オリジナル展開含みます
駅前で人を待つだけなのに、五条は妙に楽しそうだった。
創真は通行人の邪魔にならないよう、柱の脇へ寄る。隣では虎杖が、行き交う人を眺めていた。
「多いなあ」
「休日なら、もっと多いぞ」
伏黒が答える。
虎杖は感心したようにうなずき、それから創真の方を向いた。
「朝霧は東京の人?」
「都内じゃない。こっちに来たのは入学してから」
「じゃ、店とかあんまり知らない?」
「伏黒の方が詳しいと思う」
「俺も、そんなに買い物しねえよ」
三人の話へ、五条が割って入った。
「案内なら先生に任せなさい。有名な店、いっぱい知ってるから」
「甘い物の店だけじゃないですよね」
「創真、僕を何だと思ってるの」
答えようとしたところで、車輪の音が近づいてきた。
キャリーケースを引いた少女が、人の流れを抜けてこちらへ来る。短く整えた髪が、歩くたびに頬の横で揺れていた。
彼女は五条の前で止まり、目隠しをした顔を見上げる。
「五条先生?」
「そう。釘崎野薔薇さんだね。お疲れさま」
「どうも」
少女は続いて、横に並ぶ三人を見た。
「こいつらは?」
「同級生。一年生は君を入れて四人」
真っ先に虎杖が手を上げる。
「虎杖悠仁。よろしく!」
「伏黒恵」
「朝霧創真。よろしく、釘崎」
三人の顔を順番に見てから、釘崎はケースの持ち手を引き上げた。
「釘崎野薔薇。先に言っとくけど、荷物置いたら買い物したいんだけど」
「いいねえ。じゃ、その前にちょっと寄り道しようか」
五条が言う。
「どこへ?」
「君と悠仁の実力を見る場所」
釘崎の眉が動いた。
「……観光じゃないの?」
「そっちはあとで」
五条の笑顔を見ても、彼女の顔は晴れなかった。
*
駅から移動し、人通りの少ない道へ入ると、空気が変わった。
取り壊しを待つ古いビルが、道路の奥に立っていた。窓の一部は板で塞がれ、入り口のガラスにはひびが入っている。
「ここ」
五条が示すと、釘崎は露骨に顔をしかめた。
「東京まで来て、なんで廃ビルを見なきゃいけないのよ」
「仕事も覚えてもらわないとね」
五条は虎杖に、鞘へ収めた短い刀を渡した。
「悠仁はこれ。まだ自分で呪力を込められないから、呪具を使って。刃の向きと、振った先には気をつけること」
虎杖が抜きかけた刃を見て、うなずく。
五条は四人へ向き直った。
「建物の中にいる呪霊を祓う。今日は悠仁と野薔薇が中心。恵と創真は周囲の確認と、危険があった場合の補助」
「了解です」
創真が答えると、五条は一つ付け加えた。
「人がいたら、そっちが優先。試験だからって、助けるのを待つ必要はないよ」
創真は建物を見上げた。
二階の窓枠が腐っている。外階段には錆が浮き、三階の手すりは途中で折れていた。呪霊だけを見て歩くと、足元を取られそうな場所だった。
「俺、外も見てから入る。伏黒、中の出口を頼める?」
「分かった」
虎杖と釘崎が入り口へ向かう。
創真は裏へ回り、壁際に落ちていた板を避けた。五条が建物の外に帳を下ろし、周囲から現場を隠す。
薄暗くなった空の下で、創真は窓を一つずつ確認した。
*
一階の出口を伏黒と確認し、創真が二階へ上がろうとしたところで、上から鈍い音がした。
続いて、釘を打ち込むような乾いた音。
釘崎の金槌だろう。
創真は階段の踊り場へ出た。廊下の奥に、祓われた呪霊の残滓が薄く漂っている。釘崎の姿は見えない。
「釘崎?」
声を掛けると、奥の部屋から返事が来た。
「来ないで」
低い声だった。
創真はすぐに足を止める。
部屋の入口から見えたのは、釘崎の背中と、小さな子供だった。
