ヒトケモ比1:1000でも、私はメスケモを撫で回す! 作:ミソギ・罪と罰
今日の昼食には、最初から机が四つ並んでいた。一つは私。一つは交流当番を続けてくれているユラさん。もう一つは、昨日の帰り際に「また来ます」と言ってくれたミミルちゃん。そして最後の一つは、昼休みの鐘が鳴る少し前に教室へ現れたセナさんが、自分で運んできたものだった。
「今日もここで食べる」
空いていた机を持ち上げながら、セナさんはそう言った。
「担任には確認した。都合が悪い者はいるか?」
「いません。私は嬉しいです」
「私は、交流当番ですので」
ユラさんの返事が、少しだけ早い。
ミミルちゃんはまだ来ていない。昨日は付属中等部からここまで来るだけで、昼休みの半分を使っていた。今日も来られるかは本人が決めることなので、待ちに行ったり迎えに行ったりはしない。ただ、来られた時に座る場所がないのは困るから、席だけは用意しておく。
「寧夢様。廊下を見すぎです」
「見てません」
「先ほどから三度、戸口へ顔を向けています」
「ミミルちゃんを待っているだけです」
「でしたら、待っていると認めてください」
後ろのルカさんに訂正された。待っている。ものすごく待っている。でも、期待している顔を見せたら、ミミルちゃんに無理をさせるかもしれない。私は弁当箱の蓋を開けながら、なるべく正面だけを見ることにした。
「待っていても、来るかどうかを決めるのはミミルだ」
向かいのセナさんが、細長い昼食の包みを開く。
「顔を隠す必要はないだろう」
「隠しているわけではなくて、圧をかけないようにしています」
「その顔で何度も廊下を見れば、十分に圧になると思います」
ユラさんにまで言われた。難しい。待つにも技術がいるらしい。
私が完全に弁当へ視線を落としたところで、教室の戸口から小さな声がした。
「こんにちは」
顔を上げると、ミミルちゃんが弁当の包みを胸元へ抱えて立っていた。長い耳は緊張したように少し後ろへ傾いているけれど、昨日のように戸口の陰へ隠れてはいない。
「こんにちは、ミミルちゃん」
私は席を立たず、手も振らずに挨拶を返した。
本当は、来てくれた……! と全身で喜びたい。でも、それをやったらたぶん圧になる。表情までは隠せなかったらしく、ミミルちゃんの耳がこちらを向き、頬が少しだけ赤くなった。
「今日も、来ました」
「うん。嬉しいです」
昨日より大きな声だった。ルカさんから距離の確認を受けると、ミミルちゃんは自分で空席まで歩き、椅子へ座った。セナさんが机を動かす必要もない。弁当を置き、小さく息を吐く。すごい。昨日できたことを、今日はもう一度、自分でできた。
「ミミルちゃん、お疲れさま」
「まだ、何もしていません」
「ここまで来たので」
「昨日よりは、まっすぐ来られました」
少しだけ誇らしそうに言われた。かわいい……!
