寄った。
そして、彼の手へ自分の指先を伸ばす。
「……ケータくん」
「ん?」
ケータが振り向く。
ユキは少し緊張しながら、彼の手にそっと触れた。
冷たい指先だが、以前のように触れたものを凍らせてしまうことはなかった。
「……あっ」
ユキが目を見開く。
ケータも、少し驚いたように自分の手を見下ろした。
「……あれ? 前より冷たくない!」
「……本当?」
「うん! ちょっとひんやりしてるけど、全然平気だよ!」
ケータは嬉しそうに笑った。
ユキは、その言葉を聞いた途端、胸の奥がいっぱいになった。
やっと──やっと、できた。
彼の手に触れても、寒がらせずに済む。それが、こんなにも嬉しい。
「……うふふ」
ユキは、そっと指先を重ねた。
ケータの手は、相変わらず温かい。あの日、路地裏で差し伸べてもらった手と同じ温もりだったように思える。
あのときは、触れることすら怖かった。
今は、自分から手を伸ばすことができる。想い人の手を握れる。それだけで、これまでの特訓がすべて報われたような気がした。
「……ありがとう、ケータくん」
ユキは微笑んだ。
「……私、頑張ってよかったわ」
「うん! オレも嬉しいよ!」
ケータはそう言って、彼女の手を軽く握り返した。
「あ」
その瞬間、ユキの胸が強く跳ねた。
指先から伝わる温もりと、優しい感情が流れてくるようだった。何も出来なかった自分の手を、彼が握ってくれている。
ユキは、そっと呼吸を整えながら彼の手を握り返した。
特訓が終わり、みんなが帰り支度を始めた頃。
ケータはユキの隣を歩きながら、楽しそうに話していた。
「いやー、ほんとによかったね! これなら、もう寒さのことあんまり心配しなくてもよさそうじゃん!」
「……ええ。まだ少し不安だけれど、前よりずっと自信がついたわ」
「そっか! じゃあ、これからも一緒にいろんなところ行けるね!」
ケータは何気なくそう言って、ユキはその言葉に嬉しそうに頷いた。
「……うふふ。そうね」
そして、少しだけ視線を落とす。
これからも、一緒に。
その二つの言葉が、胸の奥で何度も繰り返されていた。
自分は、この人の隣にいてもいいのだと。今までのように、寒がられることを恐れて距離を取らなくてもいいのだと。そう思うだけで、心が温かくなる。
ケータの手を、もう一度握りたい。
できれば、もっと長く。出来るなら、指を絡め合ってもっと深く触れ合いたい。そんなことを考えながら、ユキはそっと彼の横顔を見上げた。
そのときだった。
「そうだ、ユキ。明日はちょっと家の用事があるから、特訓には来られないかもしれないんだ」
「ぇ」
思わず声が漏れた。
ケータは特に気にする様子もなく続ける。
「でも、もうだいぶ上手になったし、一人でも練習できるよね? あ、もちろん、また時間があるときは一緒にやろうよ!」
「…………」
ユキは、すぐには返事ができなかった。
明日は、会えないかもしれない。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に冷たいものが広がった。特訓が終わってしまえば、もう毎日会う理由がなくなってしまうのだろうか。
今までは、妖術を練習したいという理由があったし、ケータもそのために毎日来てくれた。
けれど、もうある程度できるようになったのなら、彼は自分に会いに来なくなってしまうのだろうか。
そんな考えが、ほんの一瞬頭をよぎった瞬間ぱきっ。と足元の草に、小さな霜が降りた。
「……あっ」
ユキは慌てて呼吸を整えた。
冷気はそれ以上広がらず、すぐに落ち着いた。
「……ええ。大丈夫よ」
彼女は、いつものように微笑んだ。
「……明日は、一人で練習してみるわ。ケータくんも、お家の用事があるものね」
「うん! ありがと、ユキ!」
ケータは嬉しそうに笑った。
その顔を見て、ユキも微笑み返した。
けれど、胸の奥には、さっきまでなかった小さな寂しさが残っていた。
彼が帰る。明日は会えないかもしれない。
