翌朝、創真が訓練場へ着いたとき、虎杖は既に伏黒と走っていた。
最後の直線で虎杖が速度を上げる。伏黒も追うが、距離が開いた。二人の呼吸が聞こえるほど近づいてから、創真は片手を上げた。
「おはよう。早いな」
「おう! 朝霧も走る?」
「走るけど、何周目?」
「五周」
伏黒が答えた。虎杖ほど息に余裕はないが、声は落ち着いている。
創真は時計を見た。
「集合、九時じゃなかったっけ」
「目が覚めたから、先に動いとこうと思って」
虎杖が首を左右に倒す。昨日、夕食のあとで五条から今後の説明を受けたばかりなのに、よく眠れたようだった。
少なくとも、今はそう見える。
創真は荷物を置き、二人の隣へ並んだ。
「じゃ、あと二周付き合う」
「よし。今度は負けねえ」
「別に競争じゃねえぞ」
伏黒の言葉を聞いているのかいないのか、虎杖は楽しそうに走り出した。
*
九時を少し過ぎて、五条が来た。
その後ろには、長い袋を肩に掛けた女子生徒がいる。眼鏡を掛け、髪を高い位置で結んだ、二年生の禪院真希だった。
「お待たせ。今日の特別講師」
「誰が講師だ。道具を取りに来ただけだろ」
真希は五条を一瞥し、虎杖に目を留めた。
「お前が新しい一年か」
「虎杖悠仁です。よろしくお願いします!」
「禪院真希。二年だ」
創真が挨拶すると、真希は短くうなずいた。次いで彼の足元の荷物へ視線を落とす。
「頼んだやつ、できてるか」
「はい。重さは三種類。握りは、前のやつを基準にしてあります」
「あとで見る」
真希が荷物を置く間に、五条は三人を訓練場の中央へ呼んだ。
「悠仁は、まず呪力を扱うところから。身体は文句なしだけど、そのまま殴るだけじゃ呪霊には通用しないからね」
「呪力って、どうやって出すの?」
「そこを今日からやるんだよ。先に、使って戦うと何が変わるのか見てもらおうかな」
五条が創真へ顔を向ける。
「創真、軽く動ける?」
「相手は先生ですか?」
「最初は僕が動かす標的。その次は、真希がよければ」
「いいぜ。ただし、呪力強化は抑えろよ。速さだけ見せられても、こいつの勉強にならねえ」
真希が虎杖を顎で示した。
創真はうなずき、上着を脱いで伏黒へ預けた。
五条が用意していた訓練用の人形は、学長の作った呪骸だった。布で覆われた丸い身体に、太い腕が二本ある。
虎杖がそれを見て、少し嫌そうな顔をする。
「昨日のやつと似てる……」
「面談で世話になったんだっけ」
「一方的に殴られた」
「今日は見てて」
創真は右手を差し出した。
指先から柄が伸びる。穂先まで一本につながった槍が、手の中に収まった。刃は付けず、先端も丸くしてある。
呪骸が走り出した。
振り上げた腕が届く前に、創真は半歩引いた。槍の先端で肩を押さえ、勢いを横へ逃がす。呪骸が踏み直すと、その足元へ柄を滑らせた。
相手が跳ぶ。
創真は槍を左へ放し、空いた右手に盾を作った。
落ちてくる拳を、盾の斜面で受ける。鈍い音がして、呪骸の身体が横へ流れた。
そのときには、左手に幅の広い剣があった。
平らな面で胴を捉え、地面へ押し伏せる。創真が一歩踏み込み、動こうとする腕を足で止めたところで、五条が手を上げた。
「はい、そこまで」
呪骸が力を抜いた。
創真は剣を持ち上げ、相手から離れる。
虎杖は、少し遅れて口を開いた。
「……槍、いつ剣になった?」
「なってない。槍はあそこ」
創真が指した先に、最初の武器が転がっていた。
「別に作ったんだ。盾も」
「昨日、ネジ出してたのと同じ?」
「同じ」
虎杖が近寄り、剣と盾を見比べた。
創真は持ち手を差し出す。
「触ってみる?」
「いいの?」
「刃は付いてない。でも重いから、落とさないで」
虎杖は受け取った剣を軽く持ち上げた。苦もなく持っているが、振ろうとしたところで、先端が思ったより下がる。