長い耳が完全には伏せず、後ろへゆるく流れている。撫でたら気持ちよさそう。いや、待って。ミミルちゃんには、私が耳へ触れたがっていることをまだ話していない。いきなり目を輝かせたら怖がらせる。
私は弁当へ視線を戻した。
「今、何をご覧になっていましたか」
ユラさんに見つかった。
「ミミルちゃんが昨日より慣れているなと思って」
「耳を見ていたように思います」
「耳にも出ていたので」
「何がですか?」
「慣れてきた感じが」
苦しい。
ミミルちゃんが自分の耳へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。昨日、私がセナさんの尾を見ていた時と同じような反応である。私の視線、そんなに分かりやすいのだろうか。
「寧夢は分かりやすい」
セナさんが肉を挟んだパンを手に取った。
「まだ何も聞いていません」
「顔に出ている」
「全員から同じことを言われます」
「全員に同じ顔を見せているからだろう」
その言葉で、ユラさんの尻尾が椅子の脚へ巻きついた。全員に同じ顔。何かよくない言葉だっただろうか。セナさんは気にせず食事を始め、ミミルちゃんは自分の耳を少しだけ後ろへ倒している。ルカさんの大きな耳も、こちらへ向いた。
私は余計なことを言わないよう、弁当の卵焼きを口へ運んだ。
今日は静かに食べよう。
そう決めた直後、ユラさんが口を開いた。
「斑目先輩」
「何だ」
「昨日、逢苗様に前腕へ触れていただいた、という話は本当ですか?」
静かな昼食は終わった。ミミルちゃんの長い耳がぴんと立つ一方、セナさんは驚かず、食べかけのパンを包みへ戻した。
「言い方が少し違う。私が寧夢へ触れさせた」
「斑目先輩から、ですか」
「そうだ。右の前腕を一度だけ」
ユラさんの視線が、セナさんの右腕へ落ちる。制服の袖に隠れていて、昨日触れた場所は見えない。私の指先には短く密な毛の感触がまだ残っている気がするけれど、見た目には何も変わっていなかった。
「何か、取っていただくものがあったのでしょうか」
「何もない」
「では、運動の補助を」
「それもない」
「……そうですか」
丁寧な声だった。ただ、椅子の脚へ巻きついた尻尾が、さっきより一周増えている。
「ユラさん。学校とルカさんには確認して、一度だけ、毛の流れに沿って触りました」
私は心配させないよう、昨日の条件を説明した。
「セナさんが場所も回数も決めてくれたので、安全でした」
「はい。逢苗様が勝手に触れたとは、思っていません」
「よかったです」
「ただ」
ユラさんが一度、言葉を止める。
「必要がなくても、触れたいのですね」
疑問というより、確認だった。
私は正直に頷いた。
「はい。相手が嫌でなくて、安全なら」
ミミルちゃんの耳が止まった。
「必要が、なくても?」
「うん」
「耳や、尻尾もですか?」
昨日、セナさんの尾を目で追っていたことを思い出したらしい。ミミルちゃんは自分の長い耳を両手で挟み、少しだけ中央へ寄せた。隠された。胸が痛い。
いや、当然である。自分の身体の一部を触りたいと言われて、どうしていいか分からなくなる方が普通だ。セナさんだって、最初に聞いた時は一歩下がった。
「触りたいとは思います。でも、ミミルちゃんが嫌なら触らないし、今すぐ触らせてほしいという話でもないです」
「……はい」
ミミルちゃんは耳を挟んだまま、少し考えている。嫌だとは言われなかった。でも、いいとも言われていない。今はそれでいい。
「逢苗様は、斑目先輩だから触れたかったのですか?」
ユラさんが尋ねた。
「虎族の毛並みは初めてだったので、すごく興味はありました」
「虎族だから、ですか」
「それだけではないです。セナさんが走っているところを見た後だったので、動いている時と止まっている時で毛の感触が違うのかも気になって」
「では、猫族や兎族なら、同じようには興味を持たないのでしょうか」
声は穏やかなままだった。でも、黒と白の耳は私へ向き、尻尾は椅子の脚を離さない。これは、たぶん答えを間違えるとよくない質問である。私は箸を置き、慎重に考えた。
「猫族にも兎族にも、同じくらい興味があります」
ユラさんの尻尾が、椅子の脚をきつく締めた。
間違えた。
「同じ、なのですね」
「違います。今の同じは、興味の量というか、好き嫌いで差をつけていないという意味で」
「平等に触れたい、ということですか?」
