釘崎が高専へ来て三日目、創真のもとへ荷物が届いた。
差出人の欄には、母の名前がある。
寮の共有スペースへ運び、机の上で箱を開けると、最初に見えたのは洗濯用のネットだった。その下にタオル、個包装の菓子、実家に置いてきた薄手の上着が詰められている。
上着のポケットから、小さな紙が落ちた。
『食事は抜かないこと。届いたら連絡してね』
創真は紙を拾い、携帯の横へ置いた。
「何、それ」
廊下から入ってきた釘崎が、箱を覗く。
「実家から。置いてきた服とか」
「お菓子も入ってるじゃない」
「食べる?」
「いいの?」
「みんなで食べてって、たぶんそういうことだと思う」
袋を取り出すと、その下にもう一枚、紙があった。
『お友達にも分けてください』
釘崎が肩越しに読み、笑った。
「ほら、合ってる」
創真は菓子を共有の皿へ移した。釘崎は一つ選び、包装を開けながら椅子に座る。
「家族も呪術師なの?」
「違う。父さんは会社員。母さんも、呪いとか全然知らなかった」
「じゃ、どうやってここに来たわけ?」
「五条先生に見つかった」
釘崎が眉を上げた。
「……それだけ聞くと、怪しいわね」
「うちの親も最初は同じ反応だった」
創真はタオルを畳み直し、箱の端へ寄せる。
あの日、家へ来た五条は目隠しを外していた。それでも、玄関先に立つ姿は十分に目立った。
母はまず、創真を自分の後ろへ下がらせた。
父が帰ってくるまで、話は玄関でしか進まなかった。
「そりゃ警戒するわよ」
「あとで学校の資料とか、ちゃんと説明してくれたんだけどな」
「あとで、じゃ遅いのよ」
釘崎の言うことはもっともだった。
創真は苦笑し、携帯を手に取った。
*
荷物が届いたと送ると、すぐに母から電話が掛かってきた。
創真は廊下へ出る。夕方の窓は開いていて、山の方から風が入っていた。
「届いた。ありがと」
『上着、入ってた?』
「入ってた。ネットも」
『服、傷める前に使ってね。前に送ったのは?』
「ある。洗濯機の横」
『そこにあるだけじゃ意味ないでしょう』
創真は窓枠へ肘を置き、笑った。
母は続いて、食事と睡眠のことを尋ねた。新しく来た同級生について話すと、声が少し明るくなる。
「今、一年は四人。女の子が一人、来たばっかり」
『仲良くできそう?』
「もう一緒に出かけた。お菓子も、今食べてる」
『よかった。お父さん、創真から電話』
向こうで椅子を引く音がした。
少しして、父の声に替わる。
『元気か』
「元気。父さんは?」
『こっちは変わらん。……仕事には、もう行ってるのか』
「授業と訓練が中心。外へも行くけど、先生が付いてる」
廃ビルの任務では、子供が捕まっていた。
その話をどこまで伝えるか、創真は一瞬迷った。
「この前は、人を一人助けた。怪我も大したことなくて、家族に連絡できたって」
『お前の怪我は』
「ないよ」
『そうか』
父の声が、少しだけ低くなった。
『強いのは分かってる。先生からも聞いた』
「うん」
『ただ、怪我をしなかったから、何でも引き受けていいってわけじゃないぞ』
創真は窓の外へ目を向けた。
父も母も、呪霊を見ることはできない。自分がどれだけの呪力を持っているのか、どう戦っているのかも、直接は分からない。
五条が説明してくれたあとでさえ、電話のたびに怪我のことを聞く。
以前なら、またかと思ったかもしれなかった。
「分かってる。一人じゃないから」
『それならいい』
母が横から何か言った。父が、今度帰る日が分かったら早めに知らせるよう伝える。
「分かった。二人とも、また連絡する」
通話を切って振り返ると、廊下の先に虎杖がいた。
手には洗濯物を抱えている。
「悪い。通っていいか迷って」
「全然。家から電話」
「うん。聞こえた」
創真は窓から離れ、道を空けた。
「共有スペースに菓子あるぞ」
「お、ありがと。これ干したら行く」
虎杖はいつもの調子で笑い、廊下を歩いていった。
*
夜、創真は共有スペースで荷物の箱を畳んでいた。
菓子は半分ほどになっている。釘崎が食べ、虎杖が食べ、伏黒も本を取りに来たときに一つ持っていった。
机には、母からの二枚の紙が残っていた。
捨てる気になれず、創真は上着のポケットへ戻す。
そのとき、虎杖が飲み物を二本持って入ってきた。
「どっち飲む?」
「こっち。いくら?」
「今日はいい。菓子もらったし」
虎杖が缶を置き、向かいへ座る。
創真は箱を机の下へよけた。
「洗濯、終わった?」
「干した。明日には乾くと思う」
「よかった」
缶を開ける音が、二つ続いた。
虎杖は一口飲んでから、皿へ目を向けた。
「朝霧って、いつから呪霊が見えてた?」
「小さい頃から。みんなには見えてないって気づいたのは、もう少しあと」
「怖くなかった?」
「怖かったよ。変なのがいても、誰も気にしないんだから」
虎杖はうなずいた。
創真は缶を両手で包む。
「物を作れるのも、人にはあんまり見せなかった。説明しにくくて。親は知ってたけど、それが何なのかは分かんなかった」
「それで、五条先生?」
「中二のとき、近所で事件があったんだ」
創真は少し考えてから、続けた。
「雨の日。買い物から帰る途中で、商店街の建物の中にでかいのが見えた。人がまだいたから、入った」
天井の照明が割れ、ガラスが床へ落ちていた。