「うお。長いと、手首に来るな」
「お前、普段は素手だろ」
真希が横から柄を指した。
「握ってる位置が端すぎる。片手で扱うなら、まずそこから変えろ」
虎杖が持ち直す。真希は軽く剣先を押し、手の中で柄が滑る様子を確かめた。
「朝霧。こいつには少し太い」
「俺にはちょうどいいんですけど」
「お前用なんだから当然だろ。同じもの渡せば、同じように使えるってわけじゃねえ」
創真は虎杖の手元を見た。
指の長さも、握るときの力の入れ方も違う。構造は分かる。だが、虎杖が何を握りやすいと感じるかは、こうして使ってもらわなければ分からなかった。
「虎杖、細いのも試して」
形を少し変えた短い棒を、二本作った。
虎杖が一本ずつ握り、手首を回す。
「こっち。……いや、もうちょい太い方がいいかも」
「じゃ、中間にする」
三本目を渡すと、虎杖は今度こそうなずいた。
「これだ」
「覚えた。装備を作るなら、これを基準にする」
真希はそのやり取りを見届けてから、袋の口を開いた。
「次、私とやるぞ。作る速さだけじゃなくて、持ち替える理由を見せろ」
*
真希との打ち合いは、呪骸相手とは違った。
槍を突き出すと、穂先を避けるだけでなく、柄へ攻撃が来る。手首を狙われ、創真は槍を引いた。その隙に真希が距離を詰める。
創真は柄を放し、短い盾を構築した。
真希の長柄の武器が盾へ当たる。創真は押し合わず、盾を傾けて流しながら右へ回った。
手の中には、刃のない斧。
長い武器を引き戻す相手の腕へ、柄の末端を当てる寸前で止めた。
「一本」
真希が言った。
創真はすぐに武器を下ろす。
「もう一回お願いします」
「当たり前だ」
二度目、真希は盾を作る直前に踏み込みを止めた。
創真も動きを変える。
斧は作らなかった。新しい槍を握り、間合いの外へ戻ろうとする真希を追う。身体を開いて穂先を避けた彼女の進路へ、石突を回した。
真希が武器で受ける。創真はその反動に合わせて踏み込み、柄を押さえた。
互いの動きが止まる。
「……今のは、見えてたな」
「盾を誘ってると思ったので」
「よし」
真希は武器を下ろした。
何度か繰り返しても、結果は変わらなかった。身体の速さを抑えた創真は、相手の動きに応じて必要な武器を選び、その都度、逃げ道を削っていく。
虎杖が伏黒へ小声で尋ねる。
「朝霧って、ずっとこんな感じ?」
「ああ。でも、今はかなり抑えてる」
「これで?」
「お前も、動き自体は追えてるだろ」
伏黒は虎杖の顔を見た。
「呪骸のとき、盾を出す前に目がそっちへ動いてた。見えない相手じゃねえ。今のお前には、呪力の使い方が足りてないんだ」
「……そっか」
虎杖が、創真たちへ視線を戻した。
創真はその声を聞きながら、最後の一本を終えた。
真希が肩を回す。
「今日はここまで。頼んだやつは、こっちで使ってから返事する」
「はい。合わなかったら言ってください」
「言うに決まってんだろ」
創真は笑い、彼女の袋を持ち上げるのを手伝った。
*
真希が離れ、三人が水を飲んだところで、五条が訓練場の奥を指した。
「最後に、一つだけ実演しようか」
「先生と?」
「うん。今度は少し速くしていいよ。二人は下がっててね」
伏黒が虎杖を連れ、外周へ移動する。
創真は二人が止まった位置を確認し、反対側へ歩いた。そこから五条へ向き直る。
「条件は?」
「僕の胴に一発。刃はなし。領域も使わない」
「先生は?」
「今日はこの術式だけ」
五条が自分の胸へ指を向けた。
創真は右手に槍を作る。
次の瞬間、土が跳ねた。
五条までの距離が消える。
槍の先端は、胸のわずか手前で止まった。
創真の腕にはまだ力が残っている。地面を蹴った勢いも、槍へ伝わっている。それなのに、あと少しが進まない。