「そう言われると、ものすごく節操がない感じになりますね」
「違うのか?」
セナさんが聞く。
ルカさんまで、端末を持ったままこちらを見ている。逃げ場がない。
「触れてみたい気持ちがあるのは否定しません」
私は背筋を伸ばした。
「猫族の耳は三角で、短い毛がきれいに揃っていて、動きが細かいです。兎族の耳は長くて、向きが変わると印象まで違います。虎族は耳が丸くて、毛並みは短く密度があって、縞があります。犬族は耳の形も毛の長さも幅が広くて、尻尾も」
「寧夢様」
ルカさんに止められた。
「犬族の説明まで広げる必要はありません」
「でも、全員違うという話なので」
「種族ごとの特徴を列挙する話でしたか?」
違う気がする。
私は三人を見る。ユラさんは少し不満そうに耳を外へ向け、ミミルちゃんは自分の長い耳をまだ両手で挟んでいる。セナさんは、私がこの先どう答えるのか待つように琥珀色の目を向けていた。
猫族。兎族。虎族。それぞれの種族に、それぞれの魅力がある。これは本当だ。でも私が今、同じ机を囲んでいるのは、猫族と兎族と虎族という分類ではない。ユラさんと、ミミルちゃんと、セナさんだ。
「すみません。種族の違いだけではないです」
私は言い直した。
「ユラさんの耳は、黒と白の毛が混じっていて、右と左で少し模様が違います。お礼を言うと立って、困ると少し横へ向いて、何かを決める時は両方ともこっちを向くので、きれいなだけじゃなくて、ユラさんが何を考えているのか少し分かるようになりました」
ユラさんの耳が、両方とも勢いよく伏せた。
「そこまで、見ていたのですか」
「隣の席なので」
「隣でも、普通はそこまで見ません」
「そうなんですか?」
「そうだと思います」
声が小さくなっている。嫌だっただろうか。でも耳を隠すように頭を下げながらも、席を離れる様子はない。
「それに、ユラさんが授業で分からないところを教えてくれたことも、交流当番を続けたいと自分で言ってくれたことも、耳の粉を私に取ってほしいと頼んでくれたことも、全部ユラさんだから嬉しかったです。ほかの猫族の人が同じ耳をしていても、同じにはならないです」
ユラさんの尻尾が、椅子の脚から少しだけ緩んだ。
「ミミルちゃんは、長い耳もかわいいです」
今度は正面を見る。
ミミルちゃんの手に、少しだけ力が入った。
「でも、かわいいのは耳だけじゃなくて、怖い時に怖いって言ってくれるところもです。昨日も今日も、緊張したまま自分でここまで来てくれました。返事がすぐに出なくても、考えた後はちゃんと言葉にしてくれるので、私は待っていればいいんだって分かります」
ミミルちゃんが、ゆっくりと耳から手を離した。長い耳はすぐには立たず、頭の後ろへ流れたままだった。それでも、隠されてはいない。
「だから、ミミルちゃんの耳も見ますけど、耳だけを見ているわけではないです」
「……はい」
小さな返事だった。頬は赤い。でも、さっきより呼吸が落ち着いているように見えた。
「セナさんは、丸い耳も縞の入った尻尾も、前腕の毛並みもかっこいいです」
「私だけ身体の話が多くないか」
「昨日触ったばかりなので、印象が強くて」
「そうか」
セナさんの尾が一度だけ床を払った。
「でも、一番すごいと思ったのは、自分で決めたことを自分の言葉で言えるところです。私を名前で呼ぶことも、ミミルちゃんの席を作ったことも、腕へ触らせることも。嫌なら断れと言ってくれるので、セナさんの言葉は信じていいんだと思えます」
今度は、セナさんが黙った。丸い耳が、ほんの少し外へ向く。
「感想が細かいな」
「大事なので」
昨日と同じ言葉を返すと、セナさんは水筒へ手を伸ばし、少し長く水を飲んだ。
三人とも、何も言わなくなった。教室の周囲では、こちらを見ないようにしている生徒たちの耳だけが、完全にこちらへ向いている。私は種族の魅力について説明するつもりだったのに、途中から三人の好きなところを順番に発表したような形になってしまった。
恥ずかしい。でも、言ったことは全部本当である。
「つまり」
ユラさんが、伏せていた耳を少しだけ起こした。
「逢苗様にとって、私たちは平等ではない、ということでしょうか」
「大切さに順位をつけたいわけではないです」
「では、同じですか?」
「同じでもないです」
自分でも、ややこしいことを言っていると思う。