たったそれだけのことなのに、どうしてこんなにも寂しくなってしまうのだろう。
ユキは、そっと袖口を握りしめた。
「……じゃあ、またね。ケータくん」
「うん、またね!」
ケータが手を振る。
ユキも、笑顔で手を振り返した。
そのまま彼が歩き出すと、彼女はしばらくその背中を見送っていた。
やがて、少年の姿が見えなくなる。
ユキは小さく息を吐いた。
そして、そっと自分の手を見下ろすと、さっきまで、ケータが握ってくれていた手がある。その温もりを思い出すと、胸の奥が少しだけ落ち着いた。
「……うふふ」
小さな笑みが零れる。
明日は会えないかもしれないけれど、それなら次に会うときまでに、もっと妖術を上手に扱えるようになろう。
もっと頑張って、もっと褒めてもらえるように。
そして、今度は自分から、彼の手を握ってみたい。まだ微かに残っている繋がりを染み込ませるように頬に手を当ててユキは帰路についた。
その様子を、少し離れたところからウィスパーが見ていた。ケータと一緒に帰ろうとしていたものの、ユキが最後に見せた表情が少しだけ気になり、足を止めている。
「……ふむ」
ウィスパーは、彼女が立っていた場所を見つめた。
そこには、ほんのわずかなものだが小さな霜が残っている。
特訓を始めた頃なら、珍しくもない光景である。しかし、今のユキは、以前よりずっと冷気を抑えられるようになっている。
少なくとも、特訓の最後には、ケータと手を繋いでも周囲を凍らせなかった。
それなのに、明日は会えないかもしれないと聞いた瞬間、あれほどはっきり冷気が漏れた。ケータは気付かなかったようだが、特訓により練度が増したユキの妖気はかなりの圧を放っている。
「……寂しかったのでしょうかねぇ」
ウィスパーは小さく呟いた。
もちろん、何もおかしいことではない。
ユキはつい最近まで、一人で過ごすことの多かった妖怪だった。ケータと出会い、友達になり、毎日のように一緒に過ごすようになった。
そんな相手と会えないと聞けば、寂しくなるのも当然だろう。
それだけなら、気にする必要はない。
ただ、あの一瞬。
ケータが明日は来られないと言ったとき、ユキの表情から、すっと笑みが消えた。
それは、単に寂しそうというだけではない。何か大切なものを突然取り上げられたような、見えない何かを睨むような。そんな表情に見えたのだ。
「……まあ、気のせいでしょうか」
ウィスパーは小さく首を振った。
あれほど頑張っていたのだから、単に特訓が終わってしまうことを残念に思っているのかもしれない。
それに、ユキはまだ冷気を完全に制御できるわけではないし、感情が動けば、多少は漏れてしまうのだろう。
そう考えれば、何も不思議なことではなかった。
「ウィスパー! 何してるのー?」
少し先を歩いていたケータが振り返り、声をかけてきた。
「おっと、いけません。今行きますよ、ケータくん!」
ウィスパーは慌てて浮かび上がり、ケータのもとへ向かった。
少年は、今日の特訓がうまくいったことを嬉しそうに話している。
ユキがどれほど頑張ったか、ホノボーノやメラメライオン、ジバニャン、キュウビがどれほど役に立ったか。
そんな話を聞きながら、ウィスパーも自然と笑顔になった。
「ええ、本当によく頑張りましたねぇ。あれだけ妖術を上手に扱えるようになったのですから、ユキさんも自信がついたことでしょう」
「うん! オレも嬉しいよ!」
ケータは満足そうに笑った。
ウィスパーも頷く。
ただ、先ほど見た小さな霜のことだけは、なぜか頭の片隅に残っていた。
それは、まだ疑念と呼べるほどのものではない。ましてや、ユキが何か悪いことを考えているなどと、思う理由もなかった。
ただ、ほんの少しだけ、彼女にとって、ケータという少年が、思っていた以上に大きな存在になっているのかもしれない。
ウィスパーは、その小さな引っかかりを胸の奥へしまい込むと、いつものようにケータの隣をふわふわと漂いながら、夕暮れの道を進んでいった。