「見える?」
五条が、離れている虎杖へ声を掛けた。
「見えるけど……なんで止まってんの?」
創真は槍を引き、横へ動いた。
五条の左側へ回り込み、大剣を構築する。振り下ろした剣も、肩へ触れる前に動きが鈍った。
そこで、創真は剣を放した。
五条の足元の左右に、低い壁が立ち上がる。
足場を狭めたところへ、今度は盾を構えて踏み込んだ。背後へ回る経路にも柱を二本作る。相手の進路を限定し、逃げた先へ次の武器を置く。
五条は動かなかった。
盾も、届かない。
創真は盾を手放すと同時に、足元へ台を作った。踏み上がり、五条の頭上を越える。
上から落とす長い棒。
下から突き上げる槍。
着地した創真自身の拳。
その全てが、五条の身体へ触れる寸前で止まった。
五条の口元から、笑みが薄れる。
創真の踏み替えに合わせ、顔の向きが細かく変わっていた。無下限で攻撃は防いでいる。それでも、死角を次々に作り替える創真の動きから、目を離してはいない。
創真は最後に、太い杭を水平に構築した。
その末端を掌で打つ。
杭が五条へ走り、届かずに止まる。創真は追撃へ踏み出したが、五条の片手が上がった。
「はい。そこまで」
創真は足を止めた。
周囲には、槍、大剣、盾、柱、壁が残っていた。
五条は杭の横を通り、創真の前へ出る。
「途中から、攻撃より配置を優先したね」
「先生が動けば、近づける場所が変わるので」
「でも、僕は動かなかった」
「はい。無下限、やっぱり厄介です」
創真は大きく息を吐いた。疲れたというより、集中を解いたときの呼吸だった。
外周から虎杖が走ってくる。
「今の、全部作ったの? 戦いながら?」
「そう」
「全然止まんなかったじゃん!」
「こっちは止められっぱなしだったけどな」
創真が笑うと、五条も笑みを戻した。
「普通、構築術式でこれをやろうとしたら、先に呪力が尽きる。創真は、その点が例外なんだ」
虎杖が、周囲の構築物をもう一度見回す。
五条は説明を続けた。
「ただし、呪力が多いから何でも同じようにできるわけじゃない。僕に当てるには、別の方法が要る。悠仁も、自分の得意なところと、これから覚えることを分けて考えようね」
「俺の場合、まず呪力?」
「そう。宿儺に任せるんじゃなくて、君が使えるようになる」
虎杖はうなずいた。
創真は、その横顔を見てから、足元の槍を拾った。
「さて、片づけるか」
「これ消せないの?」
「作った物は残る。放っとくと怒られる」
虎杖は一番近くの盾を持ち上げた。
「じゃ、運ぶ」
「ありがと。武器は倉庫、壁は解体して資材置き場。順番にやろう」
伏黒も柱の方へ回った。
五条がその横を通り、そっと出口へ向かう。
「先生」
創真が呼ぶと、目隠しをした顔が振り返った。
「何?」
「実演、先生の提案ですよね」
「そうだったね」
「そっちの壁、お願いします」
虎杖が笑い、伏黒が黙って二本目の柱を持った。
五条は肩をすくめてから、壁へ戻った。
昨日は棚の脚。今日は訓練場に残した武器と資材。
ずいぶん量は増えたが、作りっぱなしにできないところは同じだった。
創真が運び出す順番を考えていると、五条がふと思い出したように言った。
「そうそう。明日はもう一人、一年生を迎えに行くから」
虎杖が盾を抱えたまま顔を上げる。
「同級生?」
「うん。これで四人」
創真は伏黒と目を合わせた。
「じゃ、帰ったら部屋、見とこうか」
「空いてる部屋なら問題ねえよ」
「昨日の棚みたいなのがあるかもしれないだろ」
伏黒は否定しなかった。
虎杖が盾を置き、次の槍へ手を伸ばす。
「俺も手伝う。今度は先に昼飯食ってからな」
「それはそう」
創真は笑い、彼と並んで倉庫へ向かった。