「安全のための確認や、嫌ならやめることは、誰に対しても同じにしたいです。でも、嬉しい理由は違います。ユラさんに頼ってもらえた時と、ミミルちゃんが会いに来てくれた時と、セナさんが腕を差し出してくれた時は、どれも嬉しかったけど、同じ出来事ではないので。全員に同じようにするのではなくて、その人が嫌なことと、してほしいことを一人ずつ知りたいです。触れるかどうかも、その中の一つです」
うまく説明できただろうか。ユラさんはしばらく私を見ていた。耳はまだ少し伏せているけれど、尻尾は椅子の脚から完全にほどけている。
「分かりました」
「本当ですか?」
「全部ではないです。ただ、同じではないことは」
ユラさんは自分の弁当へ視線を落とした。
「それなら、よいと思います」
よかったらしい。でも、声の端に少しだけ不満が残っている気もする。私は何か足りなかったかと考え、さっきの説明を頭の中で戻した。
「ユラさんは、同じなのが嫌だったんですか?」
聞いた瞬間、黒と白の耳が跳ねた。
「嫌というほどでは」
「では、少し?」
「……少しだけです」
正直に答えてくれた。尻尾の先が、机の下で一度だけ上を向く。
「誰にでも同じように触れたいのなら、私が自分からお願いしたことも、誰にでも置き換えられるように思えました」
「置き換えられません」
今度はすぐに答えられた。
「あの時、ユラさんが私に頼むと決めてくれたことが嬉しかったので。粉を取るだけなら、ほかの人でもできました。でも、ユラさんが私を選んでくれたことは変わりません」
ユラさんの耳が、また伏せる。さっきより柔らかい伏せ方だった。
「……はい」
それ以上は何も言わず、弁当の魚へ箸を伸ばす。隣ではミミルちゃんが、自分の長い耳へ触れるか迷うように指を動かしていた。向かいではセナさんが、制服の袖越しに昨日の右前腕を一度なぞっている。
平等ではない。同じでもない。でも、一人だけが特別で、ほかの人はどうでもいいという話でもない。難しい。獣人さんと安全に仲良くなる道は、触り方だけ覚えれば終わりではないらしい。
「寧夢様」
ルカさんが後ろから呼んだ。
「はい」
「昼休みが終わるまで、あと十分です」
「もうそんな時間ですか」
「お話へ集中され、昼食がほとんど進んでいません」
見れば、弁当にはまだ半分以上残っていた。セナさんの尾ではなく、今度は会話に気を取られて食事が止まっていたらしい。
「食べます」
「そうしてください」
私は慌てて箸を動かした。
三人もそれぞれ食事へ戻る。さっきまでより静かだけれど、嫌な静けさではなかった。ミミルちゃんの耳は隠されず、セナさんの尾は椅子の後ろでゆっくり揺れ、ユラさんの尻尾はもう脚へ巻きついていない。よく分からないまま、たぶん少しだけ正解に近づけた。そんな気がした。
☆
同じではない。逢苗様にそう言われた言葉を、ユラは午後の授業中も何度か思い出した。
黒板の数式は追えている。先生の説明も聞いている。隣では逢苗様が、午前より少し遅れてノートを取っていた。困った時にこちらを見られるよう、教科書の端を少しだけ逢苗様の方へ寄せてある。
交流当番だからだ。今日も自分が続けたいと希望したのだから、必要な補助をするのは当然だった。
『ほかの猫族の人が同じ耳をしていても、同じにはならないです』
耳が熱くなる。逢苗様は、猫族全体の特徴としてユラを見ているわけではなかった。右と左で模様が違うことも、お礼を言われた時に耳が立つことも、何かを決める時は両耳が相手へ向くことも知っていた。
見すぎだと思う。そんなところまで見られていたなんて、恥ずかしい。けれど、気づかれていなかったより、ずっといい。
斑目先輩の前腕へ触れたことは、まだ気に入らない。ミミルが自分から昼食へ来て、逢苗様に「かわいい」と言われたことも、少しだけ気に入らない。自分だけではないし、一番だと言われたわけでもない。それでも、自分から耳の粉を取ってほしいと頼んだことは、ほかの誰にも置き換えられないと即答してくれた。
平等は、やっぱり気に入らない。でも、違うところを一人ずつ覚えてくれるのなら、それは少しだけ悪くなかった。
「ユラさん」
隣から小さく呼ばれ、考えるより先に両方の耳が逢苗様へ向いた。
「ここの式、次はどうすればいいですか?」
「えっと、先に括弧の中をまとめます」
ユラは教科書をもう少しだけ逢苗様の方へ寄せた。それは今日も、自分に頼まれたことだった。