少年の首へ、細長い腕が巻き付いている。その後ろに、膨れた頭を持つ呪霊がいた。爪の先が少年の頬へ触れている。
創真は左手を開いたまま、廊下の角へ身体を寄せた。
呪霊がこちらへ目を向ける。
釘崎は動かなかった。金槌を握った手だけが、ゆっくり下がる。
「分かったわよ」
金槌が床に置かれた。
創真は少年を見た。震えているが、意識はある。釘崎との距離は数歩。正面から飛び込めば、その前に首を傷つけられる。
階下で、足音が走った。
虎杖だ。
創真は階段へ一瞬目を向け、すぐ戻した。虎杖は一階を調べていたはずだ。声が聞こえたのだろう。
釘崎の視線が、呪霊の背後の壁へわずかに動いた。
創真も、その壁を見た。
薄い間仕切り。その向こうは隣の部屋だ。
壁が破れた。
石膏の粉と共に、虎杖の腕が突き出す。
呪霊が振り向いた瞬間、虎杖の手が少年の服を掴んだ。
創真は踏み込む。
呪霊の爪と少年の間へ、薄い金属板を差し入れた。振り下ろされた爪が板を鳴らす。同時に虎杖が少年を引き寄せ、もう片方の手に持った呪具を振った。
少年を押さえていた腕が、途中から落ちる。
「こっち!」
創真が少年の背中を受け止める。
釘崎は既に金槌を拾っていた。
床を蹴って近づく彼女に、呪霊が身を引く。逃げ込んだ先は窓だった。
割れたガラスの向こうへ、胴体が滑り出す。
虎杖が追おうとして、窓枠へ足を掛けた。
「外、手すりがない!」
創真は少年を自分の背後へ置き、窓の下へ足場を構築した。金属の脚が地面まで伸び、窓の高さに床板が収まる。外側には腰より高い柵を付けた。
虎杖の足が、その床へ下りる。
逃げた呪霊は、既に下へ飛び降りていた。
「追わなくていい!」
釘崎が叫ぶ。
創真が振り返ると、彼女は切り落とされた腕を床へ押さえていた。
藁人形が置かれ、その上へ釘が構えられる。
金槌が振り下ろされた。
「共鳴り」
外から、甲高い悲鳴が上がった。
窓越しに見えた呪霊の身体が、内側からひしゃげる。地面へ落ちた影は、ほどなく消えていった。
釘崎は腕の残滓を見届け、息を吐いた。
「逃がすわけないでしょ」
窓の外で虎杖が振り向く。
「今の、何? こっちまで届いた!」
「私の術式。詳しい話はあと」
釘崎は少年の方へ来た。
創真がしゃがみ、その顔を確かめる。頬に薄い引っかき傷があるが、深くはない。首元の服を少し緩めると、少年が咳をした。
「痛いところある?」
問うと、小さな手が首を押さえた。
「そこ以外は?」
少年は首を振った。
釘崎が同じ高さまで腰を下ろす。
「もう大丈夫。立てる?」
返事の代わりに、少年の目から涙がこぼれた。
釘崎は一度言葉を切り、背中へ手を置く。
「……怖かったわよね」
虎杖も窓から戻ってきた。創真は彼へ場所を譲り、伏黒と五条に救出を知らせるため携帯を取り出した。
*
少年を外へ連れ出すと、伏黒が出入口を確保して待っていた。
五条が状態を確かめ、診察と家族への連絡を手配する。少年は虎杖の服を掴んで離さなかったが、事情を聞いた大人がそばへ来ると、少しずつ落ち着いた。
創真はその様子を見届けてから、建物へ戻った。
窓の足場を残したままにはできない。人が寄り掛かれば外れそうな窓枠も、ひとまず板で塞いでおく。
部品を外して運んでいると、釘崎が廊下へ来た。
「あんた、外に階段まで作れるの?」
「作れるよ。あれは床と柵だけだけど」
「何の術式?」
「構築術式。物を作る」
釘崎は手元の金属部品を見た。
「便利ね」
「片づけまで含めると、そうでもないときがある」
創真が床に積んだ部品を示すと、釘崎は鼻で笑った。
それから、少し間を置いて言った。