人々は揺れた棚から逃げようとしている。棚を押したものが見えず、出口の前に何がいるのかも分かっていなかった。
創真には、それが見えていた。
呪霊が腕を振り上げる。その前で、小さな子供が転んだ。
「壁を作って、人と呪霊を分けた。あんなに大きいのを作ったのは、そのときが初めてだった」
「できたんだ」
「できた。思ってたより、ずっと」
腕が壁へ当たった音を覚えている。
壁は割れなかった。
創真は出口まで通路を作り、人を逃がした。呪霊が壁を迂回してきたところで、槍を構築して突き出した。
それまで手の中で作っていた小さな部品とは違い、両手で支えても余るほど長い槍だった。
「そこで祓った。呪霊とか、祓うとか、言葉を知ったのはあとだけど」
「先生が来た?」
「少しあと。俺が作った壁が残ってて、それを調べに来たんだって」
傘を片手に現れた五条は、壁と創真を交互に見た。
何をしたのか尋ねられ、創真は答えた。怒られると思っていた。建物の中へ勝手に入り、壁を何枚も置いたのだから。
五条はまず、創真の手と顔を確かめた。
怪我がないと分かると、その場へしゃがみ、使った力について説明を始めた。
「その日は親にも話して、あとから学長にも会った。普通の中学に通いながら、先生に教わってたんだ。休みの日とか、放課後とか」
「じゃ、先生とは長いんだな」
「二年くらい。最初の頃、親が毎回付き添ってた」
「あの先生なら、ちょっと心配になるかも」
「そうなんだよ」
二人で笑った。
笑いが収まると、虎杖は缶の縁を指でなぞった。
「さっき、電話してるの見てさ」
創真は黙って、続きを待った。
「じいちゃんのこと思い出した」
虎杖の声は、いつもより静かだった。
「俺、じいちゃんに育てられたんだ。こっち来る前まで、病院にいた」
「今は?」
「亡くなった」
創真は缶を机へ置いた。
虎杖は顔を伏せてはいなかった。ただ、視線が机の端へ向いている。
「伏黒に会った日。病院で話して、そのあと……帰るときには、もういなかった」
「……そうか」
ほかに何と言えばいいのか、すぐには分からなかった。
自分の父も母も、今日は元気に話していた。虎杖がその声を聞いていたことに、今になって気づく。
「最後、何話した?」
「人を助けろって。俺は力があるから、できることをしろってさ」
虎杖は口元だけで笑った。
「いつも言い方きつかったんだけど、あの日もそうで。まだ文句言えるくらい元気だって、思ってた」
廊下の向こうで、扉が閉まる音がした。
二人とも、そちらへは顔を向けなかった。
「じいちゃんに言われたから、それだけでここに来たわけじゃない。自分で決めた。学長にも、それは話した」
「うん」
「でも、何かあると考えるんだよな。じいちゃんなら、何て言うかなって」
創真は少し迷い、聞いた。
「今日の洗濯なら?」
「え?」
「服、ちゃんと干したって話」
虎杖が瞬きをした。
それから、短く笑った。
「しわ伸ばしたかって聞くと思う」
「伸ばした?」
「……ちょっと怪しい」
「明日、怒られるな」
「だな」
虎杖は笑ったまま、皿の菓子を一つ取った。
包装を開けるまでに、少し時間が掛かった。
創真は何も急かさず、自分も一つ取る。
「今の話、ほかのやつにも聞かれて平気?」
「うん。隠してるわけじゃない」
「分かった。俺からわざわざ話したりはしない」
「ありがと」
虎杖が菓子を口へ入れる。
二人はしばらく、黙って食べた。
創真は、祖父のことを全て聞いたわけではない。虎杖が今日どれだけ寂しかったかも、分からない。
話し足りないなら、聞こうと思った。
けれど虎杖は、食べ終えると缶を持ち上げた。
「これ、うまいな。朝霧んちの近くで売ってんの?」
「母さんがよく行く店。今度、違うのも送ってって言っとく」
「そこまでしなくていいって」
「俺も食いたいから」
虎杖は少し考えてから、うなずいた。
「じゃ、楽しみにしてる」
*
時計が十時を回ったところで、創真は空いた缶をまとめた。
「明日、何時からだっけ」
「九時。昨日の続き」
虎杖が答え、椅子から立つ。
「その前に走る?」
「朝飯のあとで。食わないと、また母さんに言われる」
「何か、想像できる」
虎杖が笑い、机の下の段ボールを拾った。
「これ、捨てるやつ?」
「うん。そこまで持つよ」
「いいって。近いし」
二人で共有スペースを出た。
廊下の途中で釘崎とすれ違う。彼女は虎杖の持つ段ボールを見て、足を止めた。
「お菓子、もうないの?」
「まだある。机の上」
「なら、いい」
釘崎は返事をして、そのまま共有スペースへ向かった。
角を曲がると、洗濯物が吊られているのが見えた。
虎杖が自分のシャツへ手を伸ばし、裾を引いた。肩の位置を直し、袖を伸ばす。
創真は隣で、段ボールを受け取った。
「そこ、裏返ってる」
「あ、本当だ」
虎杖が袖を直す。
次のシャツにも手を伸ばすまで待ってから、創真は畳んだ箱を回収場所へ運んだ。
部屋へ戻る前に、母へ短いメッセージを送る。
『お菓子、みんなで食べた。ありがとう』
返事はすぐに来た。
『よかった。おやすみ。明日も気をつけてね』
創真はそれを読んでから、携帯をポケットへしまった。
廊下の向こうでは、虎杖が最後の一枚を干し直していた。