「さっきの板、助かったわ。あの爪、危なかったから」
「虎杖が壁から来たから、間に入れた。釘崎も、武器置くのが早かったな」
「あのまま構えてたら、子供に何するか分かんないでしょ」
創真はうなずいた。
後から考えれば、他にも方法はあったかもしれない。だが、彼女はあの場で武器を置き、相手の注意を自分へ留めた。
その数秒で、虎杖が隣の部屋へ入れた。
「子供、もう泣き止んだ?」
「うん。今、先生が連絡してる」
「そう」
釘崎は積まれた部品の一つを持ち上げた。
「これ、どこまで運ぶの」
「裏の車まで。重いぞ」
「持てば分かるわよ」
彼女はそう言って歩き出した。
創真も二つの部品を抱え、その後へ続いた。
*
現場の処理を終え、少年を診察へ送り出した頃には、昼をかなり過ぎていた。
車の脇で、五条が四人を見回す。
「お疲れさま。途中で救助になったけど、みんなよく動けてたね」
「先生」
釘崎が腕を組む。
「買い物は?」
「覚えてた?」
「忘れるわけないでしょ」
五条は笑い、時計を見た。
「じゃ、夕方まで。僕はこのあと報告があるから、四人で行ってきなさい。駅で集合ね」
伏黒が予定の時刻を確認する。その横で、虎杖は釘崎へ尋ねた。
「どこ行きたい?」
「服。あと靴。店、見て回りたい」
「飯は?」
「食べるけど」
「よかった」
虎杖の声があまりに真剣で、創真は笑ってしまった。
人通りの多い通りへ戻ると、釘崎の足取りが変わった。店の看板を見上げ、窓に並んだ服へ目を向ける。
最初の店に入ると、彼女は一着の上着を手に取り、創真へ見せた。
「これと、あっち。どっちがいいと思う?」
創真は二着を見比べた。
「普段着るなら、今持ってる方かな」
「何で?」
「色。そっちの方が、合わせやすそう」
「ふうん」
釘崎は返事をして、二着とも試着室へ持っていった。
待っている虎杖が、小声で尋ねる。
「朝霧、服も作れんの?」
「形が分かれば。でも、着心地とか、実際に着てみないと分かんないこともある」
「ああ、昨日の剣の柄みたいな」
「そう」
試着室のカーテンが開く。
創真が勧めなかった方の上着を着て、釘崎が出てきた。
「やっぱり、こっち買う」
「似合ってると思う」
「でしょ」
迷いのない返事だった。
創真は笑ってうなずく。
本人が選ぶと、印象が変わるものだ。釘崎は鏡の前で袖を折り、もう一度自分の姿を確かめていた。
買い物袋が一つ増えてから、四人は遅い昼食にした。
席へ着くなり、虎杖が献立を開く。伏黒は水を注ぎ、釘崎は袋を空いた椅子へ置いた。
「そういや、寮の部屋ってどんな感じ?」
「一人部屋。昨日、空いてる部屋を確認したから、すぐ使えると思う」
創真が答える。
「机は?」
「ある」
「収納」
「ある。足りなかったら言って」
釘崎が目を細めた。
「勝手に変なの作んないでよ」
「希望は聞くって」
虎杖が顔を上げる。
「俺も手伝った。ちゃんと扉開くか調べたし」
「普通は開くでしょ」
「昨日の棚がすごかったんだよ」
「棚?」
虎杖が説明を始め、伏黒が途中で間違っている箇所を直した。釘崎は聞きながら注文を決め、創真へ献立を回す。
昨日より、一人多い。
創真は四つのコップを見てから、献立へ目を落とした。
「俺、これにする」
「あ、それ俺も迷ってた」
虎杖が指を伸ばす。
「じゃ、違うの頼んで分ける?」
「お前ら、注文まで一緒にやんの?」
釘崎が呆れた顔をした。
伏黒は何も言わず、水の入ったコップを口へ運ぶ。その目元が少しだけ緩んでいるのを、創真は見た。
やがて料理が運ばれてきて、四人分の皿が机を埋めた。
話は自然と、次に行く店へ移っていった。